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昨年暮れの忘年会の抽選でウォークマンが当たった。使い方が分からなかったが義息がブルーツース機能を使えば、ウォークマンに録音した音楽やラジオ講座などは車のオーディオでも聴けると教えてくれた。早速ウォークマンを車の中に持ち運んで、ブルーツースで無線接続できるかどうか試みたが、うまく接続できなかった。それで諦めるような私ではない。以後も何回も何回もペアリングを試みたがだめで新しい年になってもう3ケ月も過ぎてしまった。半分以上あきらめていたが今度は車のディラーにお願いしてみたところ、どういう操作をしてくれたのか分からないが、見事に接続できるようになった。うれしかった。家内からよく私はしつこい性格だと言われている。普通の人は一回接続できなければ諦めるというのだが、私には諦めきれなかった。年取ってから始めた語学の学習を車内でウォークマンを使って繰り返し学習できるならありがたいと、何とか接続しようとしつこく粘った甲斐があった。通勤時間は片道30分位かかるので今は録音した語学講座や音楽をずっとウォークマンで聴いている。科学技術の進歩は目覚ましいと思う。自分の頭はそれについていけない状況になりつつあるが、せっかく当たった景品を有意義に使いながら語学力をアップさせていこうと思っている。
2014.03.31
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もうすぐ9時になるので当直任務は次の人に引き渡される。病院から帰るに当たり、朝5時半に来た台湾からの旅行者89歳の女性患者さんを紹介したい。石和の旅館に泊まっていて朝3時半頃テーブルにつまずいて転倒、右股関節痛と右耳切創、外国のことだし我慢していたが思い切って当院に電話して来院した。耳の傷は2センチ半くらい切れていたが外科テープで縫合した。問題は股関節、X線撮影の結果右大腿頸部骨折、どうするか?日本でこのまま入院して手術してもらうか、帰国して治療してもらうか家族も判断に迷ったが、私は「車椅子でも飛行機には乗れると思うからあす帰国の切符が買ってあるならそのまま帰って台湾で治療してもらいなさい」と台湾の病院に紹介状を書いて帰した。外国で病気になったり怪我したりした時は大変だということも書きたかったが本当に書きたかったことはその患者さんの日本語である。ペラペラの日本語で骨折しているのか、軽いのか、重症か?料金はいくらかかるのか?など同年齢の日本人高齢者顔負けの会話力でレントゲン撮影した技師さんも驚いていた。日本の植民地時代日本語教育を受けたとのことだが、あれから70年も経っている。その日本語が全然錆び付いていないのだ。私の想像だが、日本びいきで今までにも何回か日本に旅行して日本語に触れていたのかもしれないが、18歳くらいまでに学んだ言語は少しも劣化しないで死ぬまで通用するのだなと思った。50歳過ぎたり、60歳過ぎたりして他国の言語を学んでいる人もいるがそれは中々厳しい。しかし若い時学ぶとそれは容易に身について、しかも死ぬまでその言語に堪能でいられるということをしみじみと感じた。
2014.03.30
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次から次に救急患者さんが来ている。発熱者が大半でA型及びB型インフルエンザがほぼ同じ位だが、A型の方がやや多いかなという印象である。今日から発熱したという人は検査してもインフルエンザが陽性に出ないことが多いので、家族や職場にインフルエンザの人がいる場合はインフルエンザとして対応している。
2014.03.29
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気候が寒かったのと大雪の影響で例年は2月中に咲く木蓮がやっと2日前に花ひらいた。この木蓮は博士号をいただいた記念に植えた木なのでこの花が咲くと博士号のことが思い出される。今小保方さんが早稲田大学に出した博士論文が問題視されているが、内容については検証されなければならないがそれを書き上げるまでの努力は大変なものだったと思われる。私たちはインターン闘争、博士号ボイコット運動の最中に卒業したので、すんなり博士号を取る人はいなかった。