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冬の蔵王ー写真提供熊本のM医師今「プリンセス マサコ」を読んでいる。オーストラリアのジャーナリスト ベン ヒル氏の書いたドキュメンタリーだが、外国人ジャーナリストがよくここまで調査して書いたものだと感心している。まだ最初の方しか読んでないが、そこに雅子様はハーバード大学を卒業して6ヶ国語を話せる才媛だったと書いてあった。ハーバードは名門中の名門大学である。きっと才知優れた方だったのだと思う。思い焦がれていた才色兼備の女性を見事妃に迎えることが出来た時の皇太子殿下のお喜びのお顔は忘れられない。それにしても皇太子のお顔を拝見すると、いつもなんと性格がよく素敵なお顔なのかと思う。心から望まれて結婚なされた雅子妃だったが、外交官として活躍していた環境と皇室の中の生活はあまりに違っていて、その自由奔放な性格が抑圧されてしまい、周囲との適応が十分できない適応障害という病気になられてしまった。皇太子の心痛いかばかりかと思う。でも最近は公務にも少しずつお出になられるようになってかなり回復しつつあるように思う。今は周囲と上手く適応できなくて、ありあまる才能を十分発揮していないが、病気を克服した暁には、輝くばかりの素晴らしい業績を上げて下さるのではないかと期待している。雅子様のご健康を心より願っています。
2008.02.29
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熊本のM先生提供(冬の蔵王)人間の絆の結末はフィリップが19歳のサリーと結ばれて海の見える田舎町で幸福な家庭生活に入る所で終わっている。それまでのフィリップの生き方や知性からみると彼女が相応しいと思えないしあまりにハッピーエンド過ぎるという批評がかなり出ている部分である。フィリップは医学生時代受け持った患者さんアセルニーとその後家族ぐるみの付き合いをしていたが、そこには9人の子供がいて、長女のサリーとある夜二人でお茶を買いに行った帰り道激情にまけて結ばれてしまう。数ヶ月後サリーから妊娠したかもしれないと言われる。フィリップは真っ青になり、これで将来の夢もだめになった。なんて馬鹿なことをしたのだろう、何度後悔してもしきれない。お金を渡してどこかへ逃げてしまおうかと考える。お世話になったアセルニー夫婦に恩をあだで返すことになり、途方にくれる。地獄の苦しみだったと思う。そしてついに解決策は結婚しかないと思う。こう考えたら世の中がぱっと開けて明るくなった。海が見える田舎町でサリーと一緒に診療所で働くのだと思うと人生がぱっと開けた。数日後サリーと会ったら妊娠ではなかったと告げられる。これでフィリップは自由になって大喜びするはずが、何故か喜べなかった。健康で、気立てのいいサリーを手放したくないという思いが募り、彼女に結婚を申し込み、OKしてもらったのである。妊娠を告げられた時のフィリップの困惑は想像を絶するが、それも考え方を変えると天国になるのだから、もし一つの事件で地獄に落ち込んでいる人がいたら、考え方を180度変えていただきたい。そうすればきっと天国が開けてくると思う。
2008.02.27
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熊本の友人M医博が送ってくれた蔵王の雪景色である。小説「人間の絆」もこのように美しいが、その内面は、凍えるような苦しみも含んだ小説なので情景がにているのでここで採用させて頂いた。人間の絆はモームの自伝的小説で、フィリップの誕生から30歳頃までの半生を、様々な体験を克明な心理描写と共に描いた作品で実に面白い小説だった。世界中で1000万人以上に読まれており、今世紀のイギリス小説の最高傑作のひとつに挙げられている。どこまでが本当でどこからが創作なのかの区別は難しいが、作者自身の精神形成のあとを、恋愛、失恋、財産破綻、周囲の人の死などを通じて克明に描いたもので、自分達の身の回りにも起こることでそれをフィリップが様々に感ずるが、それは読者が感ずることと共鳴することが多い。世界には名作といわれる小説が数多くあり、わが国にも名作が多数あるが、これほど面白い小説にめぐり合ったのは久しぶりである。面白くて食事も忘れてしまって母親に怒られた16歳の少年もいた。その少年は「この本は人生で考え得る殆どあらゆる面に触れている。本書は僕の心に入りきれないほどの多くの喜びをもたらした」と書いている。・・・アメリカ少年の手紙お勧めの一書である。
2008.02.26
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冬は肌が乾燥し易い。それだけに皮膚が痒くなって、力任せにかじるのでかさぶたになったり、血が出たり、色が変わったりしている人が多い。子供や青年には少なく、殆どは35歳以後の中年~高年に発病するので、医学的には老人性皮膚掻痒症と呼ばれている。上に老人の名前がついているが、実際には30~40歳代の比較的若い人でもかなりこの病気に罹っており、老人性を取ってしまったほうがすっきりすると思っている。私の受け持ち患者に86歳の女性がいる。血液透析をしているが、肌が痒くて眠れないという。飲み薬や塗り薬を処方したが、あまり効果はないとのことだった。たまたま漢方薬に詳しい同僚医師に痒みの話をしたところ、当帰飲子(とうきいんし)を紹介してくれた。これがどんぴしゃに効いて痒みが止まった。西洋の薬は抗生物質その他、ある病気に直接作用してそれを治す等の効果を発揮するが、漢方薬は全身に作用して体を丈夫にするように作用するもので、具体的に今の症状を治す物ではない。今回、かゆみをどんぴしゃに押さえた当帰飲子はかゆみという具体的症状を治したもので、体全体に効果を及ぼす漢方薬としては例外的なものだと思う。具体的な痒み症状に効いたのである。今後、頑固な痒みに悩まされている人がいたら、この当帰飲子を試してみたいと思っている。
2008.02.25
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昨夜NHK衛生で「シンドラーのリスト」を観た。ユダヤ人を使った会社の社長で大金持ちになったシンドラーが一人幾らの裏金をナチの上官に払って1100人の命を救った物語である。シンドラーは戦後、結婚と事業に失敗して失意の内に亡くなっているが、助けられたユダヤ人の子孫何千人もがその墓に石を捧げているところで終わっていた。シンドラーは金儲けを第一とする事業家で、交友関係が広く、ナチの上官とも親しかったが、人間性を失っておらず、強靭な信念で、ユダヤ人を救ったのは大偉業で、永遠に称えられと思われるが救われた数は1000人強である。その他の600万人はナチによって殺された。今ほど情報が発達していなかったかも知れないが、ユダヤ人が次々に捕らえられ、ガス室や強制収容所に送られていたことはユダヤ人には分かっていたと思う。それなのに反乱軍やテロが起こっていなかったことを不思議に思った。日本の天草四郎はキリシタン弾圧に立ち上がった。南アフリカのマンデラは残酷な黒人差別のアパルトヘイトに勇敢に立ち向かった。ユダヤ人が蜂起してナチスに立ち向かったという記録がない。どうせ殺されるならヒトラーやその幹部を自爆テロでやっつけようとした人はいなかったのであろうか?平和時のテロは大悪事で到底許すことはできないが、あのような大悪事を働いていたナチをやっつけようとした人達がいなかったのかと不思議に思った。それほどナチが強大だったのかもしれないが、優秀なユダヤ人600万人があの悪魔ヒトラーにあのような苦しみを受けながら、みすみす殺されたのかと思うと悔しくてたまらない。その時代背景、暴力相手との力関係、宗教の信念の強さなど様々な要因があり、手も足も出せないで家畜のように殺されざるを得なかったのかも知れないが、悔しい。ヒトラーは連合国に敗れて自害したが、その前にユダヤ人があらゆる手を使って戦いを挑むべきだったと思う。人間を人間とも思わない悪魔的人間をのさばらせてはいけない。弁舌巧みに民衆を動かし、ドイツ人の心をつかんでしまったが、その人間は必ずその迫害した人達によって滅ぼされるという歴史を作ってもらいたかった。私は無力で、不器用で、老体である。どうじたばたしてもあと数年、長くても十数年しか生きられぬ。普段はおとなしくしていてもヒトラーみたいな人が現れたら、どうせ死ぬのだから失敗して殺されてもいいから全智を絞ってヒトラーみたいな人をやっつけに行こうと心に決めている。
2008.02.24
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これはある夫婦の話である。夫は神経質、妻はおおらかというのかいい加減、夫は部屋の扉を閉めて本を読んだりパソコンをしたりするのが好きだが、妻は何でも開け放すのが好き。風呂の水を入れるのに夫は入ってからお湯を足したり沸かしたりすればいいので溢れるまでは入れないが、妻はお構いなしにバンバン入れて溢れていても平気である。夫は柔らかい御飯が好きだが、妻はどちらかと言えばこわい御飯が好き、それでいながら私は普通が好きなのだと言い張って喧嘩ばかりしている。趣味も異なり何から何まで真反対で、よく離婚しないねと不思議がられている。私のよく知っているある夫婦は性格も趣味も合っていて、旅行が好きでヨーロッパや韓国など夫婦で世界中を旅している。性格が合っている夫婦と真反対の夫婦の割合はどの位あるか正確なデーターはないが、半々位ではないかと思っている。長年連れ添うとお互いが似てきて、似たもの夫婦と言われることがある。冒頭に挙げた夫婦はかなり長年連れ添っているが、似たもの夫婦の片鱗はさらさらなく、その違いがさらに際立ってきているようにも見える。でも性格が合わなければ離婚した方がいいのであろうか?それなら私の推定では合わない夫婦が何百万といるので、その何百万組が離婚しなければならなくなる。それぞれの夫婦は性格が合わなくてもそれなりに工夫してつきあっているのだと思う。一方が賢明だとその違いをカバーできるらしい。冒頭に挙げた夫婦はあっけらかんの妻が賢明で、その違いをカバーしているように見える。夫も全くのバカではないみたいで、性格は真反対だが、お互いのよさも認めているみたいで離婚に至っていないのだと思う。性格の不一致で今離婚の危機にあるカップルがありましたら、性格は真反対でも、お互いを思いやることによってなんとか持ちこたえている夫婦もあることを知って頂ければ幸甚です。
2008.02.23
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朝7時45分から8時までNHK衛星放送で朝ドラの再放送「都の風」を見て出勤するのを日課にしている。1986年に放送されたもので22年前の作品だが脚本、演出、出演者が素晴らしくて毎回引きつけられて見ている。出演者は加納みゆき、黒木瞳、松原千明、西山嘉孝、久我美子、村上弘明、柳葉敏郎、野川由美子らで真に迫る演技をしてくれている。京都の老舗の末娘竹田悠{はるか}(加納みゆき)の初恋の人沢木智太郎(柳葉敏郎)は戦死したとの報にはるかは泣き崩れ一生結婚しないと誓うが、色々なめぐりあわせがあって、かって新聞記者をしていた吉野雄一郎(村上弘明)と結婚する。その後、思いがけなく智太郎が生きて帰ってくる。智太郎は戦地ではるかのことをずっと思い続けていて、復員後、真っ先にはるかを訪ねる。はるかは想い焦がれていた人だけに胸が張り裂けんばかりで、雄一郎と結婚する前だったらどんなによかったと思うが、それはどうすることもできないことであった。雄一郎がはるかと智太郎を二人だけにしてくれる。はるかが選ぶなら、はるかと智太郎が一緒になってもいいと考えたからである。しかし、はるかは雄一郎を選んだ。その雄一郎は原爆が落ちた時広島にいたことがあり、新聞記者に復職後しばらくして原爆症と思われる病気で入院した。はるかは旅館で皿洗いのお手伝いをしていた時大金持ちになった智太郎から人を介して大金を渡される。それを返す時智太郎と他人同士と言う前提で歓談して別れた。それが今日の放送内容である。最初に会った時智太郎ははるかが結婚していたことを知ってはるかのことは忘れると言って寂しく去っていった。でも本当に忘れられたのだろうか。仕事の鬼になって金儲けに奔走しているのは、はるかを無理して忘れようとしていたのかもしれない。はるかは智太郎をあんなに愛していて、戦争に行ってからも片時も忘れず、戦死の報告がきてからもそれを信じないで智太郎の実家の援助をし続けてきた。嫌いになるはずがない。一目逢ったら感情がこみ上げてきたに違いない。それでもどちらかを選べと言われたら雄一郎を選んだ。はるかの本心ははるかにしか分からないが、私は、雄一郎よりも智太郎の方が何百倍も好き(戦地で自分のことを思い描いて生き抜いて帰ってきてくれたことも含めて)だが、その当時、戦争の痛手で落ち込んでいた雄一郎の気持を思い、あえて自分の本心と反対の決断をしたのではないかと思っている。これから病気の雄一郎を抱えてはるかがどのような人生を歩んでいくのか分からないが、はるかの選んだ人生である。幸せであってくれと願う。
2008.02.22
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勤めから家に帰って車を車庫に入れようとしたら前方に(東の空)、真ん丸い黄色の満月が見えた。綺麗だなと思って思わず携帯で写真を撮ったが実際に見えるのと写真で撮るのはこんなにも違うのかと思えるほど、小さな点のようにしか写らず残念であった。井沢八郎の歌に「北海の満月」があるが、これは荒れ狂う北海に満月が煌々と輝いており、そこで働く漁師達に満々たる勇気を与えている歌だが、今日の冬の満月も、氷つくような寒空の下で、様々な苦労をしている人達に限りない勇気を与えてくれたのではないかと思った。イージス艦事故で行方不明になっている親子、どっかでこの月をみていてくれればいいなと思った。
2008.02.21
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アメリカ製の最新鋭の護衛艦が漁船と衝突して大事故を起こした。あらゆる情報をキャッチして、即座に対応できるシステムを備えているはずの最新鋭艦がその機能を発揮することができなかった。船そのもののレーダーに欠陥があったのか、レーダーではキャッチしていたがそれを確認する当直隊員が、レーダー等の確認義務を怠っていたかである。また敵に襲われた時、素早く対応できる最高度の敏捷性を備えているはずであった。しかしそれを発揮出来ずに回避行動がとれなかったのは看板に偽りありの性能だったのか、機能は備えていたが隊員が操作に馴れていなかったかのどちらかだと思う。午前4時と言えば真っ暗である。海上には何もないと思いたくなる。しかし誰かが横道から出てきたらひとたまりもない。車の運転でも明け方誰もいない所を走る時にはいつも以上に注意するが、今回のイージス艦はその注意力が足りなかったと言わざるを得ない。イージス艦に限らず、飛行機やJR、高速バスの運転、食料品の供給、医療活動など、人命に直接関わる職業に従事している人は多い。事故が起ってからでは遅い。この事故を他人事としないで、一人一人がより一層注意力を高めていく必要があると思った。
2008.02.20
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モームの「人間の絆」でフィリップの叔父が死にそうになってから中々死なないので、死ねば遺産がもらえて医学校への復学も可能になるフィリップは「早く死んでくれと願っていた」とは2月15日のブログ「人間の本心」に書いたところだが、今日読んだところではいよいよ最期を迎えた。叔父は牧師で、多くの人の臨終の苦しみに立会い、魂は永遠であり、心安らかに主の許に帰っていくことを説いてきた。フィリップから見ると叔父は利己的な人で、他人には主の道を説きながら自分は死の恐怖に慄き、生にしがみついている人に思えた。でもいよいよ最後の時を迎え、フリップを呼んで「どうやらもうだめだ」といって涙をこぼした時、フィリップは胸をつかれた。あらんかぎりの力をふりしぼって甥の手をにぎり、死の恐怖と戦っていた。フィリップは叔父を愛したことは一度もなかったし、この2年間というもの毎日その死を願っていたが、今や同情の念で一杯になった。副牧師を呼んで聖餐の儀式を受けた後は、死に対するおびえはなく、幸せな晴れ晴れとした顔つきになり、「いよいよ心の準備ができた」といい、「愛する妻と再会するのだ」と言って亡くなっていった。遺言状で500ポンド位の遺産全てフィリップは受け取ることになり、2年間休んでいた医学校に行って事務長を大変驚かせたが、結局復学させてもらうことになった。人が死ぬ時はみんな同じだと思う。牧師でも、大金持ちでも貧乏人でも、博士でも無名の人でもみな最初は死の恐怖にさらされるのだと思う。闘病の中で次第に悟りを開いていくのだと思う。緩和ケアとかホスピスというのはこの最後の時の痛み対策と心のケアを担当する所だが、そういう所に入らなくても痛みはともかく、心の安定が得られている人もいる。そういう人になれたらいいなと思う。
2008.02.17
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医者の悪筆はよく知れ渡っている。私を含め、私の知ってる医者の殆どは字が下手で、読むのに苦労する。(但し女性医師は別できちんとした字を書く人が多い)カルテはその下手な日本語とドイツ語、英語がまざり、さらに略語などがあり、一般の人は勿論医師が見ても読めないことが多い。看護記録はきちんと読める日本語で書かれているので、医師は必ず読んで参考にするが医師のそれは読めないので始めから無視されている。日本には江戸時代に長崎の出島を通じてオランダ医学が入ってきた。明治になり、ドイツ医学が入ってきて、教科書などもドイツ語(クレンペラー)だったのでカルテもドイツ語交じりで書くことが多かった。数十年前からはアメリカ医学が世界を席捲し、ドイツ語に代わって英語が幅を利かすようになってきた。従って古い医師はドイツ語を用い、最近の医師は英語を用いるようになってきた。昔は医師に特権意識があり、患者や他の者にカルテに書いてあることを分かってもらう必要はなかった。分からないからご利益があるのだの風潮があり、ドイツ語にしろ英語にしろ、日本語にしろ、ぐちゃぐちゃと書いて、わざと分からないように書いているのではないかと思われるような節もあった。しかし最近、求められたらカルテを開示する義務が決められた。開示しても読めないのでは意味がない。また昔と違って医師一人で治療しているのではない。看護、薬剤、検査、栄養、リハビリ、ケースワーカー全ての職種が協力して一人の患者を診ているのである。情報交換するのに一職種だけ読めない字を書いていたのでは診療にさしつかえる。従って医師もカルテは日本語で分かり易く書くことになった。大変いいことである。診療内容がだれが見ても分かるようになれば、診療内容そのものも透明になり、レベルも上がってくることが期待される。今は、分からない字を書いて、患者や他職種を煙に巻いていた時代ではない。今日は医師国家試験の日である。合格者は医籍に登録される。国家試験問題は4択とか5択で4つの中から正しいのはどれかとか間違っているのはどれかなどを選ばせる問題が殆どだ。カルテを日本語できちんと書ける力がなくても合格できる。それではだめだと思う。マルバツや選択問題もあってもいいが、日本語で課題患者の既往歴や現症、検査結果、治療方針等をきちんと書かせて、日本語でカルテが書ける力があうかどうかを合否の基準に含めてもらいたいと思う。今日は試験日で合格発表はまだ先になるが、合格して医師の仲間に入る諸君はあくまでも謙虚に、病者のために自分の全てを捧げ、他の職種と力を合わせ、患者の健康回復に尽力してもらいたいと願う。
2008.02.16
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今回もモームの自伝的小説、「人間の絆」からの話題である。主人公のフィリップは父が残してくれた遺産で医学部5年まで終了し、後1年で医師免許証がもらえるところまで漕ぎ着けたが、丁度その頃、南アフリカでボーア戦争が始まり、株を買えば必ず儲かると友人に言われて株を買い、結果は中々戦争が終わらなくて株は下降の一途をたどり、亡き父が残してくれた遺産を全てつぎ込み文無しになってしまった。その後は病院実習を休学して女性服売り場で働くことになり、1年8ヶ月が過ぎた。フイリップは幼くして両親を亡くし、叔父夫婦に育てられた。伯母には実の母親のように可愛がってもらい、伯母が亡くなった時にはすごく悲しんだ。叔父とは気が合わない所があり、あまり仲がよくなかったが、それでも育ての親だったことには変わりない。その父親代わりの叔父が老齢で病気になり今にも死にそうな状況になってきた。フィリップは株でお金がなくなってしまった時、叔父に金を貸してくれと手紙を書いたが断られている。生存中は無理だが死ねば叔父の遺産が手に入る。そうすればまた医学部に復学できると考えた。フイリップは内省心のある心優しい青年だった。そのフィリップが瀕死で重症の叔父を目の前にしても、なんの後ろめたさも感じないで、早く死んでくれと願っていた。人間、立派そうに見える人でも、切羽詰るとこんなにも無慈悲で、自分勝手でお金の我利我利亡者になってしまうのかと恐ろしさを感じた。この先どうなるか読み進まないとわからないが、フィッリップの魂の成長に引かれてずっと読み進んできたが、最後は醜いフィリップで終わるのではあまりに寂しい。フィリップよ医学部復学よりも叔父の命を大切に思ってくれ。
2008.02.15
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いよいよ四月からメタボリックシンドロームに焦点を合わせた特定健診・特定保険指導が始まる。40歳以上74歳未満の国民全てが受けなければならない健診とその指導である。糖尿病、脳卒中、心臓病などの生活習慣病を予防するのが目的で、この健診によって2015年までに2兆円の医療費削減を目指している。注目すべきは健診に腹囲が登場したことである。体格の違いを無視して、一律に腹囲男85cm以上、女90cm以上の人を拾い出し、そのうち血糖値、血圧、脂質のうち何個のリスクファクターを持っているかによって、積極的支援、動機付け支援、情報提供グループに分けて指導を行うことになっている。腹囲85cm(男)と90cm(女)が基本で、それに引っかからない人はBMI25%以上の人を除いて最初の段階で特定保健指導をする対象から外れる。従ってこの腹囲が基本中の基本になるが、その測定の仕方はへそを通る線で息をはいた状態で測定する。この基本になる腹囲がメタボの実情に合っていないとして、検討しなおすことになっているが既にコンピューター等にこの数字を組み込んで何億円もかけているので、今年度はこの数字でスタートするとのことである。しかし将来的には外国で採用している、男90cm以上、女85cm以上になるのではないかと言われている。私は明日、特定健診・特定保健指導について講演することになっている。この85cmと90センチのことをどのように話そうかと考えている。腹囲の問題を解決して、狙いどうりに生活習慣病が減って医療費が削減できたらいいと考える。
2008.02.14
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昨日の朝は有価物収集の日だったので朝6時から新聞紙やダンボールを決められた所に出してきた。先月出しそびれたのでペットボトルその他一杯あったので、朝勤めに行く前に何回も出しに行くのは大変なので夜の内に出せればいいなと思った。かっては前日の夜出していたが、ある時から夜出さないで朝出すようにとの回覧板が回ってきた。夜わいわい騒いだり、がらがらひっぱって出しにいくのはうるさいのと、夜出していいことにすると、自分達の自治会でない人が夜置いていくと言うのが理由とのことだった。夜は時間があって出し易いが、朝だと寒いし早起きしなくてはならないし、時間もないので大変不便で、出す人が激減し、自治会に入るお金も少なくなってしまった。夜出せないのは不便だし収入も減ってしまうので、夜出してもいいようにしようと組で決めて自治会に提案するように決議したが、朝でないとだめだと強硬に言い張る人がいて、未だに多くの人が不便を感じながらそれに従っている。朝、私が資源ごみを持って行くと業者の人が寂しそうにトラックの脇に座っていることが多かった。夜出していい時には山のように資源ゴミがあり、商売になったが、朝だけだとほんの僅かで商売にならない様子で気の毒でならなかった。朝だけだと言い張る人は夜自分がうるさく感ずるからだろうが、月に一回のことである。ましてやそれは自治会の収入になる。自分はともかく一般的に考えて夜のうちにも出せる方が都合がいいことが容易に想像できるはずである。自治会の幹部にも分かっていると思う。でも強硬に言う人がいれば逆らえないのだろう。自治会の決定は逆らえないことになっていて夜出した人はきまりが守れない人として非難される。どんなに不合理なことでも発言力のある人の意見で多くの人は虐げられ、がまんしなければならない。不合理なことなので私が自治会の役員になったらきちんと言おうと思っている。でも今はそういう決まりになっているので従うしかない。でも今度ばかりはペットボトルや一升瓶、ビール缶等が一杯あり、朝だけでは運びきれないので掟破りを知りながら半分前夜に出してきた。不合理なことでも掟は掟である。それを破るのはかなり気が引けたが今回ばかりは勇気を出して掟破りをした。有力者の意見で不合理が掟としてまかり通っていることは多いと思う。その有力者と対決して合理は合理、不合理は不合理を分かってもらうべきだと思っている。
2008.02.13
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去年6月に成立した「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」によって、平成20年度決算から、これまで一般会計から切り離されてきた自治体病院の会計を連結することが決定。赤字の割合が標準財政規模の40パーセントを超えた自治体は、国から「財政破綻」と判定されることになった。全国の自治体病院の70%は赤字である。赤字病院をかかえる自治体は赤字の病院を閉鎖するか存続するかの瀬戸際にある。昨日のクローズアップ現代で北海道・赤平市の市立赤平総合病院のケースを取り上げていた。不良債務26億円の市立病院の今後について、住民達にアンケートを実施。「住民の健康」か「町の財政」かの選択で住民は病院存続をとった。市職員の給料をカットしてその分を病院運営にまわし、消防車その他金になるものは売って何とか病院を守ることで動き出した。市民一人当たり1万円ずつ出し合って病院を守ろうとしているのである。しかし国の政策は無慈悲である。療養型病床をあと4年(2012年まで)で16万床減らすことが決定している。150床の病院を1000個以上潰すのである。そして今度は地方財政健全化なる法律でしばって市町村立病院を潰そうとしているのである。赤平市の住民のようにそれに立ち向かう人たちもいるが国の権力は甚大で住民達は押しつぶされてしまうだろう。新研修医制度を作って地方の病院の医師不足をもたらし、それによって病院が潰れるのを期待したが、それだけでは目標数まで潰れないとみると新たな法律を作って病院を減らそうとする国の方針は、金に目がくらんで国民の生活や健康を全く考慮しない血も涙もない政策と言わざるを得ない。病院を潰す政策をもう一度検討しなおしてもらいたいと切に望む。
2008.02.13
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歩き始めたばかりの1才児が我が家に来ていた。自分の気の赴くままにとことこ歩いていき手当たり次第にスイッチを押したり、ひっぱったり、抜いたりする。手に入る物は何でも口に入れる。耳掻きの先についている綿ボール、ゴミ箱の中に捨ててある薬の抜け殻、ボールペン、碁石、何でも舐めたり口の中に入れてしまう。咽喉に詰まらせてはいけないのでそれだけは注意していたが、その他衛生的なことは諦めた。床に落ちているもの何でも、埃や砂がついていても構わず口に入れていてよく病気にならないなと思った。ピロリ菌の感染率が日本人の50歳以上だと約50%だが、若い世代になるとその感染率がぐっと落ちてくるのは日本の衛生状態がよくなってきたからと言われている。幼児は何でも口にいれるので、住む環境そのものの衛生状況がよくなってきているのかなと思った。大人になってからは食事の前には手を洗いましょう、汚れたものは洗って食べましょうなどと心がけるが、ピロリ菌のように幼児期に感染して慢性に感染している病気は防ぎようがない。東京医科歯科大の藤田先生は寄生虫を自分の体内に飼っており、清潔を気にしすぎる最近の風潮に警鐘をならしている。無菌人間は免疫力がつかなくて、病原体がちょっと入ってきただけですぐダウンしてしまう虚弱体質の人間になってしまう。多少の汚れなど気にしないふてぶてしい子に育てた方がいいと述べている。先生は寄生虫との共存を自ら実践しているが、その他目に見えない微生物とも我々は共存している(大腸内の細菌など)。持ちつ持たれつだと思う。いくら清潔にしても完全無菌にはならないし、第一幼児期には何でも口にいれているので清潔にあまり神経質にならないほうがいいと思う。手術室とか、調理室、食堂、歯科、理髪店など業務上清潔がなければ成り立たない所は別として、日常生活ではもっとおおらかになっていいのではないかと思った。
2008.02.11
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滋賀県に住む息子夫婦がたねやのバームクーヘンを送ってくれたので、昨日3時頃食べた。昼食をろくに食べていなくて空腹だったこともあってかすごく美味しくて幸福感に満たされた。食べるものが美味しくて幸福感を味わったということを人からはよく聞くが自分がそれを感ずることはまずないと思っていたが、今回はまさに幸せを感じた。今朝起きる時、あのバームクーヘンがまだ少し残っていたみたいだから今日も食べられるなとうれしくなった。食べ物でこんな感じになったのは初めてで不思議な感じがした。たねやのホームページをみたらそれこそ真心こめてバームクーヘンを作っていることが書いてあったが、その真心に触れたのかも知れない。今はメタボリック・シンドロームなどといって食べ過ぎてはいけない、グルメはいけないなど厳しい規制の風潮があり、食べ物、特に菓子が美味しいなどといったら国賊扱いされかねないが、美味しいものは美味しいのである。これからも美味しいものには遠慮なく感動していこうと思っている。
2008.02.10
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病棟を回診していると、上が白で下が黒のユニホームを着た若者達をあちこちで見かけた。看護師ではなさそうだ。薬剤指導の薬剤師でも、栄養指導の栄養士でもなさそうだ。よく観察していたらOT,PTなどの理学療法士や言語訓練士、心理療法士などのリハビリテーションを担当している人達だった。自分はリハビリ依頼書を書くだけでどのようにリハビリしてくれているのか見る機会がないが、結果は歴然としている。リハビリとは元に戻すという意味らしいが、障害のある患者さんがかなりのところまで回復するのを目の当たりにみている。全然口がきけなかった方が、かなりしゃべれるようになったり、だらんとしたり、かたまっていた手や足が少し動くようになったり、驚きの連続である。脳卒中で口もきけないし、手足も麻痺して動かない。丸太のように転がされていて寝ダコができて見るも無残な姿というのは昔の話である。今ではリハビリの人達の活躍(看護師さんも加わっているが)で寝ダコを作る人は少ない。患者さんに向上しようとする気持ちを起こさせ、無味乾燥、屍になるまで仕方なく生きる状況を完全に脱しさせてくれる。リハビリに携わっている人たちは皆若い。若ければいいというわけではないが、若き情熱が壊れたお年寄りの機能を回復してくれるのかもしれない。若者達よ!あらゆる可能性を秘めた若者達よ!君達にはあらゆる所から誘いがある。自分にもしたいことが一杯あって何をしたらいいか分からない人もいると思う。自分が真にやりたい道に進まれることを願っているが、リハビリテーションの仕事は素晴らしく、真にやりがいのある仕事だと思う。進路に迷っている人がいたら是非リハビリに挑戦してもらいたいと思う。
2008.02.08
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背中に負ぶさってご機嫌の子供つくば市に嫁に行った娘が子供を抱いたまま倒れて、子供は無事だったが自分が怪我をして子供の世話や家事ができないとのことで里帰りしてきた。おかげで孫と一緒に生活できることになった。よちよち歩きで何処へでも行くので転落しないかとの不安、食事中何にでも手を出して皿をひっくり返す、落ちているもの、手に入るもの何でも口に入れて、のどに詰まらせたり、有毒物質を舐めたりすることの心配があり、ひやひやどきどきの毎日だが、本人は全く意に介せず天真爛漫に活躍している。井上勝六氏の新刊「脳で食べる」丸善書店を送って頂いたが、その中に子供の笑顔について書いてあった。子供は本能的に笑顔を作る遺伝子を持っており、それによって周りの人から愛され好かれ、無事成長することができるとのことである。しかし子供が言うことをきかないで泣き叫び、憎らしいので、叩きつけて殺してしまったという事件があった。笑顔の子供は可愛いが、泣き叫び、叱っても泣き止まない子供は邪魔者として災難を受ける可能性がある。子供が泣くのは自分が満たされていないことや、自分に苦痛があることを知ってもらいたくて泣くのだが、その前に周りの大人に不快感を与えてしまう。これでは身を守ることにならない。これらの子供には笑顔の遺伝子が不足しているのであろうか?そうではないと思う。いつも泣いている子供は両親から満たされていないのだと思う。満たされていれば子供は自然に笑顔になり周りの誰からも愛される。満たされていないと何時も泣いていて周りから嫌われ、うとまれ、身の危険にもさらされる。なにも知らない幼児にはその責任はない。いつも笑顔でいられるように子供を育てるのが両親の役割だと思う。母親と父親で力を合わせ、子供がいつも笑顔でいられるように温かい愛情を注いでもらいたいと思う。
2008.02.07
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写真は2月3日に降った雪の上で遊ぶ子供である。1歳2ヶ月である。この子も大きくなたら友情とか恋愛に関わることになると思うので今日のテーマは友情にした。モームの自伝的小説「人間の絆」も最後の方に近づいてきた。医学生フィリップは5年間勉強し、後1年で医師免許がもらえるという所まできた時に、学業を支えていた父親の遺産を株で摩ってしまって、文無しになってしまった。下宿代も払えず野宿するような境遇になってしまった。医学生として病院勤務していた時に受け持ち患者だったアセルニーが退院する時、「遊びに来てくれ」と言ってくれたので、遊びに行って奥さん子供(9人)全てと家族ぐるみの付き合いをして、毎日曜日遊びに行くのが楽しみになっていた。文無しになって食べるものや寝る所もなくなった時、アセルニー家のあたたかくて美味しいご馳走のことが、頭に浮かんだ。しかし、金があって医学生だったフィリップだったから歓迎してくれたが文無しの自分は前と同じようには迎えてくれないと自分で思い込んでしまい、中々行くことができなかった。でも2週間ぶりにおそるおそる訪ねてみたら、前と同じように子供たちがまつわりついてくれた。アセルニーも奥さんも前と同じように接してくれたが、フィリップの心は前と同じようにはいかなかった。文無しと知ったら追い出されるかも知れないと思ったりした。実はアセルニーは約束していた先週の日曜日にフィリップが来なかったことを不思議に思い、彼の下宿を訪ねており、フィリップが何週間分も下宿代をため、今は何処にいるかも分からないことを下宿のおばさんから聞き出していたのである。文無しを知っていながら前と同じように迎えてくれたのである。年は離れているが、彼らは真の友情で結ばれていたのだと思う。アセルニーは一番末の子供を年長の子と同じ部屋にさせ、フィリップに寝る所を提供してくれた。そして自分が勤めているデパートの臨時職員(ボーア戦争で南アフリカに出兵した人達の穴埋め職員)も斡旋してくれた。金があるなしで友情が結ばれたり破綻したりすることはないと言われているが、実際には金の切れ目が縁の切れ目で、文無しになった人間は友達でも何でもないとそっぽを向かれることが多い。金を貸してくれと言われたり、保証人になってくれなど碌なことはない。できることなら貧乏人とは関わりたくないと思うのが本音だと思う。アセルニー夫婦は違った。文無しで、医学生を続けられないかも知れない乞食のようなフィリップをあたたかく迎えてくれたのである。涙が止まらなかった。今フイリップはデパートでお客さんの案内係等の仕事をしているが、医学生に戻りたいとの気持ちはある。しかし何ヶ月も休んでカムバックするのは難しいし、お金のあてもない状況では今後、医学を断念するのではないかと思うが、そんなフィリップをアセルニー夫婦は心より迎えてくれた。大抵は夫が「友人を数日家に止めてやろう」と言えば奥さんが旦那の袖をひっぱって片隅に呼び、「何ということ言うの」と怒られることが多いが、彼女は心から迎えてくれた。その人ありてその奥さんありだと思った。フィリップが医学を続けることになるのか断念するのかまだ分からないが、いい友人をもったことは大きな財産だと思う。立ち直ってもらいたいと願う。
2008.02.06
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私は今、入院患者さんを10人前後受け持っている。大半がご高齢で、99歳の女性と83歳の女性は口から食べられないので胃婁を作って胃に直接栄養を注入している。83歳の女性は何も食べなくなったからと来院したのだがが、殆ど意識がなく、脳梗塞が進行した状況だと思われ、口から食べさせようとしても無理で、点滴とか鼻から管を入れて栄養していたが、胃婁の方が肺炎等を起こしにくいので、胃婁を作って胃婁からの栄養を開始している。心臓など全身状態も悪いので、健康状態は思わしくなく、今後予断を許さない状況だが、今日は呼びかけに対してかすかに目を開けようとして、口も少し動かした。脳のMRI検査では脳萎縮が著明で、回復の可能性は極めて低いが、少しでも目を開けようとしたり、口を動かしてくれると嬉しい。意識もなく、会話もできないような状況の人に人工呼吸や経菅栄養で人工的に生かすことは医療費の無駄使いとの批判がある。寿命がきたら人工的な手を加えないで静かに見守るのが自然の流れで、その方が本人にとっても幸せだとの考えだ。でも自然に死んでいくといっても何も食べられないでだんだんやせ細り、餓死して行くのを見ているのは耐えられない。できるだけのことをしてやりながら、寿命がきて死んでいくのが理想だと思う。もうだめだと思っても栄養がよくなれば結構よくなるものである。99歳の女性は来院時は殆ど反応がなかったが、リハビリテーション効果で今では車椅子に乗れるし、私が回診に行くと、はっきりした声で「奥さん元気ですか」と言ってくれる。脳梗塞の80歳の男性は死ぬ寸前だったが持ち直し、一時は全く食べられなかったが、今はかなり食べられるようになり、勿論口もきけなかったが今朝は「どうも」とはっきり言ってくれた。どの段階ならもう手をかけなくていいというのは難しいと思う。医療費の無駄使いの批判があっても最後までできるだけ看病するのが、社会の責任だと思っている。
2008.02.05
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今日は朝から大雪で9時過ぎの今も降り続いている。今日は日曜だが明日の勤務のことを考えると心配だ。困ったと思う。しかしこのような自然現象には困ってもキレル人はいない。キレルのは人間関係においてである。メディカルトリビユーン紙1月24日号に目白大学の子供学科の山崎教授がいじめとキレル子供について書いており、キレルのは、なにかのきっかけで頭の中が真っ白になり、前後のみさかいがなくなり、通常ではありえない行動を行ってしまう状態で、些細な刺激、注意、叱責、批判などに鋭く反応し、限度を超えた激しい行動に走ることとしている。その原因は最近の子供は友人関係が希薄で、他者に対する基本的な信頼関係が乏しく、人とのかかわりに不安を持っていてこのキレルことは一つの武器で、身を守るためにこの武器を持ち歩いていると書いている。子供の世界には(大人の世界にもあるが)いじめがある。弱いものが虐められる。そんな時このキレルという武器を振り回せば大抵の場合、いじめっ子達は逃げてしまう。いじめも他者とのかかわりの中で基本的なルールを習得することが不十分となり、衝動をコントロールすることができない子供が増えていることが原因と述べている。いじめもキレルのも他者に対する基本的な信頼関係やルールが身についていないことを原因にあげているが、家庭、社会(テレビなど)、幼稚園、保育園、学校での教育において、もっと他者との関係を重視していく必要があるのではないか。今は他者より、自分の子供の学力やその他の能力を伸ばすことに一生懸命な父兄が多い。自分の子供に対する扱いが不満で学校に苦情を言いに来る父兄が増えているとのことである。それより他人の子供と自分の子供がどのように関わっているかに目を向けてもらいたい。先日NHKの番組で、大人のキレルのをとりあげていた。大人のキレルのは正義感に基ずく場合が多いが、それも限度があると思う。警察ざたになるような暴力を振るってはだめだと思う。大人でも他者に対する配慮は常に忘れてはならないことだと思う。
2008.02.03
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前回のブログに、医師不足は官僚による低医療費政策を基本とする病院削減政策によってもたらされたものだと書いたが、そのような政策を立案し、実行している官僚、または上級国家公務員とはどのような人達なのか書いてみたい。それはまず国家公務員試験に合格して省庁に採用された人達である。上級甲種、または1種に合格して幹部候補生として中央省庁に採用されたものを通称キャリアと呼び、出世が約束されており、退職後は、今までは天下り先が保障されており、地位的にも経済的にもエリート街道を歩む人達である。ノンキャリアとはキャリアになれる試験以外に合格して国家公務員になった人達で、同時期に採用になってもキャリアとは昇級が全く違い、その後の人生が全く違う人達である。同じ公務員でありながら、あまりにひどい差別だとして、平成19年の法改正で、「人事管理は採用試験の種類に捉われず能力に応じて平等になされなければならない」と規制されたが、ノンキャリアが幹部になれる可能性はまだまだ極めて低い状況である。国家公務員試験に合格する人は優秀な人達ということになっている。またその後も何十年も同じ省庁で働くので、政策のプロを自認し、プライドを持っていることが考えられる。しかし年金記録のずさんさや、空前の医師不足を来たしている医療政策を取り仕切っている厚生労働省官僚や前防衛省事務次官の行政能力や倫理観をみると果たして優秀な人たちなのだろうか。この人達に国をまかせていていいのだろうか?と思えてくる。国家公務員試験を受ける時、国民の僕(しもべ)として、一生国民のために心血を注いで国家の仕事に当たると決意して受検したのだろうか?その志を持って公務員になった人も多いだろうが、収入や地位が約束されているとして公務員になった人もいるのだと思う。キャリアは豊かな生活が保障されていて、社会経験も乏しく、下々で貧困や病気で苦しむ人たちの苦労は知らない。そのような人達が政策を立案するのだから血も涙もない政策が出てくるのだと思う。官僚が国会議員に転出している場合も多い。国会議員は表舞台なので注目されるが、実際には裏で仕事する官僚の方が実務力を持っているので力は振るい易い。その官僚が心から自国や世界のことを思い、国民一人一人のことを思って仕事してくれたら日本はよくなる。しかし国を憂い、国民のことを心から思い、身を削って国民のための政策を立案し、実行しているキャリアは少ないのが現状だ。名目上は、国民主権で国民が国会議員を選び、国会議員が官僚を使って国民の為の政治を行うことになっているが、実際はその逆で、官僚が国会議員を動かして、主権者である国民が虐げられているというのが実情である。官僚の質の問題だと思う。国家公務員試験のありかたを改善する必要があり、財務省、外務省等に採用されたらずっとその省庁で働くのでなく、国家公務員として採用されたら数年交代で各省庁を移動するシステムにした方が、国僕としてのモチベーションが高まるし、汚職も少なくなると思う。医学部入試で面接が重視されてきた。成績だけでなく本当に苦しんでいる人たちを救いたいという情熱を持った人たちを合格させる道が模索されている。官僚は実務で国を動かし、国を支え、国民を守る立場の人達である。その試験では学科試験だけでなく、面接を重視してもらいたい。真に国民のために尽くす情熱と誠実さを持ち合わせた人達に国家公務員になってもらいたいと願う。
2008.02.02
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