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ケニアの旅――貴女とサファリを 6
――TAMBOU DIRCKMBERES ―その1
なつかしい喧騒のナイロビに戻ってきた。
並木には季節はずれのジャカランダの花。
ケニヤッタ大通りから、ニュウスタンレィ・ホテルの角を曲がり、キマシ通りを北へ向けて歩く。
ケニアの地に降り立った初日と随分違い、ナイロビの街は歩きやすかった。
もちろん、ナイロビが変貌したのではない。
明らかに、旅人がナイロビにいくらか染まりつつあるからに他ならない。
今日もどこかで、犯罪が起こっているであろうナイロビであるが、再び訪れた「街」は、すでに旅人のものであった。
もうすぐ、別れが近づいているというのに―――――。
初代大統領の名前に因んだケニヤッタ大通を銀座の中央通にたとえるなら、キマシ通はすずらん通や並木通といったところか。
映画館や洒落た洋服屋が並び、スリーピースを着込んだビジネスマンたちが、ひっきりなしに歩く。
その歩くスピードは、アフリカの「ポレポレ精神」に似合わず、せわしなく速い。
いくつも横並びにある黄色い電話ボックスには大勢の人が待ちつづけ、そのうちの何人かは時計をひっきりなしに目配せしながら、あきらかに苛立ってる様子が伺えた。
携帯電話をひっきりなしにかける男たちもいた。
かと思えば、路上にうつ伏している浮浪者たちがいたり。
多種多様なひとの顔が集まって、都会の顔をつくる。
成功した者、そうでない者。持つ者。持たざる者。幸せなひと。不幸なひと。
私たちは、旅人は、そんな浅はかな視点でしかない「尺度」でもって彼らを観察し、彼らを天秤にかけようとする。その浅ましい思考と態度が去り行くひと、の特権とばかりに勘違いな自分にすら気づかないでいるというのに―――。
尺度など・・・・どれも同じでどれもが違う。
「自分が」、「幸せと思える」か「思えないか」の違いがあるだけだ。
今日のナイロビは薄い膜が張ったような青空で、湿度が高いのか、かなり暑く感じた。
ナイロビは海抜1700メートルの高地で、年平均気温は17度前後。
しかし、今日は格別暑い。
避暑地のようなイメージがあるが、汗ばむ額をぬぐいながら、キマシ通をどんどん歩いた。
めざすのは、レコードショップだ。
通にある何軒かの店を覗き、店内が比較的広く明るく、そして何より良心そうな店をくぐることにした。
お目当ては、もちろん、「リンガ・リンガラ」だ。
リンガラ・ポップスは1920年代、キューバから輸入されたルンバに影響を受け、中央アフリカのザイール(2001年現在、コンゴ共和国)の商用語(植民地下政策により部族語の統一が必要で生み出された)であるリンガラ語で歌いつづけられ発展してきた音楽の総称だ。
リンガラについてしばらく語ってみよう。
「人類の揺り篭」であるアフリカでの、人類史上最悪の事象、奴隷制度―――多くの同胞たちが「者」ではなく「物」として扱われ、新大陸へ労働力として渡らされたことはご存知のとおり。
その後、これまた比類なき悪政植民地政策により、人間が逆輸入された。
多くは軍人、安い労働提供者として。
いまだに総括できぬ汚点とともに、同時にキューバからギターがもたらされた。
人のせつなさを綴ったルンバも。
もともとは、キューバ発祥の伝統音楽ソンからサルサが生まれた。
そして、ルンバ、マンボというリズム=音楽が発展的開花していったものだ。
そして、フランス植民地であった西アフリカ、特にザイール(コンゴ)では、フランス文化の華麗な楽団音楽、そして現地音楽などが融合して、現在にいたるリンガラ=ルンバ・ポップスが生まれた。