それでも卒業後数年してボツボツ博士号を取る人が出てきて、友人が博士号を取った話を聞いて自分はその当時国立病院に勤めていたが「自分もどこかの大学病院に入れてもらってもっと勉強したい。そして運よく博士号が取れたら幸せだ」と思い、当時北大の先輩が北里大学に勤めていたのでその先生の紹介で北里大学に入れてもらうことになった。今では食事の量が多いとかおかずの数が多いとかで喧嘩の絶えない老妻が、よく甲府から相模原に移転することに同意してくれたと思う。1歳と4歳の子供がいて大変だったと思うが、「もっと勉強したいというのなら」とあまり反対されなかった。北里大学では、職員として給料をもらって働く傍ら、研究員として勉強も教えてもらえる立場になった。その研究員仲間は大学を卒業したばかりの若い人がほとんどで自分はすでにその時35歳を過ぎていたので若い人たちの中で気後れすることがあった。そんな時たまたま山梨から相模原に来てくれていた母親が、「そんなことはすっかまちょし!」と言って励ましてくれた。今でも鮮明に覚えているが、以来、年を食っていても怖じけることなく若い人たちと一緒に勉強させて頂いた。論文を書くときには夜間お勝手の板の間で家内に手伝ってもらって大きな表を作って受診者の特性を体重、検査値とその推移、タバコや酒の量などを書き入れ、検査値相互の関係性等を家内に計算してもらって記入していった。平均値を出したりする作業はかなり膨大で、彼女の助力がなければ博士論文は書けなかったと思う。北里大学に行ってから6年目の昭和57年(1982年)、今から32年前で私41歳の時に論文審査にパスして博士論文を頂いたが、その時はお世話になった皆さまへの感謝の気持で一杯になった。あれから32年、この木蓮も32歳になった。早いものである。博士号を頂いた時、指導教官の先生が、「これで偉くなった訳ではない。これは研究者としてのスタートの儀式だ。これからも研鑽してください」と言われた。私もそのつもりで努力してきたが、今後も同じ気持ちで努力して行こうと思う。
2014.03.29
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家と勤め先の途中にあって比較的近いところにある石和健康ランドという入浴所に行ってきた。中に入って驚いた。牛乳風呂みたいな炭酸ガスによる白い風呂や、薬草風呂、信玄の隠し湯、昔懐かしい樽風呂など20個も風呂があり、数分ずつ入ってみたが、なんとも贅沢な気分になった。2階にはマッサージルームやテレビ休憩室、囲碁や将棋をする部屋もあり、1階にもスロットルやパチンコみたいなゲームがあり、食堂も充実していて注文するとすぐ運ばれてくる感じで至れりつくせりでお殿様になったような気分になった。食事やマッサージなどは別料金を払わなければならないが24時間どの風呂に何時間でも入って休憩室で何時間でも休憩してよい入場券は1995円である。入浴料としては少し高いかもしれないが贅沢な気分になれてリラクゼーションもできて最高だと思い、また行きたいと思った。石和にはこのほかに瑰泉という同じような温泉場がある。通勤途中にあり、広い駐車場は昼も夜も朝もいっぱいである。24時間営業で健康ランド同様休憩室もあるらしいので皆さん24時間楽しんでいるのではないかと思った。こちらのほうにもいつか行ってみたいと思った。いずれにしても大変な殿様気分が味わえてこの世の春を経験してきたが、現実に戻ると厳しい。今日の外来も入院などがあり、パニックになりそうになった。昼御飯が食べられたのは2時半を過ぎていた。明日はまた死の当直である。健康ランドで頂いた生気も使い果たしてしまいそうである。でも苦しい仕事のなかで却ってエネルギーを生み出す人もいるので、厳しい状況の中でもパニックになりそうになったら深呼吸してエネルギーを入れながら生き生きと仕事して行こうと思う。
2014.03.28
