「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2021.10.07
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カテゴリ: 美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ダリの誕生から32歳までの作品をちょっと詳しく・・・まとめてみました

​​​ 『サルバドール・ダリ』年譜 ​​​

Salvador Dali



​​​​ サルバドール・ダリ
​Salvador Dali​

1904年5月11日〜1989年1月23日(84歳没)

スペイン、カタルーニヤ地方フィゲーラス出身の画家。

シュルレアリスムの代表的な作家。


1904年 5月11日、(ダリ=0歳)​

サルバドール・フェリーぺ・ハシント・ダリ、

フィゲラスに生まれる。

父は、公証人:ドン・サルバドール・ダリ・イ・クーシ、

母は、ドーニヤ・フェリーバ・ドメネク、

幼年時代をフィゲラス、バルセロナ、

そして両親の家のあったカダケスなどで過ごす。

アンプルダン地域一帯の風景に魅せられ、

特にフィゲラス近郊のカダケスやクレウス岬などは、

彼の人生と作品の両面に基本的な重要性をもたらすことになる。

最初の作品(風景画)には、1910年の日付がある。


1914年 (20歳) フィゲラスのマリア修道士会中等学校に入学。

早くも絵画への興味を示し、

両親と親交のあったピトーチョ家に滞在し、

芸術的発見と素養を養う。

ラモン・ピチョート(1872年〜1925年)の作品を通し、

印象主義に興味を持ち始める。


パリのサロン・ドートンヌに出品したピチョートの

フォーヴィスムの彩色エッチングは、

アポリネールによって、『美術史』の中で絶賛された。

このころのダリ作品は、

大半、カダケスの風景や、農夫や漁師を扱った油彩画である。


1918年 (24歳) 印象主義の彩色法に圧倒される。

初めは主に写実派の画家、とりわけ

マリアーノ・フォルトゥニー(1838年〜1878年)や

モデスト・ウルヘル(スペインのベックリン)などに溺れるが、

のちに点描主義に移る。

一方、ホアン・ヌー二ュスの指導で、

素描や版画、油彩画を学ぶ。


5月2日、 フィゲラスの市立劇場で行われた

地元の画家の作品展に、初めて、油彩画を数点出品する。

『黄昏の老人』 はこのころの作品。


1919年 (25歳)​ フィゲラス市立美術学校 (ダリの次に入学した学校)

発行の評論誌「スタディウム」に、定期的に寄稿し始める。

テーマは、彼が最も賞賛する、

ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、デューラー、

エル・グレコ、ゴヤ、ベラスケスなどに関する画家論。

特にベラスケスについては、既に、

「スペイン人の画家の中で最も偉大な画家の一人、

 いや、おそらく最高峰の画家であり、

 世界でも第一人者である」

と書いている。また、ユーモアのある評論誌

「エル・セニョール・パンクラシオ」にも寄稿。

文芸に関して旺盛な興味を示す。


1921年 (27歳)​ マドリッドの

サン・フェルナンド現代美術学校に入学。

素描、油彩、彫刻を学ぶ。学生会館に住み、そこで

ロルカ・ブニュエル、エウへニオ・モンテスらと知り合う。

のちに学校当局に反対する学生デモを扇動したかどで、

懲罰委員会によって1年間の停学処分を受ける。


この間、ボナール 、イタリアの未来派、

ウジューヌ・カリエルからの影響を受ける。

自室でキュビスムの絵を描き、

あからさまに授業内容とは反対の立場を示す。

このころ、 『ラファエロの首を持つ自画像』 を描く。


1922年 (28歳) 10月、​ バルセロナのダルマウ画廊に8点出品。

このころ、 『果物のある静物』『内側から見たカダケス』

『春の日曜日』 などを描く。


パリで、アンドレ・ブルトンを中心に

ピカビア、マックス・エルンスト、マン・レイラら

第一シュルレアリスム・グループを結成。


1923年 (29歳) 5月、​ 学校に戻るが、

アナーキスト運動を支持した疑いで逮捕、

フィゲラスとヘロナで35日間拘留される。

ホアン・グリスの作品を通し、

キュビスムへの興味を大いに膨らます。


また、点描主義を肯定する一方で、

イタリアの刑面上流

(カルロ・カラやジョルジオ・デ・キリコ)の影響を受ける。

このころの作品には、 『少女たち』 などの他、

カダケス周辺の田舎を描いた数点の 風景画 がある。

DALI,Salvador
Figueras,1904-1989

Pierrot con guitarra
Pierrot with Gaitar,1923-1924


1924年 (30歳) 美術学校に復学し、

アヴァン・ギャルド・グループとの関係を取り戻す。

一方、パリでは、ブルトンが「シュルレアリスム第一宣言」を発表し

批評誌「シュルレアリスム革命」を発行。


1925年 (31歳) ロルカ、フィゲラスとカダケスを初めて訪問する。

ダリの家族に、戯曲「マリアーナ・ピネーダ」を読んで聞かせ、

歓迎される。



Muchacha en Ventana,1925

​​​『窓辺の少女』​ 1925年​​

『窓辺に立つ少女(妹・マリアンナ)』


油彩 カンヴァス  103.0cmx74.0cm

スペイン「国立ソフィア王妃芸術センター」所蔵。

ダリの妹:アンナ・マリアを描いた。

この時期は、妹をモデルにした絵画を何点か制作している。

Salvador Dali

Muchacha de Espaldas,1925

​​『後ろ向きに座る女』​ 1925年​

『後ろ向きに座った少女(妹マリ・アンナ)』1925年


油性 カンヴァス 108.0cmx77.0cm

スペイン「国立ソフィア王妃芸術センター」所蔵。


この作品も妹:アンナ・マリアを描いている。

窓の外に見えるのは・・・

ダリの故郷フィゲラスに近いカダケスの海。

子どもの頃から親しんだこの地の風景は、

ダリ に大きな影響を与え作品にもしばしば登場する。


11月、 バルセロナのダウマウ画廊で最初の個展。

出品作がピカソとミロの注意を惹く。

カタログにはアングルに関する記述が繰り返し見られる。

ダルマウが持参した評論誌「シュルレアリスム革命」にダリ、注目する。


12月、 バルセロナの評論誌「芸術の友」に深く関わる(1929年2月まで続ける)

ロルカ「サルバドール・ダリへの頌詩」を書く。

この年、 『ふじ色の月光のある静物』

『小さなラム酒の瓶を持つ大きなアルルカン』 などを制作。


1926年 (32歳) 妹と母を伴い、

初めてパリとブリュッセルを旅行。

イエロニムス・ボッシュ、ブリューゲル、

そしてとりわけフェルメールに心を奪われる。

パリでは、ピカソを訪問。

持参した作品がピカソの注意を惹く。

10月、 自分の作品を審査する教師の能力に

異議を申し立てた理由で放校処分となる。

彼に、カダケスでミロの訪問を受ける。

12月、 ダルマウ画廊で二度目の個展。出品中、

『パン籠』 が、

美術評論家や一般の人々の最大の注目を集める。

(参考資料:美術出版社、サルヴァドール・ダリより)
(写真撮影:ほしのきらり)

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最終更新日  2021.10.07 00:10:09
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