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音楽語りーその286♪スキップしてスキッ by youmenosay作詞曲:谷のばらyoumenosayは、自分達のアイドル活動を原作に「ノンフィクションでのアニメ化」を目指すセルフアイドルグループ。 →公式サイト清竜人25(第1期)のメンバーだった北郷可恩さんが立ち上げ&プロデュースされているグループとのことで、以前よりちらちらと活動を追いかけていました。※私の音楽・アイドルの楽しみ方は、現地参加はせず、ネットで楽曲鑑賞がほとんどです(アイドルコンテンツは大好きですが、アイドル文化自体はよく分かってない…。お金を落とさない楽しみ方で申し訳ない…。)セルフプロデュースとのことですが、メンバーの皆様は非常に表現力があり、パフォーマンスやコンテンツのクオリティが高く、こそこそと楽しませていただいてます。楽曲もキャッチ―且つ面白味のある良い曲ばかりだな~と思って聴いていましたが、その中でこちら、♪スキップしてスキッという楽曲がめちゃくちゃツボにはまりまして。速攻でDLして、ドライブ中によく聴いているのですが…いやぁ~~名楽曲だと思います!!女の子のウキウキ&少し焦りの混じった恋心とマッチする、スキップというモチーフ。サウンドもスキップ感がすごく出ているし、それでいてサビの♪ああもう待ってらんないな~の、心のうちから溢れてくる本音の力強さが立つというか、緩急がすごく癖になる楽曲だと思っています。サビラスト、♪ありえない感情も きみとなら作れるかなって 期待してます…ここの言い回しがすごくセンスがあって好きです!♪ダイスキ!と言って締める合いの手部分?の、“キ”が消えて聴こえるところも、“スキップ感・待ってらんない感”がよく出ていて、すごく面白味を感じます。歌割りも、各メンバーの声質の良さがすごく活きるパートにきちんと割り振られていて、とても良い!また振付も、曲想というかフレーズを捉えたぴったりくる振りになっていて、観ていてたいへん心地よいです。ライブ映像PV↓作詞・作曲を担当された谷のばらさんは、他にも女性アイドルの楽曲に携わられているようで、今後もチェックしていけたら良いなと思っています。youmenosayのその他楽曲。(他にもたくさんあるようです)どの曲も面白味があると思います。youmenosay…今後も是非是非、積極的な楽曲展開していただけると嬉しいです♪積極的でない、ひそかにDLして楽しんでるファンが喜びます。by姉
2026.05.03
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忘却バッテリー23巻発売記念 アクリルパネルプレゼントに当選しました!集英社ジャンプ+にて連載中の『忘却バッテリー』(みかわ絵子先生)、毎回配信をとても楽しみにしています。球児たちや彼らを取り巻く周囲の人々の繊細な心情描写に重きを置き、熱血・痛快なスポコンとは少し毛色が違う…、それでもやっぱりグァ~~っと血が沸騰する瞬間がちゃんとある、読み応えの非常にある野球漫画です。もし読んだことのない漫画ファンの方は、是非!漫画表現の宝庫です!・ジャンプ+ …忘却バッテリー第1話現在キャンペーン中です。<今だけ8巻分無料!>※一挙公開!キャンペーン期間:5/27まで※(以前の感想記事)・忘却バッテリー感想記事_その1・忘却バッテリー感想記事_その2忘却バッテリーは、現在アニメの2期を鋭意制作中(2027年放送予定)!MAAPA制作のハイクオリティアニメです。声優様は大御所揃いですが、配役は(この声優様がこの役?)と意外性がありつつも、各キャラクター唸るほどハマっており、とにかく絶対的に信頼のおけるキャスティングです。またMrs.GREEN APPLEの代表曲の一つ、♪ライラックは、本アニメ1期のOP主題歌です。私はこの楽曲に忘却バッテリー経由で出会ったのですが、“なんって作品に合った超名曲なんだ!”と驚いていたら、楽曲自体がすんごい大ヒット曲になってて恐れおののきました。いよいよ本格的な夏の地区予選が始まるのは、アニメ2期からです。野球描写も各段にパワーアップしてくると思いますし、やっぱりここから一気にまた面白くなるんですよ!特に、原作を読んでいてテンションがはちきれた“10巻のラストシーン”をクライマックスに据え、そこに向かって走っていく構成になるはずですので、とてもとても楽しみにしています!この度、コミック23巻発売時のプレゼントキャンペーンで、アクリルパネルを届けていただきました。嬉しい~~!!ライバル校も含め、作中に登場し、これまで主役たちの小手指高校と闘った高校球児たちが大勢描かれています。豪華!本作はどのキャラクターも本当に生きてて、大好きになれるのですが、特に妹の推しは帝徳高校の飛高くんです(上段左から3番目の子)。アニメ2期では大活躍してくれるはず。声優さんは誰になるのかな??キャスティングに絶対的信頼が置ける作品なので、すごく楽しみです!ちなみに、私の推しの小手指高校の佐古監督(球児ではないため、上記パネルには居ません)は、おそらく2期には登場しません。3期までアニメが制作されないと出てきませんので、…今後も作品自体、是非盛り上がっていっていただきたい!!私も応援頑張ります!by姉
2026.05.02
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暁のヨナ 外伝1「戴冠式まで」、外伝2「新しい翼の下」感想感想を書けてませんでしたので、簡単に!*以下、未発売の最終48巻収録予定の最終回&外伝のネタバレを思いっきり含みます。未読の方はご注意ください*コミック47巻が274話まで収録。最終巻48巻は、275話(30P)+最終話(40P)と外伝を収録予定…外伝がいずれも30Pで来てますので、おそらく外伝は4話分位になるのかな?※ページ数からはカラー除く外伝1では、ヨナ姫戴冠に対する各部族の反応+四龍/メイニャン&ヴァルの身の振り、外伝2では、高華国の新体制(五部族会議)と職務に忙殺されるヨナ陛下が描かれました。1個1個を拾っていくときりがないので、以下、個人的な注目どころの話だけ。・ヨナ姫戴冠の報各部族ともに、「えっ!…あっ、そうなんだ…」という微妙に納得してないような、でもまぁ周囲の体制が揃ってればなんとかなるの…かな?みたいな絶妙な反応で面白かったです。・有限の時を自由気ままに過ごすゼノさん有限の身体に新鮮さを感じつつ、宮中内&空都中をふらつきまわっているゼノさん。すごく良い。怒涛のクライマックスを経て、休息させてあげてるんだろうな…心が赴くままに自由にさせてあげてるんだろうな、と思って観てます。・頼りになるシンアくんシンアくんは、クライマックスに向け、すごく存在感が出て来てとても嬉しかった!まっすぐ人と目を見て向き合って、口数も多くなり、外部とのコミュニケーションも積極的にとって…ゼノさんの面倒を見たり、スウォン様に差し入れしたり…。シンアくんがリリちゃん伝手にスウォン様に差し入れたハチミツが、スウォン様本人&激務に追われるヨナ姫を癒してるとか…すごく良いと思います!ヨナ姫がハチミツ豆乳を飲んだあと月を仰ぎ見るのは、シンア君絡みだったからですね。感動しました!青龍の里ではおおよそ保護するような形で仲間になった四龍の末っ子が、たくましくなって&気遣いになって…感慨深いです。あとこれから普通にすごくモテそう。・スウォン様とリリちゃん基本的にリリちゃんは、スウォン様の相手役として登場したキャラクターだと思っています。本編中、とにかくメインの幼馴染トライアングル…ハク・ヨナ・スウォンは、複雑な状況もありなかなか本心を表に出さなかったので、思ったこと・感じたことをズバズバっと言ってくれるリリちゃんに救われるところがたくさんありました。これからどういった関係性になっていくのかは分かりませんが、王職を降りて重荷をおろして、元気のないスウォン様にこれからも絡んでいってほしいですね!・ハク様や四龍以外に支えられるヨナ陛下ユンくんとゼノさんはまだ傍にいますが、他の四龍はヨナ姫の元を去り、ハク様も外仕事に赴いてヨナ姫と別行動をしている様子。腹減り一行の面々が居なくても、周囲に信頼のおける人々がヨナ陛下を支えています。…個人的には、一部なんでお前はまだのうのうと権力の座に居座ってんだよと言いたくなる人も居ますが(特に空の部族のケイシュク参謀やジュド将軍なんて、あんなもの第一級の戦犯だろと思ってる)。まぁでも、過去の云々を持ち出さず敵対関係にあった人たちも含めて、信頼して仕事を頼めるのは、建設的ですよね。うん。ただ、多大な業務は彼女一人でこなしきれるものではなく、スウォン様が裏で業務仕分けに着手してるようです。・新体制・五部族会議空:ヨナ姫+ケイシュク参謀&ジュド将軍 等火:キョウガ将軍地:グンテ将軍は退任 →後任・クリフ将軍(グンテ元将軍リスペクト)水:ジュンギ将軍 →リリちゃんを連れて来ており、後々は後任として立つことが予想される風:テウ将軍 …風邪のため欠席。代理でヘンデ出席。ここに、キョウガ将軍が「締まらない…!」と嘆く五部族会議が開催されていました。つい2か月前までゴリゴリの軍国主義で、他国侵略しまくって、自国の首都が焼け野原になって、今めちゃくちゃ大変な状況のはずの国の最高意思決定機関がこの雰囲気なのはね…私が高華国民もしくは周辺諸国の国民だったら、張り倒したくなりますね。そして47冊に及ぶ本編と外伝に至ってもまだ出てこない…何が何でも出すことをしない“五部族会議に出席するハク様”の描写。その姿をずっと観たくて読んできたので、最後には見せて欲しいな。最後に。一番着目すべきは、やっぱりハク様⇔スウォン様間。本編は最終話を迎えたというのに…やっぱり話せないっ!!話せないどころか、お互いに視界に入れられない。お前ら分かってるのか…あと2話しかないんだぞ!!ヨナ陛下新体制が始まりましたが、10代の女の子一人では締まらない部分もある・やり切れない業務もたくさんある。…新体制の実態としては、ハク様/スウォン様が表・裏の両輪で立って、周囲牽制と裏実務を司っていくのがあるべき姿だと思うのですが、お前らがまず今後のビジョンについて話し合えないんじゃ…どうするんだっ…!本編クライマックス。ヨナ姫が血の盃の中に入ってしまって、その時には2人で割と普通に話が出来ていたので、よしこの流れなら、もうちょっと落ち着いて、お互いの腹の内をきちんと話合えるかな?ついに向き合えるかな?と思って観てました。273話…生死の境の海原に流れ着いたハク様とスウォン様。ここ、本当はハク・スウォン2人で話合うために設定したシーンだったんだろうな、と思うんですよ。272話を読み終わって、私はようやく…ようやくここでハク・スウォンの対話が来るのか…!と身構えていましたが、まさかのスウォン様が意識不明のまま流れ着いて、ハク様と龍神(白龍)の交流が繰り広げられまして。あっ…これダメだったんだな、ハクスウォンが話せなかったんだな…と思いました。妹とも「外伝の書き方を見ると…多分草凪先生も、本編中で無理に2人を向き合わせるのを諦めたんだろうね」と話してます。四龍の云々をいったん完結させて!ハクスウォンに関しては、とにかく無理はさせず、どうかな?そろそろお互いに話をしたくならないかな…?と様子をうかがってるんだろうな、と思って観てます。…本当にどうするんだ!あと2話しかないんだぞ!!ハク様がですね…やっぱりスウォン様とちゃんと向き合って、思いの丈とかこれからのこととかちゃんと話をしないと、たぶん結婚してくれないんですよね。46巻のラストで、ヨナ姫が天界に行っちゃう?という極限状態に追い込んで、何とか無理やり“結婚”のワードは言わせたものの、やっぱハク様自身が“何者か”の自覚とか、覚悟とかついて来てないので。ヨナ姫が待ちくたびれて、最近はカラーイラストや付録・口絵のカット等で、ひたすらハク様の懐に潜り込もうとしてるというか…ハク様カラー(水色基調)の服を着込んで、“私たち、結婚しました❤”とか“ついにもらってもらいました❤”みたいな、インスタ結婚詐称報告染みたことをやり出してるようにしか見えず…「これは良くない状況だね」と妹と話してます。…というわけで、本編は終わったはずなんですけど、すっっっごくハラハラしながら外伝を読んでます。果たして草凪先生は、あと2話でハクスウォンを向き合わせることができるのか…!!まぁ、もし無理だったとしても…アニメ2期も決まってるし、どれだけカムバックしても花ゆめ編集部&読者的には熱烈大歓迎だと思いますので。48巻まで来たなら、外伝をあと2冊分描こうか…!とかでも全然かまわないと思います。次回「外伝3」はハク様のターンかな?楽しみにしてます!by姉(イラスト:by妹)
2026.04.29
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赤毛のアンシリーズの中でも、『アンの愛情』がモンゴメリさんの作家性大爆発!な感じで大好きです。思う所あり、今作だけは村岡訳の他に、後続の翻訳家様たちの本も集めてみました。とりあえず集められたものを並べてみました。壮観です!◆翻訳本を比較したくなった理由え~… 昨年、NHKアニメ『アン・シャーリー』放送開始に備え、赤毛のアンシリーズを完読し、すっかり大ファンになりました。色んな翻訳があるのは何となく知っていたのですが、一番オーソドックスな村岡花子さん訳で読みました。(元々姉が学生の頃に購入した新潮文庫本が、数冊家にあったからです)村岡訳は「思わず声に出して読みたくなる日本語」というか、美しくテンポの良い言い回しが非常に魅力的。特に重要シーンでは、原作(英文)の歯切れの良さ&テンションまで見事に日本語で再現されていると感じます。特にこの『アンの愛情』のクライマックス:『黙示録』の章における、アンちゃんの独白場面の文体の勢いは凄まじく…!正直(コレ、この訳以外で読むと全然ニュアンスが変わっちゃうのでは?)という印象は受けていました。普通は誰が翻訳したとしても、英語の原文が同じであれば同じお話筋になります ―普通は。ただ、この『アンの愛情』に関しては、村岡訳と後続の方の訳とでは、描いてるものが違ってるんじゃないかな~…と。他の方の感想をちょっと見かけた際に感じることがありまして、気になって仕方なくなり…こうなりましたw<村岡訳から、私たちは『アンの愛情』の大筋を下記のように読みました。>本作は「何が何でも結婚したい男」vs「是が非でも逃げきりたい女」の、命がけの壮絶なラブバトル(殺し合いレべル) である。とにかく結婚したくてゴリゴリ来るギルバートを、アンちゃんが怖がって怖がって×10、ひたすら逃げまくってこっぴどく振って…それでもなおギルバートの存在が怖くて、彼の結婚願望を完膚なきまでに打ち砕こう&周囲にも「友達」と認識してもらおうと、主人公としては禁忌の技(読者に嫌われる)である「他の男とイイ感じ」アピール攻撃まで繰り出して、終いにはガチでギルバートを殺しかけるところまで追いつめてしまった…『黙示録』の章でのアンちゃんの独白は、「一番大事にするべき人を拒絶することしか出来ないまま終末を迎えた、哀れな女の断末魔」ともいえる。しかし幸運にもギルバートは一命をとりとめ、彼女はこの「大後悔の念」を「人生の命題(この先を生きる指針)」に転じる事が出来た ―という話筋。読み終わった後、何でアンちゃんはこんなにギルバートの事が怖かったのかな…と考えました。アヴォンリーの近しい人々、そして何より養母マリラが “ギルバートと一緒になって欲しい” と強く望んでいる事を重々承知していながら、どうしても、ど~しても “ギルバートと一緒になる未来” を想い描くことが出来なかったアンちゃん…ーああ彼女は「家庭を築くこと」がどうしても想像出来なくて恐いんだな、「結婚のその先」が地雷・トラウマなんだな、と思い至りました。彼女の生い立ち(※)を考えれば、そりゃそうだよな、と。※両親の顛末は詳細までは明言されてないが、おそらく母親がアンちゃん出産後3カ月…体力が回復し切らない段階で熱病で重症化してしまい、必死に看病してた父親も道連れのような形で2人とも亡くなったと考えられる。出産と両親の悲劇との因果関係ははっきりとは言えないにしても、少なくとも両親は“幸せな家庭を築く”プロセスの初期段階…第一子出産直後に突如予期せぬ終わりを迎えてしまっており、独り残されたアンちゃんは両親の記憶を一切持ち合わせておらず、幼少期に“幸せな家庭”を享受できなかった。そう考えると、求婚者たちに対する酷すぎる振り方も納得できるというか…ギルバートのみならず、親しい友達や理想の王子様でさえも、求婚してきた瞬間に “拒絶すべき敵” になっちゃってたんだろうな、と。ここまで考えて腑に落ちたので、私たちはそういった感想(⇒アンの愛情 村岡花子訳)を書いて、スッキリしていました。ただ… のちのち周りを見渡してみたら、上記のように解釈してる方ってあんまり居ない?のかな?と。結構一般的には「理想の恋愛を夢見すぎて、ギルバートを振った ⇒ 理想の王子様出現も好きになりきれず、最終的にギルバートを選んだ」って筋道だと思われてるのかな…?と、正直すごく驚きまして。ーだって少なくとも、村岡花子さんの訳では「ギルバートの事が怖くて怖くて逃げて逃げて…」って描き方になってるんですよ。「あたし、好きなことにかけては世界じゅうのだれよりもあなたがいちばんなのよ、ギルバート。あたしたち、お友達のままでいなければいけないわ、ギルバート」ギルバートの求婚(1回目)を拒絶するこの悲痛な台詞は、「お前は理想の王子様じゃないから」なんて振り文句じゃないですよね!? と。ロイ・ガードナーも、異常なまでに“没個性的・物語の中の王子様みたいな人”という、明らかに機能だけのキャラとして、あえて雑な描かれ方をしていて…なによりアンちゃん自身が、ロイと交流しつつも、その実ずっとギルバートの方を牽制している。ーいやコレ恋愛モノとしての「当て馬」でもあるけど、「自分とギルバートは一緒になる運命じゃない」と言いたいがための “後付けの理由” というか…もはや「対ギルバート用の盾」扱いですよね、と。村岡花子さんは、基本的には原作に依拠した形で各章題を訳される方なのですが、後半の重要な下記2つの章には独自の題名を当て込み、“表題である『アンの愛情』の答え”ともいうべき定義づけを行っています。・第三十八章 偽装した愛情 …ロイとの関係性の帰結・第四十一章 真実の愛 …ギルバートとの関係性の帰結このふたつ、対義語になっているようで、全くなっていないんです。“真実” の対義語は “虚偽(偽り)” です。第三十八章が “偽りの愛” だったら、「そうだと思ってたけど真実の愛じゃなかった/誤った愛情だった」という、分かりやすく対義的なニュアンスになります。ーでも村岡さんは、ここでわざわざ「偽装した」という言葉を採用している。◆「偽装」読み方:ぎそう[名](スル)1 ある事実をおおい隠すために、他の物事・状況をよそおうこと。「心中に—した殺人」2 周囲のものと似た色や形にして姿を見分けにくくすること。特に、戦場などで行うもの。カムフラージュ。アンちゃんが一時自分に言い聞かせていた “ロイへの愛情” は、“カムフラージュ(本心を隠すこと・人目をごまかす行為)” だったと、村岡さんは書いているわけです。ーでは、彼女がそこまでしてごまかしたかったものとは、一体何なのか?それこそがまさしく『黙示録』の章で炸裂した独白の全てなのだと、私は理解しました。村岡花子さんの↑上記の定義づけ&解釈を、後続の翻訳家さんたちは踏襲しているのかな?…この疑問が、今回あらゆる『アンの愛情』をかき集めるに至った経緯です。そして えー… 結論から言うと、この解釈を明確に拾い上げている後続の翻訳者さんは、一人も居ませんでした。驚きました。ただ… 後続の翻訳者さんたちもまた、村岡さんとは全く異なる独自の解釈論を展開されていて…翻訳ごとに全然解釈&主張が違ってて、すごく面白かったんです‼やっぱりこの作品の話筋、普通じゃないというか…めっちゃ難解な一作 だと思うんですよね。アンちゃんは基本的には賢くて、身近にあるささやかな愛や幸せを大事に出来る娘です。それなのに今作では、一番仲が良くて信頼しているギルバートを「理想じゃないから(?)」と振って、ポッと出の無個性な王子といい感じになって婚約直前まで行って、でも手のひら返しで振って…その後1か月足らずで「ギルバートなしではなにも価値はない。あたしはギルバートのものであり、ギルバートはあたしのものなのだ!」と叫んでいる。そしてその気持ちの変遷については具体的な説明や振り返りがなされぬまま、ギルバートとのハッピーエンドを迎えるわけで。物語筋を通す上で、翻訳家様たちが明らかに苦労されているのが見えるというか…「この物語はこーゆー筋だろう」という独自解釈を、各々がなされている印象を受けました。翻訳者様たちによる違いが面白すぎたので、私の独断で「物語解釈のポイントだな」と感じた部分をいくつか列挙し、比較してみることにました。※ちなみに今回比較対象にしたのは「完訳・およびほぼ完訳版」のものとなります。◆比較する文面について●ルーシー・モード・モンゴメリ(Lucy Maud Montgomery) 原文『Anne of the Island』1915年 L. C. Page & Co.<A>38.False Dawn40.A Book of Revelation41.Love Takes Up the Glass of Time第38章・第40章・第41章(最終章)の章題<B>I like you better than anybody else in the world,Gilbert.And we must―we must go on being friends,Gilbert.”第20章でアンちゃんがギルバートのプロポーズ(1回目)を断る一節。ギルバートがあまりに辛い表情をするのに耐えられず、テンパったアンちゃんが思わず口走る本音…「世界じゅうのだれよりも好き」なのに、mustを2回も重ねて「友達のままでいなくてはならない」と強く求婚を拒絶する、おそらく本人も理由を説明できない“支離滅裂さ”のニュアンスが重要なシーンと認識しています。<C>the Cooper Prize4年次末にギルバートが獲得した、成績上位者に与えられる超難関賞。※直訳すると「クーパー賞」。ちなみにエイヴリー奨学金は “Avery scholarship”…そういった「誰かが必ず貰える奨学金」ではなく、より難易度の高い(5年間該当者なしだったくらいの)特賞であることを強調するため“Prize”が使用されているのだと考えられます。ただ、文脈的には明らかに「賞金」であることが重要な要素であるため、これを“クーパー賞”と直訳するのか、読者が読む物語としての文脈筋重視の“クーパー奨学金”と訳すのかに、翻訳家さんのスタンスが見えるなぁ~と感じて面白かったので、ピックアップしました。<D>There is a book of Revelation in every one's life, as there is in the Bible. Anne read hers that bitter night, as she kept her agonized vigil through the hours of storm and darkness.She loved Gilbert―had always loved him! She knew that now.第40章の一節<E>″I persist in dreaming it, although it has often seemed to me that it could never come true.I dream of a home with a hearth-fire in it, a cat and dog, the footsteps of friends-and you!"第41章 ギルバートのプロポーズ(2回目)の台詞↑上記を、日本の翻訳家様たちがどう訳されたか、比較してみました。◆村岡花子『アンの愛情』1955年 新潮社日本における赤毛のアンシリーズ翻訳の第一人者/全10巻刊行+2008年には孫の村岡美枝さんにより補訳が加えられ、現代向けのほぼ完訳版としてリニューアル。また村岡美枝さんは、未発表だった『アンの想い出の日々 上・下』も翻訳・刊行されている。個人的な所感:勝手な思い込みですが…後続の翻訳者様たちは、おそらくほとんどが村岡花子さんの日本語訳を読んだ上で翻訳されているはず。そういった意味でも、「村岡訳=日本における赤毛のアンシリーズのオリジナル」と言って良いのではないかな、と思ってます。前述しましたが…村岡訳は、スラスラと英文学を読めてしまうご本人の英語力の高さは言わずもがなですが、「思わず声に出して読みたくなる日本語」というか、美しくテンポの良い言い回しが非常に魅力的です。村岡花子さんはラジオでも活躍されていた方とのことで、個人的な印象は “海外文学を、分かりやすく情感豊かな抑揚をつけて朗読してくれる 物語の伝道師”というイメージ。唯一無二・奇跡の翻訳家だと思います。あと個人的な注目ポイントとしては、「アン⇔ギルバートのカップル間での敬語の多用」を挙げたいです。ギルバートは、普段は偉そうな物言いがデフォなんですが…特に「愛情」においてですね。①女神にお伺いを立てるモードの時とか、②自信がなくなってる時とかに、分かりやすく敬語が出ます。ラストのプロポーズ(2回目)シーンでは、ずっと敬語~からの⇒アンちゃんの色好い言葉を聞いた瞬間に敬語が外れる… という一連の描写が、彼の「お調子者&おもしれー男っぷり」を演出しています。逆にアンちゃんは、婚約・結婚後に「旦那を立てる上品な妻」として、ちょくちょく敬語を使う場面が目立ちますね。使い分けは村岡花子さんのフィーリングによるものなのでしょうが、台詞の語尾の印象はキャラクターイメージに直結する重要な要素です。村岡訳から入ったので、私は自然と「アン&ギルバートは、お互いをすごく尊重し合う夫婦なんだな」という認識になりました。<A>第三十八章 偽装した愛情第四十章 『黙 示 録』第四十一章 真実の愛<B>「あたし、好きなことにかけては世界じゅうのだれよりもあなたがいちばんなのよ、ギルバート。 あたしたち、お友達のままでいなければいけないわ、ギルバート」<C> クーパー奨学金<D>聖書に黙示録の書があるように、だれの生涯にも黙示録がある。アンは嵐と暗黒の中で身も世もなく、寝もやらずすごしたその苦悩の夜、彼女の黙示録を読んだ。アンはギルバートを愛していた―今までずっと愛してきたのだ!それが今、わかった。<E>「何度か実現しそうもなく思われたが、僕はなおもその夢を追いつづけている。 僕はある家庭を夢みているのです。炉には火が燃え、猫や犬がおり、友だちの足音が聞こえ ―そして、君のいる」◆中村佐喜子『アンの婚約』1959年 角川書店 ※後に『アンの愛情』に改題 ~アンの夢の家+アンの友達まで(6作)を刊行北海道出身の作家・翻訳家。こちらのシリーズも村岡花子版同様、何度も重版されるベストセラーになったとのこと。唯一の「村岡訳と同年代の翻訳」だそうです。個人的な所感:ときおり村岡訳の影響を感じる言葉選びがありますが、「ぎくんと」「めきめき回復」など擬音語が多用されていたりして、よりサバサバした印象を受けました。…読みにくい訳では無いですが、現代にそぐわない用語(めくら等)も使われているので、もし再販するとしたら微修正が必要かも。<A>第三十八章 いつわりの愛第四十章 黙示録第四十一章 愛は試練ののちに<B>「あたしは、あなたが誰にもまして一番好きよ。 だからあたしたちは、今までどおりに友人としてつづけるべきなのよ、ギルバート」<C>クーパー賞<D>聖書にあると同じに、誰の生涯にも黙示録がある。アンは嵐と闇の中で、苦悶のあまり眠ることができぬこの過酷な夜に、自分の黙示録を読んだ。あたしはギルバートを愛していた。―ずっと愛していたのだ。今それを悟った。<E>「もう何度か、その夢は決して実現しないと思ったけど、それでもまだ捨てませんよ。 ぼくは一つの家庭を夢みる。暖炉の火が燃えていて、猫や犬がいて、友だちの足音がしてね、―そして、きみがいるんだ」あとがきに、翻訳家さんの作品解釈が記されていました。(以下引用)“常に真実を求め、それに敏感なはずのアンにも、やはり迷いがあります。彼女の例の空想癖で、いつか現れるにちがいない理想の恋人が、頭の中にはっきり描かれます。学生仲間のロイ・ガードナーに出あったとき、まさにこの人だったとのぼせ上り、自分はほんとに彼を恋していると信じて二年間付き合います。しかし、いざ婚約という段になって、閃光のように、彼を愛していなかったと悟り、幼い日からアンを愛しつづけるギルバートに戻ってゆきます。”「ギルバートを振り、一時ロイに胸をときめかせていたのは、アンの空想癖による気の迷いだった」ーと、村岡訳とは全く異なる解釈で物語が紡がれていました。同じ時代の訳文でありながらも、新潮版と角川版のどちらを手にするかで、全然違う話筋が提供されていた…ということですね。 面白いです!今回調べていて驚いたのは、村岡訳から約30~40年後の80年代後半~90年代初頭にかけて、新訳がバンバン刊行されていたこと。その他にも数多の関連書籍が発売され、90年には北海道に赤毛のアンモチーフのテーマパークまで開園していることから、本当に「赤毛のアン」は当時のトレンドだったというか…「カントリーと言ったら、赤毛のアン!」というくらい大人気だったんだな、と改めて感じました。◆掛川 恭子 『アンの愛情』1990年 講談社※完訳版/完訳クラシック赤毛のアン 全10巻刊行70年代~90年代にかけて英米の児童文学や絵本で活躍された翻訳家で、カナダの大学への留学経験もある方、とのこと。「赤毛のアン」は本当に沢山の方が翻訳されていますが、3作目愛情までたどり着いている方は限られてきます。そして4巻目以降まで訳しているとなると、片手で足りる程に。その中でも村岡訳と同様に全10巻すべてを翻訳されているのは、今のところこの掛川さんだけになるみたいです。個人的な所感:全体的にちょっと言いまわしが回りくどいかな…と感じましたが、でも掛川さん自身も著作多数の有名な翻訳家の方だったようで、「ここまで村岡訳の影響を感じない文面も珍しいな」と感じるくらい、独自路線な翻訳スタイルの印象を受けました。ただ “完訳” を謳う割には、非常に翻訳者様のオリジナリティに富んだ訳というか…特に章題などは、ほぼ「○○、△△する」といった、原文からはかけ離れたフレーズに統一されていたりします。ーいや、それ自体は翻訳スタンスのコンセプト次第なので全然良いんですけども!ただ、やっぱり “完訳” かと言われると… 疑問符だなぁ、と。<A> 38 アンの愛情、試される40 アン、天啓の書を読む41 アン、愛の王国に入る<B>「……世界じゅうで、あなたが一番好きよ、ギルバート」※we must―we must go on being friends, に該当する訳文は無し<C>クーパー奨学金<D>聖書に神がその摂理を説く天啓の書があるように、だれの人生にも天啓の書があるものだ。アンも、嵐の荒れ狂う暗い夜を徹して苦しみにもだえているあいだに、自分の天啓の書を読んだのだった。わたしはギルバートを愛しているのだ―これまでずっと、愛していたのだ!それが今わかった。<E>「必死になって、その夢を見つづけているんだ、とてもかなえられそうにないと思うことが、よくあるけど。家庭の夢なんだ。暖炉で火が燃えていて、犬と猫がいて、友人の足音にあふれていて―そして、アン、そこには、きみがいるんだ!」一番注目すべきは、<D>の A Book of Revelationを『天啓の書』と訳している点。村岡さんがわざわざ二重鉤括弧までつけて「これは『黙示録』そのものである」と強調した部分です。ーというか、辞書で引くと、ここはどうあがいても『黙示録(新約聖書/ヨハネの黙示録)』としか訳せないところなんです。※Revelation…Rが大文字の場合は、黙示録のこと、と定義づけられている。それを掛川さんは「revelation」の単語が持つ「天啓・黙示」の意を拾い、『天啓の書』という、そもそも一般的には普及していない造語を用いて、言い換えているわけです。ここで、両者の単語の持つ意味合いの違いを調べてみました。◆もくしろく【黙示録】(ヨハネの黙示録/アポカリプス)1 新約聖書の最後の一書。この世の終末と最後の審判、キリストの再臨と神の国の到来、信仰者の勝利など、預言的内容が象徴的表現で描かれている。2 転じて、破滅的な状況や世界の終末などを示したもののこと。◆てん‐けい【天啓】天の啓示。天の導き。神の教え。「天啓にうたれる」前者(村岡訳)では、「世界の終わり」が突き付けられた時に、自身の内側からあふれ出る大後悔…という印象を受けましたが、後者(掛川訳)は「神のお告げ」、すなわち「アンちゃんの独白=天から与えられたもの」という印象を受けます。同一のものを指していたとしても、読者として受け取るイメージは全く異なってきますね。正直、個人的な感想を言ってしまうと…イヤここを“天啓”って訳したら台無しじゃないか?です。確かに「アンちゃんの人生の指針を決定づけるシーン」なので、俯瞰的かつ結果論として見れば、言わんとすることは分からなくも無い…のですが…このシーンに “神” なんて登場してないし、アンちゃんは過去の自身の行いに対する後悔の念しか叫んでないよ? アンちゃんのハイテンションの心情筋が理解しにくかったからって、それを全て「外的要因」として納得しようとするのは、あまりにも乱暴では?これ心情構成作家のモンゴメリさん、怒っちゃうのでは?ー何より面白くない!このモンゴメリさん渾身の一撃を「空から降ってきたもの」なんて解釈で片付けるなんて、面白くない‼ ここは『黙示録』じゃなきゃダメだろ‼ …と思いました。すみません。私たちは最初に村岡訳を読んで、もう“そういうもの”だと思い込んでいるので…。ーというのもですね、私たちのような少女漫画原理主義者には「心情構成こそ、物語の至宝!」という美学 があるんですよ!一人の女の子の主観を軸として、様々なエピソードが積み重ねられていき、その先に(彼女にとっての)大きなハードルを飛び越える激情が描かれる物語…というか。いち個人の「心を描く物語」、それが少女漫画だ!というか… そこがどんなジャンルよりも優れている特徴だと思ってます。そういった少女漫画フリーク目線で観ると、モンゴメリさんって本当にザ・心情構成作家!というか、少女漫画の始祖にしか見えないんですよね。『アンの愛情』なんてその極みで、「クライマックスのアンちゃんの叫びがどこから来ているのか」を、それまでのエピソードや彼女の生い立ち・キャラクター性の中に見つけに行くことが出来るような…心情ミステリーとして、無限に語りがいのある作品なんですよ。だからクライマックスの独白を「天から与えられたものです(完)」と言われてしまうと…あれです。ミステリーの密室殺人事件モノで「犯人は魔法使いでした(完)」って言われる位、興醒め案件な訳です。ナンセンスなんです!以上、何が何でも第40章を『黙示録』と直訳して欲しい勢の叫びでした!ただ、当時の(おそらく)村岡訳一辺倒だった中に一石を投じるような、この掛川さんの「天啓」という解釈は非常にインパクトがあったようで、この先の翻訳家さんたちがかなりの確率で拾われています。色々な翻訳本(今回取り上げなかった子供向けの抄訳版含む)を並べて比較していると、(…多分この訳者さんは、アンちゃんの心情筋を納得できるところまで考えることなく、分からないまま書いているんだろうな)と感じるような本もありました。色々言ってしまいましたが…「ご自身で納得いくまで考え抜いて、筋を通して訳す」という掛川さんの翻訳スタイル、私は大好きです!…というか、基本「翻訳はかくあるべき!本を出すなら、納得してから書いてくれ!」と思ってます。やはり赤毛のアンシリーズの翻訳の歴史をたどると、掛川さんの存在は重要だなあ!と思いましたし、そもそもこの掛川訳がなければ、様々な翻訳本を比較する必要性も薄れるんじゃないかな~と感じました。◆石川 澄子 『大学生アン 上・下』 1991年 東京図書翻訳者の石川さんは、他にも「不思議の国のアリス」「すばらしいオズの魔法使い」など著作があるようです。「登場人物たちの心の機微まで、きちんと訳した大人のための完訳本」と銘打ち、赤毛のアン・アヴォンリーのアン・大学生アン の3部作をそれぞれ上・下巻で刊行されたシリーズみたいです。同時期の刊行ですし、「完訳版」をアピールしている点からも、コンセプトとしては前述した掛川版と同様に、対抗・村岡訳…というのは語弊があるかもですが、“もっともっと赤毛のアンへの理解を深めたい大人読者に向けた本”というマニア層を狙った企画なのだろうと感じました。個人的な所感:大人向けということでルビもほとんど無く、挿絵もアーティスティック&尖った印象を受けました。…なんというか、本当に私の勝手な印象ですが、言葉のチョイスも結構トゲトゲしいというか…他の方の訳に比べて、所々アンちゃんの言い回しがすごく可愛くないんですよw!そしてギルバートは逆に大人しめというか、強引さが和らいでいる気が… 見比べると同じ事を言ってるんですけどね。言い回しの違いでこんなにもキャラクターの印象が変わってくるのか!と、一番感じた翻訳本でした。面白かったです!<A> 第38章 スタートを誤ったアン第40章 黙示録第41章 長い廻り道のあと<B>「あたしは世界中で一番あなたが好きなのよ、ギルバート。あたしたちは―ずっと友だちでいなければ、ギルバート」<C>クーパー奨学金<D>聖書のなかに黙示録があるように誰の生涯にも黙示録があるものだ。アンは夜っぴで悶え苦しんだその夜、吹きまくる風と暗闇のなかで自分の黙示録を読んだ。アンはギルバートに恋をした―ずっとギルを愛していたのだ!それがやっとわかった。<E>「ぼくは一つ夢を描いています。ぼくはその夢を見続けています。その夢は決して実現しないと思われたことも何度もありましたがね」ギルバートはじわりじわりといった。「ぼくは一つの家庭を夢見ているんです。その家庭には暖炉があって猫と犬がいて、訪れる友だちの足音がして―あなたがいる」<A>の章題について、第38章を「スタートを誤ったアン」としているのが面白いですね。ここの原文の章題は “False Dawn”、直訳では “誤りの夜明け” です。調べたところ「一時的な希望の兆し/幻想的な前兆などの比喩的な表現として使用される言葉」…「あてにならない期待、良いことが起こりそうで起きないこと」といったニュアンスで使用する言い回しだそうで、ロイからのプロポーズそのものへの拒絶と失望感を指しているものだと思われます。しかし石川さんは “夜明け=恋のスタート地点” とし、最終章でも “廻り道” と結んでいます。「進むべき恋愛ルート間違えました‼でも最終的にはちゃんとゴールに辿り着けました‼」という筋立てですね。ここまで「間違えた‼」を強調している訳は他に無く、清々しさを感じました。◆谷詰則子『アンの愛情』1992年 篠崎書林 New Montgomery Books 24 全30巻で、モンゴメリさんの短編集や日記まで含めた著作を日本語訳で発売したシリーズのうちの1冊みたいです。個人的な所感:言い回しは非常に村岡訳の影響を感じますが、ひたすら直訳!シリーズの存在意義的にも、とにかく「モンゴメリさんの作品をそのまま訳す」を信念とされた翻訳だと感じました。表紙にはモンゴメリさんの写真を掲げ、作中にも挿絵は一切なし…という、独自解釈をとにかく入れないようにする徹底ぶりです。正直 面白味は無いのですが、当時の赤毛のアン人気を知る上でも、また他の訳者さんたちのオリジナリティを検証する上でも、貴重な1冊だと感じました。<A>第38章 偽りの夜明け第40章 『黙示録』第41章 愛は時のグラスを飲み干す<B>「私は、世界中のほかの誰よりもあなたが好きです、ギルバート。 そして、私たち―私たち、ずっとお友達でいなければならないのよ、ギルバート」<C> クーパー賞<D>聖書と同様、万人の人生には黙示録がある。その辛い夜、嵐と暗闇の何時間もの間、アンは苦悩で眠れずに、自分の人生の黙示録を読んだ。ギルバートを愛している―ずっと愛していた!それが、今わかった。<E>「しばしば、決して実現するはずがないように思えるけど、その夢を見続けているんだ。僕は、家庭を夢見ているんだ。中には炉が燃えていて、猫と犬が一匹ずついて、友人たちの足音が絶えず―そして、君がいる!」<B>のギルバートを拒絶する一節… ほとんどの翻訳家さんが「we must go on being friends」を「お友達のままでいたい」など和らげて表現するなか、「友達でいなければならない」と “must” を 強い“義務/禁止” としてしっかり直訳しているのは、(完訳版では)村岡訳と、この谷詰訳のみでした。しかし、あとがきでは “そんなアンに、遂に天の黙示とも言うべき瞬間が訪れたとき、その傍らに、今まで共に歩み来て、そしてこれからの人生を共に歩み続けるべき人が、大きく腕を広げて待っていたのです。” と記載があります。言い回しなどは村岡訳の影響を受けつつも、解釈としては掛川訳の「天啓」の意で理解されていたことが伺えますね。◆茅野美ど里『アンの愛情 上・下』1992年 偕成社 児童向けだがほぼ完訳?/3作目まで刊行 帰国子女の翻訳家様とのこと。個人的な所感:上下巻で文字も大きく、児童向けを考慮してか適度にルビもふってあり、小難しい単語は言い換えてあるので非常に読みやすいです。そしてお洒落で上品な挿絵が光っていて…何と言うか「すごくバランスの良い本だな」という印象を受けました。(挿絵…凄く良いんですが、ギルバートを振るシーンのアンちゃんのものすごく嫌そうな顔、そしてロイを振った時のアンちゃんのものすごくスッキリした顔がまた良かったですW)<A>第三十八章 いつわりの夜明け第四十章 アンにとっての黙示録第四十一章 愛が砂時計にみちて<B>「それにギルバート、あたし、世界じゅうのだれよりも、あなたが好きよ。こ、これからもずっと友だちでいたいわ。ずっと、ずっと―」<C> クーパー賞<D>聖書に天啓の書である<黙示録>があるように、誰の人生にも、その人の黙示録というものがあるものである。その苦しい夜、嵐と闇のなかでまんじりともせずに、ひと晩じゅう起きていたアンは、わが心の深淵をのぞいて啓示を受ける思いだった。自分はギルバートを愛している―むかしから愛していたのだ。いま、それがわかった。<E>「けっしてかなわないだろうと何度も思ったけど、しつこく夢みるんだ。暖炉に火が燃えていて、ネコと犬がいて、友だちの足音がして―そしてアンがいる家を!」基本的にはすごく直訳型の訳者さんなのですが、分かりにくそうな部分には丁寧に補足を入れ込むなどの配慮をされています。<D>の『黙示録』の章に関しては、掛川訳の『天啓の書』という解釈も盛り込みつつ…、しかし「わが心の深淵をのぞいて啓示を受け…」と、「“天啓”って言っても、天から降って来たものじゃなくて、アンちゃんの心の中にあったものだよ!」を強調する書き方になっていますね。やっぱり…何と言うか、冷静かつバランス力のある訳者さんだなぁ~ と思いました。◆松本侑子 『アンの愛情』2008年 集英社※完訳版 3作目まで刊行⇒2019年~文春文庫より全8巻(アンの友達/アンをめぐる人々以外)を刊行(アンが登場しない2作を除いた)シリーズ8冊分をすべて訳されているので、「赤毛のアンをシリーズとして読みたい!」という方は、前述した村岡訳・掛川訳・そしてこの松本さんのいずれかの本を手にする形になるかと思います。小説家 兼 翻訳家の方で、アンシリーズにおいては、当時のカナダの文化的背景・価値観を大事にされ、 また “英文学からの引用” についての象徴主義的な観点での指摘を得意とされているようです。本著も、490Pのうち約100Pが巻末の注訳「訳者によるノート―『アンの愛情』の謎とき―」+あとがき となっています。それを受けてか、後述する河合祥一郎さんは松本さんの訳を「参照した先行訳」の文学作品としてではなく、「参考とした研究書」として紹介されていました。個人的な所感:新しく、また小説家の方の文章なので、とても読みやすい文面でした。…ただ本当に注訳が多く、それがまた非常にマニアックな雑学なので…かなり「赤毛のアン玄人向け」というか、「物語をよく知っていて、さらに深掘りしたい方」が一番楽しめる一冊なんじゃないかな、と感じました。<A>第38章 偽りの夜明け第40章 天啓の書第41章 愛は砂時計を持ち上げる<B>「……世界中の誰よりもあなたが好きよ、ギルバート。 私たち……これからも友達でいましょう」<C>クーパー賞<D>聖書に天啓の書があるように、誰の人生にも、天啓の書がある。アンは、大嵐と漆黒の闇のなか、苦悩に一睡もしなかったこの痛恨の夜、天の啓示を受けたのだった。私はギルバートを愛している―今までずっと彼を愛してきた!それが今、わかったのだ。<E>「かなうはずがないと、いくども思いながら、それでも胸に抱き続けてきた。ぼくは、ある家庭を夢見ているんだ、暖炉に火がゆらめき、猫と犬がいて、友の訪れる足音が響き……そして、きみがいるんだ!」松本さんは、基本的には直訳をされたいタイプの訳者さんなんだろうな~と感じたのですが、そんな中で<D>について、掛川訳の『天啓の書』という解釈をとことん突き詰め、「天の啓示を受けた」とかなり振り切れた翻訳をされている点が非常に印象的でした。ーというか、他の部分ではすごく細かい所まで「この一節は○○の引用」と列挙されているにも関わらず、クライマックスの重大すぎるド直球引用については、注訳においてですら『黙示録』の記述が無いのが、非常に不自然に感じたというか…どうしてそんなに頑なに、『ヨハネの黙示録』じゃなく『天からの啓示』って訳したいんだろう? ーと、正直疑問に感じました。ただ、あとがきの「五、キリスト教文学としての『赤毛のアン』シリーズ」を読み、何となく納得できた気がしました。ここで松本さんは、モンゴメリが牧師の妻としてキリスト教を説く立場であったことを挙げ、“最後のギルバート危篤の夜、アンが「天からの啓示」を受けて真実に覚醒し、一夜が明けて聖書の一節をつぶやく感動的な場面も、キリスト教の信仰に裏うちされています。” と記されていました。成程~ と思い、ちょっとキリスト教の定義について調べてみました。キリスト教は自ら啓示宗教(revealed religion)であるとしています。※「啓示」とは、神または超越的な存在より、真理または通常では知りえない知識・認識が開示されることをいう。天啓、神示ともいわれる。啓示によって真理が開示され、それによって信仰が成立する宗教を、「啓示宗教」と呼ぶ。ーとのこと。『アンの愛情』を「キリスト教を基軸とした、宗教文学作品」と捉えるのであれば…確かにこの「突如、超越的な存在より人生の心理=天啓を与えられる」という解釈は、クライマックスを飾るにふさわしい筋立てなのだろうな、と。私(&姉)はどこまでもキャラクターの心理描写・心情構成フェチなので、「この重要な場面に、いきなり “神” を持ち込む解釈は面白くない!」と感じましたが…作品が生み出された文化や時代背景、作者の教養などをどこまでも語りたいタイプの翻訳家の方からすると、この重大な場面で “日本人にはなじみのない、天啓(神の声)が登場すること” こそが、語りがいであり、面白さなのかなぁ… と感じました。◆河合祥一郎 『新訳 アンの初恋』2017年 角川文庫※完訳版 3作目まで刊行シェイクスピア研究の第一人者で、東京大学の教授さんだそうです。赤毛のアン~愛情、シェイクスピア関連の新訳、その他様々な物語の新訳を刊行されるなど、著作多数。完訳版としては、現段階で唯一の男性翻訳家さんですね。個人的な所感:巻末に、翻訳されるにあたり参考とされた研究書などがズラっと記載されていて、圧巻でした。(今回、歴代の「アンの愛情」翻訳を集めるにあたり、非常に参考になりました!)前述の松本さんの本でも感じましたが、2000年以降の日本における「赤毛のアン/モンゴメリ作品」は、ある意味「古典文学・研究対象」になっているというか…先人たちの残した膨大な訳本や研究を踏まえたうえで、「筆者はここで○○さんの説を採用し、こう解釈しました!」みたいなフェーズに入っているのだろうな、と感じました。<A> 第38章 偽りの夜明け第40章 悟りの書第41章 愛の時が動き出す<B>「あなたのことは、世界じゅうの誰よりも好きよ、ギルバート。だけど、あたしたち―お友だちのままでいなきゃ、ギルバート」<C>クーパー奨学金<D>聖書に黙示録という啓示の書があるように、どんな人の人生にも、悟りの書があるものだ。アンはその夜、何時間もの嵐と暗闇のなか、苦しみながらまんじりともしないかったこの痛恨の夜に、いわば自分の悟りの書を読んだのだ。あたしはギルバートを愛してたんだわ―ずっと愛してた!今ならそれがわかる。<E>「決して実現しないようにたびたび思えるのだけれど、ずっと夢見続けてきた。ぼくは夢見るんだ、暖炉のあるお家、ネコと犬、友だちの足音……そして、君を!」『アンの初恋』という題名を選択した理由として、河合さんはあとがきにおいて下記のように語られていました。↓“本作の最大の山場は、アンが果たしてメランコリックで謎めいた“麗しの王子様”からのプロポーズを受けてしまうのかという所にある以上、本作のテーマは「愛情」よりは「初恋」(ないし恋愛)にあるように思われる。新訳の新味を主張する意味もあり、勝手ながら改題させていただいた。”また河合さんは、作者モンゴメリにとって悲恋に終わった燃えるような初恋物語に触れ、作者とアンのキャラクター性を重ねたうえでの「初恋」という言葉の採用であったことを述べられています。河合さんの解釈論に関しては、(いつも男性的な観点から物語を楽しむタイプの)姉に語ってもらいました。↓どんな読者であっても“アンの愛情の話筋”にはまず戸惑うと思うが、特に男性に、顕著な拒絶反応を示す方が多い気がする。女性はギルバートを振るくだりを疑問視することが多い反面、男性の場合は“ロイ・ガードナーと付き合うアンちゃん”がどうしても許容できない印象を受ける。おそらく男性目線から見ても、ギルバートは“優秀で優しく、ひたすら一途。金銭的に恵まれていなくとも文句ひとつ言わず誰よりも努力する、落ち度のないヒーロー”であり、とにかく彼が評価され&報われないと気が済まないのでは。ギルバートの求婚を邪険に扱ったうえで金持ちのボンボンに現を抜かすアンちゃんは、あまりに価値観と齟齬しており、とにかく気分が悪いのだと思う。※アニメ「アン・シャーリー」を60代の父親と一緒に鑑賞していましたが、ロイ登場時の拒絶反応はやはり非常に大きかったです。河合さんの主張(新解釈)も、基本的には「アンがロイと結婚も見据えた親密な関係になったことは事実だが、心揺さぶる真の恋愛(初恋)はギルバートだけだから!」という、アンちゃんの中のギルバートの価値を浮上させたい(ロイとか本当は存在ごと抹殺したい)意図を感じる。根拠としてモンゴメリさんの日記等(作者の恋愛観が見て取れるところ)を引用してくるところは学者さんっぽいと思うが、基本的には感情的な主張だし、物語筋の直接的な解釈ではなく、あくまで受け手の心持ちの話(=こう考えれば傷が浅く済む!というレクチャー)だと思う。 正直、村岡訳の描写のニュアンス(アンちゃんが重要視しているのは終始ギルバートだけ&ロイとの交際はカムフラージュだった)をきちんと捉えて&採用していれば、河合さんの主張の前提(※上記黄色マーカー箇所)も“ギルバートに帰する”というか、“アンちゃんがギルバートを重要視しているが故の行動”と解釈できるので、そもそもモンゴメリさんを引き合いに出して“真の恋愛はギルバートだけ!”を強調する必要はない。本編自体、まさしくそこが“一番の面白味”としてしっかり描いてある。河合さんは、モンゴメリさんとアンちゃんを同一視する観点から話を進めようとされているけど、私的には本来着目すべきは、アンちゃんとモンゴメリさんとの“違い”…アンちゃんが“立場が不安定な天涯孤独な娘”で“非常に臆病な娘/潔癖な娘”であるという部分の方だと思っている。結婚後、表立った執筆活動等は行わず、ひたすら家族(ギルバート&子どもたち)に尽くしきる“聖母・アンちゃん”をもっとちゃんとかみ砕いて、“モンゴメリさんご自身とはまったく異なるアンちゃん像”をきちんと捉えるべきだと思う。姉の言うように、男性読者=ギルバートに感情移入しがちは、私もすごく感じるところです。今回は取り上げませんでしたが、ポプラ社文庫より1983年に出版された白柳美彦さんの『アンの愛情』※小学生中級~向けの抄訳版 の訳者あとがきで、白柳さんは下記のように語られています。“もって生まれた夢見る心は~年ごろになったとき、奇妙なことを起こしてしまいました。アンは心にもなく、恋人として王子さまのような青年を夢みるようになってしまいました。ギルバートという青年がいたことは、アンにとってほんとうに幸せでした。アンはどんなにギルバートに感謝したら良いかわかりません。”…要約すると、「マジでロイになびくアンの思考回路は意味不明だが、ギルバートはマジでかっこいい一途な男なので最後は上手くいった。アンはギルバートに感謝した方がいいマジで!」…というかなりギルバートびいきの愚痴のような見解で、同じ男性訳者である河合さんと似た価値観を感じて面白かったです。赤毛のアンシリーズが男性にも支持される理由として、やはりギルバートの存在が大きな役割を果たしているのだなぁ…と感じました!本当は、児童向けの抄訳版やコミカライズにも触れたかったのですが…あまりにも長くなりすぎるため、今回は割愛します😿最後に…翻訳本のくくりからは外れますが、まさに「アンの愛情」の話筋を独自解釈&映像でアウトプットしていたのが、今回私たちがアンシリーズにはまるきっかけとなったTVアニメ『アン・シャーリー』です。◆アニメ『アン・シャーリー』2025年 NHK監督:川又浩 シリーズ構成:高橋ナツコ脚本:高橋ナツコ、平見瞠、リンリン(林賢一)全24話:赤毛のアン(10話)~アンの青春(5話)~アンの愛情(9話)で、小説3冊分を駆け抜ける構成です。話数の割り振りを見ても感じるところですが、一番描きたいのはやはり『愛情』パート…1979年の世界名作劇場では描かれなかった“ラブストーリーとしてのアンシリーズ”をアニメーションにしたい!という意欲を感じる作品でした。本作は“原作は村岡訳(新潮文庫版)”と明記していましたが、特に『アンの愛情』パート(の後半、ギルバート1回目のプロポーズ頃から)は、私たちの捉えていた原作(村岡訳)の筋道とは全く異なる筋道を描いていたもの と認識しています。アニメの基本軸は“「空想上のロマンス・幼い恋愛観」を経て、「真実の愛・結婚観」を見出す物語”の筋道ですね。ただやはりここでも納得のいかない物語筋をなんとかしっくり来る形にしようと、脚本家様たちの手により、ギルバートやロイの表層面のキャラ変、恋愛のニュアンス改変、アンちゃんのモチベーション筋作り…と、非常に多くの思い切った改変が加えられていました。こちらの記事↓で、原作筋・アニメ筋の比較をまとめてます(2人がかりで書いた超渾身記事)。アニメ『アン・シャーリー』と原作『アンの愛情』との相違点についてアニメーション作品は大勢のスタッフ様で制作する一大プロジェクトです。“物語筋が分からないもの”では、演出家様も何を演出すれば良いのか分かりませんし、アニメーター様や声優様も何を表現すれば良いのか分かりません。「アンの愛情」という難解な物語の映像化に際し、納得のいく筋道を通すための練り込み・仕掛け(改変)の多さは、数多の翻訳本の比ではありませんでした。アニメの真摯な姿勢に感動すると同時に、私たちの中では「ここまでの改変を加えないと納得いく筋道にならないということは、やっぱり原作が描いてるのは“「空想上のロマンス・幼い恋愛観」を経て、「真実の愛・結婚観」を見出す物語”ではないよね」と話し合ってました。とにかく、今回ここまで私たちがアンシリーズにのめり込んだのは、本アニメーション作品のクリエイティブな挑戦(※)あってこそのものです。大変感謝しています‼※おそらく世界的に観ても、本作が『アンの愛情』本編&その強烈なクライマックスシーンの映像化に本気で真正面から取り組んだ、いちばん最初の作品なのではないかと思います。ーはい、たくさん引用させていただいてしまい、めっちゃ長くなりました‼ここまでお付き合いくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。いやぁ『アンの愛情』…分かってはいましたがホント沼でした‼翻訳者様毎の観点をとことん比較させていただくと、最終的に自分自身の観点がどこを向いているのかもよく分かってきますね。楽しかったです!最後に。勿論モンゴメリさんが亡くなられている以上、解釈に正解はありません。そしてそもそも私、結局どうしても分からないんです。『黙示録』って結局何ぞや? と。辞書で引くと、真っ先に「世界の終末が描かれている書」と出てくるので、基本的には天変地異など破滅的な怖いイメージを纏っています。ーでも、もっと詳しい解説を読むと「いやいやこれは破滅の後の希望の書だ!」と言っている方もいる。「啓示の書」「予言の書」色んな単語で説明されているけど、結局何なのかわからない…。そして最終的には「極めて難解な書。ヨハネの黙示録はクリスチャンの中でも解釈が分かれており、永遠に議論され続けている」ということで、要するに誰にも明確な答えが出せない経典のようでした。作者のモンゴメリさんは、上記の “論争を巻き起こす” 意味合いも込めて、第40章を「A Book of Revelation」と名付けたんじゃないかな~ と思っています。世界中で愛されるヒロイン:アン・シャーリーが、人生を決する夜に読み上げた『彼女自身の黙示録』。この激情はどこから来たのでしょうか…? 読者の皆様 、うら若き乙女心の超難問を、大いに悩み&議論を尽くしてくださいね‼ ーという、読者に向けた究極の謎かけなんじゃないかな、と。そう考えると… 翻訳者様毎に様々な解釈がなされて、受け手も独自の観点で納得のいく解釈を一生懸命模索して…という状況は、まさに本作(&強烈なクライマックスシーン)のあるべき形だと思っています。『アンの愛情』、やっぱり超 面白いですね‼大好きです‼by妹(一部解釈:姉)◆小説 赤毛のアンシリーズ(村岡花子訳) 感想リンクアンの青春(Anne of Avonlea)1909アンの愛情(Anne of the Island)1915 ⇒アンの愛情 村岡花子訳と後続の翻訳本の比較についてアンの幸福(Anne of Windy Willows)1936アンの夢の家(Anne's House of Dreams)1917炉辺荘のアン(Anne of Ingleside)1939その1:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921その2:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921アンの友達(Chronicles of Avonlea)1912アンをめぐる人々(Further Chronicles of Avonle)1920◆モンゴメリ著 小説 感想リンク果樹園のセレナーデ(Kilmeny of the Orchard)1910ストーリー・ガール(The Story Girl)1911黄金の道―ストーリー・ガール(The Golden Road)1913可愛いエミリー(Emily of New Moon) 1923エミリーはのぼる(Emily Climbs)1925エミリーの求めるもの(Emily’s Quest)1927青い城(The Blue Castle)1926◆赤毛のアン 関連本 感想リンク赤毛のアンの手作り絵本 / 松浦英亜樹 さんのイラストについて赤毛のアンシリーズのコミカライズについて
2026.04.25
