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YEMEN―イエメンの旅 8
―― 旅の終わりに匂ひもせず―アデン叙事詩― ――その1
緑豊かなジブラ、イッブの町を離れ、アラビア海へ向かう。
最後の町アデンへ。
イッブから遠ざかるに従い、ハドラマウトやティハマと同じく荒涼とした土地になってきた。
旧南イエメンの首都であったアデンに近づいている。
ジープのなかは高原の涼風から、再び湿気を帯びた熱風が吹き込んできた。
砂漠になり、ナツメ椰子林を抜けると、突然海が現れた。
海岸線に迫りくる岩山が見えてきた。
アデンの町だ。
アデンは古代の火山活動により溶岩が海へと流れ込んで造られた天然の良港を要する町だ。
古来、インド洋から紅海へ向かう、またその逆方向の船舶のほとんどが停泊したといわれる海のシルクロードの要衝であった。
近代においても、アジア諸国の植民地支配の中継点としてイギリスの直轄支配(1839年~1967年)を受け、スエズ運河の開通(1869年)と重なり、貿易港としてますます栄えた。
しかし、イギリスがアデン植民地や周辺首長国の保護領から撤退するときを同じくして、スエズ運河が閉鎖され(1967年)、船舶は航路変更を余儀なくされた。
そのためしだいに寂れていき、その後運河が開通されても当時の勢いを取り戻すことはなかった。
旧南イエメンの近代史を早足になぞってみよう。
古代から東方世界と地中海世界を結ぶ貿易港として発展した、天然の良港をもつアデンはヒムラヤ王朝、
ローマ帝国、イスラムなどの支配を受けてきた。
16~17世紀にはオスマントルコの勢力下に、17世紀初頭にはイギリスが進出してきた。
アデンがイギリスに占領され(1889年)、直轄植民地となった後、周辺6つの首長国が次々とイギリス保護領となった。
北イエメンで第1次世界大戦の敗戦を機にオスマントルコが撤退(1918年)するのに続き、アデンを中心に「自由イエメン」による改革運動(1944年)が起こる。
イギリスはエジプトのナセル大統領を中心とした「アラブ民族主義」に対抗するかたちで、保護領の6首長国を束ね「南アラビア連邦」として発足(1959年)させた。
イギリスはいったん南アラビア連邦の独立を約束(1964年)したが、各論において思うように折衝がはかどらず、民衆から反英運動が激化していった。
そのような混乱のなかで、マルクス主義を掲げる民族解放戦線が優勢となり、長らくイマームたちと抗争を続け、ついにイギリスを駆逐して「イエメン人民共和国」として独立宣言を行ったのが1967年のことである。
アデンを首都としたアラブ諸国初の社会主義国家の誕生である。
ハドラマウト地方も南イエメンに属していた。
人権や教育面で平等主義がいきとどき、ひとびとの柔和な心や豊かな表情はこれらの基盤に成り立っているのだろうと思った。
北のひとびとの眼光するどく、やせっぽちだが頑強なイメージより数段おだやかに感じた。
一方、北イエメンであるが、タイズ博物館での学習に戻る。
1962年にエジプト(当時アラブ連合国)の支援を受けた軍人クーデターにより「イエメン・アラブ人民共和国(北イエメン)」が誕生し、北イエメンはサウジアラビアの支援を受けたイマーム派と度重なる内戦が70年代初頭までつづいた。
1972年、北・南イエメン両国は統合協定に調印したが、その後も南北間での内戦・クーデターによる政権交代など混乱状態がつづいた。
80年代に入り、再び統一の機運が高まり、政権安定と油田発見(マーレブ近郊のサーフィでみた油田)などにより、協力関係の必要性から1990年の統一にいたり、「イエメン共和国」が誕生した。
――ジープの隊列は湾曲した海岸線を走る。
3人のアリたちと比べ、1号車のリーダー格のドライバーは寡黙にひたすらハンドルを握ったままでいまひとつ面白みに欠けた。
私は、後続の3号車のアリのことが気になってしょうがなかった――。
イッブでの昼食後、食堂から散歩にでかけようとした。
食堂をでてすぐ、裏の軒先からすすり泣きが聞こえてきた。
誰かと思えば、あのルブアルハリ砂漠の陽気なアリ君ではないか。
アリのまわりには、同僚の1号車のリーダーをはじめ、4号車のアリ、5号車のアリ、そして私は一度も乗車しなかった、がいかしたアラブポップスのテープを売ってもらった2号車のヘザーン。
みんなアラブ風のジェスチャーを交えアリをなぐさめている。
実はアリ、「日頃の運転がなっていない」、とボスであるナジプサにかなりきつい調子でお咎めを受けていたらしいのだ―――。
アデンの町に入ったのかな?と思うと、すぐ町はなくなりまたあらたな町に入る。
ややこしいのだが、アデンとはアデン湾沿岸のあちこちの町の総称なのである。
