宇宙は本の箱

     宇宙は本の箱

分岐点


それは簡単なことで、それはヨギの自叙伝にも書いてあったが如くだ。

あの冬、暮れも押し迫った日にお神酒が届けられた。
それを受け取った時、私の胸に広がっていった悲しみ。
落胆。
そこに分岐点があった。

お神酒が届けられたなんて、尊敬する人からそんなものが届けられたなんて前代未聞。
研究所始まって以来だとセラピスト達は言い、考える事はないと、
自分達なら舞いあがると・・・・そう言った。
美味しそうに作られた料理の数々を目の前にして、
食欲がみるみる減退していった日々のようで、
人にはその感覚は分からないものらしかった。
私と同じようにそのお神酒を前に落胆したのは、実は主人だけだった。


私は翌2月から、ある事を期に、口実をもうけて退いた。
それを知らぬ人は同じように私に運営のことを相談されたので、
大きくなる為には戦略がありますと、それは企業戦略と同じ事で、
そして、それならば、それは全プログラムこちらに従っていただきますと、
そう申し上げた事はすでにその人の頭にはなかったものらしかった。
きょうのあの方達は、その話を求めてはおられませんでした、と申し上げると
その人はもう私の目を見なくなった・・・そういう事があった。


次の月が終わったあと電話があった。
私はもう今年のはじめから委細タッチ致しておりません、そう申し上げた。
エッ!そうなんですか?
それははじめて聞くことらしかった。
そうして次の通信には突然の講演会中止の記事が掲載された。
中止されるとは思わなかったけれども、私はその電話があった何日かあと
断腸の思いで先生に長い手紙をしたためたのだった。。。


僭越ながら申し上げます。


僭越ながら申し上げます・・・と。
先生がそこにいて下さり、協力者があり、そして戦略通りにやれば、
先生を世に広く知らしめる事など雑作のないことです。
けれど先生、このような問題は自分の欲徳に仮面をつけて、
自分でさえもその仮面に気付かないくらいにならなければ
このアスファルトジャングルでは成功しないという人の世では常に起こり得る問題です。

先生。この世の成功ではなく、まこと人生の真実を求める者ならば、
またこの宇宙の真実を求めてやまない者ならば、
そこがどこであろうとも、必ずやそこに行く筈です。
先生はご自分のなすべきことをそこでなさって、いつものように、ただそこにいらして下さい。
そして、先生のあとを継ぐものこそが、その真を問われるのです。



・・・そうして、先生から一通の手紙が届いた。
ありがとう・・・と。



ありがとうと。
そのありがとうを寂しく受け取り、今まで頂いたお手紙の一番上に置いた。
先生はそしてもう東京にも行かれなくなり、研究に没頭された。


その「ありがとう」が何の「ありがとう」だったのかを私は今の今まで勘違いしていたのだと、
今朝の目覚めの時、急にそれが思い起こされた。


私などが申し上げなくとも、
先生の高潔な魂はやがてはそうならざるを得なかったけれども、
あの時そこに一つの分岐点があり、先生はその真の道を迷うことなく選ばれたのだった。
95才の3ヶ月前まで、あの寒い地で真冬でも着物1枚、足袋なし、病院いらず。
未来の為じゃ~!大変な時代が来てもみんな食えよ!と、
鍬をもち額にタオルを巻き、田んぼを一反増やされた哲人。
今朝目覚めて、先生のその「ありがとう」に今頃感激して泣いている鈍な私。
私はほんと子供の頃からずっと愚鈍な子だとまわりに言われていたっけ。













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