Dog photography and Essay

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「枕草子(まくらのそうし)」を研鑽-6



「月の初めから雨がちで曇りの日が続く」

「Dog photography and Essay」では、
「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。



見苦しすぎると見られてしまいそうなほどなのに、それ相応の人と
馬でも車でも出会うことなく、見られないで終わってしまうのは
とても残念で、おもしろくないので、趣味の豊かな下人などで人に話して
聞かせるような者と出会えないかなと思うのも、はなはだ異様である。



五月の精進の間、中宮様が職の御曹司にいらっしゃる頃、塗籠(ぬりごめ)の
前の二間である所を、特別に飾りつけたので、ふだんと様子が
違っているのもおもしろい。月の初めから雨がちで曇りの日が続く。



退屈なので、ほととぎすの声を探しに行こうよと言うと、私も私もと出発する。
賀茂の奥に、何崎と言ったかしら、七夕の渡る鵲(かささぎ)の橋ではなくて
奇妙な名で評判の、あのあたりでほととぎすが鳴くと誰かが言うと
それは蜩(ひぐらし)よと言う人もいる。



そこへということで、五日の朝に、中宮職の役人に、車の手配を頼んで
北の陣から、五月雨の時は叱られはしないわと、建物に車を寄せて四人ぐらい
乗って行き、残った女房は羨ましがって、やはりもう一つの車で
同じことならなどと言うと、だめですと中宮様がおっしゃる。


「うろうろしてるので見たくもないわ」

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女房の言うことを聞かないで、容赦なく出かけて行くと
馬場という所で、人が大勢で騒いでいる。何をしているのと尋ねると
競射の演習で、弓を射るのです。しばらくご覧くださいと言うので車を止めた。



左近の中将やみなさん着座してくださいと言うが、そういう人も見えない。
六位の役人などが、うろうろしているので、見たくもないわ。
早く行きなさいと言って、どんどん進んで行く。
道も、賀茂祭の頃が思い出されておもしろい。



目的の所は、明順(あきのぶ)の朝臣(あそん)の家だった。
そこも早速見物しようと言って、車を寄せて下りた。
田舎風の、簡素な造りで、馬の絵が描いてある障子、網代屏風
三稜草(みくり)の簾など、わざわざ昔の様子をそのまま写している。



建物の様子も頼りなさそうで、渡り廊下のような作りで、端近で
奥行きはないが趣があり、なるほど人が言ったとおり、うるさいと思うほど
鳴き合っているほととぎすの声を、残念だな、中宮様にお聞かせできないし
あんなに来たがっていた人たちにもなどと思う。


「供の者が雨が降ってきたと言う」



明順は、田舎らしく、こういうのを見るのもいいでしょうと言って
稲というものを取り出して、若い下層の女たちの、こざっぱりとした
その辺の家の娘などを連れて来て、五、六人で稲こきをさせていたが
また見たこともないくるくる回る機具を、二人で引かせていた。



歌を歌わせたりするのを、珍しくて笑うが、ほととぎすの歌を
詠もうとしてたのも忘れてしまった。唐絵(からえ)に描いてあるような
懸盤(かけばん/食器をのせる台)で食物を出したのを誰も見向きもしないので
家の主人の明順は、田舎者みたいだと言って不服そうである。



こういう所に来た人は、悪くすると主人が逃げ出してしまうほど
おかわりを催促して召し上がるものなのに、まったく手をつけないのでは
都の人らしくないなどと言って座を取り持って、この下蕨(したわらび)は
私が自分で摘みましたと言うので、何故下級の女官などのように座ると言う。



下級の女官のように懸盤(かけばん)の前に並んで座についているなんてと笑う。
それなら、懸盤からおろして。いつも腹這いに慣れているあなた方ですからと
言って、食事の世話をして騒ぐうちに、供の者が雨が降ってきたと言うので
急いで牛車に乗ると、ところでほととぎすの歌は、ここで詠まなければと言う。


「いつの間に装束をつけたのだろうか」



卯の花が見事に咲いているのを折って、車の簾や脇などに挿しても
まだ余るので、車の屋根や棟などに、長い枝を葺いたように挿したので
まるで卯の花の垣根を牛に掛けたように見える。



供をしている男たちも、ひどく笑いながら、ここがまだだと挿している。
誰かに会わないかなと思うのに、卑しい法師や身分の低いつまらない者を
たまに見るだけで、とても残念に思って、御所近くまで帰って来たが
これで終わってしまっていいの。せめてこの車の様子を、人の語り草に
させなくてはということで、一条殿のあたりに車を止めた。



侍従殿はいらっしゃいますか。ほととぎすの声を聞いて、今帰るところですと
言わせた使いが、すぐに伺います。しばらくお待ちをとおっしゃいました。
侍所でくつろいだ姿でいらっしゃったのですが、急いで立って
指貫(さしぬき/裾を紐で結ぶはかま)をお召しにと言う。