海に近づき、はじめて通過した町がリトル・アデン。イエメン最大の精油所がある。
湾を囲む半島の付け根にある空港や本日宿泊するホテルがあるコルクマサル。日本の領事館をはじめ各国の領事館もここに集中してある。その先はマッラ。社会主義時代のなごりをみせる団地のビルが連なる。入り江の反対側はクレーター。アデンで最も歴史のある町だ。
ほかにも、少し内陸になるがシェイフオスマンなどいくつかの町が飛び地で点在している。
これらの町を総称してアデンという。
最も賑わいをみせる町はクレーターだ。
かの天才放浪詩人にして、エチオピアに拠点を置く武器商人でもあったアルチュール・ランボーが働いていたバルディー商会があった建物が今でも残っている。
現在は、建物の一部はフランス領事館で、また一部を「ランボー・ハウス」として一般公開している。
有名人が生活の痕跡を少しでも残せば、「記念館」になる、のは万国共通だ。
クレーターには「アデン・タンク」と呼ばれる紀元1世紀頃につくられた10万平米の容積をもつといわれる18基の貯水タンクがある。
クレーターにはほかにも「ノアの方舟」を建造したドック跡がある、などここでもノアにまつわる話がでてくる。
夜、コルクマサルで、オスマントルコ時代の城壁がある丘からクレーターの町を見下ろした。
町灯りは乏しく、今夜はやけに暗いかと思えば空にはイエメンでずっと見つづけた月の姿がなく、かわりに水平線上に金星が赤くひっそり輝いていた。
旅の終わりを告げる暗示のような気がした。
いったんホテルに戻り、クレーターのスークにタクシーででかけた。
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アデンの町はコロニアルな雰囲気を醸し出している。
野菜スークなどではサナアでは考えられなかった女性の姿も多い。
ほとんどの女性はベールで身を隠すこともなく、洋装でめかしこんで町を闊歩する若者も多い。
広場に面したビルの屋上には大きな英文字の看板など、この街がヨーロッパのどこかの町であったとしても疑いようがなかった。
ポール・ニザンはアデンをこう書いている。
「―――アデンはたくさんの綱の結び目なのだ。
このオリエントの絵のような風光を汲みつくし、どんな力がこれらの糸を引き、この結び目を強く締めつけているかを理解するには、何ケ月もが必要ではない。
アデンとは多数の航路が交叉する場所であり、これらの路には灯台や大砲をそびえ立たせた小島が一定の距離を置いて並んでいる。
つまり、アデンとは世界中に旧ロンドンの商人たちの利益を維持するための長い鎖で、また綱の目のひとつなのである―――『アデン アラビア―ポール・ニザン著作集1』篠田浩一訳 晶文社」
街では、街独特の匂いが届いてくるわけでもなく、美味い料理屋はないかと探し求めるわけでもなく、いい女はいないかとアンテナを張り巡らせるわけでもなく、ただ惰性にかられて歩きつづけ、街角には海からの熱風が届いていたのみだ。
19才で作詩をやめ、「ただひたすら南方に行くこと」を求め、放浪の末にアデンにて商人になる決意をしたランボーは、そのアデンに何を見出したのか?
彼は健康を害し、フランスに帰国し病床に臥してなおアデンに「帰る」ことを渇望した。
彼は、灼熱と砂漠のなかにある「ヨーロッパ」にわが身を置くことを求めていたのかもしれない。
アデンはよくヨーロッパ人のフィルターを通して語られる。
だとすれば、語り尽くせぬものがあるはずなのだが、語り尽くせぬものがアデンそのものなのかもしれない。
私がアデンでなんらかの記号を見出し、読み取ったわけではない。
いや、たったひとつだけある。
熱帯夜にこの空虚な街が陽炎のように、旅の終着駅として格好のトポスとなったのだ。
―――コルクマサルのホテルで、「ホテルには良い銀製品がない」と、嘆く、イエメンの旅で出会ったKさんを、無理やりタクシーに詰め込んで、クレーターまで来ているのだが、あいにくめぼしい商店はすでにシャッターを閉じていた。
夜風に吹かれながら街のお散歩というには湿気を含んだあまりにも生ぬるい風で、情緒のカケラも見当たらなかった。
しかたなく、うら寂しい広場にある露天商を冷やかしていると、ふと、2歳になるばかりの娘に何の土産も買っていなかったことに気づき、私のほうこそ、買い物に奔走しなければならないはめになった。
半分やけくそで、露天に吊られていたフリルのついた白いドレスを買い求めた。
600リアルだった。
ムンバイのホテルで、Kから、「こっちのほうが、良いデザインでいいのあったのにね」と言われたが、まだ先の(笑)祭りだ。