ザイールではたんにルンバだ。
多くの部族がいるザイールの公用商業語リンガラ語で歌われるため、リンガラと呼称し、キューバのルンバと差異化している。
リンガラは3つのリズム=音楽パートから構成され、導入部を「ルンバ」呼び、甘く、せつなく、やるせないボーカルと美しいメロディ。次に「サガテ」といい、だんだん、リズムが激しくなり、コーラスや掛け合いを続ける。そして「セベン」、昇天しそうなダンスパートで、めまぐるしいハッピー&ダンス・ダンスの連続だ。
リンガラの歴史を少しだけ急ぎ足で逆回転してみよう。
―――1881年、イギリスの探検家スタンレーがコンゴ川をさかのぼり、スタンレー・プールにたどりついたときは、首長ンガリマエが築いた商業都市キンタンボのように、すでに5000人もの住民がいる町も形成されていた。
スタンレー率いる部隊はンガリマエ山に守備隊を置き、このコンゴ川探検のパトロンであった当時のベルギー国王レオポルド2世に因んで、レオポルドヴィルと町を名づけた。
やがてレオポルドヴィルの人口は商業の発展や絶え間なく入り込んでくるヨーロツパ人のため、人口増加の一途をたどり、1926年ベルギー領コンゴの首都になったときには当時の推計でアフリカ人だけでも2万人を超えていた。
鉄道も敷かれ、ますます都市としての機能は整備され、1950年代には約20万人もの人口を抱える商業都市となった。
かつての植民地政策により街は白人、黒人の街にすべて分割されていた。
黒人は昼間は白人街で安い賃金で労働を提供するも、夜には我が町(シテ)へ帰らねばならなかった。
しかし、抑圧の下でも、人間はいつでも、何がしかの【自由】を持つ生き物だ。
いや、求める、といったほうがわかりやすいかもしれない。
シテでは、これまでの伝統社会にはなかったバーが出現し、皆がたむろするようになる。
コンゴ川対岸のブラザヴィルで46軒、レオポルドヴィルのシテではそれを遥かに凌ぐバーがあった。
彼らは、白人がもたらしたワルツやフォックストロットを踊った。
こうして、伝統的社会には存在しなかった生活や言語、文化が誕生した。リンガラ語の誕生だ。
リンガラ語はもともとは、現ザイール(コンゴ共和国)西北部のバンガラ族の言語に由来すると言われている。
ザイールは、私が以前訪れたカメルーンと同じく、わかっているだけでも約200の言語があり、方言なども含めれば400の言語に枝分かれするとされている。コンゴ川流域に発展した商業の共通語として使用されはじめ、また宣教師や植民地当局から共通語化されていった。
アフリカの初期におけるポップス音楽の誕生の地は西アフリカ、リベリアが発祥の地とされている。港町のパームワイン・バーなどでギター、バンジョー、コンサーティーナ、ハーモニカ、そして地元に伝わるパーカッションなどによる船乗りの音楽とアフリカ音楽のフュージョンが誕生した。
このパームワイン・ミュージックと呼ばれる音楽スタイルは黄金海岸(現ガーナ)などの英語圏西アフリカでハイライフに発展していく。
現ナイジェリアが現在最も盛んなハイライフのマーケットとなっている。
そして、1930年代、最も大きな影響を受けるルンバがキューバよりコンゴにもたらせれた。
このルンバも、そもそも、シレなどの伝統音楽と、支配者スペイン人の音楽=セレナーデなどが融合してできあがった音楽スタイルである。
アフリカ大陸から連れ出された奴隷の末裔たちの音楽にコンゴ人は共感した。自分たちと同じ血が流れていることを感じとったのだろう。
では一方の北アメリカの同胞が生み出したジャズは何故アフリカ人に魅せられなかったのか?