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本当に久しぶりにジャンプ本誌を購入して、空知英秋先生新連載『2年B組勇者デストロイヤーず』を読みました。超簡単に感想を!↑よく分かる公式PV集英社&ジャンプ編集部やバンダイナムコピクチャーズやワーナーやアニプレックスやネトフリや…なんか本当にいろいろなところが、3つ(※)もアニメ化を同時に進めて空知先生を追い詰め…※アニメ『3年Z組銀八先生』、NETFLIX『だんでらいおん』、映画『新劇場版銀魂 吉原大炎上』魔王召喚のための天岩戸大作戦(岩戸の前でお祭り)を成功させたが故の、今回の新連載だと思っています。本編・第一話の印象としては、なんだろう…過去の読み切り作品のすべて…「だんでらいおん」と「しろくろ」と「13」と「ばんからさんが通る」を全部混ぜて焼いたホットケーキな感じ?私の眼には“厠で何かをひねり出そうとしているのに、周りが気になって用を足せなくて暴れるヒーロー”が空知先生ご本人にしか見えず…あぁ、銀魂の最終巻でもコメントで書かれてたけど、ご本人も自分が魔王だと認識されて、それがこのように新連載のヒーローとして登場したのかぁ…!というメタな感想が真っ先に思い浮かんだところでした。ここから、ホットケーキだと思ってたものが爆発して、ポップコーンになったり、なぜか焼き肉になったり、そこかしこで銀魂の風味がしたり、いまだかつて食べたことのない未知の味わいを堪能できたりすると嬉しいなぁ…と思ってます。それと、もうちょっと真面目に感想を書くと、本作は「学校」という枠を作って、銀魂よりとにかく可動域を狭めようとされてるんだろうな、と思って観ています。また、タイトルや第1話の中でも頻繁に登場する「善/悪」「勇者/魔王」の対比。キャラクタービジュアル&画面自体も本作は「白!黒!」のコントラストを非常に意識した作りになっています。銀魂は、善も悪も白も黒もすべて許容して鈍くも鋭くも光る「銀色」モチーフで、本当に何でもありの世界観だったのに対し、本作では、善悪をはっきり分けて定義するからこその、概念遊びが一つのテーマなのかな?と受け取っています。第1話で、既に善/悪や勇者/魔王の印象がコロコロしてますからね。物事なんて善悪きれいに分類なんかできっこないわけで、だからこそ「無理やり善/悪と定義する」ことの面白さがあるのかな?…銀魂とはまた違う仕掛けになっていて、とても楽しみな点です。最後に。画面クオリティが格段に上がっており、もはや半分は映像化のための絵コンテと化していた銀魂より、いち漫画作品として読ませていこう、魅せて行こうという気概を非常に感じます。空知先生も、20~30代に描かれてた銀魂の時とは年齢も体力も全然違うと思いますので…そんなことは編集部も、またご本人が何より分かっているはずで……あれ?分かってる…か??デジタル化していたとしても、こんな画面クオリティが週刊でそうそう長く続くはずが…あれ??…って感じるくらいのエネルギッシュで力みなぎる新連載でした。ともかく、また空知節を直接浴びれる幸せを噛みしめております。空知先生、くれぐれもお身体最優先で無理はなさらぬよう(既に無理な気配は感じてますが)…、2話以降の掲載も楽しみにしています♪by姉
2026.04.21
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音楽語りーその285♪世界を愛せますように! by清竜人25作詞・作曲:Ryujin Kiyoshi 編曲:MAIYA(illiomote),Avec Avec清竜人25のメモリアルアルバム『GOODBYE』を購入しました!(公式サイトより)新体制で発表した楽曲に加えて新曲「GOOD BYE!愛してるよ!」や、2025年2月に東京・草月ホールで開催したアコースティックライブ『KIYOSHI RYUJIN25 Acoustic Live in Autumn』の音源、2025年11月に開催した、清 竜人25として初めての試みとなるバンドセットを携えた『KIYOSHI RYUJIN25 THE BAND LIVE』の音源が円盤化となります。Blu-rayには、昨年12月21日(日)KT Zepp Yokohamaにて開催したラストライブ『KIYOSHI RYUJIN25 GOOD BYE LIVE』の映像を全編収録。さらに、2024年再結成後にリリースされた楽曲のミュージックビデオと、『KIYOSHI RYUJIN25 THE BAND LIVE』や『KIYOSHI RYUJIN25 GOOD BYE LIVE』の公演での裏側を収録した、ビハインドザシーンも収められた内容となります。新体制のスタジオレコーディング録音楽曲全曲のCDアルバム+ライブ音源CD×2+ラストライブ&全MV収録のBD の全4枚、2024~2025年の活動を余すことなく収録した決定盤!清竜人25は、シンガーソングライターの清竜人さんと女の子たち(夫人たち・全員“清”姓)による一夫多妻制(設定の)アイドルユニットです。清竜人さんが25歳で結成し、2014~2017年に本人+6人の夫人たちの構成で活動(1期)。2024~2025年に、夫人のメンバーが変わり、本人+4人の夫人たちの構成で活動再開されました(2期)。一夫多妻制とは言っていますが、実際に鑑賞すると、ひたすらド真面目でストイックなアーティスト&パフォーマーたちによるハイクオリティ音楽活動です。とにかく、All of 清竜人さん作詞作曲の楽曲が死ぬほど良い…!!本当に1曲の落ちなく、全楽曲名曲!!清竜人さんはご自身でも歌われますし、他のアーティストへ提供曲も多数ありますが、「清竜人25」関連楽曲は、その中でも目を見張る異色の出来栄えのものばかりです。1期の夫人メンバーは、オーディションによる選出で、今まで何か芸能活動されていたわけではない方も含まれている印象でした。夫人たちも声質が特徴的で、どんどん上手になっていくところが魅力の一つではありましたが、ボーカルは基本は清竜人さんが支えるセルフプロモーションの印象が強かったです。2期は、既に有名ユニット等でアイドル活動をされており、更に歌唱に信頼厚い4名の夫人での構成です。1期とはまた違う、生歌歌唱でも非常にクオリティの高いパフォーマンスがとても魅力的でした。■夫人メンバーについて・第101夫人 頓知気(清)さきなさんライブパフォーマンス映像等を鑑賞していて、歌唱と一つ一つの表情や手振りの完成度が異常なほど高くてびっくりしました。超ハイクオリティの柱のような存在の方という印象です。・第103夫人 根本(清)凪さんもともとでんぱ組.incの活動を見ており、超早口な難解楽曲を安定感を持って生でパフォーマンスし切るパワーが凄いと思っていました。本活動で表立った音楽活動に改めて参加されて、嬉しく眺めていました。・第104夫人 林田(清)真尋さんパンチのあるまっすぐな声質/ボーカルが魅力的な方。この方が居ることで本ユニットのパフォーマンスの幅が広がっているなぁ、と思います。・第105夫人 チバ(清)ゆなさんもともと、同グループ(きゅるりんってしてみて)の他メンバーが第102夫人として参加されていましたが、新体制開始後間もなく脱退され、代わりに参加されました。異国風…一際エスニックな雰囲気をまとっている方で、アイドル性のある方だなぁと思って観ていました。以下、好きな楽曲の動画&超簡単感想。01.Will you marry me ?上にくっつけたのはFIRSTTAKEの映像です。本ユニットの生歌唱のバカ高クオリティを体感できます。02.青春しちゃっていいじゃん新体制になって最初のオリジナル楽曲。柔らかなノリが心地よくて大好きな楽曲です。まず、1期と異なり夫人たちも清竜人さんより10歳ほど若い方たちなので、楽曲に♡マークはつけず、“先生と生徒”のイメージでやっていくよ、というスタンスがよく分かりました。03.KARESHIいるんだって振り切った可愛らしいMVが印象的♪それでいて歌詞の内容はちょいエグ&ハッピー♪おそらく当初の見立てより、新体制での活動再開への反響が大きかったのかなという、グループとしての勢いを感じる楽曲です。04.アバンチュールしようよ05.私の方を向いてよ清竜人さんと第101夫人・頓知気(清)さきなさんのデュエット曲。とにかくクオリティが高い。ライブ音源CDで聞いても、ほぼスタジオ録音と遜色ないクオリティでビビりました。06.コラージュ清竜人さんと第103夫人・根本(清)凪さんのデュエット曲。でんぱ組.incでも強いボーカルの歌割りが多かった印象でしたが、可愛らしいしっとりとした楽曲も似合いますね。07.Surely!清竜人さんと第104夫人 林田(清)真尋さんのデュエット曲。林田さんの強くハキハキした印象のボーカルが非常に立つ楽曲で、聞きごたえがあります。08.どうしてもできないの清竜人さんと第105夫人 チバ(清)ゆなさんのデュエット曲。チバさんの印象にすごく合う楽曲だと思って聞いてます。09.竜人くんが大好きです!既存楽曲のカバーです。女の子たちももちろん皆可愛いのですが、その中でも清竜人さんに一際黄色い歓声が投げかけられるのが、ライブパフォーマンス時のデフォルトなのだと思います。10.LOVE&WIFE&PEACE11.世界を愛せますように!2期の活動の中で一番気に入ってる楽曲です。MVも楽しくて素晴らしい!♪青春しちゃっていいじゃんの柔らかなノリに始まり、本楽曲の突き抜けた“愛”にたどり着くのが、清竜人25・第2期の活動だったな、と思っています。12.GOOD BYE!愛してるよ!現行体制ラスト楽曲。わびしさもありつつ、幸せと感謝溢れる楽曲です。先ほども少し触れましたが、ライブ音源CDもびっくりするくらいクオリティが高く、1期からの楽曲も含め楽しむことが出来ます。ライブ映像&MVの全てを収録したBDも非常~~~に見ごたえがありました。購入してよかった!!12月のラストライブを最後に、清竜人25の2期目現行体制は終了。清竜人さんも一旦、全活動の休止期間に入られています。一旦アウトプットをストップし、インプットを目いっぱい行うための期間と認識しています。天才故出来ることだと思いますが、心ゆくまで落ち着いて休業&興味のある分野に手を出してみて、仕入れたものを咀嚼&じっくり熟成させて、再びアウトプットしたい気持ちにたどり着くまで、ゆっくりして欲しいな、と思っています。夫人の皆様1人1人も非常に力のある方ばかりですので、それぞれに活躍してくれると嬉しいです。清竜人25・第2期、本当にクオリティが高く、楽しい活動でした!ありがとうございました!また第3期があると嬉しいですね…!by姉
2026.04.11
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『矢口高雄の世界 ART WORKS1969-2020』(公式サイトより)カラー原稿200点&「釣りキチ三平」単行本未収録 カラー作品を収録!!「釣りキチ三平」など多くの作品で世界中にファンを持つ希代の絵師・矢口高雄。矢口高雄の単行本を手に取った読者なら、こんな感覚になったことはないだろうか。ページをめくり気づくとそこに描かれた大自然の中に身を置き、繰り広げられる人間や動物ドラマに引き込まれ、自然の美しさと厳しさ、対峙する人間も含めた様々な生き物たちの匂いや音が自然と聞こえてくる。矢口高雄の描く世界は唯一無二であり読み始めてすぐに作品の画に引き込まれてしまう。本書はそんな矢口高雄が描く、美麗イラストの数々を原画から高解像度で再現。カラー原稿200点&「釣りキチ三平」単行本未収録 カラー作品を収録。デビュー作含む初期作品から「釣りバカたち」「幻の怪蛇バチヘビ」「マタギ」「ニッポン博物誌」「おらが村」「蛍雪時代」「9で割れ!!」など代表作を網羅!他にもエッセイ、関係者証言なども収録した矢口高雄作品の魅力をあますことなく紹介する永久保存版の1冊となっている。…購入しました!矢口高雄さんのイラストは、以前より素敵だなぁ~、しっかり鑑賞してみたいな~と思っていました。ただ、釣りに興味がなさ過ぎて、代表作・釣りキチ三平すら読んだことがなく…「おらが村」だけは読んだよ!面白かった!…という、超にわかであるため、高級&立派な装丁のイラスト集などに手を出す気にはならず…もう少し手軽なのがあるといいなぁ~…と思っていたところに、今回のムック本発売の広告を見つけまして。…これこれ!!欲しかったのコレ!!いやぁ~…全120ページ、オールカラー!!見ごたえある~~~!買ってよかった~~!!四季折々の山、川、空、海の空気感と、キャラクターたちの躍動感…!なんだろう…上手過ぎて凄すぎて芸術的だとはもちろん思うんですけど、やっぱり「アート」ではないんです…「漫画」なんですよ。1枚1枚のイラストの脳みそへの食いついて来方が「漫画」。だから好き♪今どきこのボリュームで税込1,650円は、よほどの確固たる信念を感じます。矢口先生の素晴らしい究極イラストの数々を、多くの方に手に取ってもらうことこそ正義だ!という強いメッセージですね。三栄様、素敵な企画本をありがとうございました!公式HPには、早々に"重版決定!”の文字も踊っています。熱量 × 誠意しか感じないお手頃価格 の本ですので、興味のある方は是非!by姉
2026.04.05
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豊臣兄弟!名古屋中村 大河ドラマ館に行ってきました。2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」、毎週楽しみに鑑賞してます!1996年の大河ドラマ「秀吉」(主演:竹中直人さん)で大河浪漫に酔いしれていた小学生女児でしたので、やっぱりやっぱり豊臣が大好きだし、成り上がり期は歴史で一番好きなところなんです!9話までで美濃攻略が終了。物語はいよいよ琵琶湖周辺や京都に移って来ました。竹中直人さん(旧秀吉)演じる松永秀久や、高嶋政伸さん(旧秀長)演じる武田信玄も登場し、画面が豊臣兄弟だらけでウハウハしてます♪名古屋駅の近く、秀吉(&もちろん弟の秀長も)の生誕地である中村公園に大河ドラマ館がオープンしたと聞き、行ってきました。少し前ですが…写真ログです。名古屋駅から地下鉄東山線で4駅。中村公園駅です。駅構内も大河一色!織田家臣群や、豊臣親類縁者がおおよそこのあたり(尾張)出身ですので、出身の戦国武将を並べるだけで壮観です。中村公園駅を出ると、豊国神社の大きな大鳥居。立派な参道(豊国参道)を10分ほど歩くと、中村公園です。中村公園・豊国神社…実は初めて来ました!!こんなところに…こんな風に整備されてたんだ。名古屋駅西側の「太閤通り」って、豊国神社方面って意味だったのか…全然知らなかった!名古屋駅の『太閤通り』ってここに繋がる道だったのか!(名古屋におおよそ近い場所に長年住まう秀吉ファンのはずなのだが…無知過ぎる)石像・日吉丸となかまたち秀吉生誕の地の碑大河ドラマ館は、中村公園敷地内に建てられています。1年の期間ものですが、わざわざ箱から作るなんて…凄いですね。館内には、パネル展示・衣装&セットや小道具展示、特別映像の鑑賞試写室等があります。とにかく見ごたえがあったのが、衣装展示!間近で見ると、布(麻?)の質感とか、細部までものすごくこだわって作成されていることがよく分かりました。この秀吉の第一話の登場シーンの衣装とかは…世間一般に誰もが「秀吉だ!」と思うモチーフを入れ込みまくった、渾身中の渾身ですね。衣装デザインは、黒澤秀之・爽という、黒澤明監督の孫のご兄弟で担当されているとのことです。ドラマ本編を見てて、衣装も含め色合いが素敵だな~と思って鑑賞していたので、デザインのイメージ図や考え方等、見ごたえがありました。ちなみに、私は本ドラマでは松下洸平さん演じる徳川家康がお気に入りです。「豊臣兄弟!」…今後の展開も楽しみにしています!中村公園内には、秀吉清正記念館(入館無料)&図書館がありました。記念館…愛知の山城の解説VTRが、それ自体年代もので、未整備の小牧山城(?だったかな?)の映像とか面白かったです。図書館も、秀吉関連本がずらーーッと並んでいる区画があって見ごたえがありました。中村公園のお隣、太閤山常泉寺。秀吉自身が、加藤清正(同郷)に命じて、自身の生誕地に作らせたお寺とのことです。こんなお寺があったんですね。秀吉の産湯の井戸とか、本人手植えの柊とかがありました…!楽しかったです!なかなか近場住まいでも改めて行くことのない場所でしたので、大河ドラマ&大河ドラマ館のおかげで訪れることができて…とてもありがたいです。大河ドラマ館は、今回訪れた名古屋・中村のほか、秀吉が城主となる滋賀県琵琶湖ほとりの長浜、秀長が城主となる奈良県の大和郡山の3か所で営業してるとのこと。いずれも訪れたことのある場所ですが、また行きたくなりますね…!(1年間のうちに行くのはなかなか難しいですが。)by姉
2026.03.29
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姉が新しい少女漫画(いやレディースコミックですね)を購入してました。超簡単ひとこと感想です!『望まれぬ花嫁は一途に皇太子を愛す』1~4巻(完結)2022年ー2025年 ぶんか社 PRIMO フルカラー作品原作:古池マヤ 漫画:紡木すあ「望まれぬ花嫁」だけれど、初恋のキース様がただ笑って幸せになってくれるなら、なんだって出来るーー。自国リデアが敗戦し、人質として敵国へ送られた不遇な花嫁・ティナーリア。皇太子の妻となる美しき花嫁に国民は一瞬魅了されるが、リデアの非道な行いを思い出し憎しみへと変わる。一方、ティナ―リアは幼い頃の大切な思い出を胸に、皇太子を一途に想い続けていた。王女として生まれながら家族に疎まれ使用人以下の扱いを受けていた彼女に、初めて笑いかけてくれた人だからーー…。しかし夫となるキースファルトは彼女に「恋人がいる」と冷たく言い放ってーー?人気小説「もう一度会えたなら、いっぱいの笑顔を」がコミカライズで登場!いや…これは、うん。素直に「超名作!」でした。最初に驚いたのは、全頁オールフルカラーだという点。配信文化ならでは!ですね。丁寧に仕上げられ、全4巻のカラー単行本にきっちりまとめ上げられています。出版社としても、かなり気合いの入った企画だったんじゃないかな。国家モノなので、煌びやかな王宮描写から劣悪な環境描写・戦火の描写まで登場する本作…さらに一番重要な見せ場は「花のように微笑む笑顔」という、非常に少女漫画的な繊細さ・華やかさが求められます。黒ベースのヒーロー×銀髪白ベースのヒロインに、シチュエーションに応じた様々な色が追加され、バリエーション豊かな画面が印象付けられています。ただ固定色をのせるだけではなく、少女漫画演出を盛り込んだ上での本編オールフルカラー… 本当に大変だったと思います。そういった意味で(作画的に)非常に意欲作だと感じました。そして脚本。「原作付き」の良さが光っていたといいますか…キャラクターとシナリオが作りこまれていて、素晴らしかったです。聡明美人なのに幸薄で心が美しすぎるヒロインは、とにかく事あるごとに「直面した悪意やフラストレーション」を全部自分に引き寄せて、「これで良い」って浄化しちゃうんですよね。最初は読んでて儚さを感じるというか、すごく庇護欲を刺激してくるキャラ設定なんですが…もう最後まで徹底して「こう」なので、だんだん強さ&逞しさすら感じました。クライマックス、ヒーロー(国王)&バルディンの国民の「王妃取り返すぞウォォオオァ‼」ってテンションに、すごく説得力があったんですよね。素晴らしかったです。ヒーローは、クズです。やることなすこと女の敵です ハイ。ただ生い立ちや立場に「それは心を許せないよね」という作りこみ設定があり、リアリティがありました。ずっとヒロインに心惹かれながらも、心に鍵をかけて&周囲の目を気にして気の無いふりをして…だからこそ、4巻の感情の爆発・行動力に爽快感がありました。キャラもよく練りこまれていて、無駄が無いというか…いや結構 複雑&ややこしい設定で、ひねくれた愛憎が描かれてるんですけど、すごくスマートに頭に入ってくるんですよ。4巻とか「おお、このキャラここで活きてくるのか!」という感じで。脚本力が光ってました。原作付きの漫画の何が良いってここだよね!ーと。いやぁ良い作品を読みました。最近本当に新しい作品に向き合えていないですが…世の中には傑作がたくさんありますね。これからもアンテナ張っていきたいですね!by妹
2026.03.22
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「暁のヨナ」について―いち読者の見解花とゆめ2026年2号で、16年超に渡り連載されていた「暁のヨナ」が完結しました!ただし今後、2/20発売の花とゆめ6号より「外伝」がスタートする予定です。おそらく、こちらの外伝まで含めて“真の最終回”にたどり着くのではないかな、と思っています。第1話掲載から追い続けて来て、アニメ化もその他メディア化もリアルタイムでずっと見て来て、本ブログに狂ったように感想記事も書いて来ました。暁のヨナに関しては、コミック一桁台…四龍集めをやっている段階から、私たちの中では「こういう構造のお話なんだろうな」とずっと思って読んで来ていた筋道…というか、骨格構造がありました。「暁のヨナ」とは、“これ”を描いている物語である!という定義みたいなものですね。それをここで思いっきり吐き出そうと思います。外伝がどのような形で描かれるのか分からないので、本当はすべて読んだ後に書き出そうかな…とも思いましたが、読み切った後だとぐるぐる考えて素直に吐き出せなくなるかもしれませんので。このタイミングで一旦きれいさっぱり書き出した上で、最終(になるかもしれない)外伝を迎え入れたいと思います。*以下、作者様/編集部様/その他メディア主体には一切関係のない、いち読者が勝手に捉えていた「暁のヨナ」の骨格構造・定義の話です。原作本編においては16年超の長期連載中、メディア化に伴い作品規模/鑑賞者規模が拡大する中で、特に20巻台以降、私たちが思い描いていた骨格からは明確に外れた要素や描写がなされている部分があります。当然、草凪先生が描かれる「『原作』がすべて」です。以下、私の癖で断定的な書き方をしていますが、語尾に「…と私は思って読んでました。」をつけて読んでいただき、あくまで10巻台くらいまでの初期情報をもとにしたパラレルの骨格として「こんな筋道を見出して読んでた読者もいるのか~」くらいに受け取っていただければと思います。■「暁のヨナ」の定義について暁のヨナとは…"国政トップに持ち上げるべき超優秀な人材(ヒーロー)が、不条理(嫉妬感情のもつれ)に失脚・追放されたこと”に激怒したヒロインが、何故か伝説の兵力(四龍)を使うことが出来たため、使えるものはすべて使って、「世界」をひっくり返すために奮闘する物語である。王になるべきヒーローが追われるところから始まる物語は、草凪先生の連載2作目「夢幻スパイラル」(2004年~)の話筋でした。こちらは単行本全2巻で、物語自体は終結という状態にたどり着かないまま終了しました(打ち切り)。「暁のヨナ」(2009年~)は、前作「NGライフ」(2006年~全9巻)の中規模ヒット作を生み出した草凪先生&花ゆめ編集部が、次期花ゆめエース作を念頭に立ち上げた、生粋の花とゆめイズムに則ったファンタジー作品であり、立ち上げの際のベースとして草凪先生の過去作「夢幻スパイラル」を敷いた…「"王になるべくヒーロー"に全身全霊を尽くすヒロイン(ヒロインが頑張る生粋の少女漫画)を描く物語」として構想をスタートさせたのだろうな、と思っています。■高華国の『王』職に関するロジック・3条件について高華国は、四方を敵国に囲まれている、建国神話(四龍伝説)を踏襲してきた五部族体制で運営している、それらが約2000年の時を経て体制自体形骸化している…等、やたらと小難しい設定で形成されています。これら高華国の設定すべてが、『王』職に関するロジックを形成するために全部作られている、と認識して、私はここまで暁のヨナを読み進めてきました。以下の記事に、これらの考え方を綴っています。・その1・地理、体制、武力主義・その2・血の制約と血統・その3・体制と権力の不一致・その4・血の制約の補強、形骸化・総括:高華国の『王職』に関するロジックについて要約すると、高華国「王」職に適した人材の条件は、下記3条件です。①(数えるほどしかいない)王族 *必須条件*②他部族長(将軍)たちを凌ぎ、黙らせることができる高華国随一の武人 *歓迎条件*③全体を見渡した調整力がある、他者を尊重できる人徳者 *必須条件* ※高華国王職の実職務は、“五部族間調整”上記3条件について、特に①と②は相容れない条件であり、基本的に全3条件をパーフェクトに満たす人材は輩出不可能です。そもそも、②の武力能力面については、本来的にはあくまで“歓迎条件”であるはずのものであり、王職の実職務である③五部族間調整とは直接関係しない能力です。②の条件が求められ始めた背景には、高華国体制の前提に敷いていた「四龍伝説」が2000年の時を経て経年劣化していていた、という状況が見て取れます。その上でユホン様登場を機に、バランスが激変した…②武力能力面が他部族長たち&国家全体の風土として、「一番」強く求められる状況になりました。国の風土感として、②歓迎条件の方が、①・③の必須条件より強く求められてるんです。「王職難化」の行き着いた末期状態であり、基本的には「現行体制の維持は無理になった」状態だと思います。では、この状態で何をすべきか。⇒普通に考えたら、「王職の条件を削る」ことだと思います。…どの条件を削れるか?条件③調整力:王職の実職務である「五部族間調整」に必須の最重要能力です。削れません。条件②武力:本来的には歓迎条件なのですが、国の風土として強く求められている状態です。人心の観点から削れません。条件①王家の血筋:「王職を王族が継ぐ」は、現行の政治体制が「緋龍王を中心とした四龍伝説」を踏襲している前提だからこそ存在した条件です。四龍伝説が効力切れを起こしており、神官職も排斥された中においては、構成員たちの意識内でも条件②よりも軽んじられています。そもそも2000年の間に政権交代が幾たびかあり、「現在の王族は緋龍王の血を継いでない」とされているので、実質の前提はとっくに崩れている条件です。⇒この条件を重要視するインセンティブは「王族の利権維持」くらいしかなく、現在の王族が王職に固執しない限り、削ることが可能な条件です。■イル王の意図・ハク様の立ち位置についてまず、第1話時点でイル王がやろうとしていたことは、上述の通り条件①を削ること…王族縛りの王選定を辞めることだと思っています。イル王は第1話時点で、次期国王にハク様を想定していました。第1話においてイル王は「ヨナ姫の夫となる者は、この国の王となる者」と言っています。つまり…ヨナ姫の婚約者としてハク様を考えていた…現行の王職の条件①王族の血筋を、妻となるヨナ姫が補完したように見せつつ、実質は「王族血統外の人材からの王職登用」となる形を画策していたものと考えています。ハク様の第1話時点の立ち位置が謎過ぎるんですよ。何故「風の部族長」の青年が、自部族を離れて、「空の部族のお姫様」の護衛として城で過ごしているのか。他の部族長たちには、緋龍城に登って王族の護衛をやる慣習なんてない中で、ハク様だけ最年少で風の部族長登用⇒即日緋龍城でヨナ姫の護衛をスタートしている。…どう考えても動きがおかしいんです。この辺は過去記事(第1話・悪魔の導入部について)でも語っていますが、第1話だからこそできた魔術的導入だと思ってます。普通に観たら、第1話時点のハク様が、ただの「姫の護衛」なわけがない。・史上最年少の15歳で風の部族長/将軍に登用されたスーパーエリート・五部族会議の議決権を保有する、国で5指に入る権力者・風の部族長/将軍登用と同時に、緋龍城で年齢の近いお姫様(一人娘)の護衛⇒年頃の姫の近くに置いておきたいイケメンエリート青年なんて、婚約者(or婚約者候補)に決まってる ※19巻の番外編「今日はおやすみ」では、姫の寝室で過ごしていてもお咎めなし。普通におかしい⇒ハク様は、史上最年少で風の部族長に登用したと同時に、「姫の護衛」の名目で緋龍城に上げて、間近で王職実務に触れさせていた次期国王(第一有力)候補である。上記画策については、イル王が主体だと思いますが、当然風の部族・ムンドク将軍もその意図は理解していたものと考えています。ハク様自身は、次期国王は当然「王族唯一の男児であるスウォン様」と考えていました。自分が城に上がることについては、風の部族の姿勢として、今後も空の部族を立てるつもりであることの対他部族への強烈なアピールにもなりますので、そこに意義を見出していた…また、将来的にはスウォン様を国王として支えていきたいと考えていましたので、ハク様個人として、先んじて空の部族内での人脈形成をしておくことも必要と考え、10代後半・普通なら一番遊びたくなる時期に、緋龍城(他部族内)で大人しく過ごすことに専念していたものと考えられます。⇒ハク様自身に、「次期国王(第一有力)候補」であるという自覚はなし。■空の部族⇒風の部族への王権移管について上記の通り、イル王の画策していた「王職にハク様を登用」する案について、第1話時点の高華国王職の置かれた状況を考えれば、妥当策だな、と思います。ただ実際にイル王の立場で考えると、これはかなりチャレンジングな計画です。風の部族長であるハク様と、空の部族(現王族)のヨナ姫の婚姻により、ハク様が王職に登る…これは、現行の空の部族から風の部族への「王権移管」も念頭に置いているものである可能性が高いと考えられます。…イル王自身は、現在「空の部族長」なんです。・空の部族内部はいまだユホン様に傾倒した人材ばかりであり、イル王は空の部族内で協力体制を築けず、ほぼ孤立状態だった・風の部族は、ジュナム王時代・ユホン様存命時の戦争(対真国)で働き盛り世代の大多数を失う痛手を負っている。その経緯もあり、伝説級の武人であるムンドク将軍も「可能な限り平和主義(争いを起こさないに越したことはない)」思想であり、その上で10代の若者たちは、ハク様を中心に武力を重んじながらも平和主義の思想の流れを汲む優秀人材が育ちつつある状態である。…この状況で、イル王が「風の部族への王権移管」を推進したくなるのは…まぁ分からなくもない。ですが当然、空の部族内部からの大反発が予想されます。空の部族内部の人間からしたら、そもそも不満のあった自部族の長(イル王)が、自分たちの存在を軽んじて、わざわざ進んで他部族に王権移管を進めているという状況ですので、面白いわけがない。そもそも空の部族・王族には、スウォン様という人材が居るんです。3条件のうち、①血統、③調整力は問題なく満たし、子どもの頃から地頭の良さで周囲に一目置かれる存在。②武力面については「他部族長たちに勝る」とは言えないかもしれませんがきちんと嗜んでおり、また武力ベクトル志向の将軍たちが目下尊敬するユホン様の唯一の実子であるというスーパーアドバンテージを持っています。王職が非常に難化している現状ではありますが、極少の王族内でスウォン様のような優秀人材が生まれたこと自体が奇跡的な状況なんです。…イル王は第1話時点で、明確に「(次期国王に)スウォンはダメだ」と発言しています。イル王が、わざわざ自部族内の大反発を覚悟の上で「王族外への王位継承」を進めるのは、高華国の王職が難化している背景も当然ありますが、それとは別の事情…「スウォン様にはどうしても次期王位を継がせたくない」意図があったと考えられます。■親世代の出来事の真相について親世代の出来事について、第1巻時点で明言されている情報は「すべて正しい」という前提で話します。<明言情報>・イル王は幼少期よりスウォン様を可愛がっており、スウォン様もイル王が好きだった・周囲は次期国王は当然ユホン様であると考えていたが、ジュナム王は次期国王に弟・イルを選定・イル王即位後もユホン様は王座に固執することなく弟を支えようとしていた・イル王即位直後、皇后(イル王妻・ヨナ姫母)が賊に襲われ殺された・皇后死去直後、第4話「遠い空」エピソード。この時点ではユホン/イル兄弟間に確執の空気感は感じられず、子どもたち世代も仲良くしている*当該エピソード時、ユホン様は奥方・ヨンヒ様(スウォン母)の体調が芳しくないことを述べている・ユホン様死去。イル王が剣で刺して殺害した。ここまでの情報を眺めて…まぁ、王座を巡って血みどろのなんやかんやがあったことは想像できます。国王選定について、周囲の誰もが「ユホン様」と思っていたところ、「弟のイル」が選出された…ただしこの事象に対し、本人たち(ユホン様&イル王)はその采配を納得しており、それぞれの役割を担うつもりだった。⇒国王選定について、「皇后殺害」というアクションを最初に起こしたのは本人たちではなく、おそらく「ユホン様びいきの他の誰か(犯人)」の仕業である可能性が非常に高い。■皇后殺害の意義についてイル王即位直後、皇后が賊に襲われて殺害されています。ユホン様を王に即位させたいのであれば、普通に考えれば殺害すべきは「イル王本人」のはずです。皇后を殺害したところでイル王自身が国王職を辞すとは考えにくく(実際に辞職することはなかった)、直接的にユホン様即位につながるとは思えない。しかし、犯人は賊を差し向けてピンポイントで皇后のみを殺害しています。…犯人の目的は何か?イル王就任の時点で、直系王族は下記4名です。ユホン様、ユホン様の息子のスウォン様、イル王、イル王の娘のヨナ姫。第1話で、イル王が「ヨナ姫の夫が次期国王」と話していること、それを周囲も不自然さを感じずに聞いている点からも、基本的には「王職には“男性”が就任するもの」と考えられていることが見て取れます。つまりこの時点で、国王がユホン様だろうがイル王だろうが、子ども世代の王族の血筋の男児はスウォン様1人であるため、基本的にはスウォン様が次期国王になるであろうことが想定されます。…ただし、直系王族の“男児”は今後増える可能性がある。この先、もしイル王/皇后夫妻に男児(ヨナ姫の弟)が生まれた場合です。ジュナム王が後継にイル王を指名したように、国王が次期国王を指名する形が一般的なのであれば、イル王直系の男児が居れば、イル王は次期国王にその男児を指名する可能性が極めて高いものと考えられます。皇后殺害の主目的は、「王族“男児”をスウォン様以外に増やさないこと」…そして、王族同士であるヨナ姫とスウォン様の婚姻により、スウォン様がスムーズに次期国王となるであろう状況を維持すること。…つまり「ユホン様を国王にすること」ではなく、「スウォン様を確実に次期国王にすること」であったと考えられます。本作の第1巻時点の登場人物の中で、誰がこの思考回路で行動を起こすかって…ヨンヒ様(ユホン様奥方・スウォン様母)でしょう。普通に。草凪先生の過去作『ゲーム×ラッシュ』では、主人公の母親・朝霞深雪さんが登場します。DV夫を殺して心を病み、主人公とは別の子どもを“自分の子”として育てていた、美しく薄倖&狂気の女性。私&妹の間では、ヨンヒ様はずっとこの朝霞深雪さんのイメージ像(愛情深さ故に純粋に狂気の行動をとれてしまう女性)を想像していました。ただ30巻台まで読み進めて、ヨンヒ様はただの狂気の女性ではなく、彼女の動機もしっかり作り込まれていたことが分かりました。ヨンヒ様は「(現在は政権を追われた)緋龍王の末裔一族出身」の女性です。本来であれば、緋龍王の血をつなぐ一族が王族として回帰することは「高華国のあり方」として正しい形です。3巻のユン君の語りを読む限り、その昔に彼女の一族を排斥したのは(強い自己権力を求める)神官たちだったと考えられます。そもそも神官職は「王族(緋龍王の子孫たち)」を補佐することを目的として、初代神官・ゼノさんが設定した役職です。緋龍王直系王族を排斥してる時点で、役職の存在意義が「本末転倒」な状態になっています。こうした経緯があり、ユホン様×ヨンヒ様の婚姻話が持ち上がった際に神官たちが大反対したと考えられます(そもそも自分たちが追い出した一族が再び戻って来るという話であり、神官たちにとっては恐怖事案である)。⇒神官たちの反発を受け、ユホン様は神官弾圧を実行。⇒ジュナム王がこの件を重く受け止め、ユホン様は五部族間調整には不向きの人物と判断。次期国王はイル王とし、ユホン様は空の将軍として弟を支える立場に据え置いたと考えられます。ヨンヒ様が、自身の嫁入りに際し大紛争が巻き起こってもなお覚悟を持って王族に加わったのは、城を追われた後も血をつないで来た一族の長きに渡る苦しみを背負ったうえで、緋龍王直系の血筋を王族に回帰させることに一族の存在意義を見出したこと…また、何よりユホン様のことが大好きだったからだと思います。ヨンヒ様自身はそれほど身体の丈夫な女性ではなくお子さんは男児1人…ユホン様と、緋龍王の末裔である自分との間に生まれたスウォン様が将来王として立つことこそが、彼女の人生で成すべきことの全てと考えていたのだろうと思います。「皇后殺害」というヨンヒ様の常軌を逸した行動は、一族の存在意義が無に帰す失望感、そして何より「ユホン様が次期国王に選ばれなかった状況」に責任を感じた故のものと考えられます。…凄まじい感情の作り込みがしてあることが分かり、度肝を抜かれました!■皇后殺害の真相露呈について皇后殺害、そしてコミック1巻3話「遠い空」よりほどなくして、ユホン様が死去します。表向きは事故死とされていましたが、第2話のスウォン様曰く「イル王がユホン様を殺害した」とのこと。上述してきた皇后殺害の経緯を踏まえた上で、イル王とユホン様間で何かがあったとすれば、ユホン様もしくはイル王が事態の真相(ヨンヒ様の犯行)に気づき、発覚以降の対応の中で「イル王がユホン様を殺害する」状況に至ったと考えられます。イル王が先に事の真相に気づいたとすれば、当然断罪すべきは「ヨンヒ様」です。妻の敵として、いきなり「ユホン様を殺害しよう」とはならないでしょう。おそらくユホン様の方が先に事の真相に気づき、妻を庇って自身の罪にしようとしたか、あるいは自身の命を持って弟に謝罪&妻の免罪や助命をしようとしたか…そのあたりではないかと想像されます■イル王の意志についてイル王は第1話で、「(妻死去後に)後妻を娶る気にはならなかった」と述べています。もし後妻を娶ったとして、再び命の危険にさらされる恐れがある状況であると考えていたことが見て取れます。コミック1巻第1話冒頭のモノローグ:ここは高華王国 そしてかつての私の城 緋龍城は当時 王の他には 世継ぎも 世継ぎを産む皇后も無くただ齢十五の皇女が 大切に大切に育てられていた…作品冒頭でわざわざ提示している「世継ぎも 世継ぎを産む皇后も無く」という記述は非常に重要で、そもそも「世継ぎも 世継ぎを産む皇后も無い」状態なのはただの結果論ではなく、「スウォン様を国王にしたい」一心で「作為的に作られた」状況であったと考えられます。身内間の血みどろ劇で、最愛の妻と唯一の頼れる身内であった実兄を失う大損失を被ったイル王からしてみれば、スウォン様本人には何の罪もないことは分かっていたとしても、このまま「ヨナ姫×スウォン様の婚姻により、スウォン様が次期国王になる」のは「妻殺害犯の思い描いた理想的な筋道」が叶ってしまう状況であり、それだけはどうしても…どうしても許容できないものであったと想像されます。このように、イル王が空の部族内の協力者0の中で、強行的&チャレンジングに次期国王に他部族長(ハク様)を登用しようとしていた背景には、極論は「個人感情」なのですが、経緯が壮絶で「イル王の立場では、そう考えるのも致し方なし」な背景があったと受け取っています。■スウォン様にとっての"王位”について上述してきた親世代の血みどろの惨劇について、スウォン様は事態の概要を知っていたと思っています。そもそも、ハク様が第2話で「(スウォン様は)王位に執着する奴じゃない」と言っている通り、スウォン様自身は「絶対に高華国国王になりたい!」という野心を抱くタイプではありません。しかし、こと親世代の悲劇が既に起こってしまっていた場合…「スウォン様の王位」に関して、母親の大罪と尊敬する父親の命、そして皇后の命と、妻/母を失ったイル王/ヨナ姫の大きな悲しみがかかってしまっています。母を失って泣くヨナ姫をスウォン様は隣で励ましていましたが、後にその原因が“自身の存在”にあったことを知った時、それはもう…大きなショックであっただろうことは想像に難くありません。この状況で、スウォン様が何を考えるか…起こってしまった事態について、今更時を巻き戻して何かを変えることはできません。その上で…・母の動機や、父が命がけで何を守ろうとしたかは痛いほど分かる・しかし、母の大罪自体は全否定するべき事象・何の罪もなく殺された皇后&イル陛下/ヨナ姫への罪滅ぼし…この3点ではないかな、と思います。この3つを総括して進むべき道は…「スウォン様自身が、“誰が見ても望ましい王”となること」と考えたのだろうと思っています。例え状況が今と違い、例えばイル陛下/皇后夫妻に男児が生まれていたとしても、誰が見ても「スウォン様が次期王になることが望ましい」と思うような状況なのであれば、「母の“皇后暗殺”という大罪など不要だった」わけです。これが、母の想いも汲んだ上で、母の大罪自体は全否定すること…今の現状から自分にできる、唯一の罪滅ぼしの方法だったのではないかな、と思います。もちろん親世代のあれやこれやについて、本来的にはスウォン様が背負うべき業ではないんですよ!ただ、幼い頃から聡く周囲の人々の心情に敏感なスウォン様です。…なぜこの事態に至ってしまったのか?を考えると、“自分の存在”が前提にあることが嫌というほど理解できてしまい、責任を感じただろうな、と思います。■スウォン様にとっての“ハク様”について11巻収録の番外編「若葉風」。ラストシーンでスウォン様がハク様にかける下記の言葉がすべてだと思っています。ハクはいつも強くて 頼りになって かっこ良くて それが誇らしくて ハクを見て ハクに近づきたい ハクみたいになりたいって いつもいつも思ってるんです悔しいな こんなに近くにいるのに 少しも届く気がしないハクの全てが 私の目標なんですスウォン様が目指すべき“王位にぴったりの人物像”…誰よりも武芸に秀でており、誰よりも優しい…“皆が憧れる強い人物”…それこそがまさしく“ハク様”だったのだろうと受け取っています。スウォン様は、親世代の悲劇の以前よりハク様に心酔していました。自身の父親・ユホン様のカリスマとしての側面…パッと見の外見も含め“武芸に秀でた”部分。スウォン様自身は持ち合わせていない“ハク様のすべて”が、今の高華国において“王に望まれるべき人物像”を体現したものなのだろうと思います。■ハク様の王職登用についてここで、イル王がもしハク様の王職登用を公にしていた場合のシミュレーションをしてみます。高華国の王位承認は、「五部族会議で、五部族長承認のもと」行われます。第1巻時点の五部族会議の議決権を保有していたのは下記5名。それぞれの“王位”に対する意識もまとめると…・空:イル王…次期国王にハク様を擁立する主体・風:ハク将軍…次期国王に擁立される本人・火:スジン将軍…王座を狙う。優秀な息子を次期国王にしたい野心有・地:グンテ将軍…武力主義。子どもはなく、次期王座を狙う野心はなし・水:ジュンギ将軍…事なかれ主義。子どもは女の子1人であり、次期王座を狙う野心はなしハク様本人が「次期国王となること」を承知している状態と仮定して、上記の五部族会議で「ハク様を次期国王にする」議題を挙げた場合…・空:イル王…擁立主体のため、当然承認・風:ハク将軍…本人。既に承知済の為、承認・火:スジン将軍…自部族が王座を狙っているため、気持ちとしては不承認。しかし説得力のある不承認理由を述べることは至難の業・地:グンテ将軍…(喜んで)承認することが想定される。13歳のハク様に武力大会で負けて以来、気に入っている・水:ジュンギ将軍…承認することが想定される。イル王政権を不安視していたため、武芸に秀でた人材が登用されることに反対する理由なしつまり、火の部族・スジン将軍以外は反対する理由がなく、むしろハク様登用を大いに歓迎する空気感となる可能性が高い。特に、国全体&政治権力の中でもムードメーカー的な地の部族・グンテ将軍の存在感は大きく、ハク様のことを昔から気に入っている彼的には、空⇒風の王権移管は他部族間の話なのですが、大歓迎且つ積極的に応援したくなる事象であると考えられます。この空気感の中で、スジン将軍が「否」を唱えられるかどうか、です。もし「否」を唱えるのであれば、それ相応の理由を述べなければならないわけですが、そもそもの反対の理由は「火の部族が王座を獲りたい」というただの自欲です。若くして他部族長たちにも認められるハク様について「王職に適当でない」理由を述べることは容易ではない。スジン将軍の自慢の長男・キョウガさんと比較したとしても、・武芸では(おそらく)相手にもならず完敗・ハク様には将軍職登用&王位職に間近で触れさせてきた期間が3年あり、10代で既に経歴ばっちり・ハク様はヨナ姫と年も近く、幼少期より非常に仲が良い…と、どの観点を持ち出してもハク様の優位性が際立つだけです。スジン将軍1人でハク様の王位承認を止めるのは、権利的には認められてはいても、実質は不可能な状態であろうこと…つまり、ハク様さえ承知していれば、イル王の思い描くビジョンは五部族会議で歓迎され、大きな障壁なく認められるであろうことが予想される状況だったわけです。■スウォン様の謀反劇の動機についてスウォン様が、イル陛下の意図(ハク様の次期王職登用)をはっきり認識したのは、おそらくハク様が若干15歳で風の部族長&緋龍城に上がることを聞いた時だと認識しています。27巻に収録の番外編1「部族対抗武術大会-今回限り-」で、ハク様がスウォン様と話しているシーンが描写されています。ここでハク様から城へ上がることを報告されたスウォン様は、すぐにイル王の意図に気づいたと思います。このシーンで、スウォン様が試合に負けた直後のテウくんに善戦を称える言葉をかけた際、テウくんが返す言葉…「無理して褒めないで下さい 俺は負けたんです」。この言葉は、スウォン様のまさにこの瞬間の心情を言い当てるような言葉だと思います。イル陛下が次期国王と認める人物として、スウォン様は“ハク様に負けた”んです。ハク様は、スウォン様の思い描く「理想的な“強い”男性」です。誰よりも強くて、それでいて非常に低姿勢且つ誰とでも仲良くなれて…誰よりも優しい。“高華国の王”に求められる条件…②武力と③調整力に特化した人物で、幼少期より憧れて憧れて仕方のない存在です。「国王」に“武力/強い人物像”を求められる状況の中で生きてきた王族として、“次期国王にハク様を”と考えるイル王の気持ちは、スウォン様が一番よく分かります。スウォン様自身も「今の高華国で国王にするなら、ハク様が一番いい」と思ってしまう。現行の五部族会議のメンバーの中で、次期国王候補として誰よりも歓迎されるのはハク様です。グンテ将軍が「自身の上に立つ王」として手放しで歓迎する若者なんて、若干13歳でグンテ将軍自身を負かした経歴を持つハク様しか居ません。…スウォン様は、当然、ハク様に負けたことは悔しい。ただ、スウォン様の一番の苦しみは「ただ負けたこと」ではなく、この状況が「“自分の存在”の積極的な否定」に直結してしまうことだと思っています。先ほどにも語ったように、スウォン様が生まれていなければ、母のヨンヒ様が皇后(ヨナ姫母)を殺害することはありませんでした。この悲劇に対し、スウォン様自身が「誰もに認められる賢王」になることで報いようと懸命に生きていた来たのだと思います。しかし、結果としては「高華国王に適した人物」としてハク様に負けました。「力及ばず、賢王になることで母の罪の否定/悲劇に報いること」は叶わない状態になった…それだけならまだ…「他の形でこの国に貢献していく方法はないか」という思考にたどり着くこともできたかもしれません。ここでもう一つ、大きな問題が発生します。…“ハク様が「スウォン様を差し置いて、自身が国王になること」を嫌がる”でしょう。ハク様は、王族親世代の悲劇やイル王の抱える葛藤のことを知りません。幼少期よりスウォン様が次期国王になると疑わず、将来、国王となったスウォン様を支えたくて日々努力してきたんです。スウォン様を差し置いて、自身が国王になることなど望むわけがない。※ハク様は、スウォン様が高華国王の実務である「調整力」に長けた非常に賢い人物だと認めているが、現在の“将軍たちが王職に武芸の才能を強く求める”王職難化の状況下では苦労するであろうことを直感的に掴んでおり、その部分を自身がフォローに行くことを意図していたと考えられる。またヨナ姫に関しても、第1話時点まで「スウォン大好き!」を前面に出していたのは、ハク様と同様、“スウォン様が次期国王になる”ことを前提とし、その未来が望ましいと考えていたからだ思います。ハクヨナは幼少期より非常に仲が良く、傍から見てもいつも一緒に居てべたべたしているのですが、2人とも「恋愛にする気」はさらさらなく、「将来、スウォン様が立つべき居場所の確保」を常に意識した関係性を保っていました。ハク様もヨナ姫も、スウォン様が次期国王として立つこと、その時には彼を全力で支えるつもりでずっと動いてる。…この2人の思いや努力に、スウォン様は「王としての資質が足りない」ばかりに、応えることが出来ない。ましてや、スウォン様が存在することによって、ハク様が王職に上がることを躊躇ってしまう。王職に最適な奇跡の人材…悪しき&形骸化していた「王族血統の体制」を崩す前提で擁立したとしても周囲を黙らせることができる(武力偏重の連中もハク様を立てられては文句のつけようがない)人材が、王職に上がることを阻害する要因になってしまう。…それが何より辛いし、悔しい。スウォン様のこの自身への失望感と自己存在の否定感が、謀反劇を引き起こす根幹にある感情だと考えています。■高華国の理想的なビジョン(2パターン)考えれば考えるほど辛いのは、もし人間関係/個人感情がこれほどこじれていない状況であれば、王職にスウォン様を立てても、ハク様を立てても、どちらのパターンでも国の運営は上手くいくビジョンしか思い浮かばないことです。A:幼馴染3人のビジョン:スウォン様がヨナ姫と結婚して王として立ち、ハク様が風の将軍として支えるビジョン⇒スウォン様は賢く、王職の実務である調整能力に長けた人物です。そこに、武力面を強力に支えるハク様が付いている…国内外ともに牽制はばっちり効いて、上手くいくB:イル王のビジョン:ハク様がヨナ姫と結婚して王として立ち、スウォン様は空の将軍として国に貢献するビジョン⇒ハク様に対し文句を言う将軍たちはおらず、また賢いスウォン様との協力のもと国運営は上手くいくスウォン様もハク様も、もともとは王職に固執するような気質は持ち合わせておらず、2人とも非常に優秀で、お互いに尊敬し合って立て合える…最高の相性を持った幼馴染です。幼少期より賢いことを認められてきたスウォン様、武芸の天才で、誰に対しても上手く立ち回れるバランス感覚の良いハク様…この2人が協力し合える体制が築ければ、どちらが王職に立っていようが絶対に上手くはずなんです。Aのビジョンはどうしてもイル王が許容できなくて(親世代の血みどろ劇が悲惨過ぎる。愛妻喪失の絶望が大き過ぎる)、Bのビジョンはどうしてもスウォン様が許容できなかった(自己の存在否定+親世代の出来事も全く無意味な悲劇と化す)。…辛い。■謀反劇の筋立てについて第1巻でスウォン様が起こした謀反劇ですが、彼が何をして実際に何が起こったかを書き出すと下記のとおりです。・ヨナ姫の16歳の誕生日の1週間前から緋龍城に滞在・ハク様と乗馬&弓の稽古+ヨナ姫から「ハク様と婚約している(口から出まかせ)」ことを聞き、祝福の言葉を贈る・場内で不審者に追われたヨナ姫を匿う&その場でハク様との婚約は嘘であること、彼女の想い人は自分であることを聞く・ヨナ姫の誕生日パーティーで、ヨナ姫に簪をプレゼント ※その場でハク様からヨナ姫との仲を応援される。ハク様に場内に不審者が居る旨を伝える。・夜、イル王の部屋でイル王を殺害 ⇒目撃したヨナ姫を、空の部族衛兵たちとで追う・ヨナ姫をハク様が助けに来る ⇒ミンスの助けもあり、2人はそのまま城外へ逃れ、風の部族へ・追手は差し向けず、五部族会議を招集 ⇒風の部族はムンドク元将軍を招集 五部族会議でイル王崩御&姫/ハク様行方不明の旨を報告 将軍たちに、次期国王・スウォン様を承認するか迫る ⇒本謀反劇において協力関係である火の部族・スジン将軍はすぐに承認。 地・水も反対意見なく承認。 ⇒スウォン様は、事の概要を悟ったムンドク元将軍に、風の部族の安全を投げかけて脅す・風の部族に戻ったムンドク元将軍が、ハク様/ヨナ姫/風の部族の面々に状況説明・火の部族長次男・カン・テジュンはスウォン様&スジン将軍の指示で川をせきとめる。また、ことを急いて独断で商談を襲わせる。 ⇒ハク様は将軍職を辞して&ヨナ姫を置いて、独り風の部族を去ろうとするが、ヨナ姫がついて行く・またしてもテジュン様が独断でハク様&ヨナ姫を追い詰め、断崖絶壁から突き落とす ⇒スウォン様に報告。2人は一度死んだことになる。・翌日、スウォン様戴冠式この謀反劇をどう捉えるか…なのですが、作品の中では「スウォン様が、イル王殺害及びヨナ姫を城から追い出した」出来事として語られます。これは言い換えると、空の部族内部のスウォン様(旧ユホン)派閥が、イル王及び娘のヨナ姫排斥を行った…あくまで「空の部族内のクーデター」という捉え方です。しかし、普通にこの謀反劇を見れば、ただの「空の部族内部の出来事」ではないことは一目瞭然です。将来系で空の部族を立てようと3年前から城に入りイル王の元で過ごしていた「風の部族長」が、本件のスケープゴートとして失脚してます。スウォン様の動きを見る限り、これは明らかに「最初から想定していた」筋立てです。これまでの記事でも書いて来ましたが、そもそも四方を敵国に囲まれている高華国は五部族制を取らざるを得ない国であり、五部族すべてが個々に強靭である必要があります。各部族のトップは基本的には各部族内で指名/擁立することがほとんどであり、王の部族であったとしても、他部族の体制に干渉する…ましてや攻撃するなど、「高華国王」の立場で賢帝も何もあった話じゃない…『愚の骨頂』この上ない行為です。正直、第1話の段階で、イル王殺害及びヨナ姫追放を行ったとして、空の部族内部で怒る人たちは居ません。むしろ空の部族内の人間たちはほぼ皆共犯です。空の部族内部のクーデター的側面自体には、それほどのリスクはない。普通に考えたら、自部族内の話というより、他部族(風の部族)への攻撃の方がはるかにリスクが高い。だって、あれだけ空の部族に尽くす気満々だった自分たちの長(ハク様)があんなひどい仕打ちを受けたら、風の部族民は普通激怒するでしょう。…ハク様が、スウォン様のハク様へのメッセージ「消えろ」を間違いなく受け取って、光の速さで対応して、事を荒立てないようにしたので分かりづらいですが、本来的には、コミック2巻のタイミングで、早々に空(+火)vs風の高華国内紛争が勃発しても全然おかしくない状況だったんです。「イル王を排除したいから、彼に従うハク様(風の部族長)も追放した」は、思考順序がおかしい。リスクの大小を推し量れない人がやったことならともかく、スウォン様は順序を誤るような人ではありません。…「低リスク」の目的を遂行するために、「高リスク」を伴う策を取るわけがない。何が言いたいかというと、つまり…「高リスク」事案の方が、『本来の目的』です。第1巻のスウォン様が起こした謀反は、「現・風の部族長であり、ヨナ姫の婚約者且つ次期高華国王の最有力候補であるハク様を、表舞台から追い出す」ための謀反です。「空の部族長として五部族会議の議決権を有するイル王を排除」しつつ、その実「イル王殺害の罪も全部ひっくるめてハク様を立場的に追い詰め、彼が風の部族内部をなだめ、自主的に部族を離れる」ように持って行ってる。…後者の方が目的です。■テジュン様の行動(独断)についてスウォン様は、謀反劇の中で終始「ハク様&ヨナ姫を殺さない」ように誘導しています。もちろん、幼馴染の2人を殺したくないという個人感情が根底にあった上で、「ハク様に風の部族をなだめてもらう」筋立てを見出していたからだと思っています。スウォン様が謀反劇で追い出したいのは「ハク様個人」であって、風の部族とは事を荒立てずに今後も仲良くやっていきたいんです。ハク様を殺すより、ハク様本人が部族をなだめて出ていく筋立ての方がはるかに事が上手くまとまります。スウォン様は、ヨナ姫には危害の及んでいない状態で、ムンドク将軍を五部族会議に召集すること&本件に関して空と火の部族が結託していることをハク様が知れば、ハク様は事を荒立てることなく、全て自身がひっかぶって姿をくらますであろうことを想定していました。1話でヨナ姫が出まかせで言う「私にだって縁談くらいあるわ…ハクとか!」というセリフ。よく考えるとこれはすごく重要なセリフで…もしこのセリフの通りだとしたら、スウォン様は謀反劇の中で、イル王だけでなくハク様とヨナ姫も殺さなきゃならないんです。謀反劇がヨナ姫16歳のバースデーに実行されたのは、おそらくここからイル王が"ハク様とヨナ姫の婚姻"に向け広く対外的に動き始めるタイミングと考えたからだと思います。※高華国における女性の結婚可能年齢は、(2009年時点の日本と同じ)16歳なんじゃないですかね…スウォン様的には、「ヨナ姫・ハク様はまだイル王の意図を知らない段階だろう」と考えている。その上で「(追い出す対象である)ハク様が、きっと風の部族をなだめてくれるだろう」ところまで想定して計画を立てているわけで、もし2人が婚約のことを知っているとなると、スウォン様のイル王殺害&ハク様排斥の意図が丸わかりになってしまいます。1話で、ヨナ姫がスウォン様に想いを伝えると同時にハク様との婚約を否定し、また誕生日の宴におけるハク様も“ヨナ姫との婚約を知らない”態度でしたので、スウォン様はそこまで確認した上でようやく2人を「殺さず逃がす」選択ができたのだろうな、と思います。2巻までの展開で、読者には「謀反劇によって“ヨナ姫&従者のハク様”が追いつめられ、谷底に落ちた」ように感じられる描き方がされています。しかしよくよく読めば、謀反劇の中でヨナ姫に執着していた(ヨナ姫を重要視していた)のは、火の部族長が次男・テジュン様(※スウォン様&父スジン様の意図をくみ取れない)だけです。テジュン様は、ミスリード推進を一手に担う奇跡のキャラクターだと思っています。スウォン様的には、折角ハク様&ヨナ姫を生かした状態で謀反劇が完遂できそう…想定通りにハク様が風の部族をなだめ姿をくらましてくれそうなのに、風の部族の闘争心をあおるような過激な攻撃をしたばかりか、執拗に2人を追いかけてを谷底に突き落とすとか…なに超余計&超リスキーなことしてくれてんだ!という流れだったと思っています。■スウォン様の軍国主義政策について国王に就任する段階より、スウォン様は高華国の軍国主義回帰を明確に打ち出しています。表向きには「このままでは高華国は滅びる!」という体ですが…本当にそうか?という話です。周辺諸国の状況について書き出してみると、下記のとおりです。・北戒:千州の豪族 リ・ハザラが力をつけてきており、火の部族と組んで空都に攻め入ろうとしてきた⇒一見高華国が攻撃を受けているように見えるが、そもそも火の部族・スジン将軍の反乱自体、スウォン様の謀反によって誘発されたもの。*参照:高華国内の要素バランスについて徒然スウォン様の謀反劇がなければ、スジン将軍の反乱自体起こらなかった可能性が高く、また当該反乱がなければ、その後のクエルボ侵攻も簡単には起こらなかったと考えられる。・南戒:もともと地の部族で阿波の領主と通じた人身売買、水の部族への麻薬流入等、きな臭い動きが多々あった。⇒本来的には、まずは地/水の部族にて対処すべき問題(部族長たちが仕事できてない)。いち部族で対応しきれない場合は、各部族から調査報告及び依頼をきちんと受けた上で、国として対応に乗り出す必要はあるが、そもそも表向きには南戒(国家)が主体で動いているわけではないため、表立った武力紛争での解決が妥当とは考えにくい案件。もしスウォン様が、地/水部族長たちの動きに不満を持ち、自身が真剣に本件に取り組みたいと考えるのであれば、各部族やハク様を巻き込んで主体的に取り組めばいいだけ(イル王政権下でも動くことはできる。絶対に国王にならなければならない理由はない)。実質の南戒との開戦は、金州奪還という高華国側からのアクションに端を発するもの。スウォン政権にならなければ、戦争自体起こらなかった可能性が高い。・斉国:現王カザグモには力がなく、クヴァ・ホツマ・クシビの王族親類3人が権力を争う内部混乱状態。麻薬の件もあり荒れた高華国・水の部族侵攻を目的とした武装砦の建設を行う。※斉国内への権力アピールの側面が大きい⇒斉国の侵攻スピードや侵攻意欲(現状)は、高華国が脅威とみなす水準には達していないと考えられる。結局大きな戦を起こすことなく、少数精鋭の部隊が砦に乗り込むだけでことは解決している。・真国:17年前の戦で高華国とは国交断絶が続いていた。ユホンの息子・スウォン様が国王として立ち、高華国が軍国主義回帰をしていることに危機感を覚え武装蜂起に向かうものの、開戦派と非戦派で大混乱に陥る。⇒スウォン政権がなければ真国内の混乱自体起こらなかった。超被害者。上記のとおり、国内の反乱や周辺諸国との戦争は、そもそもスウォン様の謀反劇&その後の軍国主義回帰スタンスが引き起こしたものがほとんどであり、イル政権を続けていたとしてすぐに国の存亡にかかわるような外部アクションが起こる状況だったとは考えにくい。万が一脅威となるような外部アクションがあったとして、それに対応する核となるべき人物が「将来系で高華国の武力面を一身に担うであろう“ハク将軍”」だったはずでしょう。「軍国主義回帰」を謳いながら、一方で「協力的な天才武人・ハク様を排斥」するスウォン様の行動は、そもそも最初から突っ込みどころしかありません。スウォン様が国王となった暁には、右腕として武力面をしっかり支えようしていたハク様を排斥⇒ハク様の居ない状態で、スウォン新政権を樹立。⇒そもそも空の部族内におけるスウォン様支持層は、もとはユホン様傾倒の軍国主義大好き集団。他部族長たちの支持を得るためにも、“亡きユホン様の方針を強力に推進するよ”アピールをする必要があった。⇒スウォン様の軍国主義政策は、極論は非常に傍迷惑な「(ハク様が居なくても)ひとりでできるもん!」だと思っています。結局、スウォン政権は周辺諸国にちょっかい出しまくって戦争をやりまくりますが、空の部族幹部たちも各部族長たちもそれはそれは戦下手揃いであり、ハクヨナ&四龍たちが命がけでフォローしまくって(ハク様がたった1人で戦場をもたせたりしていた)、ようやく「善戦」の体裁を整えられることがほとんどでした。…つまり国自体が軍国主義に回帰できるような下準備は全くできていなかったわけで、コミック四十数巻に渡り、ひたすら「ひとりじゃできなかったもん!」を晒し続けただけだったと思っています。スウォン政権軍国主義政策の結果が、周辺諸国の混乱及び緋龍城及び空都(首都)が焼け野原になった47巻現在の状況です。本当にろくでもないですね。■ヨナ姫の怒りについて本記事冒頭の話に戻ります。「暁のヨナ」の物語の根幹にある“ヨナ姫の怒り”とは…国政トップに持ち上げるべき超優秀な人材(ハク様)が、不条理(嫉妬感情のもつれ)に失脚・追放されたことに対する怒りです。ヨナ姫的には、幼い頃より当然、「強くてカッコ良くて優しくて、周囲の人々思いの超優秀なハク様が、スウォン様とともに国の行く末を背負っていく」ものと思っていました。ハク様を追い出しておいて、事が荒立っていなければ“ヨシ”とする世界なんて、そんな世界は大いに間違っているのであって、とにかくハク様がイキイキと生きていけない世界なのであれば、この世界ごとひっくり返そう…くらいの破壊的意気込みで四十数冊の旅を続けて来ています。妹とよく話していたのは、ヨナ姫にとって「“世界”とは“ハク様の背景”のこと」なんだろうね、ということ。ハク様の方がメインですので、ハク様に合ってない背景なら差し替えるしかない。私は、このヨナ姫の徹底的な“ハク様オンリー”の視野の狭さこそ、本作がこの上ない「少女漫画」である部分だと思っています。また、10代の女の子は社会的に力のない存在です。謀反劇を実行したスウォン様/空の部族、そのほか政権周りの権力者たちは、揃ってヨナ姫を“無力な存在”と侮っていました。力がない…だからこそ、手段を選ばぬ怖さがあります。よく分からないけど「伝説の四龍が使える」らしいので、使えるものは全部使いますが、何か?…というなりふり構わぬ強靭メンタルを発揮できるのも、“無力故の強さ”だと思っています。ハク様がイキイキと生きていける場所にたどり着いた暁には、最終的にもらってもらわなくちゃいけないんで。最終目的地「結婚」なので。そこだけがヨナ姫の生きていきたい世界線なんで。…その為にヨナ姫はずっと頑張って来ました。■ハク様について…というわけで、ここまで長々と私たちが「暁のヨナの骨格構造」だと思っていたものについて語って来ました。何が言いたいかといいますと…この漫画の核心は、ハク様です!とにかくハク様を描くために、高華国の設定は全部作ってあると思っています。何故、緋龍王がわざわざ女の子の姿形をして、ヨナ姫として生まれ変わってきたのか。自分が再び王になるだけなら、男性の姿のままで別に良かったはずです。…2000年前の伝説の効力が終わりを迎える混乱期の中で、“ハク様を王に持ち上げるため”ですよ。暁のヨナ本編最終話でも若干匂わせる形にはなっていますが、とにかく作品の骨格として、ハク様が腹をくくってヨナ姫のところに…王職同等のところに登って来てくれないと…すなわち結婚してくれないと、意味がない!様々なややこしい諸設定の意義からしてぐっだぐだになります。過去作を読むとよく分かりますが、草凪先生の描かれる「王様キャラ」は皆、ハク様の外見+性格俺様キャラです。・夢幻スパイラル ヒーロー:温羅(うら)・黒檻姫と渇きの王 ヒーロー:アジュライト王ハク様は、草凪先生が描く典型的な王様キャラ(性格はマイルド)なんです。自ら進んで人の上に立とうとはしませんが、いざやらなきゃならない場面になれば、普通にやります。そもそも彼は10代半ばで風の部族長に指名され(実務は基本ムンドク体制が継続した状態だったと思いますが)、部族内でもカリスマ・ムンドク将軍の後任として、圧倒的な人気・信頼を勝ち得ていました。…お前、やりゃあできるんだろ!知ってるぞ!!最終回のヨナ姫はめっちゃ不満気(ハク様に結婚してもらえなかった)、スウォン様は表情が完全に死んでる(結局何も清算できてない)のに、なに一人だけ「良い結末にたどりつけた!」みたいに満足気な従者ヅラしてるんだ、腹立つ!!とっとと上がって来い!!…ふぅ。ひとまず吐き出したかったことは素直に全部吐き出せたかな?と思います。繰り返しになりますが、上述してきたのはあくまで「いち読者が勝手に捉えていた骨格構造」です。暁のヨナは、コミック一桁台の四龍集めをしている頃は、”伝説の少女を描くザ・ファンタジー少女漫画”の体をしていました。長期連載化を念頭に置いて立ち上げているものの、そうならない場合に備え、10巻前後でまとめることも可能なように、初期は”少女の成長物語”を前面に出して描かれていたんじゃないかな、と思っています。ただ、それだけにしては明らかにおかしな設定が多数見受けられるため、四龍集め編を本誌で追いかけている頃から、私たちふたご内では普通に「暁のヨナとは、ハク様中心の物語だ」と思って読んでました。※冷静に要素分解して読めば、大枠の骨格構造は本当に3巻までの情報だけで構築可能ですので…。しかし、先にも書いた通り、特に20巻台以降は、既に本編中で整合しない描かれ方をしている部分も多々あります。作品規模が「少女漫画の長期連載作」の枠をも超えた大ヒット作となり、世界中にファンが居るからこそのものだと受け取っています。そういった部分も含め、外伝(※)がどのように描かれるのか、とても楽しみにしています!※1回だけではなく、複数回掲載予定なのかな?どのくらいのボリューム感予定なのか分かりませんが…アニメ続編もありますし、「暁のヨナ」まだまだ楽しませていただきますよ~!by姉
