c - Rakuten Inc
100万ポイント山分け!1日5回検索で1ポイントもらえる
>>
人気記事ランキング
ブログを作成
楽天市場
000000
ホーム
|
日記
|
プロフィール
【フォローする】
【ログイン】
YEMEN―イエメンの旅―3
―― おかしゅうて、やがて、トホホな、砂漠越え ――その1
午前3時にモーニングコールであったが、2時には目が覚めていた。
イエメンに来てから極端に睡眠時間が短縮している。
ときどき、イエメン人の流儀にならい、神経興奮作用があるとされる「カートの葉っぱ」を噛んでいるからでもなさそうだ。
どうも、―旅をしている―こと自体に私には神経興奮作用がある、らしい。
ようは、子どもなのである。
今朝は、草木も眠るとんでもない時間にモーニングコールがあるわけだが、フロントから電話があったときには、準備万端、シャワーを浴び、ウィスキーを飲んでいた(笑)ときだ。
何故そんなに早くから起床かといえば、本日ハドラマウトの砂漠越えを敢行するのである。
道なき砂漠を走り、ときにはビッグウェーヴのようなうねりをみせる大砂丘を越えねばならない。
――昨日、すべてを発掘するよりも、砂漠に埋もれてしまうほうが早いのでは?と心配した遺跡の数々を見学した後の夕食時、ナジプサはこう申していた――。
「明日は朝早いです。モーニングコールは3時です。ロビー集合4時半。出発5時です。車の揺れはこれまで以上にすごいです。車の故障もあるかもしれません。インシャラー(神望みたもうなら)ですが。気を抜かないでくださいね!」
気を抜いたのは、ナジプサである(笑)
全員、ロビーに集合した4時半にも現れず、出発前にようやくいつも以上に目を赤くして登場した。
しかし、なんだかワクワクするではないか。
固いパン2切れのみの朝食をすませ、荷積みがなかなかはかどらないドライバーたちの作業をイライラしながら眺め、ナジプサを迎えようやく私の長い朝が終わろうとしていた。
そのナジプサの眠気マナコをみて、ハッと思い返したことがある。
「――次の日のハドラマウト砂漠抜ける道、ベリィ危険ね。いくつかの部族が山賊化してるね。観光客は特に狙われやすいね。ルブアルハリ砂漠は砂だけで何もないとこね。この砂漠で道を間違えると特に狙われるね。武装した山賊の格好の餌食ね――」
サナアを発つときにささやかれた、あの言葉が脳裏に浮かぶ。
「――でも、ノープロブレムね。ヤタ・ツアーのガイドみんな優秀ね――」
最後に付け加えられた言葉は、全然信用してなかった(笑)。
東の空は墨色から淡い紫に変化していた。
またくじ引きになり、今日は3号車だ。
そういえば、ナジプサが「護衛です」といった兵士たちはどこへ消えたのだろう?
ジプシーがたむろする不穏なマーリブダムや子どもたちから石が飛んできた太陽の宮殿で、彼らはどこにいたのか?