結局、パパの「軌跡」である白いドレスが日の目をみることはなく、たった一度だけ、家の庭のツツジの前で、パパの場違いにもジャンビアを差したアラブスタイルと一緒に記念撮影のために、袖を通したのみだった―――。
私たちはコロニアルな擬似西欧の町で他にすることもなく、そのまま待たせてあるタクシーに乗り込み、ホテルへ向かった。
「新婚旅行なんだから(笑)値切ってちょうだいよぉ~」
と懇願して、ねばりにねばってようやく、400リアルのところを350にしてもらった。
Kは横で苦笑いするばかりだった。
「酔ってるんじゃなぁ~い?」と、Kはただただあきれながらも、私の肩に体を預けてきた。
そして、華奢な体を捻じ曲げて、癖である、体に似合わず骨太な指を両手でからめながら笑い転げた。
生ぬるい空気にその笑い声が混じり、―オリエントの絵のような風光を汲み取って・・・―とアデンの町を評したポール・ニザンの著書を思い出した。
そう、たしかに私は酔っていた。
―――私は腰にジャンビアを差してタイズのスークを歩き回り、サナアの裸電球が飾られた深夜の結婚式をはじめ飛び入りでジャンビアダンスを踊り、アリの手荒な運転のおかげで何度も砂漠に放り出され、サユーンの民家のプールを訪れ子供たちと戯れ、シバームの摩天楼都市を見下ろす丘で夕焼け空から子供たちの民謡の声が届くのを聞きながら、――そのとき、その瞬間――いつも旅の邂逅が心の琴線をそっと刺激し、そのことに身を委ねる、「旅の装置」に酔わずにはいられなかった。
毎晩のように蚊に悩まされ、街を徘徊するたびに下着にまで侵食した砂を水のシャワーで洗う日課だった。
それらでさえ、旅の祝祭性がもつ「喜び」であった。
私たちはかの地を呪文のように唱える。
「アラビアンアイトの国」、「幸福のアラビア」、「シバの国」、かの地のキャッチフレーズを―――。
翌朝、日課である散歩を終え荷造りをした。
鞄のなかには大量のリアル紙幣が残っていた。そして、その奥には一昨日タイズのスークで買ったカートの葉がビニール袋に包まれて残っていた。カートの葉はすでに萎れて茶色く変色していた。
朝摘まれた若葉をその日のうちに噛まなければ効果がないといわれるカートであるが、ゴミ箱に捨てるのをためらい、ヤギのようにムシャムシャ噛んでみた。
イエメン人のように葉をどんどん片方の頬にためていってボールのような塊を反芻しながら味わうという真似は2週間では適わなかった。
ましてや、アンフェタミンが含まれるこのカートから、何がしかの刺激を受けることすらなかった。
私がいかにアルコール漬けの体になっているかを教えられた気もする。
カートの魔法についぞかからずじまい、の旅の空、であった。
膨らました風船を萎めるには、―擬似西欧の町―アデンは格好の地であった。
ほぼ、荷造りを終え、ジブラで出会った少女の大きな瞳を思い出していた。
わずかな滞在であったイエメンを風のように去り行くなかで、もしも幾人かの人を、友と呼び笑顔を交わし別れられることが適うなら、それが旅想の最も色艶やかなコア(核)となっていることだろう。
旅の後、彼ら彼女らは、もう語りかけてはこないが、いつも笑顔でいつづけるのだ。
「―――市街はアル・フサイブという谷間にある。かつて、預言者(マホメッド)がムアードという者に向かい、「おお、ムアードという者に向かい、「おお、ムアードよ。フサイブの谷に着いたなら、歩はやめておけ」といったという伝承があるが、それは美しい女たちに迷わぬようとの心やりからであった。ただ申し分なく美しいだけでなく、心ねの優しい女たちである。異国の人々を重んじ、わがふるさとの女たちのごとく、よそものとの結婚をいやがるようなことはない。異国の人々を重んじ、その人が再び旅に出ようとすると、妻は見送って、ご機嫌よろしゅうという。子供が生まれると、それを大切に育てながら、夫の帰りを待っている。そして夫の留守中、日々の暮らしの費用から、衣料費その他何一つ要求はしない―――『三大陸周遊記(世界探検全集2)』イブン・バトゥータ/前嶋信次訳・河出出版」
私はこの一節を信じて、今日も旅の空のしたにいる(笑)。
ジブラは明るい雰囲気の街だった――。
明るくさせるのは、人の活気であり、子供たちの無邪気さだ。
そして、ジブラの街に彩を添えていたのが家々の扉だ。砂の黄色、家の茶色、段々畑や椰子の木の緑、がすべてといっても過言でないイエメンにあって、ジブラの家の扉は色とりどりに塗られており、街のアクセントになっていた。
そして、何より、空の青さが今日もすばらしい一日であったと教えてくれる。
「マアッサラーマ(さようなら)」
帰国後、1週間たち、私は原因不明の高熱に冒された――――。
おわり
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