センス・オブ・ワンダー Ⅴ・Ⅵ




驚く心(センス・オブ・ワンダー)私たちの旅路Ⅴ
at 2003 03/16

「生命力とは、常に環境とのコミュニケーションの過程である」

 アタシたち生物とは何か?
今一度、【まるくん幸せ帳】1月11日付けの【MON CONEL―見せかけの偶然】に立ち返ってみてください。
 生物の定義は―――。
①「自己」という「他者」との境をもち、
②代謝を行い、
③自己増殖能力のある構造――の3つである。

 他者=環境は生物に対して、計り知れない刺激を加えているが、それに対して生命の担い手であるあらゆる生物も、長い環境とのコミュニケーションの歴史において、自己の個体生命の存続と種の持続のために、環境との「関わりかた」を維持していく装置を身につけている。
何かの障害にぶつかって被害、損傷を受けかねない場合にそなえて、実に豊かでしなやかな安全装置によって防衛体制をしいている。
したたかさ、しなやかさ、があらゆる生物の生命力であり、複雑な環境との関わり、にたくみに付き合い続けていくのだ。
 さて、アタシたちにとっての生命力とは何かを問うのに、二つに分けて整理してみたい。

まずは、「与えられた生命力」である。
言うまでもなく、アタシたちは父と母の遺伝子をのせた受精卵から出発する。
アタシたちが受け取る遺伝子は、有無も言わさず生涯背負いつづけて生きていく「しか」ないのだ。
遺伝子の指令により各種蛋白質が作り出され、ヒトとしての生体構造が形成され、それがアタシたちの生命体の中核なのである。
両親から「与えられた」約30億の塩基を文字に見立てると、英文に換算すると約25億字の文章に匹敵するらしい。
この与えられた膨大な量の情報は、環境との密接な関係のなかで必要なものとして解読され、アタシたちの体が作られ、具体的表現としての活動が営まれるのだ。
 しかし、遺伝により、アタシたちの生涯が決定づけられるということではない。
遺伝子として働く部分は実に数%でしかない。
膨大な情報量には常に「可能性」が潜んでいるのだ。
どのような「個体」にも常に!
与えられた生命力の本体は(遺伝子の構成)は一人ひとり、すべて違う。
この遺伝子構成がすべて違うということは、アタシたちの旅路、あるいは子育てにも関わる重要な認識であると、読みとれないだろか?
障害のある遺伝子をもった受精卵が生ずることももちろんある。
母体内で自己点検を受けて、出産にいたらない場合だってある。
関門を通過してこの世に生を授かった子どもたちのなかにも、相対的な意味しかもたないのだが、「一般」と「される」多数?と異なり、いわゆる障害児だっている。
しかし、すべての子どもたちは病的遺伝子をももって生まれてくるのだ。
障害とは、一人ひとりの個体の違いの一つにすぎないということを認識しなければならない。
 与えられた生命力の要件は環境でもある。
アタシたちが与えられたDNAに手を加えることが不可能なように、一人ひとりの環境を選ぶことはできない。
日本に生まれれば日本語を学ぶ、という環境のみならず、実に複雑な環境があるだろう。
アタシたちの与えられた環境は、他では陽の目をみなかったであろう、「可能性」を遺伝子のなかから引き出すかもしれないし、またせっかく与えられた可能性を、環境により表に現れないままで終わるかもしれない、ということだ。

アタシたちは環境に配慮し、子どもたちには可能性を配慮する認識の第一歩である。
二つの配慮は一つの路標でもある。


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「パパァ~~!いっつもデッキのなかにHなビデオ入れっぱなしにせんといてくれるぅ~?
わんわんちゃんたち、『美女と野獣』観たいのに、いっつも巻き戻し、しよんよ」