カメルーン人マヌ・ディバンゴによれば、―ジャズにおいては、黒人が打楽器を叩くのを禁止された歴史のなかで、自然と、ルンバに親近感をもって執着していったのではないか――、ということだ。
アフリカの伝統音楽を大別すれば、主に複数の打楽器を使って踊り、歌う音楽であり、もう一方のスタイルは吟遊詩人による弾き語りだ。グリオと呼ぶ。
グリオは血筋により伝承され、彼らは儀礼祭礼において、楽器をつまびきながら、英雄を称える詩や、死者の誉れを思い起こさせ、祭りへの祝福などを称える詩を歌いあげた。
初期のリンガラは、このスタイルを踏襲した。
そして、40年代にはいり、新しい生活、新しい文化、新しい嗜好、新しい市民層に触発されるかのように、楽団形式のリンガラへと発展していくのだ―――――。
―――こうして、1940年代のレオポルドヴィルには、新しい言葉、新しい市民層、新しい生活習慣、新しい音楽嗜好、つまり新しい文化が生まれていった。
アフリカの伝統的吟遊詩人=グリオのスタイルを踏襲した弾き語りミュージシャンたちは、こうした民衆の要望に応えるべく、ギター、アコーディオンに伝統的打楽器加えて、3,4人の楽団を構成して、街角のバーで歌いはじめた。
1947年、オデオン・キノワとアルモニ・キノワという二つのグループがアフリカ人による最初のレコーディングを行った。
この頃、レオポルドヴィルに相次いでレコード会社が設立されていた。
経営者はもちろん非アフリカ人であったが、アフリカ人のためのアフリカのポピュラー音楽を提供するためで、アフリカのポピュラー音楽においてリンガラがアフリカ全土を征服する条件整備がなされたのだった。
さらに1952年にはローデシア(現在のジンバブエ)とともにアフリカ初の現地プレス工場が設立された。コンゴ以上に人種差別の激しいローデシアでは、アフリカ人のための文化に寄与する産業となりえなかったため、アフリカ人のためのポピュラー音楽の供給地がレオポルドヴィルの独占状態となった。
これは、リンガラの普及条件であったが、では何故、コンゴでアフリカ・ポピュラー音楽=リンガラが芽をふき、アフリカ全土に圧倒的な人気を博することになったのか。
それは、サハラ以南のアフリカに多くあるように、イスラム教ではなく、キリスト教が圧倒的に浸透「させられて」いたため、教会音楽に馴染みがあったからだといわれている。教会音楽と根源が同じである西洋音楽を受け入れやすい土壌があったのだ。
そして、最大の理由は経済政治的にはベルギーの支配は、当然のように抑圧と差別の支配であったが、文化面では比較的、他の植民地施策国と異なり、放任主義であった。そのため、コンゴのバンツゥー文化が色濃く反映したリンガラに、イスラム教、キリスト教圏を越えて、アフリカ人の魂をとらえる力を持ちえたのではないか、と推察する。
草生期といわれる1950年代から60年代にかけて、リンガラの普及に貢献したのは、アフリカン・ジャズと0.Kジャズという2大グループだった。
アフリカン・ジャズを創設したのは、後にグラン(偉大な)・カレと慕われるカレ・ジーフ。
彼は、聖楽隊出身の美しい声の持ち主で、伝統的要素を取り入れながらも、都市民層の感性にあった音楽を生み出す才能に恵まれ、彼の美しくも甘い恋の歌は「ルンバ・コンゴレーズ」と呼ばれ、現在のリンガラの音楽的基本要素の土壌をつくったといわれる。
一方の雄、0.Kジャズはフランコという天才ミュージシャンのおかげで、めきめき頭角を現し、彼の野太い声と、独特の電気ギター演奏は、アフリカン・ジャズより一層土着的で、彼らは「エパンザ・マキタ」(女の子のバンド)と呼ばれ、第2の流派をつくった。
初期のリンガラ史をかけあしでおさらいしてみたが、リンガラの豊かな土壌をつくった、いや政治的社会的に恵まれない「土壌のアンチテーゼ」としての歴史も押さえておきたい。