2026.02.16
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『新劇場版 銀魂 -吉原大炎上-』観てきました!公開2日目!朝いちで鑑賞してきました。簡単感想です。当ブログ、2008年からほそぼそと続けてきているんですが…最初はひらすら銀魂の感想(by姉)&イラスト(by妹)を投下するブログでした。今回映画としてリメイクされた吉原炎上篇は、ちょうどブログを始めた頃に原作がジャンプに掲載されていました。多分記事もたくさん書きました(…怖いんで読み返してませんが)。銀魂は原作から入り、原作ももちろん追いかけ続けていましたが、ご存じのとおりTVアニメがまた凄くて…!銀魂のTVアニメは、とにかくアニメスタッフ様や声優様たちがノリノリで。空知英秋先生(神)の産み落とした絵コンテ的原作が、どこまでも立体的な映像でアウトプットされてくるので、この話はどんな演出で、どんな映像になるんだろう…!と毎週本当に楽しみに鑑賞してました。(だんだん原作ストックが無くなって来て、ジャンプ掲載から数週間でハイクオリティアニメになって放送されたりしていた)走り続けているうちにスタッフ様たちも、受け取る視聴者たちもだんだん感覚が麻痺して来て、長編シリーズのアクションシーンは、とんでもクオリティで映像化されるのがお約束のようになっていました。吉原炎上篇も、アニメ(3年目)の超円熟期に、既に超高等級クオリティで映像化されています。このシリーズは…派手なアクションシーンで人気の長編ですが、個人的には、特段空知先生の渾身作とは感じていませんでした。空知先生が本当の本当に渾身でアクション長編を描くときや、主要キャラの根幹に触れるような部分に突っ込むような話を描くときは、基本的に「新選組」の史実エピソード(のオマージュ)を基礎に作り始めることが多いです。※紅桜篇は、回天のアボルダージュ作戦をモチーフにしたものと認識してますし、真選組動乱篇は、芹沢鴨と局長襲撃エピをドッキングさせて作ってあると思ってます。なので今回、吉原篇を完全新作アニメで劇場版!と言われた際に…個人的にあまり引っ掛かりのどころのないエピソードなのもあり、最初は「…え?なんで今更?コレを?」という感情が先に来ました。…いや、せっかく映画を作ってくださったのであれば、当然見に行きますけども!!原作完結6年、『THE FINAL』の映画からも5年…銀魂のノリにも久しく触れていないので、どうかな?今でもあのノリについていけるかな…?と少しドキドキしながら劇場に向かいました。…まじまじと鑑賞して…すっっっっごく良かったです!なんだろう…すごく自然に、久しぶりに銀魂を大満喫できたというか。銀魂の劇場版はこれまで3作制作されていて、今回が4作目になります。どの作品もやろうとしていることが違って、それぞれに見どころがあって面白いのですが、今回の作品はとにかくひたすらアクションシーン!に絞り切っていました。真選組や桂さん等、原作中には登場していなかったキャラクターたちも登場させつつ、本筋はほぼほぼ原作通りを大真面目に改めて映像化する作りに徹していて、結構驚きました。スタッフ様が、現在使える最新技術もふんだんに使って、改めて1シーン1シーンを心を込めて映像化されていて、知っている話筋ですが、すごく新鮮に感じることができました。アクションシーンのクオリティの高さはもとより、一人ひとりのキャラクターの動きと表情のしっくり感が凄いんです。スタッフ様が本当に一人ひとり、ゲストキャラ/脇キャラに至るまで、心底魅力的だ!と思いながら描かれてるのが伝わってくるし、声優様たちの演技も魂がこもってました。(私がもともと井上喜久子さん&三瓶由布子さんのファンなのもあります…私得キャスティング過ぎた///)…うん。理不尽の蔓延するアングラな世界でも、皆一生懸命生きてて、愛し合って、尊敬し合って、お互いがお互いを護り合ってるよ!ED楽曲・♪燦然も素晴らしかったです!歌詞が染みる…!ずーっと吉原の薄暗いアングラな世界での闘いが続いて、だからこその本当に映えるラストシーン。基本原作通りなのですが、すべてが良質で、「良いもん観た…!!」という感慨に浸りながら帰路につきました。上手く感想書けませんが、感動しました。パワーがあった!登場キャラクター全員がカッコ良かった!!とてもとても良かったです!!今日は一人で鑑賞しましたが、また来週、妹と行く計画を立ててます。楽しみ♪by姉
2026.02.14
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アクリルグッズ作ってみました(その6)記事です。今回は『アン・シャーリー』のアン&ギルバートのアクスタです!「赤毛のアン」時代の幼少期と、「アンの愛情」の青年期。成長を感じさせるデザインが秀逸だと思ってます!相変わらずデッサン力皆無ですが…2組を並べたかったので、力の限り頑張って描きました!自分のためだけの超自己満足グッズなので、1個だけ制作。瞳とりんごの部分だけグロスがかかって艶があります~。とりあえず満足!ふたご内での「赤毛のアン」フィーバーは地味に続いてます!アニメ『アン・シャーリー』&赤毛のアン シリーズにハマる⇒「チェリーパイってどんなもんや」と興味を持つ⇒作るのは早々に諦めて、お取り寄せ🍒中身スポンジケーキだったので、多分本の中のとは別物だとは思うのですが…とても美味しかったので良かったです✨by妹
2026.02.08
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お絵描き用に、ずっと気になっていた参考資料&デッサン人形を購入しました!『クリエイターのための花図鑑』マール社「花びらの形がわからない……。」、「どんな風に葉がついている?」、「花をモチーフにした作品を作りたいけど、どんな花がいいかな」など、花をモチーフにした創作に対して、悩み・疑問を抱えている方に向けた1冊!本書は、花のキリヌキ写真を中心に、際に咲いている花の様子を豊富に収録した創作のための写真資料集です。少女漫画で育ったからでしょうか…私は絵を描く際、結構な頻度で花を散らしたくなる性分です。今まで画像検索からふわっとした資料を探すことしかしてこなかったのですが、これは良い‼とポチリ。開花時期とサイズ感が掲載されているところが素晴らしいです❤『1/6 東亜重工製 合成人間(第五次生産)』1000toysの代表作ともいうべき東亜重工1/6合成人間の第五次生産版! 弐瓶勉氏独特のデザインを忠実に再現すると同時に、1/6スケールフィギュアならではの広い可動域により、迫力のあるポージングが楽しめる高いプレイバリューを誇るアイテムとなっています。 元々はこういったキャラクターの可動フィギュアなのだと思いますが、絵描き界隈では「優秀なデッサン人形」として大人気のシリーズです。ずっと憧れていたのですが、中古品もプレミア価格になっており、なかなか手が出せませんでした。この度、大きいサイズの1/6スケールの方が再販されるとのことで、思い切って予約していました。※これの他に、小さいサイズ1/12スケールのものがあります。めっちゃ動く‼ ポーズとらせるの…楽しい!正座出来る!凄いです!1/6スケール、大きすぎるかなぁ…と心配していましたが、全身だけでなく部分部分の細かい所までしっかり見れるので、このサイズで良かったのかも。…ふう。今 若干… 写真撮って、記事をアップして満足しちゃってますが…いやいや。ちゃんと活用していかないと!ですね‼追記:参考にして描いてみました!by妹
2026.01.31
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第1話・黒魔女ルーナ、第2話・運命の人を鑑賞しました。超簡単感想です!TVアニメ「シャンピニオンの魔女」(TBS/久保洋祐監督/颱風グラフィックス×Qzil.la)アニメ公式・イントロダクション↓黒い森の奥深く、毒キノコのお家にひっそりと、ルーナという一人の魔女が住んでいました。彼女が触れたり歩いたりしたところには毒キノコが生えることが多く、吐く息や皮膚には毒が混じっています。街の人達は彼女を“シャンピニオンの魔女”と呼びました。黒魔女として恐れられている彼女に、近づく者は誰一人いません。ルーナは今日も薬を売るために街へと向かいます。彼女の薬は万能薬として大人気で、手にした人はみな口をそろえて感謝の言葉を述べます。しかし、みな誰が薬を作っているか知りません。それでもルーナは、今日も薬を作り続けます。そんなある日のこと。人の温もりを知らない孤独なルーナに、夢のような出会いが訪れて……。恋と冒険と感動の魔法ファンタジーが、いま幕を開ける!─これは、心優しい黒魔女・ルーナとそれを取り巻く人々の、それぞれの愛の物語。もともと原作をずっと追いかけていた本作。→第1巻発売時の感想どのように映像化されるのか、楽しみにしていました!第1話・黒魔女ルーナ、第2話・運命の人を鑑賞して…いやぁ…良いです!!すごく良いです!!原作・樋口橘先生の独特~な世界観やテンポに絶対的なリスペクトを持って、忠実に映像化しよう!と意気込んで制作されていることがよく分かります。樋口橘先生の代表作「学園アリス」の2004年のTVアニメ化(NHK)もリアルタイムで見ていましたが、主人公たちが小学生である点もあり、原作よりもかなり子供向けの可愛らしい作風にした映像化でした。学アリが当時、純・少女向けアニメとして企画されたのは納得できましたし、絵柄自体もすごく可愛いアニメだったので、あれはあれで良かったのですが…ただやはり、原作の独特な繊細さ・おしゃれさ・ダークさは薄味にならざるを得なかったので、原作の持ち味を前面に出した映像化も観てみたかったな~…という思いはありました。今回の「シャンピニオンの魔女」は、ぬるぬる動くハイクオリティアニメーション!というより、1カット1カットの説得力が非常にある、絵本のような印象です。ルーナちゃんのはにかんだ可愛らしい表情や、アンリくんの魅力的な笑顔等、パワーを感じる作画で物語を回してくださるので、きちんと主人公たちの感情について行きながら鑑賞できました。すごく…良いです!2話のラストではいよいよリゼくんの登場!ですね。個人的には、番外編「猫の森には帰れない」が大好きなので、是非是非情緒たっぷりに映像化して欲しいところなのですが…どうでしょうか?今後の展開も楽しみにしています♪映像が対になっているOP・EDも雰囲気があって良きです!♪OP・魔法使いの日記 ロス♪ED・君は Ms.OOJA妹が以前描いたファンアートです🍄↓by姉、イラストby妹
2026.01.17
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岐阜城に行ってきました。+2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」について写真ログです。年明け、うっすら雪景色の岐阜城に行ってきました。2026年…今年の大河ドラマは「豊臣兄弟!」ですね。先週放送の第1話…見ました。*豊臣兄弟!5分PR映像*豊臣兄弟!OP映像 *豊臣兄弟!OP楽曲*大河ドラマ・歴代秀吉30年前…1996年の大河ドラマ・竹中直人さん主演の「秀吉」で初めて大河ドラマを鑑賞して、戦国浪漫&成り上がりモノにテンション爆上げしていた小学生女児でした。図書館の戦国モノの本を完読し、エレクトーンで大好きな秀吉のOP楽曲をノリノリで弾いて…学校では先生たちにも秀吉好きを認知されていたようで「そんなに好きなら…こんなのやるみたいだよ」と岐阜城のふもとにある岐阜市歴史資料館で開催される秀吉の企画展のチラシをもらい、両親にせがんで連れて来てもらったんですよね…。「豊臣兄弟!」は兄弟が信長に仕え始めるところ(桶狭間1560の少し前)から~を描くようで、96年の大河ドラマ「秀吉」と年代的にもほぼ同じ部分を描く物語になると思っています。ここからそこそこの間は美濃攻めがお話の大きな核として描かれることでしょう。岐阜城(旧・稲葉山城)もたくさん出てくると思います。やっぱりやっぱり…ここが一番好き~~!!人たらしの才&常人ならざる変わり身の怖さを併せ持つ兄・秀吉と、お金大好き&人間同士の利害を操り、マネジメントスキルの高さを見せる弟・秀長…お金…お金の話はいいですよ。小学生にとっては、お金の話って憧れの対象なんですよ!小学生って自分でお金を稼ぐ術がないので、お金稼ぐために頑張って仕事する!ってそれだけでわくわくするじゃないですか(私限定か?)。「秀吉」でも「褒美は○○貫!」とかお金の話が出てくるとすっごくわくわくしました。脱線↓プリキュアとか、そろそろお金モチーフが出て来てもいいと思ってるんですけど…「一攫千金!プリキュア」とか、「キュアマネー」とか…ダメ?子どもたちの心わしづかみだと思うんですけど…。「豊臣兄弟!」…この先の展開も楽しみにしてます!(お金の話をたくさんしてくれると私が喜びます)到着後、まずはロープウェイで山頂&天守閣へ!ロープウェイから見える史跡・信長居城跡の”千畳敷”…わくわくします。天守入り口にある時計。十二支好きに刺さる文字盤。これぞ岐阜城の「高さ」!絶景です。天守の中は諸々資料が展示してあります。天守の下、崖になっている部分。このえぐれ部分が岐阜城のアイデンティティの一つと思ってます。天守を下ると岐阜城資料館があります。城に関する書物的なものの展示かと思いきや、超ハイクオリティの信長公像&斎藤道三像&大河ドラマで使用した衣装展示等がありました。こちらは斎藤道三像。間近で見てもあまりに精巧な作りでした。凄かった。山の上にはリス村があります。博覧会?で来た台湾リスが脱走&繁殖したため、集めて作ったそう。有料でエサやりが出来ます。朝いちだったので、お腹を空かせたリスたちが手の平に登って来て食べてくれました。映え用“金華山チュロス”!山麓まで下って来ました。山麓(ロープウェイ乗り場のすぐ奥)には、信長居城跡があります。大きな岩に、2本の滝を流して、来賓用の豪華絢爛な屋敷&庭があったとのこと。イメージ像はこんな感じみたいです。この信長居城は、漫画「センゴク」にも大々的に登場してました。何の説明もなされてないけど、わざわざ囲いをして見せてる石垣…戦国・信長時代(もしくはそれ以前?)の石垣ということかな?何の説明もないからよく分かりませんが…。山麓には、2025年オープンの岐阜城楽市があります。今回の訪問は、こちらを見てみたかった気持ちも大きかった。お土産屋さん・飲食店がメインです。今回はうどん&五平餅を食べました。うどん、モチモチで美味しかった。山麓のお寺・金鳳山正法寺に日本三大仏(諸説有り)の一つ、岐阜大仏があると聞き伺いました。(最近お堂が改修されて、大々的に宣伝し始めたんじゃないかな。今までこの大仏様のことを全然知らなかった…)大きい!想像以上のド迫力!穏やかに微笑みながら右手で「OK!」ってしてて、すべてを肯定してくれそうな大仏様でした。江戸時代・1700年代終盤~1800年代にかけて作られた大仏様だそうです。少しかがんだような姿勢なので、目の前に立つとと覗き込まれているような…なまじ孫悟空の気持ちを体感できました。久々の岐阜城、楽しかったです!今年は大河影響でたくさん人が訪れそうですね。また来たいです!※しかし何故か金華山麓の「岐阜市歴史博物館」は2026年秋ごろまでリニューアル工事中です…。by姉
2026.01.11
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「青い城」 (The Blue Castle)(1926年 ルーシー・モード・モンゴメリ/著谷口由美子/訳 角川文庫※元は1980年 篠崎書林より刊行)(角川文庫/背面あらすじ)貧しい家庭でさびしい日々を送る内気な独身女、ヴァランシーに、以前受診していた医者から手紙が届く。そこには彼女の心臓が危機的状況にあり、余命1年と書かれていた…。悔いのない人生を送ろうと決意した彼女がとった、とんでもない行動とは!?ピリッと辛口のユーモアで彩られた、周到な伏線とどんでん返し。すべての夢見る女性に贈る、心温まる究極のハッピー・エンディング・ストーリー。幻の名作がついに文庫化!*以下、備忘の為にキャラクター概要・展開の説明をたくさん記載しています。結末までしっかりネタバレを含みます。未読の方はお気を付けください*(登場人物)・ヴァランシー・スターリング29歳の女性。親族の中で「結婚できない独身高齢女性(オールドミス)」扱いされている。心の中で理想郷(青い城)を思い描きながらも、小言の多い母親や伯父伯母の目線を常に気にしておどおどして生きてきたが、余命1年を宣告されたことを機に態度を一変させ、やりたいことに全力を尽くし、悔いのない人生を生き始める。・フレデリック・スターリング夫人ヴァランシーの母。夫を早くに亡くし一人娘を育てた。娘の反抗を許さず、規則で縛り付ける。・ベンジャミンおじ子どものない金持ちのおじ。彼の遺産が入らないと将来が不安視されるため、ヴァランシーは彼の心象を害することが出来なかった。・オリーブスターリング一族の中でもアイドル扱いされる美人。同世代であるヴァランシーは、常に彼女に劣等意識を感じながら生きてきた。・ジョン・フォスター数年前から有名になったカナダの作家。小説ではなく、自然や動物の描写で人気を博しており、ヴァランシーはこの作家の大ファン。・バーニィ・スネイスミスタ・ウィスの島の奥に住み着いた素性不明の男性。おんぼろの車・グレイ・スロッソンを乗り回し、周囲からは前科持ちと噂されている。アベルと仲が良く、彼の家によく出入りしている。・がなりやアベル70歳の老人。よく酔っぱらっており、隣人たちには煙たがられている。・セシリア・ゲイ(シシィ)アベルの一人娘。ヴァランシーより3つ下で学校ではよく見知っていた。ホテルのウェイトレスとして働きに出た後に未婚のまま妊娠・出産。産んだ子どもは1年で亡くなり、彼女自身も病で床に臥せている。彼女の世話をするため、ヴァランシーは家を出てアベル宅で家政婦として働き始める。(作品概要)1925年のエミリーシリーズ2作目「エミリーはのぼる」と、1927年のシリーズ3作目「エミリーの求めるもの」との間に公表された、1冊読み切り小説。余命1年を宣告された29歳の女性が、心のままに生き始める物語。印象としては、ザ・モンゴメリ作品!!女性の生き方をメインに描かれるモンゴメリさんの作品には、長編/短編問わず「結婚」が物語の大きなテーマとして登場しますが、まさしく「結婚に踏み出す女性の心情構成」を核に据えて、すべてを構築した物語という認識です。本作執筆の意義として、下記点だろうなと思って読み進めました。①エミリーシリーズ執筆中の閑話休題アンシリーズも、2作目「青春」公表と3作目「愛情」公表の間が6年間開いており、この間に従来書き溜めていた作品の再編/公表と、「ストーリ・ガール」シリーズ執筆を行っているようです。エミリーシリーズにおいても、2作目「のぼる」執筆後に、一度キャラクターたちと距離を置いて、別作品/別キャラクターたちを自由気ままに動かし、感情の筋道を模索してみて、その上で、エミリーシリーズのキャラクターたちの人生に再び立ち戻るというプロセスを経ているのだろうな、と感じます。あとは後述の②にもかかって来ますが、本作の主人公・ヴァランシーさんの生き方は、エミリーシリーズにおけるエミリーちゃんの母親の生き方(超保守的な伝統家系内で大反対されるも、家を飛び出してフリーライターと結婚)と被る部分が大きいです。エミリーシリーズの感想でも書いて来ましたが、母親の生き方はエミリーちゃんの潜在的な気質として存在しているものだと思っていますので、そこの土台作りを本作・青い城でしっかりやっていたのかな、と受け取っています。②女性主体/女性自身の為の結婚に踏み出す際の感情作り前述したとおり、モンゴメリさんの一番の興味関心として大きく「女性の生き方」というものがあり、その選択肢の一つとして、「結婚」があります。ただやはり「結婚」は、一人の女性にとってその先の生き方を決定づける非常に非常に大きな選択です。特に当時のカナダの価値観では、宗教的な背景もあると思いますが、一度結婚すると死別等の事情がない限り基本的には婚姻関係を解消する観点がない状況であることが見て取れます。「結婚」は、女性の人生を転換させる…一度死んで、もう一度生まれ変わるくらいの覚悟を要するものであり、モンゴメリさんの小説においても、そこに向けた心情作りが一番多く作品のテーマとして登場してきます。本作・『青い城』の特徴的な点として、女性主体の結婚という点があると感じました。アンシリーズや、それまでの短編作品等だと、結婚に向かう動機付けとして「女性自身の人生軸より、相手の男性の人生軸の方を重視するバランスへの転換」または「相手の男性の生活の中に、女性自身が生きていく場所を見出す」という心情づくりがありました。「アンの愛情」でアン・シャーリーが結婚に踏み出す心情づくりはまさにこれです。ラブストーリーとしては、これが一番スタンダードな作り方だろうと思っています。特に結婚は、相手の人生があって、もちろん自分にも相手にも家族親類が居て…の中での話になるので。ただやはりエミリーシリーズは、主人公であるエミリーちゃんの主体性を第一に描き出したい物語だと思いますので、そこに向かう心情作りの試金石として、本作「青い城」がある…女性が自分自身のための結婚に踏み出す心情作りに特化した物語として、女性から男性に対し「逆プロポーズをする」シーンを核として構成したのだろうな、と感じました。本作は、心情構成のための試作といいますか…モンゴメリさん的には非常に楽に書いている作品という印象です。1作完結の物語ですし、キャラクター造作も「読者に愛してもらう必要性はない」キャラクターたちとして、心情構成のみに特化した作り方をされていると感じます。ヒーローのキャラクター像も、「森の奥の湖に住んでいる男性」「田舎ではまだ珍しい車(おんぼろ)を乗り回している男性」「実は大富豪の一人息子」等、絵面の映えるシーンありき&とってつけたような設定で、まったく現実感なくふわっと構成していますし、話回しも「そうはならんやろ」という不自然な展開でガンガン回ります。ただ、ヴァランシーさんの心情筋としては段階が丁寧に描かれています。29年間大人しくしていた女性が、いきなり「結婚」というアクションには行けませんので、家を出る際の動機付けとして「病床の元同級生(女友達)の世話」を挟み、その友達の悲劇的な人生を看取った上で、「逆プロポーズ」に向かう心情筋は説得力がありました。これだけ他の要素を排除して、「女性自身のための結婚」という唯一のテーマ(心情作り)に絞って書いているから、シンプルな物語として、読者の頭への収まりは非常に良い「分かりやすい」作品に仕上がっているのだと思っています。本作について、原ちえこ先生がコミカライズされており、そちらもざっと目を通しました。「青い城」 (原ちえこ先生、宙出版・ロマンスコミックス・2012年)原ちえこ先生は「虹の谷のアン」のコミカライズ(2003年)も読みましたが、それと同様、絶対的な漫画力で、重要箇所をしっかり抑えた間違いのない漫画作品になっていました。特に「青い城」は、ロマンチックな絵面ありきでシーン作りしてある作品ですので、少女漫画画面が非常に映えており、コミカライズの意義がしっかりある作品だと思います。おススメです。「青い城」…モンゴメリさんの著作の中でも、1冊として頭に収まりやすい、かなり読みやすい部類の作品だと思います。おそらく著者ご本人も楽に構築した作品だと思いますし、読み手としてもするする~っと楽に読み進めることが出来ました。本作単独としてももちろん面白く読めますが、やはりモンゴメリさんの作品はその前後の著作との関係性…特に心情作りという観点で、別作品との繋がりが非常に色濃い作家ですので、そこに着目するとより一層楽しめるのではないか思います。本作においては、特にエミリーシリーズとの繋がりですね。モンゴメリさんの作品群は感想が本当に書きやすいですね。楽しいです! 気長に…次に続く!by姉◆小説 赤毛のアンシリーズ(村岡花子訳) 感想リンクアンの青春(Anne of Avonlea)1909アンの愛情(Anne of the Island)1915 ⇒アンの愛情 村岡花子訳と後続の翻訳本の比較についてアンの幸福(Anne of Windy Willows)1936アンの夢の家(Anne's House of Dreams)1917炉辺荘のアン(Anne of Ingleside)1939その1:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921その2:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921アンの友達(Chronicles of Avonlea)1912アンをめぐる人々(Further Chronicles of Avonle)1920◆モンゴメリ著 小説 感想リンク果樹園のセレナーデ(Kilmeny of the Orchard)1910ストーリー・ガール(The Story Girl)1911黄金の道―ストーリー・ガール(The Golden Road)1913可愛いエミリー(Emily of New Moon) 1923エミリーはのぼる(Emily Climbs)1925エミリーの求めるもの(Emily’s Quest)1927青い城(The Blue Castle)1926◆赤毛のアン 関連本 感想リンク赤毛のアンの手作り絵本 / 松浦英亜樹 さんのイラストについて赤毛のアンシリーズのコミカライズについて
2026.01.04
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2026年、新年、あけましておめでとうございます!少し前の話ですが、家族そろってコンサートに行ってきました。簡単感想です。マツケンサンバコンサート2025 に行ってきました!何故か地元の市民ホールに来てくださいまして…!こんな機会はまたとないだろうと、鑑賞してきました。コンサート時間は15分ほどの休憩を挟んで正味80分程度。トークも少し挟みつつですが、15楽曲ほどをほぼずっと歌い続けられました。いやもうね…生マツケン…めっちゃカッっっっっコよかったです…!!!リズム感ばっちりで、歌声にしろダンスにしろ、キメどころの爽快感が異常。バラード楽曲は青空・星空・夕焼け・地平線…と情景が目にブアーっと浮かんで来て、流石さすがの表現者!と思いました。凄かったです。本公演は、舞台セットや照明器具もほぼ持ち込みだと思います。パッケージ自体、衣装・音響・バックダンサーの配置について、徐々に派手さをクレッシェンドしていく演出が洗練されていました。ディズニーランドにおいて、ミッキーマウスを際立たせる演出と似てる印象でした。以下、セットリスト※備忘用メモ。ネット上に他の方が上げていたセットリストを参考にしてます♪暴れん坊将軍のテーマオープニング 大きな徳川家の(徳川葵)三つ葉葵を背負った上様が立っていて、暴れん坊将軍のテーマが流れ出すとテンション爆上がりでした。♪夜明け今回、事前に松平健さんのベスト盤CDを少し聞きかじって本番に臨みましたが、予習して来て良かった!と思いました。♪マツケン・マハラジャ世界を旅するインドゾーン。光ってました。神でした。♪マツケンのAWA踊り楽し~い!ザ・お江戸な間奏が素敵です。♪日本人応援歌力強い歌詞を説得力を持って伝えられる、表現者・メッセンジャーだなぁと感じました。♪マツケンマンボ♪マツケンでGO!人間はどこまで発光できるのかの闘いを見てるようでした。♪黄昏のビギンセットリスト中、本楽曲だけはカバー曲とのこと。情景の描写が多い楽曲で、松平健さんの歌唱の情景描写が圧巻でした♪マツケンアスレチカ掛け声のある楽曲。上様にお願いされて、一生懸命声を出す民衆の図が愉快でした。ラスト、マツケンサンバ3連弾。♪マツケンサンバⅠこの曲も好きなんですよね。ラテン調はこちらの方が南国間があるかな。♪マツケンサンバⅢ赤色モチーフでⅡとの違いを出していました。♪マツケンサンバⅡこれぞまさに!超楽しい!究極のエンタメ過ぎて、素晴らし過ぎて涙目になってました。生でこのオーラを浴びることができたこと、一生の自慢にします!今回、文化庁の支援施作で18歳以下の入場無料だったこともあって、お子さんたちも大勢いました。まさしく老若男女がこぞって盛り上がって…圧巻でした。もちろん手拍子してるんですが、手拍子というより…「合掌」というか…もはや尊い存在を「ありがたがって拝み倒す」ような感じでした。ド田舎の、お世辞にも大きな箱とは言えない小規模ホールで、1日2公演、手抜きなく全力でパフォーマンスしてくださいました。最後、幕が下がるまで丁寧にお辞儀&手を振ってくれる上様が民衆思いで泣けました。御年72歳、日本の隅々まで明るく元気にしようと責任感を持って回られる上様だから民衆に愛されるんだな…!と痛感したコンサートでした。2026年の私の部屋のカレンダーはこちら!(会場で購入)圧倒的存在感!ミラーボールアクリルキーホルダーからは、サザエさんよろしく上様が現われます。一生自慢できるコンサート鑑賞最高でした!一足早い大晦日&お正月を体感した感覚で、本当におめでたかったです。by姉
2026.01.01
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花とゆめ2026年2号に『暁のヨナ』最終話が掲載されました!2009年17号の連載開始より実に16年超…大ブレイク&長期連載になると、雑誌自体や作者様の体調の方が先に限界を迎え未完となってしまう作品も数多くあります。そんな中で、大きな休載もなく隔週連載を走り抜けられた草凪みずほ先生、本当にありがとうございました&お疲れさまでした‼2025年10月時点で、単行本の累計部数は1500万部を突破。テレビアニメ化・4度の舞台化・大原画展の全国巡回等々…連載当初からのファンからしたら、想像も追いつかない程ビッグな作品となりました…本当に感慨深いです!最終回を読んでから1週間。とりあえず…とりあえず現時点での言いたいとを、抽象的に叫ぶだけの記事です(妹編)。暁のヨナ 48巻収録 / 最終回・第276話 感想 (妹編)※以下、単行本48巻収録予定の最終回のネタバレを含む感想になります。未読の方はお気をつけください!叫びたいことはただひとつ…大団円!でも全っっ然終わった気がしない‼…往生際が悪いファンだな!いや終わりました。無事完結しました!それは理解しているのですが…①TVアニメ続編制作決定!②最終回のヨナ姫&スウォン様の表情上記の2点ですね。まだまだ終われない。終わらせてくれない。これからも、力の限り提供されるコンテンツを見せていただきたい‼そんな事を強烈に感じる最終回掲載号でありました。①TVアニメ続編制作決定!…まさか過ぎて、しばらく絶句してました。どこを映像化するんだろう…イヤとにもかくにも う、嬉しいです…‼アニメ1期リアタイ勢として、言ってしまいますが…2014年10月より2015年3月まで放送されたテレビアニメ『暁のヨナ』(連続2クール)は、当時のアニメ業界の基準からしたら、商業的には失敗だったと思っています。2000年代終盤~2010年代って、メディアの変革期といいますか…視聴率&タイアップ商品の売り上げがTVアニメの成否の判断基準だった時代から、ネット文化の発達により、どれだけ高額な円盤を購入してくれるファンを獲得できるか…の深夜アニメの時代へ。2014年はさらにそこからスマホ&SNSが登場し、配信文化が始まってきた…という時代でした。ーとはいえまだ家庭用TVにパソコン画面を繋げることは出来なかったので、「パソコンを所有するアニメファンが、ニコニコ動画やdアニメストアなどで観る配信」です。リアルタイムでアニメ『暁のヨナ』を視聴する方法は、下記のいずれかに限られていました。・TV地上波放送… 東京近郊、愛知・兵庫・熊本のみ。・CSもしくはBSにて視聴… BSは深夜3時~の放送だったので、録画必須。・あとは上記した、パソコンで個々人がアクセスしに行くネット配信での視聴。本当にものすごく丁寧&一生懸命に造りこまれた原作ファンが度肝を抜かれるほど高クォリティな出来の良いアニメ作品でした。ーただやはり、元々知名度の低いニッチな少女漫画作品でしたし…終盤の派手なジェハ編(阿波編)あたりで若干の盛り上がりは感じたものの、DVD&BDの円盤売上が2期制作ラインに全く達していなかったことは、素人目にも明らかでした。円盤1・2巻発売後、3巻から早々に特典のポストカードが無くなったので、(ああよっぽどダメだったんだな…ファンとして力及ばずで申し訳無い!)と思った記憶があります。ーでも!でも…やっぱりものすごく丁寧&一生懸命に造りこまれたアニメ作品なんですよ‼アニメ『暁のヨナ』の凄いところは、放送終了後もずっと熱心なファンから愛され続け、かつ新規ファンを獲得し続けた所だと思ってます。もちろんアニメ化以降ずっと花ゆめの看板作として走り続けた原作や、4度の舞台化で話題になり続けたことも大きかったと思いますし。2025年現在、アニメ市場も配信がメイン&世界へのアプローチが可能となり、アニメの成否も円盤売上のみで判断されるものでは無くなってきているのかなと。10年以上を経ての再アニメ化発表、本当に素晴らしいです。これを機に、1期アニメが改めて評価されるのでは…と思うだけでもワクワクします。欲を言えば米田監督に是非是非続投していただきたいのですが… どうなるかな。気長に続報を待とうと思います~!②原作 第276話 最終回について最終回は、かなり理知的に「読者に求められているシーン・絵面の列挙」に徹していたなという印象でした。具体的には、下記のような感じですね。・四龍の解放&腹減り達の行く末の提示・スウォンからの謀反に関する謝罪・ハクヨナの恋愛成就・王として認められるヨナ姫(戴冠式)◆四龍の解放&腹減り達の行く末の提示ここに関しては最終章で時間をかけてじっくり描写したこともあり、各々が建設的な未来に向かうことが出来ていて本当に良かったです!腹減りたちの解散は寂しいけど、やっぱり呪いから始まったパーティーなので…シンア君が「こうしたい」とはっきり切り出すのも素晴らしかった!最後にワイワイ腹減りキャンプが観れたのも嬉しかったです。故郷に一旦かえり、「龍神」ではなく「人」としての自分を見つめなおし&作り上げて…そしてまた再び巡り合って欲しいなぁ!と思ってます。◆スウォンからの謀反に関する謝罪…ええっと、ここに関しての語りは、基本的に姉にお任せしようと思ってます。スウォン様の表情が完全に死んでまして…とても「大団円!完結おめでとう❤」って気分になれませんでした‼私と姉は… まぁ30巻台の感想記事群で散々触れていましたが、スウォン様の「謀反の動機:(神の力に縋る&事なかれ主義の)イル王では、国を亡ぼすと思った」とかは、何とかそこに正義があったと言い張る為の後付けの動機だと思ってます。そもそも連載初期に描かれたイル王は平和主義&穏健派なだけで、龍神を狂信なんてしてなかったですし…イル王率いる空の部族は他部族に馬鹿にされはいましたが、高華国自体は安定していて平和でした。うーん…スウォン様に関しては、ずっと「ここから謀反の動機を後付けするのは…無理なのでは?」と心配して読み進めていましたが…こと最終回まで至り「動機の後付けは、やっぱり無理だったんだな(感情づくり的に)」という印象を受けた次第です。※あくまで姉&私の勝手な解釈による私見です!花とゆめ6号には番外編が掲載されるとのと。どこを描かれるのかはまだまだ分かりませんが…やっぱりこのスウォン様の表情は何とか…何とか消化してあげてほしい‼と願うばかりです。◆ハクヨナの恋愛成就◆王として認められるヨナ姫(戴冠式)アニメ化後に、読者が急増&海外からも熱いラブコールを受けるようになった本作。草凪先生の中で、大多数の読者に求められる「暁のヨナのラスト」として、何がなんでも「冠を被ったヨナ姫=王として認められたヨナ姫像」にたどり着かなければならない!という使命感があったのだろうな、とすごく感じる描かれ方でした。私たちも、暁のヨナ本編のラストシーンはこれで良かったな、と思ってます。王として絶対やりたい事&明確な国のビジョンなどは全く持ちあわせていない姫ですが、旅で培った度胸&王座に全く執着しないドライさがありますので…焼け野原になった国で王として担ぎ上げるには、ある意味適任だと感じました。もれなく元将軍の高華の雷獣が付いてきますしね!ーただ!ヨナ姫の心情的にはどうなんだ?…という観点から考えると彼女は別に王座奪還を目指してた訳でも、スウォンに謝罪を求めていた訳でもないんですよね。今、国として早急に新王を立てなければならない場面に立ち会い他に居ないというなら、冠くらい被っても良いよ。どっちでも良いよ。…そんな事より結婚は??(不満気味)これ↑が、私たちが最終回のヨナ姫から感じた印象の全てでした。結局…ヨナ姫は、ハク様と愛を誓い合う所までは漕ぎつけたんですが最終的に 結婚してはもらえませんでした。なんかもう…なんて言うかヨナ姫、本懐だけ遂げることが出来なかったというか…結局ハク様は『王(ヨナ姫)の専属護衛 兼 愛人(※元・風の部族長)』という、非常に不気味なポジションに収まる形となりました。ヨナ姫的には、別に王になっても良いけど…それを理由に結婚してもらえないのでは 本末転倒 だと思うんですよ。私は(この状態が続くようなら、キレて冠を投げ捨てても良いと思うよ…?)と思って本作を読み終えました。やっぱり… 恋愛成就までじゃなくてしっかり結婚まで描ききって欲しい ヨナ姫のために‼と、切に願っております。ーと、いうわけで はい。番外編では、是非スウォン様とヨナ姫を描いていただきたいんですが…どうなるかな⁉(ドキドキ)まだまだ暁のヨナから目が離せません‼◆余談今号では、暁のヨナ名場面コンテストの結果発表もありました。ハクヨナスウォン強いなと…!すごく面白い企画でした。私は延々17位に投票し続けてました。コメント採用されて嬉しかった❤by妹
2025.12.29
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舞台感想『シッダールタ』(2025/11/15~12/27、世田谷パブリックシアター、白井晃演出)(公式サイトより)「人にとって最大の謎は自分が自分自身であるということ」ノーベル文学賞受賞作家であるヘルマン・ヘッセの最高傑作「シッダールタ」。自我が向かう先、そして人間の存在とは何かという人類の命題に、劇作・長田育恵×演出・白井晃×音楽・三宅純のタッグが挑む!※原作:ヘルマン・ヘッセ「シッダールタ」「デーミアン」(光文社古典新訳文庫 酒寄進一訳)新しい地図×白井晃さん演出舞台は、今回で3作目の鑑賞です!・1作目:草彅剛主演『アルトゥロ・ウイの興隆』・2作目:稲垣吾郎主演『サンソン ールイ16世の首を刎ねた男ー』いつも題材が歴史的&知的で、また舞台作品として非常に色があります。舞台セットや使用するモチーフについて、妥当+αと感じる柱となるものを据え置き、「魅せたいもの」が視覚的&感覚的に鑑賞者の頭に入って来ます。アルトゥロでは当時の熱狂・勢いの体現としてジェームスブラウンのファンクミュージック、サンソンでは、群衆と舞台中央に大きく据え置かれた処刑台(ギロチン)ですね。簡単ではありますが、感想を。世田谷パブリックシアター…三軒茶屋駅の大きな駅ビルの2階~複数階に渡りぶち抜きで存在するおしゃれな劇場でした。現在、本劇場の芸術監督を白井晃さんが務められているとのことで、基本的には本劇場での公演を想定した演出になっていたのだろうな、と感じました今回、第一希望はS席で申し込んでいましたが当選したのは第二希望のA席でした。3階席(の1列目)からでちゃんと観えるかな…?とどきどきしていましたが、全然大丈夫!きちんと高いところから舞台全体を俯瞰して鑑賞できました。■原作&ヘッセさんについて私は今回の観劇にあたり、何も知らずに見てもよく分からないだろう…と思い、新潮文庫版の『シッダールタ』(高橋健二 訳)を購読・ざっと筋道を抑えた上で観劇に臨みました。*本作の舞台の原作は、この版とは異なる光文社古典新訳文庫版とされています。以下、原作一読&Wikiでざっと原作者・ヘッセさんの概要を見ての所感。『シッダールタ』は、ドイツ文学の巨匠・ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)が1922年に発表した作品とのこと。私は今年、「赤毛のアン」の新アニメの影響でカナダのモンゴメリさん(1874-1942)の小説作品をたくさん読みましたが、基本は同世代の方ですね。この世代の方たちの文学は、やはり非常に大きな意識の転換として第一次世界大戦(1914-1918年)が登場します。特にヘッセさんはドイツの方ですし(大戦前にスイスに移住していたようですが)、その後の第二次世界大戦終戦まで、基本は平和主義の立場で執筆をされていたのかな?第一次世界大戦後の1919年発表の『デミアン』より、作風が一変。自己の精神世界を深く旅するような作風が増えた…ようです。この辺はただのWiki情報を眺めただけですが…。『シッダールタ』は、ブッタと同時代を生きたインドの男性の一生を描く物語。※仏陀(釈迦/ゴウタマ・シッダールタ)とは別人。インドの高僧・バラモンとして生まれ、幼き日より神童と謳われたシッダールタは、ある日、幼友達のゴーヴィンダとともに家を出て、苦行者(沙門)となる。厳しい苦行・断食を経てもそこに虚構しか見出さない彼は、涅槃の境地にたどり着いたという仏陀の存在を知り、彼のもとを訪れる。仏陀の教えに感銘を受けたゴーヴィンダは仏陀に帰依するが、シッダールタは「悟りは人から教えられるものではない」と仏門に下ることを選ばず、独りまた旅に出る。とある町で高級遊女・カマーラを見初めたシッダールタは、商人・カーマスワーミの元で仕事をはじめ、頭角を現す&自身の事業も成功をおさめ、金持ちとなり、カマーラの元へ通うようになる。豪華絢爛な日々の中で、よりスリルを求め博打に溺れるようになったシッダールタは、ある夜を境に街から姿を消す。たどり着いた川で渡し守の男性との暮らしを始めたシッダールタは、旅人と川の声を聴き続け、やがて悟りの境地へたどり着く…。ものすごく端的に言うと、凄く優秀な男性の自分探しの旅的な…こっち→→って突っ走って突き詰めてみて、そこで空虚を感じると、真反対の方に、こっち←←って突っ走って行って…を繰り返し、人生4~5回分を一度に駆け抜けた男性って感じでしょうか。ヘッセさんがもともと宣教師家庭を飛び出して作家になられた方…とのことで、宗教的な「教え」に対するご自身の捉え方が色濃く反映された作品なのだろうな、と感じました。ドイツの思いっきりキリスト教家系出身の作家が、仏教題材でこの物語を描くというのがなんとも面白いところですよね。本作では、舞台冒頭&途中で現代服を着たカメラマンの青年と、謎の青年との(精神世界での)対話のシーンが挟まれるのですが、どうもそれらは、ヘッセさんの別小説『デミアン』の世界線とドッキングさせたシーンだったようです。『デミアン』はまだ未履修なのですが、気になるのでそちらもきちんと原作を読んでみたいと思っています。■演出・役者様について舞台は、背面にすり鉢状のような足場が設置されていて、基本的にキャスト様たちはその背面から滑り台をすべるようにして舞台中央に降りてきます。また舞台中央には砂が置かれ、キャスト様たちが人力で砂を広げたり、その砂の凹凸&ライティングで水面を表現したりしていました。主人公は、草彅剛さん演じる青年・シッダールタなのですが、舞台全体が「シッダールタの主観」を表現しているような作りになっており、様々なキャラクターたちが「滑り台をすべるように」彼の主観の中に入って来る…という印象を持って作られていたと思います。周囲のテンションと比較し、「目の前の事象」にとことん全力で集中するシッダールタさんに、草彅くんのキャラクター性が本当にぴっっっったりで、とても説得力のある舞台作品でした。周りの役者様たちも、本当に達者な方たちで固められていることが分かり、非常に安心感・安定感のある舞台作品でした。どのキャラクターも話回しに必要なインパクトで間違いなく入って来るのですが、+αで人間味あふれる感情/愛情を感じさせるところが素晴らしかったです。個人的には、父親役:松澤一之さん、カーマスワーミ役の有川マコトさんの深みのある演技が心に残りました。ゴーヴィンダ役:杉野遥亮さんは、小説を読んでいてイメージしていたまんまのゴーヴィンダでした。感情が伝わって来ました。カマーラ役:瀧内公美さんも華やかでザ・ヒロインというインパクトがありました。小説で読むより生身の役者様が演じられるパワー活きていて、シッダールタの感じ取る世界もより具体的に体感することが出来て面白い舞台作品でした。観に行けてよかった!機会があればまたほかの舞台も鑑賞してみたいです。by姉
2025.12.28
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暁のヨナ、原作本編完結おめでとうございます!!感想はおいおい書くとして(遊び回ってて時間が取れない)、ひとまず写真ログのみ投下します。草凪みずほ画業20周年記念 暁のヨナ大原画展(横浜会場)に行ってきました! +購入グッズ(横浜・名古屋)*横浜・ASOBUILD(アソビル)、会期25年12/13~25年12/30*2年間にわたり全国5か所を回って来た本原画展。これまで妹と2人で①池袋会場、②名古屋会場の2回参加していまして、今回は強行スケジュールでしたが単身で③横浜会場に行ってきました。*2024年1月の池袋開催時の感想⇒こちら*池袋展での購入グッズ記事感想⇒こちら以下、横浜会場の写真ログ+グッズ(横浜・名古屋)です。はらへりご一行様+スウォン様…長期間に渡る全国巡回、お疲れ様でした!クライマックス、いろいろあったね…な、今はなき緋龍王の廟は感慨深いものがありました。今回、私は東京の方で別件(舞台観劇)があり、その前に大急ぎで寄って来た…という形でした。そのため従来からの展示は本当に観る時間が取れなくてかっとばしました。…勿体なかった。(池袋で3時間くらい、名古屋会場でもゆ~っくりじ~っくり鑑賞してたので…まぁ…)その代わり、新規の「血の盃編」の展示はしっっかり目に焼き付けましたよ!総じて…特に40巻台以降の草凪先生のカラーイラストは1枚1枚が発光しており、完成度がおかしい。ハクヨナの金魚のカラーイラストや腹減りたちお花見会イラストは、どちらも青空が印象的なイラストですが、夏の空気感と春の空気感が全然違って圧巻でした。龍神たちが作った世界で四龍+ヨナ姫が向き合っている巻頭カラーのイラスト。こちら、原画で見ると画面奥の光が凄く眩しくて、手前のキャラクターたちが逆光になるように描いてあるのですが、すごく印象深く焼き付きました。また花ゆめ表紙用のハクヨナスウォンイラストのまとまりの良さ&美しさといったら…!白黒原画でも、グッズで発売されてる原画を中心に印象深いシーンが展示されてました。いや~、いいもん観た♪アソビル1Fでは、飲み屋街っぽい雰囲気でアジア系イメージの専門店街があり、ユンの塩むすび、鹿肉焼きの宴、海の幸たっぷりのはらへり特製海賊汁、華椒油入り豚肉とねぎのはらへりピリ辛うどん…等、作中に登場したコラボフードメニュー(凝ってる!)が展開されていました。時間がない中ではありましたが、せっかくなので…と思い、台北餃子館さんで水の部族名物水餃子をいただいて来ました。本格的な香辛料が効いていて、結構スパイシー。とても美味しかったです。横浜会場からの新規グッズもたくさん購入してきました!とにかく買いまくったのがランダムメタルチャーム!新グッズ公表以降、妹が目の色を変えて「これ素敵!これでグッズ自作したい。遊びたい。」としきりに言ってまして、売り切れていないかひやひやしながら会場に向かいました。サンプルも展示されていましたが、本当に出来がよくて可愛いんですよ!*写真は5つしか映ってませんが、あともう1個ホーちゃんも加えた全6種です。本当はコンプリートセットを2セット購入したいと思っていましたが、セットは1名1セット/ランダムは10個までという制限つきでしたので、コンプセット+バラで購入してきました。幼馴染3人の決定版!ハクヨナの決定版!という2枚のキャラファインマット。濃い色に深みがあって…見ごたえがあります!複製原画×3…ヨナ姫が幸せそうだ…///本当は見開きの原画も購入したかったのですが、この日のPMのスケジュールを考え、かさばり過ぎるものは泣く泣く諦めました。思わず並べたくなる!名場面アクリルスタンド・ハク・ヨナ。ファンの趣味嗜好を的確にとらえたグッズをありがとうございます。大喜びでホイホイされてます。クリアポストカード…こちらはランダムではなく自分で絵柄を選べます。おかしい…こんなに買うはずじゃなかったのに。実物見ると光の透け感がすごく可愛いんですよ。結局厳選して10種中7種購入してきました!(厳選という単語の誤用)ランダムアクリルコースター、スクエア缶バッジ、ホログラムダイカットステッカーは2個ずつ、誰が出て来てくれるかな~?というお楽しみとして購入してきました。どのグッズもデザインが良くて可愛らしい♪メタルチャーム(バラ)も含め、一区画が埋め尽くされるほどのシンア君祭りでした!クライマックスターン・そして最終回と、一言一言に重みがあって本当に頼もしかったよ~。ダイカットステッカーは全22種もあるので、いったいどこのおっさんが来てくれるのかと思っていたら、意外とメインどころのはらへり2人(同い年)が来てびっくりしました。嬉しい♪以下、蛇足ですが、7月に名古屋会場にも足を運んでいました。購入グッズ等の写真をブログの方に載せていなかったので…備忘として。これでも相当抑え目にしたつもりだった、というのが面白いところです。池袋やその他原画展で一度購入を諦めたはずのグッズが多数混ざってるところが、私たちの意志薄弱を大いに表しています。しかし、ヨナの大原画展に行く度に思いますが、結構な広さのお土産スペース(本当にいち雑貨店くらいはありそうな広さ)が、暁のヨナグッズだけで埋め尽くされた空間は凄いですよ…。みんながみんな知ってるような国民的という位置づけの作品じゃないですし…少女漫画というニッチなジャンルの作品でこれだけ多くのグッズが展開されるのは、本当に異例だと思います。お金をたくさん落とす、熱いファンが大勢ついているんだなぁ…としみじみと感じます。最終回の余韻&続編アニメの高揚感いっぱいの中、訪れることが出来て嬉しかったです(^^♪…新規グッズ、売り切れで購入できなかったものもちらほらあるので、是非事後通販対応をお願いいたします…><by姉
2025.12.21
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こんにちは妹です。暁のヨナ、最終回掲載まであと1週間となりました。ドキドキ。横浜では最後の大原画展も始まり、コラボフードもあるようで、盛り上がってますね!ちょっと感傷に浸るべく…我が家のクローゼットの中に眠っている暁のヨナお宝グッズを眺めてました。ーイヤ改めて観ると、本当に素晴らしいお宝ばかりでして‼(15年以上も推し活してたんで、当然といえば当然なんですが!)せっかくなので、気に入っていたり思い入れの深いグッズの一部をご紹介しようと思います。◆暁のヨナイラスト集 2冊左が2017年に発売した『23巻特装版』の暁のヨナイラスト集右が2023年~『暁のヨナ大原画展』の図録:草凪みずほイラスト集 です。もちろん右のボリューム感も大満足!なんですが、個人的には23巻で初めて「これ!このグッズが欲しかったの!」という、待ちに待ったイラスト集を作ってくださり、本当に嬉しくて何冊も購入した想い出がありまして、どっちも宝物です。あと、実はアニメDVDの描きおろし表紙群など、左にしか掲載されていないイラスト&左の方がしっかり大きく掲載されているイラストもあったりします。…しかし本当にどんどん絵が上達されていく様子を見ることが出来て、感慨深いです!◆B3サイズ ハクヨナ タペストリーこれは花とゆめ本誌の抽プレ当選品です♪今調べたら2021年の企画で、147名の大盤振る舞いでした(スゴイ)。初めての「2号連続・つながる表紙」のもので、B3大はおそらく原画と同等サイズ。やっぱり大きい原画は、大きくプリントされたグッズが映えるんですよ!付録に2号連続アクスタも付き、名実ともに雑誌の看板作品となっていましたし、初めての原画展も開催されはじめていたので、草凪先生のカラーイラスト原画もどんどん輝きを増している時期でした。「この懸賞良い!絶対欲しい!」と思って気合い入れてハガキを送ったので、当選してすごく嬉しかった記憶があります♡◆ハクヨナ アクリルオーナメント(サイズ:111×148㎜)たしか2021年~マルイシティ横浜での原画展会場で頼んだ受注生産品でした。ハガキ大の、キャラファイン印刷+表にレーザー刻印(水紋)が施された、豪華なアクリルブロックです。アクリルブロック、他のイラストも持ってるんですが…これが一番!というか、めちゃくちゃ気に入っていまして…‼確かちょっと小さめの本誌付録カレンダー用のイラストだったと思います。ですので…ハガキ大サイズにピッタリなんですよ‼先程も語りましたが、「大きいイラストは大きいグッズ・小さいイラストは小さいグッズが映える!」これが、好き漫画の原画展グッズにホイホイされまくった私たちがたどり着いた結論です!(マジでどうしようもない結論‼)この2人のしっとりとしたイラストが、アクリルブロックに映えるんですよ~✨非常にお気に入りです!◆トレーディング アクリルお守り 7種これも、マルイシティ横浜での原画展のグッズでした。…ただその時は「分厚いアクリルでめっちゃカワ(・∀・)イイ!! …しかしランダムはキツい!」と購入を見送ってしまいました。しかし、後からずっと「やっぱアレ可愛かった 買っておけば良かった!」とメルカリ(←値段が高騰している)をちらちら眺める日々…。数年越しに、大原画展(名古屋会場)にて、漸く手にすることが出来ました。ランダム仕様なのがネックだったんですが、全種セット買えば問題ありませんよね★(↑おそらく、ここ数年での度重なるグッズ展開+物価高騰により感覚が麻痺してきた)一番のお気に入りはヨナ姫です。というか、このヨナ姫お守りがどうしても欲しかった!◆草凪みずほ先生 直筆イラスト(ハク様)入り アニメ台本OAD『その背には』え~~~… これは自分で言うのもなんですが、本当に、マジモンのお宝です‼アニメ放送後、ヨナのドラマCDが付録がつく花とゆめ本誌の抽プレ当選品でした。サイン入り台本は、ヨナ姫とハク様の2種類(2名枠)どっちが届くかは選べません、という仕様でした。ただ何となく、ハク様の方が来るんだろうな~と感じていまして…実際そうでした。ちょっと凸凹のある紙に、丁寧に描いてくださってます✨当時…私は昔から雑誌懸賞で当選した経験が全くなかったため、当選者発表ページを確認する習慣がなく…姉に教えてもらってひっくり返りました。懸賞応募ハガキも、当選への期待より「素晴らしいアニメ化をありがとうございました‼」の感謝の気持ちを込めて送っていたので、それが良かったのかな。どうかな。後にも先にも、おそらく私(妹)人生において最大の懸賞当選品です。大事に額装して、たまに取り出してニヤニヤしてます♡…ふぅ。手持ちのお宝グッズ愛を叫ぶだけでも結構語ってしまいますね💦また思い出したときに、紹介記事を書けたら良いなと思います。by妹
