ロシア旅行(46)



琥珀の間

 この部屋の壁には、色々な種類の琥珀だけを寄せた
 装飾パネルが嵌められており、なんとも不思議な美し
 さを醸し出している。

 これらの琥珀のパネルはプロイセンで作られたもので
 あるが、琥珀による内装を考え、プロイセン王宮内に
 実現しようと思いついたのは、建築家シュリューターで
 あった。 やがて、ロシアに仕官したシュリューターから、
 このような稀な部屋が存在することが、ピョートル大帝
 の耳にはいる。 

 間もなく、これらの琥珀のパネルがフリードリッヒ・ウィル
 ヘルム1世から、友好の印として贈られて来た。 当初
 この贈り物は冬宮(エルミタージュ)を飾っていたが、後
 にあたかも皇帝その人を運ぶような鄭重さで、わざわざ
 手に持って、ここエカテリーナ宮殿に移された。

 1755年、琥珀の間として完成させたのは、ラストレッリ
 であった。 この際、琥珀が足りなかったため、彼は壁の
 所々に碧玉製のフィレンツェモザイクの絵を嵌め込んで
 不足分を補ったとかいう。 

 1941年10月、ツァールスコエ・セロを占領したナチス
 ドイツ軍は、琥珀の間のパネルを取り外し、ケーニヒス
 ベルクに搬出した。 その後、琥珀の行方は、必死の
 捜索にもかかわらず、全く判明していない。

 琥珀の間の復元は、ロシアの国家プロジェクトとして推
 進された。 復元の過程は、ひたすら地道な試行錯誤
 や研究、そして根気そのものであった。 長い年月をか
 けて、2003年、18世紀のデザインに基づく「琥珀の間」
 が新たに復活した。

琥珀の間は、当宮殿内で一番人気のある場所なので、入
場制限しているにも拘わらず、そんなに広くはないので、渋
滞する。 という事で、ゆっくりと見ているわけにはいかない。
(昨日映像をのせるのを忘れたので、今日の追加画像で
掲載します。)

次は、「絵画の間」である。 多数の絵が、天井まで壁面を
覆っている。 一つ一つの絵は、誠に素晴らしいので、多分
名の通った人のものと思うが、残念ながら作者名は分から
ない。

その隣は、「赤い柱の間」で、やはり赤は人を惹きつける色
である。 テーブルの上に、3個の立派な中国製の陶器花瓶
と壺が置かれていた。 

「緑の柱の間」が続く。 赤と対比させたものであろうが、や
はり緑の方が、赤よりくつろげる感じがする。

次は、同じ緑であるが、「緑の食堂」である。 白の食堂との
対比が考えられるが、緑といっても、沈んだ感じの草色で、
食事をするなら、白の食堂の方が華やかである。

他にも部屋は沢山あるが、大体肖像画と家具・椅子が置い
てある。 なにしろ、300m以上に亘り小部屋が並んでいる
ので、東から西方向に見て回っているわけであるが、数えよ
うもないくらいである。

2F西端の最後の部屋には、この宮殿の主人公、「エカテリ
ーナ女帝」の肖像画が飾られている。 その傍に置いてある
陶器製の壺が、何とも素晴らしい。 

途中、休憩する場所は無いので、いささか疲れたが、これ
から階段を下りるという所に、「まどろむキューピッド」の像
が置かれていた。 可愛い寝顔で、なぜか、心安らぐ思い
がした。 後で分かったことだが、最初上がった東側の階
段の上には、「目覚めるキューピッド」があって対になって
いるらしいが、そちらは気付かなかった。

絵画の間

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同上床板

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追加画像は下記をクリックして下さい

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