「あっ!・・・・どぉ~りで、肝心な!ところにしとんのに、いちいち早送りせなあかんやん思うたわ!わんわんに、手ぇ~~加えるな言うとけっ#」

「なにわけわからんこと言いよるんよぉ~~。
好きにしたらええけど、子どもたちにヘンな環境与えんといてくれるぅ~?」

「あのね・・・ママ・・・。与えられた環境はアタシそのものでも、あるんだよ!」

「またまた・・・わけわからん。屋根裏部屋のダンボールのHビデオもいつまで置いておく気なん?なんにでも凝る、んやから・・・」


「低い環境に置かれると、人間、衰弱して自滅しかないんよねぇ~~(笑)。アタシは仕事と
SEXは家庭に持ち込まない!主義です!」

おいおい・・・・・・・。


驚く心(センス・オブ・ワンダー)私たちの旅路Ⅵ
at 2003 03/18


『ヒトはシンボル(象徴)を操作する動物』

人間文化の様々な領域を、象徴形式の違いで説明を試みた、ドイツ人E・カッシーラの言葉である。

 前回の「私たちの旅路Ⅴ」では、「与えられた生命力」をお伝えしてきたが、今回はもう一つの視点から切り込んでみたい。
「生まれた後で、獲得する生命力」だ。
この生命力の生理学的根拠は、他生物と異なり数段の発達を遂げる脳の働き、に求められるだろう。
「象徴を操作する」を、選ぶ力、識別能力と捉えれば、他の動物と断絶したところで人間の能力を捉えるより、連続性で、アタシたちの特質を理解しやすいと思う。
 選ぶ――という行動が何も知的選択、という理解に飛躍せずともよい。
選ぶ、という行動が内発性に基づいたものに力点をおくと、パトスもロゴスも渾然一体の「遊び」のなかに見出せるのではないか。
「アタシたちの旅路Ⅱ」の「驚く心」というものまで遡らせてみると、どんな動物にでもそれが見出せるのではないかと思う。
ネコや犬と「関わる」方ならご存知だろう。
何かにさしせまった必要に基づく行動ではなくて、余裕のなかでの内発的な行動を示すことがみられるでしょう?
内面からの要求にごく自然に応じて行動そのものを自ら選んで享受する。
遊びのなかに真似をする、内面から選ぶことにより感性が萌芽していくのだ。
遊びとは、環境=外部からの刺激により一方的に支配されるのではなく、自ら選んで行動することにより感覚を創りだすのだ。
 そして、ヒトの特徴で言えば、大脳の発達は道具の使用と、言語の創造という本質においては同根のシンボルを得て、操作し、選びながら行動する、という他の動物にはみられない行動能力を、終生にわたって、その意味において生命力を発展させていくことができるのだ。
選択能力は、その人の内発性、に委ねられており、選択・分別を重ねながら独自の世界を創りあげていくのだ。
「与えられた生命力」(環境と遺伝)は、それ自体に対して、何ら変更の手を加えることは不可能だが、出生後のさまざまな選択をすることにより、与えられた生命力に新たな意味を、値打を獲得することができるのだ。

どのような出生環境の歴史をも、拭い去ることは出来ないが、その人の選択の積み重ねが、その人の与えられた生命に意味と価値を得ることはまぎれもない事実だ。

子育てが=アタシたちの旅路、であるということをお分かりいただけているだろうか?


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・・・・・ヒトはシンボルを操作する・・・
・・・・・・・かぁ・・・・・・(はぁと)


ちょいと別の方向だけど、・・アタシのシンボルは・・・・・シュン・・・(爆なし・・)


実はね、ちょいと放談ですがね、・・・・先般新しい掲示板を開設いたしやして、【ばつやろうの屋根裏部屋】というところなんですが、まぁ、、ちょいとっ!!、ここでのコキコキ、じゃないない・・・・みなさんのカキコのすんごいことすんごいこと!!
井戸の中の蛙とは、アタシのことでした!!
オカチメンコのスットコドッコイと、内心思ってた・・(思ってたんかいっ)、カフェェ~の
お友だちガタガタ、ごめんなさいっ!!
そして勇気と激情をありがとぉ~~~~♪


て、ことで、・・・・

今夜は燃えるぜぇ~~~

深夜1時・・・・ドラコたちも吐息。。。

幸い!!ハニーはアコーディオンカーテンの向こうのトモシビのした・・起きてるじゃぁ~~
あ~~~~~りませんかいっ、右旋回っ!

************((((((((((・・

ソファーに横たわり、ヘッドフォンして深夜テレビの漫才観ながら、桜餅喰いながらケタケタと一人放心する・・・・・・・・・・・・
アザラシ・・・・?????


萎えました・・・・・・


次回をお楽しみに・・・


つづかんわいっ!(爆なし!縛あり!





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