2025.12.14
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暁のヨナ 第273話・第274話・第275話+最終回直前感想!あと10日ほど、12/19発売の花とゆめ2号にて、2009年より16年以上に渡り連載されてきた『暁のヨナ』…完結です!!連載開始時より『暁のヨナ』を追いかけ続けた読者として…最後どうなるのかな…どうするのかな…とあれこれ雑多な考えを書き記したメモ用の記事です。*私と妹は、草凪先生の作品をヨナの前々々作である『夢幻スパイラル』2004年~の連載開始時より本誌で読んでいた、20年以上(←計算してビックリした)の化石愛読者です。リアルタイム感想は、残しておくと後々見返しても臨場感があって面白いですからね!※以下、単行本47・48巻収録予定のネタバレを含みます。そして本当に好き勝手に言いたい事を言ってるだけ感想になります。未読の方はお気をつけください!※■直近3話・ざっとあらすじ・第273話「黄昏の海」龍神たちとともに行方不明になったハク様。目覚めたのは生と死の間の海。龍神(白龍)とハク様の対話。打ち解ける光の柱に乗れば、龍神たちもほかの魂と同じように皆等しく未来世や別次元へ還る。ハク様は一度死んだらしい。現世で死にかけているスウォン様の魂が流れ着く。ハク様はヨナ姫のもとに戻ろうと、スウォン様を連れて現世帰還を目指す。光の柱に飛び込み、実体のない形で現世帰還を果たす・第274話「障壁の盾」スウォン様の魂を肉体に返す(スウォン様の意識はない)。ハク様はがれきの中に取り残されたヨナ姫+仲間たちを外に出そうとするが、声が届かない龍神たち(青龍・緑龍・黄龍)が暴走。仲間+スウォン様に危害を加えようとするゼノは自分毎黄龍+龍神たちを殺すようにヨナ姫に促す目に見えない「壁」が邪魔をし、ヨナ姫が剣を取ろうとするのを阻む(精神体のハク様)龍神(緑龍)は最後の力を振り絞り、スウォン様に血(生命力)を注ぎ蘇らせようとしていた。龍神たちは緋龍王との誓い…予言を守ろうとしている。剣=スウォン様、盾=ハク様龍神(白龍)は、自分の体内にあるハク様の身体を蘇らせる提案をする・第275話「夜明けの祝福」黄龍はまだ暴走気味だが、ゼノの身体から出てゼノを守ろうとしている龍神たち4体は、キジャ/シンア/ジェハ/ゼノの人としての身体をもとに戻し、ヨナ姫と別れを告げ&ハク様の身体を元に戻して天に還っていく予言は環椎され、闇に覆われていた高華国に夜明けが訪れるハクヨナは再会を果たすスウォン様&メイニャンの緋の病も消える四龍たちは「人」になったことを寂しさも覚えつつ喜ぶゼノは不老不死でなくなったことを噛みしめ、幸せとつぶやく■四龍伝説の終結について…「満足感はあったけど、納得感はなかった」275話にて、龍神たちがものすごい勢いですべてのしがらみ・呪いを解き放って、「予言」を完遂する形で天に還っていきました。建国以来、高華国の基礎として存在した「緋龍王を中心とした四龍伝説」が、これを持って完全終結した…ということですね。とにかく、緋龍王の生まれ変わりであるヨナ姫、龍神たち、人間界で呪いを引き継いできた四龍たち、緋龍王の血筋と「緋の病」を引き継いできた子孫たち(スウォン様、メイニャン)、苦しみながらも、全員がきちんと心を落ち着かせ納得のいく形で、伝説終結の場面を迎えられたことが何よりでした。端々のキャラクター達まで魅力的で、「どのキャラクターにも幸せになって欲しい」と読者/ファンに愛されてる作品だと思っていますので、皆が大満足できるクライマックスシーンだったと思います。シーン作りも、『暁のヨナ』というタイトルにしっかり集約させることを第一に優先したものとなっていました。予言の一つ一つの単語のアンサーを用意し、暗闇が広がり燃え落ちた緋龍城…絶望感溢れる世界を、朝日が一気に照らすシーンとして描かれていました。『暁のヨナ』を読んできたすべての読者にとって、満足感のある情景/シーンづくりだったと思います。「見事なラストシーンにたどり着いた…」と思ったと同時に、強烈に感じたのは予想通り「やっぱり“龍神・予言”は、あまり作り込まれてなかったんだな」です。あくまで、私の観点から見るとですが…「“龍神”は結局何なのか」がよく分からないまま、彼らが何か旅の答えを持っている存在ではありませんでしたし、“予言”も結果論で「“予言”に沿った形に落ち着いたよ」と言っているだけのものでしかありませんでした。龍神たちは44巻以降、緋龍城に戻ってから“ぐるぐる”した存在として登場し、彼ら自身の意志を示しましたが、深堀りしたところで極論は“ただの妄執”であり、黄龍以外は「寂しいから緋龍も一緒に天に還ろう」というだけの思念体でした。重要なのは、高華国が約2000年来、“四龍伝説”を「基礎として使って」国の体制維持を行って来たという機能面であって、“龍神”それ自体ではない…と思って読んでいましたし、実際にそうだったな、と受け取っています。クライマックスシーンに至り、①緋龍王の生まれ代わりであるヨナ姫が“血の盃を壊す”アクションを起こし、また②緋龍王の血筋を引き継ぐ現国王スウォン様も、“緋龍王の亡骸の首を落とす”アクションを起こしました。この2人が「四龍伝説の終結を望む意志、龍神の加護は不要である意志」をはっきり明示しましたので、四龍伝説の機能面は完全にその役割を終え、あとは龍神たちが“緋龍と一緒に居ること”を諦めれば、緋の病も含め、伝説にまつわる一切合切の苦しみはすべて解決する形となっていました。クライマックスに突入してからは、正直「龍神たちがとっとと還ればいいだけでは…?」と思って読んでまして、ことここに至り、やっぱり龍神たちがとっとと還ればいいだけの話だったんだな、と思った次第です。実はこれまでも、“予言”もおそらくそれほど深い意味はないものだろうな…と思って読んできていましたので、うん その通りだったな、と感じたと言いますか…闇落つる大地 龍の血により再び蘇らん古の盟約に従い四龍終結せん時 王守護する剣と盾が目覚めついに赤き龍 暁より還り給う「闇落つる大地」も何故そうなったのかの説明はないまま、かなり直接的な表現(闇に覆われる高華国&地震発生)でしたし、龍神たちは、王(ヨナ姫)を守護する「剣=スウォン様」「盾=ハク様」と解説していましたが、うん…「ヨナ姫を守護する盾=ハク様」はまぁ…分かりますが、「ヨナ姫を守護する剣=スウォン様」は、何をもってそう定義づけたのかよく分かりませんし…。(ヨナ姫を盃の中から返すために、スウォン様が剣を持って緋龍王の亡骸を突き刺してたね、ということなのかな…)「ついに赤き龍 暁より還り給う」も…275話で何が起こったのかを冷静に見れば、天に還ったのは緋龍を除いた四龍だったし、天から還って来たのはハク様だったので、「ついに赤き龍を中心とした四龍伝説が 暁より還り給う」とか「ついに赤き龍(ヨナ姫)の一番愛するハク様が 暁より還り給う」とか省略されてた赤字部分の文言(?)を心の中で補完して読めば分からんでもないのですが…「な~るほど!」という納得感があったかといわれると、「なかった」です。基本的に「後付けで、そういうことにしたのかな!」と受け取りました。…がっかりしているわけではなくて、本当に「四龍伝説に関しては、想像通りだったな」と。むしろヨナ姫/スウォン様という「緋龍王(&正統継承者)」たちに「お前らとっとと還れ!」と言われて、傷心の龍神たちのアフターケアまでハク様がしっかりやるとか、ここを丁寧に描写するんだ!さすが草凪先生だ!…と感動してますし、先にも書いた通り、全キャラクターが納得してクライマックスを迎えられたことが、何よりだったと思います。“身軽になったこと”でジェハさんの感じる若干の寂しさと、キジャさんの感じる安堵、今後は“人”としてより言語も通じたコミュニケーションを発揮していくであろうシンアくんの成長の予感と、何より、誰よりも呪いに苦しみぬいて来たゼノさんの感じる幸せがありますので、本当に大満足のハッピーエンディングだと感じました。■期待していた2つの筋道について…「しっかり描写されたけど、説明はされていない」これまでの記事でもさんざん書いてきましたが、私たちの中では、四龍伝説面とは別に、“この作品にはここをしっかり描いて欲しい!”と思って読んできた筋道があります。言ってしまうと、四龍伝説というファンタジー要素とか、『暁のヨナ』という“伝説の少女”的なパッケージ感自体、フェイクだと思っていた…というか。関係がないわけではないのですが、じゃあ「この作品は“伝説の少女”を描く作品か」というと「そうじゃない」と思っていました。私たちが「物語の本筋」だと思っていたのは、基本的には“謀反劇の真相”なのですが…魅せ方の筋道としては2つあると思ってます。ヨナ姫軸とスウォン様軸です。・ヨナ姫軸:ヨナ姫のモチベーション/動機はすべて“ハク様を生かすこと”に集約する。国政や2000年来の伝説云々という激重要素もすべてひっくるめ、たった独りのヒーローに向かう…少女漫画の美学がここにある!という部分です。・スウォン様軸:謀反劇に至るまでの動機に、口で語って来た表向きの理由とは別の「個人感情」が存在する。本作の核心中の核心だと思っている部分です。この2つの筋道は表裏一体の関係性であり、一方を掴めば、もう一方もその存在がはっきりと明確に認識できる…というものだと思っています。中心に居るのは、ハク様です。「暁のヨナ」という作品は、ハク様を描くために設定のすべてが作り込んである物語だと思ってます。高華国の5部族設定、四龍伝説、各キャラクターの人物像の方向性…ありとあらゆるもの全部です。そして、この私たちがずっと期待して読んできた上記2つの筋道については、描くべきものは275話までで全部描写し切っていると思っています。四龍伝説の終焉のターンに至っても、ヨナ姫のモチベーションはすべてハク様に集約するように描いてありました。四龍が天に還るシーンすら、ヨナ姫にとっては“ハク様が還って来るシーン”でした。そしてスウォン様も、42巻・ハク様の「千樹草…」でノックアウトされて以降、彼は王位から降りる意志を明示し、ハク様&ヨナ姫をなんとか生かそうという方向性でしか動いていませんでした。四龍伝説の終焉/高華国の長年にわたる運営体制の崩壊…に至るまでに、ヨナ姫軸、スウォン様軸…わたしたちが観たいと思っていたシーンは、もうすべて描いてありました。…ちゃんと読者に、その意義を説明してないだけで。最終回を残すだけのこの段に至り、ぜんぶぜんぶ描いといて…「で、結局、この作品は何を描いている作品だったのか」を、はっきりと説明してない。という状態だと思ってます。私たちが「最終回で描いてくれるのかな、どうかな」と気なっている部分としては…今後の国の体制をどうしていくか、という部分、そして「(上記のハク様に関するアレコレを)説明するのか、しないのか」どうするんだろうな…という部分です。…流石にもう最終回を残すのみなので、説明せずにこのまま“暁のヨナ”本編としては締めるつもりなのかな?…と思っていますが。ヨナ姫軸/スウォン様軸として、観たかったシーン作り・感情作り…全部やり切っていると思うので、私たちとしては満足しているんですけど…ただやっぱり、はっきり説明しないと、読者の大半には理解はされません。すごくすごく難しい作り込みをしてあると思ってますので。個人的には、そこを期待してここまで読んで来たのももちろんありますし、この部分…『暁のヨナ』とは何なのか?という作品定義の話ですので、出来ればちゃんと、本編中で説明して欲しいな、と思っていた部分ではあります。…やっぱり“暁のヨナ”は、クライマックスで描かれ続けた「四龍伝説」を核心として構築した作品ではない為、龍神や予言を掘り下げたところで答えはなく…。ここまで読んで来て、キャラクターたちが幸せになれた満足感はあっても『“暁のヨナ”とは?』のアンサー…作品自体の納得感はないままの状態なので。もし次号・最終回で明確な説明がなされなかったとして…つまり『暁のヨナ』というタイトルに集約する形で、“伝説の少女”っぽいパッケージ感に忠実な形でエンディングを迎えた場合、作品構成/作品意義が気になる読者には、「結局最後まで読んでも、ヨナ姫が何をやりたかったのか、スウォン様の謀反劇の目的も、腹減りパーティーの目的も、結局この作品が何なのかもよく分からなかった」と言われても仕方がない状況のままエンディングを迎えることになるんじゃないかな…と思っています。ただもしそうなったとしても、何故草凪先生がこの形で作品をいったん締めるのかは、理解できるというか。私たちが期待していたのは、“少女漫画への集約”なんです。すべての要素がヒーロー・ハク様に集約する気持ちよさ。ヨナ姫のモチベーションは、物語が始まったところから、ハク様にしか向かってない…ヨナ姫が剣を取るのも、四龍を集めたのも、国の為民の為云々言いながら、なんやかんやハク様と一緒に居るためだけなので。少女漫画…特に“花とゆめ”イズム的には、この「ヒーローへの全集約感」が一番心地いいとこなんですよ。10代の少女のスーパーエゴイスティック恋心…これぞまさしく少女漫画の真髄!だと思ってます。ただまぁこの美学は… 少女漫画好きにしか通用しない美学なんじゃないかな、と。なので、もし「暁のヨナ」のファンが原作だけの中にとどまっている…“花ゆめ作品”という前提をもった方たちだけの規模なのであれば、出だしから仕掛けた作品の核心を、素直に「ドヤ~~っっ!!」って明かすラストになったと思うんです。でもやっぱり、『暁のヨナ』という作品が、特にアニメ化以降は、“少女漫画美学”・“花ゆめ作品”の規模感に留まる作品ではなくなっていたというか…花ゆめ本誌や原作自体を追いかけていないファンの方も大勢いらっしゃいますし、海外にも大勢ファンがいらっしゃるはずです。民衆のために立ち上がる“かっこいいヨナ姫”像を求めるファンの方も多いと思いますし、作品自体、“イケメンがいっぱい”の体裁にもしてありますので、いわゆる乙女ゲーム的な、ソーシャルメディアのゲーム感覚で、自身の推しをひたすら愛でる楽しみ方をされているファンも数多くいらっしゃると思います。『暁のヨナ』の最終章の描かれ方は、現行のファン層に“少女漫画美学”…つまり「すべての要素が“ハク様”に集約するよ!」というロジックを叩きつけるのが妥当ではない、という判断かと思っています。叩きつけたところで、“少女漫画美学”の土台のない大多数のファンには刺さりませんし、享受してきた大好きだった世界感が崩れた、大好きだった推しをないがしろにされた…等、裏切られたという残念な感情で作品の終幕を迎えることになるファンも多く出て来てしまう可能性がありますので。どのようなところから作品に入って来て、どのような楽しみ方をしているファンであっても、皆一様に「追いかけて来て良かった~~!」と思ってもらえる作品として、『暁のヨナ』というタイトル感に集約する形で本編を締める…ファンの心持ちを非常に気遣う草凪先生らしい形だな…と思います。*20巻台後半~…イル王が謎に“伝説/神力推し”にキャラ変して描かれたところから、この方向性で『暁のヨナ』をまとめ上げる方向性があったのだろうな、とは感じていました。ただ妹曰く…「本当はヨナ姫は、もっともっとハク様愛・自分はハク様のために戦ってきたんだと叫びたいのでは。ちょっとフラストレーションを溜めてる気がする…。その反動で、付録やカラーイラストでひたすらハク様に抱きつくことで自己主張してるのでは」らしいです。ま~~ヨナ姫的には、そりゃ思いっきり叫びたいところだよな、と思います。またスウォン様に至っては、余計な総括的なモノローグとか入れさせないように、クライマックスのここ2~3話は意識不明の状態で話が進みました。ヨナ姫とスウォン様については、放っておくと草凪先生の作品全体感としての配慮を無視して、各々が激重のハク様愛を炸裂させそうなので、ちょっと「発言は控えよろう」状態かな…と思って見てます。次号、もちろんまだ最終回も残っていますし、予告には最終回掲載とともに“新情報あり!!”という記載もあります。「暁のヨナ」78巻完結予定だったとしても、まだコミック半分以上のページ数が足りませんので、安直に、ある程度のページ数をもった番外編の本誌掲載は考えられるな、と思っています。もしかしたら、先に語って来たような"少女漫画美学”観点の説明は、番外編を使って行うつもりなのかもしれませんし、説明はしないのかもしれませんし…またファンが目の色を変えて喜ぶハクヨナのイチャイチャも、もっともっと描写しても良いと思います!あと10日…あと10日…!!どうしようもない抽象的な感想になりましたが、総じて「ど~~~するつもりなのかな~~~???」とドキドキハラハラしながら観ています!心して過ごしたいと思います。by姉
2025.12.09
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エミリーシリーズ3部作感想ーその1 概要+「可愛いエミリー」感想 記事の続きです。エミリーシリーズ3部作感想ーその2「エミリーはのぼる」+「エミリーの求めるもの」感想 村岡花子訳*以下、備忘の為にキャラクター概要、展開の説明をたくさん記載してます。シリーズ全体&各巻について、結末までしっかりネタバレ含みます。スリリングな展開が魅力的なシリーズだと思いますので、未読の方はお気を付けください*『エミリーはのぼる』(Emily Climbs) 1925年著・1967年和訳【新潮文庫・背面あらすじ】威厳正しいエリザベス伯母、優しいローラ伯母、批評家カーペンター先生、イルゼ、テディ…。美しい自然と人々の愛情に恵まれたニュー・ムーンで、エミリーは「ひらめき」に従って創作に励み、雑誌社に送り続ける。「アルプスの道の頂上」にのぼって行こうと努力する彼女の姿には、著者の恐ろしいまでの文学への敬愛とたゆみない勉強がうかがわれる。【主要キャラクター:2作目時点】(マレー家)・エミリー・バード・スター14歳になり、シュルーズベリーの高等学校(3年間)へ進学する。自作の詩等を 何度送り返されようともめげずに出版社に送り続け、やがて少しずつ採用されるようになる。ごくまれに第六感/シャーマン的な能力を発揮し、遠くに居る人への思念伝達や行方不明者の発見等を行う。・ルース・ダットン伯母シュルーズベリーに住むマレー家出身の女性。高等教育期間中 エミリーが下宿する屋敷の主。エミリーとは長く馬が合わなかったが、作品後半 彼女にいわれのない悪評が立った際にはマレー家の権力を駆使して鎮圧を図る。・エリザベス伯母エミリーを引き取ったニュー・ムーン農場を切り盛りする女性。エミリーをシュルーズベリーに進学させる際、3年間は小説を書かない約束を取り付けた。・アンドルー・オリバー・マレーアディー伯母さんの息子。マレー家が一族内でエミリーにあてがった婚約者候補。エミリー評としては、悪い人ではないが “つまらない人”。(学友)・テディ・ケントエミリーのボーイフレンド。シュルーズベリーの高等教育へ進む。エミリーとは度々良い雰囲気になるも、一人息子を溺愛する母親の影がちらつく。・イルゼ・バーンリエミリーの親友の女の子。シュルーズベリーの高等教育へ進む。奔放さは相変わらず。・ペリー・ミラーエミリーが好きで立身出世を目指す男の子。シュルーズベリーの高等教育へ進む。弁論大会等で頭角を現し始める。・イブリン・ブレーク1学年上のエミリーの天敵。エミリーはイブリンから様々な嫌がらせを受ける。(その他)・ミス・ジャネット・ロイアルプリンスエドワード島・シュルーズベリー出身の女性。20年前に単身ニューヨークに出て出世。大きな婦人雑誌の文芸記者であり、小説会社の原稿選定委員も担っている。エミリーの文学的才能に目をつけ、ニューヨーク行きの話を持ちかける。【感想】シリーズ2作目、シュルーズベリーの高等教育期間が描かれます。こちらは、アンシリーズで言うところの「青春」「愛情」で描かれたターンと似た話回しが多数登場しました。ただやはり要素が似ている分、どこまでも「執筆」に向かい、すべての感情を「上へ上へ」昇華していくエミリーちゃんの異質性が際立ちます。エミリーシリーズ3部作は 各巻それぞれ異なる面白さを持っていますが、この2作目は異色の出来栄え…「エミリーシリーズ」として一番描きたかった部分だろうと思いますし、個人的なイチオシは間違いなくこの「のぼる」です。…とにかく1シーン1シーンの描写がキレてる!!どのシーンも絵的に面白く、わくわくしながら読み進めることが出来ました。その上で1作全体通して、エミリーちゃんがラスト、「学校卒業後、都会へは出て行かず、ニュームーンで執筆を続ける」道を選択する心情作りにすごく説得力がありました。【個人的に印象深かったシーン】・第三章 嵐の夜誤って教会に閉じ込められてしまったエミリー。そこには新婚時に奥方を亡くして以降 気が触れたモリソン老人も居り、追いかけまわされるという超恐怖体験を被ることに。絶体絶命のその時、テディが現われ助け出してくれる…。真夜中、超ロマンチックな2人きりのムードは、一人息子を溺愛し嫉妬に狂ったケント夫人の登場で台無しに。…ジェットコースターのように畳みかける展開が爽快な章でした。最後、夫人の登場で興ざめし、すんっとなって、あれだけの恐怖体験をしたにも関わらず 夜道を独りですたすた帰っていくエミリーちゃんの可愛げのなさも印象的でした。・第十章 伯母とのごたごたルース伯母の反対を無視して学校のコンサート出演を強行したエミリーは、家から閉め出されてしまう。4月頭のまだまだ寒い夜、腹を立てたエミリーは二度とここへは戻るまいと誓いつつ、7マイル離れたニュームーン農場まで単身徒歩で帰宅する。ニュームーンに着き、ジミーさんと話すうちに気が晴れたエミリーは、エリザベス伯母たちに気づかれないよう、7マイルの道のりをまた独り歩き出す。エミリーちゃんの片意地の強さと、こんな体験の中においても”夜の帰宅道”を劇的に楽しめる アーティスト感性がよく見て取れるシーンでした。・第十二章 乾草づかの下で”シュルーズベリータイムズ”の特別版予約注文勧誘のため、エミリーちゃんとイルゼちゃんの2人は 2泊3日で近隣の家々を回る勧誘旅を実施。不愉快なことばかりを言う住人も含め、人間観察もしながら楽しく勧誘の旅は続くが、日没近くで道に迷った2人は 雨の心配がないのを良いことに乾草づかの上で一夜を明かす。美しい星空の下におけるエミリーちゃんのモノローグ↓が印象的でした。ー有限の世界は一瞬、無限の世界にかわりーしばし人間が神性をおびー醜いものがすべてかき消えて後には完全な美だけが残る。おおー美ーエミリーはあまりの喚起に身を震わせた。彼女は美を愛したー今夜ほど美に満ち足りたことはなかった。身動きをしたり呼吸をしたらからだを流れている美の流れが途切れるのではないかと恐れた。人生は神の音楽を奏でるための素晴らしい楽器のように思えた。「ああ、神様、わたしをそれにふさわしい者になさってくださいませーああ、わたしをそれにふさわしい者になさってくださいませ」とエミリーは祈った。「アンの青春」でも、アンちゃんとダイアナちゃんの2人が村の改善会の資金集めに村の家々を回ったり、あひる小屋の屋根にはまって身動きが取れなくなったところに雷雨が来て ハイテンションになったり…というシーンが描かれていますが、それらの体験が「文学」に昇華されていく…そこの説得力は圧倒的に「エミリーはのぼる」の描写の方が精度が高く、洗練されていると感じました。・第二十一章 水よりも濃く…ルース伯母さんカッケェえええええ!!・第二十二章 「わたしを愛してください、わたしの犬を愛してください」・第二十三章 ひらいたドア・第二十四章 まぼろしの谷本作「のぼる」のクライマックス、ミス・ロイアルのニューヨークへの誘いがあり、エミリーちゃんが自分自身の進むべき道を自ら見出していく一連のターン。ミス・ロイアルとの出会いのシーン…部屋中を引っ掻き回す「犬」を、お互いに相手の飼い犬だと勘違いして、「なんて失礼な人なんだ」と心象最悪でしたが、勘違いだと分かると一気に場の空気が和む描写も、2人が似た気質を持っており相性が良いことが見て取れて…キレのあるシーンでした。1作目・可愛いエミリーから読んで来て、この場面でこの選択…“プリンスエドワード島・ニュームーン農場で執筆する道”を選ぶエミリーちゃんの心持ちの説得力が凄い!モンゴメリさんの作品の中で、エミリーシリーズでしか得られない爽快感/感動なのではないかと思います。・第二十五章 恋の季節次巻、恋愛面を進めていくよ~…という予告的な意味合いも含めているタイトルでしょうか。キレッキレの終章だと思います。周囲の望む一族内の婚約者・アンドルーを超冷静にぶった切った後、テディが自分を求めないことに対するゆらゆらざわざわするエミリーちゃんの心情が綴られています。わたしはもし我慢しなければ、テディ・ケントをいくらでも愛せたのだーもし彼が望めば、明らかに彼はそれを望まないらしい。~略~それでいい、かまやしない。もしテディがわたしを欲しないなら、わたしもテディを欲しない。それがマレー家のやり方である ~云々…言い回しが天才的!我が強すぎて、なんて可愛くなさすぎるエミリーちゃんの思考回路!それでいてラスト、池の水面をふと見たときに、垂れ下がっている枝の影がちょうど木の葉の冠ー月桂冠のように見えて…わたしはそれをいい兆(しるし)として受けとった。そうだ、テディはただ恥ずかしかったのだろうと。…この、最後の最後の一文!なんというキレ!自分の心に言い訳して言い訳して…だけど本当はテディくんに自分を望んで欲しい…エミリーちゃんの深層の心情が顔を見せる瞬間がたまりませんでした。『エミリーはのぼる』…超傑作だと思います!!!『エミリーの求めるもの』(Emily's Quest) 1927年著・1969年和訳【新潮文庫・背面あらすじ】平和で旧時代的なニュー・ムーンの世界から、ボーイフレンドのテディも、親友のイルゼも、都会へと飛びたっていった。孤独に耐えながら、ひたすら創作に没頭するエミリー。野心(アンビッション)に燃える彼女にも、時として眠れぬ「夜中の三時」が訪れる。いわゆる適齢期を迎えた女性の、微妙な乙女心が求めるものは何かー このエミリー・シリーズ完結編は、村岡女史最後の訳業となった。【主要キャラクター:3作目時点】(ニュームーン農場)・エミリー・バード・スター17歳。シュルーズベリーでの3年間の高等教育の後、ニュー・ムーン農場に戻り、ひたすら執筆の道を志す。結婚適齢期が近づきはじめると、彼女の結婚に係り様々な男性が名乗りを挙げ始め、恋愛の噂が絶えない。(幼なじみたち)・テディ・ケントモントリオールのデザイン学院へ進学し、画家として成功をおさめ始める。エミリーを愛している素振りを見せるものの、はっきりとしたことは言わず、遠くに暮らすうちにエミリーとは徐々に心の距離が出来始める。・イルゼ・バーンリモントリオールの“文学と表現の学校”へ進学する。作中、幼い頃よりペリーを愛していたことをエミリーに打ち明けるも、彼を諦め、“習慣のようになった”テディと婚約する。・ペリー・ミラー貧しい生まれながら 高等教育の中で頭角を現し、シャーロットタウンの法律事務所で働く。エミリーに何度もプロポーズするも断られ続け、それでもなお良き友人として付き合っている。(その他)・カーペンター先生エミリーの執筆作品を辛口で批評してくれた先生。本作序盤で病死し、彼の死はエミリーの孤独に拍車をかける。・ディーン・プリースト伝統あるプリースト家の独身中年男性。エミリーの良き理解者だが、彼女の執筆活動にはあまり良い反応を示さない。エミリーへの愛情を自覚しながらもそれを隠してきていたが、大けがをして半年間病床に伏せていた彼女を支え、結婚の約束を取り付ける。その昔花嫁が逃げたという曰くつきの“失望の家”を購入し、新たな住まいにしようと準備するも、テディを愛していることを自覚したエミリーに「あなたを愛していない」と破談を切り出され、承諾する。・ミセス・ケントテディの母親。一人息子を溺愛し エミリーの存在を憎む。都会へ出ている息子に対し エミリーの他の男たちとの恋愛噂を逐一報告し、またテディからエミリーにあてた愛のメッセージの綴られた手紙を隠蔽する等、2人の関係を悪化させる数々の所業を行う。物語終盤、エミリーが彼女の亡き夫(テディの父親)の手紙を見つけたことで心救われ、これまでの自身の行動を反省するようになる。【感想】エミリーシリーズ3部作の最終章。幼馴染カルテット+ディーンさん+そのほかの数多の求婚者たち(+裏でミス・ケントの暗躍)…と、登場人物たち全員自分勝手なため引き起こされる、コロッコロ形成逆転しまくるラブバイオレンス!とにかく、はっきり自分の気持ちを相手に伝えていない状態の上で、誤解や嘘・その他もろもろの各人の環境変化が重なっていき、相当話が詰まった上での婚約破棄や結婚式当日ドタキャンが横行するひどい世界戦でして…なんというか…アンシリーズって本当に優しい世界だったんだな…というか、「エミリーの求めるもの」を読んでいると、全員どっかで人様に迷惑をかけまくらないと自分の根幹にある感情に戻ってこれない、たいがいなキャラクターばかりなんです……が、っっっ超オモシロかった…!!これはここにしかない面白さだ…。エゴイスティック×複数主体でこじれまくってて最高だった!!第1作目から仕掛けてあったキャラ配置/伏線を、余すことなくすべて生かし切ってラストまで突き抜けていて、これだけドタバタして人間関係も焦土と化したんじゃないかというとそうでもなくて、ラストで主役たちが向かうべき未来に踏み出すことが出来ていることがきちんと伝わってきて、爽快感を持って読み切ることができて感動しました。【エミリーちゃんの第3の気質について】エミリーシリーズの特徴として、とにかく”家系・血筋に係る意識”が非常に強調して描かれており、彼女の意識の中で、自分の気質をおそらく下記のように認識しているのだろうと思います。①母方・マレー家の血筋:自然を愛し、代々プリンスエドワード島に住む伝統ある血筋。②父方・スター家の血筋:フリーライターだった父と同様、執筆に情熱を燃やす血筋…エミリーちゃんは2作目「エミリーはのぼる」のラストで、自身の生きる道を上記2つの血筋を混合させたところにある「プリンスエドワード島で目に映るあらゆるものを自身に取り込み、文学にして昇華/表出すること」に見出します。彼女の文学&自然に向かう志向性について「血筋」という確固たるもので裏打ちしてあるので、読者にも伝わり易いですし、何よりもエミリーちゃん自身がこれらの血筋を引き合いに出して「自分の定義」を行っています。エミリーちゃんは「自分の定義」に誇りを持ち、何度挫折があったとしても忠実にその道を進みます。ただ本シリーズを読み進めると、エミリーちゃんの思考回路にもうひとつ…第3の気質があるように思います。幼い頃よりテディくんに口笛の合図で呼ばれればすぐに飛んでいく…テディくんが大好きで、テディくんに求められたい!というロマンチックで乙女チックな側面です。これもしっかり血筋で説明できるように、最初から仕掛けてある…エミリーちゃんが物心つく前に亡くなった「母親の気質」だと受け取っています。③母親・ジュリエットの気質:若くして貧乏なジャーナリスト(エミリー父)と恋に落ち、家族に大反対されるも駆け落ちする。恋に生きた女性。エミリーちゃん自身が、自分のこの気質をしっかり定義できていない。母親の記憶はないですし、周囲の人々からは口をそろえて「母親に似てない」「母親はすごく可愛い娘だった」と言われますので。※父には「お前はあまりお母さんに似てない。でも笑顔が似ている」と言われていた。またこの第3の気質が、もう2つの気質:①自然を愛し②執筆に情熱を燃やす気質と親和性が高くないのも、自身の定義に組み込まれにくい要因だと思います。この第3の”恋愛”気質を貫こうとすると、相手の世界に飛び込んでいく…つまり相手都合に合わせて動く必要が出てきますので、エミリーちゃんのやりたい執筆活動に支障がでる可能性もあるんです。執筆活動だけを自身の使命と認識するのであれば、恋に向かいたい志向性は日陰に置いた方が都合がいい…でもどうしても彼女の深層に存在しますので。本作「求めるもの」においては、エミリーちゃんがこの第3の気質を素直に表に出すことが出来ず、焦燥にかられ苦しむことになります。【カップルについて】・エミリーちゃん/テディくんメインカップルであるエミリーちゃんとテディくん。この2人のキャラ設定は、アンちゃん/ギルバートと相反する形で作り込んであると感じます。アンシリーズは、アンちゃんが思ったよりも臆病な子で、そしたらアンちゃんを幸せにすることを生きがいにする推進力お化け・ヒーローのギルバート氏が暴走を始めました。奴が、あまりに強力過ぎた…。最終的にはアンちゃんが人生を選ぶというよりは、“ギルバートの理想”にアンちゃんが人生を全振りする、作品全体が“ギルバートの理想”の実現&ブライス一家万歳!にたどり着く…言ってしまうと完全に“ギルバートが作品を乗っ取る”状態になってました。これがアンシリーズ最大の魅力であることは確かですが、強力過ぎて何もかもが乗っ取られてたと思います。エミリーシリーズで描きたいのは、あくまで“エミリーちゃん自身の主体性、アーティスト性”ですから、ヒーローのテディくんは、第一に“ギルバートにならないようにすること”を大前提に、設定から作り込んであるキャラクターだと思います。この子自身も画家…アーティストであるという点と、何よりも母親の存在ですね。エミリーちゃんとテディくんは2人ともアーティストで、やりたいことが他にきちんとある子たちなので、相手の存在は“唯一の生きがい”ではないんです。だから、相手のことは大好きだしもし相手が自分を望んでくれるなら…!とお互いにずっと思ってるんですが、お互いに絶対にそれを直接には言わない。特にテディくんには、母親・ケント夫人の存在がずっと付きまとっていますので。出逢った頃からテディくんがエミリーちゃんのことを大好きだったので、ケント夫人はエミリーちゃんを目の敵にしていましたし、かといってたった一人の親族を捨てることなどテディくんにはできないし…画家として成功して、母親を引き取って面倒を見て、亡くなるまできちんと見届けて…そこまで来ないと、最終的にテディくんがエミリーちゃんに直接愛を伝えることが出来なかったのもすごく説得力がありましたし、どんなに大どんでん返しを繰り返しても納得できました。エミリーちゃんもね…困ったことに自分よりどうしても母親を優先させてしまうテディくんだから好きなんだろうな、ってのもなんとなく分かるので。自分は強くて、他に執筆という生きがいもあるので、テディくんに求められなくても大丈夫だけど、ケント夫人はテディくんがだけが生きがいなので。極論、エミリーちゃんはテディくんが居なくても大丈夫だし、テディくんも相手がエミリーちゃんでなくても大丈夫だし…と、エミリーちゃんは言語化できる次元では思っているのではないかと思いますが、下線部については先に語った彼女の第3の気質がどうしてもうずいて苦しい…そんなぐるぐるした心もちで10代後半~20代後半を過ごすことになりました。ラスト、テディくんの告白(プロポーズ?)の言い回し↓が、ギルバートと正反対で本当に興味深かったです。「ぼくを愛することができないとは言わないでくれ。できるんだーそうしなけりゃいけないんだーねぇエミリー」ー彼の眼は一瞬間、彼女の月の光のような、明るい眼に合ったー「きみは愛している!」エミリーちゃんの主体的な愛情を、テディくんの方から懇願する…という言い回しですね。根幹のところで言いたいこととしては、「望ましい未来に向かいたい、それをあなたにも望んで欲しい」ということなので、アンちゃん/ギルバートのプロポーズシーンと同じ意なのですが、でも言い回し自体が真逆の形になっているところは、2組のカップルの違いがよく見て取れて面白いところだと思っています。・イルゼちゃん/ペリーくんもう一組の幼馴染カップル。イルゼちゃんはずっとペリーくんのことが好きだったのですが、ペリーくんが幼い頃よりずーっとエミリーちゃんしか見ていなかったことや、立身出世のためにペリー君が別の縁談の話も進めている状況もあり、想いを伝えることもせずになんとか彼を諦めようと、テディくんと婚約/結婚を進めようとします。※イルゼちゃん&ペリーくんは、エミリーちゃん&テディくんの絶妙な両想い関係には気づいていないイルゼちゃん/ペリーくんの2人は、普通小説を書くとしたらこの子たちを主役にした方が明朗な物語になるだろうな…というエミリーちゃん/テディくんよりすごく“主役っぽい設定”を持った子たちだと思っています。イルゼちゃんは、幼い頃より母親がおらず、父親にも長いこと構ってもらえなかった娘で、奔放さの裏に愛情への渇望や不安定さを垣間見せることが度々あり、読者としても「幸せになってほしいなぁ…」と常々思って読み進めてしまう娘でした。クライマックス、テディくんとの結婚式を間近に控えたイルゼちゃんが 妙なハイテンションになって来て、そこから夜通し泣きはらしたり ペリーくんからの結婚祝いを叩き割ったり…とどんどん不安定になっていき、式の直前、ペリーくんが事故にあったとの報を聞いてから忽然と姿を消してしまうシーンは、ある意味爽快な面白いシーンでしたね…!もちろん超絶傍迷惑な行動なんですが…まぁ…幼少期からのあの子の置かれた状況を考えれば、父親だって村の人たちだって 誰もそうも強く文句は言えないよね…タイミングの良し悪しはさておき、誰よりも早く自分の気持ちに従って動いたイルゼちゃんのおかげで、結果、幼馴染カルテットは正常の一番望ましい形に落ち着くことができたよね…と思います。エミリーちゃんとテディくんは…たとえ誤解やすれ違いがなかったとしても、最終的にはケント夫人が存命のうちには、結ばれることはなかっただろうと思いますので。【若くして亡くなった母親の生き方の肯定について】ここまで感想を書いて来て、本作の"恋愛"面には、アンシリーズと同様に”若くして亡くなった母親の生き方の肯定”というテーマがあることをひしひしと感じました。本作は、やたらと”若くして死別した夫婦”が登場します。エミリーちゃんの両親もですし(駆け落ちするも、母が若くして病死、数年後に父も病死)、イルゼちゃんの両親も(母親が誤って井戸に転落、その後12年間不貞を疑われ続けていた)、テディくんの両親も(父が若くして病死、母は一人息子を連れて引きこもりの生活)です。周囲にも、来るはずだった花嫁が来ず未完成のまま放置された”失望の家”や、新婚時に奥様を失い気の触れた老人等、やたらと結婚にまつわる悲劇が蔓延しており、幸せが長続きした夫婦像がほとんど居ない。エミリーちゃん、イルゼちゃん、テディくんが、心から想う本命の相手になかなか面と向かって愛を伝える/結婚を切り出すことが出来なかったのもなんか納得できますし、でも最後は皆”結婚”に向かっていく…。両親のことが心理的なネックになってるとか、両親の生き方の肯定がしたいとか、はっきりそれを言語化できる次元で自覚できているわけではないのですが、めぐりめぐった結果として”両親/母親の生き方の肯定”をしているんだな、と思います。このテーマは、アンシリーズでも思いっきり描かれていました(アンちゃんは、出産直後に亡くなった両親の目指していたであろう”幸せな家庭を築く”道に進んでいく)。モンゴメリさんの結婚観の根底に、”両親(特に母親)の生き方の肯定”…母親の生き方の再生産をしていくという観点があったんだろうな、と感じています。ざざざっと思ったことを書きたくって来ましたが、やっぱりエミリーシリーズも、“心情構成”を念頭においた、練り込んだキャラクター配置・繊細な各種設定の数々が本当に凄まじいですね。特に本シリーズは、狙って仕掛けたものを、きれいに見事に回収し切ってラストを迎えていますので、意図したものをまっすぐ書き通すことが出来た作品として、モンゴメリさんの構成作家としてのずば抜けた手腕がよくよく語れるシリーズだと思います。アンシリーズにひと区切りつけた後、モンゴメリさんがなぜ本シリーズを執筆したくなったのかもよく分かりますし、非常に読み応えがありました。アンシリーズと比較すると、相当バイオレンスで攻撃的な話回しも多いので、アンシリーズよりも読む人を選ぶ作品だろうなぁ…とも思いますが、この書き方でしか描けないぶった切った爽快感もあるな、と感じています。総じて、超面白かったです!!アンシリーズを完読し、もう一段階モンゴメリさんの構成力を深堀り/堪能したい方は、是非!さて…次は「青い城」かな??(1926年著・「エミリーはのぼる」1925年と「エミリーの求めるもの」1927年の間の作品)なるべく時系列順に、ぼちぼちと読み進めていきたいと思っています!【村岡花子さん最後の訳業】最後に、少し話はそれますが…文庫背面の説明文や巻末の寄稿によると、エミリーシリーズ3作目「エミリーの求めるもの」は、村岡花子さんの最後の訳業とのことでした。本作の最後の原稿を出版社に手渡した1968年10月、その月のうちに村岡花子さんは75歳で亡くなられたとのことで…エミリーシリーズ3部作をきちんと翻訳し切れたことは、モンゴメリ作品の訳業という偉業の一貫として本当にやり切れてよかったなぁ…と感じます。『可愛いエミリー』のタイトル一個取ってもいくらでも語れますが、村岡花子さんは天才です。村岡花子さんの他の訳業に手を付けたわけではないので全部想像で言いますが、モンゴメリ作品の訳業を鑑賞する限りにおいては、「英語力」という言葉では言い尽くしきれない…”モンゴメリさんの意図を汲む力”というか、"文脈/物語構成を捉える力” ”フィーリング/テンション/ニュアンス”、そしてそれら捉えたものを”日本語に起こす際の語感センス”…尋常じゃありません。どうしてこんな繊細なものをきちんと掴んで、見事なまでに日本語でアウトプットできるのか…何をどう語ろうとしたって…「天才」としか言えません。国と世代を超えて、こうして私がモンゴメリ作品を堪能できるのも、ひとえに村岡花子さんの偉業あってのことと受け取っています。それを改めて実感する、エミリーシリーズ3部作でした。by姉◆小説 赤毛のアンシリーズ(村岡花子訳) 感想リンクアンの青春(Anne of Avonlea)1909アンの愛情(Anne of the Island)1915 ⇒アンの愛情 村岡花子訳と後続の翻訳本の比較についてアンの幸福(Anne of Windy Willows)1936アンの夢の家(Anne's House of Dreams)1917炉辺荘のアン(Anne of Ingleside)1939その1:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921その2:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921アンの友達(Chronicles of Avonlea)1912アンをめぐる人々(Further Chronicles of Avonle)1920◆モンゴメリ著 小説 感想リンク果樹園のセレナーデ(Kilmeny of the Orchard)1910ストーリー・ガール(The Story Girl)1911黄金の道―ストーリー・ガール(The Golden Road)1913可愛いエミリー(Emily of New Moon) 1923エミリーはのぼる(Emily Climbs)1925エミリーの求めるもの(Emily’s Quest)1927青い城(The Blue Castle)1926◆赤毛のアン 関連本 感想リンク赤毛のアンの手作り絵本 / 松浦英亜樹 さんのイラストについて赤毛のアンシリーズのコミカライズについて
2025.11.27
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エミリー3部作(村岡花子訳)を読みました。モンゴメリさんが『アンの娘リラ』(1921年)をもって、一旦アン関連の作品を切り上げた後に展開された3部作シリーズです。エミリーシリーズ3部作感想ーその1 概要+「可愛いエミリー」感想 村岡花子訳ざざざーっと目を通しての概要&各巻感想を簡単に書いていきます。*以下、備忘の為にキャラクター概要・展開の説明をたくさん記載しています。シリーズ全体&各巻について、結末までしっかりネタバレを含みます。スリリングな展開が魅力的なシリーズだと思いますので、未読の方はお気を付けください*■エミリーシリーズ 概要について・アンシリーズ、ストーリーガール+黄金の道とのエピソードの類似エミリーシリーズですが、話の舞台はプリンスエドワード島。10歳前後の親を亡くした少女が農場に引きとられるところから始まる…等、アンシリーズやストーリーガールと非常に似た舞台/出だしで展開します。作中に登場する話回しの要素も、既視感があるものが多いです。幼少期を書いた「可愛いエミリー」は、基本的には「赤毛のアン」を、青年期・高等教育期間を描く「エミリーはのぼる」は「アンの青春」「アンの愛情」を彷彿とさせるエピソードが多い印象です。また、本シリーズのエミリー・イルゼ・テディ・ペリーの幼馴染カルテットの関係性…特にペリーくんのキャラクターは、ストーリーガールのピーターくんが下地にあると考えられます。こういった、ひたすら同じ舞台を使用しながら 異なる設定やテーマでもってどんどん作品を描かれるモンゴメリさんのスタンスは、現代の漫画家だと非常に「あだち充先生っぽいな」と思いながら読み進めています。あだち充先生も、基本的に渾身作は「西東京/高校野球」を舞台にしていて、キャラクター造形も非常に似ているのですが、設定や描くべきテーマ自体はまったく異なる長期連載ヒット作を何作も何作も生み出しています。似てるけど、明確に「描いているテーマ&描いている感情」が違うので、同じような舞台&同じような要素で話を回したとしても、文脈における意義が全く異なり、逆に作品毎に「描いているもの」の違いがよくよく理解できるんです。・エミリーシリーズの特徴エミリーシリーズで特徴的だと感じたのは、特に下記の2点です。エミリーシリーズの特徴①著者モンゴメリさんの「自伝的」な側面について“愛されるための娘”アン・シャーリーと“書くための娘”エミリー・バード・スター本作は、どの説明でも「アンシリーズより自伝的」と書かれており、読んでみて非常に納得する部分がありました。(文学面)アンシリーズは、もちろんモンゴメリさんの生まれ育った背景が下地にある作品であり、主人公のアンちゃんには著者自身の体験や感情が色濃く投影されていると思っています。しかし、やはり特に2作目「青春」以降は、アンちゃんがモンゴメリさんからかなり離れて自由に動きしゃべっているのを感じていました。実母と幼くして死別したモンゴメリさんですが、祖父母宅で育てられたとのことで、アンちゃんの「生後3カ月、周囲にはまったく血縁者/近親者ゼロ」とは全く状況が異なりました。やっぱり走らせていくうちに、アンちゃんはモンゴメリさんご自身よりずっと「安心の上に立てなくて、怖がりで、”求めること”が出来ない娘」でしたし、「非常に潔癖で守ってあげたくなるタイプの娘」だったんだと思います。青春→愛情→夢の家と、物語が進むにつれてどんどんアンちゃんがモンゴメリさん自身から離れて、特に夢の家の頃には、モンゴメリさんが構想した話筋から全然別の動きをしていることを感じます。特に文学執筆面については、モンゴメリさん的にはアンちゃんには”奥さん/お母さんをやりながら著名な作家になる未来”を構想し、物語を進められていたのだと受け取っています。「青春」では有名な女流作家のグリンゲイブルス訪問、「愛情」ではアンちゃんの著作が初めてお金になるシーンがあり、「夢の家」では、そのまま小説の主人公になりそうなジム船長の投入&妊娠期間中に彼の物語を執筆&出版→モンゴメリさんがアンちゃんに出会ったように、アンちゃんも”初出版の小説の主人公・ジム船長”と出逢い、物語の最後に息子・ジェムくんとして生まれてくる…小説執筆と出産を繋げるような形で筋道を構想されていたのではないかと想像しています。ただ、アンちゃんにとって出産は非常にセンシティブなアクションであり、彼女自身の意向として 文学的成功という野心的な面や、小説の主人公として前に出るようなアグレッシブな動きはやりたがらなかったのだろうと受け取っています。彼女は、ひとたび家庭を築く道に進むと決心したからには、どこまでも夫/子どもたちに献身的な女神&聖母でした。エミリーシリーズは、モンゴメリさんが アンシリーズで仕掛けていたけれど書き切れなかったこれら文学面について、アンちゃんとは別の主人公を据えてしっかり描き切ることを念頭に着手された作品と認識しています。エミリーちゃんは父親へあてた手紙/日記/詩や小説…という様々な形で、ひたすら「書くこと」に執着・没頭します。理不尽な出来事も無力さにさいなまれる時も幾度となく訪れるのですが、一般人メンタルで再起不能になりそうな出来事も、ひたすら「書き出す」ことでエミリーちゃんの中で昇華され、血肉になっていく様子がよく見て取れます。(家系への意識/自身の定義)また、上記文学面とも被る部分ではありますが、主人公の「自分の定義」の違いがそのまま作品の違いだなと感じています。エミリーシリーズの特徴として、とにかく“家系・血筋に係る意識”が非常に強調して描かれています。エミリーちゃんの思考回路として、行動言動を考える際の頭文として「マレー家の者として」「スター家の血を引く者として」という言葉を多用します。エミリーちゃんは、特に母方の家系が伝統を重んじる一族であり、出生やルーツがはっきりしているため、とにかく最初から怖いくらい「自分」がある娘です。エミリーちゃんの意識の中で、おそらく自分の気質を下記のように認識しているのだろうと思います。①母方・マレー家の血筋:自然を愛し、代々プリンスエドワード島に住む伝統ある血筋。②父方・スター家の血筋:フリーライターだった父と同様、執筆に情熱を燃やす血筋彼女は自身のルーツも背景もすべて理解したうえで、「ではここにこうして生きるエミリー・バード・スターの使命とは?」の回答を自分自身で見つけ出し、上記2つの血筋を混合させたところにある「プリンスエドワード島で目に映るあらゆるものを自身に取り込み、文学にして昇華/表出すること」に見出していきます。※実は、エミリーちゃんの気質として上記2つとは別にもう1つ、エミリーちゃん自身も自覚できていない第3の気質が仕掛けてあると思っています。これについては「エミリーの求めるもの」感想パートで語ります。反面、アンちゃんは両親の記憶もなく 血縁者が周囲に0という立場なので、そもそも「自分」が何者か分からない…実は「自分」がほぼなくて、 いつまでも不安定なところに立ち続けている娘で、だからこそ「ここにあなたが居てくれて嬉しい」と言ってもらえることが、彼女を定義づけるすべてでした。簡単に言うと、アンちゃんを定義するのは「周囲の人たちの愛情」ですし、「ギルバート(&子どもたち)に人生を全振りする選択」ー“結婚”をして「ブライス家」に属して真の家族を持つことが出来たことこそ、彼女の至高の幸せだったのだろうと受け取っています。この2人の意識の違いが、エミリーシリーズの方が著者にとって「より自伝的」と言われる最大の要因だろうな、と感じています。エミリーシリーズの特徴②自由な作品構成/キャラクター配置もう1点、エミリーシリーズを読んで印象的だったのが「構成重視」の物語である点。1冊1冊、解き放たれた鳥のように自由~にのびのび~っと執筆されているのを感じました。モンゴメリさんの作家性として、真っ先に語りたくなるのは「構成」です。小説作品の1冊1冊、短編でも1作1作、「心情作り」を基盤としながら それらを全然違う筋道で形作って来る「構成」に特化された作家様だなと感じています。ただ、アンシリーズはかなりキャラクターがモンゴメリさんの手を離れて自由に動き回っていて、また作品人気に比例して、読者の期待の目線が強力過ぎたのだと思います。読者は、キャラクターたち(特にアンちゃん&ギルバート+子どもたち/ブライス家)が幸せになるのを見たくて読んでいる…その前提を重々承知したうえで、モンゴメリさんの興味関心/描き出したいテーマをどのように折り合わせて形作っていくのか。「夢の家」以降の作品は、複数のキャラクターたち…特に迷いなく自身の理想に作品全体を引き寄せようとしてくるギルバートのような作品掌握型の魔王的キャラクターとディスカッションして、説き伏せて、ちゃんと読者目線で面白い形に演出して整えて出す…というステップを踏まれていると感じます。アンの娘リラ(1921年)に至っては、主役カップルの子どもが6人も居るうえ、牧師館の幼馴染4兄弟もいて、そこに戦争という激重題材をぶつけているので、あっちこっちで激情爆発の凄惨な状況の中を、子ども世代の上の方の子たちとは少し距離のある末娘・リラちゃん主観で、数々の感情の爆心地に突っ込まないようにかいくぐりながら、なんとかかんとかラストシーン(終戦)までたどり着く…という書き方をされていると思っています。普通の考え方で「あの形」にはならない作品ですので、非常~にこじらせながら、苦しみながら形にされたのだろうな…と想像しますし、リラまで書ききったあと、モンゴメリさんが晩年までアンシリーズのキャラクターたちに触ることが出来なかったところからも、あまりに責任が重過ぎて、物語を構想する際の自由さが全くないところまで行き着いていたんだろうな、と感じます。エミリーシリーズは、読者目線/キャラクターの主体性はいったん重要度を下げ、モンゴメリさん主体で、描きたいテーマ/構成の方を優先したつくりで描き切ったシリーズだと認識しています。『可愛いエミリー』(Emily of New Moon) 1923年著・1964年和訳【新潮文庫・背面あらすじ】「勇気を持って生きなさい。世の中は愛でいっぱいだ」。父の遺した言葉を胸に、作家になることを夢みて生きる、みなし子になったエミリーは、ニュー・ムーン農場に引き取られた。孤独で夢みがちな彼女は、伯父伯母から変わった子供だと言われながらも、書くことに熱中し、詩人か小説家になろうと決心する。著者は『赤毛のアン』シリーズで親しまれているが、より自伝的だとされるエミリー・シリーズの第一作。*どうも1959年に別出版社・秋元書房より『風の中のエミリー』や『雨に歌うエミリー(2作目のぼるのこと?)』といったタイトルで一度刊行されていたのかな?ただ、その後新潮社より発刊された際にはこの『可愛いエミリー』というタイトルで発売されているようです。【主要キャラクター:1作目時点】(ニュー・ムーン農場)・エミリー・バード・スター4歳頃に母親と、10歳頃に父親と死別した後、母方の実家であるマレー家・ニュームーン農場に引き取られる。ふいに訪れる“ひらめき”を待ちながら、日々の出来事や想いを亡き父にあてた手紙として綴り続ける。・エリザベス伯母誇り高きマレー家のしきたりを重視し、厳格にニュームーン農場を取り仕切る。可愛がっていた異母妹(エミリーの母)が、フリーライター(エミリーの父)と駆け落ちした後に若死にしてしまったことを悔やんでおり、エミリーがものを書くことを良く思わない。・ローラ伯母ニュームーンに来て以来、エミリーの面倒を見てくれる心優しい伯母。ただ、エミリーの文学的野心への理解は薄い。・ジミーさんマレー家の親類。ニュームーン農場で働き、庭の管理に力を注いでる。幼少期にエリザベス伯母と遊んでいる際に井戸に転落し、脳への後遺症が残る。エミリーの文学的野心を理解し、紙を与える等全面的に強力してくれる。・ペリー・ミラージミーさんの小間使いとしてニュームーン農場にやとわれた貧しい生まれの少年。エミリーのことが好きで、将来の立身出世を志す。(近所の住人)・イルゼ・バーンリドクター・バーンリの一人娘。親が無神論者であり、また放任の元育っているため、周囲にはお転婆との評を受けている。口が悪くエミリーとはしょっちゅう口論を繰り返しながらも、打ち解けた会話のできる大事な親友。・ドクター・バーンリ医師。妻(イルゼの母親)の失踪依頼、無神論者で娘の面倒を見ない。・テディ・ケントよもぎが原に母親と2人で住むハンサムな少年。絵を描くのが上手。エミリー・イルゼ・ペリーたちと遊ぶようになる。・ミセス・ケントテディの母親。家に引きこもり、一人息子を溺愛する。息子が愛情を注ぐ(愛情を注ぎそうな)対象を憎む。(学校の先生/生徒)・ローダ・スチュアートエミリーが最初に仲良くなった女の子。彼女がエミリーを誕生日会に呼ばなかった事件を持って友情関係は終了する。・ミス・ブラウネルエミリーを目の敵にしているいじわるな先生。エミリー作の詩をクラス中で笑いものにするなどの仕打ちをする。・カーペンター先生ミス・ブラウネルの後任の中年男性。昔は大臣を目指すのでは?と言われていたほどの神童だったらしいが、大学の頃道楽におぼれたと噂されている。エミリーの執筆作品を、辛口かつ的確に批評してくれる。(マレー家親類/プリースト家)・ナンシー・プリースト大伯母プリースト・ポンドに住む、マレー家出身で一番お金持ちである90歳の高齢女性。エミリーは一時期彼女の家に滞在する。・ディーン・プリーストマレー家と同様、伝統あるプリースト家の独身中年男性。肩の高さが異なる/脚をひきずる等の身体特性を持つ。小金を貯めており現在は仕事を持たず、世界中を旅している。豊かな知識を持つ。海岸でエミリーの命を救って以来、エミリーは父親以来の気心を許せる相手としてなつく。エミリーとは親子ほど年齢が離れているが、彼女を愛し始める。【感想】原題は「Emily of New Moon」…いかにもファンシーな物語っぽい響きです。これをさらに村岡花子さんが「可愛いエミリー」なんてタイトルに訳すものだから、さぞや可愛らしい、乙女チックな物語かと思うじゃないですか。…多分、「タイトルの印象と本編とのギャップ」は狙って仕掛けたものだと思うのですが、第一の感想がひたすらコレです。↓エミリーちゃんも、物語自体も、全っっ然カワイくねぇえええ!!!いや、モンゴメリさんの「より自伝的な作品」という触れ込みは聞いてたので、なんとなく想像はしていましたが、やはりというかなんというか…エミリーちゃんは最初から自分が出来上がり過ぎてて、引き取られた名家の伯父伯母たちに全く負けずに生意気だし、学校での担任からの仕打ちや女同級生たちの動きもアンシリーズに比べ陰湿性が高い。ただ、どんなことがあっても「書くこと」ですべて昇華し、血肉にして創作に還元していくエミリーちゃんの姿は、モンゴメリさんが思い描く「理想的な作家」の姿なのだろうな と思いますし、どんなに陰湿な出来事が立て続けに起きようと、それほどのネガティブさは感じません。本シリーズは、きちんとエミリーちゃんの主観で読み進めることが出来るんです。嫌なことがいっぱい起こるんですが、エミリーちゃんが読者よりも数段強い鋼メンタルの娘なので、「強い娘だなぁ…」と置いて行かれながらも一緒に進んでいく…そんな印象を持って読み進めました。後半も後半・第29章「神聖冒涜」。エミリーちゃんがこれまでニュームーンに引き取られてからの日々の不平不満のはけ口として書きたくった「亡き父への手紙」の束を、エリザベス伯母が発見し、エミリーちゃんと衝突するシーン!あることないこと自分の悪口もいっぱい書き連ねてあるそれらを目の当たりにしたエリザベス伯母もショックですし、誰にも見せるつもりもなかった 赤裸々でエゴイスティックな手紙群を読まれたエミリーちゃんもショックですし、ぶつかった後 お互いに「読むべきではなかった」「書くべきではなかった、本心ではない」と謝り合うシーンが印象的でした。作品冒頭よりなかなか本音を言い合うことが出来なかった エリザベス伯母との心の交流。ちょっとばかし傷つけ合いが過ぎてるというか、殺伐とはしてますが、愛情を持った関係性だとお互いに認識し合えるシーンになっていて、この流れでこういう風に読ませるのか!すげぇ!!と感動しました。…このシーンがクライマックスだと思うじゃん!第30章 ・「カーテンが揚ったとき」…ここから、まさか…古井戸から、12年前に行方不明になったバーンリの若奥様(イルゼの母)の遺体が発見される怒涛のサスペンス展開が来ると思わないじゃん!!※悪性のはしかにかかり、意識昏倒したエミリーちゃんがシャーマン的な素養を発揮。周囲には「赤ん坊が居るのに、若い他の男と逃げた」と噂されていたイルゼの母親の居場所を叫び、伯母たちが半信半疑で井戸の捜索をすると発見された(事件性はなく、あくまで事故)。いや…ジミーさんの件も含め、やたらと井戸に人が落ちるなとは思って読んで来ていましたが、あまりの衝撃展開故、読後に残ったのが「井戸危険!要注意!」の感情だけだったのは凄かったです。…なにが『可愛いエミリー』だ馬鹿ヤロウ!(※)可愛らし~いタイトルで釣っておいて、赤毛のアンと似てるよ~って出だしで始めておいて、最後におっかなびっくり!ぎょっとさせる展開で読者をビクつかせたい意図が見事に形になっている作品だな、と思いますモンゴメリさんは構成作家なので、基本的にラストで読者をびっくりさせるのが大好きなんだろうと思います。…でも、これはアンシリーズではもう出来ない。本作『可愛いエミリー』は、アンシリーズのファンたちをびっくりさせること、このシリーズはアンシリーズとは違う面白さを目指して執筆していることを打ち付けたかったのだろうな と受け取っています。※村岡花子さんのタイトル付けが、モンゴメリさんの意図を汲むことが出来過ぎてて凄すぎる。「エミリーはのぼる」「エミリーの求めるもの」感想に続く!by姉◆小説 赤毛のアンシリーズ(村岡花子訳) 感想リンクアンの青春(Anne of Avonlea)1909アンの愛情(Anne of the Island)1915 ⇒アンの愛情 村岡花子訳と後続の翻訳本の比較についてアンの幸福(Anne of Windy Willows)1936アンの夢の家(Anne's House of Dreams)1917炉辺荘のアン(Anne of Ingleside)1939その1:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921その2:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921アンの友達(Chronicles of Avonlea)1912アンをめぐる人々(Further Chronicles of Avonle)1920◆モンゴメリ著 小説 感想リンク果樹園のセレナーデ(Kilmeny of the Orchard)1910ストーリー・ガール(The Story Girl)1911黄金の道―ストーリー・ガール(The Golden Road)1913可愛いエミリー(Emily of New Moon) 1923エミリーはのぼる(Emily Climbs)1925エミリーの求めるもの(Emily’s Quest)1927青い城(The Blue Castle)1926◆赤毛のアン 関連本 感想リンク赤毛のアンの手作り絵本 / 松浦英亜樹 さんのイラストについて赤毛のアンシリーズのコミカライズについて