マーリブへ入る手前のバラケシュ遺跡以降とオールドマーリブ以降、彼らは姿を消していた。
ひょっとして彼らが-守った-のは、「私たちを」ではなく、「私たちから遺跡を」守ったのではないか、と頭にそんなことがもたげていた。
「サラーム。私の名前はアリです」
あなたもアリさんですか?(笑)
そしてご丁寧なことに、車はオンボロで、シートは壊れかけていて、そこには毛布が積まれ、エアコンは効いてなく、カーステレオからアラビア音楽がガンガン鳴るとろまで、すべて昨日の5号車と「同じ」だった。
マーリブの町を去る頃には、空全体が濃い青みがかってきて、進行方向の東の方角は幾筋もの光のプリズムを放っていた。
早朝出発して砂漠へ向かうのは92年のモロッコ旅行で北辺の町エルフードからメルズーガ砂丘行ったのと同じだが、メルズーガは大きな砂丘でサハラ砂漠の一部とはいえ、たかが知れていた。
「今回の偉大な砂漠越えは比にならないだろう」と、ミシェランの地図が示すルブアルハリ砂漠を眺めながらほくそ笑んでいる。
砂漠――と聞くと、私たちは「サラサラとした砂丘をラクダのキャラバンが行く」ことを想像しがちだが、アフリカのサハラもアラビア半島の砂漠も大半はサナアからマーリブへ向かったときの風景-瓦礫と土と岩山がつづく―土漠がほとんどを占める。
もちろん、それらもやがては風化し、砂のみの世界に変わるのだが――。
途中、ご来光となり、車を降りて、日の出撮影会になった。
足元の砂のところどころには、乾いた黒々としたものが散らばっていた。
それを拾い上げたとたん、触れてはならぬもの、だと気づいた。
「めずらしいものが落ちているよ、ほら触ってごらん」
「それ、ラクダの糞でしょ」
アリたちはその間、タイヤの空気を抜いていた。いよいよ砂漠へ突入するのだと、夢にまでみた砂漠越えが間近であることを実感した。
3号車のアリはイエメン人とは思えぬほどデップリ太っていて、大きな垂れ目の瞳、ダンゴ鼻、口髭をたくわえ、彼を描けば、まちがいなく「スーパーマリオ」になる。
このどこか憎めないマリオは呑気に鼻歌を歌いながら、ジャッキで車体を持ち上げるのでさえ、「アーデモナイコーデモナイ」と、緩慢な動きで、それさえ愛嬌におもえた。
砂漠に入りすぐに、それは間違いだったことに気づくのだ。
砂漠ルートに入りものの30分もしないうちに、我が3号車は置いてきぼりにされた―――。
砂漠に突入する整備点検が一番遅かったのは、案の定3号車だった。
再出発するとすぐワスファルトの道は途絶え、隊列していた車は昨日のオールドマーリブへ向かう道中と同じくバラバラに走り出した。
いよいよ、ワクワクドキドキの砂漠ルートである。
前の車から吹き出される砂が容赦なく窓の隙間から進入してくる。
その様をビデオに撮りながら、私の興奮状態は絶頂にあった。
「ラリーや。ラリー」と私はラリッていた(笑)。
左手に火炎を吐き出す煙突が見えてきた。精油所である。
「石油の出ないアラビア」と言われていたイエメンでも石油の埋蔵が発見され、1984年より採掘がはじまった。
地図で調べると、ここはサーフィである。
地図上のサーフィのすぐ上はサウジアラビアだ。
ジャンビアの形に似たアラビア半島の大部分を占めるルブアルハリ砂漠のなかに国境を定める両国であるが、砂漠の中央あたりから国境線が書かれていない。
確定していないのである。
砂漠に国境線を引くことが不毛なのか、石油の埋蔵が原因で両国の国境線が合意されていないのかはよくわからない。両国の政治的緊張や紛争が日本にまで伝え届くことはない。
イエメンはサウジアラビアや湾岸諸国の援助により国家運営が成り立っている、とよく揶揄される。
国家財政ばかりではなく、国民もオイルマネーを求めて多くのひとびとがサウジなどへ出稼ぎに行く。
サウジのひとびとはイエメンを「アラビア唯一の田舎者」とジョークを飛ばす。
一方、イエメンのひとびとにすれば、サウジや湾岸諸国のひとびとは「パッと出の成金」となる。
