・・玄海灘


海辺のレストランに入った。
視界180度すべて海、一面に広がる玄界灘である。

風除けかそれとも波を避けるためか、
コンクリートで固められた頑丈そうなテラスが、
かなり広いスペースで設けられている。
それでも、台風の時などは、
波が覆いかぶさるように窓際まで襲ってくるに違いない。

閉ざされた窓越しに、穏やかな潮騒の音が届く。
ウィンザータイプの木製の椅子に深く腰を下ろし、
漸くありつける遅い昼食のために、メニューを開いた。
私は名前につられて松花堂の「玄海」を選び、
グラスワインを併せて注文した。

料理の味も悪くはないが、ここでは、何といっても、
窓の外に広がる景色がご馳走である。
遥か沖合いの天地を分かつ一本の線は、
真っ直ぐなようでいて直線ではなく、
緩やかな曲線となって左右の端が下がっている。
障害物など何もなく、小さい島が一つ浮かんでいるだけで、
見霽かす水平線は地球の丸いことを実感させてくれた。

・・・・・・・・・・・

玄界灘を渡ってきた引き揚げ船は、
接岸することが出来ず沖合いに碇泊した。
本土に上陸するためには、小さな船に乗り換えなければならない。
波が高く、その小さな船は、波に乗り上げたまま大きく上下する。
人々は、船が下がった時に着地できるよう、
具合を確かめつつ意を決して飛び降りねばならない。

それがどんなに怖いことか、人々の顔がそれを伝える。
冬の玄界灘の波の高さがどれほどのものであったか、
それは想像に難くない。

子供達は、碇泊した船の甲板から、一人づつ
木の葉のように揺れる船をめがけて投げ落とされる。
一足早く飛び降りて乗り移った男達は、
引き揚げ船に乗り合わせたというだけの、
見ず知らずの、その子供達を一人一人抱留める役目を果たす。
投げ落とす親達も、彼らを信頼して子を託すのである。

彼らには互いに、
命からがら祖国に引き揚げてきた同胞の日本人という、
強い連帯感が存在していたのだろう。

何万何十万の人々が越えてきた海、
そんな歴史をも飲み込んできた玄界灘である。
今、一人で眺めているこの玄界灘を、
私はいとおしく思えてならなかった。


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