2025.11.27
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最近この作品の気分が高まってるときは緑黄色社会 さんの♪恥ずかしいか青春は ※clickリンクをよく聴いてます‼(好きな漫画には、すぐ私的テーマソングを探しちゃうタイプのオタクです)『ちはやふる plus きみがため』2巻~5巻 ちはやふるプラスきみがため(末次由紀先生、講談社、BE LOVE、2023年~以下続刊)累計2800万部突破の青春かるた漫画『ちはやふる』待望の続編ストーリー!舞台は千早たちが卒業したあとの瑞沢かるた部。競技かるたの高校全国大会優勝を目指す長良凛月(ながら りつ)だけど、千早や太一が抜けたあとの瑞沢はA級選手がたった一人で…。ひたむきにかるた、そして人生に向き合う凛月と、仲間の成長物語!読みました!雑多な超簡単感想をば!…読みましたというか、本当に私…この作品が大っっっ好きでして‼講談社の電子サイト「コミックDAYS」でポイントを貯めて、月イチの更新を心待ちにしております。発売日の0時回ったら即購入!ーと、それ位楽しみにしています。※以下、第十九章/単行本5巻までのネタバレ含みます。未読の方はご注意ください!※4巻の中盤から、舞台は滋賀県・全国大会へ!しかし主役の凛月くんが家族都合で急遽東京に帰ったりと、ハプニングが続出!ー苦戦しながらも予選を勝ち抜き、ベスト8に残った瑞沢高校。凛月くんも戻って来て、前作の主役・綾瀬千早をはじめ瑞沢かるた部OBの面々も応援に到着し…いざ、決勝トーナメントへ‼前作主人公たちも登場し、作品のノリも確立して油がノッてきているといいますか…25年夏には実写映画の10年後を描いた「ちはやふるーめぐりー」のオリジナルドラマも放映され、作品としても盛り上がってきているのではないかな?という印象を受けてます!以下、個人的な「ココが見所!」の箇条書きです。◆発光する画面…男の子主人公なのに、めっちゃキラキラ画面!本当に眩いんです「全てが新鮮な青春の目線」が‼ーいや描いてあるものは決して美しいものばかりではないんですけども…かるた部の皆で遊びに行った時の景色とか、初めての近江神宮の鮮やかな景色とか。好きな人とか。本作には「やるせなさ・暗さ・憤り」なんかも描かれている分、余計にキラキラが際立つといいますか。正直…「この漫画画面を体験できる」というだけでも、単行本揃える価値があると思います!◆かるた界隈の人物像の描写について前作の「ちはやふる」でもそうだったんですが、本作には「高校かるた部」だけにとどまらない、取材に基づいた「子供・社会人を含めたかるた界隈」の描写・群像劇が散りばめられています。ただ、前作は「クィーンになる女の子」を描く物語だったため、やはり周囲の大人たちもトップ・オブ・トップのキャラクター造作に寄っていました。彼らの悩みは、全盛期と比べて衰えていく自分とどう向き合うか・どう人生とかるた道を折り合わせながら生きていくか…。意識が高いトップアスリートたちのエピソードは、もちろん見ごたえがありました。ただ…やっぱり、それだけだと「向上心が無い人間はダメ」な世界に見えてしまいますので。1巻の感想でも書きましたが、今作では「トップになるためではなく、趣味として楽しむかるた」「限られた時間の中で頑張るかるた」「楽しい想い出になるかるた」「豊かな人生の糧としてのかるた」もまた、美しく輝かしく描かれています。2巻の初段認定試験の生意気な小学生男児だったり、7年やっても勝てないエンジョイ勢のおばさんだったり…。バリエーションに富んだサブキャラたちが、「ああ居そう‼」という立体感で描かれていて、楽しかったです。◆各キャラクター/他校の描写について・長良凛月(ながら りつ)…本人は無自覚だとは思いますが…しっかり者&陽キャ過ぎて(私には、多分近くに居たら眩しすぎて目が潰れてしまいそうなほど)パワフルな男の子です。〝かるたしか出来なかった子″ではなく、色んなスポーツを経験した上で&妹の面倒を見ながら時間を捻出して〝かるたを選んで頑張ってる子″。彼にとっては「かるたの団体戦で全国大会優勝!に邁進すること」が、亡きお母さんと繋がっていられる方法なんだろうな、と思います。自分にも他人にも厳しいけど、「自分はこうだが!お前はそうなのか‼」という、他人の特質を肯定的に受け入れる視野の広さを持っています。3年前に母親が亡くなってしまった長良家。彼の父親は、小学1年生の妹の世話を高校1年生の息子に丸投げする親です。※休日は引き受けてくれます。もちろん生活がありますので、妻の居ない中でも、稼ぎ頭として仕事に精を出すのは(父親として)立派なことです。ーただ今までも仕事一筋で生きてきたため、基本的に「何よりも〝子供の心を優先する″という発想」が出来ません。でも凛月くんは…仕事に邁進するお父さんのこと、本当に尊敬してて大好きなんですよ。本当に良い息子や…(涙)勉学に部活に育児に大忙しすぎて、とても恋愛なんて出来ない状況の凛月くんですが…想い人の花野菫先輩には、めっちゃ良い所を見せる事が出来てると思います!行けるよ~頑張れ‼私はずっと、凛月くんには是非、近江神宮の階段下で仮告白「全国優勝したら、その時また返事聞かせて」リターンをやっていただきたい…!と思ってるんですが… どうなるかなぁ⁉・秋野千隼(あきのちはや)この子は〝かるたを選んだ″し〝かるたに呼ばれた″子なのかな、と。超初心者ながら驚異の記憶力&集中力で、メキメキと&着実に実力をつけて来ています。1巻を読んだ際は(この子はどんなタイプの競技者になるんだろう?)と見えなかったんですが…記憶力⇒相手をよく観る⇒相手をかく乱させる配置⇒鋭い払いの手さばき… と、あらゆる面でどんどん天才の片鱗を見せてきています。オールラウンダータイプだったか‼また、凛月くん・肉まん君・田丸さん・太一くんといった、瑞沢かるた部(OB含む)の中でも理論的・分析的な視点を持つ面々から「次はコレ」と適切なアドバイスを受け、学習の場にも恵まれています。近江神宮にて現名人・綿谷新を見て「ああなりたい」と言った千隼くん。太一くんは(千早みたい…)と感じ、またフォームに新くんの鋭さを見出し(もしもこの子が…)とその将来性に期待が膨らんで、楽しくなっちゃったみたいです。太一くんと千早ちゃんが立ち上げた瑞沢かるた部から、新くんに挑む名人候補が生まれるかもしれない…いやぁワクワクしますね!千隼くんには、心配性が行きつきすぎて行動制限をかける母親が居ます。普通に見れば「毒親」なんですが、千隼くんも親の事を悪く言われるのは嫌な様子(ええ子や)。高校生になり、自分からも「こうしたい」と主張することが出来るようになれば良いですね!・花野菫(はなのすみれ)菫ちゃん~!! 本当にヒロイン力が凄まじいです!いちいちカワ(・∀・)イイ!!一番グッと来たのは第6首。千早ちゃんへのコンプレックスの根幹にあるは太一君への恋心だと思うけど、そこではなく「かるた部のキャプテンとして」気持ちを吐露してたのが、本当に良かった!話が進むにつれて、太一くんのへの恋心は吹っ切れていってる感じがしてます。菫ちゃんから観ても、凛月くんがどんどんキラキラして見えるようになっているのも印象的。今後に期待してます♡・田丸翠(たまるみどり)この続編では、田丸さんがいちいち良すぎると思うんです‼完全に裏ヒロイン‼ーいや元々ちはやふる無印の頃から、成長主体として非常に魅力的なキャラで大好きだったんですが…プラスではそれがさらに花開いている気がします!自分大好きで褒められたい願望が強い娘だけど、自分を受け入れてくれた瑞沢かるた部の皆が大好きで、少しずつ「周りの子たちの気持ちを考える」娘になっていってるというか。3巻で真っ先に花野先輩に抱きつきにいったり、原ちゃんたちの頑張りを主張したり…なんて可愛いの!それでいて、かるたには非常にシビアで実力主義。凛月くんや千隼くんの入部に一番喜んでるのはこの娘なんじゃないかな。4巻第十五首で描かれた、江別恵尚高校の笹原さんとの一戦が、個人的には現時点での本作ベストバウトなんです!無印の方ではほぼ描かれなかった「対戦相手が怖い」という感情…そうなんです!かるたに精通してない、かつスポーツもほぼしてこなかった私みたいな人間から見ると、かるたってめっちゃ怖い競技です。相手と近距離で向かい合って、相手が狙ってる札を取り合って…いや怖いよ。それこそ「かるたの鬼」じゃないと普通は怖いよ!「怖いのはしつこく揉めてくる人じゃなかったよ本当に怖いのは 本当に強い人 この人に勝てる自分になりたい」田丸さんのストイックなかるたへの熱意が、笹原さんのかるた愛を燃え上がらせる起爆剤になっていて、痺れました!・瑞沢かるた部面々筑波くん…「だめだなぁ」と言われつつ、慕われる部長を頑張っていてとても良いです!これからの戦いでめっちゃ活躍してくれると信じてます!橋立くん…多分この子が次期部長なんじゃないかなぁ。かるたの才能には恵まれてないけど、人を良く見ている&言うべきことはきちんと言う、男気のある子(+漫画家として大成してくれ!)です!原ちゃん…団体戦で勝ち星を上げることが出来る要因として、着実に力をつけ始めている原ちゃん。「〝ちは”は私の札だとも思ってる」は作者様のとっておき台詞だったんじゃないかな。5巻ラストでの輝きは素晴らしかった!橋立くんのこと好きなのかな?と感じさせる描写もちらほら。結構気になってます!・瑞沢かるた部OBたち初代瑞沢かるた部の面々が続々と登場!なんやかんや5人とも近江神宮にかけつけました。めちゃくちゃ応援してるけど、ちゃんと「後輩から呼ばれる&お願いされるまでは介入しないようにしてる」のが良いですね。肉まんくんが浪人中…だと⁉衝撃の事実でしたが… 個人的にはしっくりきているというか。肉まんくんって、本当に頭が良くて視野も広くて、教育的観点もある…真島太一ですら甘えにいく、めちゃくちゃ仕事出来る子なんですよね。…ただ賢い分だけ頭でっかちというか。瞬時に相手の能力と自分の能力を見定めてしまって、早々に諦めちゃう癖があって。ここが真島・机君と比べて非常に弱い部分だと感じていました。お話が進むにつれて粘れる場面も出て来てたんですが、やっぱり「かるたでトップをとる子」ではないので。末次先生的にも、「この受験という踏ん張り所で、みっともなくても粘り続けて、より高みを目指してほしい&成功体験を得てほしい」という想いがあるんじゃないかな~と感じてます。・綾瀬千早&真島太一50巻丸々かけて、最終回の最後の最後でついに恋を実らせたお二方。「運命の恋はこっちでした(バーン)‼あとは読者の想像にお任せします(ドーン)❣」って感じで、強烈なエンドマークがついていたわけですが…続編である本作では、その後のカップルに成りたての初々しいふたりの描写が小出しに小出しに描かれていて、それがシリーズファンの楽しみのひとつになっています♡私は元々(…最初から「幼馴染だよ」と言いながら、あれだけベタベタしてたお二方なんだから…正式に恋人になれば、そりゃぁ…たぶん読者がビックリするレベルでラブラブでしょうよ)と思ってました。4巻ラストでは千早ちゃんが「太一に会いたい」と走り出し、5巻では数か月ぶりの再開で太一くんが顔を真っ赤に染めました。あ~~~今こんな感じなんだぁ~~~ふぅ~~ん?(・∀・)ニヤニヤ❤あれですね。今後も1巻に1回くらいのペースで、2828シーンを入れてくださると良いですね。それだけで読者満足度、爆上がりですから!…しかし2人して「会えてない」「不安だ」「自信ない」とかなんとか弱音を吐いてますが…夏の近江神宮高校選手権(7月下旬)が終われば、大学生には2か月の夏休みが待ち構えているじゃありませんか‼そこんとこどうなんですか‼!?ーと思って見守ってます…うん。語り出したらやっぱり結構長くなってしまった💦これからの展開も楽しみにしてます‼by妹『ちはやふる』感想リンク『ちはやふる』読み始めました!感想-その1 話の骨格について感想-その2 かるた競技への芸術的・創造的アプローチについて感想-その3 千早ちゃん・新くん・太一くんの三角関係について感想-その4 瑞沢かるた部&綾瀬千早ちゃんについて感想-その5 綿谷新くんについて感想-その6 真島太一くんのかるたと、2人の師匠について感想-その7 千早&太一 恋愛とかるたについて-1感想-その8 千早&太一 恋愛とかるたについて-2感想-その9 千早&太一 恋愛とかるたについて-3感想-その10 百人一首と「せをはやみ」の歌について感想-その11 末次先生の過去作とちはやふるのハイブリットなラブストーリー描写について感想-その12 若宮詩暢ちゃんについて感想-その13 「一緒に居るための手段」の整理とサブキャラクターを用いた視点の投入について京都に行ってきました-その①近江神宮初ねんどろいど!ちはやふる「綾瀬千早」+直筆イラスト付サイン本について映画感想『ちはやふる』(上の句、下の句、結び)3部作漫画感想『MA・MA・Match(マ・マ・マッチ)』(末次由紀先生)漫画感想『ちはやふる plus きみがため』1巻(末次由紀先生)漫画感想『ちはやふる plus きみがため』2~5巻(末次由紀先生)
2025.11.23
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「アンの幸福」ー赤毛のアン・シリーズ5ー感想 村岡花子訳(L・M・モンゴメリ・1936年、和訳 村岡花子・1958年)原題は、「Anne of Windy Willows」。Windy Willowsはアンちゃんの下宿先の名前で、日本語では柳風荘と訳されています。大学卒業後・婚約者であるギルバートの医科卒業を待つ3年間…サマーサイド中学校校長として働くアン・シャーリーの日々が、ギルバートへ向けた手紙形式で描かれた作品。シリーズとしては1921年に「アンの娘リラ」が発表され、そこから15年程経ってから、空白期間だった婚約時代の3年間の物語として補完的に発表された作品とのこと。当初は描く予定のなかった部分ですので、アン・ブックスシリーズ内においては(アンちゃんの人生の転機が描かれるような)ポイントとなる重要巻ではなく、本当にどこまでもアンシリーズが大好きで、ワールドに浸り切りたい方だけが読めば良いのかな…という作品だと思っています。端的に言えば…20代前半ながら、大学卒の女性教員として校長職に重用されたアンちゃんは、学校運営や社交的に様々な問題に向き合いながらも、非常にしっかり順調に職務をこなし、サマーサイドで大勢の知人・友人(特に女性)を得て、3年間を過ごします。シリーズ中、こんなに順調ばっかりなのは本作くらいでは?…ってくらい順調です。私のような読者(完全ギルバート感情移入型読者)にとっては、サマーサイドの生活自体がよく分かりませんし、とにかく早く結婚したい一心だけなので、本作で描写される出来事にあまりひっかかりがないというか、言及することがない作品なのですが……それでもちゃんと面白い。モンゴメリさんは、本当にどんなとっかかりからでもいち作品に仕立てることが出来る、物語構成の神だな、と改めて思いました。以下、徒然に感想です。■手紙形式 & アンちゃんによる『ギルバート・ケア』本作の一番の特色は『アンちゃんから婚約者・ギルバートへあてた手紙形式』という点です。そしてまたその書きっぷりが、超熱烈ラブレター風味💌というか…手紙の主な内容は、アンちゃんサイド(サマーサイド)で起こった出来事の説明なのですが、随所に「最愛のギルバート」「私たちの未来」の話題を差し込み、「愛してる」アピールが凄まじいんです。本作の直前… 大学卒業後・夏休みに婚約する(「アンの愛情」のラストシーン)まで、大学生活の4年間はアンちゃんの男嫌い&唐辛子対応に拍車がかかり、プロポーズしてくる男ども(ギルバート含)を全員トラウマ級の返り討ちにした挙句、それでもなおギルバートの存在が怖くて、彼の結婚願望を完膚なきまでに打ち砕こう&周囲にも「友達」と認識してもらおうと、主人公としては禁忌の技(読者に嫌われる)である「他の男とイイ感じ」アピール攻撃まで繰り出して、終いにはガチでギルバートを殺しかけるところまで追いつめていた…(そして本当に死ぬと分かった瞬間、アンちゃん自身も死にたくなっていた)そんな殺伐とした、まさしく殺し合い…ラブバトルを繰り広げていた女性とは到底思えない、驚愕のデレッぷり(ものすごい変わり身)に、読者がまず唖然とさせられるところから始まります。ちなみにギルバート自身は、この熱烈なラブレター群をものすごく喜んで、自然と受け取ると思いますが…ギルバートに感情移入していると思って読んでいた読者(私)ですら、「すごく嬉しいんだけど…アンちゃんはいきなりどうしたんだろう…?なんでこんな嬉しいことばっかり言ってくれるんだろう…?婚約前からの落差が大きすぎて怖い」と思いました。ここで「私はアンちゃんに感情移入して作品を読んでいる」と豪語する妹が、『アンちゃんの心持ち』を色々説明してくれました。↓妹談:そもそも本作は、「アンの愛情」のラスト:ギルバートが死にかけて2か月も経たない所から始まっている。…学生時代はお金がないかもしれないが、将来性抜群&堅実&ハンサムで、結婚相手などより取り見取りであるにも関わらず、「アンちゃんと結婚できないから」という理由で目指すべきビジョンを見失い、死にかけるギルバートの方がおかしい。まず、そこだけははっきり言っておきたい。その上で… アンちゃんも、ギルバートのたちの悪さに本当に懲りたというか。「ギルバートを諦めさせよう」とか…圧倒的に自分の認識が甘かったことを、強烈に突き付けられた。(人生がひっくり返るレベルで )大後悔&大反省した。「本当に死にかけられた」ショックが大き過ぎて、一度世界終末を体感した上で、この先の人生を「ギルバートの目指すビジョンの実現」に捧げることになったというか…「”ギルバートの女神”として生きていく」人生を選んだというか…言ってしまうと『ギルバート・ケア』に全振りすることになったんだと思う。黙示録以降、アンちゃんの人生の命題は『ギルバートがイキイキと働き、充実した日々を過ごす姿を守ること&ギルバートを幸せに晩年まで生かしきる事』になった。アンちゃんは、ギルバートの瞬間的行動力・集中力は尊敬しているが、別に(調子に乗ってor焦って)常に120%フルスロットルで働いてほしいわけではなく、平均80-95%位の、無理のない持続可能な状態で働いてほしい… と思ってる。婚約後、ギルバートの病み上がり直後に遠恋が始まっているので、アンちゃんとしても本当は近くで見張っていたいが、現状ではそれは難しい状況。折角アンちゃんが結婚を承諾してくれたのに、自分都合(大学医科)で3年間待たせてしまう…ギルバート側に、絶対に焦りの感情があるだろうことも、容易に想像できる状況。そこで、アンちゃんとしては唯一のコミュニケーション手段である「手紙」を用いて、出来る限りのギルバート・ケアをしようと、とにかく下記点を強調して手紙を綴っている。①『焦るな』『時を待て』『安心して過ごせ』・私は3年後、貴方と一緒に暮らせるようになる日を非常に楽しみにしており、間違いなくそこに向かって、今の生活を日々過ごしている。・その上で、私は仕事も交友関係も、大変さはあれど非常に充実しており、楽しめている。 ⇒貴方が私の心持ちを心配をしたり、ご機嫌取りに労力を回す必要は全くない。 自分の学問や生活を優先し、3年後、無事に医科を卒業して迎えに来い。②『そちらの状況も報告しろ』 こちらの状況は事細かに報告するため、そちらの状況もつつがなく知らせるように。婚約以前のギルバートは、学業(大学トップレベル)&学費稼ぎに加え、アンちゃんへのアプローチ&機嫌取りに非常に労力を費やしていた。その労力をギルバート自身のセルフケアに回させたい、…とはいえ心配なので状況は細かく報告せよ、ということだろうと思う。遠恋1年目~2年目のクリスマス&夏休み休暇では、ギルバートはアヴォンリーに帰省していたが、2年目~3年目間の最後の夏休みでは、西部の鉄道敷設に出稼ぎに行く選択をした。大学生活7年間、本当に最後の最後までギルバートがじり貧だったことが窺えるが、それと同時に、短期間でより良い給金を求めて遠地の肉体労働に出向いている点から、卒業までの学費のほか、1年後の医科卒業後即結婚に向けて「必要最低限の結婚式/新生活資金を確保したい」という意志を感じる。ここでギルバートに、アンちゃんの機嫌取り&愛を育むことに労力を割かさせず、1年後の為の資金稼ぎに注力する選択をさせられたことこそ、アンちゃんが2年間ひたすら手紙で「焦るな、安心しろ」をきちんと強調してきた賜物。アンちゃんがギルバートに伝えたいことを伝えきれた証拠だと感じた。妹の見解に、なるほど…確かに、と思いました。■様々な女性像、いち社会人女性としての活躍本作には、バリエーション豊かな女性ゲストキャラクターたちが登場します。未亡人、サマーサイドの覇権一族の女性たち、シングルマザー、婚約に関して諸問題を抱える若い女性たち…etc中でも、メインで描かれたゲストが下記の2人。・キャサリン・ブルック…アンの学校の陰気な女性教師。・エリザベス…柳風荘のお隣・常盤木荘に暮らす少女。母を亡くし、愛情を感じられない環境下で祖母に育てられている上記2人については、長期休暇にグリンゲイブルスに招く等、アンちゃん自身が非常に肩入れをし、その結果2人に人生レベルでの大きな変革をもたらします。環境面も含め、2人にはアンちゃんが共感できる部分がたくさんあって、力になりたいと思ったんだろうな、と受け取っています。やはりこの「幸福」の時点では、アンちゃんは「大学卒の女性」…というおそらく島内でも数えるほどしか居ない超貴重人材として重宝される立場のため、マシュウ/マリラや近所の大人たち・ジョセフィンおばさんに支援される側だった「赤毛のアン・青春・愛情」時代とは異なり、支援する側に回っていることが見て取れます。※アンちゃんの立派に成長したこの姿は、子ども時代から彼女を見て来て、支援する立場だった大人たちからしたら本当に嬉しいだろうな…と思います。上述したように、サマーサイドでの生活では、アンちゃんが様々な人々に干渉していきますが、同じようなとっかかりで関わっていったとしても、良い方に転じることもあれば、悪い方に転じることもある。同じことをしても、結果が真逆になる事象が多々発生しています。人に寄っては、全くそんなつもりじゃない受け取り方をされたり、「あ~関わるんじゃなかった!」と思うような出来事も多々起こります。でも人に寄っては、キャサリン&エリザベスのように、アンちゃんとの出会いがその人にとって人生レベルの大きな転換点となる場合もあります。…人との関わり方に正解はない。でも、アンちゃん自身の立場がしっかり確立しているので、他の誰に何を思われようと、アンちゃん自身がスタンスを変えることはないし、人と関わっていくことに悲観的になる必要はない…というモンゴメリさんの価値観もよく見て取れます。※「炉辺荘のアン」でも、これと同様の価値観を感じます。■アンの「幸福」…結婚までの心の準備期間最後に、本作の和訳タイトル『アンの幸福』について。アンちゃんの心持ちはこうだと思う(妹談)↓婚約時代の3年間は、ギルバートにとってはひたすら巻きたい遠恋期間だったかもしれないが、アンちゃんにとっては、落ち着いた心持ちで「結婚後」を想像することができるとても大事な時間だったと思う。「アンの愛情」記事でも書いて来た通り、結婚自体に大きな恐怖心を抱いていたアンちゃんは、婚約の時点で初めて「結婚」に向かう自分が想像できた。この3年間で、結婚するとどうするのかな…あれもできるな…これもできるな…と「家庭を築いていくこと」を夢見ることが出来た。その中で、深層部分でいちばんハードルの高かった「出産」に向かう覚悟も固めていったと思う。※アンちゃんにとっては、ギルバートは「大成すべき人/理想の家庭を築くべき人」。ギルバート自身はそう思ってはいないかもしれないが、アンちゃんの意識としては、こんなに優秀な人は絶対に血をつないでしかるべきであり、「子どもはマスト」。大学時代を描いた「愛情」は、(アンちゃんのトラウマを下地とした)破壊的思考回路に寄り、クライマックスで破滅(世界の終末)にたどり着く物語だったのに対し、本作が描いているのは、建設的な未来を目いっぱい想像しながら、その上で今の日々を大事に過ごすことが出来る…まさにアンちゃんの「幸福の日々」だな、と思います。世界的な名作・アンシリーズは、現実的な…不愉快も理不尽も、抗い切れない時代の大きな流れや悲劇…そういったものもたくさん存在する世界線なんですけど、でもその中で、主人公のアンちゃんは出逢いに恵まれて、彼女自身もいっぱい努力して、大勢の人に認められて、その上で、尊敬できる大好きな人と、愛ある大家族を築いていく……自身の両親が道半ばで倒れ実現出来なかったビジョンに、勇気を持って向かっていくことが出来た、本当に本当に幸せな人生を歩んだ女性だと思っています。後年になってから公表された、本作「アンの幸福」&子育て時代を描いた「炉辺荘のアン」は、モンゴメリさんが、アンちゃんの人生がどれだけ夢心地な幸せなものであるかを噛みしめながら執筆された作品なんだろうな、と感じました。…アンの幸福は、ギルバート的に感想書くことがあまりないかな…と思ってましたが、妹の見解含め、結構書くことが出来ましたね。アンシリーズは、1作1作の意義&構成がしっかりしているので、本当に感想が書きやすいです!by姉◆小説 赤毛のアンシリーズ(村岡花子訳) 感想リンクアンの青春(Anne of Avonlea)1909アンの愛情(Anne of the Island)1915 ⇒アンの愛情 村岡花子訳と後続の翻訳本の比較についてアンの幸福(Anne of Windy Willows)1936アンの夢の家(Anne's House of Dreams)1917炉辺荘のアン(Anne of Ingleside)1939その1:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921その2:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921アンの友達(Chronicles of Avonlea)1912アンをめぐる人々(Further Chronicles of Avonle)1920◆モンゴメリ著 小説 感想リンク果樹園のセレナーデ(Kilmeny of the Orchard)1910ストーリー・ガール(The Story Girl)1911黄金の道―ストーリー・ガール(The Golden Road)1913可愛いエミリー(Emily of New Moon) 1923エミリーはのぼる(Emily Climbs)1925エミリーの求めるもの(Emily’s Quest)1927青い城(The Blue Castle)1926◆赤毛のアン 関連本 感想リンク赤毛のアンの手作り絵本 / 松浦英亜樹 さんのイラストについて赤毛のアンシリーズのコミカライズについて
2025.10.24
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長野県飯田市 りんご狩り&名勝・天龍峡に行ってきました。写真ログです。経緯↓・アニメ『アン・シャーリー』にハマる⇒・原作 赤毛のアンシリーズ & 他のモンゴメリ作品(果樹園のセレナーデ 等)を一気読み⇒・親の「りんご狩りに行こうと思ってる」という話題に過剰反応⇒・親より先に、林檎の木に囲まれ&もぎたてを食べに行く🍎モンゴメリさんの作品の世界線(というかプリンスエドワード島)では、恋人たちのデートやプロポーズ…ロマンチックなシーン作りは、とにかく果樹園/Orchard(or古い庭)!!絵面の萌えを求めて、家からのアクセスもかなり気軽な距離感なのですが、これまで一度も行ったことのなかったりんご狩りに行ってきました。最高でした!!!こちらは「シナノゴールド」という黄色のリンゴです。大ぶりでみずみずしい印象のリンゴでした。こちらは「シナノピッコロ」。小ぶりで、オレンジっぽい色合いがなんともファンシーでした。もちろんその場でリンゴもたくさんいただきました。もぎたてフレッシュ&ジューシーで最高でした!種類毎に酸味・風味が異なることもよく分かりました。こちらは「秋映え」という種類のリンゴです。名前通り色が濃くて風景の中でよく映えていました。こちらは「シナノスイート」。名前の通り、一番甘味があって、ザ・王道のリンゴ!という味わいでした。ひたすらにたわわに実ったリンゴの樹々が超かわいい!こんなに幸せなものなのか…!とびっくりするような空間でした。脳内がもはやプリンスエドワード島なので、「絶対、あの木陰にアンちゃん(女神)が居る!」「今、キルメニィちゃんの幻影が見えた!」…とか口走るような馬鹿高テンションで散策しました。めっちゃくちゃ楽しかった&おいしかった~~!!是非毎年行きたい!リンゴ農園のすぐ近く、名勝・天龍峡にも寄って来ました。吊り橋…結構揺れました。あまり得意ではないので景色を楽しむ余裕がなかった(勿体ない)。…いや、本当になんで今まで来たことがなかったんだろう…?峡谷が超かっこよかったです。駐車場の近くで手打ち蕎麦も食べてきました。丁寧なお蕎麦&野菜天ぷら&とろろ…至福でした。長野県飯田市…目の前に現れるもののすべてが好み過ぎました。飯田市は、家からのアクセスもすごくいい場所なんですが…いや、本当になんで今まで来たことがなかったんだろう…?また行きたいです!by姉
2025.10.18
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花とゆめ 21号より、暁のヨナ連載再開!最終章記念!キャラクターコンテストの結果発表もありました。6月に発売した46巻には、第268話「心を縛る秤」まで収録されていましたので、そこから4話のざっくり感想&more を走り書きで記しておきたいと思います。暁のヨナ 第269話・第270話・第271話・第272話 感想 (姉編)+ハクヨナイラスト※以下、単行本47巻収録予定の下記4話分のネタバレを含む感想になります。未読の方はお気をつけください!第269話「天をも恐れぬ者」第270話「堕ちてゆく」第271話「ヒビ割れた楽園」第272話「透明な行き止まり」■キャラクターコンテストはがき&Web投票で受け付けていたキャラコン。1日一人1回、1位=3pt、2位=2pt、3位=1ptで投票できました。投票毎に各キャラクターへの応援コメント記載が必要なので、書くことが無くなって来て、地味にしんどさもありつつ、出来る限り毎日投票しましたよ!寝落ちする日もあったけど…!結果はこちらのHPでも公表されています。ハク様盤石の1位から、トップ3位をハク様・ヨナ姫・スウォン様の幼馴染3人が独占し、そこから四龍&ユン君の腹減り一行が漏れなくランクイン!というあまりに作品バランスに正しい結果過ぎて、観た瞬間に涙ぐみました。※ちなみに、私も妹もだいたいこの結果のようなバランスで投票してました。■46巻までのあらすじ焼け落ちた緋龍城。その地下・緋龍王の廟では、「盃の中」と外で、龍神たちの妄執との闘いが繰り広げられていた。龍神たちは緋龍王(=ヨナ姫)を天界へ連れて還ることを切望し、ハクの命を秤にかけてきた。それだけは…!と揺れるヨナ姫に、ハクは「結婚しますか」と告げる。■47巻収録分~ 展開の整理「血の盃編」に入ってからは、ころっころ様相を変える精神世界の中でドタバタしており、また1話1話の本誌掲載も間隔が空いているので、読者的にはなかなか流れが掴みづらい状況です。47巻収録分に入ってから、ここまでの流れを整理すると、下記の通りです。(第269話)・ヨナ姫・ハク様・三龍(キジャ・シンア・ジェハ)が盃の中から出られない状況・現実世界(緋龍王の廟)で5名の帰還を待つスウォン様&ゼノ →状況打破のため、スウォン様が緋龍王の亡骸を剣で突き刺す →盃の中から龍神三体が怒って現実世界へ →スウォン様に攻撃しようとするところをゼノさんが庇う・龍神がいなくなった隙に、ハクヨナは三龍を探す(第270話)・現実世界では、龍神たちとゼノの攻防が続くが、 これ以上もたないと判断したスウォン様は緋龍王の亡骸の首を落とそうとする →ゼノの中の「黄龍」が自我を失い、スウォン様を攻撃する →ゼノがそれを制止しようとする隙をつき、スウォン様が緋龍王の亡骸の首を突き刺す →龍神たちが苦しみ出す・盃の中では、ハクヨナが三龍と再会 ※ここまで展開の中で、三龍は能力の宿っていた右手・両目・右脚を失い、 人間になった(?)状態・黄龍に攻撃された龍神(白龍)が盃の中に戻り、キジャを吸収して回復を図ろうとする →ハク様がキジャを庇い、食べられそうになる・ヨナ姫は「緋龍王の剣」を使い盃を内側から突き刺し、壊す(第271話)・盃の世界が崩壊 →ヨナ姫は龍神(白龍)を剣で刺し、ハク様を連れ出そうとするが、 ハク様は「俺は後から行きます…必ず行きます」の言葉とともに、白龍に飲み込まれる →ヨナ姫+三龍は現実世界へ。・現実世界・緋龍王の廟では、瀕死のスウォン様&黄龍を制御し切れないゼノと 龍神(青龍・緑龍)が対峙を続けていた →ヨナ姫が「地上に来て一緒に居よう」と語りかけると、龍神は静まる(第272話)・龍神の加護が無くなり、二龍(青龍・緑龍)が消える →それと同時に緋龍王の廟も倒壊 →ヨナ姫は一瞬、死者たちの行き交う世界を垣間見る・ゼノは邪神化した黄龍と一体となっており、身動きが取れない状況 →キジャ・ジェハが付きそうことに・瀕死のスウォン様を外に連れ出そうと、ヨナ姫+シンアは彼を抱えて外を目指すが、 入口が塞がれて出られない →シンアが大声を出して助けを呼ぶ →城の外ではケイシュク・ユン・リリたちが、 スウォン様・ヨナ姫&四龍たちを助けようと懸命に動いている →シンアは「ヨナ姫が許す力を持ってこれまで歩んできたから皆ついて来た、 助けを求めていい」と諭す・ヨナ姫は「ハク様の帰りをここで待つ」と祈りを捧げる・一方、ハク様が目覚めたのは…明るい波打ち際…?■四龍伝説の終焉第269話~第272話までの4話で印象的だったのは、下記2シーンです。①スウォン様が自身の意志&自身の手で、「緋龍王の亡骸(&その首)」を剣で突き刺す緋龍王の亡骸は、建国時代より以降緋龍城の地下に存在し「龍神の加護」を発揮していた。建国以来の高華国の国家体制の大元にある存在であり、四龍伝説が政治基盤として活き続けてきたことの象徴。⇒高華国体制の基盤として存在した、政治面における四龍伝説の効力を、 現国王(=緋龍王の子孫)自らの手で終わらせた。②ヨナ姫が自身の意志&自身の手で、「血の盃」を内側から剣で突き刺し破壊する龍神たちと四龍(元人間)の契約に使用された血の盃は、血の契約の象徴。血を継承してきた四龍たちは、異能の力を得る代償として短命&不死の身体…と常に悲劇性を纏っており、再び「血の認める緋龍王」が迎えに来るまで、「呪い」と形容される状態で今日まで継承され続けてきた。⇒龍神たちの血の契約を、 ヨナ姫(=緋龍王の生まれ変わり)自らの手で終わらせた。いずれのシーンも「王自身が、自らの手で四龍伝説を終わらせた」ことが明確に、印象深く描かれていたと受け取っています。また、2人ともに共通して、もともと各々の側面における「四龍伝説」を終わらせる意志がある前提の上で、最終的に引き金となったのは、「ハク様(※)を守りに行かなければ」という急を要する場面に直面した、というシーン作りになっていたと思います。※厳密には、ハク様だけではなくヨナ姫や他の仲間たちも含めて…ですが、 2人の意識内ではハク様への意識が一番大きいと受け取っています。■残り話数について上述の通り、47巻収録分は既に4話分進んでいます。通常の単行本の場合、1冊の収録話数は6話ですので、もし47(ヨナ)巻完結を目指しているのであれば、残りは2話となります。花とゆめ21号(10/3)に第272話が掲載で、次回第273話は間を置かず花とゆめ22号(10/20)掲載予定とのこと。おそらく2025年中には完結見込で動いているだろうことが予想される状況ですし、クライマックス企画として開催していたキャラコン発表は21号、イラコン発表は次号・22号で消化予定です。本当に残り2話で終了予定なのであれば、22号(10/20)→第273話掲載+イラコン発表、23号(11/5)→休載(ヨナ付録有)、24号(11/30)→最終・第274話掲載 …という感じなのかな?などと考えつつ…でもな…アニメイトの花とゆめ連続複製原画特典フェアは、21号(10/3)から始まり7号連続…22号(10/20)、ザ花とゆめ姫(10/27) 、23号(11/5)、24号(11/20)、1号(12/5)、2号(12/20)まで続くらしいし…流石にヨナが掲載されていない(付録も無)本誌にこの特典は付けないだろうと思うけど、でもコンテスト企画の結果発表も弾がなくなるし、何より47(ヨナ)巻での完結はこだわって来る気がするんだよな…そうすると…花とゆめ1号&2号は、アフターストーリーチラ見せのショート番外編とかそんな感じ?…とかいろいろぐるぐる考えていますが、神(&白泉社・編集部&関連会社の方々)のみぞ知る感じです。いずれにせよ、22号掲載の第273話がどう展開するか…だな、と思っています。■解決課題&第273話以降の展開予想について残り2話なのかはさておき、残り数話であることは間違いないと思います。本編内で解決しなければならない課題・不明瞭点(と思わしきもの)を挙げ連ねると…こんな感じ↓でしょうか?(超緊急課題)・ハク様の安否・スウォン様の安否・スウォン様&メイニャンの緋の病は?・ゼノさん&黄龍の安否、行く末(未だ真相が不明瞭)・スウォン政権最大の矛盾:なんでスウォン様は、 謀反劇を『ハク様を追い出すような』やり方で実行したのか?・親世代の真相:カシ様暗殺はユホン様指示認識で本当にOK?(今後の課題・行く末)・今後の高華国の運営体制・高華国の体制基礎となっていた四龍伝説は完全に終結を迎えそうだけど、 結局ヨナ姫(緋龍王の生まれ変わり)が次期国王になるのか?・単行本46巻末で、ハク様から「結婚」の単語までは引き出したが、 ヨナ姫を本当にちゃんともらってくれるのか?・能力の宿っていた身体の一部を欠損したキジャ・シンア・ジェハはこの状態のまま?・各部族の行く末・各キャラクターの行く末上記項目の中にはもちろん、触れられないものもあるだろうと思いますし、本編中では触れず、番外編/アフターストーリーという形で出すものもあるかもしれませんが、…うん、それにしても多いな。272話で、ひとまずゼノさん&黄龍以外の龍神(白龍/青龍/緑龍)は消滅した?ようで、攻撃されるような余談を許さぬ状況は脱した(?)様子。あとは、目下安否が不安視されるハク様・スウォン様・ゼノさん(黄龍)に焦点が当たるだろうと予想されます。第272話のラストカットは、現世とは異なる世界に居る?ハク様が目覚めたシーンのようです。※ヨナ姫がハク様を思うモノローグからの繋ぎで登場してますし、 この黒髪の男性はハク様でいいんだよね?? 髪の毛が長いので、実は一瞬「誰っっ!?」って思いました。おそらく次回・第273話は…安直に考えれば、現世と死者の世界との間において繰り広げられる、ハク様&スウォン様の対話劇になるのでは!!?…と今のところは思っています。草凪先生の前作「NGライフ」においても、最終回の3回前で主役の敬大くんが頭部負傷&意識不明となり、最終回の2回前~1回前では、敬大くんの意識が前世の世界線に飛び、その目で真相を確かめるとともに、彼の前世であるシリクスと直接対話するシーンが描かれ、心の枷が解消された形で現世に戻って来ます。話の構成としては、暁のヨナのラストも、上記NGライフのクライマックス↑と近い印象になるんじゃないかなぁ…(安直)…っていうか、私がそれを見たい。スウォン様&ハク様…君たちにはまだお互いに確認すべきことが…あるんじゃないのか!?あとは、スウォン様&メイニャンの緋の病等、ぐるぐるした龍神の妄執の最終的な問題は、黄龍に責任持って引き取って天に還ってもらえばいいんじゃね!?(雑)というか、「龍神たちが緋龍を天から呼ぶ」ことが緋の病の原因なのであれば、龍神たちが四散した(?)と思われる状況なら、病自体発症しないのでは??…ってことは、龍神たち(白龍・青龍・緑龍)が木端微塵に消滅して、黄龍も自発的に消滅してくれれば問題解決じゃね!?(雑)諸問題を解決し切って、不明瞭部分の真相もある程度の外観はきちんとはっきりさせた上で(詳細をどこまで語るか分かりませんが)、その上で、どういう形で今後の高華国の体制を形作っていくかは、キャラクター同士で話し合って、国の構成員たちの大多数が納得のいく形を作っていけるといいなぁ、と思っています。…はい。こうやって感想を書いて来てみて思いましたが、もしNGと近しい構成でラストを駆け抜けるとしても、NGではこの段階から最終回まではまるまる3話かけていた上、単行本には、本編では描き切れなかったサイドキャラの心情独白や、主役カップルの後日ラブラブ譚等を、ページ数の許す限り全力で投入されていました。NGライフとは比にならないほど大人数のキャラクター群を抱える暁のヨナで、何をどう考えても、あと2話での完結は…無理だろうな。…うん。10/20にはもう次話・第273話が花とゆめ22号に掲載されますので、取り急ぎで今の考えを書きなぐりましたが、…実際はどんな感じになるのかなぁ…??ドキドキハラハラで待ちたいと思います。21号のクリアファイルが可愛くて、妹が描いたイラスト♪次号22号にも描きおろしイラストのクリアファイル(四龍)が付くそうで…!バックハグがコンセプトかな?楽しみです~!by姉(イラストby妹)
2025.10.13
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完全新作アニメ「らんま1/2」第2期が放送開始しました!第13話&第14話を鑑賞しました🍥もうもう…原作のノリに超忠実で、乱馬くん&あかねちゃん(乱あ)が丁寧に描写されていて、すごく嬉しいです‼OP&EDも超可愛い❤おそらく1期から取り組まれていたであろう「デフォルメへの挑戦」がこなれてきていて、ワンシーンワンシーンの切り替え&情報量の多さがキレてきているなぁ!…と感じました。※らんま1/2は、ギャグ・バトル・ラブの面白味要素てんこ盛り作品です。シーン毎に必要な質感/重量感等が異なるため、今作では1話目からとにかく「シーン毎に必要に応じてテイストを変える」意図=アニメーションのデフォルメへの挑戦心を感じてました。アニメーター様たちも、キャスト様達もすごくノッてきているというか…楽しんで制作されてるんだろうなぁ!と感じることが出来て、それが長年のファンとしては一番嬉しいところです!ムース&右京も登場し、ドタバタラブコメが加速する2期!ますますイキイキと動き回るキャラクター達を楽しみにしてます☀️by 妹
2025.10.12
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先に、アニメ最終回・24話で感動したところについての感想は別途記事で吐き出していますが、ここでは原作とアニメとの相違点について、まとめを書き記していきたいと思います。アニメ『アン・シャーリー』と原作『アンの愛情』との相違点について以前の感想記事から繰り返し書いて来ている通り、私たちは、特に『アンの愛情』パート(の後半、ギルバート1回目のプロポーズ頃から)は、原作と新アニメは全く異なる筋道を描いているものと認識しています。原作/アニメがそれぞれどのような考え方で筋を通しているのか、超勝手な私見をまとめました。下記相違表の前提↓・原作感想記事:『アンの愛情』感想・アニメ感想記事:第23話 感想+ロイ・ガードナー描写の原作との比較について・参考記事:「果樹園のセレナーデ」感想私は、基本的には原作で描いている「トラウマ軸」は、アンシリーズ…というか、「アンちゃんの人生」を串刺す根幹の大軸だと受け取って、原作シリーズを読み進めました。この「トラウマ軸」があるからこそ、孤児の女の子・アン・シャーリーが、後に結婚してアン・ブライスになり、家族に目いっぱい尽くして、愛し愛されて生きていける…それが彼女にとってどれほど「『夢』をはるかに超えたところにある、幸せな人生」なのかを説明できるんです。『アンの愛情』の1作品として、そして『赤毛のアンシリーズ』として、他の何を差し置いても、この「トラウマ軸」だけは絶対に抑えなければならない最重要軸だと思っています。…ただ一番重要な大筋なのに、このトラウマ軸は、原作中で明確に言葉で説明されていません。モンゴメリさんの「アンの愛情」周辺での公表作を読むと、トラウマ軸と類似した話筋の作品(果樹園のセレナーデ 等)も簡単に見つけられますし、他の作品でも、別の筋をたどっているように見せて、明言しない形で「本筋」を匂わせる手法は多々見受けられます。そのため、私は「アンの愛情」が描いている本筋はトラウマ軸で間違いないと考えていますが、もしこのトラウマ軸を捉えていなかったとしても、作品自体は楽しむことが出来ると思っています。何故なら、ちゃんと「表向きの話筋」が用意されているからです。アンちゃんの結婚観の欠如した思考回路や、『黙示録』シーンの彼女のハイテンションについて行けない等、ところどころに違和感を覚えつつも、最終的には「ギルバートとの結婚」という同一のゴールにたどり着けるんです。今回のアニメ『アン・シャーリー』は、「アンの愛情」の本筋であるトラウマ軸を通した作りにはなっていなかったと思っています。上記表にも書いてありますが、やはり表向きの話筋だけでは「何故アンちゃんが1回目のギルバートのプロポーズを固辞したのか」は説明し切れていないと感じますし…またそもそも論として、「ずっと想ってくれている幼馴染のギルバートを振って、ポッと出の当て馬(金持ち)と付き合うアンちゃん」とか… 何故こんな…読者・視聴者が誰も見たくないような話筋の物語なのか、その意義の説明は難しいと思います。…だけど、本当に本当に超面白かった!!脚本家さまたちが、「表向きの筋道」を極力違和感なく通そう!『黙示録』のアンちゃんのハイテンションに、視聴者がついていけるようにしよう!とギルバートやロイの表層面のキャラ変、恋愛のニュアンス改変、アンちゃんのモチベーション筋作り…と、あらゆる手段を使って、全力で「表向きの筋道」を繊細且つ大胆に盛り、またアニメーションの強みも最大限活かして、ビジュアルの作り込みで視聴者を「納得感」になぎ倒すよう、最終24話を超魅力的に駆け抜けてくださっていたからです。上記比較表を書き出しながら、アニメの脚本家様たちがどこを丁寧に作り込んでいるかも改めて認識できました。原作では、「表向きの話筋では繋がらない」ように、意図的に構成してある部分です。そこを原作の作り込みとは逆張りの形で、「絶対につなげる」意志をもって改変しているのですから、凄くパワフルでした。いや~~…面白かったです。私たちは、今年に入ってからアンシリーズにドはまりした超にわかファンですが、他の誰よりも、新アニメシリーズ鑑賞を楽しんだ自信があります!(言わせとけ案件)今回の新アニメをきっかけにして、(私たちのように)赤毛のアンシリーズ自体に興味を持った視聴者も多かったと思います。アニメ自体、映像も音楽もキャスト様も、皆一様にハイクオリティの本当に素晴らしい意欲作で…新アニメを制作してくださり、ありがとうございました!の気持ちしかありません。原作のアンシリーズ、モンゴメリさんの他の作品、アンシリーズの他の映像作品や、その他もろもろのメディア展開…赤毛のアン沼はまだまだ深く、ただっ広いものですので、今後はぼちぼちと、無理のないペースで鑑賞&感想投下を続けていきたいと思っています。<雑談>◆アン・シャーリー24話(最終回)放送後、X(旧Twitter)に投稿したポスト↓想像以上に多くの方に見てもらえて、嬉しかったですw赤毛のアン 原作ギルバートもおススメです🍎「原作版ギル」と「アン・シャーリーのギル」には「映画版ジャイアン」と「きれいなジャイアン」位の差がありまして!アニメの爽やかギルも超素敵でしたが、原作も女神命の超おもしれー男なので‼是非見比べてほしい‼◆アン・シャーリー熱が高じて作った、自分の自分による自分のためのアン&ギルバートグッズ↓ハート型キャンディアクリル です❤(何をやっているんだ…) 半年間、赤毛のアンシリーズにどっぷりはまって、いろいろ考えて記事もたくさん書くことができて…本当に楽しかったです!by姉(X用ポスト&グッズ作成:妹)◆アニメ『アン・シャーリー』2025年 感想リンクTVアニメ「アン・シャーリー」待機中!第1話感想・ふたりのアン・シャーリー第2話・第3話&OP/ED感想第4話・第5話・第6話感想まとめ第7話・第8話・第9話感想+アン&ギルバートイラスト第10話 感想+イラスト第11話・第12話・第13話 感想+カスバート家子供たちイラスト第14話・第15話・第16話・第17話 感想第18話・第19話・第20話 感想+ルビー・ギリス イラスト第21話・第22話 感想+原作との相違点について(予想)第23話 感想+ロイヤル・ガードナー描写について最終回・第24話 感想+アン&ギルバート before&afterイラスト総括:アニメ『アン・シャーリー』と原作『アンの愛情』との相違点について◆小説 赤毛のアンシリーズ(村岡花子訳) 感想アンの愛情(Anne of the Island)1915 ⇒アンの愛情 村岡花子訳と後続の翻訳本の比較について
2025.10.05
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アニメ『アン・シャーリー』最終回・第24話 感想+アン&ギルバート before&after イラストアニメ最終回・第24話を鑑賞しました!ひとまず、アニメ本編の中で素晴らしい!と感じたシーン等についてメモ的に書き記したいと思います!*これまでの感想でも書いてきた『原作とアニメの筋立ての違い』は、こちらの記事にまとめました↓アニメ『アン・シャーリー』と原作『アンの愛情』との相違点について*以下、最終回ネタバレを含むため、未鑑賞の方はお気をつけください。*■アニメ最終回・第24話について前回・23話のラストで、ロイからのプロポーズに対しアンちゃんが「結婚できない」と返したところで最終回へ。まだまだやるべきことがもりもりで、ジェットコースター展開になるべく最終回がどのように描写されるのか、ものすごく楽しみにしていました。…鑑賞し、とにかく圧巻!!!!いち視聴者の安易な予想など歯も立たぬ…魅せたいものを暴力的に叩きつけてくる様々なシーンのキレッキレ描写が本当に素晴らしかったです!!ひとつひとつのこだわりに、…なるほど!!やられたぜ!!とノックダウンしながら鑑賞しました。・ロイのプロポーズ→拒絶→フィルと会話→ドロシー(ロイ妹)と会話ギルバートの1回目のプロポーズシーンと被せたシーン作りになっていましたね。アンちゃんが自分自身の感情を整理できた上で、「愛していないから」と言っていることが伝わってきました。ここからフィルやロイの妹との会話をわりとじっくり描写したため、最初はひたすら「尺が…残りの尺が…」とハラハラしながら鑑賞してました。しかし本当にアンちゃんの表情が逐一良い。申し訳ない気持ちはあれど、すごくすっきりしたんだな…と顔つきだけで分かりました。演技のニュアンスが徹底されていて素晴らしかった!・アヴォンリー・グリンゲイブルスへ帰宅アンちゃん、マリラ、リンド夫人3人の会話がほっこりしました。マリラだけでなく、リンド夫人が身内として娘のようにアンちゃんを愛し、可愛く思っていることが伝わって来て好きなシーンです。マリラは、ギルバートの話を振った際の反応を見て、アンちゃんの中にギルバートに対する愛情と後悔の念があることを全部察している表情が素敵でした。子どもを抱くダイアナ&フィルの愛に溢れる結婚式を祝福し、マシュウの墓前で「私も幸せよ…!」と告げる…無理してるんですよ。フィルの結婚式での涙も、友人のためだけのものじゃないんですよ。何も表現が入らなくても、彼女の心の中で「ギルバートへの想い」の存在をすごく感じさせる描写で、素晴らしかったです!そして、アヴォンリーに帰って来てから、テンポが一気に早まります。ここからの流れは圧巻でした!・白い花=ロマンス/想像の世界のモチーフアンちゃんの部屋の目の前にあった大きな桜の木「雪の女王」が大風で倒れてしまい、切られてなくなっていることにショックを受けるアンちゃん。第1話、歓喜の白路に始まり、雪の女王…と、アンちゃんの持つ「想像力」の体現として印象深い「白い花」を、最終回を通して一貫した「ロマンチック/想像力」のモチーフとして、画面作り・小道具に活用していて素晴らしかったです。・黙示録フィルの結婚式(ボーリングブローク)に参列し、アヴォンリーに戻って来たアンちゃん。グリンゲイブルスに帰宅すると…そこでギルバート危篤の報を知らされます。マリラ・リンド夫人・デイビー・ドーラそれぞれがアンちゃんに気を使いながら話しかける姿も印象的でした。嵐の夜、自室の窓辺でギルバートの死に直面するアンちゃん。雷が落ちて家の隣の木を真っ赤に燃やし、ここから一気に「現実か空想か」の境に突入します。彼女の目の前に現れた「白馬に乗った理想の王子(notロイ)」は、悲しげな表情でアンちゃんにギルバートが死ぬこと、アンちゃんが彼に愛していると伝えていないこと、…「もう遅い!」と責めたてる言葉を連ねてきます。このシーン、原作ではアンちゃんがひたすらその心情を独白するシーンなのですが、今回のアニメでは、極力、原作のアンちゃんのセリフをそのまま使いながら、彼女自身がやっと言語化にたどり着いて放つ「ギルバートを愛してます!」の一言を一番際立たせるシーン作りとなっていました。鑑賞者には、きちんとこれが「アンちゃん自身の自問自答及び自責の念」だとが分かります。「後悔~独白」をこうやって…こんな形で映像化するのか!とぶん殴られる衝撃がありました。誰だこんな奇抜な表現方法を考えついたのは!!凄かった!!最高でした!!・朝方、雨上がり…だけど雲は足早に流れ、川は濁流。ギルバート邸に駆け付けるも、ちょうど医師が迎え入れられるところを目撃し、話しかけることが出来ず帰路につくアンちゃん。小学校時代、ギルバートに命を助けられたにも関わらず、意地を張って彼に悲しい顔を指せた場所である川の橋を渡りながら、気持ちが濁流に飲まれそうになるアンちゃん。そこに一人の老人(パシフィック)が通りかかる…ギルバート邸の隣で働くその老人に、ギルバートが今朝方快方に向かったことを聞き、喜びで足元から崩れ落ちるアンちゃん。老人は「白い花のついた小枝」をアンちゃんに手渡しつつ、妖精のようにふっと消えていきます。ギルバートのもとに駆け出すアンちゃん…濁流に飲まれそうになるアンちゃん…これら朝方のシチュエーションづくりは、完全にアニメオリジナルです。※原作では、アンちゃんがグリンゲイブルスの前を通りかかるパシフィックに声を掛けます。アヴォンリーの様々な風景と空気感で、アンちゃんの心象を表現する…アニメーション万歳!!な作り込みで、本当に感動しました。…そしてパシフィック=マシュウの化身!最高な改変ポイント!!前振りなく突然登場し、アンちゃんにギルバートの無事を伝える重要な役割を担うパシフィック。原作では若者であるパシフィックを、わざわざ老男性として描き、姿・体格は異なるけど、「目元がマシュウだ」と感じさせるデザインになっていました。パシフィックの声優様についても、マシュウ役の松本保典さんがあてられており、「自分の仕事の跡継ぎ(?)の若者を駅まで迎えに行く」という言葉も、第1話のマシュウ像と被せて来てます。「なるほど~!これがやりたかったからこそ、第9話にアニメオリジナルで、アンちゃん×ギルバート2人の関係性と会話をマシュウに見せるシーンがわざわざ入ってたのか!」とすごく腑に落ちました。仕込みが凄い!その後、ギルバートの枕元で安心して涙ぐむアンちゃんの姿も描かれましたが、この辺は「現実か、空想か」どちらと捉えてもいいよ、という描き方になっていたと思います。(このシーンが、アンちゃんorギルバートの空想だったとしても、もちろんアンちゃんには「ギルバートのもとに駆け付けて顔を見たい」気持ちがあって、ギルバートもそれを感じてるよ…ということは分かりますので。)・お散歩~2回目のプロポーズラスト!アンちゃんとギルバート2人の2回目のプロポーズシーン。わざわざ原作の「フォーマルな緑服を着込んで場に臨むアンちゃん像」からは外した形で、ギルバートの誘いの機会を逃さず「着の身着のままで散歩に向かうアンちゃん像」にしてありました。ギルバートの明るい髪色もそうですが、わざと「原作とは違うイメージ像だよ」というメッセージを込めて制作されていることを感じました。そして…ここでアニメオリジナルシチュエーションとして、満開のリンゴの木!暗がりの中、真っ白orピンク色に輝く花が幻想的でロマンチックでした!話の流れとして、つまらない意地が邪魔して、ギルバートが差し出した手を取ることが出来なかったアンちゃん…という、第7話・エレーン姫のときと同じ流れをたどっており、だからこそマシュウが言った「ロマンチック」を体現する満開のリンゴの花が本当に映えました。ギルバートの一言一言に反応する、アンちゃんの本当に細かな表情動作!ギルバートの、爽やかさの中に「ここで決める!」という確固たる意志を感じる演技筋!絵・声ともに丁寧に丁寧に詰められていて、本当に見ごたえがありました。ギルバートの言葉:「君が僕の頭に石板をたたきつけたあの日から、ずっと君を愛して続けてきた」から、アンちゃん目線でのギルバートメモリアル~睨みつける・拒絶する・手を振り払う・悲しい表情をさせるという、ろくでもない歴史の数々~アンちゃんの言葉:「不思議だわ こんなお馬鹿さんなあたしをどうして愛し続けて来られたのか」。…ココの流れが最高でした!もともと私と妹の間では『黙示録』のシーンで、優しかったギルバートメモリアル映像が来るのでは!?」と予想していましたが、まさかここで!こんなに可哀想な…ろくでもないメモリアルが来ると思わないじゃないですか!誰だこんな可哀想なシーン編集をノリノリでやったのは!!…最高でした!!その後、ギルバート目線から見る「リンゴの花(想像力)を背負った女神・アンちゃん」が最高に輝いていました!・ハッピーエンディングラスト、3年間の遠距離後の結婚式シーンまで見せるのかな?と安直に思っていましたが、「お似合いのウェディングの絵面」は既に22話(ダイアナの結婚式)で、キスシーンも大盛り上がりで描写した直後ですので、それはありませんでしたね。本当にきっかり、『アンの愛情』終了まで。ただ、マシュウ&家族たち(+ダイアナちゃん家族)が待つグリンゲイブルスに帰結する形での締めシーンとなりました。最後の最後、倒れてしまった「雪の女王」に新たな芽吹きが描写され、新しい大樹が生まれる兆しも感じさせるラストカットが素敵でした!いやぁ~~…本当に渾身の渾身の渾身の最終回・24話でした。第1話より、毎週ウッキウキで鑑賞を続けて来て、こんな素晴らしいラストシーンを拝むことが出来て、観て来て良かった~~~!!と心から思います。『赤毛のアン』時代と『アンの愛情』時代のお二方↓。アンシリーズの映像化作品に精通していないので、想像での発言ですが、モンゴメリさんの原作発表から110年以上…アンシリーズは幾たびも映像化はされてきていても、本アニメーション作品が、『アンの愛情』本編&その強烈なクライマックスシーンの映像化に本気で真正面から取り組んだ、いちばん最初の作品なのではないかな、と思っています。スタッフ・関係者の皆様、キャストの皆様、ギラついた本気がまぶしい、素敵なアニメーション作品をありがとうございました!!この作品を機に、改めて『赤毛のアン』の原作やモンゴメリさんの他作品から履修し、まだまだ道半ばではありますが、完全にその魅力の虜になってる、令和新規ファンは、半年間、全力で楽しませていただきました。X(旧Twitter)懸賞で妹が当選した番組ポスター♪↓あ~~~面白かった~~~!!!by姉、イラストby妹◆アニメ『アン・シャーリー』2025年 感想リンクTVアニメ「アン・シャーリー」待機中!第1話感想・ふたりのアン・シャーリー第2話・第3話&OP/ED感想第4話・第5話・第6話感想まとめ第7話・第8話・第9話感想+アン&ギルバートイラスト第10話 感想+イラスト第11話・第12話・第13話 感想+カスバート家子供たちイラスト第14話・第15話・第16話・第17話 感想第18話・第19話・第20話 感想+ルビー・ギリス イラスト第21話・第22話 感想+原作との相違点について(予想)第23話 感想+ロイヤル・ガードナー描写について最終回・第24話 感想+アン&ギルバート before&afterイラスト総括:アニメ『アン・シャーリー』と原作『アンの愛情』との相違点について◆小説 赤毛のアンシリーズ(村岡花子訳) 感想アンの愛情(Anne of the Island)1915 ⇒アンの愛情 村岡花子訳と後続の翻訳本の比較について