「太古から緑豊かな地で栄えた南アラビア(イエメン)人に比べ、北方の彼らは、羊とラクダしかもたぬベドウィンではないか」と罵る。
「――イエメン人は自分たちこそアラブの源流だと自負している。アラブの系図学では、古い血筋である南アラブ(カタハーン)のほうが、多民族との混血によって形成された北方アラブ(アドナーン)よりも純粋なアラブ人であるということになっている。カタハーンはノアの曾々々孫で24人の息子を持ち、イエメンに農業をもたらしたのは彼だとされる。そしてサナアを開いたとされるアザル、イエメン東部のハドラマウト地方の祖であるハドラマウト、北部山岳民族の祖であるヤアルブなどはいずれもカタハーンの息子たちである。つまり、イエメン人はカタハーンの直系なのだ。すなわち純粋アラブである。このことは他のアラブ世界でも広く認められている――『イエメン―もうひとつのアラビア』(佐藤寛著・アジア経済研究所)」と書かれている。
ジャンビアをさした誇り高き部族たちの面目躍如である。
油田を後方にし、左手は小高い岩山がつづく。
3号車は突然停車し、アリは嘆きの声を発した。
置いてきぼりだ。
どうやらパンクしたらしい。
異変に気づいた他の車も舞い戻ってきた。
相変わらずノンビリ作業するアリをみかねたのは私だけでなく、彼らの主任であるナジプサだ。
彼の指示により他のドライバーも手伝い、なんとか再出発だ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
30分後、また私たちの車だけ、砂漠のなかに取り残された――――。
アリは私たちに振り返りチャーミングな笑い顔をつくる。
「また、パンクかよ・・・・・・・・・」嘆く私たち。
アリよ、言い訳よりも故障を繰り返すのが私たちの車だけ、ということを少し整理して考えてみよう。
この車だけがポンコツというわけではない。コース取りにさして問題あるようには思えない。
なんのことはない、君は運転を飛ばしすぎるのではないか?
「ブラボーだなんて横で煽るからだよー」私までトバッチリだ。
次々と、砂煙を巻き上げて車が戻ってきた。
アリのドライバー仲間たちの目は、今度ばかりは笑っていなかった。
なかでもナジプサの眠そうで、かつ鋭い眼光は鋭いものがあった―――。
なんとか、なんとか、今度は左後輪のタイヤ交換を終え、再々出発だ。
「ワアッハハハハハハハアッハハハ」
2度あることは3度ある――格言どおりの様を私たち3人は笑い飛ばすしかなかった。
処置の施しようがない、ともいう。
油田があるサーフィからここまで2時間。
見渡すかぎり360°視界が利く砂漠の地平線。
太陽も随分高くなり、身を焦がす灼熱、とはこのことだ。
「で?アリ?なにもしようとしないのはナゼ?」
アリは太陽が真上に近づいているため、ほとんど影のない車体に身を預け、頭を両腕で抱えて座り込んだまま動かない。
「スペアのタイヤがもうないらしいよ」
「ええええっー?」
「
―― おかしゅうて、やがて、トホホな、砂漠越え ――その3
持参したミネラルウォーターはすでに熱湯だ。
しかも、水はさきほどの2回のアリの油まみれの洗浄に使い果たしていた。
おいおい、洒落にならない。
私たちは相談して、本当に幸いなことに3号車に積んであった「全員分の昼食用のミネラルウォーター」(笑)に手をつけることにした。
砂漠の真中で無為で孤独で熱さに耐えかねない時間が過ぎていった。
アリはピクリとも動かない。
仲間の車が戻るのを待つ、しか手の施しようがないからである。
「あっ、車が来た」地平線から砂煙が近づいてきた。
しかし、近づきつつある車は、私たちのランドクルーザーではなく紺色のトラックだ。
トラックは私たちの車と距離を置いて停車した。
見覚えのない男が二人降りてきた。
二人ともライフル銃を手にしている・・・・・・・・・。
何を想像したかは、私の強張った顔でわかりますか?