1997年5月、32年間にわたり腐敗のかぎりを尽くしたモブツ政権が武装組織を結成したカビラにより追放され、新生コンゴ民主共和国が誕生した。
しかし、独裁という体制はカビラもモブツと何ら遜色なく、大統領のツチ系人軽視に反旗を翻したのがツチ系バニャムレンゲ族だ。
1998年、再びコンゴ(旧ザイール)は内戦状態となった。
カビラ政権をアンゴラ、ジンバブエ、ナミビアが支援し、反政府勢力をウガンダ、ルワンダが支援した。また、反政府勢力の背景にはブルンジの存在も指摘され、タンガニーカ湖を挟み国境を有するタンザニアは常に緊張状態だ。
モブツが逃亡先で死亡したが、受け入れたのはモロッコだ。
紛争は「アフリカ大戦」という様相で、一時反政府勢力が首都キンシャサまで迫るが、政府軍が押し返し、コンゴ西部を政府軍が、そして北部と東部をそれぞれ3つの(!)反政府勢力が支配下に置き、常に拮抗した状態となった。
そして、なかなかニュースソースに載らないことだが、アタシたちは目をそむけてはならないのがこの大戦の間、民衆同士の部族間による大量虐殺が幾度も繰り返されてきたことだ。
国連、アフリカ統一機構、みかねた南アフリカのマンデラ大統領が奔走したが、事態はさらに深刻化、拡大化した。
1999年、ようやく紛争当事者による休戦調停が調印された。しかし、その協定は幾度となく破られ、人種差別を越えた人種差別という虐殺は今なお、コンゴの、あるいはコンゴの外でも、今日においてもどこかの森林地帯の村で繰り返し行われているはずだ。
不透明で出口の見当たらない状況のなか、こんどはカビラが大統領宮殿で、ボディーガードに撃たれて倒れるニュースが飛び込んできたのが、2001年冬のことだ。
しかし、彼らにはリンガラがあった。
ルウェンゾリ山の氷河の雫から始まり、悠久からとうとうと流れる大河、ザイール川。
それを取り囲む、西ヨーロッパがすっぽり入ってしまうほどの濃緑の原生林。
その圧倒的な自然のなかで、人々は蠢き、慟哭し、欺瞞に満ち溢れながらも、その自然に溶け込みながら暮らす人々の顔もある。
ジャングルに忽然と蜃気楼のように姿を現す熱気と混沌の大都市、キンシャサ。
アフリカ大陸がこよなく愛する、リンガラ音楽が街中に溢れ、通りという通りでは、ベルギー仕込みのPURIMUS BEERの栓が抜かれ、その音までもが、リンガラの音色を彩る。
うだるような日中に、明日食うものすらありつけない様でも、無邪気で素直で屈託のない笑顔だってある。
男も女も老人も子どももおばさんも物売りもこそ泥も不具者も、踊って一日を終える。
明日も踊って暮らす。
それもザイールの顔だ。
くぐったショップのカウンターで、「今一番ケニヤで流行っているいかしたリンガラのテープを出して」と頼むと、大柄な店員はすぐに棚から出してくれた。
「DEFAO&BIG STARS」の「SARA NOKI(急げ、、の意)」だった。
幸福の出会いと始まりだった―――――。
デファオ・マトゥモナ。
91年、ビッグスターズを結成し、巨体な体を揺らせながら、リンガラ第3世代の頂点に立とうとしてる男。あの巨体からは想像できない甘美なボーカル。ビッグスターズのギター、ドラム、ベースの一音一音がキラキラと眩しい。
なんて、ダイナミックで甘美なルンバだろう。
今では望めない、生き生きとした「僕の」時代を彷彿させる、生き生きとした音群。
キンシャサから発したオーラ、それはザイールにしか存在しえないルンバの、リンガラの美学。
ああ、永遠のルンバ、がそこにある。
そして次々と店員がだしてきたのは、「EXTRA MUZICA」、「LOKETO WENGE MUZICA」、 「KOFFI OKOMIDE」などだった。