2025.09.28
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アニメ『アン・シャーリー』、今週土曜日9月27日が、最終24話の放送です!最後まで鑑賞した後、総括しての感想はしっかり書きたいですが、今の時点で言いたいことを簡単に書き出します。アニメ『アン・シャーリー』第23話 感想+ロイヤル・ガードナー描写の原作『アンの愛情』との比較について前回の記事でも比較表を書き出して語りましたが、私たちは新アニメは、原作とは異なる筋道で、説得力を持ってクライマックス『黙示録』の章にたどりつこうと、脚本家様たちが練りに練って様々な改変を加えているのではないかと受け取っています。23話は、原作とアニメの違いが一番顕著に見て取れる話だと思いました。同じ話筋をたどっているようで、全く描いているものが違っているので、新アニメの脚本家様たちが何をやっているかも本当によく見て取れて…そうするとまた、比較して原作は何をやっているのかも改めて認識できて、…すごく面白いんです‼*以下、全部自分たちの勝手な私見による「原作と新アニメの相違点」の話をしており、また今後のネタバレを含むため、原作未読の方はお気をつけください。*■アニメ「アン・シャーリー」23話22話で、ダイアナの結婚式&彼女が新しい生活に向かう姿を見送り、その帰り際、ギルバートに「新しい居場所を見つけるんだよ アン」と諭されたアンちゃん。ギルバートの隣には既に新しい恋人・クリスチンが居る状態…23話ではギルの言葉に則る形で、アンちゃんが再び小説応募にチャレンジしたり、新しい居場所となる?ガードナー家との交流を深めながら、大学生活残りの1年を過ごします。キラキラで生活感のない王子・ロイも、家族/家が描写され地に足が付いた存在に見え始めつつ…上流階級の人々との交流の中で、アンちゃんが背伸びして立ち振る舞う・取り繕う姿を絶妙に描写しています。そして迎える、ロイからのプロポーズ。「Yesと言うんだ」とアンちゃんは自分に言い聞かせながらその時を迎えますが、本当の本当に決断を迫られたその時に「出来ない」と悟り…断ってしまいます。20話ではロイとキスシーン及び「恋人同士になる」と言い交わすシーンもあり、きちんと「理想から入る恋愛」をして、相手やその背景にも向き合ったうえで、最終的に「この人の世界」に飛び込んで生きていくことは出来ないことが分かる…大なり小なり誰もが一度は体験する苦い体験…「自分を知る瞬間」が丁寧に繊細に描かれていて、とても見ごたえがありました!23話の面白さは、本当にまるまる本作の脚本家様たちの手腕だと思います。…なぜなら、原作『アンの愛情』には、キスシーン&しっかり恋人同士だと確認し合うシーンがないばかりか、ロイというキャラクター自体、描写やセリフがほとんど登場しません。ギルバートの「新しい居場所を見つけるんだよ アン」という言葉からして存在せず、「新しい居場所に無理して向かおうとするアンちゃん」「ロイ&その家族たちと真摯に向き合うアンちゃん」など、まったく描かれていないからです。■改変箇所、原作における描写について今回、なんで脚本家様たちが力を入れて「ロイの描写&アンちゃんの意識筋」を大きく変えて盛ってきたのかは、すごく分かるんです。原作のアンちゃんの意識筋が、あまりにもおかしい からだと思います。アンちゃんは、ロイを極論「人間だと認識してない」くらい…彼の気持ちとか考えない。相手方の親&姉妹まで出て来て、はっきりと結婚がちらついているのに、全然自身にとっての重大事として向き合わず、結婚後の未来について微塵も思い浮かべない。ロイからのプロポーズ直前まで「理想のプロポーズをしてもらえれば、私は『イエス』って言うんだろうな」とか軽く考えてるのに、いざその場が来た瞬間に「無理無理無理無理!×100」ってなって、「結婚できない。好きだと思ってたけど、そうじゃないことが今分かった!」とあまりにもひどい非人道的な振り方をした挙句、アンちゃん自身はその後すぐに「あ~すっきりした!素敵なオールド・ミスの道を歩むぞ♪」と、晴れやかにアヴォンリーに帰って来る……おかしいんですよ。このくだり。だってアンちゃん、普段はこんな娘じゃないですもん。もっとちゃんと、周囲の人たち皆を肯定的に捉える力があって、もちろん、他の人の気持ちもちゃんと考えられる娘なので。今回の新アニメでは、脚本家様たちが、原作のこの「おかしい・不自然に感じるアンちゃんの意識筋」を極力丁寧に詰めて、改変して、きちんと「理想的な恋愛をしてみたけれど、未来にはつながらなかった」筋として頑張って作りこんで来てる…本当に真摯な作りで、感動しています。…でも、じゃあ そもそもなんで原作はこんなおかしな書き方になってるのか?という話なんですが、答えは簡単で、『アンちゃんのおかしさ』を一番顕著に表現する為のシーンだからだと思っています。『アンの愛情』の本筋はトラウマ軸だ!という私見は 『アンの愛情』感想記事 でもさんざん語ってきましたが…要は、アンちゃん本人は無自覚だけど、深層でものすごく「結婚」を怖がってる。理想の「恋愛~求婚」は思い描くけど、思考回路がその先・当たり前にあるはずの「結婚~人生」まで絶対行き着かない。その手前でシャットダウンしちゃう。(結婚というか…一番怖いのは極論「出産」だよね、と妹と話してまして…両親の顛末は、詳細までは明言はされてないけど、おそらく母親が、アンちゃん出産後3カ月…体力が回復し切らない段階で熱病で重症化してしまい、必死に看病してた父親も道連れのような形で2人とも亡くなったんだよね…コレ。出産と両親の悲劇との因果関係ははっきりとは言えないにしても、そうなんだろうな…と想像はしてしまいます。)自分自身の出産にまつわる両親の悲劇を抱え、自身も生後3カ月で身寄りも何もないところに放り出され、引き取り先においても一家離散を何度も目の当たりにしてきたアンちゃん…「この娘には、『結婚・出産』に対して根深く巨大なトラウマがあるよ」って…可哀そうだけど、しっくりくる話だと思うんですよ。ロイや家族、その先に本来は当然思い描くべき結婚のビジョンがあるのですが、それらをあまりにも捉えられないアンちゃん。おそらく「お金持ちの一族に加わると、どんな暮らしになるのかな」という想像すらしなかったのではないかな、と思います。「鈍いとか、幼い恋愛観とか、ひどい女とかいうレベルではなくて、この娘のこの部分(結婚)に対する思考回路、『病気』でしょ⁉」って言いたいのが、モンゴメリさんが書いた原作筋:ロイ・ガードナーのくだりのニュアンスが表現してるものだと思っています。アンちゃんの認知の歪みを表現するためのエピソードなので、「ロイとか、新アニメでは本当に『へのへのもへじ』で表現してくるんじゃないか?」と…アニメが始まった当初は、私と妹内では本気で話していました。■表向きの話筋と本筋「トラウマ軸」幼い「空想上のロマンス」を経て、「真実の愛」を見出すまでの物語。…原作中で明言された言葉だけを拾って、アンの愛情のあらすじを語ろうと思うとこうなると思いますが、私たちはこれを「表向きの話筋」、モンゴメリさんが書いている原作の本筋は「トラウマ軸」だと認識しています。(だってアンちゃんは「空想好きな子」ではあるけど、それはつらい現実世界でだって楽しく日々を過ごしていくために幼少期から培った逃避方法であって…決して「夢と理想を追い求めるあまり、目の前にある大事なものを見失う」なんて娘ではなかったので。)モンゴメリさんの他の作品においても、トラウマ&越えられない心理的ハードルはテーマとして頻繁に登場しますし、作りこんである本筋をあえて隠し、別の視点からの筋を描きながら匂わせていく…という手法もよく使われています。「アンの愛情」(1915年)は、シリーズ2作目「アンの青春」(1909年)から6年間もの間、熱烈なファンを待たせに待たせて繰り出した、皆さんお待たせしました!という超渾身のラブストーリー作品だと思います。アンちゃんが人生の主軸を何に据えて生きていくかを決定づける重要作です。歯に衣着せぬ言い方をすれば、幼い「空想上のロマンス」を経て、「真実の愛」を見出すまでの物語。…だけの筋道をたどるような、そんな…誰も読みたくないような 馬鹿みたいなテーマの作品を、心情構成の神・モンゴメリさんがわざわざここで出してくるわけないよね‼⁉…と思います。…思ってました。だから今回のアニメ『アン・シャーリー』が、本当に真摯に、表向きの話筋を繊細に詰めて描いて来て…ロイに真摯に向き合うアンちゃんとか、最終回直前の23話まるまるかけて描写されて、びっくりして「…おぉおおうっっ!!」と変な声が出ました。…それがちゃんとラブストーリーとして魅力的なんですよ!!もともと、本作のコミカライズのキャッチコピーに「あの「赤毛のアン」が”恋”をして”愛”を知る、青春時代を描くー」と書いてあったので、きっとアニメ本編も、アンの愛情パートは表向きの話筋の方をメインで描いてくるんだろうな、とは思っていました。想像してた通りのはずなのに、まさかここまで頑張って、魅力的に見える形まで作り込んで出してくるとは想像していませんでした。…なんっっって 原作と逆張りのところを渾身で描写して来るアニメなんだ!だが、これもこれですごく面白い!!!妹がノリノリで描いたロイ・ガードナーのイラストです。妹はロイの話をするとき&絵を描くとき、必ず馬モチーフ/馬アイコンをつけて来ます。※刮目!『当て馬』の元祖がここに居るぞ!という主張23話を鑑賞して、「へのへのもへじで描写するのも妥当なキャラクター」とか思ってて悪かったなと、心から思いました。…まぁ、何がどうあっても、原作と違ってアニメのアンちゃんがどれだけ真摯に向き合おうとも、最終的に当て馬であることに変わりはないんですけども。■クライマックスに向けてアニメ『アン・シャーリー』、土曜日の24話はいよいよ最終回です。原作の一番面白い所は…「アンちゃんのトラウマ軸が本筋」とかいろいろ書いて来ましたが、最終的に、「アンちゃんと結婚できない=アンちゃんを自分が幸せに出来ない」故に目指すべきビジョンを見失い、心労&勉強へ打ち込み過ぎでバランスを崩し、感染症に罹患し「死ぬ」をガチで実践してくる…脅威の執念系ラブファイター・ギルバート氏が全部持っていくところ。原作のアンちゃんは、ギルバートがちゃんと他の素敵な女性と婚約するまで見届けて(誤認)、自身は予定通り優秀な成績で大学卒業&ロイとも破談して、これからキャリアウーマンとして生きていく…彼女自身が向かうべき道にちゃんと進んでたんですよ。そのアンちゃんが…もうショック過ぎて…ここまで暗に描写してきた彼女の出生にまつわるトラウマとか、こだわりとか、自我とか、プライドとか…何もかもが全部パーンッって爆発四散する、強烈なクライマックスシーン『黙示録』。「トラウマを乗り越える」というより、「トラウマが爆発四散して消えてなくなる」とか、「それどころではない、新たなトラウマによって強烈に上書きされる」とか、そういった類のシーンですね。これはね。アンちゃんが、ギルバートに自我の強さで完全敗北する瞬間というか、…毒をもって毒を制す。本当に、あの壮絶なバックボーンを抱えるアンちゃんより、なんでお前の方が病気(重症)なんだ、ギルバート‼⁉…だが、分かる。帝王だから、仕方ないよな。アニメの方は、23話までで本当に丁寧にギルバートのいじらしさを描写してて、アンちゃんも普通にもうギルバートのこと好きだよね?と分かる描き方になってて、彼女が既に後悔しているので…黙示録~真実の愛の気づき~ハッピーエンディングの流れは、より素直な話筋に見えるのではないかな、と想像しています。いや~…原作との相違点をあれこれ考えるのも含めて、アニメ『アン・シャーリー』、本当に楽しく鑑賞させていただいてます。…最終回、しっかり見届けさせていただこうと思います!by姉、イラストby妹◆アニメ『アン・シャーリー』2025年 感想リンクTVアニメ「アン・シャーリー」待機中!第1話感想・ふたりのアン・シャーリー第2話・第3話&OP/ED感想第4話・第5話・第6話感想まとめ第7話・第8話・第9話感想+アン&ギルバートイラスト第10話 感想+イラスト第11話・第12話・第13話 感想+カスバート家子供たちイラスト第14話・第15話・第16話・第17話 感想第18話・第19話・第20話 感想+ルビー・ギリス イラスト第21話・第22話 感想+原作との相違点について(予想)第23話 感想+ロイヤル・ガードナー描写について最終回・第24話 感想+アン&ギルバート before&afterイラスト総括:アニメ『アン・シャーリー』と原作『アンの愛情』との相違点について◆小説 赤毛のアンシリーズ(村岡花子訳) 感想アンの愛情(Anne of the Island)1915 ⇒アンの愛情 村岡花子訳と後続の翻訳本の比較について
2025.09.23
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久しぶりに新しい少女漫画を購入しました。超簡単ひとこと感想!「おしえて執事くん」1巻(眞生みち先生・講談社・月刊デザート・アプリPalcy)(公式・作品紹介)「わかったら浮気すんな バーカ」ずっと執事の花柳(はなやぎ)に片想いしている綺香(ききょう)。何度もアプローチをしているのに、花柳には全然響いてなさそうで…?片想いお嬢様×クール執事の可愛すぎる主従ラブコメ!講談社の漫画アプリ・コミックDAYSで1話試読し、面白かったので単行本を購入しました。あらすじにもあるように、ごまんとある「お嬢様×年上執事」のラブコメですが、キャラクターの表情や演技動作も可愛く、何より画面の緩急…光…空気感…!!漫画表現が達者過ぎて、読者の視線の流れのコントロールや、情報量の多い1コマ1コマに、少女漫画好きのにやにやが止まらなくなる作品です。あとは、魅せ方として、ヒーロー側は極力表情を動かさず、女の子・綺香ちゃんの可愛らしさに、両想いの説得力の根拠を全振りしているところが徹底的で面白いと思います。私のような、どうしても男目線から入って読み進めてしまうラブコメ好きにはしっくりくる描き方で、たいへん好みです。新しい漫画を購入出来て嬉しいです。続刊も楽しみにしています♪by姉
2025.09.21
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アニメ『アン・シャーリー』第21話・第22話 感想+原作『アンの愛情(村岡花子訳)』との相違点についてアニメ『アン・シャーリー』、物語も佳境!毎回妹と大騒ぎしながら鑑賞しています。現時点で「今回のアニメの筋はコレなんじゃないか⁉」「そうだったらこんな場面もありうるのでは‼」と、二人で好き勝手キャーキャー話し合ってる展開予想などを、とりあえずまとめてみました。*以下、全部自分たちの勝手な私見による「原作と新アニメの相違点」の話をしており、また今後のネタバレを含むため、原作未読の方はお気をつけください。*第21話でロイ・ガートナー&クリスチン・スチュワートが登場。第22話までで、ダイアナちゃんの結婚式まで終わったところ。ここまで鑑賞したうえで、私と妹の間では、新アニメは、原作とは異なる筋道で、説得力を持ってクライマックス『黙示録』の章にたどりつこうと、脚本家様たちが練りに練って様々な改変を加えているのではないかと話しています。まだ23話・最終24話が未放送ですが、今のところの情報で、原作と新アニメの相違点についてぐるぐる考え、書き出してみました。下記相違表の前提記事↓・原作感想記事:『アンの愛情』感想・参考記事:「果樹園のセレナーデ」感想新アニメの筋道については、今後の予測も思いつく範囲で書き込みましたが、さてどうなるか…?とにかくアニメ『アン・シャーリー』の脚本筋は、確固たる方向性を持って『黙示録』に向けて作り込まれているのだと思っています。そうでなければ、ギルバートのキャラ変(表層面)なんて思い切った改変はできないと思います。いや~~、本当に面白い!語りがいがある!アニメが最後まで放送されたら、上記相違点の一覧をアップデートして頭の中を整理したいです。アニメクライマックス!超渾身であろう『黙示録』のシーンが、どんな描写・ニュアンスで描かれるのか、本当に楽しみです!余談。原作では「面白味が無い」と評されていたロイ・ガートナーですが…極端な王子ビジュアル&積極性プラスによって、めちゃくちゃ面白キャラになってますねうっかり間違って、コレに嫁入りしちゃう女の奮闘記になったら…それはそれで面白そうかも?by姉、妹アニメ『アン・シャーリー』2025年 感想リンクTVアニメ「アン・シャーリー」待機中!第1話感想・ふたりのアン・シャーリー第2話・第3話&OP/ED感想第4話・第5話・第6話感想まとめ第7話・第8話・第9話感想+アン&ギルバートイラスト第10話 感想+イラスト第11話・第12話・第13話 感想+カスバート家子供たちイラスト第14話・第15話・第16話・第17話 感想第18話・第19話・第20話 感想+ルビー・ギリス イラスト第21話・第22話 感想+原作との相違点について(予想)第23話 感想+ロイヤル・ガードナー描写について最終回・第24話 感想+アン&ギルバート before&afterイラスト総括:アニメ『アン・シャーリー』と原作『アンの愛情』との相違点について
2025.09.14
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「黄金の道 ストーリー・ガール2」木村由梨子訳 感想+ アンの娘リラについて「黄金の道 ストーリー・ガール2」 (1913年 ルーシー・モード・モンゴメリ/著木村由梨子/訳 角川文庫※元は1983年 篠崎書林より刊行)(角川文庫/背面あらすじ)季節は巡り、少年と少女たちはまた少し大人になった。情熱を込めて取り組んだ新聞づくり、魔女と呼ばれる女性との恐怖の一夜、お客を取り違えたおもてなし騒動などなど。プリンス・エドワード島の美しき思い出を胸に、今、彼らは別れと旅立ちの時を迎える。仄かな恋心や秘められた約束、そして周囲の大人たちのロマンチックな愛の物語をからめながら描く、虹のような声色をもつ少女、大人気ストーリー・ガール第2弾!先に感想を書いたストーリー・ガール(2011)の続編の物語。執筆は両作とも、アンシリーズの2作目・アンの青春(1909)~3作目・アンの愛情(1915)の間です。「黄金の道-The Golden Road」とは、モンゴメリさんの定義だと多感な子ども時代の、目に映るものの全てが、そして前途が光り輝いて見える時期…のことなのだと思います。本作を読んで感じたことを…上手く書けるか分かりませんが、備忘の為に吐き出しておきます。*以下、「黄金の道」及びアンシリーズ10「アンの娘リラ」のオチまで含めた内容について触れています。ネタバレを避けたい方はお気をつけください。*「黄金の道」を読んでの印象ですが、まず、第1作目のストーリー・ガールよりもキャラクターたちが生き生きしゃべっていて、キャラクター同士のお互いの認識も深まり、各キャラクターにとても愛着を持って読み進めることが出来ました。前作の感想でも、8人の幼馴染たちを絡ませて自由にさせているところが「虹の谷のアン」っぽい!と書きましたが、本作を読んで、今度は「アンの娘リラ」っぽい!と思いました。一言で言うと…空中戦。本シリーズは、特に最後どこに向かおう!と、大筋を決めて書き始めた作品ではないと思います。少年・少女時代でしか味わえない高揚感とか、スリルとか…そういったものを想起させるであろうものごとを子どもたちにぶつけてみて、キャラクターたちがわちゃわちゃするのを楽しむ。キャラクターたちの自発的な行動・感情の動き重要視して、自然発生したものの中で、このキャラクター同士の関係性は面白いな、とか、この感情は読者の目線筋の中でも活きるな、という部分をモンゴメリさんが拾って、1作の小説として体裁を整えてまとめ上げるような考え方なのだろうと思っています。それでいて本作「黄金の道」については、シリーズとしてまとめにかかっている…これがシリーズ自体の最終巻という認識で執筆されているので、当然読者としては、各キャラクターの行く末を常に気にしながら読んでしまいます。モンゴメリさんが、各キャラクター軸について、自発的な心情筋/他キャラクターとの関係性を的確に分析した上で、作品全体バランスを考慮しながら、「作中ではっきりと明示するorニュアンスだけで悟らせる」を使い分けつつ、読者目線を自在に操る魔女のような手腕で、なんとなく作品全体感として納得のいく形にまとめ上げていきます。本作では、ラスト近辺の第30章「予言」で、ストーリー・ガールが幼馴染たちの将来像について(お遊びっぽく)予言するエピソードがあります。主役のベバリーくんは、本書きになって世界中を回ること…弟のフェリックスくんは、一生太ったままだけど50歳前にはおじいちゃんになること…キング農場の長男・ダンくんは農場を継いで、11人も子どもが出来ること…ピーターくんは牧師さんになること、フェリシティーちゃんは牧師さんの奥さんになって幸せ暮らすこと、セーラちゃんは結婚するが、相手が難ありそう(?)なこと、長生きすること…等。これらの予言は、基本的には「出任せのお遊び」でも「本当」でもどっちと受け取ってもいいよ、という書き方になっています。ただ唯一1点、ストーリー・ガールが口をつぐみ明言を避けたセシリーちゃんの未来について、おそらくこの時点より間もなく…彼女は「黄金の道」を抜けることなく天に召されることが、主役・ベバリーの回想的な語り口に寄って明言されています。キング農場の次女(3兄弟の末っ子)のセシリーちゃんは、仲間内での喧嘩(特に兄・姉間の日常的ないがみ合い)に心を痛めたり、また親戚筋外で過保護な母親付・且つ 本人も少しピントが外れた発言が多く仲間内でも厭われがちなセーラ・レイちゃんに誰よりも親身に接する、徹頭徹尾争いを好まない聖女のような女の子です。この子が、本作途中頃より肺を悪くして咳込んでいる描写が度々挿入されて来ます。仲間内で一人、「黄金の道」を抜けることなく逝く…という本作のバランス構成それ自体が「アンの娘リラ」の全体構成の下地のような印象を受けました。セシリーちゃんの夭折は、もちろん悲劇なんですけど、読み切った時に妙な納得感があるんです。まず、「黄金の道」というパッケージ感として、美しい光輝く世界に少女が一人残るようなイメージ提示に説得力がある点。セシリーちゃんがあんまりいい娘なので、神様がこの姿のままで、この世界に留まって欲しかったのかな~…というふうに納得させられる…というか、飲み込むとしたらそうやって飲み込む、という筋道が見いだせます。また作中、セシリーちゃんのことが大好きで言い寄って来るストーカーまがいのクラスメイトが居まして、それに対してセシリーちゃんがとにかく嫌がって拒絶しまくります。モンゴメリさんの他作品を読んでいると、アグレッシブなヒーロー像はそれはそれとして受け入れられる描写も多く(ギルバートとか)、わざわざ、この男の子自身は将来は成功者になるよ…という書き方までされていたので、セシリーちゃんの全身全霊をかけた嫌がり方は、少し引っかかって読み進める部分でした。これがラスト、セシリーちゃんの夭折が明言されると、納得感につながります。そして何より、妹の夭折に向き合うことになる、ダンくんとフェリシティーちゃんへの影響の大きさ…ですね。ダンくんとフェリシティーちゃん(&セシリーちゃん)は、キング農場…プリンスエドワード島・キング家の「本家の子たち」…なのだと思っていて、読者目線的には、傍家筋であるストーリー・ガールや主役兄弟たちより、今後の行く末が気になる子たちでした。2人にとって、妹夭逝は一生レベルで世界の認知が大きく変革する出来事になるであろうこと、そしてきっと、妹の分まで人生を力強く精一杯生きねばと思うだろうことが想像できます。ダンくんが、農場を継いで11人もお子さんを産んで、立派にキング家を繁栄させていくんだろうな…とか、フェリシティーちゃんが、きっと力の限りでピーターくんを愛し支える人生を歩むんだろうな…とか、ストーリー・ガールの「お遊びの予言」が説得力を持って響いて来ます。(完読時の余韻)「黄金の道」を読んで、「アンの娘リラ」を読んだ際に感じた感動…「なんだこの空中戦は!こんな書き方、観たことがない!」の下地と言うか…明言しないけど点在する情報&ニュアンスで魅せてくる、筋道と納得感!…その片鱗を感じました。あぁ、この作品を書いていたから、「リラ」をあの形でまとめ上げることが出来たんだな、と感じました。モンゴメリさんの天才性の成せる技・空中戦的なお話構成については、今後他作品も読み進める中で、もっと見つけていけるのかな…?見つけていけるよう、他シリーズを読み進めていきたいと思います!by姉◆小説 赤毛のアンシリーズ(村岡花子訳) 感想リンクアンの青春(Anne of Avonlea)1909アンの愛情(Anne of the Island)1915 ⇒アンの愛情 村岡花子訳と後続の翻訳本の比較についてアンの幸福(Anne of Windy Willows)1936アンの夢の家(Anne's House of Dreams)1917炉辺荘のアン(Anne of Ingleside)1939その1:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921その2:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921アンの友達(Chronicles of Avonlea)1912アンをめぐる人々(Further Chronicles of Avonle)1920◆モンゴメリ著 小説 感想リンク果樹園のセレナーデ(Kilmeny of the Orchard)1910ストーリー・ガール(The Story Girl)1911黄金の道―ストーリー・ガール(The Golden Road)1913可愛いエミリー(Emily of New Moon) 1923エミリーはのぼる(Emily Climbs)1925エミリーの求めるもの(Emily’s Quest)1927青い城(The Blue Castle)1926◆赤毛のアン 関連本 感想リンク赤毛のアンの手作り絵本 / 松浦英亜樹 さんのイラストについて赤毛のアンシリーズのコミカライズについて
2025.09.07
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アニメ『アン・シャーリー』第18話・第19話・第20話 感想+ルビー・ギリス イラスト最新3話の簡単感想です。※以下、原作シリーズを読んだ上でネタバレ全開で好き勝手語ってます。原作シリーズ未読の方はご注意ください!※■第18話 チャーリーのプロポーズ~パティの家賃貸契約~ボーリングブローク生家訪問小学校時代からの旧友・チャーリーくんのプロポーズを速攻で断るアンちゃん。断られたチャーリーくんが発した「孤児のくせに!」というひどい言葉→大学生活2年目以降に友人たちと暮らす家(パティの家)のあてを見つける→フィリパちゃんの帰省についていき、ボーリングブロークの生家を訪れ、両親の話や母の残した手紙を見つけ、両親の存在を実感する18話は、「家」というコンセプトできゅっとエピソードをまとめていました。今回のアニメシリーズにおいては、第1話より、アンちゃんが幼い頃から記憶にない生家&を両親を想像しながら過ごしてきたよ…という前振りをしっかりしていましたし、ここでTV放送は2週間お休みを挟んでいたこともあり、鑑賞者の頭に収まりのよい形で、且つ 心情的にも穏やかで素直に「良かったね」と思える形でまとめられていたのは、鑑賞者目線の軸で非常に納得のいくものでした。原作では、ボーリングブローク生家訪問エピソードはもっと後…大学2年終わりの夏休み前…第20章「ギルバート口をひらく」でギルバートが1回目のプロポーズをして見事に玉砕するエピソードのすぐ後・第21章「きのうのばら」として挿入されています。原作において、ギルバートを振った直後に挿入される生家訪問エピソードは、確かに鑑賞者目線の軸で見たときに不思議に感じるところなんです。ギルバートに心乱された直後に、フィリパの帰省について行く…とか、アンちゃんあまりギルバート振ったことを気にしてないのかな?と受け取られる可能性もある。ギルバート1回目プロポーズ(玉砕)→アンちゃんの意識内においてギルバートの重要性を強調する という流れを考えても、今回のアニメの構成はスマートだし、納得がいきます。ただ、じゃあなんでわざわざ原作においては、この生家訪問エピソードがギルバート玉砕直後に配置されているのかも、ちゃんと理由があると思っています。…アンちゃんの深層の心情筋(トラウマ)の軸がここに通ってる。以前、「アンの愛情」の原作感想記事で一生懸命語っているところなのですが、アンちゃんがギルバート&結婚から逃げ回るのは、出生直後に両親を亡くした生い立ち故、アンちゃんが深層心理では「結婚・家族を築くこと」に対して大きな恐怖心というかトラウマですかね…を抱いていて、どうしても思考回路が『結婚』の手前で一気にシャットダウンしてしまうからだと受け取っています。アンちゃんは複数人からプロポーズを受けますが、どんな男性から求婚されたとしても「この男性と一緒になったら、どんな未来になるのかな」とは一切…絶対考えないんです。「結婚から先」を自分事として想像することが全くできない。「恋愛~求婚」と「結婚~人生」がつながらない。病的なほどに。生家訪問エピソードは、アンちゃんのトラウマの原点に直に触れに行き、両親のたどった「結婚から先の出産~悲劇」までを具体的に提示する重要なエピソードです。明確に「結婚後のビジョン」を魅せるエピソードになるためアンちゃんの心情筋だけの話をするのであれば、原作通り「全く先が見えなくて、怖くてギルバートのプロポーズを拒絶」した後の方がしっくりくる配置だと思っています。これはもう…今回のTVシリーズ構成として、アンちゃんの深層の心情筋(明確に説明はしない)か、鑑賞者の目線筋か、どちらを優先するのかの話だと思いますが…改めて モンゴメリさんの原作『アンの愛情』は、この「アンちゃんの深層の心情筋」に特化して構成されているんだな、と強く感じました。■第19話 幼友達・ルビーちゃんの病悪化→死、同時並行で、アンちゃんが初めて小説執筆女友達の中でも一際可愛いルビーちゃんのキャラクターデザインを見て、絶対に力を入れて映像化してくださるだろう!と思っていたエピソードです。想像通り、映像は表情/演技動作、背景美術…と力が入っており、声優様たちの演技、取りおろしBGM等、あらゆる面でスタッフ様たちの凄まじい意気込みを感じる回でした。特にルビーちゃんの表情…ルビーちゃんが「天国はアヴォンリーと同じなわけない!」と強く言ってしまいアンちゃんが困って泣いてしまって、それを見たルビーちゃんがしまったと思って…そこから「生きたい、結婚して子供を産みたい」と吐き出してすっきりした表情になって…このあたりの表情筋は練に練られてて渾身で、息をのんで見入ってしまいました。素晴らしかったです!ルビーちゃんの想いを目の当たりにしていたからこそ、絶大に輝く本作クライマックス・アンちゃんの『黙示録』の大後悔&独白なのだと思ってます!■第20話アンちゃんの小説、ベーキングパウダー会社の広告賞を受賞、大学生活2年目、パティの家での同居開始、猫×3、ギルバート1回目のプロポーズ、そして玉砕ダイアナちゃんが勝手にアンちゃんの小説を応募した件…まぁ、アンちゃんの承諾を得てからやるべきでしたよね。残念ながらダイアナちゃんには「アンちゃんの文学に対する美学」が理解できませんでした。ーただ結果的には、アンちゃんの方が自分の視野の狭さを見直すきっかけになり、25ドルも稼ぐことが出来ました。そして何より、初めて小説を認められたという実績になりました。アンちゃんにとっては、凄く良い事だったと思います。「生涯の友で居る」って「ずっと変わらないで居る事」じゃないと思います。お互いが人生を歩む中で、それぞれ絶対変わっていく部分があって、それでも相手を想いやって&相手の価値観を尊重して、ずっと変わらない友情を保っていくことなんだと感じました。すごく好きなエピソードです!ちなみに妹は小説のタイトルを『アルビルの”あ”がない』…ルビル?だと思ってたらしいです。あがない=贖い ですね。そして遂に来ましたギルバートの玉砕シーン!!楽しみにしていましたが、ドストレートに盛大で最高でした!ギルバート役の宮瀬尚也さんの、芯のある声質と攻撃的なまでにまっすぐ心を撃ってくる演技がブラボ―!でした。この玉砕シーンは、原作を読み進める中で、オイッ!こんなことしたら…コイツ(ギルバート)死ぬぞっっ!!と明確に思ったシーンでした。だって、ギルバートほどの超仕事脳人間(※)にとっての目指すべきビジョンの一番根幹にあるもの(※※)を完膚なきまでに破壊する行為ですからね。※目標到達に向けて生活の全てが回るタイプの人※※アンちゃんを自分が幸せにしてあげたい!という感情いや…まぁね…ギルバート自身はまだ大学課程がまるまる5年間(通常2年+医科3年)も残ってますし、婚約なんてこぎつけられるような立場じゃねえだろお前…とは思うのですが、目先の資金難故、夏休み長期休暇は短期仕事に従事せざるをえず、アンちゃんと一緒にアヴォンリーに帰ることすら出来ないため、いつ何時アンちゃんにアプローチする輩が現れるとも限らない焦りもあるし…何より…頑張りたかったんだよな…!!目指すべき目標(ビジョン)をアンちゃんと2人できちんと共有して、確固たるものにして、そこに向かって頑張りたかったんだよな…(泣)結果、地獄の(日々に続く)入場ゲートの竣工セレモニーになってしまいましたが、ギルバートがやりたかったことはすごくわかりますよ…(泣)次回は ロイ・ガートナー登場&クリスチン・スチュワートさんも登場ですかね!?妹は、アンちゃん主観の描写…どれだけロイ&アンちゃんのシーンを軽薄に描いてくるか、どれほどクリスチン・スチュワート登場の衝撃を重く描いてくれるか、勉学に没頭していくギルバート(健気にもアンちゃんの前では気丈に振舞う)をどのように描くのか、ここからが今回のアニメの真骨頂のはず!と非常に楽しみにしています。ますます混とんとして、お互いにわけが分からないことになっていく元祖・爆萌えカップルの行く末から目が離せません!次回も楽しみにしています。by姉・妹アニメ『アン・シャーリー』2025年 感想リンクTVアニメ「アン・シャーリー」待機中!第1話感想・ふたりのアン・シャーリー第2話・第3話&OP/ED感想第4話・第5話・第6話感想まとめ第7話・第8話・第9話感想+アン&ギルバートイラスト第10話 感想+イラスト第11話・第12話・第13話 感想+カスバート家子供たちイラスト第14話・第15話・第16話・第17話 感想第18話・第19話・第20話 感想+ルビー・ギリス イラスト第21話・第22話 感想+原作との相違点について(予想)第23話 感想+ロイヤル・ガードナー描写について最終回・第24話 感想+アン&ギルバート before&afterイラスト総括:アニメ『アン・シャーリー』と原作『アンの愛情』との相違点について
2025.08.31
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「ストーリー・ガール」木村由梨子訳 感想+ アンの愛情『黙示録』の章について「ストーリー・ガール」 (1911年 ルーシー・モード・モンゴメリ/著 木村由梨子/訳 角川文庫※元は1980年 篠崎書林より刊行)(角川文庫/背面あらすじ)父の仕事の関係で、トロントからプリンス・エドワード島にやってきたベバリーとフェリックスの兄弟。キング農場で個性豊かないとこたちと一緒に暮らすことになった彼らが出会った、すらりと背の高い大人びた少女。虹のような声色でお話を語る不思議な魅力のストーリー・ガールと過ごした多感な10代の日々を、夢のように美しい島の四季と重ね合わせて描く、もうひとつの『赤毛のアン』と呼ばれ愛されるモンゴメリの傑作。本国・カナダでは1990年代に、本作「ストーリー・ガール」シリーズをベースとして、アンシリーズのエピソードも交えた形で「アボンリーへの道」というテレビドラマ作品が制作されているそうです。全91話とか書いてあるので、超大作ですね…。原題は「The Story Girl」。1911年発表の作品とのことなので、「果樹園のセレナーデ」の1つ後の作品になるのかな?本作は『赤毛のアン』で名声を得たモンゴメリさんが、より自身の幼少期の体験談や聞いてきた物語の引き出しを大きく広げ、お話しの上手な女の子を、今ならこの体裁で描くな、というとっかかりで楽しく執筆された作品なのかな?と受け取りました。本作も、以前感想を書いた「果樹園のセレナーデ」と同様に、この先で紡がれるアン・ブックスの下地と思わしき要素が多数見受けられ、非常に興味深い1冊でした!■8人の幼馴染本作を読んで、真っ先に感じたのが『虹の谷のアン』と似てる!でした。本作は、トロントからベバリー(13歳)とフェリックスという2人の兄弟がプリンスエドワード島を訪れるところから始まります。預けられた父の実家・キング農場には、長男・ダン(13歳)、美人で料理上手な長女・フェリシティー(12歳)、争いを好まない温厚な次女・セシリー(11歳)の3兄弟が居ます。近所にはキング家と親戚筋のセーラ・スタンリー(ストーリー・ガール・14歳)が暮らし、彼女の家ではピーターという少年が雇人として働いています。親戚筋ではないですが近所に住む女の子・セーラ・レイ(11歳)も含め、総勢8人の子どもたちでいつも遊んでいます。『虹の谷のアン』は、アンちゃんとギルバートの子どもたち(6人居るが、特に上の4人)と、近所の牧師館に越してきた一家の4兄弟(長男・長女・次女・次男)を掛け合わせ、走らせる中でキャラクターや関係性の試行錯誤・確立を行っている作品と認識しています。今回「ストーリー・ガール」を読んで、8人の子どもたち(男の子4人:女の子4人)のわちゃわちゃを描いている点が完全に被っており、『虹の谷のアン』は基本的に「ストーリー・ガールの要領で執筆」を念頭において着手した作品なのだろうな、と感じました。また、キャラクターについても色濃く繋がりが見て取れます。『虹の谷のアン』の牧師館の4兄弟(ジュリーくん、フェイスちゃん、ユナちゃん、カールくん)ですが、特に上の3人の配置は「ストーリー~」のキング家3兄弟と印象が似ており、キング農場の3兄弟+主人公の弟(フェリックスくん)のイメージを持って牧師館の兄弟たちを走らせたんではないかな、と感じました。「ストーリー~」を読んでの個人的な印象ですが、本作は当初「ストーリー・ガール」というタイトルの通り、おしゃべり上手なセーラ・スタンリーちゃんを一番魅力的に描き、子どもたち、更に周囲の大人たちの輪の中心として描こうとしたのかな…と思います。ただざっと読んだ限り、あまりストーリー・ガール自体の印象は強く残りませんでした。主役のベバリーくんは「ストーリー・ガールが非常に魅力的である」と繰り返し語るのですが…やっぱりアン・シャーリーほどの惹きは感じないというか…アンちゃんは孤児という立場ながら、明朗快活で聡明…に一瞬見えるけど、本当はすごく繊細&怖がりなところが魅力的な娘だと思うので。※ギルバート的 執着&全力で尽くしたくなるポイント「ストーリー~」をざっと読んで、私はどちらかと言うとフェリシティーちゃん&セシリーちゃん姉妹の方が印象的/魅力的に感じました。フェリシティーちゃんは誰に言わせても美少女。高慢で男の子との言い合いも多いですが、料理上手で、両親たちが不在の間は家を預かりきちんとせねばという責任感を見せますし、セシリーちゃんは姉に比べ派手さはないものの、仲間内での喧嘩を諫めたり、年上の子たちにも臆さない芯の強い子です。先にも語りましたが、この2人が「虹の谷~」でメインとなるフェイスちゃん/ユナちゃん姉妹の原型なんじゃないかな、と受け取って読み進めました。本作を読んで、いちばん興味深かったのが次の2つのトピックです。■『世界の終末』・『近しい幼友達の“死”』いずれも「アンの愛情」の話回しにおいて大きく取り上げられるトピックなのですが、ラブスト―リ-を描くにしてはかなり独特というか、普通の思考回路ではまず出てこないよな、モンゴメリさんは天才だな!と思っていました。これらのトピックが、見事に「ストーリー~」の中でガッツリ取り上げられていて、非常に腑に落ちたというか…ここで一度しっかり形にしてるから、「アンの愛情」でもあれだけ自由に、描くべきものに見事に適合させた形に展開させることができたんだな、と感じました。・第19章 恐怖の予言、第20章 審判の日曜日(ジャッジメント・サンデー)新聞に掲載された「最後のラッパ、明日二時鳴りわたる」という一節…つまり、世界の終末(最後の審判)が訪れるという予言です。これを信じた子どもたちは焦り怖がりまくりますが、結局何もなくその時は訪れ過ぎていく…というエピソード。「最後のラッパ」と言われても聖書に詳しくない私にはピンときませんでしたが、調べると新約聖書の聖典・ヨハネの黙示録において、災害の前触れとなる7つのラッパを吹く7人の天使達が登場、各ラッパの合図とともに恐ろしい災害が起こり、最後の第七のラッパで最終的な世界終末が訪れる(?)…とのことで、このくだりを指しているのだと受け取りました。なんか最近…日本でもありましたね…2025年7月5日の予言的なのが…。私はキリスト教の教えに詳しくないので、終末論の考え方が根付いているわけではないのですが、ただ、終末が身に迫る危機意識を高め、いざというと時の動きをシュミレーションする機会として大事な思想なんじゃないかな、と思っています。本作の子どもたちも、ただ怖がるだけではなく、1週間喧嘩して口をきかなかったストーリー・ガールとフェリシティーちゃんが、それを悔いてすぐに仲直りしたり、子どもたちなりに残りの時間を悔いなく過ごそうと、恐怖にかられながらもあれこれ考えます。『アンの愛情』のクライマックス(最終章の前章)の章題は英語原文だと「A Book of Revelation」…和訳では『黙示録』としており、突如として「世界終末」を迎えたアンちゃんが、自身の内から溢れる後悔の念を大爆発させます。この「世界終末」というトピックですが、モンゴメリさんの興味関心どころとしては、やはり誰しもに想起される「後悔の念」の観点だったのだろうと思います。「世界終末」という強烈なトピックに対し、ここで終わるなら…もっとああしておけばよかった、これをやっておけばよかった…という後悔の感情は、世界中・老若男女問わず少なからずは自然と想起されるものでしょうし、一番重要な心情筋がこうした永久不変の概念で作りこまれているからこそ、アンシリーズは「世代も国も超えた全世界中の人々が、共感し楽しむことができる作品」なのだと思います。・第28章 虹のかけ橋、第29章 恐怖の影、第30章 手紙の花束本作のクライマックスとして、幼友達仲間の一人であるピーターくんが "はしか"にかかり、生死をさ迷うエピソードが大々的に描かれます。つい先日まで笑い合っていた仲間に突如迫る死の影は、子どもたちに大きな衝撃を与えます。私自身も小学校高学年の頃に、同じ学区の子が不幸な事故で亡くなったのを知った時、学年も離れていたし話したことはない子でしたが、「こんなことが本当に身近で起こるんだ…!」と凄く衝撃を受けました。カルチャーショックというか…本当に初めて「死」が自分の近いところにもあることを認識した瞬間ですね。あの時の感情は焼き付いていて、数十年経った今でも鮮明に思い出すことが出来ます。「ストーリー~」の子たちに関しては、いつも一緒に遊んでいた仲間うちで起こった話ですので、その衝撃はさらに大きなものだっただろうと思います。特にこのピーターくんというのが、若いながら一際苦労人で…三つの頃に父親が蒸発し、母の稼ぎでは食べていけない為、六つの頃から働きに出ていて、8人の仲間内の中でも他の子たちと違い、あまり学校にも通えていない様子。ただ、誰に言わせても「躾はないが地頭のいい子」で、本作の中でも事あるごとにその有能さを発揮します。正直、本作を読み進める中で、読者目線でのアイドルは完全にピーターくん一択でした。ピーターくんは幸いにも一命をとりとめ、30章では元気になるまでの間、仲間たちから思いやりいっぱいの手紙を受け取り、大喜びします。「アンの愛情」においては、この「近しい友人の死」について、物語中盤・ルビーちゃん病死のエピソードで具体的/悲劇的に印象深く焼き付けておいた上で、クライマックス・ギルバート瀕死の報がアンちゃんに突き付けられます。■2つのトピック→アンの愛情:『黙示録』の章への転換について上述の通り、「ストーリー~」においては2つのトピック:「世界の終末」と「近しい幼友達の“死”」は、全く別物のエピソードとして描かれていました。これが、アンの愛情では一つの大筋に集約されているというか、イコールのものとして、クライマックス『黙示録』の章に据えられています。<アンの愛情の『黙示録』の章の一節>(和訳)聖書に黙示録の書があるように、だれの生涯にも黙示録がある。アンは嵐と暗黒の中で身も世もなく、寝もやらずすごしたその苦悩の夜、彼女の黙示録を読んだ。(原文)There is a book of Revelation in every one's life, as there is in the Bible.Anne read hers that bitter night, as she kept her agonized vigil through the hours of storm and darkness.ギルバートの"死"が、アンちゃんにとっての『黙示録』…つまり「世界の終末」であると言っている一節と受け取っていますが、かなり独特な言い回しだなぁ~~と感じていました。今回、大元の「ストーリー・ガール」の中では「世界の終末」と「友人の死」を別のトピックとして扱っていて、「世界の終末」は世間一般的な「聖書の黙示録」の内容を示していたことを知り、あぁ…だからわざわざ、「アンの愛情」では「ギルバートの”死”は、アンちゃんにとっての『 黙示録 ≒ 世界の終末 』だよ」と強調する書き方になっていたのか、と非常にしっくり来ました。いやぁ…「ストーリー・ガール」、面白かったです!モンゴメリさんの初期発表作に、ことごとく「アンの愛情」の原型を見いだせるというか、あまりに分かりやすく「すべての道は『黙示録』の章に通じる!」状態で、超楽しいです。「ストーリー・ガール」については、2年後の1913年に発表された続編「黄金の道」という作品があるそうで、そちらも是非チェックしなければ!と思っているところです。by姉◆小説 赤毛のアンシリーズ(村岡花子訳) 感想リンクアンの青春(Anne of Avonlea)1909アンの愛情(Anne of the Island)1915 ⇒アンの愛情 村岡花子訳と後続の翻訳本の比較についてアンの幸福(Anne of Windy Willows)1936アンの夢の家(Anne's House of Dreams)1917炉辺荘のアン(Anne of Ingleside)1939その1:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921その2:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921アンの友達(Chronicles of Avonlea)1912アンをめぐる人々(Further Chronicles of Avonle)1920◆モンゴメリ著 小説 感想リンク果樹園のセレナーデ(Kilmeny of the Orchard)1910ストーリー・ガール(The Story Girl)1911黄金の道―ストーリー・ガール(The Golden Road)1913可愛いエミリー(Emily of New Moon) 1923エミリーはのぼる(Emily Climbs)1925エミリーの求めるもの(Emily’s Quest)1927青い城(The Blue Castle)1926◆赤毛のアン 関連本 感想リンク赤毛のアンの手作り絵本 / 松浦英亜樹 さんのイラストについて赤毛のアンシリーズのコミカライズについて
2025.08.24
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赤毛のアンシリーズのビジュアライズ化に興味があって、こちらのシリーズにも手を出しました。『赤毛のアンの手作り絵本』(Ⅰ~Ⅲ)(白泉社紹介文より)夢あふれるアンの世界。そこに出てきた素敵なお料理や手作りの小物を丁寧な解説とともに紹介。あなたをグリーン・ゲイブルズへ誘います。もともとは鎌倉書房という出版社より、1980年に刊行されたシリーズのようです。その後、白泉社から復刊されているのかな?世界名作劇場のアニメが1979年放送ですので、放送後の刊行に合わせて準備されていたのかな?と感じます。体裁としては、赤毛のアンに出てきた(もしくは出て来そうな)料理や手芸の紹介本です。シリーズ内の時系列に沿って、プロの方たちがイメージを膨らませて作った料理/小物等を、きれいな写真で紹介&詳しい作成方法が掲載されています。(前々から感じていた所なのですが、やはり「80~90年代の 料理・手芸本 の熱量&完成度はヤバイ」というか…バブル期の時間的余裕がある豊かさ&パソコンが普及する前ということで、本当に「この一冊で夢と憧れを提供しきるぞ!」という名著が多い気がします。)とにかく「こんなに制作に力の籠った本を私は知らない!」と感じるほど、熱量のある『超良質本シリーズ』です。特筆すべきが、超美麗な挿絵イラスト!松浦英亜樹さんという男性のイラストレーター様のワークスだそうですが、とにかく素晴らしいです!見ごたえがあります!1冊目は、『赤毛のアン』パート。挿絵がひたすら美麗且つ芸術的で、「上手過ぎる…」しか言葉が出てこないのですが…2冊目・『アンの青春』『アンの愛情』パートになってくると、明らかに熱量が異なったぶち抜きイラストが多数収録されるようになります。『アンの青春』以降は、そもそも1979年のアニメでは映像化されていないので、アニメーションからのファンの方たちにとっても、本書籍シリーズがビジュアライズの最先端を担っていたのだと思います。特に、2冊目以降は、「本編にこんなシーンはなかったが…?」というギルバートがグリーン・ゲイブルスに足繁く通い、デイビー/ドーラと遊んでる体でアンちゃんにメロメロしているイラストが多い!私はこのイラストを見て思いました。「小説で読んだ印象そのままの、完璧なギルバート像だ…!」巻末の著作者様方のコメント集で、「アンが年頃になり、画面の中から笑いかけるのでついつい見とれてしまった」といった内容が掲載されていましたが…完全に男性目線というか、ギルバート目線なんです。アンちゃんがひたすら女神でギルバートがラブファイターなんです。3冊目は『アンの夢の家』~『炉辺荘のアン』までのパート。イラスト自体の陰影がグッと濃くなって、めちゃくちゃ立体的になります。表紙イラストが既に3冊目のイラストの方向性の全てを体現していますが…もはやイラストというか「幸せなブライス一家写真集(撮影/構成 ギルバート)」みたいになって来ます。もともと、妹が本シリーズを購入したのは、アンシリーズを小説で読み進めるにあたり、「子どもたちをビジュアルで見たい!(ビジュアルで見ないと頭に入らない)」という意向があったからでした。正直なところ、特にこの3冊目に関しては本書のイラストやキャラクタービジュアル(子どもたち/スーザン)が完璧過ぎて、「炉辺荘~」を読みながら、本書のビジュアルでしか想像ができませんでした。ギルバートも必要に応じて映り込んで来ますが、基本的にどのカットも美しく、女神なアンちゃんを激写するためのアングルで撮影されています。『アンちゃん(女神)の美しい横顔』への執念が凄まじいです。子どもたち6人もそれぞれ個性的に、活き活きと描写されています。「炉辺荘~」のラストシーン。本編ではアンちゃんは緑の服は着ていませんが、イラストレーター様の強い要望で(ギルバートが一番好きな)緑の服にしたと巻末のコメントに記載があり、完全にギルバート主観で絵を描かれていることが見て取れて面白かったです。ビジュアライズ化の中でも、圧倒的画力&ずば抜けた熱量で「アンちゃん(フィクション)がいかに美しい女神であるか」を、そして「ブライス一家(フィクション)が幸せに生きた証」を、現代の日本人にもきちんと伝えなくては!…くらいな、すさまじい挿絵画家の意欲を感じるスーパーワークスだと思います。…お料理・手芸本のはずなのに‼アンシリーズのビジュアル化に興味がある方は、是非!松浦英亜樹さんの他のワークスも気になったため、入手できる絵本を探して購入してみました。『ピーター・パン』(前・後編)チャイルド本社、1982年、絵:松浦秀昭 名義平面の重層で立体感を表現した、和風・浮世絵風のピーター・パンでした。特に、ピーターパンとフック船長の1枚は、北斎の白波パロも入れ込んだばっちり決まった浮世絵風になっていてしびれました。こんなもの子どもが観たいものでも何でもないと思いますので、ただただ「画家がやりたかったんだな」と感じる作品でした。なんたるアーティスティック絵本!たいへん面白かったです。松浦英亜樹さんですが、イラストレーターの後に服(?)のデザイナーに転身されてる(?)という情報がちらっと出てきました。とにかく「天才…っっ!」と思わず感嘆するイラストばかりなので、イラスト集/ワークス集が欲しいな…(今更無理だと思うけど…)今後も機会を見つけて、ワークスに手を出して行けたら良いなと思っています。by姉・妹◆小説 赤毛のアンシリーズ(村岡花子訳) 感想リンクアンの青春(Anne of Avonlea)1909アンの愛情(Anne of the Island)1915 ⇒アンの愛情 村岡花子訳と後続の翻訳本の比較についてアンの幸福(Anne of Windy Willows)1936アンの夢の家(Anne's House of Dreams)1917炉辺荘のアン(Anne of Ingleside)1939その1:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921その2:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921アンの友達(Chronicles of Avonlea)1912アンをめぐる人々(Further Chronicles of Avonle)1920◆モンゴメリ著 小説 感想リンク果樹園のセレナーデ(Kilmeny of the Orchard)1910ストーリー・ガール(The Story Girl)1911黄金の道―ストーリー・ガール(The Golden Road)1913可愛いエミリー(Emily of New Moon) 1923エミリーはのぼる(Emily Climbs)1925エミリーの求めるもの(Emily’s Quest)1927青い城(The Blue Castle)1926◆赤毛のアン 関連本 感想リンク赤毛のアンの手作り絵本 / 松浦英亜樹 さんのイラストについて赤毛のアンシリーズのコミカライズについて
2025.08.17
