北條宏泰の音楽レビュー大興奮!!

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H・ひろやす

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カテゴリ: 日々のあれこれ


一息つきたいです。

少し休憩。

僕のblogには、
ご存知の方~読まれた方もいらっしゃると思いますが、
音楽のレビューやエッセイなども掲載しております。

この年末に久方振りに、
”吹き抜ける風”の中の’音楽少年成長日記’の新作を書こうと思っています。

今日は少し休憩と言う事で、
その中から’幸せは鐘の音とともに’を載せたいと思います。

読んだ方は、
すみませんm(-_-)m


〈妙泉寺の年越し〉

 子供の頃、学校が休みに入ると母親の故郷の山梨で過ごした。

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[ 夏休みのせいちゃん(一級下の韓国人)と僕 ]

 母の実家は、甲府駅から車で20分ほどの田富町にある妙泉寺という大きなお寺。
 冬休みも妙泉寺に行って年を越した。

 田富町は甲府盆地の真ん中にある町で、
 今は隣接する村や町と市町村合併になって中央市と呼ばれるようになったのだけど、
 夏は暑く、冬はとっても寒い所だ。盆地特有の寒暖の激しい気候だ。

 お寺は天井が高くて、
 夏はお寺の中に入ると涼しくて良かったんだけど、
 その分だけ冬は凄く寒かった。アルミサッシなんて物は無かった。
 木の枠にガラスを埋め込んだ硝子戸だった。
 だから、ぴっしり閉め切っても、何処からともなくすきま風がピュ~ピュ~と吹き込んで来た。

 北風大王様のお通りだ。

 その上に石油ストーブさえ無かったのだから、
 障子や襖(ふすま)をどんなに締め切っても余り温かくならなかった。
 天井は高いし、一つ一つの部屋は広いし。かなり寒かったと思う。
 でも、子供は風の子だったのか知れない。そんな事、僕には大して気にならなかった。

 暖房機具は、火鉢と炬燵(こたつ)だけ。
 火鉢も炬燵も炭を使って温めた。大きな火鉢三つ、炬燵が三つ。
 炬燵は掘り炬燵が二つに、普通の炬燵が一つ。
 それ等は居間や広間や離れに置いてあった。
 それから、手焙り(てあぶり)と呼ばれていた小さな火鉢が十個、
 土間や台所などの人がよく集まる場所に点在して置かれてあった。

 背中を丸めて両手をこすりながら、
 拭き掃除を終えた後のかじかんだ手を廊下に置いてあった手焙りにかざして
 温めていたおばあちゃんの姿。「おお~さむさむ~!」って声を出しながら、
 炬燵に滑り込んで炭火の熱が全身に回って温まるまで、
 しばらく目を瞑っていた若かりし頃の叔父や叔母の姿が、昨日の事の様に思い出される。

 お寺には、母親の八人兄弟の末娘のおばちゃんが
 特に可愛がっていた真っ白な飼い猫がいた。
 真っ白でフワフワな“ルル”と言う名の大きい雄猫だった。

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[ 八人兄弟(本当は九人、、生まれて直ぐに亡くなったそう)の末っ子の叔母と幼いルル ]

 でも、僕がお寺に居た冬休みの一週間位は、
 彼にとっては最悪な時間だったと思う。余りに僕がルルを追いかけ回して、
 抱き上げて頬にすりすりするものだから、終いには僕がお寺に居る時期は、
 餌を食べる時以外は、お寺に寄り付かない始末だった。

 それでも、諦め切れずに「ルルゥ~!ルルゥ~!!」って大きな声を出しながら、
 家の中や、境内や裏の竹やぶをルルの姿を追い求めて、探し回った。

 その内に、僕が冬休みに妙泉寺に来る頃には、
 暫く姿を消す様になってしまったみたいだ。
 猫の体内には、何か気配を察知するような仕組みがあるのかな。
 「宏やっちゃんが来る頃になると、家に寄り付かなくなっちゃうんだよね~。
 そんな事、何で分るのだろうかね~?」と、まだ中学生か高校生くらいだった
 叔母もしきりに不思議がった。