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山梨県厚生連から平成24年度健康管理活動報告書を送って頂いた。さすが全国でも有数の健康管理施設なのでがん発見数等括目すべきデーターが沢山あった。乳がん検診の成績では数多くの乳がんが発見されており、人間ドック受診者のうち、視触診、超音波、マンモグラフィの3検査全てを受けたグループ中の乳がん発見数は29例あったが、そのうち視触診で指摘していた症例は1例もなかった。このデーターでみる限りもっとも金と労力と時間がかかる視触診は検診には無効であることが分かるが、いまだに厚労省はそれを行うように推奨している。数年前東北の乳がん検診グループの報告で視触診をしないと見落とされるケースがあるとのデーターが示され、それが新聞でも報道されて一層視触診重視の流れがでてきたが、見逃される例は確かにある。今回の山梨県厚生連のデーターでも、超音波検査と視触診のみのグループでの発見状況を見ると、5例が超音波のみでみつかり、1例が超音波では見つからなくて視触診で見つかった。きわめてまれなことだが、そのように発見能力の低い検査方法に多額のお金をかける意義がどれだけあるだろうかと疑問に思う。超音波やマンモグラフィにも見落としはあるが、視触診のそれとは比較にならない。上記3種の方法全てを用いた検診で発見された乳がんで1例も視触診では指摘していなかったことは既に述べたがマンモグラフィでも18例は指摘していたが6例は見逃されていた。超音波でも18例は指摘していたが5例は見逃されていた。超音波かマンモグラフィで見逃されていたものが合計で11例もあったことを考えるとマンモグラフィと超音波両方とも行うのが最も見逃しを少なくする方法と考える。厚労省は殆ど発見能力がない視触診に多額のお金と労力をかけるのではなく、超音波とマンモグラフィ両方行う方式を推奨すべきだと強く進言するものである。
2014.03.26
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今夜のテレビでがんを克服して体力作りに励む鳥越俊太郎さんを拝見した。65歳で直腸がんを手術し、その後肺に転移し、肝臓にも転移したがいずれも手術で切除して現在すこぶる健康、70歳で筋トレをはじめ72歳ではホノルルマラソンを完走した。主治医が8年以上経っているのでがんは克服したと言っていいのではないかと言っていたが、本人はまたどこかに転移が出てくるかもしれないので、それに備えているとのことだった。驚いた。一般的にがんが肺や肝臓に転移したら終末状態である。転移したがんを切除してもその時点で既にあらゆるところに目に見えないような小さな転移が数多くあり、切除しても、切除しても小さかった転移巣が目立つようになってきて、5年以上生きる人は極めてまれである。人間は病気などにはころりとやられてしまうか弱い存在のように思われていたががんと正面から向き合い、出てきたがんは片端から切除して健康を保っている人がいるとは驚きで、弱いどころか鉄人だと思った。全ての人がこのような経過をとるとは限らないが、このような人がいることは他にも同じような人が存在することが推測できる。人間とはそんなに弱いものではないと思った。野菜中心の食生活や筋トレ等、健康にいいことを積極的に実行しており、それらも良い経過と関係あるかもしれないが、気持ちの持ち方が最大要因ではないかと思った。がんと言われても決して慌てふためかないで必要な手当てをきちんと受け、その後は生活習慣が悪かったからがんになったとして生活習慣をがらっと変え、がんは自分の生活習慣を変えるきっかけを与えてくれた有りがたい病気だと思ったというのだからすごい人だとしみじみ思った。
2014.03.24
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BMJという医学雑誌(2014;348:g366)にカナダのトロント大学のB.Miller氏らが、マンモグラフィ検診の有効性についての研究結果を報告した。1980年から1985年までにカナダの6州で実施された検診についてマンモグラフィ検診を受けた人約5万人と受けない人約5万人を最長で25年(平均21.9年)追跡して乳がん罹患率と死亡率を比較した。全期間でマンモグラフィ群3250例の乳がんが診断され、500例死亡し、対照群は3133例の乳がんが診断され死亡例は505例で統計学的有意差はなかった。これだけ多数の母集団を20年以上追跡したデータなのでかなり信用性が高いが、当時のマンモグラフィの機器の精度や画質などに問題があり、撮影技師や読影医師の研修や試験が正確に行われていたかなどの問題もあり、この結果をうのみにしては危険だとの指摘もある。わが国では撮影技師や読影医師の資格試験があり、5年で更新する制度である。私も6月に東京に更新テストを受けに行く予定である。上記のような論文が発表されると乳がん検診に対する風当りは強くなる。読影力を高め、有効というデーターが出るようなきちんとした検診を行って行きたいと思う。