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モンゴメリさんのアンシリーズ以外の作品にも手を付け始めました。「果樹園のセレナーデ」(1910年 ルーシー・モード・モンゴメリ/著 1961年 村岡花子/訳)(新潮社説明文)荒廃した果樹園の古びたベンチにすわって、ひとり静かにヴァイオリンを奏でる美少女キルメニイ。悲運の母の偏愛ゆえに世間から隔絶された口のきけない少女に、大学を出て赴任してきた若い臨時教師エリックが真実の愛をそそぎ、奇蹟を起こすこの美しい愛の物語は、『赤毛のアン』で知られ、生涯青春の情熱を失わなかったモンゴメリ女史の実質的処女作。原題は『Kilmeny of the Orchard』。あとがきを読むと、赤毛のアン(1908年)、アンの青春(1909年)に続いて1910年に公表されたモンゴメリさんの3冊目の小説とのことですが、実際の執筆時期は赤毛のアンより数年前の作品とのこと。文庫自体は薄く、果樹園のセレナーデ本編は170ページ弱です。短編作品ではありませんが、「短編集の中に収められた長めの中編作品」と言っても不自然さのない長さの作品です。「果樹園のセレナーデ」…村岡花子さんの和訳タイトルセンスが素晴らしく、モンゴメリさんの著作一覧(アンシリーズ以外)の中でも一番気になっていた作品でした。文庫の裏にあらすじの記載がなく、どんな話か全くまっさらな状態で読み始めました。…はい。まるまる1作、見事なまでに「『アンの愛情』のプロトタイプ」な作品でした。ギルバート・ブライスの前世がここに居た。めっっっちゃくちゃ面白かったです!!■感情面に特化した(恋愛)作家様の特徴以前、他の作品の感想を書く際に、感情面に特化した(恋愛)漫画家様を例として、あだち充先生、「ちはやふる」の末次由紀先生、「暁のヨナ」の草凪みずほ先生等を上げて、下記のような個人的着目点について長々と語りました。(感情面に特化した作家様の特徴)着目点①作品の中で成熟した感情を、次の作品に持ち込んで、更にひねって出してくる。「感情」は、いち作品の中で、キャラクターが行動でそれを体現することで、より強固になっていく…成長というか、成熟していくものだと思っています。特に連載作品です。いち作品としてのまとまりは、当然読み切り作品や1冊で読み切れる作品の方があると思いますが、ただ連載作品の面白さは何より、感情の成熟過程を見て取れることだと思っています。感情に特化された漫画家様の中で、前作で成熟した感情や、キャラクター同士の関係性を、次の作品にどんどん転生させているんだろうな、と思う作家様が居ます。既に成熟しきった感情を持ち込むわけですから、次の作品は最初からキャラクターの行動・言動が飛んでいて、その作品から読み始めた読者は、「なんだコレ、なんだコレ…」と戸惑いながら読むことになります。キャラクターの爆発的な感情と行動が先走り過ぎて、読者は正直ついていけてないんですが…でもなんかすげぇ感情があるのが分かるから、面白くて読む。漫画作品ではありませんが、今回改めて赤毛のアンシリーズを鑑賞する中で、モンゴメリさんも間違いなく上記のような「感情面に特化した(恋愛)作家様」だと思っています。「アンの友達/アンをめぐる人々」の感想を書いた際には下記の感想を書きました。モンゴメリさんの執筆/編纂時期を考えても、個人的に注目してしまうのが、『アンの愛情』の下地になるような感情やお話構成の作品を、たくさん見つけられるところ!『アンの愛情』は…アンシリーズの中でも、アンちゃんの人生軸を決定づける重要な作品だと思っています。すごく強烈な感情が、繊細なエピソードの積み上げで構築されており、モンゴメリさんご自身の一番の興味分野(結婚)について、咀嚼して咀嚼して、アンシリーズのファンたちの期待に応えられるよう、渾身で繰り出された作品なのだろうと感じています。『愛情』を読んだ際に感じた「なんて強烈な感情なんだ!なんて洗練された構成なんだ!」という印象は、こうやって…短編作品として似た題材を繰り返し形にする中で、キャラクターを走らせることで感情自体を成熟させたり、1話としての構成として魅せ方を試行錯誤したりして、高濃度/高品質なものとして洗練・構築していくものなんだな、とひしひしと感じました。感想記事はまだ書いていませんが「アンと想い出の日々」でも、これまでの短編作品の焼き直しと思わしき作品が複数見受けられました。・キャラクターの転生について本作を読んで、いちばん面白かった点がこちら。「ギルバートの前世が居る!!」本作には複数人の青年たちが登場しますが、特に下記3人の要素で錬成されたのがギルバート・ブライスだな、と感じました。【魂/前世】エリック・マーシャル身体を壊し休業を余儀なくされた大学時代の友人の代わりに、プリンスエドワード島・リンゼイ中学校に来た臨時教師。ただ、その実は、大手のマーシャル百貨店等を経営するマーシャル株式会社の御曹司であり、父が一代で築いた事業をより拡大する気満々の跡継ぎ。大学の美学科を首席で卒業する頭脳明晰且つ非常にハンサムな男性。完全に「ギルバートの前世」みたいな男主人公です。ハイスペックさもさることながら、思い込みの激しさ(一途さ)、すっとんだ行動力等々…「同じ魂」というか。アンシリーズを読んで、ギルバートは…本当に自我が強いというか、片田舎の農家生まれのくせに、なんでコイツはこんなに帝王思想なんだと感じていた、その謎が完全に解明されていく爽快感を感じながら、「果樹園~」を読みました。「そっか~、前世は御曹司だったからか~」と思いました。また、2人の違いも面白いところで…本作のエリックさん、全然悪人ではないし、言ってることも行動も間違っていないのですが、落ち度がなさ過ぎる上に自信満々過ぎて、読んでいて非常に鼻につきます。応援したくなる気持ちが一切湧いて来ません。読者に、「自惚れが強いやつだな」「どっかで痛い目にあって欲しいな」という感情すら想起させます。正直、このエリックさんの人物像は全くアンちゃんの好みではないので、もし彼がアンちゃんに求婚したとしても、基本的にはチャーリー扱い、運が良くてロイ・ガートナーコースで終了だったと思います。【職業/将来像】デビット・ベーカーエリックより10歳年上のまたいとこ。背が低く容姿も良くない青年。様々な困難(おそらく家庭環境)を抱えていたが、マーシャル氏(エリックの父親)の寵愛もありクインスリー医科大学を卒業し、のどの医師となる。※マーシャル氏に出してもらった学費は、最後の1セントまで完済作中では、キルメニィちゃんののどの診療のためにプリンスエドワード島を訪問します。【生い立ち】ラリー・ウェストエリックの友人。経済的な理由で大学を2年で辞め、プリンスエドワード島で教師をしながら学費を稼いでいる。※大学における美人な才女・アグネスと婚約同然の間柄らしい身体を壊し、自身が務められなくなったリンゼイ中学校教員職を「エリックに務めて欲しい」と手紙をよこす。エリックの魂が、ラリーの生い立ちを経てデビットの職業を目指し、ギルバート・ブライスが誕生したことがよく見て取れました。・話筋の転生について今回、果樹園のセレナーデを読んで真っ先に感じたのが、コレ。「まったくアンの愛情と同じ(恋愛の)ストーリー筋だ!」強力な推進力を持つヒーローが、薄倖のヒロインにベタ惚れ・熱烈に求婚し、一度はヒロインの遠慮心もあって、思いっきり振られるものの、最終的にはそれらヒロインの心の枷になっていた部分を払拭し、二人は結ばれ、ハッピーエンド!本作では、ヒロイン・キルメニィちゃんが、自身の姿を醜いと誤解していたことと、「唖(おし・口がきけず、言葉が不自由)」であることから、相手(エリック)を愛しているからこそ「結婚できない!」と断固として言い張ります。以前、「アンの愛情」の感想記事で語っているところなのですが、アンちゃんがギルバート&結婚から逃げ回っていたのは、出生直後に両親を亡くした生い立ち故「結婚/出産(家族を築くこと)」にトラウマがあるからだと受け取っています。アンちゃんは、「ギルバートはどこまでも理想の家族を築き、誰よりも幸せで認められた人生を送るべき人」だと思っています。アンちゃんが1度目のギルバートのプロポーズを全力で拒絶した理由は、「ギルバートがアンちゃんの理想通りではないから」ではなく、「ギルバートの理想的な未来に対し、そこに向かう意志のないアンちゃん自身がふさわしくない為、諦めて他の女性とより良い未来を築いて欲しい」からだと思っています。つまり、アンちゃんがギルバートに言いたかったことは「私の相手はお前じゃない」ではなく「お前の相手は私じゃない」だと思っています。「果樹園~」を読んで、「アンの愛情」で描いている本筋は間違いなくこれと同様のものだと思いましたし、「果樹園~」の話筋自体が「アンの愛情」に転生しているとも言えると思います。(感情面に特化した作家様の特徴)着目点②言葉で感情を説明しなくなる。アンの愛情では上記の話筋について、明確に言葉での説明はしていません。以前書いた『アンの愛情』感想記事でも一生懸命語ってますけど「説明してないけど…でも『ある』」んですよ。モンゴメリさんの中では「果樹園~」で作り切っている感情筋であり、「果樹園~」と「アンの愛情」が世に出るタイミングも数年のタイムラグなので、あんまり説明し過ぎるのも無粋だし、アンちゃん自身も、言葉に出来る次元でトラウマの自覚があるわけではないという前提の上で、「言葉にせず、ニュアンスだけで筋道を読ませる」形に挑戦されたのかな?と想像しています。■「果樹園~」と「アンの愛情」の違いについてここまで「果樹園~」と「アンの愛情」の似た作りについて話を続けて来ましたが、あくまで「果樹園~」は「アンの愛情」のプロトタイプの作品と言う認識であり、2作には明確に異なる部分もあります。「果樹園~」は、絵面/ロマンチック性重視…古い果樹園で出会う美男美女、バイオリンを通じての心の会話…という、ロマンチックなイメージ像をとっかかりとし、膨らませた話筋だと思っています。心情筋という面では、アンシリーズの方が格段に繊細で読み応えがあります。「アンの愛情」は心情筋に特化しており、作中、ドラマチックな絵面としての面白さはほぼ皆無と言っていいストイックな作りです。アンちゃんの大学生活(日常生活)の描写が延々と続き、だからこそラストの『黙示録』のシーンの衝撃が際立つ作りになっているのだと思います。2作の最大の違いは、ヒーロー目線かヒロイン目線か かな、と思います。「果樹園~」は終始ヒーロー・エリック目線。彼はひたすら自身の直感(運命)に突き進んでいきます。反面、ヒロインのキルメニィちゃんの心情筋としては、「未来明るいこの人を邪魔してはいけない」という愛情深い遠慮心は感じられるものの、エリックを自分が幸せにしてあげたい、守ってあげたいという主体的な感情はありませんでした。(エリックが最初から恵まれすぎてるため、その感情を想起させるスキがないとも言う)「アンの愛情」は終始アンちゃん目線で描かれ、彼女自身の内から湧き出る「ギルバートを幸せにしたい」という感情…その感情が生まれ、育ち、炸裂する『黙示録』までの心情筋づくりこそ、「アンの愛情」が描いているものだと思っています。「アンの友達」「アンをめぐる人々」には、ヒロイン目線で、主体的に「ヒーローを幸せにしたい」「この人の生活の中に自分の居場所がある」という感情が生まれる物語も数多く見受けられます。やはり、「アンの愛情」は「果樹園~」をプロトタイプとして据えながらも、そこから踏み込んで、ヒーロー/ヒロイン側の心情筋を繊細に詰め、特にヒロイン側の心情筋を劇的に見せる形で改めて構成してある作品だと思います。「果樹園のセレナーデ」…単体でもロマンチックな面白い短編作品ですが、「アンの愛情」との見比べがめっちゃくちゃ面白かったです!「アンの愛情」の副読本として是非!おすすめです!by姉◆小説 赤毛のアンシリーズ(村岡花子訳) 感想リンクアンの青春(Anne of Avonlea)1909アンの愛情(Anne of the Island)1915 ⇒アンの愛情 村岡花子訳と後続の翻訳本の比較についてアンの幸福(Anne of Windy Willows)1936アンの夢の家(Anne's House of Dreams)1917炉辺荘のアン(Anne of Ingleside)1939その1:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921その2:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921アンの友達(Chronicles of Avonlea)1912アンをめぐる人々(Further Chronicles of Avonle)1920◆モンゴメリ著 小説 感想リンク果樹園のセレナーデ(Kilmeny of the Orchard)1910ストーリー・ガール(The Story Girl)1911黄金の道―ストーリー・ガール(The Golden Road)1913可愛いエミリー(Emily of New Moon) 1923エミリーはのぼる(Emily Climbs)1925エミリーの求めるもの(Emily’s Quest)1927青い城(The Blue Castle)1926◆赤毛のアン 関連本 感想リンク赤毛のアンの手作り絵本 / 松浦英亜樹 さんのイラストについて赤毛のアンシリーズのコミカライズについて
2025.08.15
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劇団四季のオリジナルミュージカルを鑑賞してきました。劇団四季『ゴースト&レディ』感想通称『ゴスレ』『ゴーストアンドレディ』・名古屋公演プロモーションVTR・ゴースト&レディ:ナンバー集■前段・原作漫画について。こちらのミュージカルですが、原作は漫画作品です。週刊少年サンデーや青年誌で活躍され、「うしおととら」「からくりサーカス」等の大長編ヒット作を数多く生み出され、エネルギッシュな画面や壮大な物語で漫画ファンたちの心を掴み続ける藤田和日郎先生が、2014~2015年に週刊モーニング誌上で連載された『黒博物館 ゴーストアンドレディ』(上・下巻)です。私はもともと藤田先生のファンで、本作も単行本発売から間もないタイミングで手を出しました。当時に感動して書いた感想→こちら「銃弾のかち合い弾」という誰もが興味を惹かれるアイテムから、あれよあれよという間にイギリスの古い劇場に連れていかれ、そこからナイチンゲールに導かれて、「淑女病院」や「クリミア戦地」へ…。ナイチンゲールという…名前はもちろん知っていますが、具体的に何を行ったのかまで詳しく知らなかった偉人の、あまりにアグレッシブな仕事ぶりに初めて触れ、それだけで非常に刺激的なものでした。そこに、彼女を守る幽霊ナイトの目線が投入され、偉人の大河物語における「精神の戦い」を、思いっきり少年漫画画面で魅せる…漫画作品としてなんて美味しい!そのうえで、まさかの「クリミアの天使」と「幽霊ナイト」のラブストーリーだったんです。あまりに漫画的・エンタメ的美味しさの欲張りサラダボール過ぎて、時代の激動とキャラクターたちの激情が激流みたいに襲ってくるこの作品を、流されるがままに突き抜けちゃいまして、読み終わった直後は放心状態…「度肝を抜かれた」状態でした。藤田先生のインタビュー等では、本作のとっかかりは元々クリミア戦争時の、銃弾と銃弾が真正面からぶつかった「かち合い弾」で、そこから膨らませた物語であるとのお話があります。原作は、タイトル冒頭に「黒博物館(ブラック・ミュージアム)」と記されている通り、ロンドン警視庁の中にある秘密の博物館…大英帝国で捜査された証拠品が展示されている博物館、そこの展示物をめぐる物語を紹介するシリーズの第2弾として執筆されています。全部想像なのですが、当初はそれほどラブストーリー軸を印象的に描くという想定は、藤田先生の中になかったのではないかな、と感じています。藤田先生の他の作品を読んでいて、もちろんラブ要素は多々出てきますし、特にからくりサーカスでは情熱的な恋愛感情が大きな要素として描かれていると思っています。ただ、藤田先生のどの作品も基本的に「ラブストーリーを描く」ことが目的で作り始めた話だとは感じません。どちらかと言うと、少年漫画的なアクションシーンの絵面の面白さ…大きな獣の妖怪と少年ですとか、大きなからくりを動かす少女ですとか、そういった方向性のとっかかりから作り始める作家様という印象を持っています。「ゴーストアンドレディ」も、基本的には偉人の大河における「精神の闘い」を、妖怪じみた化け物として描くこと、それをやっつける「幽霊ナイト」の着想から出来ている作品と感じています。もう1点、藤田先生が「ゴーストアンドレディ」を執筆される直前(2008~2014年)まで、週刊少年サンデーにて『月光条例』という作品を連載されていました。こちらは、藤田先生が既存の「おとぎ話」の筋道に対し、特にその中に見受けられる「理不尽な点」に本気で喧嘩を挑みに行くような内容の作品でした。私自身、着想が面白い作品だな…と思っていましたが、爽快感を感じるような作りでもなく、正直なところこの作品は「うしおととら」や「からくりサーカス」に比べると、特段メディア化もされず、藤田先生の作品の中では人気がない地味な作品なんだろうな…という印象を持って受け取っています。ただ、「月光条例」執筆直後にこの「ゴーストアンドレディ」が出てきたので、藤田先生が「ナイチンゲールという偉人の物語」をこれほどエンタメ的に曲解して描けたのは、「月光条例」でおとぎ話という既存の筋道と本気で格闘してきたからこそできた、自分の世界に取り込んでの再構築…というか、料理の仕方なんだろうな、と感じています。ラブストーリー軸は、作品を構想していく中で自然発生したものなのかな、と想像しています。ナイチンゲールの偉業について具体的なエピソードを聞くと、改めてその行動力と決断力の凄まじさ、絶対的な結果で体制から強烈に作り変えていくバイタリティに驚愕します。藤田先生が感じた「ナイチンゲールのヒロインとしての魅力/偉業への尊敬」の思いが、生のまま幽霊・グレイの感情に反映されたのだろうな、と受け取っています。そうした「フロレンス・ナイチンゲール」という女性を、藤田先生の中で再構築していくに際し、極限の戦場病院で戦い続ける彼女が自然と、傍に居てくれる幽霊を心の支えにし始めたのかな、と思います。自分のやっていることをずっと見守ってくれて、肯定してくれて、信じて応援してくれる存在を、彼女が欲して、大好きになった…というか。この自然発生的な彼女の恋心が、この物語を読み進める読者が自然と抱く疑問「なんでナイチンゲールはこんなに頑張れるんだろう?」に対する、心情筋として非常に納得のいくアンサーなのだと思います。上述の通り、本作におけるこの「ラブストーリー軸」は、作品の構築の中では後発的なものだったんじゃないかな、と思っていますが2人の感情が自然発生的なものであるからこそ、自然且つ強力に読者を作品の渦に引きずり込む…強力な吸引力・魔力になっているのだと思っています。この濃厚な原作は、おそらく漫画作品としての評価は非常に高いものだったと思うのですが、藤田先生の作風は、どちらかと言うとコアな男性漫画ファン層がメインという印象があります。作品の位置づけとしては、「知る人ぞ知る、名作 中短編漫画作品」というか…青年誌掲載だった点も影響し、本作の持つブラックホール的なラブストーリー軸に一番食いつくべき女性ファン層の多数に届いているとは言えない状況だったと思います。(メディア化も全くされていませんでした。)今回、「ゴースト&レディ」を劇団四季が取り上げて、力を入れてミュージカルにしてくださると聞いて、すごく嬉しかったんです。そうだよね!この作品、凄い作品だよね!と思って。※妹談:今まで 『劇団四季=ディズニー&海外の名作ミュージカルを日本に高品質で届けてくれる団体』という認識で…本作が発表された当初(何故メディア化もしてない全2巻の漫画を?)と驚いたんですが、近年「世界に通じるオリジナルミュージカルを!」と精力的に取り組まれてたんですね。2024年の東京公演には行くことが出来ませんでしたが(チケットの取り方も分かってなかった)2025年に名古屋公演をやってくれるとの情報を聞き、2月の一般発売開始時にチケットを購入しました。ミュージカル自体は全然嫌いな人間ではありませんが、本格的に鑑賞する機会があったわけでも、積極的に見に行こうとするわけでもなく、劇団四季は、小学生の頃に「美女と野獣」と市民会館に来た「冒険者たち(ガンバ)」に連れて行ってもらって以来…20年以上ぶりの鑑賞でした。■四季のミュージカルについてまず、とにかく最高でした!素晴らしかったです!!原作を読んで感じた感動がしっかりと、ラブストーリー軸が引き立つようにスマートに再構成されており、役者様の演技力/歌唱力や練りに練られた演出等、劇団四季でしかできない、エネルギッシュで超ハイクオリティな舞台作品でした。普段ミュージカル慣れしていない私たちのような観客も、音楽と魔法で19世紀のイギリス/クリミア戦争の戦地へ引っ張りこんでくれました。本作は、劇団四季が「世界にも通用するオリジナルミュージカル演目を!」と、独自の人脈を用い、演出家のシュコット・シュワルツ氏をはじめ振付・衣装・イリュージョン・照明分野で世界的に活躍する海外アーティストを起用し、全力で繰り出してきた、超渾身作のようです。しかし、それでいて…本作は、もともと企画の段階から、女性向けのラブストーリーとして構築していく方向性が明確にあったのだろうと受け取っています。上述の通り、演出家様は海外の男性ですが、脚本家(&作詞)様/音楽関係には日本人女性の方々が名を連ねています。「ゴーストアンドレディ」というパッケージ自体、劇団四季の主要演目であろう「美女と野獣」を彷彿とさせるものですし、劇場モチーフも「オペラ座の怪人」に似たものを感じます。藤田和日郎先生の漫画作品の独特のテンポ・描き出す壮大なスケール感を舞台作品に落とし込むことが、劇団四季なら出来る!そして、この重厚なラブストーリーのパッケージは、劇団四季ファンの志向性に合致する!という制作意図だったのではないかな、と受け取っています。■素晴らしかった点、原作との違い等について(概要)途中休憩を挟み、2時間50分くらいのプログラムとの事前情報でしたが、休憩時間が若干延長したこともあり、実際にはまるまる3時間近くでした。私たちは1階のかなり後方、中央から全体を俯瞰するような座席からの鑑賞でした。(役者様)劇団四季は専用劇場をいくつも持ち、年間何千という舞台作品を提供しています。1演目につき、キャスト様は複数人充てられており、定期的/安定した公演を提供されています。今回チケットを購入してから知ったのですが、各公演日の出演者はおおよそ週単位で変更され、その週の始まる直前にHPに公開されるとのこと。※もちろん、諸事情により週の途中や公演日当日のキャスト変更もありうるチケットを購入する時点ではどの公演にどの役者様が出演予定か分かりません。四季は、基本的にあまり役者性を対外的に推していない…1人のアイドル的な役者様に依拠することなく、同様のクオリティで定期的/安定した公演を提供できる点を圧倒的な強みとされているのだろうと感じます。ただ、もちろんスター役者様は誕生しますし、特にゴースト&レディのような心情に重きを置く、キャラクター性が際立った作品は役者さん毎に見比べると同じパッケージで全く異なる印象になるため、見比べを楽しみたい方、特定の役者様のファンの方は、ローテーションを予測してチケット確保を行う(最終的には読み切れない)という…なかなか大変な世界なのだな、と知りました。私は、今回1回の観劇予定ですし、役者様の違いを見比べる気もないので特段気にしていなかったのですが…結構その点を妹は気にしていたようです。先行イメージが付かないように、鑑賞するまではあまりPV動画を見ないようにしていたとのこと。(劇場で鑑賞しながら「なんか違うな」と思いたくなかったそうです)今回、私たちが鑑賞した際のキャスト様一覧です。↓・フロー(フローレンス・ナイチンゲール):町島 智子さん名古屋公演からの新キャスト様のようです。高らかに天に響かせるような美しい歌声が圧巻でした!上に向かう歌声は讃美歌のようで、「クリミアの天使」というキャラクターにもすごくマッチしていました。非常に可憐で守ってあげたくなる雰囲気もありながら、ラストに向けどんどん力強くなり、最後敵キャラと対峙する ♪偽善者と呼ばれても のシーンには圧倒されました!原作を読んでイメージしていたフロー像そのままの姿でびっくりしました。・グレイ:萩原 隆匡さんメインビジュアルや公開されているPV映像等は必ずこの方のグレイです。幽霊という異形の存在であるため、立っているだけで圧倒的な華やかさ&ずっと周囲を観ている達観した存在感が必要で、しゃべり出したら必ず空気感を全部持ってく役どころであり、なかなか誰でも出来るような役ではない…萩原さんの演じるグレイは「超はまり役」なのだと感じました。ディズニーのミュージカル化であれば、観客は皆当然アニメを先に観ていますので、話筋も歌も知ってるし「オリジナル(アニメ)と比べてどうか」という感じ方になりますが…そもそも、本作はメディア化していない作品です。ミュージカル作品としての「グレイというキャラクターのオリジナル」は、この「荻原さんの演じるグレイ」になるんじゃないかな、と感じました。茶化しながらのやり取りの中に、フローを信じたい、彼女の進む道を守ってあげたいという感情が芽生えていく過程も丁寧に感じられて、キュンキュンしながら鑑賞しました。・デオン・ド・ボーモン:岡村 美南さん中世的なキャラクターですが、太く響き渡る声や舞台上での存在感が圧巻でした。非常に有名で固定ファンの方が大勢ついている役者様なのかな?観客の拍手も一際大きかったような気がします…。そのほかのキャスト様も、本当に隅々の方まで歌が非常にお上手で…‼(劇団四季だから当たり前?)いやでも本当に、舞台上に居るすべてのキャラクターたちの動きが端々まで洗練されていて、説明調の台詞もすべて必要なバランスでスッと入ってきて…圧巻でした‼(演出/脚本/シーン)・開園時、ライト消灯までのタイミングを溜めて溜めて…大きな音とともに一気に消灯!いきなりちょっとびっくり演出から始まりましたが、この「うわっ!驚いた!」という感覚自体が、藤田和日郎先生の漫画作品を読んでいる際の感動と近いもので、印象的でした。・舞台装置、美術イギリスの華やかな劇場、フローの実家(お金持ちの家)、クリミアの戦地病院…とコロコロと場面が変わっていきます。基本は劇場の舞台の骨組みを活かし、マッピング/ライティングで色を変え様々な場所を表現する…どの場面転換も非常にスムーズに、魔法のように転換して凄かったです。妹は、劇場の客席の凹凸を利用し、墓石を表現していたところに感動していました。光の演出や音の演出も、それぞれのシーンで魅せたい方向性がはっきり分かるものばかりでした。専用劇場で、何百と続けて公演されるプログラムの洗練の格の違いを見ました。・かちあい弾の設定は省略。その代わり、本舞台作品はグレイが仕立てて、観客に提供しているものであるという筋道の提示。舞台大好きのグレイが、舞台を書き上げるという感慨深さ、ナイチンゲールの功績とその内面を伝えたいという愛情と尊敬の念を感じる、素晴らしい脚色でした!・グレイ、幽霊たちとダンスフロー&グレイの出逢いの後、グレイがシェイクスピアをたくさん引用しながら幽霊の概念について説明するターンがあります。このシーンはかなりの尺を取り、不気味な幽霊姿のダンサーさんたちが現れ一緒に踊るのですが、原作にはないシーンです。原作では、精神世界の戦いは妖怪じみた気持ち悪い怪物が画面いっぱいに描かれ、少年漫画的なアクションシーンが展開しますが、本舞台ではライティング?を用い、影を蹴散らす演出で表現されています。グレイが異形の存在であり、彼が闘うのは気味の悪い精神体である点を、このシーンを盛って強調し、観客に印象付けているのだと思います。ミュージカルはこうやって理知的に考えて、観客に必要な情報を意識付けしているんだな、とよく分かるシーンでした。・淑女病院のくだりを省略原作では、フローは最初「淑女病院」の総婦長に任命され、運営の立て直しに従事します。病院内の設備改善やナースコールシステムの導入等、劇的な変革と大きな成果をもたらす姿は非常にカッコよくて大好きなシーンなのですが、本作では口頭説明にとどめ、すぐにクリミアの戦地に向かっています。原作は週刊モーニング掲載ということで、かなり具体的にナイチンゲールさんの実施した改革の数々を描写しています。基本的に社会人の男性読者を念頭に置いているので、具体的に詳細を書けば書くほど彼女の凄さが伝わり易いのだと思います。今回の舞台では、具体的な施作等はそれほど詳細に描写されてませんでした。しかし感覚的に、どれほどフロー&看護婦団たちの功績が勇敢なものであるかは、セリフの端々や各所の反応によってきちんと観客が受け取れるようになっていたと思います。・ウィリアム・ラッセル戦場の様子をイギリス国内に知らせる「ザ・タイムス」の戦場特派員。話を進める上での状況説明、場面転換に大きく貢献する役どころ。劇の筋回しにうってつけの役ですが、このキャラクターは原作に既に登場しており、藤田先生のそもそもの原作の描き方が、脚本的に洗練されてるんだな~と感じました。・アレックスとエイミー本舞台における完全オリジナルキャラクターの2人。アレックスはフローの婚約者であり、衛生委員会として戦地の病院にも赴く貴族の青年。フローへの求婚シーンでサムシングフォーの概念を丁寧に提示し、またフローのいち女性としての結婚/幸せと言う道筋の可能性を完全に閉ざす役割も担います。エイミーはハーバード戦時大臣の親戚の娘。フローとともにクリミアの戦地へ向かう看護団に参加します。どこまでもまっすぐ理想に突き進むフローの姿に憧れ/尊敬とともに恐れも抱き、その心情を高らかに歌い上げるシーンもあてがわれています。またフローから見ても、エイミーは「一般的な女性の幸せの道」を生きていく、自分とは対照的な女性として描かれます。エイミーの視点は、女性鑑賞者が自然と入っていける「フローを見つめる」視点であり、原作ではこの視点は重点的に描かれていなかったので、本ミュージカルが基本的には女性向けを意識して再構築していることがよく分かりました。この2人のキャラクターは、特に「フローのいち女性としての意識筋」という面で、話回しへの貢献度が非常に大きく、スマートな脚色に感動しました。・クリミアへ向かう女性看護婦団勇敢に戦地に乗り込んでいく女性陣たちが♪走る雲を追いかけてという楽曲を歌い上げるシーン。どんどん力強くなる曲調や振付が素晴らしく、圧巻のお気に入りシーンです!・グレイがフローにランプを手渡す本公演のメインビジュアルにある、グレイがフローにランプを手渡す絵面が作中でもしっかり描写されました。この絵面モチーフ自体、原作には登場しないミュージカルオリジナルです。ラスト、サムシングフォーの中の「借りたもの」も、原作ではかちあい弾でしたが、ランプに変更されています。「ランプの淑女・ナイチンゲール」…孤高で清廉潔白な独りの女性という一般イメージ像に対し、彼女の傍らに、姿は見えないけどランプを手渡す存在が居たこと、彼女にとってそれは、心の拠り所であり、行く先を照らす明かりそのものであり…という美しいほど見事な概念だな!と感動しました。・ランプの淑女本ミュージカルの楽曲は、メロディアス且つ方向性も明確で素晴らしいものばかりでした。その中で個人的に一番好きかも…!と思ったのが、♪ランプを持ったレディという楽曲。戦地の病院の夜、ランプを持って患者の様子を見て回るナイチンゲールの姿を病床の兵士たちが敬いながら歌う楽曲です。非常に絵的というか、暗闇の中に灯りを持って歩く彼女の姿を丁寧に言い表していく楽曲で、絵面のイメージがガツンと頭に入って来て、その上で「レディ」という単語が余韻で残る、素晴らしい楽曲だと思います!・デオンの過去デオンが、女性でありながら男性として育てられた人物となっていました。「女であることは呪いでしかない」といったセリフもありました。これらは原作にはない筋立てです。ナイチンゲールを殺そうとするも、彼女が女性の姿のまま社会へ大きく貢献する雄姿を見て、彼女を守ろうとするグレイに殺される自分自身の最期に満足して散っていく…グッとくるキャラクター筋に脚色してあり、感動しました。・グレイの過去シルエットだけでアニメーション的に魅せていく手法がとても面白かったです。本作は、クリミア戦争の最低限の説明や、ファンタジックな幽霊の要素、主要キャラクター各人のバックボーン等、説明しなければならない前提情報が非常に多い作品です。どのように情報を観客に擦り込んでいくのか、その中でも強調どころはどこか、よくよく練られていることがよく分かりました。・グレイの過去・酒場のシーングレイが劇場の看板女優と恋に落ちるシーン。酒場の楽しい宴会シーンに、楽曲とともにかなり長い尺を取っていました。話筋的には、それほど強調が必要なシーンではないと思うのですが、後半パートに楽しい派手目のシーンが少ないことを考慮して入れられているのかな、ミュージカル作品はこういう部分に気を使うのか、と思いました。・ラストシーン90歳になったナイチンゲールの死の間際、彼女の傍らに現れたグレイ。フロー1人で天に逝くラストは原作と変わらないものの、その後100年以上かけて、グレイは「(今観ている)このミュージカル」を完成させ、本日公開しているという体裁で幕引き。原作ではグレイが「自分は(天国には)行けない」とはっきり明言していましたが、明言は避けているものの、おそらくそうなのだろうな、というニュアンスで描かれていました。その後のアンコールで、フローとグレイの2人が仲良く祝福されて登場しますし、劇中の楽曲♪あなたの物語で、「ハッピーエンディングストーリー」の単語を繰り返し焼き付けた上で迎えるラストですので、鑑賞者としてはなんとなく「ハッピーエンディングを迎えた!」ようないい気分で会場を後に出来ます。劇場公演パンフレット&藤田先生描きおろしイラストグッズをいくつか購入しました。書きたかったことは一通り書けたかな?とにかく、本当に誠意と熱量の籠った素晴らしい舞台作品でした!藤田和日郎先生の漫画作品が、これほどミュージカルと親和性があるとは…!企画の発表段階で謎の納得感があり、実際に鑑賞してみてその出来栄えにスタンディングオベーション!でした。ミュージカル化、本当にありがとうございました!ずっと魔法の中に居るみたいで、本当に面白かったです!!by姉
2025.08.12
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原型師・香川雅彦さんの名作ヴィネット!(赤毛のアン)以前、原型師・香川雅彦さんのアルプスの少女ハイジ&世界名作劇場シリーズの食玩ヴィネットシリーズについて記事を書いていましたが…世界名作劇場「赤毛のアン」シリーズもあったんです!知ってたんですが…「赤毛のアン」シリーズだけやたらと相場が高くてっ!手を出しあぐねていましたが、今回「赤毛のアン」シリーズにドはまりしたのを機に、思い切って購入しました。やっぱり香川雅彦さんのフィギュアはいいわぁ~~~!どの作品にも絵としての面白さがあって…アンちゃん/ダイアナちゃんの仕草がいちいち可愛くて、素敵です…!!以下、お気に入りの作品。グリンゲイブルスの窓辺で小鳥と戯れるアンちゃん。窓の外の桜の木が表現されていて、室内に居ながら外の空気感/季節感を感じられる、情報量の多い作品です。どの角度から見ても見ごたえがあって素晴らしいです。ラインナップにはグリンゲイブルスも含まれています。素敵。よく見ると、窓辺にアンちゃんらしき人影が居ます。アンちゃん&ダイアナちゃんのピクニックの様子。食べてるのはアイスクリームかな?こちらは2個を並べて組み合わせる形となっています。ダイアナちゃんのフィギュア側から伸びる大きなブドウの木が印象的。香川雅彦さんのフィギュアは、実際のアニメーション画面より空間感というか、魅せたい高さ・凹凸を大胆にデフォルメして、ぎゅっと濃縮して、小さなフィギュアの世界の中で強調している印象です(天才)。香川雅彦さんのフィギュア…特に世界名作劇場シリーズは本当に輝いていますので、これからもポツポツと集めていきたいな!と思ってます。by姉
2025.08.09
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2025年7月4日~8月5日にかけて、花とゆめ本誌でクライマックス直前!『暁のヨナ』最終章記念W企画 が開催されました。特設サイトでのキャラクターコンテスト(人気投票)&郵送orTwitter投稿のイラストコンテスト!キャラコン…毎日参加!…は、ちょっと出来ませんでしたが(寝落ちする日多数;)力の限り参加させていただきました!イラストコンテスト…新しい新規絵を用意することは出来ませんでしたが…描きためていた(私的)渾身絵を再編集したり、加筆したり…何枚も投稿させていただきました!「クライマックス」の文字が感慨深いですが…最後まで全力で追いかけさせていただきます!以下、イラストコンテスト参加イラスト群です~。『在りし日』『あなたのそばに』 第122話(21巻収録)ラストシーンの ハクヨナ でテンション上がりすぎて描いたものです。『旅の始まり』2巻のハクヨナのやり取りを観て「10巻越え…いや欲を言えば20巻越えの大長編少女漫画になってほしい!」と思ってました…!『高華国神話のステンドグラス』 暁のヨナを神話と捉え、上方は天(腹減り一行、四龍)、下方は地(5部族)の要素を詰め込んでみました。拝めば、慈愛に満ちたぷっきゅーがドングリを差し出して救済してくれるイメージです。↑姉に「説明文付けなきゃ、絶対分かってもらえないから解説しろ」と言われ…長々と説明文つけて投稿しました;一番頑張って加筆したイラストになります。個人的には気に入っているファンアートです!『ハート乱舞❤️』『小鳥が無事でよかったわ』 まだ専属護衛になる前のハクヨナ…というイメージで描いたものです。実はこの構図自体は、原作5巻あたりが本誌に掲載されていた頃…ーそう、pixivに暁のヨナ絵が一枚もアップされてなかった頃に、姉に「ハクヨナのラブラブ2次創作絵が観たい!」と言われて描いたものでした。(そのリメイク版になります。)そのため、姉は「この絵には思い入れがある」と気に入ってくれています『15歳の皇女』頑張ってアナログで描きこんだものですが、いまいち気に入らなくて…今までどこにもアップしたことが無かった絵です;久々に見たら「意外と可愛いじゃん…?」と思えたので、投稿しました~。『ヨンヒ様とヨナ姫』 ヨンヒ様、凄く好きなキャラクターでした!『ぎゅっ』ちょっと肌寒い森の中で固まる、腹へりご一行(ポップな感じで)!ーというイメージで背景を加筆したんですが、分かりにくかったですね;;下の2枚は用意したけど、加工が間に合わなかった&なんとなく投稿を見送ったもの。ここに供養いたします。イラストコンテスト、参加出来て良かったです!by妹
2025.08.07
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漫画感想『アン・シャーリー①』+赤毛のアンシリーズのコミカライズについて毎週楽しみにしているNHKアニメ『アン・シャーリー』のコミカライズを購入しました。『アン・シャーリー』1巻(星窪朱子 先生、KADOKAWA ビーズログコミックス)装丁が可愛らしい!表紙カバーの紙質もキャンバス地風のこだわったものになっていて、高級感があります。基本的には今回のアニメーションのキャラクター造作で、アニメ本編のセリフ/演技筋を漫画画面に落とし込んだものになります。アヴォンリーで暮らし始めたアンちゃんの視界に広がる「光・色彩」を読者も感じ取ることが出来る漫画画面が素晴らしいと思います。また、いきいきとした表情が素敵!特に女の子たち…アンちゃん/ダイアナちゃんの表情が華やかで可愛いので、パラパラとめくるだけで楽しいコミカライズです。今回のNHKのアニメシリーズが、かなり脚本家様主導のつくり方というか、必要な要素やニュアンスを理知的に詰めて映像化している印象があります。星窪先生のコミカライズが、感覚的なところを重視する画面の描き方だな、と感じますので、アニメ本編とのアプローチの違いも面白いところでした。是非、今回のアニメシリーズの最後まで…原作だと「アンの愛情」パートまで、しっかりコミカライズしきって欲しいな…!(…最後まで描き切れるかどうかは、今回のコミック1巻の売上次第かな?)応援してます!今回、赤毛のアンシリーズにドはまりして、様々なビジュアライズ化に非常に興味を持ちました。赤毛のアンシリーズには多岐にわたる魅力が詰め込まれているので、同じ原作小説を取り上げたとしても、メディア展開する主体がどこに着目し魅力を感じて咀嚼しているか、誰を対象とした作品にするのかによって、ガラッと作風が変わり、全く別ものに見える面白さを感じています。赤毛のアンシリーズは、日本においてもサブカル(少女漫画的萌え文化)の基盤的な位置づけと感じていて、様々なメディア化&ビジュアライズ化も、絶対的に力のある作家様たちがリスペクト&誠意をもって取り組まれているのを感じます。下手なメディア化が見受けられないのも、作品の格の高さを非常に感じますし…様々なメディアでどれだけ追いかけても追いかけても、咀嚼し切れない感情の繊細さ・多様さがそれを可能にしているのだと思います。あれよあれよという間に、様々な形式の赤毛のアンシリーズ書籍が増えたくっています。(恐ろしき赤毛のアン沼)以下、現時点で鑑賞したコミカライズ作品に関する簡単感想です。『まんが赤毛のアンシリーズ』全5巻(いがらしゆみこ先生、くもん出版、1997~1998年)赤毛のアンを全3冊、アンの青春/アンの愛情を各1冊ずつでコミカライズしていて、総計5冊に渡る「アンシリーズのコミカライズ決定版を作ろう」という意欲を感じるシリーズです。私が小学生の頃、もし本シリーズが図書館にあれば絶対に手を付けていたと思いますし、ここでしっかり読んでいたら、赤毛のアンシリーズへの印象は全然違うものだっただろうな、と感じます。本作は、アンシリーズを思いっきり少女漫画テイストでコミカライズしている作品で、ある意味で、今回・2025年のNHKアニメシリーズと似た考え方で構築してある作品だな、と思います。日本において、アンシリーズは高畑勲監督のアニメーションのイメージが強く根付いていますので、それとは異なるイメージでのビジュアライズ化は難しい面もあったと思いますが…「いがらしゆみこ先生」という、コミカライズ作家様自身が強力なイメージを纏っているからこそ成立した企画だと思います。「"少女漫画"・"乙女ちっく”は正義だ!」というパワーが本当に凄い。特に赤毛のアンパートは3冊に渡り丁寧にじっくり漫画化されていて、四季折々、時間帯によっても表情を変えるアヴォンリーの美しい風景が焼き付いて、非常に見ごたえがあります。ギルバートが「ここまでやるか」と感じるほど、キラキラ王子様として描かれているのも興味深かったです。第3巻のエレーン姫ごっこのシーンは、少女漫画でしかできないキラッキラ画面が素晴らしかった!あらゆる時間帯で輝きたくる「水面」万歳!『虹の谷のアン』上下巻(原ちえこ先生、講談社、2003年)「虹の谷のアン」…原題は「Rainbow Valley」であり、アンちゃんではなく子どもたち世代…それも、ブライス家ではなくお隣に越してきた牧師館の子どもたち目線を主軸に据えた作品です。リラ執筆の前段階で、子どもたち世代のキャラクター造形を試行錯誤している作品と捉えています。原ちえこ先生はお名前は知っていましたが、しっかり作品を読むのは初めてでした。表紙イラストを見ただけで分かると思いますが、ブライス家及び牧師館の子どもたちも納得のいくデザインで、スマートな漫画表現が超絶達者で、とにかく「素晴らしい!」の一言です。手放しで超おすすめのコミカライズ作品です。特に本作の主だった牧師館の姉妹…フェイスちゃんとユナちゃんの対比的なキャラクター性がスマートに頭に入って来ますので、「アンの娘リラ」を読む前の事前準備としてもおすすめの作品です。世界的名作シリーズはいろんな楽しみ方が出来て面白いですね…!by姉◆小説 赤毛のアンシリーズ(村岡花子訳) 感想リンクアンの青春(Anne of Avonlea)1909アンの愛情(Anne of the Island)1915アンの幸福(Anne of Windy Willows)1936アンの夢の家(Anne's House of Dreams)1917炉辺荘のアン(Anne of Ingleside)1939その1:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921その2:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921アンの友達(Chronicles of Avonlea)1912アンをめぐる人々(Further Chronicles of Avonle)1920◆モンゴメリ著 小説 感想リンク果樹園のセレナーデ(Kilmeny of the Orchard)1910ストーリー・ガール(The Story Girl)1911黄金の道―ストーリー・ガール(The Golden Road)1913可愛いエミリー(Emily of New Moon) 1923エミリーはのぼる(Emily Climbs)1925エミリーの求めるもの(Emily’s Quest)1927青い城(The Blue Castle)1926◆赤毛のアン 関連本 感想リンク赤毛のアンの手作り絵本 / 松浦英亜樹 さんのイラストについて赤毛のアンシリーズのコミカライズについて
2025.08.03
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アニメ『アン・シャーリー』第14話・第15話・第16話・第17話 感想2クール目も、毎週楽しみに鑑賞してます!16話からは、いよいよ本シリーズでは最終章となる「アンの愛情」パートの幕開けです。各話一言ずつの簡単感想です。※以下、原作シリーズを読んだ上でネタバレ全開で好き勝手語ってます。原作シリーズ未読の方はご注意ください!※■第14話青春パートのクライマックス、ミスラベンダーさんのラブストーリーエピソード。アンちゃん&ダイアナが道迷いの末訪問した「山彦荘」。そこに暮らすのは、美しくも風変りな独身女性/ミス・ラベンダーとお手伝いの少女・シャーロッタ4世。アンちゃんは、自身の教え子のポール・アービングがラベンダーさんが25年前、けんか別れした元婚約者/ステファン・アービングの息子であることを知っており、ラベンダーさんの意向もあり2人を引き合わせることに…。今回のアニメでは、意図的にラベンダーさんのビジュアルを髪をおろしたアンちゃんに似せて設定されていて、(アンちゃんが年を重ねると、こんな姿になるのかな?)と思わせるようなデザインになっていたと思います。ラベンダーさんの立ち振る舞いも、上品さと明朗さが強調されていて、アンちゃんが自然と憧れることのできる素敵な女性として描写されていました。興味深いなと思ったのが、アンちゃんが、ラベンダーさん×ステファンさんの物語(悲恋+運が良ければ壮年に再成就)に対し、感情移入して涙ぐむシーン。もちろんまだまだ無意識的にだとは思いますが…既に「自分もこうなるんだろうな」とどこかで感じているというか…自分自身とギルバートの将来像を、この悲恋にダブらせてる?ーみたいな、かなり踏み込んだニュアンスまで感じました。次の「アンの愛情」パートに繋がる話ですが、アンちゃんはギルバートのことを本当に信頼してるし、大好きなのですが…まずアンちゃん自身が(深層心理のところで)結婚する気がないのでは、と。…おそらく、自身の両親の顛末の影響もあって、「家庭を築く事」がトラウマになっている、非常に複雑で繊細な娘なんじゃないかな~ と(原作を読んで)認識していますので。ミス・ラベンダーさんの話を聞いて…もちろん明確にではないですが「私もこんな風に意地を張ってしまって、相手が去ってしまった後に後悔を携えて、でも明るく美しいオールド・ミス(独身高齢女性)になるのかな…!」くらいな感慨に浸っているのかな、と感じました。ーしかしまぁ、相手がね…ギルバートもステファン・アービング氏くらい諦め&割り切りが良くて、他の女性と結婚してお子さん産んで…って出来るような奴なら、アンちゃんがふんわり思い描く未来に向かったんでしょうけどね…まぁ…相手が悪かった(想像以上に思い込み激しくてヤベェ奴だった)ですね。ラストシーン、ポールくんの亡き母の墓前での言葉での締めはグッときました!■第15話「アンの青春」ラストエピソード。リンド夫人の旦那さん死去、ラベンダーさんの結婚式、そしてアンちゃんは大学進学の決意を固める…。寂しいけれど、アンちゃんに大学進学を促すマリラ&ダイアナちゃんの愛情が染み入りました。そしてダイアナちゃん、婚約おめでとう!小説本編とは異なり、アンちゃんはフレッド・ライトに寛容的ですが、フレッド・ライト役にあえてゲスト声優様(棒読み)を配置することにより、「…チクショウッ!こんなぼーっとした奴に可愛いダイアナちゃんを奪われるとは!腹立たしい!」という感情を視聴者側に想起させていて、面白い作りですね。■第16話「アンの愛情」編、スタート。16話放映前に、メインビジュアルが大学生編に変更されました。本アニメシリーズで一番描きたかったところが、「愛情」パートだと思っています。スタッフ様たちの「やる気満々!」という意欲を感じる素晴らしい回でした。16話出だし、橋の上で超美しい夕焼けを見つめながら、ギルバートがアンちゃんの手を握ろうとして拒否られるシーンから始まります。…初っ端からぶっ飛ばすな…。次の日、改善会のメンバーたちによる送別会では、アンちゃんに「そういう話(色恋沙汰)はするな」と釘を刺され… ていたにも関わらず、更に次の日(出立前夜)には夜のお散歩デート(リンゴの木)に誘いに来る驚異のおきあがりこぼしメンタルのギルバート氏。Aパートの中だけで、3度もアンちゃんに不自然なアプローチを図る不屈のギルバートの姿に、既に涙を誘われました。お前…頑張るよな…。Bパート、キングスポートの背景美術が本当に素晴らしかったです!アンちゃんと同郷の、自由奔放なお嬢様・フィリパ登場。個人的に、小説で読んでいたイメージに非常に近いな、と思いました。フィリパは、基本的にはアンちゃんをボーリングブロークに誘う役割を持って投入されたキャラクターだと認識しています。そしてもう1点。本作においては、一番大好きなはずのギルバートからひたすら逃げたくるアンちゃんのラブストーリー軸と、出だしは「私は優柔不断~!」と言っておきながら、貧しい牧師さんに恋して「コレーー!私の人生はここに向かうのーー!」と、躊躇なく自分の心が定めた運命に飛び込んで行ける、非常に爽快で、読者受けも良いであろうフィリパのラブストーリー軸の対比が鮮やかに焼き付きます。オールド・セント・ジョン墓地のシーンも丁寧に描かれて嬉しかったです。18歳の少尉候補生のお墓を見て、アンちゃんの意識がタイムスリップするシーンは小説本編よりも意味あり気に描かれていて、これは…若干、ウォルターくんの示唆が含まれているのかな?と感じました。■第17話大学生活、パティの家+クリスマス休暇&初めてのプロポーズ(ジェーンちゃんの兄)キングスポートの街並みは、やっぱり見ごたえありますね~!プリンスエドワード島の面々が、都会での大学生活を謳歌できているようで良きです。(私も、田舎生まれの田舎育ち→大学時代だけ都会→その後はずっと田舎暮らしの人で、基本的に田舎大好き民なのですが…ただやっぱり学生時代の都会生活は貴重な、すごく良い経験だったなぁ…と思います。)クリスマス休暇でアヴォンリーに帰ったアンちゃんですが、周囲がざわざわとして来ました…。ジェーンちゃん伝手で、ジェーンちゃんのお兄さんより結婚の申し出を受けます。驚きつつもしっかりお断りするアンちゃんですが、ジェーンちゃんとは不穏な空気感に…。ジェーンちゃんの物言いから(ああ、アンドリュース家は根本的に「孤児」であるアンちゃんを下に観てるんだな…)と分かってしまう演出が凄かった!アンちゃんの思い描く理想のプロポーズシーン(2連発)が非常に馬鹿っぽく描かれていて、素晴らしかったです。2つ目に至っては、プロポーズ成功してないし…そして謎の花火。アンちゃんの思い描く「恋愛」は、基本的に「プロポーズシーン」限定です。(物語のクライマックスシーンであるため、プロポーズが成功しようが失敗しようが、美しく盛り上がればヨシ!ーという考え方なんだと思います。)そして…またしても不自然にやって来るギルバート!(アニオリシーン)「雪の中をお散歩しましょう」との誘いに、「グリンゲイブルスの皆に会っていって」と2人きりになるのを回避しようとするアンちゃん。アンちゃんの靴紐がほどけているのに気付いたギルバートが、かしづくような態勢でアンちゃんを見上げるシーンですが…ギルバートの意識としては、アンちゃん(女神)には常に下から行ってるというか…「そう、ギルバートの意識はコレ!」と思えるシチュエーションになっていて、素晴らしかったです。ジェーンちゃんの一件のすぐ後なので、このギルバートのアンちゃんをどこまでも大事に扱う態度は、本当に輝いてましたね!そしてアンちゃんの怯えた表情と牽制がまた…ね。冬の朝日の背景美術もとてもきれいで、2人の表情もとても繊細でした!とてもお気に入りシーンになりました。次回・18話は、アンちゃんがボーリングブロークの生家を訪れるエピソードが少し前倒しで入って来る感じかな?上述してきた通り、愛情編に入り、16話・17話が非常に繊細/丁寧に描かれていて素晴らしいので、近々訪れるはずのギルバートが果樹園でものの見事に玉砕するシーン(1回目のプロポーズ)を凄く楽しみにしています♪今時、こんなに…清々しいほど見事に、木端微塵に玉砕するヒーローなかなかお目にかかれません。今から心が痛いですが…貴重なシーンを是非目撃したい…!by姉アニメ『アン・シャーリー』2025年 感想リンクTVアニメ「アン・シャーリー」待機中!第1話感想・ふたりのアン・シャーリー第2話・第3話&OP/ED感想第4話・第5話・第6話感想まとめ第7話・第8話・第9話感想+アン&ギルバートイラスト第10話 感想+イラスト第11話・第12話・第13話 感想+カスバート家子供たちイラスト第14話・第15話・第16話・第17話 感想第18話・第19話・第20話 感想+ルビー・ギリス イラスト第21話・第22話 感想+原作との相違点について(予想)第23話 感想+ロイヤル・ガードナー描写について最終回・第24話 感想+アン&ギルバート before&afterイラスト総括:アニメ『アン・シャーリー』と原作『アンの愛情』との相違点について
2025.07.27