 妙泉寺には、
 書生さんやお弟子さんが常時数人住み込みで暮らしていた。

 大晦日になるとお弟子さんの中の一人が、
 自転車に乗って甲府まで年越し蕎麦を買いに行った。

 今の人達なら、ちょっと考えられない事だった。
 当時の自転車は、大きくて車体も相当に重かった。
 そんな自転車で、甲府まで往復したなんて信じられない。
 特に帰り道は、切り溜(長方形の木の箱)に蕎麦二十人前を入れて、
 それを荷台にロープでくくり付けて運んで帰って来た。

 一升瓶に蕎麦汁を入れて、それも一緒に運んで来た。
 蕎麦はお店に着いてから「何人前を下さい」とか言うと、その場で茹でてくれたそうだ。
 妙泉寺に戻って来る頃には、切り溜に入った蕎麦は全部凍っていた。
 昔の山梨の冬がどれほどに寒かった分るエピソードだ。

 僕の母親には、姉妹が三人いる。
 その中で母の直ぐ下の次女である叔母ちゃんは、無類の蕎麦好き。
 彼女は運んで来たばかりの凍った蕎麦を夜まで待切れず、皆に隠れて先に食べたそうだ。
 凍った蕎麦もお汁につけると溶けて、それを皆に見つからない内に大急ぎで食べたそうだ。
 きっと、ばれて兄弟喧嘩も起きただろう。食い物の恨みは恐ろしいのだ。

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 年越し蕎麦の具は、茹でこぼしたほうれん草に、
 食べやすく小さく切って甘辛く煮付けた鶏肉。
 そこに、ねぎを入れて食べた。その鶏肉や野菜の美味しかった事。
 妙泉寺の境内の端っこに作られた畑から野菜は取って来て、
 鶏肉は裏庭の鳥小屋から一羽出して来て檀家の傘屋のおじさんが絞めてさばいてくれた物。

 今だったら、
 有機栽培だ地鶏だなんて言われて結構な値段になりそうだな。
 でも、一番の御馳走は皆の笑い声喋り声だった。
 大勢で食べる年越し蕎麦は特別な味がした。


{百八つの石ころ}

 さてさて、その妙泉寺での冬休み最大のイベントは、
 皆で鐘突き堂に登って行う除夜の鐘突きだった。
 お寺にとっても、除夜の鐘突きは特別な行事であった。
 その大切な行事の中で、僕は重要な役をいつも任されていた。
 百八つの鐘を突く時に数を間違えない様にと、
 昼間に百八つの石ころを拾い集めて箱の中に入れておくのが僕の役目だった。

 でも、そこはそれ、子供のやる事だ。
 きっと、かなりテキトーだったんじゃないかなと思う。
 僕が拾い集めた石を入れた箱を、鐘突き堂の入り口に置いておいたんだけど、
 誰か大人がチェックしたのかな?そんな事は記憶に無いんだけど。

 “紅白歌合戦”も終わる頃には妙泉寺の檀家の男衆も集まって来て、
 土間の横にある広間の大きな火鉢に手をかざしながら暖をとって、
 湯飲みに日本酒を注いでグイグイと美味しいそうに飲んだ。

 そして、“いこい”や“しんせい”、
 ハイカラな人は紺色の缶に入った両切りの“ピース”を持っていた。
 火鉢の炭を火箸で鋏んで、くわえた煙草の先を炭に押し付けて火をつけて吸った。
 その姿がとても格好良くて、子供なりに憧れた。
 その煙草の香りは、野良仕事をする大人の逞しい男の匂いがした。

 皆、優しい人達ばかりだったので、
 彼等の側に寄って行って話もした。
 膝に載せて貰った事もあっただろう。
 お百姓さん達の顔は酒焼けして赤く、喋ると息が酒臭かった。
 こんな臭い物を飲んで、何が美味しいのだろうと思ったけど、
 酔う程に陽気になって口数が増えて行くのが面白かったのか、
 側に座り込んで話をした事は良く覚えている。

 僕の母親やおばあちゃん、おばちゃん達が慌ただしく檀家の人達に、
 野菜の煮物や海が無い山梨ではお酒のつまみに重宝された
 真っ赤な色をした酢蛸(すだこ)を運んで行き、
 「あれあれ、皆さん寒い中をご苦労様なこってすね~」なんて言いながら愛想を振りまいた。

