宇宙は本の箱

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愛のレッスン1



人はまず自分を死ぬほど愛さなければならない、
自分で自分を愛しさに抱きしめてやらねばならない。
大きくなったあなたは幾度も幾度も過去に立ち返り、
その時愛してやれなかった自分を、大きくなった自分が抱きしめてやる、
そんな話をよくした。
愛されなかったと思っている子達に、
成長してなお親に愛されたいと切に願う子達によくそんな話をした。

大きくなったあなたを子供のように抱き上げ、抱きしめてあげられる者に出会えればいいけど、どうすりゃそんなに成長するのかな~、
180センチ?190センチ?おまけに100キロなんてどうやって抱き上げるの?
と、冗談言って笑った。
そして、愛のレッスン1というのをやった。


いとも簡単に棄てられるのは何か?
なかなか棄てられないのは何か?
咄嗟のとき絶対棄てないと思うものは何か?
よく考えて紙に書いてくる宿題。


「では、その絶対絶対棄てられないもの棄ててみよう!」
宿題用紙に書かれた紙を見ながら私は言った。
「え~!!」
女の子達は、金や虚栄心を棄てろといわれるのだと思った。
その返って来た用紙には誰もが「親」をあげていた。

「親」

愛されなくて悲しみ、愛されなくて半ばは憎み、
愛されたくて頑張り、愛されたくて喧嘩を繰り返し・・・
それらは私には信じられないような事ばかりだったから、
その逐一の話には噴出しそうなことも時にあったけれど、
同じような姉妹を私はもっていたから心情は理解出来た。

親に愛されたければ「はい」といえば良いのだ。
「カラスは白い」と親が言っても「カラスは黒いよ」と言わないのだ。長尾先生も言われていた。
なぜなら、あなただって、あなたの言うことを親に肯定して貰いたいのだ。
親に賛成してほしいのだ。うんと言って欲しいのだ。
あなたにそう言えない親は、あなた自身、あなたを写す鏡だ。

あなたの親はあなた自身だ。

あなたの親も誰かに育てられ、よくも悪くもその時代の環境に育てられ、
親は親なりに懸命に生きた。
たぶん、けなげに若いときを生きた。
そうではないのかな?
親は苦しい事や悲しい事はなかったのか?
そんなことはあるまい。
歴史を鑑みれば、
おそらくは私達の想像以上の苦しみ悲しみを抱いて生きてきた筈だ。
あなた方はもう親がどの部分を沢山話し、どの部分をあまり語らないか、
そのその悲しみ苦しみをわかってあげられる年になった。

自分を愛するとはそんなことだ。

棄ててみればいい。
一生あえないほどに棄てることだ。
そうすれば自分がどんなに親を愛していたか、
どんなに自分を慈しみ愛していたか、
どんなに親が愛しく、どんなに自分が愛しいか・・・
失ってみれば・・・分かる。
そうではないのかな?
それとも本当に失わなければ分からないか?


皆、相変わらず親と喧嘩し、そこまで自分を愛せず、
自立と依存の間を繰り返し生きているが、
自分がどうやら親を好きだった・・・
そして、その好きには・・・言葉では尽くせない複雑怪奇な味があることくらいは認識できたようで・・・
相変わらずだから、レッスン1は
十年以上たった今も愛のレッスンの第二段階へは進めないでいる。


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