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「炉辺荘のアン(ろへんそう/イングルサイドのアン)」ー赤毛のアン・シリーズ7ー感想(L・M・モンゴメリ・1939年、和訳 村岡花子・1958年)夢の家で長男・ジェムくんを出産した後、ブライス夫妻はグレン村の大きなお屋敷・炉辺荘(イングルサイド)へ移り住んだ。そこで男女2人ずつの子どもが次々と誕生し、5人の子どもたちは元気に育っていた。アヴォンリーにも時折顔を出し、ギルバートの父母の死やギルバートの親戚で気難しいメアリー・マライア叔母さんの炉辺荘長期滞在、末娘・リラの誕生と、子どもたちの巻き起こす騒動・友達問題に向き合う日々…時に苦々しい思いもしながらも、慌ただしく過ぎ去っていく大切な時間。愛しい、幸せなブライス一家の日常&子どもたちの成長の物語。本作は、1921年発表の「アンの娘リラ」より20年弱経って、空白期間だった部分を埋める形で1930年代後半に発表された作品だそうです。「アンの愛の家庭」という題名で出版されていることもあるみたいですね。大きな出来事があるわけではない日常…でも、感情の起伏としては焦ったり不愉快に思ったりがっかりしたり立ち直ったり…がだらだらと重ねて描き出されます。本作はシリーズの中でも、エピソードがとっ散らかっていて洗練されていないというか、「さっきも似たようなの読んだ」みたいな…整理されてないから頭に入って来にくいというか。ネタを詰め込んだ第一草案を、あえてそのまま発表したような、独特な印象を受けました。ただもう、この「慌ただしい日常」を余すことなく描くことこそ、本作の意義というか。この1冊があることで、ブライス医師一家がどのような一家なのか、子どもたち一人ひとりの個性もよく分かるので、おそらくコアなファンが大喜びするような『ネタの宝庫』というか。アン・シリーズとしては非常に大事な1冊だな、と感じています。世界中で愛される名作物語・アンシリーズの主人公:アンちゃんの人生が、最終的にどこにたどり着いたのか、と言ったら、その答えは、まるまるこの「炉辺荘のアン」の1冊であり、本作の締めシーン「ブライス(快活な)!あたしはブライスだわ」の一言に尽きると思います。以下、取り留めなく、本作の見どころについて。・聖母:アンちゃんとにかくアンちゃんは、徹底的に『聖母』!です。家や庭はきちんと清潔に保ち、子どもたちには丹念できれいな服装を、食事もお菓子も手の込んだものを…そして子どもたち一人ひとりとしっかり向き合って話を聞く時間を作って…また社交的にも、ギルバート医師の奥方として地域社会への参画、パーティー等の外交に重きを置き、身なりを整えて挑む理想的な『町のお医者さんの妻』を演じます。ここまでの作品を読んでも少し感じていましたが、本作を読んで改めてはっきりと、アンちゃんは本っっっ当に「やるとなったら徹底的!」ものすごく潔癖な女性だな、と感じました。炉辺荘で描かれている、「ブライス一家=理想の家族」像は、「普通、そこまで頑張るのは難しいよ」と感じるレベルです。(もちろん住み込みの女中さん・スーザンが居るからこそ保てる水準です。)アンちゃん自身は、幼少期に「安心できる暖かい家庭」を享受出来なかったので、実態を知らないからこそ、彼女はどこまでも自身の理想に忠実というか。また、アンちゃんは「夫のギルバートは、どこまでも理想の家族を築き、誰よりも幸せで認められた人生を送るべき人」だと思っている節があると感じますので、そこに自然と追いつこうとしている側面もあると思います(妹談)もともと作者・モンゴメリさん的には、アンちゃんには「妻・母をやりながら、小説家としても名が売れるような未来を…」という構想があったんだろうな… と想像しています。青春ではモーガン夫人という女流作家がグリンゲイブルスを訪れていますし、愛情ではアンちゃんの小説が初めて賞金になるエピソードがあります。夢の家では、ジム船長という小説題材の宝庫のようなキャラクターを投入し、最初はアンちゃんに妊娠期間で小説執筆を促すような作りだったのではないかな…と。ただ、結婚&お子さんの出産に向かうアンちゃんが、とにかく『ギルバートと子どもたち…「家庭」に全力を尽くしたい!』と言ったんだろうな、と受け取っています。この潔癖さこそが、アンちゃんのキャラクター性として一番特徴的で、魅力的なところだと思います。ちなみに、(一生外れぬ女神フィルターで)アンちゃんを観てきたギルバートにとっては、この聖母・アンちゃん像はものすごく「しっくり」来るものだと受け取ってます。ギルバートの理想とアンちゃんの理想(社会面・家族面)は、根本的に合致しています。基盤・資本が無い中で、これほど気高い「理想の家庭」を1から築くためには、夫婦ともにそれに見合う気高さとハイスペックが必要となります。アンちゃんとギルバートは、本当に「運命的 相性の良さ」だったな、と。※どうでもいい情報本作の中だけで判明している、ギルバート→アンちゃんへ贈り物の数々(誕生日/結婚記念日)・エメラルドの指輪・純金の指貫(ゆびぬき)・ダイヤモンドのペンダント +ロンドン医学会ついでのヨーロッパ旅行(夫婦水入らず)そして、 広大な庭付き屋敷の購入+住込の女中さん雇用+子ども6人(高等教育進学可)+子どもたちへの贈り物の数々…ギルバート、一馬力でどんだけ稼ぐんだ…(良かったね)・いらだち、虚構、失望子どもたちのエピソードも含め、本作の個々のエピソードは よく分からない&意地の悪いゲストキャラクターが登場し、気分の良くない話回しをするようなものが多い印象です。ギルバートの親戚のメアリー・マライア叔母さんの滞在…気難しく、周囲を嫌な気分にさせるようなことばかりを言い、子どもたちも委縮してしまい、アンちゃんも鬱憤を溜めていきます。マシュウやマリラ・リンド夫人も含め、アンちゃんを取り巻くグリン・ゲイブルスの大人たちがあまりに皆優しく素敵なので、「身内ってそんないいことばかりじゃないよね」という観点のエピソードだと受け取っています。また子ども達は、友人たちにひどい嘘をつかれ、困惑&失望するエピソードが非常に多いです。皆に頼られる格好良いお父さんと、優しくて聡明なお母さんに恵まれ、大きなお屋敷で大事に愛されながら暮らすブライス家の子どもたちは、一部の同級生たちからは「憧れと妬みの対象」となっているのかな…というニュアンスで描かれています。でも、これらの もやもや感情も全部ひっくるめて「愛しい日々」というか…余すことなくだらだらと描写して、その上で「ブライス!」に行き着いてナンボ!という作品だったと思います。・子どもたちのエピソード、人物配置作中、子どもたちはどんどん成長していき、また個々人に焦点を当てたエピソードが展開していきます。(三男・シャーリーくん以外)リラの感想でも語りましたが、基本的ににブライス家の子どもたちの人物配置は、「アンの娘リラ」の物語を描くために配置されていると受け取っています。全部想像ですが…ブライス家の兄弟配置の考え方の順番としては下記の順なんじゃないかな、と。①第一に、ジェムくん/次男ウォルターくんの2軸で第一次世界大戦を見せていくこと。・ジェムくん軸:夢の家で生まれた待望の第2子/超理想的な光属性の長男が戦争に行く・ウォルターくん軸:若くして戦死するが、詩は後世に残る(詩人として大成する)いずれもドラマチックな筋立てですし、この2軸をいち家族の物語として描き切りたかったのだろうと思います。②そこに、双子の妹・ナンちゃん/ダイちゃんを配置。そもそも絵面の受けの良い双子の設定で、2人並ぶことで容姿/性格面で父母の要素をほぼ充足する形で設定されてます。たぶん…最初はこんな感じ↓で、基本的には双子の視点を主人公として「リラ」の話筋を回す案を考えていたのではないかな、と。・ナンちゃん:容姿は鳶色の髪の毛・瞳とギルバートの系譜を引き継いでおり、外見は母と似ていませんが、本名(アンちゃん)と夢見がちな気質を受け継いでる可愛い女の子。家庭的な面を持つ子(本来は「アンの娘リラ」でリラちゃんの立ち位置だったのでは?)リラ本編にも出てきた「神様と取引」の観点は、もともとはナンちゃんがリラの話筋の中で行う設定だったのではないかな…と思っています。そう考えると、本作「炉辺荘のアン」での「アンちゃんが肺炎になり生死をさまよう、非常に印象的なエピソード」が、ナンちゃんの目線で描かれたのも、納得がいくな、と。・ダイちゃん:ダイちゃんは赤髪で、容姿は母親・アンちゃんの幼い頃とそっくりですが、性格はギルバート似で、現実的/合理的且つ仕事脳の様子。母・アンちゃんが最終的に「家庭に全振りする」道を選んだため、もしそうではなく社会的に仕事を続けていたら、の「Ifを体現する存在」として設定されているのかな、と感じました。…上記の役割分担で考えると、4人兄弟それぞれの役割がかなり明確でしっくりくるため、当初はブライス家の4人兄弟で考えていたのではないかな、と想像しています。(物語上の時系列的には「炉辺荘~」の後になる「虹の谷のアン」では、近所に越してきた牧師館の4人兄弟(長男・長女・次女・次男)と絡ませることで各キャラクターを自由に走らせ、関係性の試行錯誤をしていたのかな、と。そう考えると、ブライス家6名兄弟に対し、何故牧師館兄弟は4名なのかも理解し易いと思います。)③リラちゃん、シャーリーくんの投入上記の通り、子どもたち世代でいちばん作りこんであるのはどう考えても上の4人(×牧師館の4兄弟)のところだと思っています。普通に考えれば。ただ、「アンの娘リラ」の書き方の異常性…というか、いちばん作りこんであるはずの、この年上の方の子たちについて、具体的な描写・本人の主観がまるっと抜け落ちてるんです。これはもう…各キャラクターに自由に会話させて、感情を作って作って、いざ1冊の小説として書こうとしたときに、辛くなり過ぎちゃったのかな…と。前述したとおり、「アンの娘リラ」のとっかかりは、間違いなくジェムくん&ウォルターくんの2軸を描くことだと思っていますが、ただやはり非常に重い題材ですので…この2軸をどういう形でエンタメ作品としてまとめていくのか、ぐるぐるぐるぐる試行錯誤をされていたんだろうな、と感じます。その過程の中で、やっぱりナンちゃん&ダイちゃんの目線からでは、直に上の兄であるウォルターくんの戦死というのはどうしても近過ぎて、1冊のエンタメ小説作品に収まり切らないというか…ウォルターくんの戦死について、両親&スーザン&リラちゃん(主観)以外の家族のリアクションは「リラ」本編では基本的に全く描かれていません。(ラストのラストに、帰還後のジェムくんが思いを語る場面はありますが)読者としては、年の近い姉妹や幼馴染たちの反応というのはすごく気になるところなんです。でも確かに、皆それぞれにもの凄い激情があるはずで…書き始めると収集が付かない。全部想像ですが、上記のようなぐるぐる混沌とした激情群から少し距離を置き、もう少し冷静に、上の世代を皆リスペクトしながら淡々と物語を進める主観として、末娘・リラちゃんが投入されたのかな…?と。また、娘をもう1人据えるとなった際に、男女同数にしたくて三男・シャーリーくんも設定されたのかな? と感じています。シャーリーくんについては、基本的に描写&情報が極端に少ないため、彼がミステリアスであることこそが、「すべて魅せ切っているわけではない」というブライス家の深みになってるんじゃないかな、とも思います。話を「炉辺荘のアン(イングルサイドのアン)」に戻します。・結婚記念日本作のラストは、アンちゃんとギルバート夫妻の微笑ましい(?)すれ違いエピソードで締めとなります。アンちゃんが(イライラして子どもたちに優しくできない…)と落ち込んでいる最中、大学生時代、ギルバートと婚約の噂があった女性・クリスチン・スチュワートが出席するパーティーへのお誘いが届く。当日はブライス夫妻の結婚記念日であり、アンちゃんは断ってほしいと願いつつギルバートに声をかけると… 非常に快い返答。嬉しそう。医師の仕事で激務のギルバートは、15回目の結婚記念日を忘れている様子。アンちゃんは戦闘態勢でパーティーに臨むが、未亡人&事業家として活躍するクリスチンは非常に輝いて見え、また学生時代、ギルバートと彼女がどれほど親密だったかを見せつけられ…意気消沈して帰宅。アンちゃんのネガティブ思考が「ギルバートは私に飽きたのだ」まで行き着いた その時、ギルバートが用意していたダイヤモンドのペンダントをプレゼント。最近ぼんやりしていたのも、患者さんのことを心配していたからだということが分かり、灰色に見えていたアンちゃんの世界は再び金色/バラ色/虹色に輝き出す。「今度ロンドンの学会ついでに2人でヨーロッパ旅行してこよう♪」からのどこまでもハイパーラブラブイチャイチャで突き抜けて、締め。まぁ…アンちゃんを不安にさせたギルバートの過失ですね。…うん、そんなに誤解させるようなことしたかな?と思わんでもないですが、でも結果的にアンちゃんが不安になってましたので、やっぱりギルバートが悪かったんですよ。うん。ギルバート的には、クリスチンさんとは本当に全くその気はなかったわけで、(なんなら、大学時代、アンちゃんに振られてからの2年間は「空虚な!暗黒の日々!」を歯を食いしばりながら生きていた記憶しかないわけで)アンちゃんがクリスチンさんにこれほど拒絶反応を起こすとは思い至りもしないわけです。ただ、妹曰く、「アンちゃんの目線では、1年半ほどかけて、ギルバートとクリスチンさんが順調に理想的な未来に向かって歩みを進めていくのをずっと見ていたわけで。「ギルバートがクリスチンさんに惚れこんでメロメロ!」という初報から、美しく理想的な2人を遠巻きに眺め、最終的に婚約するまで見届けていた(誤報)わけで。多分アンちゃんは、自分の将来像はあんまり想像できていなかったが、ギルバートとクリスチンさんが築く幸せな家庭は、はっきり想像できていたと思う。(当時は、ギルバートには自分ではない他の人と幸せになって欲しかったので、それでいいと思ってたし、ロイ・ガートナーを隠れ蓑にして、静観していた。)ただ、沸き出ずる感情を殺しまくっていたツケが無意識に存在しており、今回自信が無くなっているタイミングで、クリスチンさんの存在を思い出し…ウゲロフォファーッ!(吐き気)ってなったんだと思う。」私:「そうか…アンちゃんが『ギルバート×クリスチンさん』の輝かしい未来を具体的に思い描いてる頃、当のギルバート本人は『空虚な!暗黒の日々!』をさ迷ってただけだったけどな。」いずれにせよ、誤解も解け、結婚15年超・40歳を過ぎてもなお読者に「これでもか!」という致死量のラブラブシーンを力の限りで叩きつけて、本作は幕を閉じます。めでたしめでたし。雑多な作品なので、感想も雑多になりましたが、いろいろひっくるめて、「アンちゃんの人生がどこに向かったのか」のアンサーとなる1冊ですし、人気シリーズだからこその1冊だと思います。「赤毛のアン」本編のアンちゃんがギルバートにツンケンしてたイメージだけを持って本作を読むと、結構面食らうような将来像だと思いますが…この激甘の夫婦感と、アンちゃんの超潔癖な奥さん/聖母像こそが、アンちゃんのキャラクター性が一番見て取れるところだと思ってます。ブライス家、尊い!万歳!!by姉◆小説 赤毛のアンシリーズ(村岡花子訳) 感想リンクアンの青春(Anne of Avonlea)1909アンの愛情(Anne of the Island)1915 ⇒アンの愛情 村岡花子訳と後続の翻訳本の比較についてアンの幸福(Anne of Windy Willows)1936アンの夢の家(Anne's House of Dreams)1917炉辺荘のアン(Anne of Ingleside)1939その1:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921その2:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921アンの友達(Chronicles of Avonlea)1912アンをめぐる人々(Further Chronicles of Avonle)1920◆モンゴメリ著 小説 感想リンク果樹園のセレナーデ(Kilmeny of the Orchard)1910ストーリー・ガール(The Story Girl)1911黄金の道―ストーリー・ガール(The Golden Road)1913可愛いエミリー(Emily of New Moon) 1923エミリーはのぼる(Emily Climbs)1925エミリーの求めるもの(Emily’s Quest)1927青い城(The Blue Castle)1926◆赤毛のアン 関連本 感想リンク赤毛のアンの手作り絵本 / 松浦英亜樹 さんのイラストについて赤毛のアンシリーズのコミカライズについて
2025.07.20
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アニメ『アン・シャーリー』第11話・第12話・第13話 感想+アン&デイビー&ドーラ イラストシリーズ2作目・「アンの青春」パートに入って3話が経過しました。簡単感想です。※以下、原作シリーズを読んだ上でネタバレ全開で好き勝手語ってます。原作シリーズ未読の方はご注意ください!※原作の感想→「アンの青春」ー赤毛のアン・シリーズ2ー感想 村岡花子訳脚本好きとして、言いたいことはただひとつ!描くべきものの取捨選択が完っっっ璧!!原作全3作を24話のアニメにまとめるとなれば、当然エピソードの取捨選択が必要となります。以前からの感想でも書きたくって来ましたが、とにかく本アニメシリーズは、描写すべきもの…映像として何を優先して作りこむかの選択の判断基準の明確さがずば抜けていると感じます。脚本好きからすると、あまりに気持ちよく鑑賞できます。素晴らしいです!エピソード選定の判断基準に関し、特筆すべきは…下記の点かな、と思っています。・アンちゃんが、自身の人生の軸を何に据えていくのか選んでいくに際し、重要な要素をピックアップして、しっかり映像化している点・毎回ゲストキャラクターを吹っ掛けるつくりに見えて、描いているのはあくまで「アン・シャーリー」であるという確固たる方針「アンの青春」には、絵面的/エピソードとして面白いシーンがたくさんあるんです。冒頭、アンちゃんが誤ってハリソンさんの牛を売ってしまうエピソードや、借りた絵皿を割ってしまって、代替を探そうと奮闘するエピソード等。映像化すれば絶対面白くなる部分ですが、ただシリーズ全体として見た時にアンちゃんの将来像に直接つながるかと言うと、つながる要素ではない。今回のアニメ「アン・シャーリー」においては、短い尺の中でアンシリーズの3作をきちんと筋立てて映像化するために、これらの「筋立てとしては重要度の低い面白味」エピソードは、事実だけをさくっと紹介するにとどめる or説明しないまでも時系列としては原作と齟齬のない形で少しだけ情報として入れ込み、原作を知っていればもっと楽しめる余白の部分として扱っています。反面、アンちゃんとダイアナちゃんが寄付金集めで村内の家を回り、生まれたての赤ちゃんを見て2人が感嘆するシーンや、何より、アンちゃんが幼い双子の面倒を根気強く見るシーン、料理や掃除等の家事/育児に熱心に取り組む姿、お互いを思い合うマリラとの暖かな会話のシーン等、「家庭」ベクトル上にある部分は非常~~に丁寧に、また、ギルバートとのシーンは原作の記載を膨らませた形で描写されています。徹底的です。(過去のアンシリーズの映像化作品には全く精通していないので、あくまで想像ですが…)妹ともよく話すのですが、今回のアニメシリーズはおそらく、モンゴメリさんの作家性が爆発した、渾身の一撃である「アンの愛情」の強烈なクライマックスシーン・『黙示録』の章をきちんと映像化しよう!と本気で取り組んでいる、初めての企画なんじゃないかな、と思っています。『黙示録』の章は、まともな映像化すら前人未到…それくらい強烈&繊細&難解なシーンなんじゃないかな と思っていますし、でもアンシリーズにおいて、アンちゃんの人生軸を決定づける、シリーズ通しての最重要シーンだと思っています。以下、各話の見どころについて、好き勝手語ります。■第11話アヴォンリー小学校新任&村の改善会の活動アンシリーズの世界では、15歳…16歳?から成人扱いなのかな?しっかりお給料を稼ぎつつ、地域社会への貢献にも意識を向けて…皆しっかりしてて偉いですね…!アンちゃんたちが立ち上げた村の改善会は、村内では「求婚クラブ」と揶揄されているようで…いや、同村内の若者たちが意欲的に婚活に取り組む状況とか、何よりの村の活性化だろうが…!ちなみに、ギルバート(会長)の最大の活動目的は「婚活」です。この時の彼にとっては、目指すべき到達点が「アンちゃんと結婚」なんで。ギルバートが不自然にアンちゃんと2人きりになろうとしてて面白かったですね。ラストシーン、アンちゃんがどうやらこの先40年教師をやるつもりだと聞き、唐突に「医者になろうと思うんだ(稼ぐつもりだよアピール)」をし出すギルバートと、やたらと具体的で立派なギルバートの将来ビジョンを聞いて焦ったアンちゃんが、対抗して「私は人生を美しいものにしたいの」とか、具体的に何も考えてないこと丸出しのふわっとした目標(妹談)を口走るところ。イイ雰囲気の会話のようで、お互いの意思が噛み合ってなくて面白いシーンでした。■第12話6歳の双子(デイビー・ドーラ)登場、デイビーのいたずらへの対処マリラの遠縁で、両親を亡くした6歳の双生児(男女)がグリンゲイブルスで暮らし始めます。ドーラ(女の子)は非常に大人しいですが、デイビー(男の子)が度を越えたいたずらを繰り返します。2人とも、とても賢そうな部分を垣間見せつつ、これまで周囲の大人たちにかまってもらえない環境下に居たのかな…と想像させる描かれ方になっていると思います。(父親を早くに亡くし、母親も病気がちだったようなので。)デイビーの表情/演技動作や、いたずらが残酷に映り過ぎないよう配慮を感じるデフォルメになっていて、素晴らしかった!また、双子に対するアンちゃんの接し方…かける言葉や表情、演技動作が輝いてました!逆光気味の部屋の中で、デイビーと向き合い涙を流して思いを語るアンちゃんの姿が非常に印象的でした。アニメーションとして非常に洗練された1話だと感じました。私の脳内では、ギルバートがこの先すぐに来るであろう「恋愛パート」の狼煙を上げる準備をいそいそと進めながら、延々と「女神っ!女神っ!!」って太鼓たたいて喜んでて、すごくうるさかったです。■第13話モーガン夫人訪問、後日談アンちゃんが元々ファンだった有名な女流作家、モーガン夫人。実はクイーン学院の友達(プリシラ)の親戚だったとのことで、グリンゲイブルスを訪問してくれることになります。わくわくとおもてなし準備…料理やおめかしにいそしむアンちゃん&ダイアナちゃん、準備を手伝う双子が可愛らしく、ドタバタが残る回で楽しく鑑賞できました。特筆すべきは後半パートの出だし。アンちゃん&ギルバート&双子で舟遊びをするシーン!原作では、アンちゃんが双子をボートに乗せる話をしている場面でマリラがちらっと「ギルバートの参加」も示唆しているだけでしたが、その部分を思いっきり映像として具現化した形ですね。ギルバート目線で鑑賞しているいち視聴者としましては、「アニオリあざっっっす!素晴らしいですっ!!」に尽きるんですが、それにしても…双子と戯れるギルバートをアンちゃんが優しい眼差しで見つめる描写とか都合が良過ぎて、内心キョドりながら鑑賞しました。…こんなん、すっっっげぇイイ感じじゃん!すぐにでも上手くいきそうじゃん!!これはさ…ギルバートも「行ける!」って勘違いするて!まさかここから、大学時代の…お互いに「殺るか・殺られるか」みたいな、命がけの殺伐とした&傍迷惑なラブ模様を繰り広げるとは思えない2人ですよね最高でした。さてさて、次回はミス・ラベンダーさんの登場のようです。「ここから、ギア切り替えてラブロマンスやります!」って形で出して来るんじゃないかな?と妹と2人で話してます。(…そろそろOP映像の冒頭部分、マシュウの立ち位置をギルバートに譲ってくれませんかね。アップデートを期待してるんですが…そろそろ来ませんかね。)次週も楽しみにしています!by姉・イラストby妹アニメ『アン・シャーリー』2025年 感想リンクTVアニメ「アン・シャーリー」待機中!第1話感想・ふたりのアン・シャーリー第2話・第3話&OP/ED感想第4話・第5話・第6話感想まとめ第7話・第8話・第9話感想+アン&ギルバートイラスト第10話 感想+イラスト第11話・第12話・第13話 感想+カスバート家子供たちイラスト第14話・第15話・第16話・第17話 感想第18話・第19話・第20話 感想+ルビー・ギリス イラスト第21話・第22話 感想+原作との相違点について(予想)第23話 感想+ロイヤル・ガードナー描写について最終回・第24話 感想+アン&ギルバート before&afterイラスト総括:アニメ『アン・シャーリー』と原作『アンの愛情』との相違点について
2025.06.29
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妹が本誌掲載時に感想を書いていましたが、単行本で改めて読みましたので、簡単に感想です。暁のヨナ 46巻感想(姉編)ここまでの流れをじっくり…42~46巻まで読みました。いやぁ…クライマックスですねぇ…!まだ明言はされていませんが、巻末の次巻・47巻予告が「来春」とかなり遅く、MEMORIALイラスト集付き特装版も発売とのことで、おそらく、花ゆめ本誌では今年中、コミックとしては次巻・47巻(ヨナ巻)での完結を目指して諸々準備を進められているんじゃないかなぁ~…??と感じています。花とゆめ本誌では、既に47巻収録予定分として2話分進んでいますので、多くてあと残り4話か…。四龍の呪いを天に返すことは出来ると思うんですけどね…。あとはもう、どこまでをどういう説明で、いまだふわっとしている部分や、高華国の「この先」を魅せていこうとされているのか…各部族/各キャラクターの行く末ももちろん描く必要があると思いますし…4話…4話か… 全っっっ然、分かりません。ただ、はっきりと「説明」はしていませんが、暁のヨナの目的地は、今巻のラスト・ハク様の「あの一言」だと思っていました。既にたどり着くべき場所にたどりついていますので、本編自体はこのまま一気に〆るつもりなのかな…と想像しています。(本当に47巻中で終わるのなら、の話です。)妹の感想記事でも大騒ぎしていましたが、ハク様の最後の一言について。ヨナ姫の旅の目的は、この一言に尽きると思っていますし、「暁のヨナは、これをハク様に言わせるための物語」と言っても過言ではないと思います。ハク様にとって、この一言にたどり着くのがどれほどハードルの高いことだったか…幼少期より、ハク様本人が絶対に絶対に考えないように、思考回路の奥底に眠らせ切っていたため、ヨナ姫と周囲公認の恋仲状態になっても言おうとしませんでした。なんでかって…「身分違いだから」ではないと思ってます。よくこの↑「俺は従者だし」的な感じでハク様が演出して来ますが、そもそもハク様は、史上最年少将軍/部族長だったエリートなんで。第一話で、イル王が定義している通り、「ヨナ姫の夫となる者は、この国の王となる者」だから…だろうと思います。3巻以降、四龍伝説の話が出て来て、ヨナ姫が緋龍「王」と混同されるのでやたらと彼女自身を「王」職に担ぎ上げようとする風潮がありますが、第一話時点でイル王の提示した「王の定義」は、「ヨナ姫の夫となる者」だったんです。…もしハク様がヨナ姫と結婚したら、スウォン様が立つべき「高華国王職」とバッティングする。本人にその意図がなくても、周囲からは「そう」見える可能性があるじゃないですか。ハク様は、幼少期よりスウォン様と並んで、彼の力になれるように頑張って来て、謀反劇を経てそれが叶わなくなって、国の新体制から外れて一切合切から身を引いて。イル陛下弑逆及びヨナ姫追放について、スウォン様を恨んでる体を装いながら、ハク様が延々とここまでやってきたことは、実は第一話の謀反劇以前と変わってない。「スウォン様と対立図式を作る意図は一切ないことのアピール 及び、可能な限りでスウォン様の描くビジョン実現の手助け」だと思っています。本当は、スウォン様と対立図式を作ったとしても、ハク様がヨナ姫を欲しがる展開が来るのかな?と思って読んでた時期もありましたが、ハク様が徹底的過ぎて…。ことここに至るまで言わないとは思わなかった…。結局、緋龍城が燃え落ち、高華国は闇で覆われ、四龍伝説は終焉を迎えそうな中、スウォン様が王職を辞す意向を明言し、彼の重荷(鎧)を外すのを手伝い、その上、「盃の中」という人知の及ばぬ謎世界に四龍(ぐるぐる)にひっつかまれて、血みどろになりながら連れてこられた状態で、独り天界に行ってしまいそうなヨナ姫に最後のひとこと言えって言われて、それでようやくこの言葉が出てきた…と。ここまで追い詰めないと言わないものなのか、とも思いますが、…まぁ、ハク様にとっては、世界が一度終わらないと言えない、それくらいハードルの高い言葉だったんだな、と受け取っています。独り、天界に去ろうとしているヨナ姫に、ハク様が思わず言った「結婚しますか」。2巻で、風の部族を独り去ろうとしているハク様に、思わずヨナ姫が言った「私にハクをちょうだい」と対になるアンサーシーンとして作ってあったと思います。連載第一話から本誌で追いかけて、2巻第8話「自分で決めた」で巨大感動を覚え、「すごいシーン!長編大作になってほしい!」と思ったところから、15年…16年後に、46巻の巻末として見事なアンサーシーンにたどり着けたことは、しみじみと、万感の思いです…!さてさて…こっからどういう形に収まるんでしょうかね…?「47巻完結(?)」というのも、もちろんただの予想です。ただ、超クライマックスであることは間違いないので、最後まで悔いなく、リアルタイムで長編大作を追いかけることが出来た喜びを噛みしめながら、楽しみたいと思います。by姉
2025.06.23
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アニメ『アン・シャーリー』第10話 感想+イラストシリーズ1作目・「赤毛のアン」パートが堂々の完結。心に響いてくる素晴らしい1話でした!簡単感想です。※以下、原作シリーズを読んだ上で好き勝手語ってます。 今後の展開のネタバレの含みますので、未読の方はご注意ください!※■マシュウ急死アバンパート。ある朝にマシュウが心臓発作で急死してしまいます。急死とは言いますが、発作で倒れるシーン/体調が悪くなってきている描写を重ねて来ていましたので、そのタイミングがここで来た、ということかと思います。7話のラストで、原作にはない「アンちゃんの前で」一度マシュウが倒れるシーンがありましたが、今回初めて「赤毛のアン」を純粋に追いかけている子ども視聴者の目線に配慮して、脚本上で意図的に入れ込んだんだろうな、と受け取っています。アンちゃんに感情移入して鑑賞していた子どもには、すごくショックでトラウマになってしまってもおかしくない展開だと思います。アンちゃんは16歳になってますが、第1話のアンちゃんと同い年(11歳)で見始めた視聴者は、まだ11歳なので。ダイアナちゃんのアンちゃんへの心づかい、突然のことなのに、畑を借りて管理することを申し出てくれるバーリーさん、マリラ&アンちゃんを気遣い、足繁く顔を出すリンド夫人…大人目線では、ご近所さんたち各々が精一杯手を貸そうとしてくれる描写が心に残りました。■大学進学の断念、マリラとともに過ごす道の選択マシュウの死により気落ちしたマリラに、さらに視力悪化&失明の可能性が判明。アンちゃんは奨学金を辞退・大学へは行かず、教師として働きながらマリラの傍に留まる選択をします。この話筋だと、普通はアンちゃんが可哀想に見えると思うんです。せっかく、島で1人しか獲得できない希少な奨学金を獲得したのに、自分を犠牲にして、家に留まらなければならないなんて…勿体ない!と。ただ、このシーンは全然悲劇ではないし、可哀想には見えない。アンちゃんがこの場面で、「家族を何より一番に大事にすること」を選べていることが非常に幸せなシーンだと受け取っています。アンシリーズを読んでいて、今回のシーンのように、筋道だけでは「悲劇」なのに、むしろ主人公たちが幸せに見えるシーンというのは、他にもたくさん思い当たります。もちろん、主役や周囲の人々がそれを望んでいたわけではないのですが、アンちゃんが「曲がり角」と表現した通り、誰の意志や悪意でもなく、時の変遷とともに、どうしても思い通りにならない事態は起こります。その時に選択肢がある…自分で納得して、いちばん大事にしたいものを選べることは、とても幸せなことだと思います。「選択肢」ってなんだろうな?と思うと、私はやはり、意識の中で、周囲の人々/物事への認識の広さ/深さ、何よりリスペクトが重要だと思っていて、ひとつの事象をどれだけ多面的に捉えることができるか、だと思っています。今回のシーンだと、アンちゃんの意識の中でギルバートの存在は非常に大きくて、彼がアヴォンリーに留まり、教員として働きながら進学資金を貯める道を示してくれてるからこそ、負の感情を持つことなく、この選択が出来ているのだと思います。エイブリー奨学金は英文学にくくった選定だったため、アンちゃんが獲得しましたが、クイーン学院で総合一位の成績(金メダル)を修めたのは、ギルバートです。クイーン学院からは、他にも大学進学する子たちが居たと思いますが、「一番進学すべき」ギルバートは、金銭面の事情で今すぐの進学は諦めました。彼の行動を、アンちゃんがとてもリスペクトをもって捉えてる。基本的にアンちゃんは、ギルバートのやることを絶対的に信頼していて、常に自身の行動のお手本にしているので、この局面で「納得して」一旦大学進学を諦める道を選べたんだな、と思います。ギルバートの行く道は、「家族都合の犠牲になり、大学進学を完全に諦める」道では決してなく、「自力で資金を貯めて、大学へ進学する」道なので。■ギルバートとの和解(&ギルバート像について)アンちゃんが学校で働くつもりだという話を聞き、既に決まっていたアヴォンリー小学校の教職枠(近い)を辞退し、アンちゃんに譲るギルバート。いや…もちろん、アンちゃん&マリラのことを思いやっての優しい行動で、なかなかできることではないですし、アンちゃんにも非常に感謝されて、周囲のおばさま方(マリラ・リンド夫人)の信頼もがっちり掴むことになります。ただ、なんだろう…ギルバートが誰にでも優しい聖人みたいな人間かというと違うと思っていて。ギルバートにとって、アンちゃんは心底「女神」に見えてると思っています。彼女の、勉学で上を目指す気高さと、家族に対する愛情深さが、彼にとっては神秘的というか。島で一人しか取れない奨学金を獲得して、とてつもなく高貴な存在となったのに、マシュウが亡くなり、進んでマリラを独りにしない選択をする愛情深いアンちゃん…とか、女神があまりにも見事に女神過ぎて、尊さが天元突破し、スタオベ&感涙しながら「投げ銭した」…みたいなイメージで受け取ってます。資金面での支援をしろと言われても、大して力にはなれなかったと思うんですが、…幸運にも、その時自分が手に持っていたんですよ!女神を今いちばん輝かせることが出来るであろう、女神にとっての最強カードを!アンちゃんに「譲った」というのもおこがましい…「ギルバートは、『女神が使ってくれるなら!』と喜んで奉納した。」感じですかね。もちろん、ギルバートとしては何か見返りを期待した行動ではなかったと思うんですが、女神(&周囲の人々)がめっちゃ喜んでくれて、女神から過去の過ちを流す免罪符を賜り、その上、これから「仲良くできる」…と未来に一気に灯がともり、家に帰りつくころには、一本筋の未来のビジョン(結婚)まで見えてたと思います。和解シーンで、いきなり運命について語り出すギルバートのセリフについて。妹は「あまりに突拍子もなくて、『何言ってんだコイツ』ってなるから、今回のアニメでは変えてくるんじゃない?」と言っていましたが、私は「ギルバートのやばいところは、このセリフを冷静に事実として述べているところ。本気だから。大げさに言ってるわけでもなんでもなく、本気で運命があると思って言ってるから。奴をなめない方がいい。ここは、彼のキャラクター性として残してほしい!」と思ってました。アニメでは、すごく爽やかなイイ感じで、上記のセリフをすらすらと述べていましたね。夕日を映す水面がまぶしく輝いて…まるで世界に祝福されているようでした。(脳内BGM:歓喜の歌 byベートーベン)いやぁ~…アン・シャーリー10話、超良かったです!それにしても…自分でも、なんでこんなに(こじらせた)ギルバート目線でこの物語を鑑賞しているのか、よく分かりません。妹曰く、「ギルバートとかよく分からねぇよ!積み上げてきたエピソードと、奴のテンションが合致してないの。アンちゃん目線で思い返すと、黒板でなぐりつけるわ、謝って来てるのにさんざん無視するわ、(ギルバートの)優秀さを勝手に敵視するわ、命を助けられても仲直りを突っぱねるわ…つくづくひどい唐辛子対応の歴史しかないのに、なんでギルバートがあんなにアンちゃんLOVEなのか、全然分からないの!」…私は、全然普通にギルバートについていける。アンちゃんは、女神だから…!話すことができない時期も、アンちゃんの行動言動を傍目に見ながら「女神…!」って勝手にもだえてたから。たぶん、黒板で殴られたときに打ちどころが悪かったのと、下のアングルからアンちゃんを見上げる形になったときに目線が定まって、そこから許しを請う姿勢で5年間ずっとアンちゃんを見てたから、彼の中では采配を司る「女神」としか言えない存在になっているのだと受け取っています。さてさて、11話からいよいよジャパニメーション未開の地「アンの青春」パートですね。どんな映像になるのか、わくわくです。そして双子の登場を心待ちにしています。by姉(イラストby妹)アニメ『アン・シャーリー』2025年 感想リンクTVアニメ「アン・シャーリー」待機中!第1話感想・ふたりのアン・シャーリー第2話・第3話&OP/ED感想第4話・第5話・第6話感想まとめ第7話・第8話・第9話感想+アン&ギルバートイラスト第10話 感想+イラスト第11話・第12話・第13話 感想+カスバート家子供たちイラスト第14話・第15話・第16話・第17話 感想第18話・第19話・第20話 感想+ルビー・ギリス イラスト第21話・第22話 感想+原作との相違点について(予想)第23話 感想+ロイヤル・ガードナー描写について最終回・第24話 感想+アン&ギルバート before&afterイラスト総括:アニメ『アン・シャーリー』と原作『アンの愛情』との相違点について
2025.06.12
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アニメ『アン・シャーリー』第7話・第8話・第9話 感想+アン&ギルバートイラストNHK Eテレアニメ『アン・シャーリー』、毎週(家族で)楽しみに鑑賞しています!各話、語りたい部分に特化した簡単感想!※以下、原作シリーズを読んだ上で好き勝手語ってます。 今後の展開のネタバレの含みますので、未読の方はご注意ください!※第7話前半:エレーン姫(小舟水没エピ)、後半:クィーン学院進学に向けて…アニメーション的に、非常に力の入った1話でした。…特に、前半・エレーン姫のアンちゃん&ギルバートの2人のシーン!もともと原作においても、「赤毛のアン」パートではこの小舟エピ&ラストの仲直りシーンしか、主役カップルがまともに話す絡みのシーンが存在しないという貴重なシーンの1つですし、絵面的にも非常に面白いシーンなので、力を入れてくれるんじゃないかな!とワクワクしていましたが… 期待を遥かに上回る渾身のアニメーションで、度肝を抜かれました。特に、橋の杭にアンちゃんがしがみつくところから、おそらくOP作画を担当されているような、作画界のスーパースターたちが投入されて、OP映像並みの渾身さで制作されているのではないかと思います。ギルバートが手助けしながら、アンちゃんが杭から船に降りるシーン、その後、船上で向き合って会話するシーンの、ぬるっっぬる動く超細かな演技動作!アンちゃんが気まずくて手をもじもじさせてるところに目をやって、多分「指きれいだな~」とかギルバートが見入ってて、アンちゃんが、ギルバートが自分の汚れた服を見てるのかと思って(杭につかまった時に汚れた)持ってたストールでバッと体を隠しながら、ちらちらとギルバートの方に目をやって、「それで、申し訳ないですけど…(船着場まで連れて行って欲しい)」と言うシーン。ギルバート目線で、アンちゃんがスーパー可愛らしく女の子らしーく描写されていました。そこから、船着場まで小舟を漕いでいくシーン。アンちゃんからのアングルで、ギルバートがすごく頼りになる、かっこいい感じで描写されている…のに、アンちゃんは右に向いて「見てないよっっっ!」って態度でアピールしてるんですが、…でも、絶対に左目じりの端でものすっごいギルバートの方見てる!全神経をそこに集中させてる!というのが分かる表情になっていました。こ・れ・で・す・よ!!視聴者として期待していたのは!この「『見てないよ!アピール』しながら、めっちゃ見てる」描写、『アンの愛情』パートでめちゃくちゃ活きるはず…!というか、本アニメーション作品、基本的にそれがやりたくて作ってる…『愛情』パートの映像化をそもそもの念頭に置いて、「言葉で説明しないけど、『主観(映像)』で魅せていく」形で第1話からずっと作ってあると思っていますので。このアニメは…絶対に外さない…!注力してほしいところをここまで見事に盛って描写してくれる…こんなに鑑賞していて心洗われるアニメーション作品にはめったに出逢えないな、と思います。幸せ♪船着き場で、「友達になろう」と伝えるギルバートのセリフがまっすぐ響いて来まして、「声優様のキャスティング、ブラボー!」と思いました。ギルバートはどこまでも真っ当にド直球で来るので、アンちゃんがかわしきれなくて、全力拒絶&逃亡しなくちゃいけなくなる。怖いですよコイツは。でも最終的に絶対に正しいから…アンちゃんは結局勝てないんだよね…(by妹)第8話前半:クイーン学院受験、後半:ホワイトサンドホテルのコンサート(朗読披露)一気にグッと背の伸びるアンちゃん&同級生たち!島中の優秀な学生たちが集い、行われるクイーン学院の受験。新聞で合格者が発表され、アンちゃん&ギルバートが1位タイで掲載されるのも、印象深いシーンですね。私がどうしてもギルバート目線で本シリーズを読んでしまうので、「ギルバート的には、アンちゃんのアウトオブ眼中にならないように必死。一度でもアンちゃんががっかりするような成績を取ろうものなら、その瞬間に、アンちゃんの意識の中で「その他大勢のモブ(男子)たち」と同化してしまう。そうならないように必死に自分も勉強してるんだけど、アンちゃんがマジで頭良過ぎて、島でいちばんの成績レベルで、ようやくアンちゃんと同水準である。常に「女神(=アンちゃん、頭が良過ぎて)、マジキッツい…!」と思いながら必死で勉強してる」と感想をこぼしたら、「この作品は常にアンちゃん目線で描写されていて、特に赤毛のアンパートでは、ギルバート目線なんてどこにもはっきり描かれてない。アンちゃんから見たら、ギルバートはどんなに頑張っても勝つことが出来ない、常に飄々と自分の上を行くスーパーマンだが?」と妹に言われました。えっ…描いてない?? だってそういうシーンでしょ…あれ??クイーン学院編ってギルバート目線で読むもんじゃないの?…あれっっ?(↑自分の偏った読み方を自覚する瞬間)後半のホテルのコンサートシーンは、小学校のクリスマスコンサートとも被る絵面なので、省略するのかな~と思っていましたが、しっかり描写されました。アンコールで「風がわりな、こっけいな」詩(カエルの鳴き声?)を堂々と演じるアンちゃんが、大物感あふれていて素敵でした。ドレスアップして、文化人たちの中でも一際輝くアンちゃんの姿を見ることが出来て…わざわざ遠出して、駆けつけた甲斐がありました。(←やっぱりギルバート目線)第9話全体通して:クイーン学院への入学~卒業、マシュウの「12人の男の子より…」「赤毛のアン」パートもいよいよクライマックス…!全10話構成のようですね。クイーン学院に入り、ホームシックと戦いつつ奨学金の獲得に燃えるアンちゃん。今回のいちばんの見どころ!アニメオリジナルシーンが最高でした!アヴォンリーでのクリスマス休暇を終え、雪の中シャーロットタウン行きの電車に乗れるよう、駅までマシュウがアンちゃんを送ってくれました。一旦は駅前でアンちゃんを降ろしてマシュウは帰ろうとするのですが、やっぱりアンちゃんが寂しそうにしていたのが気になって引き返して…そしたら、駅にギルバートが居まして。寂しくて泣いてるところを見られたのが気まずいアンちゃんに、ギルバートが「独りごと」のように話しかけ…アンちゃんと良いライバル関係を確認するような短い会話をするシーン。…クィーン学院卒業前に会話出来たよ⁉良かったねギルバート‼※原作だと、本当に『赤毛のアン』ラストシーンまで口をきかない↑ギルバートとアンちゃんの細かな表情の変化、しぐさも最高でしたが、これほど思い切った2人のオリジナルシーンは、「マシュウに見せるため」に入れ込まれたんだな、とよく分かって、繊細なところを、よくよく考えて詰めようとしてるんだなぁ~!と感じました。ギルバートほど、アンちゃんの人生にとって重要な存在は居ないわけですが、マシュウは存命時、ギルバート本人とはほぼ絡みはなく、なんなら「アンちゃんにとって負かすべき強敵(ライバル)」という認知のままでした。それが今回、ちゃんとマシュウの「2人はライバル」という原作で描かれている認知は変えないまま、「アンちゃんが独りで寂しがってるかも」と思って引き返したら、ギルバートが居て、2人がすごく信頼し合ってる&お互いを高め合う良いライバル関係なことが分かって、自分の出る幕はなかったな…と、ある意味で「ギルバートにアンちゃんを任せる」形で安心して身を引いて…というオリジナルシーンとして、「優しい感情」且つ「概念的に完璧な形」に補完されていました。なんて優しいっっっ…なんて繊細なところを詰めてくれるんだ!と思いましたし、また第1話の、アンちゃんが駅で1人マシュウを待っていた絵面と今回の、駅で同じ電車を2人で待つ絵面が対比になるようにも作ってあり、見事なオリジナルシーン過ぎて、超感動しました。・・・素晴らしいっっっ!マシュウの名台詞は、「12人の男の子より~」より「わしの自慢の娘」のフレーズが強調されている気がしました。村岡花子さん版の原作に忠実ですね!本作ではクライマックスではなく「物語の通過点」となる場面ですが、松本保典さんのどっしりとした言葉が涙腺にきました…!(by妹)次回はいよいよ…!なシーンがたくさんの回ですね。まぁ、ギルバート的には「いよいよ物語が始まる瞬間を迎える」というか。…こっからですから、こっから。ようやくまともに、アンちゃんと話をして、笑い合うことができるようになるところですから。楽しみに待ってます!(←やっぱりギルバート目線)by姉(イラスト&一部解釈 by妹)アニメ『アン・シャーリー』2025年 感想リンクTVアニメ「アン・シャーリー」待機中!第1話感想・ふたりのアン・シャーリー第2話・第3話&OP/ED感想第4話・第5話・第6話感想まとめ第7話・第8話・第9話感想+アン&ギルバートイラスト第10話 感想+イラスト第11話・第12話・第13話 感想+カスバート家子供たちイラスト第14話・第15話・第16話・第17話 感想第18話・第19話・第20話 感想+ルビー・ギリス イラスト第21話・第22話 感想+原作との相違点について(予想)第23話 感想+ロイヤル・ガードナー描写について最終回・第24話 感想+アン&ギルバート before&afterイラスト総括:アニメ『アン・シャーリー』と原作『アンの愛情』との相違点について
2025.06.02
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「アンの夢の家」ー赤毛のアン・シリーズ6ー感想(L・M・モンゴメリ・1917年、和訳 村岡花子・1958年)原題は「Anne's House of Dreams」。アンちゃん25歳・結婚式~新たな土地での新婚生活、出産等が描かれます。大学の医科を卒業し医師となったギルバート。アンちゃんは3年間務めた校長職を辞して、2人はグリンゲイブルスで結婚式を挙げる。プリンスエドワード島内、アヴォンリーから60マイル離れたフォア・ウィンズ港の小さな「夢の家」での新婚生活(超ラブラブ)をスタートした2人は、さまざまな事情を抱えた個性豊かな隣人たちと出逢い…シリーズの時系列的には、大学時代を描いた「愛情」と本作「夢の家」の間に、婚約時代を描いた「アンの幸福」があります。(アンちゃんの校長職としての日々が、ギルバートへ向けた手紙形式で綴られた作品)ただ「幸福」は1930年代に入り追加で書かれた作品なのだそうで、実際の執筆順序は、「アンの愛情」の次が本作「アンの夢の家」とのこと。非常に独特な感性で執筆された…モンゴメリさんの天才性がよく見て取れる1冊だと感じました。とても興味深く、面白かったです!*以下、いち読者のただの想像(本作構築の際の考え方等について)です。*■アンちゃん&ギルバート軸・結婚式/新婚生活~出産本作執筆のとっかかりとして、やはり一番大きかったのは、読者の熱烈な要望だろうと思います。「アンちゃんとギルバートの結婚式が見たい!新婚生活が見たい!」…etc。本シリーズは、流石さすがの「少女漫画の原点」というか、他のどの魅力を差し置いても語るべきは、主役カップルの吸引力…平たく言うと「カップル萌えパワー!of元祖中の元祖」の凄まじさだと思っています。そしてモンゴメリさんとしても、アンちゃんの人生を描く物語シリーズとして、「妊娠・出産」というステージは形にすべきと考えられたのかな、と受け取っています。前作「愛情」でアンちゃんが結婚に向けた決心…ギルバートの為に生きていく決心を固めることができているので、そこからの流れとしては妥当な、まっすぐに向かうべき(と考えるだろう)ステージだと思うのですが、ただアンちゃんにとって「出産」は非常にセンシティブなアクションだと思います。もちろんアンちゃんのみならず、「出産」はほかの女性にとっても重大且つセンシティブなアクションであることは疑いようのないことですが、アンちゃんにとっては、周囲の人々も含め「特に」気をつかうべき事項だな、と。アンちゃんは若いながら育児経験豊富で、小学校での教職/校長職経験も積んでいて、教育面ではいわゆるプロ(しかもトップエリート)です。本人も子どもが大好きで、絶対にどんな子だって愛し可愛がれる自信があると思いますので、「育児」自体への不安感はない…むしろ得意分野!だと思います。ただ「自身の出産」となると、どうしても「両親の顛末」が思考回路に存在する…産後3カ月で熱病で母親が亡くなり、その4日後に父親が亡くなり…はっきりとは書かれていませんが、まぁ…想像するだに、産後まだ体力の戻っていない段階で、母親が感染症で重症化してしまい、父親も必死に看病してたけど、道連れのような形で2人とも亡くなってしまい…という、言いようによっては「出産起因の悲劇」とも言いうる流れだったんじゃないかな…と。(1作目「赤毛のアン」で、アンちゃんが物語クラブの章で書いていた小説(ラブストーリー)も、川に落ちたジェラルダイン(ヒロイン)を恋人のバートラムが助けに行って、結局2人で亡くなってしまう、という話筋でしたので…。)アンちゃんの立場としては、自身の意に反して「産んだ子どもを育てられない/責任が取れない」状況に陥ってしまう、ギルバートも巻き込んで不幸にしてしまうリスクがある…その恐怖心は確実にあると思ってます。そもそも「愛情」でなぜアンちゃんがあそこまで結婚とギルバートから逃げ回っていたかと言えば、深層心理の根本のところにあったのが、この「出産」への恐怖心・トラウマだと思いますので…。「愛情」のラスト、ギルバートの2度目のプロポーズのこの↓言い回しが印象的だったのですが…「僕はある家庭を夢みているのです。炉には火が燃え、猫や犬がおり、友だちの足音が聞こえ ―そして、君のいる」普通だったら「子供たちの足音が聞こえ…」になりそうな所ですが、ここで「子ども」に言及しないギルバートの賢明さというか…あぁ…ギルバートはやっぱり、アンちゃんの深層のところにあるこの部分への不安感をちゃんと掴んでるんだな、と思って読みました。最初の話に戻りますが、やっぱりアンちゃんにとって「出産」は非常に勇気の要る重要なステージですし、モンゴメリさんご自身が3度の出産(うち1回は流産だったのかな?)を経験された上で、アンちゃんの物語としても「結婚~出産」を軸にした1冊として執筆を構想するに至ったのかな、と想像しています。■強烈なゲストキャラクターの投入、海洋モチーフ本作を読んでまず感じるのが、「なんかゲストキャラたちが強過ぎるくらい強いな」という印象。主には、劇的な航海経験を積んできた老年の灯台守・ジム船長と、とんでも悲劇を背負って生きる美女・レスリーの2人。本作を読み切って、ひたすらドラマチックに描かれていたのは、主役カップル軸よりも、このゲスト2人の物語筋の方です。(もう1人・ミスコーネリアさんは、おそらくリンド夫人的な役割というか、頼んでもないのに様々な情報を提供してくれる「噂好きの女性」かな。)最初、この作品はなんでこんなバランスで描かれてるのかな?と不思議に思いました。…ゲストキャラの存在感が大き過ぎて、1冊としてバランスが悪く見えるんですよ。ただ、アンシリーズ全体を読み進める中で、…あぁ、これはもう…「主人公を演るよりも、出産に集中させて欲しい」というアンちゃんの意向を汲んだ上での構成なんだな、と思い至りました。エンタメ作品ですので、1冊の読み物としての満足感は絶対に必要です。ただ本作に関しては、アンちゃんは作中のほとんどが妊娠期間となりますし、ギルバートは駆け出しの医師として、知り合いのほぼ居ない中、地域の方たちの信頼を勝ち得て、地盤を固めていかなければならない大事な時期です。1・2作目のように、主役たちのドタバタ(失敗)エピソードで話を回す形式は取れない。そこで投入されたのが、このゲストキャラ2人なのだろうな、と思いました。・ジム船長アンちゃんがあまり身体を動かすことのない形をとったうえで、わくわくする昔話を語ることができるジム船長。ブライス夫妻の新居「夢の家」の歴史にくわしく、特に最初の住人だった「若い教師夫婦」の面影をブライス夫妻に投影し、懐かしがる/慈しむ目線も持っています。ジム船長の海洋談は、新聞記者オーエン・フォードが「ジム船長の生活手帳」として小説に起こし、出版されベストセラーとなりました。これも全部想像ですが、初期の構想段階では、この「小説に起こす役割をアンちゃんが担う」案もあったんじゃないかな、と思います。ただこれも、アンちゃんとモンゴメリさんのディスカッションの上で、「妊娠中に、万が一にでも身体に障るようなことはすべきでない」「このタイミングで小説執筆(しかも海洋冒険譚のような大作)に気持ちは向かわない」という結論に至ったのかな、と。・レスリー本作のヒロイン的な立ち位置だと思います。非常に聡明な美女なのですが、家の借金のために若くして結婚し、その旦那もすぐに酔っぱらいの喧嘩(?)の後遺症で赤ん坊のような状態になり、これまでの十数年間、そしてこれからも旦那の面倒を見ることに人生を費やしていかなければならない女性。本作では、薄倖なレスリーさんの人生が大転換する物語、そしてラブストーリーが劇的に描かれています。キャラクター設定の考え方としては、基本的には「近所で暮らし始めた、展望の明るい若い医師夫婦」に対し、誰よりも「羨望」…隠さず言えば「嫉妬」の眼差しを抱く存在であり、またギルバートの医師としての手腕を見せていける要素も入れ込んで、作ってあるのかな、と受け取っています。・海洋イメージ、幻想性アヴォンリーはどちらかと言えば畑や森…牧歌的な印象が強かったのですが、本作の舞台・フォア・ウィンズは「港」であり、新居・夢の家も海に面していますので、非常に「海」の印象が強く描写されています。読者としても、新しい土地に行ったんだな、という印象を強く受けますし、それを一番に形作っているのが、灯台守でもあり海の大冒険を語るジム船長なのだと思います。また、レスリーもよく海岸に居るシーンが描写されています。モンゴメリさんの短編(アンの友達/アンをめぐる人々)を読む限り、基本的にモンゴメリさんにとって、海というモチーフが、幻想的なイメージとして使われることが多いと感じます。「目の前に広がる、人知を超えた世界」…というか。本作「夢の家」の印象も、アヴォンリー時代よりも「足元がしっかりしていない」「ゆらゆらしている」印象を受けます。(主役たちが、新しい土地で地盤を作っていくところの話ですしね)主要ゲストキャラ2人も、かなりとんでいる、浮世離れした「劇的なキャラクター」として描かれていますので。この幻想的なイメージは、アンシリーズでは本作が一番強いのかな…と感じます。ただ、モンゴメリさんの他作品ではおそらく珍しいものではなく、むしろどっちかと言うと、こういった幻想的なストーリーの方がモンゴメリさんが素で書く物語の基本形なんじゃないかな…と感じています。※ちなみに、「愛情」までに登場する土地は、実在する土地をモチーフにしていますが、このフォア・ウィンズ港にあたる土地はプリンスエドワード島内には存在しないそうです。(島以外にモデルはあるのだと思いますが)そういった観点からも本作の持つ「夢モチーフ/幻想性」も納得がいくなと感じています。「アンの夢の家」は、上記のような形で、読者が見たいもの(主役カップルのラブラブシーン)をめっっちゃ描写しつつ、アンちゃんの妊娠・出産ステージを、アンちゃんがそこに最大限注力できるように、強いゲストキャラクターを複数投入した形なら、読みごたえも担保してきちんと書き切れるね、という アンちゃんとモンゴメリさんのディスカッションを経た合意点でもって、書かれた1冊なんだろうな、と受け取っています。■アンちゃん&ギルバート軸についてーその2上記の通り、本作の読み応え/絵面の面白さとしては、ゲストキャラクターの投入により担保してると思う、と書いてきましたが、ただやっぱり読者としていちばん重く受け止めるべきは、主役カップルの軸の方だと思っています。アンちゃん自身もものすごい覚悟を持って、周囲の人々も尽くせる手はすべて尽くしたうえで迎えた第1子の出産でしたが、ひょっとしたら少し早産だったのかな…?(9月に結婚して、翌6月初旬に出産を迎えていますので…)大変な難産で、母体も危険視されるような状況の中で産んだ長女は、丸1日生きることなく亡くなってしまうという、非常に残念な形となってしまいます。妊娠期間中は、アンちゃん自身&周囲の人々も極力母体への負担がないように動いてるんです。クリスマスには、ブライス夫妻はアヴォンリーへは帰らず、グリンゲイブルスの4名(マリラ/リンド夫人/双子)が夢の家へ訪問して来てますし、出産が近くなると、2人暮らしの小さな家にわざわざ女中さん(スーザン)を何週間も前から雇い入れて、アンちゃんの家事/心的負担軽減や、ギルバート不在時の万が一に備えた体制を取っていました。ここまでやった上で、上記のような結果でしたので、読者としてもアンちゃん…これはショックだろうな、もっと怖くなるだろうな…大丈夫かな…?とすごく心配しながら読み進めますが、ただ想像よりずっとずっと、この場面でのアンちゃんが「強い」んです。もちろんお子さんを亡くした直後はショックも大きく、嘆き悲しむ場面もありますが、その後すぐに第2子出産に気持ちを向けて、1年後には長男・ジェムくんを産むことができてますので。このアンちゃんの「強さ」こそ、本作の一番の見どころだと感じました。周囲の人々の温かさや、レスリーが曝け出してくれた強烈な「羨ましい」という感情も全部有り難く丁重に受け取った上で、やっぱりこれは根本的に「ギルバートの為」だからこその強さだな、と受け取っています。「夢の家」で描かれる結婚~新婚生活は、ギルバートにとっても正念場なんです。アンちゃんを幸せにしたい一心でここまでやって来て、念願叶ってこうして結婚することが出来て、医師としての地盤をしっかり作っていかなくては…!と必死に働く傍ら、ずーっと「アンちゃんを幸せにできてるかな…?」って心配して見てるんです。自分が望んで望んでアンちゃんにお嫁に来てもらって、自分はすごく幸せなんですが、やっぱり有能なアンちゃんには、他にも様々な人生の選択肢がありましたので。女性ながら二十代前半で校長という重職を任され、責任持ってこなすことができる、島の教育界にとっても唯一無二の超貴重人材でしたし、ロイ・ガートナーと結婚していれば、上流階級の社交界で活躍できていたでしょうし(アンちゃん的には、教職の道はさておき、「ロイとの未来」など想像したこともなく、選択肢になかったが?という意識だと思いますが…)。それらの様々な栄えある選択肢を捨てて、島の片田舎の、人里離れたぽつんと一軒家に来てもらって、機知に富んだ隣人たちに恵まれたことは幸いでしたが、基本的には、日中はアンちゃんは家で独り過ごしていますので。そうした中で第1子が亡くなり、嘆き悲しむアンちゃんの姿を見てしまうと、この道を選ばせて、アンちゃんを不幸にしてしまったかな…と不安も大きくなったと思います。アンちゃんが、これ↑(ギルバートの不安)を掴んでる。アンちゃんだって、ギルバートを幸せにしたくてこの道を選んで来てるんです。「やっぱり怖い」とか「ショック」とか言ってらんない。何があっても、「絶対にギルバートの子どもを産むんだ!」と覚悟を決め込んでまっすぐ動くアンちゃんを目の当たりにすると、やっぱり彼女にとって、前作「アンの愛情」の『黙示録』の章のインパクトがどれほど大きなものだったのかを改めて思い知らされます。アンちゃんにとって、あれより怖いものは無いので。本作「夢の家」で描かれている「アンちゃんの強さ」は、「アンの愛情(の『黙示録』の章)」における、アンちゃん自身が「死にたい」と思い至るほどの強烈な後悔…それに対するアンサーだな、と思います。言い換えると、『黙示録』以降のアンちゃんは、本当に日々、ギルバート(&子どもたち)に全身全霊を捧げて生きていて、たとえいつ不慮のタイミングで死を迎えたとしても、「精一杯愛に生きた、悔いはない!」と言い切れる人生を遂行しているんだな、と感じています。アンちゃんが勇気をもってもう一度出産に臨み、待望の長男・ジェムくんが誕生しました。「可愛い!可愛い!幸せっっっ!」と大喜びするアンちゃんを見て、ギルバートもようやく「…間違ってなかった、これでよかった」と安心できたんだろうな、と受け取っています。■終幕~それから本作のラスト、レスリー&ミスコーネリアさんは結婚という形で、ジム船長は現世からの船出を迎え、遠い過去に海で亡くなった恋人マーガレットのもとへ…ゲストキャラクターたちはそれぞれに「好きな人」のもとへ向かいます。ブライス夫妻も「夢の家」から、新しい子育て用の大きな屋敷・炉辺荘(イングルサイド)へ…「夢の家」は借家でしたが、炉辺荘は購入するとのことで。ギルバートが大きく出ましたね…医師業が順調にすべり出しているとはいえ、たった2年で、広大な庭付のお屋敷をキャッシュ一括購入できるような蓄財は絶対ないだろうに…(お屋敷の相場感とかよく分かんないけど…)まぁ、何でもできる!いくらでも稼いでみせる!!という、無敵の心持ちなんでしょう。ギルバートが完全に調子に乗っていて、喜ばしい限りです。本作のラストでは、お子さんを無事に産んで、産後3~4カ月経過したところで、ブライス夫妻は、アンちゃんの両親がたどり着くことのなかった「子育て」ステージに進むことが出来ました。本作「夢の家」までで、アンちゃんを主人公とした物語シリーズについて、一旦「やるべきことはすべてやり切った」と言えるな、と感じます。…ただ。本作のラストまで見事に描き切った上で、モンゴメリさんの中に強く渦巻く感情…懸念…不安…があったのかなと。「これだけの両親(&周囲の人々)の思いを受けて生まれてきた、そしてこの先も本当に大事に育てられるであろう、待望の長男・ジェムくん、戦争に行くことになっちゃうんだぜ…!!?」本作「夢の家」の発売された1917年は、既に第一次世界大戦真っ只中です。「アンの娘リラ」でウォルターくんが亡くなるソンムの戦いが1916年の出来事ですので。本作が、実在する土地ではない場所で、少し幻想的なモチーフを入れ込みつつ、浮世離れした登場人物たちを据えて描かれたのも、執筆時のモンゴメリさんの心持ちとして、アンシリーズの大事な主役たちを「戦争が起こる」現実世界から遠ざけてあげたい気持ちもあってのことだったのかもな…と受け取っています。ただ、長期化する戦争、日々増え続ける犠牲を目の当たりにする中で、カナダを舞台にした作品として、戦争を無視することは出来なくなったんだろうな、と感じました。(本作「夢の家」終盤でも選挙の話が登場し、ブライス夫妻の支持する保守党が政権から落ちて…というエピソードも描かれ始めます。)この部分…モンゴメリさん自身が生活の中で感じる大きな不安感をとっかかりにして、アンちゃんの子どもたち世代を主役に据えた物語の構想が始まり、「アンの娘リラ」の執筆に向かっていったんだろうな、と感じました。「アンの夢の家」…もっとあっさり感想書けると思っていましたが、書き始めると想像よりずっと長文になってしまいました。本作を最初ざっと読んだ際は、ゲストキャラの筋が強く、散漫とした印象を受けて、どう捉えていいか若干戸惑いましたが、「なんでこの書き方になってるのかな?」と考えたときに、主役主体(ブライス夫妻)の意志を一番に尊重し、様々な配慮を行ったうえで、ゲストキャラを投入し、いち作品として読み応えのある形にしっかりまとめ上げているんだな、と思い至りました。ゲストキャラ2人の筋道も、お互いにつながって話が回る部分があったり、よくよく熟考してあることが見て取れますし、読者の渇望するもの(主役カップルのラブラブシーン)もお腹一杯大満足!に提供し切った、モンゴメリさんの天才的且つ自由自在な物語構成手腕が一際輝く1冊だな、と思っています。感想を書いてみて、改めて大好きな1冊になりました!by姉(イラストby妹)◆小説 赤毛のアンシリーズ(村岡花子訳) 感想リンクアンの青春(Anne of Avonlea)1909アンの愛情(Anne of the Island)1915 ⇒アンの愛情 村岡花子訳と後続の翻訳本の比較についてアンの幸福(Anne of Windy Willows)1936アンの夢の家(Anne's House of Dreams)1917炉辺荘のアン(Anne of Ingleside)1939その1:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921その2:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921アンの友達(Chronicles of Avonlea)1912アンをめぐる人々(Further Chronicles of Avonle)1920◆モンゴメリ著 小説 感想リンク果樹園のセレナーデ(Kilmeny of the Orchard)1910ストーリー・ガール(The Story Girl)1911黄金の道―ストーリー・ガール(The Golden Road)1913可愛いエミリー(Emily of New Moon) 1923エミリーはのぼる(Emily Climbs)1925エミリーの求めるもの(Emily’s Quest)1927青い城(The Blue Castle)1926◆赤毛のアン 関連本 感想リンク赤毛のアンの手作り絵本 / 松浦英亜樹 さんのイラストについて赤毛のアンシリーズのコミカライズについて
2025.05.29
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