待つ必要ないわということで、車を走らせて、土御門の方へ向かうと侍従は
いつの間に装束をつけたのだろうか、帯は道の途中で結んで、ちょっとと
言って追って来て供に侍が三人ぐらい、履物も履かないで走って来るようだ。


「卯の花襲の薄様に歌を書いてきた」

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中宮様のところに参上すると、今日のご様子などをお尋ねになる。
一緒についていけなくて恨んでいた人々は、嫌味を言ったり
情けがったりしながら、藤侍従(とうじじゅう)が一条の
大路を走った話をすると、みな笑った。



それでどうしたの、歌はとお尋ねになるので、あまり良いのは出来てませんと
申し上げると、情けないわねえ。殿上人などが聞くのに、どうして
おもしろい歌が一つもなくてすまされるのと言う。



そのほととぎすの声を聞いた所で、さっと詠めばよかったのにと思う。
あまり儀式ばって詠もうとしたのはよくない。ここででも詠みなさい。
本当にしょうがないなどとおっしゃるので、なるほどそうだと思う。



とても辛いので、歌の相談などしていると、藤侍従が、さっきの
卯の花につけて、卯の花襲の薄様に歌を書いてきた。この歌は忘れてしまった。
この歌の返事をまずしようなどと、硯を取りに局に人をやったところ、中宮様が
ただこれを使って早く返事をと、硯箱の蓋に紙などを入れてくださった。


「不機嫌そうなご様子である」

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宰相の君、お書きなさいと言うと、やはりあなたがなどと言っているうちに
空を真っ暗にして雨が降り、雷がひどく恐ろしく鳴るので、どうしてよいか
わからず、ひたすら恐ろしいので、格子を慌てて下ろし回っているうちに
歌のことも忘れてしまった。



すごく長い間雷が鳴って、少し止む頃には暗くなっていた。今すぐ、やはり
この返事をさし上げようということで、返歌に取りかかると、さまざまな
人や上達部などが、雷のお見舞いにやって来られた。



西向きの部屋に応対に出て、お話などをしているうちに歌のことは忘れて
ほかの女房たちもまた、歌をもらった人が返歌をすればいいと、やめてしまう。
やはり歌には縁のない日のようだと気がふさいで、こうなったらもう
ほととぎすの声を聞きに行ったとさえ、人に言わないことにしようと言って笑う。



中宮様が、今だって、出かけた人たちでなんとかすれば詠めるはずなのに
でも、詠む気がないのねと、不機嫌そうなご様子であるのも、とてもおもしろい。
「でも、今はもう興ざめな気分なのですと申し上げる。


「お仕えすることができない気持ち」

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興ざめなものか、とんでもないとおっしゃったが、それで終わった。
二日ほど経って、ほととぎすの声を聞きに行った日のことなどを話すと
宰相の君が、どうでした、じぶんで摘んだという下蕨はとおっしゃるのを
中宮様がお聞きになって、思い出すことが食べ物とはとお笑いになっている。



散らかっていた紙に、下蕨(したわらび)こそ恋しかりけれ
下蕨の味が懐かしいとお書きになって、上の句をとおっしゃるのも
とてもおもしろい。郭公(ほととぎす)たづねて聞きし声よりも。



ほととぎすを探して聞いた声よりもと書いてさし上げると、ずいぶん
はっきり言うわねとおっしゃる。それにしても、どうしてほととぎすの
ことを書いたのだろうと言ってお笑いになるのも恥ずかしい。



けれど、いえもう歌は詠まないと思っていますのに、何かの時など
人が詠んでいるにしても詠めなどとおっしゃるなら
お仕えすることができない気持ちがいたします。


「とても気持ちが楽になりました」

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いくらなんでも、歌の字の数を知らず、春に冬の歌、秋に梅や桜の花を
詠むことはありませんが、歌を詠むと言われた者の子孫は、少し人よりは
勝って、あの時の歌は、あの人がいた。何と言っても、誰それの子だからと
言われれば、詠みがいのある気持ちがするでしょう。



少しも特別なところがなく、それでもすぐれた歌らしく、じぶんこそはと
真っ先に詠んだりしては、亡き人(父清原元輔)のためにも気の毒ですと本気で
申し上げると、お笑いになって、それなら好きなようになさっては
わたしは詠めとも言わないとおっしゃる。



とても気持ちが楽になりました。もう歌のことは気にかけないようになどと
言っている頃、中宮が庚申(こうしん)をなさるというので、内大臣殿は
とても気を入れて準備していらっしゃる。夜が更ける頃に
題を出して、女房に歌をお詠ませになる。



みな緊張して苦心して歌をひねり出すのに、わたしは中宮様の御前の近く
に控えて、お話を申し上げ、歌とは関係のないことばかり言うので
内大臣(藤原伊周)様がご覧になって、どうして歌を詠まないで
そんなに離れて座っている。題を取れとおっしゃって歌の題をくださる。


「今夜は詠めなどとお責めになる」

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お言葉を頂いて、歌は詠まない事になっていますから考えてもいませんと
申し上げる。変な話だな。本当にそんなことがあったのですか。
どうしてお許しになったのです。とんでもないことです。



まあいい、ほかの時は別として、今夜は詠めなどとお責めになるが
まったく聞き流して控えていると、ほかの人たちはみな歌を詠み出して
良い悪いをお決めになる頃に、中宮様はちょっとしたお手紙を書いて
わたしに投げてくださった。その歌を見ると



元輔が 後といはるる 君しもや 今宵の歌に はづれてはをる

歌詠みの元輔(もとすけ)の娘と言われるあなたが、今夜の歌に加わらないとは
などとあるのを見ると、おもしろくてしょうがない。大いに笑うと
何だ、何だと内大臣様もお尋ねになる。



その人の 後といはれぬ 身なりせば 今宵の歌を まづぞよままし

わたがしその人の子と言われない身なら 今夜の歌を真っ先に詠むでしょう

遠慮する事がなかったら、千首の歌だって、自然と出て来る事と申し上げた。


「とにかく人に一番に愛されないのでは」

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職の御曹司にいらっしゃる頃、八月十日過ぎの月の明るい夜で
中宮様は右近の内侍に琵琶を弾かせて、端近な所にいらっしゃる。
女房たちのこの人あの人は話をしたり、笑ったりしているのに、私は
廂の間の柱に寄りかかって、話もしないで控えていた。



どうして、そんなに黙っているの。何か言いなさいよ。寂しいじゃないと
おっしゃるので、ただ秋の月の心を見ているのですと申し上げると、
そうも言えるわねとおっしゃる。



身内の方々、若君たち、殿上人など、中宮様の御前に人がとても大勢
いらっしゃるので、廂の間の柱に寄りかかって、女房と話などをして
座っていると、中宮様が物を投げてくださったので、開けて見てみた。



愛そうか、どうしようか。人に一番愛されていないのはどうと書いている。
御前で話などする時にも、私が、とにかく人に一番に愛されないのでは
どうしようもなく、そうでないなら、いっそのことひどく憎まれ、酷く
扱われる方がよく、二番三番では死んでもいや。一番でいたいなどと言う。


「いい加減な紙を張るわけには」



一乗の法(成仏する)という事ねなどと女房たちも笑うが、あの話の事らしい。
筆と紙などを下さったので、九品蓮台(くほんれんだい)の間に入れるなら
下品でも十分ですなどと書いてさし上げた所、ひどく卑屈になったものね。
良くないわね一度言い切った事は、そのまま貫くものよとおっしゃる。



それは相手によりますと申し上げると、それがよくないのよ。一番の人に
一番に愛されようと思うのよとおっしゃるのは、とてもおもしろい。

一乗の法とは、法華経・方便品に、乗は彼岸に行く乗り物のことで
一乗は第一の乗り物のことで法華経をさし清少納言は一番でなくてはと。



中納言が参上なさって、扇を中宮様に進上なさる時に、隆家は素晴らしい扇の
骨を手に入れられ、それに紙を張らせてさし上げようと思っているのですが
いい加減な紙を張るわけにはいきませんから、探しているところですと言う。



中宮様が、どんなふうなのとお尋ねになると、何もかも素晴らしいのです。
今まで見たことのない骨の様子だと人々が言います。本当にこれ程の物は
見たことがないと声高におっしゃるので、それでは扇の骨ではなくてクラゲの
骨ですねと申し上げると、これは隆家の言ったことにしようと言ってお笑う。


「こんな雨の日に敷物に上がったら」



雨が引き続いて降る頃、今日も降るのに、帝のお使いとして
式部丞信経(しきぶのじょうのぶつね)が中宮様の所に参上している。
敷物を差し出したのを、普段よりも遠くに押しやって座っている。



誰の敷物ですかと言うと、笑って、こんな雨の日に敷物に上がったら
足跡がついて、大変不都合で、汚なくなってしまうでしょうと言う。
どうして遠慮なさるのかと聞いてみると、汚れてるからだと言い
氈褥(せんぞく/毛皮や毛織りの敷物)が洗足として役立つでしょうにと言う。



この洒落はあなたが上手くおっしゃったのではない。信経が足跡のことを
申し上げなかったら、おっしゃれなかったでしょうと何度も
おっしゃったのがおもしろかった。以前、中后(なかきさい)の宮に
えぬたきと言って名高い下仕えがいました。



美濃守(みののかみ)在任中に亡くなった藤原時柄(ふじわらのときから)が
蔵人だった時に、この下仕えたちがいる所に立ち寄って、これがあの名高い
えぬたきかと言いそんなふうに見えないがと言った返事に、それは時節柄で
そんなふうに見えるのでしょうと、時柄の名前に時節柄の意味を込めて言った。


「漢字も仮名も下手に書くのを人が笑う」

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相手を選んだとしても、こんなに機転のきいた返答はできないだろうと
上達部や殿上人まで面白い事だとおっしゃった。実際そうだったのでしょう。
今日までこのように言い伝えているのですからと式部丞に話した。



それだって時柄が言わせたことでしょう。すべてただもう題次第で漢詩も
和歌もうまくできるものですと式部丞が言うので、なるほどそのようね。
それなら題を出しましょう。歌をお詠みくださいと言う。



とてもいいことですねと言うので、一つではつまらないから、同じことなら
たくさん題を出しましょうなどと言っているうちに、中宮様の帝への
お返事が出来てきたので、あらっ、怖い。逃げなくてはと言って出て行った。



漢字も仮名も下手に書くのを、人が笑いものにするので隠しておきたいと
女房たちが言うのもおもしろい。式部丞が作物所(つくもどころ)の
別当をしていた頃、誰の所に送ったのだろうか何かの絵図面を
送るというので、このようにお作り下さいと書いてある。


「いつもよりもお部屋を念入りに磨き上げ」

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その漢字の書きぶりや文字が世に比類ないほど変なのを見つけて
この通りに作ったら、異様な物ができるにちがいないと書いて
殿上の間に届けたところ、人々が手に取って見て、ひどく笑ったので
式部丞はものすごく腹を立てて、わたしを憎んだように感じた。



淑景舎(しげいしゃ)が東宮妃として入内なさる時のことなど、これほど
素晴らしいことはなかった。正月十日に参上なさって、お手紙などは
中宮様と頻繁にやり取りなさっていたが、まだご対面はないのを
二月十日過ぎに、中宮様のところにお越しになるはずの伝言があった。



いつもよりもお部屋を念入りに磨き上げて、女房などもみな心くばりしている。
夜中頃にお越しになったので、いくらも経たないうちに夜が明けた。
登花殿(とうかでん)の東の廂の二間に、お迎えする支度はしてある。
父の関白殿(道隆)、北の方(貴子)が夜明け前に一つの車で参上なさった。



翌朝、とても早く格子をすっかり上げて、中宮様は、お部屋の南に
四尺の屏風を西から東に敷物を敷いて北向きに立てて、そこに畳と
敷物ぐらいを置いて、火鉢のところにいらっしゃる。
屏風の南や、御帳台の前に、女房がとても多く控えている。


「わたしの後ろからこっそり見なさい」

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まだこちらで、中宮様の御髪(おぐし)などの手入れをしている時
淑景舎(しげいしゃ)をお見かけしたことはあるのとお尋ねになるので
まだです。お車寄せの日に、ただ後ろ姿ぐらいをちょっとと申し上げた。



その柱と屏風とのそばに寄って、わたしの後ろからこっそり見なさい。
とても愛らしい方よとおっしゃるので、嬉しく、拝見したい気持ちが募り
早くその時が来ないかなと思うが、 中宮様は、紅梅の固紋、浮紋のお召物を
紅の打衣(うちぎぬ)三枚の上に引き重ねて着ていらっしゃる。



紅梅には濃い紫の打衣が素敵ね。でも着られないのが残念だわと言われ
今は紅梅の衣は着ないほうがいいけれど、萌黄などは好きではないから
紅梅は紅には合わないかしらなどとおっしゃるが
ただもういっそう素晴らしくお見えになる。



お召しになっている衣装の色が特別で、そのままお顔の色が美しく
映えていらっしゃるので、やはりもう一人の美しいお方も
こんなふうでいらっしゃるのかしらと興味が湧いてしまう。


「襖障子がずいぶん広く開いているので」

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中宮様は、それからお席へ座ったまま膝をついてお入りになったので
すぐに屏風に寄り添ってのぞくのを、失礼だわとか、気がとがめるわと
わざと聞こえるように言う女房もおもしろい。



襖障子がずいぶん広く開いているので、とてもよく見える。
殿の北の方(貴子)は白い表着などに、紅の艶を出した衣を二枚ばかり
女房の裳なのだろうか、その裳をつけて、奥に寄って東向きに
座ってるので、ただお召物だけが見える。



淑景舎は北に少し寄って、南向きにいらっしゃる。紅梅の袿をたくさん
濃いのと薄いのを重ねて、その上に濃い綾の単衣のお召物、少し赤い
小袿(こうちぎ)は蘇芳の織物で、萌黄の若々しい固紋の表着(うわぎ)を
お召しになって、扇でずっと顔を隠していらっしゃる。



その姿が素晴らしく、中宮様がおっしゃった通り立派で可愛らしく見える。
殿は、薄い紫色の直衣、萌黄の織物の指貫(さしぬき)、下に紅の袿を何枚か重ね
直衣の紐をしめて、廂の間の柱に背中をあてて、こちらを向いていらっしゃる。


「やはりこのお方に匹敵する人はいない」

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姫君たち(中宮と淑景舎)の素晴らしいご様子を微笑みながら、例によって
冗談をおっしゃっている。淑景舎がとても可愛らしく、絵に描いたように
座っていらっしゃるのに対して、中宮様はとても落ち着いてもう少し
大人びていらっしゃるお顔のご様子が、紅のお召物に輝き映えている。



やはりこのお方に匹敵する人はいないだろうと思われる。
朝のお手水(手や顔を洗い清める水)をさし上げる。あちらの淑景舎の方の
お手水は、宣耀殿(せんようでん)、貞観殿(じょうがんでん)を通って
女童二人、下仕え四人で持って来るようだ。



唐廂(からびさし)よりこちらの登華殿(とうかでん)に寄った廊に女房が
六人ぐらい控えているが、廊が狭いので、半分は淑景舎をお送りしてから
みな帰ってしまった。童女の桜襲(さくらがさね)の汗衫や、その下の萌黄色
紅梅色などの着物が素晴らしく、汗衫の裾を後ろに長く引いている。



お手水を取り次いでさし上げるのが、とても優美でおもしろい。
織物の唐衣(からぎぬ)が御簾からこぼれ出ていて、相尹(すけまさ)の
馬頭(うまのかみ)の娘の少将、北野宰相の娘の宰相の君などが廊近くにいる。


「おっしゃるご様子はとても得意顔である」

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素敵だなと見ているうちに、中宮様のお手水は、当番の采女が
青裾濃(あおすそご)の裳、唐衣、裙帯(くたい/紐)、領布(ひれ)などを
着けて、顔を白粉(おしろい)で真っ白に塗って、下仕えなどが取り次いで
さし上げる様子は、これもまた格式ばって、中国風で趣深い。



朝のお食事の時になって、御髪(みくし)あげの女官が参上して
女蔵人(にょくろうど)たちが髪を結い上げた姿で、中宮様にお食事を
さし上げる頃は、今まで仕切っていた屏風も押し開けたので、覗き見を
していたわたしは、隠れ蓑を取られたような気がして、物足りない。



おもしろくないから、御簾と几帳との間で、柱の外から拝見する。
わたしの着物の裾や裳などは御簾の外へみな押し出されているので殿が
端の方からご覧になって、あれは誰だ。御簾の間から見えているのはと
怪しんでお尋ねになるので、少納言が拝見したがっているのでしょうと。



中宮様が殿におっしゃると、ああ、恥ずかしい。あれは古い馴染みだよ。
ずいぶん憎らしい娘たちを持ってるなとでも見ているよなどと
おっしゃるご様子は、とても得意顔である。あちらの淑景舎にも
お食事をさし上げると、羨ましいね。お二人のお食事は全部出たようだ。


「お返事は早くお出しになった」

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早く召し上がって、爺婆(じじばば)にせめておさがりでもくださいなどと
一日中、冗談ばかりをおっしゃっているうちに、大納言(藤原伊周/22歳)と
三位の中将(藤原隆家/17歳)が、松君(伊周の長男道雅の幼名/4、5歳)を
連れて参上していらっしゃる。



殿はいつの間にか抱き上げて膝の上に座らせていらっしゃるが、松君は
とても可愛らしい。狭い縁側に窮屈そうに衣装の下襲などが無造作に
引き散らされている。大納言殿は重々しく美しい感じで、中将殿はとても
利発そうで、どちらもご立派なのを拝見すると、殿は当然のこととして
北の方の前世の宿縁は本当に素晴らしいといえる。



殿が、敷物をなどとおっしゃるが、陣の座に行きますのでと言って
大納言殿は急いで座をお立ちになった。しばらく経って
式部丞(しきぶのじょう)某(なにがし)が帝のお使いで参上した。



配膳室の北に寄った間に、敷物をさし出して座らせた。中宮様の
お返事は早くお出しになった。まだそのお使いの敷物も取り入れないうちに
東宮から淑景舎へのお使いとして、周頼(ちかより)の少将が参上した。


「照れたような微笑みを浮かべて」

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東宮のお手紙を受け取って、あちらの渡殿は狭い縁側なので、こちらの
縁側に御殿の東の簀子別の敷物を差し出した。 お手紙を受け取って
殿、北の方、中宮様などがご覧になる。殿に、お返事を早くと言われた。



そう言われても、淑景舎はすぐにもお返事をなさらないのを、殿が
わたしが見ているから、書かれないのだろう。そうでない時は、こちらから
ひっきりなしにお手紙をお出しになるらしいなどとおっしゃる。



淑景舎のお顔が少し赤くなって照れたような微笑みを浮かべてらっしゃるのは
とても素晴らしい。本当に早くなどと北の方もおっしゃるので、奥を向いて
お書きになる。北の方が近くにお寄りになって、一緒にお書きになるので
ひどく恥ずかしそうである。



中宮様の方から萠黄の織物の小袿(こうちき)、袴をお使いの褒美として
縁側に押し出したので、三位の中将がお使いの肩にお掛けになる。
首が苦しそうだと思って、手で持って立ち上がる。松君がおもしろく
何か言われるのを、誰もが可愛いとおっしゃる。


「酒の肴などを取り寄せなさい」

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殿が、中宮のお子様だと言って人前に出しても、おかしくはないななどと
おっしゃるのを、どうして中宮様にはそういうお産が今までないのかと
気がかりだったが、未の時(午後二時頃)に、筵道(えんどう)を敷く間もなく
帝がお召物の衣ずれの音をさせてお入りになった。



中宮様もこちらの母屋のほうにお入りになった。そのまま御帳台にお二人で
お入りになったので、女房もみな南の廂に衣ずれの音をさせて出て行くようだ。
廊に殿上人がとてもたくさんいる。殿の御前に職の役人を呼ばれて殿は、果物や
酒の肴などを取り寄せなさい。みなを酔わすのだなどとおっしゃる。



本当にみな酔って、女房と話を交わす頃には、お互いに、おもしろいと
思っているようだ。日が沈む頃に帝はお起きになって、山の井の
大納言(藤原道頼/伊周たちの異腹の兄)をお呼びになり
ご装束を着用なさってお帰りになる。



桜の直衣に紅の衣が夕日に映えているのも美しいが、恐れ多いので
これ以上書かないことにする。山の井の大納言は、ご縁の深くない
お兄様としては、中宮様ととても仲よくしていらっしゃる。


「それなら遠いお方を先にしようかという」

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艶やかな美しさではこの大納言(伊周)より勝っていらっしゃるのに
あのように世間の人がしきりに悪く言って噂するのは、とてもお気の毒だ。
殿の大納言、山の井の大納言、三位の中将、内蔵頭(くらのかみ)などが
帝のお帰りのお供をなさる。



中宮様に今夜清涼殿に上るようにという帝のお使いとして
馬の内侍典(ないしのすけ)が参上した。今夜はとてもなどと
渋っていらっしゃるのを、殿がお聞きになって、とんでもない。
早くお上りなさいとおっしゃっていると、東宮のお使いがしきりにある。



とても騒がしく、お迎えに、帝付きの女房、東宮の侍従などという人も参上して
早くと急き立てるので、それでは先に、あの君をお送りしてからと中宮様が
殿におっしゃると、それにしても、私が先にはと淑景舎がお答えになるのを
私がお見送りしますと中宮様が譲っておっしゃっるのも素晴らしくおもしろい。



それなら遠いお方を先にしようかということで、淑景舎がお上りになる。
殿などがお供をしてお戻りになってから、中宮様はお上りになる。
その道中、殿のご冗談にわたしたちはひどく笑って、危うく
打ち橋からも落ちてしまいそうだ。


「梅の花が散った枝を持って来て」

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殿上の間から、梅の花が散った枝を持って来て、これをどう見ると言うので
私はただ、早ク落チニケリと答えたら、その詩を吟じて殿上人が黒戸に
とても大勢座っているのを、帝がお聞きになり平凡な歌を詠んで出すよりは
こういうのが勝っている。うまく答えたものだとおっしゃった。



二月の末頃に、風がひどく吹き、空が真っ黒で、雪が少しちらついている頃
黒戸に主殿司(とのもりづかさ)が来て、お伺いしていますと言うので
近寄って、これは公任(きんとう)の宰相殿のお手紙ですと
持って来たのを見ると懐紙(ふところがみ)に



すこし春ある 心地こそすれ (少し春のような気がする)と書いてあるのは
本当に今日の天気に、とてもよく合っていて、この上の句はとても
つけようがないと思い悩んでしまう。公任殿と一緒にいらっしゃるのは
どなたたちと尋ねると、これこれのお方たちですと言う。



みな恥ずかしくなるほどの立派な方たちの中で宰相への返歌を
どうしていい加減に言い出せるものかと、自分一人で考えるのは
苦しいので、中宮様に見ていただこうとした。帝がいらっしゃっていて
おやすみになっている。主殿寮の男は、早く早くと言う。


「赤ん坊が大人になるまで」

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なるほど歌が下手なうえに遅くなるようでは、まったくとりえがないので
どうともなれと思って、 空寒み 花にまがへて 散る雪に
空が寒いので花のように散る雪にと、わなわな震えながら書いて渡した。
どう思っているだろうと思えば思うほど、心細くなる。



これがどう受け取られたか聞きたいと思うのに、悪く言われるなら
聞きたくないと思われるのを、俊賢(としかた)の宰相などが、やはり
あれは帝に奏上して掌侍(ないしのじょう)にしたい女だと評価なさったと
左兵衛督(さえもんのかみ)が中将でいらっしゃった時に話してくださった。



先の遠いもの 。半臂(はんぴ)の緒をひねるとき。陸奥(みちのく)へ行く人が
逢坂の関を越える頃や、生まれた赤ん坊が大人になるまで、とても遠い。
半臂とは、天皇や高官が束帯のとき、袍の下に着た、袖のない短い衣。



緒とは、半臂の左腰につける忘れ緒は長さ一丈二尺(約3.6メートル)
幅二寸五分(約8センチ)、に折って糊で貼り合わせ、指先でひねるように
強く押しつけて作るのは、気の長い作業だという。


「かまどに豆をくべるのか」

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「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。



方弘(まさひろ)は、ひどく人に笑われる人だ。親などはどんな気持ちで
聞いているのだろう。方弘のお供をしている者で、ずいぶん長く
仕えているのを呼び寄せて、どうしてこんな人に使われているのだ。
どんな気がするなどと言って笑う。



方弘の家は衣服の調製を上手にするところで、下襲(したがさね)の色
袍なども、人よりも立派に着ているので、これをほかの人に着せたいと
言うが、そう言われるのも当然で言葉づかいなども変だ。



自宅に宮中の宿直用の装束を取りに行かせるのに、方弘が、お前たち
二人で行けと言うと、わたし一人で取りに行きましょうと従者は言う。
変な男だな。一人で二人分の物が持てるか。一升瓶に二升は入らないと
方弘が言うのを、何を言っているかわかる人はいないけれど、ひどく笑う。



人の使いが来て、お返事を早くと言うと、もう嫌な男だな。どうして
そんなに慌ててるのか、かまどに豆をくべるのか。この殿上の間の墨や筆は
誰が盗んで隠したんだ。飯や酒ならほしがるだろうがと言うのを、また笑う。


「布や紙に油を引いて防水したもの」

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女院(東三条女院詮子/一条天皇の母、兼家の二女)がご病気でというので
方弘は帝のお見舞いのお使いとして帰って来たのに、院の殿上には
どなたたちがいたのと人が尋ねると、その人あの人などと
四、五人位を言うので、ほかには誰がと尋ねてみた。



それから、寝ている人などもいたと言うのを笑うのも、それもまた
奇妙なことだろう。人のいない時に寄って来て、あなた様にお話しします。
まずあなたに話せと人がおっしゃったことですと言うので、何なのと言って
几帳の所に近寄ると、体ごとお寄り下さいと言ったのを、五体ごとと
言ったのですと言って、また笑われてしまう。



除目の二日目の夜、灯火にさし油をする時に、方弘が灯台の下の敷物を
踏んで立っていると、新しい油単(油引きの敷物)なので、襪(しとうず)が
しっかりとくっついてしまい、歩いて帰ると、そのまま灯台が倒れた。



襪(しとうず)に敷物がくっついていくので、まさに大地が震動したようだ。
油単とは、布や紙に油を引いて防水したもので、家具などの覆いやまた
敷物として用いた。襪は沓(くつ)を履く時につける靴下に似たはきもの。
足袋は親指が分かれているが、それと違って指が分かれていない。


「子供をおんぶして出て来た者」

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蔵人の頭(とう)がご着席にならないうちは、殿上の間の台盤には
誰も着席しない。それなのに方弘は、豆一盛をそっと取って
障子の後ろで食べたので、小障子を引きのけて
丸見えにして笑うこと限りない。



見苦しいもの。着物の背中の縫い目を肩の方に寄せて着ているとき。
また、抜き衣紋(後襟を引き下げて襟足が現れ出るように着る)にして
着ているもの。珍しい人の前に、子供をおんぶして出て来た者。



法師の姿をした陰陽師が、紙冠をつけて祓えをしているとき。
色が黒く、醜い女がかもじ(入れ毛)をしているのと、鬚(ひげ)が多く
やつれて痩せこけた男が、夏に昼寝しているのは、とても見苦しい。



何かの取り柄があるというので、昼に寝たりしているのだろう。
夜などは顔も見えないし、誰でもみな寝ることになっているから
私は醜いからと言って、起きて座っているはずもない。夜に
一緒に寝て翌朝早く起きるのがよく見苦しくない。


「こういう風景を詠んだのだろう」

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四月の末頃に、長谷寺に参詣して、淀の渡りというものをしたところ
舟に車を乗せて行くと、菖蒲、菰(こも)などの先が短く見えたので
従者に取らせたら、ずいぶん長かったが、菰を積んだ舟が
行き交うのが、非常におもしろかった。



高瀬の淀にという歌は、こういう風景を詠んだのだろうと見えて
こもまくら 高瀬の淀に 刈る菰の かるとも我は 知らで頼まむ
五月三日の帰りに、雨が少し降っていた時に、菖蒲を刈るというので
笠のとても小さいのをかぶって、脛(すね)を長く出している男や子供が
いるのも、屏風の絵に似て、とても風情がある。



いつもより違って聞こえるもの 。正月の車の音。また元旦の鶏の声。
夜明け前の咳払い。楽器の音はいうまでもない。
絵に描くと見劣りするもの。なでしこ。菖蒲。桜。物語で
素晴らしいと言っている男女の容貌。



絵に描いて実物より勝って見えるもの。松の木。秋の野。山里。山道。
冬はひどく寒いのにくらべ、夏はたまらなく暑いのでつらい。
しみじみと感じられるものは、親の喪に服している子や身分のよい若い男が
御嶽精進をしているときや、別の部屋に籠り、夜明け前の額を地につけての
礼拝は、しみじみととても身に染みる。


「身分の高い人でも粗末な身なりで参詣」

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親しい人などが、目を覚まして聞いているだろうと想像したりする。
参詣する時の様子は、どうなんだろうなどと身を慎み恐れていたのに
無事に参詣できたのはとても素晴らしいと思う。



烏帽子の様子などは、少しみっともないと感じる。それもそのはずで
御嶽には、身分の高い人でも、格別粗末な身なりで参詣するからだ。
ところが、右衛門佐宣孝(藤原宣孝・紫式部の夫)といった人は、ただ
清浄な着物を着て参詣したって、たいしたご利益もない。



まさか御嶽の蔵王権現は、粗末な身なりで参詣しろとは言わないだろうと
三月の末に、紫のとても濃い指貫に、白い狩衣、山吹色の派手なのを着て
息子の主殿亮(とのもりのすけ)の隆光には青色の狩衣、紅の袿と
まだら模様を摺り出してある水干(すいかん)という袴を着せていた。



皆連れだって参詣したのを、御嶽から帰る人もこれから参詣する人も
珍しく奇妙なこととして、まったく昔からこの山でこんな姿の人は
見たことがないと驚き呆れたが、四月はじめに御嶽から帰って六月十日に
筑前の守が辞任し任官したのを、言ってた通りになったと評判だった。


「ひどく寒く雪が降って冷え込んでいる」

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これは、しみじみと感じられるものではないが、御嶽の話のついでに書いた。
男でも女でも、若くてさっぱりと美しい人が、とても黒い喪服を着ているのは
しみじみとした感じがする。九月の末、十月の始め頃に、鳴いたのか
鳴かないのかわからないほどに聞いたこおろぎの声。



鶏が卵を抱いて寝ている時など、秋が深い庭の浅茅(あさじ)に
露が色々に光って玉のように置いているときや夕暮れや夜明け前に
河竹が風に吹かれているのを、目を覚まして聞いている時やまた夜なども
愛しあっている若い人の仲が、邪魔する者があって、思い通りにならない。



正月に寺に籠っている時は、ひどく寒く、雪が降って冷え込んでいるのがいい。
雨が降ってきそうな空模様の時は、まったくよくない。清水寺などに参詣して
お籠りの部屋の準備ができる間、階段のついた長廊下の階段の下に、牛車を
引き寄せてとめていると、帯だけをちょっとつけた若い法師たちが足駄を履き
少しも恐れることなく階段を乗り降りしながら、経文の一部を読んでいた。



俱舎の頌(くしゃのじゅ/阿毘達磨俱舎論の略。俱舎論の中に、四句一偈で
六百頌があるが、それを唱え続けて歩きまわるのは、おもしろい。


「着物の裾を裏返しにまくりあげている」

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私たちが登るとなると、ずいぶん危なっかしい気がして、脇に寄って
高欄につかまったりして行くのに、法師たちは、まるで板敷か
なにかのように思っているのもおもしろい。



法師が、お部屋の用意ができましたので、お早くどうぞと言うと、供の者が
沓(くつ)などを持って来て、参詣者を牛車から下ろしはじめた。
着物の裾を裏返しにまくりあげている者もいる。



裳や唐衣などをつけて、仰々しく正装している者もいる。
深沓(ふかぐつ)や半靴(ほうか)などを履いて、廊のあたりを沓を引きずって
お堂に入って行くのは、宮中にいるような気がして、またおもしろい。



内部の出入りが許されている若い男たちや、一族の子弟などが、後に大勢
続いて、その辺りは低くなっている所ですとか、そこは高くなっていますと
女主人に教えて行くが、何者だろうか、女主人にひどく近寄って歩いたり
追い越す者などに、ちょっと待ちなさい。高貴なお方がいらっしゃる。


「きらきら輝いて見えるのは」

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高貴なお方がいらっしゃるのに、そんなことはしないものだと言うのを
なるほどと言って、少し遠慮する者もいるし、また、聞きもしないで
誰よりも先に自分が仏の前にと思って急ぎ行く者もいる。



お籠りの部屋に入る時も、参詣人が並んで座っている前を通って行くのは
酷く嫌なものだが、本尊が安置してある犬防ぎ(仏堂内を仕切る格子の柵)の
内側を覗いた気持ちは、大変尊く、どうして何ヵ月もお参りしないで
いたのかしらと、まず信心の気持ちが起こって来る。



仏前の灯明の常灯明ではなく、内陣に別の誰かが奉納した灯明の灯りが
恐ろしいほどに燃えさかっていて、本尊の仏(十一面観世音菩薩)が
きらきら輝いて見えるのは、とても尊いことで、法師たちが手に手に
それぞれの願文を捧げ持って、礼盤(らいばん/仏前の高座)で体を
揺すって誓う声も、大勢が同時に声を張り上げる。



これは誰の願文(がんもん)と区別して聞き分けることはできないが法師たちが
無理に絞り出している声々は、そうは言っても、ほかの声に紛れることなく
聞き取れるが、千灯のお志は、誰々のためなどとは、わずかに聞こえる。


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