新居浜太鼓台祭

新居浜太鼓台祭り
ライブ中継もあるでよ!








―――今年も捧げる・・・・―――


 おとつい、早朝匂いにつられてベランダにでてみると満々の微笑みを浮かべて金木犀が咲きほころんでいた。
今年は咲かないものだと、思い込んでいたが町中いたるところで、金木犀が柔らかく甘い香りをとどけてくれていた。
たしか、長女ワンワンが生まれた9月末その日に咲いた金木犀の印象が残像にあるままだったのだろうか――――――――――。

10月16日・・・・・18日・・・・・。
私(たち)にとって、忘れられない、日だ。

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 爽やかな一陣の風が吹いた―――――。
地中海の風が彼女のスカートにいたずらした。
――――――しかし、爽やかな風が私たちを包んでいるばかりではなかった―――――。

 10月18日、・・・私たちはバンコク経由で成田に着き、シャトルバスで羽田に向かい深夜のTホテルに到着した。
予定通りの行動は予想外の興奮と熱狂風に包まれて、意気揚揚と旅の思い出を一杯に膨らませて、の凱旋だった。
チェックインして両方の家に電話をかけたがどちらも繋がらない。
コール音が永遠と思われるくらい続き、なんだか胸騒ぎがする。
彼女は機転を利かし、姉の家に電話する。
姉は留守だったが義兄が電話口で応答した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
長い彼女の沈黙があった。そして搾り出すような声で、
「・・・・・・父が亡くなった・・・・・」
と、上の空でもらした。
私はその言葉を、意味を、理解するのに時間がかかった。
ロビーはごったがえしていたが、目が廻るようで、耳鳴りがするようで、息も切れそうで、何も聞こえず、何も見えなかった。


 ――――義父は10月16日、に最期を告げた。
突然のことだった。
 朝、彼はいつもよりはやく起き出して、寝室横のソファーにもたれかけ、缶ビールを飲みはじめたらしい。長い間呉服店の店主として働きつめてきた彼の唯一の楽しみの酒も、何年か前に脳梗塞を患い、ビール少々にとどめていた。
それを二口、三口、口にしてそのまま旅たってしまったらしい。
朝から、彼が飲むのはめったにない。
それにはワケがあった。
その日は彼の町の勇壮な祭の初日だった。
そして、もうすぐ、3人娘のうち、もっとも溺愛していた末娘が長い旅先から帰ってくる。


 後になり、不遜なことだが、彼すら、最期の日を、壮絶ながらも素敵な【フェスティバル】の渦中にいたまま旅たったとしか思えない。
 大勢の親戚は私たちが帰国するまで櫃に安置したまま荼毘に臥すのを待ってくれた。
 うきうきした私(たち)を見送ってくれた駅が最期の笑顔だった――――。

あんなにツボミが脹らんだような笑顔が愛くるしい妻は嗚咽し、世界をすべて拒絶し、自らを吐き出すかのように泣き尽くした。
今度は私たちが、しっかり見送る番だった。
駅での別れ際、伝えたかった気持ちは夕焼け空のカイロタワーのエレベーターで芽生え、アスワンのレストランで蕾になり、ナズラット・サマーン村の夜の祝祭で、開花した・・・・・。
「それなら、そう言えばよかったのに・・」
妻はそう言うが、男をわかっちゃいない。
あの時は、言葉にならなかった。
おそらく、この旅はその「言葉」を探し求める旅でもあったのだ――――――。

 Tホテルの一室で彼女は泣き尽くした。
今となっては、どうでもよいことだが、このホテルに良い思いでは何に一つなかった―――。
このホテルで二人の女と別れがあったのだ―――。
別れにも重さがあることのみを学んだ。

――――――そんなことを、露ともしらず二人はシャーリア・アラハム通りを歩いていた。
この道をまっすぐ200キロ進めばアレキサンドリアだ。
道だけではなく、地中海とこの砂漠は直結しており、海風がギザの台地の空気と交わり深い朝霧を生む――――――。


        (「10月のバラ」より抜粋)

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10月18日、また一つの、祭が終えた。
また来年も来る。
勇壮華麗な日本に誇るこの太鼓台を来年もかき上げてみせる。
駅で洩らした彼の言葉を今でも遺言と思っている。
「ちょうどな、帰ってきた日は祭の最終日みたいやなぁ・・・来年は、まるくんもおいでよ」

 19日朝早く、経を唱え線香を捧げる。
外は秋雨がシトシト降っていた――――。

(「2002 10/19 「まるくん幸福手帳」より」掲載)




カッコつけていうわけじゃないけど、みんなよりよっぽど旅してるw

家には、あふれんばかりの草花がある。

それだけでも、旅してるんだ(気づいているんだ)

旅するとは「気づいていくこと」なんだ

ブログで「ハッタのマケタノ、イタイノ、コンナウレピイノ」
そんな魂の射抜きみたいな姿勢(爆笑)ではゼッタイ生まれてこないものなんだ



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