2014.03.23
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義兄が庭先にある小さな畑にジャガイモを植えに来てくれて、帰りに入院中の姉のことを話してくれた。脳梗塞の再発作で県立中央病院に入院し、今は以前入院していたリハビリテーション病院でリハビリ療法を受けている。左半身麻痺で左手左足は全く動かない。口は何とかきけるが寝たきりである。義兄が毎日通って面倒を見ている。色々気遣いして介護しており、本当に頭が下がる。今日は、県立中央病院、その前にいた介護施設、そして今のリハビリテーション病院で関わってくれているすべての看護師、理学療法士、医師、介護士、ソーシャルワーカーなどの名前を覚えていて、皆さんよくやってくれて感謝しており、その人の特徴や出身地まで知っているのには驚いた。毎日通っているので医療スタッフと親しくなり、治療や介護をしてくれる様子を観察しており、あの人はこのようにしてくれた、この人はこうしてくれた等実に詳細に把握しており、医療人とすれば大勢の患者さんの内の一人として職業的に仕事しているのだと思うが、患者の家族にしてみれば妻に対してどれだけ良くしてくれるかが全てである。他の患者さんには親切かも知れないが、自分の身内に対してはどうなのかで評価されるのだ。大勢の患者さんを診ていて超多忙だと一人ひとりには手が回らなくておざなりになることがある。我々医療者にとっては患者さんは大勢の中の一人である。患者さん側からは、医療者一人一人が自分に対してどれだけ尽くしてくれるかで評価する。忙しい、忙しいなどとばかり言っていられないと思った。
2014.03.23
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この度、OECD(経済協力開発機構)が夫が育児や掃除洗濯、食事の準備などの家事に1日の内どれだけの時間を費やすか26ケ国についての調査結果を発表した。1位はデンマークで3時間6分、2位はノルウェイで3時間4分、3位はオーストラリアで2時間2分、4位はエストニアで2時間49分、5位はスロベニアで2時間46分であった。反対に少ないほうでは1位韓国で45分、2位日本1時間2分、3位ポルトガル1時間36分、4位イタリア1時間30分、5位メキシコで1時間53分であった。北欧の2国は3時間を超えているが、日本はワースト2位で1時間しか家事をしていない。私は殆ど何もしていないので、平均時間を押し下げる役割を果たしてしまったのではないかと思う。三重県熊野市に住む私の友人は料理、洗濯、お掃除、草取り等何でもして奥さんを助けているとのことで、時間にすれば北欧人並みかも知れない。私はゴミ出し、家内を買い物に乗せていく、新聞を束ねる、たまに庭の草取りをする程度で、時間にすれば20分未満かも知れない。ワーストワンの韓国の男性より下のことは間違いない。私は甘やかされすぎているのかもしれない。もう少し家事に積極的に関わっていかなくてはいけないと思った。
2014.03.22
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今日はお彼岸の中日でお墓参りに行ってきた。今は甲府に住んでいるが生家は車で約50分位の南アルプス市藤田という部落なのでそこのお寺に眠っている両親、親戚の人、恩師、二人の小学校からの同級生、同級生で友人だったS君の弟や両親にお線香をあげてきた。二人の同級生は20歳代に交通事故で亡くなった。S君の弟は学生時代車のラリーに参加していて車ごと転落して死亡した。その当時南アルプス市藤田というのは田舎だった。村での高校進学者は少なく、ましてや大学進学者は何年かに一人いるかいないかくらいの状態であった。その中でS君は優秀で東大に合格した。S君の家と私の家は近かったので毎晩家族ぐるみで我が家の風呂に入りに来た。だから弟や妹さんも入浴以外でもよく遊びにきていた。その弟さんが亡くなった時はショックだった。兄が東大に受かるくらいだから弟も妹も優秀で、私の母もその二人に期待して実の子供のように可愛がっていた。その弟が亡くなり、おじさん、おばさんも結構早く亡くなってしまったので何十年間と墓参りしているが、今日はなぜか東京に住んでいる妹さんのことが気になった。例年では、私がそのお墓に行くと既に花や線香が上がっていて彼女が墓参りしていったなと思っていたが、今年は花も線香もなかった。