 檀家の人達の中には、
 僕の事を取り分け可愛がってくれた前述の傘屋のおじさんもいた。
 彼はお百姓をやるかたわら夫婦二人三脚、
 竹で編んだ傘を売って生業(なりわい)にしていた人だ。

 広間で一杯ひっかけて身体も少し温まった頃、皆は鐘突き堂に向かった。
 一升瓶と酢蛸や煮物を持って。鐘突き堂に入ると、十段位のちょっ梯子っぽい階段があって、
 その梯子階段をよじ登る様に上がって鐘を吊るしてある所へ。

 その当時の田富町には、殆ど二階建ての家は無かった。
 田富町(中央市)も、今ではコンビニやファーストフードのお店が町中に溢れて便利になったな。
 だけどあの頃は不便な事で、物の有り難みを知る事が出来たし、
 何ともスローペースな、ゆっくりゆったりとした暮しぶりだった。

 お百姓さんの家は、どれも大きな平屋だった。
 二階建ての家はとっても少なかった…無かったかも。
 昼間だったら鐘突き堂に登れば、釜無川の土手も、その先の南アルプスの山並も、
 それこそ甲府盆地全域を見渡せる感じだった。

 鐘突き堂の上から見た夜景はどんなものだったのかな、、。
 今となっては、おぼろげにしか思い出せない。民家の窓明かりや、
 県道を行く車のライトが見えるくらいで、後は漆黒の闇。
 光と影がはっきりとしていた。

 鐘を突く時の灯りは、土間や広間の電気の灯りが頼りだった。
 土間や広間の電気を全部つけて、硝子戸を全部開け放った。
 それだけで、充分に明るかった。

 時計の針が十二時になると、除夜の鐘突きが始った。
 昼間に僕が拾い集めておいた石を、鐘を突く度に鐘突き堂の下の地面に捨てていった。
 そうして、途中位になると僕も笠屋のおじさんに抱き上げて貰って鐘を突いた。
 大きなお寺だったからかな、鐘も大きくて、鐘を突く木の棒も
 かなり大きかったので威圧感もあった。

 鐘の真下は梯子で上がる為の穴が開いていて、何だか落ちそうで恐かった。
 度胸試しみたいな感じで、胸がドキドキした。

 それにしても、僕が拾った石の数も当てにならなかったかも。
 回数を間違うなんて事もあったのではないだろうか。一度位はあったかも知れないな。
 拾った百八つの石を鐘を一つ突く度に、鐘突き堂の上から地面に落していった。

 その内に、テキトーに拾った石の数が心配になって来る。
 「あれ?数あってたっけ?でも、まあいいか、、黙っていよう」
 と心の中でちょっと不安になった事を今でも良く覚えているのだから

 それに、檀家の人達の中には“紅白歌合戦”を見終わって“行く年来る年”を見ながら、
 風呂にでも入りながら「一つ、二つ」って勘定をしていた人達も居たかも知れない。
 「あれ、百八つじゃないぞ、一つ多いぞ!」なんて事もあったかも。
 でも、苦情が来た話しを聞いた事はなかった。

 もし、間違っていた事を気づいた人がいたとしても、
 誰も気にしなかったのかも。都会も田舎も、まだ日本中の時間がゆっくりと流れていて、
 大らかな時代だったんだろうな。それに、鐘を突く人は何人もいたから、
 その中にはしっかり最初から勘定している人も居ただろうな、、、。
 うん?でも、大人の男達は全員、酔っ払っていた事も確かだ。

 のんびりした時代だった。

 大人になってしまった最近では、除夜の鐘を聞いても何の感慨も無い。
 あんなに楽しかった年越しは、もう二度とやって来ないのかな。
 もしそうだとしたら、寂しい限りだな。ゴ~ン、ゴ~ン、Long gone....

 笠屋のおじさん達が酒のつまみに食べていた真っ赤な酢蛸を、
 母親が何処かで見つけると必ず買い込んで来る。僕はその真っ赤な酢蛸を食べる時、
 いつも妙泉寺での鐘突きの事を思い出す。

【完】

改めて読み返すと
もっと手を入れたくなってしまうけど、、
何か涙出る、、自分で書いたのにね^^





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Last updated  December 15, 2009 03:37:41 PM
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