「――次の日のハドラマウト砂漠抜ける道、ベリィ危険ね。いくつかの部族が山賊化してるね。観光客は特に狙われやすいね。ルブアルハリ砂漠は砂だけで何もないとこね。この砂漠で道を間違えると特に狙われるね。武装した山賊の格好の餌食ね――」
また、ナジプサの声がこだまする。走馬灯のように駆け巡るのは家族たちの顔。
絶体絶命のピンチに思い浮かべるのが最愛のひと――とよくいわれるが、そのてんは安堵した(笑)。
カバンからリアル紙幣の束を渡してなんとか勘弁してもらおう、と頭の中でもたげていた。
しかし、すぐそこまで近づいてきた二人はライフルをアリの車に預け、呆然としているアリに向かい、両手を広げてなにやら罵っている。
「彼らは砂漠ルートの案内人のベドウィンだ」誰かが言った。
―え?なんだ・・・・もっとはやく言ってよ―
彼らは砂漠ルートのスペシャリストのベドウィンらしい。
ツアー社のガイドたちも360°視界が利くなかでは進行方向も誤るのは無理もなく、後で聞いた話だが、彼らは山賊対策でもあるらしい。
彼らは一部山賊化している部族の出身なのだそうである。
二人のベドウィンは「なんでお前の車ばかりやねん」とあきれかえっていた様子だ。
ベドウィンの車は、恐らくナジプサの指示により、四輪駆動用のタイヤを運びに戻ってきたのだ。
ベドウィンの手助けを受けながら今度は前輪のタイヤを交換するそばで、私たちはライフル銃を手にとり、ベドウィンのトラックで発見した旧式の手りゅう弾(!)を手にして、なごやかな砂漠での撮影会に様変わりしていた。
3度目の修理も終わった。
交換されたタイヤはインドネシア製でまったく溝がないタイヤが装着されており、私たちは顔を見合わせて、しかし誰も口にはしなかった。
―また、パンクするわ・・・・・―
みんな、そう感じたに違いない。
大砂丘を前にして、恐々とした心境で、もうはしゃぐ気にもならなかった―――。
なんとか、先行の一団に追いついた。
追いついたというと聞こえがいいが・・・・・・・・。
「もう1時間も待ってんねんで。皆でアンタのこと何言うてたか知ってる?(笑)」
大阪のおばちゃんに悪態つかれた。
みんなは小高い砂丘を写真に収めていた。
「なんであんな、児童公園の砂場みたいなの写真に撮ってるの?」
「今年は、風の影響で砂丘は流されてて・・・ない!んだって」
「えええええっ?!」
ガーンと、法隆寺の鐘が鳴る、心境だった。
私は、泣く泣く砂粒をかき集めて、空のペットボトルに詰め込んだ。
敗戦チームが、オラが故郷に土を持ち帰る、の図である。
こんな哀れな私のもとにアリがやってきて、私をなぐさめてくれた(笑)。
「水を撒いて、ほら乾く前に入れると早いよ」
そう誇らしげに辺りペットボトルから水を撒いた。
ああ、貴重な飲料水が・・・・・あんたの運転技術のおかげであやうく飲み水がなくなるとこだったというのに・・・・・
―こいつは完全に砂漠をなめとる(笑)―
―― おかしゅうて、やがて、トホホな、砂漠越え ――その4
砂漠を走ること、6時間30分。
アリの3回のパンクくらいしか思い返すことができない、劇的なことが全く起こらないまま、まわりの風景は緑が増えてきた。
うねる大砂丘の砂漠越え―――が幻となったのである。
マーリブから今日めざすハドラマウト地方の中心の町サユーンへの中間点あたりに着いた。
地図にはシャブワと記されている。
サーフィから直線距離にしてわずか100キロほどである。
シャブワは紀元前5世紀頃に栄えたハドラマウト王国の首都であった。
当時、乳香の生産を独占して栄えた国である。シバ王国はその乳香の交易を独占していた。
紀元前3世紀に他部族の襲撃やシバ王国との戦争に敗れたため滅びた。
遺跡は大部分が砂に埋もれており、未発掘のままでバラケッシュや太陽の宮殿以上にものさみしい感じがした。近年、外貨獲得に熱心なイエメン政府すら見放したようなこの遺跡に当時の栄華を偲ばせるものは皆無であった。
古代ローマの書物にこのシャブワの記述があるせいで、ヨーロッパ人が発掘に熱心なようで、「ナポリ大学のチームが発掘中です」らしい。
「写真撮影は禁止されています」
遺跡の小高い丘の側に深く掘られた塩田があり、底には白い結晶が煌いていた。
「現在も採取されています。途中、ベドウィンのテントがありましたね。その家族たちが生計を立てています」
「質問です。撮影が禁止されているような遺跡からどうやって「採取」する権利を得たのでしょうか?」
「さあ・・・・・・」ナジプサは答えず苦笑いした。
ベドゥインの家族を、ハドラマウト王国の末裔とでもしておこう、か。
シャブワを出発し、木立が多い場所で昼食となった。
骨付き唐揚、ゆで卵、ハム、サンドイッチだ。
木に登る羊を眺めながら、おいしく唐揚いただきました。やはり、ビールがないのがおしい!