年賀状も宛先不明で帰ってきてしまった。どうしているのだろうか?あたまが良くて性格もよく、母同様私も彼女を大好きだった。一緒に遊んだのは中学くらいまでで、その後はかなり学年が離れていたが別々の高校に進み、彼女は高校卒業後東京にでて就職し、しばらくして歯医者さんと結婚したとの知らせを受けた。あの性格だからきっと幸せになってくれるだろうと思っていたが数年して離婚したとのことだった。そのうちに再婚するだろうと思っていたがずっと一人で何年も経ってしまった。経過中、私の友人で奥さんを亡くした人がいたので再婚はどうですか?と声をかけたが今はその気持ちはないと断られた。あれほど頭が良くて思いやりがあり、明るい女性はあまりいない。その彼女がずっと一人暮らしで年取ってしまった。家庭を持って子供さんでもいたらどれほどよかっただろうにと思った。人にはそれぞれの考え方があり、また宿命もある。あんな素敵な女性がずっと独り暮らしで年取ってしまい、人知れず死んでいく。たまらない気持ちになっているのは私だけで案外本人は何も思っていないのかもしれない。自分の基準で人の人生を推し量ってはいけないと思っているが、少なくとも幼友達である私は彼女のことを思うと切ない。友達を切ない思いにさせないように生きることも人生では大事なことではないかと思う。彼女の幸せを心から願っている。
2014.03.21
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明日はお彼岸の中日で休日である。今入院患者さん達、具合の悪い人ばかりで休める気分ではないが、あれこれ取り越し苦労ばかりしていても始まらない。打つべき手を打って後は天に任せて休ませてもらおうと思う。休んだら何をしようか?例年行っているのでお墓参りに行こうと思う。そして散らかっている部屋の片づけをしようと思う。そして何よりも休養しようと思う。なぜか今日は明日が休日ということで、気をゆるめたためか家に着いたら疲れがどっと出た。ぐっすり休もうと思う。
2014.03.20
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人から何と思われようと自分に誇りを持って生きればその人は幸せだし輝いて見えると言う人がいる。人から何と言われようと自分の技術やマナーは最高だと言うだけの精進と信念があるのは立派だが、それはその人が思っているだけで他から見たらどうなのかという問題がある。自分はこんなに努力しているし、人のために尽くしていると思っている人がいたとしよう。そしてそのことを誇りにしていたとしても他からみたら、人から良く思われたいだけの軽薄な人間で笑いものにされているかもしれない。いわゆる独りよがりである。自分がいくら誇りを持っていても独りよがりなら輝きもないし幸福でもない。ならば真の誇りと独りよがりの区別はどこでつくのであろうか。プロ野球選手などは実力がそのまま数字で現れるのでその数字に誇りを持つことができるし、他からも評価されるので独りよがりになることはない。技術者や教員、商売人、会社員などは自分の働きぶりについての社内での上司や同僚の評価は必ずしも自分の評価と一致しない。自分は最高の仕事をしているつもりでも評価はかなり低いこともある。そのような場合は独りよがりなのだろうか?それは一概には言えない。上司や同僚の評価と言えどもそれは絶対的なものではないからである。仕事やその他の生き様の目標をどこにおいているかの問題がある。人に評価されるため、人から好かれるために頑張る人がいる。上司や同僚に褒められたり好かれたりするために頑張った人にとっては、自分が思っていたほど他から評価されていなかったとするとショックを受けたり落ち込んでしまう。人に評価されたい、好かれたい、もてたいという気持ちはだれにもあるが、それと誇りとはあいいれないものである。私の「ラブラブ思考」では、評価されなくてもいい。嫌われてもいい。それでも自分は確実に相手を評価し大事に思っており、その行動を行っていると確信できるなら、それが真の誇りだと思う。真に誇りある人間は世界最強、最高の境涯だと思う。誇りある人間が増えてくれることを願っている。
2014.03.19
