宇宙は本の箱

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自己主張

サリン事件の後だったから
もう十年前にはなるだろう。

時折そこの寺まで座禅組みに来ていたある大学生、
ディペートの講習に通おうかと思っているんですという話。
授業料高いし、習ってもうまくなるものかどうか・・と。
不況時下の就職、悩んでいたらしい。
就職セミナーでどうしても
アメリカ人にかなわないのだと言う。

皆さん、講習受けるの お好き。
三角頭の上の方になりたい人達の餌食になるのがお好き。
『こころをあやつる男達』でも読む?
でも、まー、行ってみればー?
行かなかったって後悔するよりは、ね。
どんなディペートだか想像のつく軽い頭つくりに、ね~。

でも、おかしい、何かが違うって分かっても、
その場で太刀打ち出来て、その場で勝たなけりゃダメなんですよ。
ディペートってそんなのだから。

うん、だから、その場で勝つ術学べばいいじゃないか。
そりゃ、私の得意分野だ、私にやらせる?(笑)
グーの音も出ないくらいやっつければいいわけだ。
そんで、その場でともかく勝てば、
あんたは就職出来て、出世出来て、
あんたの心は晴れ晴れとする。あんたは幸せになる、うん。
なら、なぜ、ここに来る?
何を言ってほしい?
ここに来るあんたは
ホントは自分でちゃんと全部分かってるでしょうに。。。

ホントの自己主張やったらどうなりますか?

決まってるでしょー。
自分の考えた事、した事から逃げない、
自分で自分の道に責任をとる人生があるわけ。

苦行した釈迦が「苦行しなくてよい」と言うのと
苦行もしなかった者が「苦行しなくてよい」と言うのとは
言葉の深さが違うでしょ?
本を少ししか読まなかった者が
ありとあらゆる書を知っていたという老子みたいに
「書を読まない人生が最高」って言ったって、
言葉は一緒でもそりゃ深さが違うでしょー?
そんなふうに、言葉は一緒でも全然違うよね。
その深さや広さ判断出来ない者が、
座禅組んでたどり着く『無』は
ム、ム、ム、ムの世界だなー(笑)

俺、やっぱり自己主張しに行ってきますワ。

私は引っ越して彼のその後を知りません。
座ってる椅子がどんどん私の傍まで来る若者でしたが、
どうしているでしょう。


PCをやるようになって約五年。
顔は知らない知人達のメール。
最初の三回目までの勢いはどこへやら。
そこで大体底をついて、あとのメール続きません。
文章の上手下手ではない、
私と同年代の者でさえ、趣味と実益以外
湧き上がるものの何もない上っ面の面の面。
鍋の下にもう一つ鍋のある夢を見ました。
上の方の鍋から言葉や音楽のあふれる夢でした。。。



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