それはそうと、砂漠の移動でずいぶん、生暖かくなってますね、何もかも・・・・・・。
気になりだすと、そこに意識が集中し、体まで変調をきたしはじめるから不思議だ。
案の定、腹痛が間隔をあけて、やってきた。
そして明らかに腹痛間隔は狭まっていた。
どうやらこれは急にたくさん食べたからお通じが急にノックしてきたようである。
―これは、やばいことになったな―
砂漠である・・・・砂漠である・・・・・砂漠です、ここは・・・・・・。
砂漠です//・・・・・・・・・砂漠なのだよ・・・・・・・・・ここは・・・・。
――さて――
私はこっそり林を抜け、気づかれないように一目散に駆けて行った。
必死走っているつもりだが、なかなか思うように足が運ばない。
砂地を走るのは一苦労する。
胃腸からどんどん落ちてくるものを感じながら、だからよけいだ。
しかし、いい按配に、うまい具合に窪みがあった。
ようやく落ち着ける。
ほうほうの体で窪みへ。
―あれ?あれ?ここになんか一足先の「残骸」がありますね?―
それは、あきらかに獣のものではなく、ひとの「モノ」であった―――。
太陽がジリジリ照り付けるなか、「フウ」と一息つく。
砂バッタがあちこちで鳴いていた。
休息をほとんど「ひとり旅」に費やしてしまい、再びサユーンに向け出発だ。
ハドラマウト地方に入る。砂漠を見渡す視界はかなり狭められ、両側にテーブル状の岩山がどこまでも続く。サナアへ向かう上空から見たワデイ(涸れ川)の底を走っているのだ。
ワディ・ハドラマウトはアラビア半島最大規模で延長160キロ、幅は最大5キロ、平均2キロである。
走行中、絶壁の岩肌が近づいたり、遠く霞んだりを繰り返す。
山間部に降った雨が、谷に巨大な流れをつくるらしい。
このような不毛な砂漠にあって想像もつかないが、ときには大洪水になることもあるらしい。
これから訪れる予定の砂漠の摩天楼都市といわれるシバームの町などが壊滅したこともあるらしい。
しかしながら、雨が集中して集まる恩恵によりハドラマウトは栄え、先ほど訪れたシャブワの町やシバーム王国が成り立っていた。
緑がだんだん多くなり、ナツメ椰子が生い茂っている。ときおり、ラクダの隊商が通り過ぎる。
私たちは、ラクダより足元(タイヤ)がどうしても気になってしょがなかった。
「――紀元11世紀頃、ラクダがアラビア半島にもたらされ、その後このラクダを何十頭、ときには何百、何千頭も連ね、その背に多くの財貨を積んで運搬する「隊商(キャラバン)」という方法が考案された―――。この発明の結果、アラビア半島南岸のインド洋に面したカナ(現在のビール・アリー)から地中海沿岸のガザまでの旅程が60~70日になり、砂漠の上の「香料の道」が確立した――」『季刊民俗学61号―イエメンの道―幸福のアラビアの歴史をつくった街道図画』文・佐藤寛/写真・小松吉雄)」のだそうである。
ハドラマウト地方は広大なオアシスであるため各所に隊商宿などができて、繁栄していったことは容易に想像できる。「香料の道」、現在は、多少の不安(笑)を抱きつつ、立派な「観光の道」になっているのだ。
ナツメ椰子が繁るオアシスにガソリンスタンドがポツンとあった。
ここで今日はじめての給油だ。
給油所のスタッフが私たち一団以外で、今日はじめて出会うひとびとだった。
サナアのジャンビア姿ではなく、派手なシャツ、そして布を巻いたようなスカート姿だ。
写真を撮れとせびった彼らにはアジアの血が流れているのを強く印象づけられた。
ときどき、ナツメ椰子の間には、泥で積み上げたような高層の家を見かける