私は、カウンターに積まれたそれら全てを購入した。
1本2ドル。安い買い物だ。
ケニア独自のポップスにも触れておこう。
部族の数だけ、文化・言語・生活様式・宗教などがあるように、音楽も部族ごとに伝統を踏襲し、確立されているといっても過言でない。
キクユ族にはキクユ・ポップス――というように。
「ゲーム・サファリ(サイフ)」の最中、私が気になってしょうがなかった音楽はこのポップスのテープであった。2号車のドライバーはキクユ族だったことがわかる。
フランクたちが待ちつづけるグレートリフトバレーへ着く間際、彼との交渉は成立し、ドライバーにテープ代と手間をかけた「ゲーム」のチップをはずんだ。
私は取り戻した20ドルのほとんどが消えたことが、おかしくてしょうがかった。
世界で2番目に大きなビクトリア湖周辺に住むルオー族(――ついに聞く機会もなかったが、私は内心、
パトリックはルオー族でないかと、にらんでいる)のルオー・ポップス。
ナイロティック系のルオー族は進取の気風に富むといわれており、長身で頭がよくスポーツ選手や学者を多く輩出しているらしい。最大部族のキクユ族と何かと対立する部族でもある。
他にカンバ族のカンバ・ポップス、ソマリア族のソマリ・ポップス、ターレブ、スワヒリ・ポップスと枚挙にいとまない。
ナクルで見事なコーラスを魅せてくれたゴスペルなどアカペラコーラスも本場で人気がある。
また、ロッジで夜な夜な聴かせてくれた伝統音楽も旅人には旅愁そそり、人気がある。
この店で「キクユ族のテープはないか?」と尋ねたが、ここにはないらしい。
出揃ったテープをすべて袋に詰め終え、店員は棚から一本のテープを取り出し、私にこう言った。
「ところで、旅人よ。このテープはいらないのかい?」
銀縁眼鏡をかけた店員がニヤニヤ笑いながら手にしているテープは「ジャンボ」だった。
「あっ!そうそう(笑)いるいる。それもちょうだいっ!」
ケニアでジャンボを買わずしてはなるまい(笑)。旅中、最も心にも残った音楽だ。
店員が袋に入れようとしたテープには、何故か他のテープと違い、突出して高い6ドルのシールが貼ってあった――――。
なつかしいジョモ・ケニヤッタ空港の国際線発着センター前に駐車してある、なつかしいワゴン車。
その運転席には、どこか郷愁をそそるフランクのなつかしい笑顔があった。
もう、旅発とうとしている身でありながら、なにもかもがなつかしく愛しい。
私はひとり、パトリックに内緒でフランクのワゴン車の助手席に乗り、最後のナイロビとフランクとの別れのドライブを小一時間ほど楽しんできたばかりだった。
「マアッサラーマ(さようなら)」歯が抜けているからか、相変わらず愛嬌のある笑顔だ。
「マアッサラーマ・ショクラン(ありがとう)」
彼と握手し、2度と振り返ることはすまいと、空港ターミナルへ歩く。
「アラファトーッ!」フランクの声にびっくりして振り返ると、彼は勢いよく発車させた。
フランクは今日、家族と1ケ月ぶりに会えるらしい。
さあ、私も我が家へ帰ろう。
―帰る家があるかどうかが、問題よね―
また、妻の不敵な、それでいてやさしい笑顔が浮かぶ。
家の玄関で長女はきっと恥ずかしそうに「おかえり」と言い、迎えてくれるだろう。
やんちゃな二女はきっとこう尋ねるだろう。
「パパ、どこへ行っとったん?」
「パパはね(笑)、アフリカで――――」
そうだ。
妻に宛てたハガキはやっぱり、自分が最初にポストから取って、隠しとかなくちゃ――――。
おわり
3ケ月に渡りお届けしてまいりましたwケニア編w
しばらく旅日記は休憩して、次回4月からまた長丁場w
イエメンの旅をお届けします。
地図で探さないように^(笑w
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