宇宙は本の箱

     宇宙は本の箱

六次元講義(14) 宇宙と人生より



として完成しました。それだけでも大きな大きな仕事でした。そして、終戦五十年には『大東

亜戦争は正当防衛であった』を同志とともに配布して、大きく世論を変えました。


それから先生は七十才を過ぎてから全国各地を実地調査されて、日本古代史を明らかにしてい

くうちに、長い歴史のなかで虐げられてきた同和の方々は、本来は建国の功労者の御子孫であ

ったこと、近代史と古代史がさかさまになっていることを明らかにされました。

それから、先生自ら神通力を保持されて、多くの難病者、悪癖者を救い、それ基に新しい精神

分析学を樹立しておられます。


その他、たくさんの事をされていますが、それらの多くは先生が七十才を過ぎてからの仕事で

す。驚くべきことです。

人の何倍もの仕事をされた陰には寸暇を惜しんでの努力がありました。先生は、かつては頼っ

てくる病癖を持つ人々に対して、また研究所に来る人々に対しては時間を惜しむことなく費や

されましたが、ご自分の時間は無駄にすることなく、いつも本を持っておられて、休む時間は

本を読む時間でもあり、どんな時でもボサーっととかボンヤリとかして時間を過ごすことはあ

りませんでした。それは最後の入院される寸前までそうでした。





これは弟子であり、先生の奥様でもある山本貴美子氏の文ですが、
私の知っている先生は本当にいつもこのような感じでした。
先生が仕事もせず勉強もしない日は生涯に一日たりともなく、
暗いうちから仕事、勉強。
講演旅行の合間にも電車の止まるジャストその瞬間まで先生が本から顔をあげられる事はありませんでした。そしていつも今うまれた赤ちゃんのようにいきいきとした表情で思わず笑うような、けれども心うつまじめな話をされたのでした。

たったひとりしか生徒がいない日でも、300人の聴衆がいる壇上でも、
先生は同じように熱意を持って話されるので、いつも予定の時間はとうに過ぎていきました。型どおりに講義が終わったという事が一回くらいはあったのでしょうか。それだのに、その講義の始まる寸前までも、また講義が終わり私達がつまらない話題に興じている間にも深夜まで先生は本を広げておられたのでした。
自分の子供にも、きょうたった今あったばかりの人にも、誰にでも同じほどの愛を注がれる・・・それが僕らにできない事なのですと、大学教授兼セラピスト、医者兼セラピストの方々が、最初私に言われた言葉が、
鮮やかに蘇ります。


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