―シバームは近いのか―。シバームの高層ビルを写真で見て、一発でイエメンに惹かれた。
―この町を見に、イエメンへ来た―といっても過言ではない。
「あれがシバーム?」アリに聞く。
「ラー、ハザール、ガイル、サヒーハ(いや、違うよ)」
彼はあごを持ち上げ、軽く舌打ちをする。
これは、アラブ人のジェスチャーらしいが、なんだかむかつく(笑)。
鼻歌を歌い続けるアリは、パンクの件など悪びれる様子もなく、彼の左頬にはいつのまにかピンポン玉を含んだように膨らんでいる。
カートをやっておるな。目が冴えておるな。
落ち込んだ様子もなく鼻歌からやがてひとりベラベラしゃべる彼に、偉大なカートの効果をみた気がした。
日は西に大きく傾きかけ、真上には今日もジャンビアのような月が輝きはじめた。
椰子林が途切れ、またしばらく土漠を進み、日が沈みかける頃に舗装道路になった。
日没の午後6時を過ぎた。サユーンへはまだ2時間ほどの行程だとナジプサは言った。
「今日はシバームだめね。明日行きます」
半月が輝く下、茶店でコーラを飲んでいるときに告げられた。
闇のなかを車は進んだ。町らしきところは1ケ所だけあった。
モスクの窓明かりから礼拝する人影が見えた。
一瞬、漆黒の岩に浮かぶユリのような一輪の花をみかけた。
日没から、闇のなかで見たのはそれらだけだった。
いや、日没からというよりも、今日はいったいどんな一日だっただろう。
最大の楽しみだった砂丘越えは幻に終わり、移動の疲労だけが残ったような気がする。
あらんことか、今度は4号車が闇のなかパンクしたらしい。
唯一後続だった3号車の私たちも介助し、予定より大幅に大幅に遅れて私たちはサユーンのホテルに到着した。
その夜、ある意味では「山賊」より怖い襲撃にあう。
蚊である。
まさか、マラリア病原をもつ蚊ではなかろうな―――。
旅行blogランキング
ジャンル別一覧
出産・子育て
ファッション
美容・コスメ
健康・ダイエット
生活・インテリア
料理・食べ物
ドリンク・お酒
ペット
趣味・ゲーム
映画・TV
音楽
読書・コミック
旅行・海外情報
園芸
スポーツ
アウトドア・釣り
車・バイク
パソコン・家電
そのほか
すべてのジャンル
人気のクチコミテーマ
アメリカ ミシガン州の生活
ランチへ♪
(2024-11-16 10:50:29)
ラスベガス ロサンゼルス ニューヨ…
ヒルトン東京お台場 モーニング …
(2024-11-27 21:01:12)
日本全国のホテル
ホテルルートイン 伊那インター
(2024-11-28 06:00:12)
© Rakuten Group, Inc.
共有
Facebook
Twitter
Google +
LinkedIn
Email
Create
a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧
|
PC版を閲覧
人気ブログランキングへ
無料自動相互リンク
にほんブログ村 女磨き
LOHAS風なアイテム・グッズ
みんなが注目のトレンド情報とは・・・?
So-netトレンドブログ
Livedoor Blog a
Livedoor Blog b
Livedoor Blog c
JUGEMブログ
Excitブログ
Seesaaブログ
Seesaaブログ
Googleブログ
なにこれオシャレ?トレンドアイテム情報
みんなの通販市場
無料のオファーでコツコツ稼ぐ方法
無料オファーのアフィリエイトで稼げるASP
評判のトレンドアイテム情報
Hsc
人気ブログランキングへ
その他
Share by: