センス・オブ・ワンダー Ⅰ・Ⅱ




驚く心(センス・オブ・ワンダー)私たちの旅路Ⅰ
at 2003 03/10

 「人間は弱く生まれる――――」


フランスの啓蒙思想者、J・ジャック・ルソーが1762年刊行した「エミール」に表わした言葉の一節――――。
人という生き物の「弱さ」のなかに、教育の必然性と可能性を洞察したこの認識は、子育てのみならず、このことはそのままアタシたちの旅路に通じる。

 今月は月初めの序論のとおり「子育て」について一献、綴ってみようと思う。
1月の「自尊感情」、2月の「自由」の段階的に昇華させる手法はとらずに、まず結論的総論から着手したい。
順序としてはあべこべになるが、最近「ホリステック(包括的に全体を捉える)な」実践に傾注しているアタシをも見つめなおす、よい機会だと思っている―――。
辛抱強く、おつきあい願いたい。

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アタシ(たち)の子育ては「追い詰められている」状況にある。

 認識の第一歩である。
この認識からはじめなければ、ヒトは地球人であるということを無自覚かつ無責任なまま一生を終えてしまうだろう。
 まず、60億人を超過し、遠からず100億人を超える。他の生物からみればこの凶暴極まりないヒトの増殖は、地球上の自然とヒトとのバランスを失いつつあることの危機感なしには何がしかすらも、もはや創設できないだろう。
 また、かつての幾多の戦火にまみれた時代ですらも想像を絶する、人類相互のアンバランスがある。
「世界経済白書」(1995年版)を参照にして、日本とモザンビークを比較してみよう。
年間一人当たりのGNP80ドル(モザンビーク)、約2万5千ドル(日本)。5歳未満の子どもの死亡率1000人あたりに292人(モザンビーク)、同じく5人(日本)。
政治・経済体制・仕組みがそのまま連動した貧富格差の問題。
 次に、世代間の不公平という大きな問題だ。
それは環境汚染問題でもある。
地球の汚染は、昨今の問題ではなく、実は古来より人類が農法経済体制を敷いたときからすでにはじまっているとされている。
しかし、顕著になったのは19世紀の産業革命以降である。化石資源はもう取り返しのつかない消耗を果たし、空気、土壌、海洋の汚染、森林の伐採、温暖化による砂漠化の現象。
これらは端的に申せば、すべて経済戦争、軍備拡張がもたらしたヒトのエゴイズムによる。
欲望にまみれた人類の、大増殖、貧富格差、地球の汚染、これらすべてを次の世代の子ども達に申し送ることになるのだ。
ヒトと自然、南北問題などの人と人の不平等と不公平、すべて地球環境問題として包括することができる。
この地球上の直面した大異変に、問題認識するどころか、多くの「気づかない」ヒト。
地球の問題はすなわち、アタシたち大人と子どものかかわりあいかたを巡る差し迫った問題なのである。
 科学的知識の依存は自らを恐怖に貶めているのは、いまさらながら申さずとも原子力の発見とその理論的実証的成果による原子エネルギーである。科学的知識や科学知にかかわりなくヒトはひょんなことから大事をもたらすというおろかさを、最近の連日の冒頭の報道とも重なりあうもので、知恵というものの、奇妙な分裂が露呈されていることを見逃してはならない。
 科学知の教授は、一人ひとりの主観的独善的な判断や偏見を排除し、理性の名において人々を共通認識に達しさせるという大きな役割を果たしてきた。
これは現代の学校での教育にそのままあてはまるものであり、アタシたちが見過ごしてならないのは、「学校」あるいは「学校教育」が諸力の支配欲に対して一定の抵抗力がなお現存するのではあるが、国益など社会のある支配力がこのルールはいつでも侵しうるということだ。
「未開社会を野蛮ではなく野生」と捉え、栽培種化された科学的思考に徹底的批判を繰り広げた文化人類学者レヴィー・ストロースの考察を紐解くまでもなく、主体である子どもたちが自身の発達の糧であると同時に、ある権力が必要とする人材養成の手段に「科学知」はなりえるのだ。
 おわかりだろうか?
アタシたちが、今生きているこの瞬間は史上未曾有の歴史主義や自然法などイデオロギーを超えた大問題を抱えて生きているのだ。
地球環境諸問題は言い換えれば、自然と人、人と人、そして大人と子どものかかわりあい方をめぐる問題なのだ。
 そして、アタシたちが求めていかねばならないのはそうしたかかわりあいの知恵である。
科学技術の進歩はますます加速する。
しかし、その独走に歪められることなく、それら知をすべての生命体主体、そして主体相互のかかわりあいの知を見出していくことだ。
子育てに今、今まさに求められているのは、こうしたアタシたちの自己変革に他ならない。
端的に申せばライフスタイルを変えなければ生み出すものがないばかりか、滅びるのである。
子育てとは、知の教授ばかりではなく、次世代という視点もことさらながら、子どもという主体とアタシたちが探求的に学んでいかねばならないことなのである。
科学知を超えた、「かかわりあい」の形成だ。
新しい世界の秩序を創出してこそ、本来の子育てがある。


子育ての、あり方・・・・・・???


あなたの変革だ。





驚く心(センス・オブ・ワンダー)私たちの旅路Ⅱ
at 2003 03/10

「大人になっても子どものようなヒトこそが人間なのです――」 (E・ケストナー)


 人類に安定と享楽をもたらす、――積み重ねられてきた科学とその所産である技術。
科学知を享受したアタシたちは、自ら首を締める環境問題どころか、地球を危うくする目前までにいたった。
しかし、科学知は一定の成果をあげてきたのもまた事実だ。
その構成原理である普遍主義、論理主義、客観主義は公平と分別という英知をもたらした。
 近代以前は生活・労働の場で、その行動を共にすることでの以心伝心、という獲得する文化が教育=育児の主流を占めていた。
現代は公教育を通して、またこれらが均等な機会を得ることで、科学的知識の基礎となる言語あるいは数、ひいては文化をも子ども達に分かち伝えることができる情報の論理的整合システムが整備されている。
学校教育の普及である。
しかし、その限界は当初から指摘されうる産物であったと思う。
ケストナーが言うところの「生命の木を、文明の名の缶詰工場に」してしまう落とし穴だ。
子どもたちを主体として扱うのか、詰め込みの対象として扱うのかが、今月のアタシの主題である「関わりあい方」にかかっている。
 胎児期を含め、出生から幼児期を含め我が子に対し、あるいは子どもに対し、「理性」を求めつつも「感性」をどのように大人が捉えるかにかかっていると思う。
海洋生物学者であり作家のL・カーソンは幼き甥と自然を探求する過程でひとつの着想を提示している。
「センス・オブ・ワンダー(驚く心)」だ。
三つ子の魂百まで――という諺をまつまでもなく、未就学の子どもたちを見てみよう。
アタシにも今1歳7ケ月の幼子(お馴染みのくまくんです♪)がいるが、実に意欲的に活発で自分の身のまわりの環境(世界)を身体全体で反応している。
彼、そして彼らは、知性も感性も情動も未分化のままであるが、何らかの意図があり、また彼らの「その気」により、やむことなく活動を続ける。
アタシたちが誰もが、そうであったように彼らは、『身体全体』で驚きの心に満ちている。
カーソンは「知ることよりも、感じることが大切だ」と、遺稿となった「センス・オブ・ワンダー」(1956年刊)で問い掛けている。
 カーソンが言う驚く心は幼年期にあるばかりではなく、終生アタシたちが保ちつづけなくてならない、いや潜んでいる「泉」であると、アタシは思う。
ヒトの人生に渡って、泉は知性、道徳性、芸術的感性、美的表現、感覚などに枝分かれしようが、幼き頃の「驚く心」を、たとえ意識化であろうとも、深淵から湧き出るエネルギーの泉であると信じたい。
それはすなわち、古代ギリシアの賢人が問いつづけた「ロゴスのみならず、パトスの復権」が現代文明に求められるのではないか。
それは、自由奔放な子どもを野放しにするのではなく、科学知という「約束事」、そして幼年期からの「驚く心」、約束事から「逸脱しようとする心」、これら大人と子どもの関係性を含む、せめぎ合いを通じてこそ常に新鮮かつ「豊かな社会」の共感を生み出すのだと信じて疑わない。
子どもたちは「保護」の「対象」ではない。
ましてや、労働、強要、の対象でもない。

ご存知だろうか?
「子どもの権利条約」を―――。
(注:【私の話しを聞いて】12月25日付けの「ささやか幸せ帳」参照のこと―)
1989年、国連でこの条約が採択されたのをうけて、1990年、「子どものための世界サミット」が開催された。
そこではこう宣言された。
「これからの世界政治(注!!)に、子ども優先の原則を―――」
批准した世界の動きを見逃してはならない。
「驚く心」がもつ逸脱への活力と可能性を見過ごしてはならない。
育児とは、アタシたちの社会の構築に他ならない。


教えられるべきは、アタシたちなのだ――。

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「センス・オブ・ワンダー!!」

「なにパパ?またアフリカの音楽、朝の6時からドンチャラリンかけんといてよっ!」

「な~~に言よるん、ママ?驚く心よ。ちゅう~わけで、明日の日曜日は、くまが中耳炎もなおったことやし、吉野パーク、もぉ~久方の念願の遊園地、行くでぇ~~♪」


「・・・・・パパ・・・・くまくん、今度は扁桃腺よ・・・・・」

「ええっ~~??!!もぉ~~~!!せっかく楽しみにしとったのにぃ~~~!」

「子どもみたいなこといわんの!!」





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