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1日神経を使う仕事をしてそれからさらに夜の勤務、翌日も仕事ということで少しきついのでボツボツ勘弁してもらおうかな?と思う。でもそれは中々難しい。翌月の当直記入用紙がタイムカードの横に貼ってある。皆がそれぞれ希望日を記入するが、最後まで記入のない日が必ず月に2~3日ある。誰かが埋めないと、穴があいて医師がいない夜がでてしまう。事務長がインターネットなどで募集するがそう簡単に見つかるものではない。結局私ともう一人の医師のところにお鉢が回ってきて、その人と私で穴を埋めるということになる。きつい仕事だが私は嫌いではない。夜中に急に具合が悪くなった人のお役に立つなら嬉しい。でも朝から勤めて午後も勤め、さらに夜の仕事となると疲れが出てくる。大したことでもないのに午前2時、3時頃来る人や、救急当番病院なんだから診るのが当たり前と横柄な態度で受診する人にはムッとすることがある。でもそれをぐっと抑えるのが当直医だと思って頑張っているが、それらの患者さんと対応したあとは疲れが増す。私は「ラブラブ思考で世界は変る」という本を書いた。自分と他人を全く同じようにラブする。結論は人様に尽くすために生きる。そこに真の幸せ境涯があると言うのが内容だが、上記のような患者さんにムッとするとはラブラブ思考に反すると思うが、人の感情は自分が思う通りには働いてくれない。今夜はそういう患者さんはあまり来てくれないことを願っている。
2014.03.18
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週の始めなので、気合を入れていこうと思う。朝の内は仕事も順調で気分も上々、でも午後になり、疲れも出てきて夜には気分が沈んできた。1日を通じて同じ思いでいられることはない。平安でいい気分の時と疲れてイマイチの気分の時や、最低の気分の時もある。気分のいい時には幸せを感じ、悪い時には不幸を感ずる。疲れなどによって感情にも波が出るが、いい気分の時は幸せが感じられるのだから、終日いい気分で暮らさなければ損だと思った。どうせ生きるならいい感情を保って幸せに生きたいと思う。それには感情のコントロールが必要で規律正しい生活と健康的な呼吸法、日ごろから体を鍛えて疲れを知らない心身を作ておく必要があると思った。
2014.03.17
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年齢とともに物忘れが多くなる。脳細胞は日に日に減少しており、神経細胞をつなぐ回路も少なくなり、中々思い出せなくなる。それが高じると認知症につながる。先日石原裕次郎に関するテレビ番組を見ていた。奥さんのまき子さんがしゃべっていたが、芸名はなんだったか中々思い出せなかった。しばらくしてやっと北原三枝さんだったことを思い出した。石原裕次郎と小林旭ともう一人が加わって「月の砂漠」を歌ったが、そのもう一人が中々思い出せない。顔は知っているが、名前が出てこないのだ。「くちなしの花」を歌った人と言うところまでは思い出せたが、名前が出てこない。あきらめかけていたが、風呂から出て体を拭いている時ふっと「渡哲也だ!」とひらめいて、おそらくまだ思い出していないであろう老妻に勝ち誇ったように、「思い出したよ」と言ったら、「私もついさっき思い出した」とのことで引き分けだった。今「昴」(すばる)を作詞、作曲して、自ら歌っている歌手の名前が思い出せなくて困っている。〇村新〇ではないかというところまで思い出したが、〇の所が思い出せない。かなり時間が経ったが思いだせない。今やっと思いついた。谷村新司ではないかと思う。長い長い道のりだった。娘や息子が家に来ることがあるが、その思い出し様は我々老夫妻に比べればずっと早い。老夫妻同士はどっこいどっこいで二人ともほぼ同じくらいの思い出し様である。何かと関係つけて思い出せば思い出すことができると言われるが、先ほどの渡哲也さんはヒット曲の「くちなしの花」を思い出してもそれから先は中々だった。思い出すのは容易ではない。野菜や果物を多く食べて脳の老化を防ぐ必要があるが、年齢とともに思い出せなくなるのは定めかも知れない。手首を指で指圧すると思い出すことがあると読んだことがあるので、それをしてみたがすべては思い出せなかった。でも何回か思い出したことがあるので、もしかしたら有効かもしれない。
2014.03.16
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STAP細胞の発見で一躍時の人になり、世界中から注目された小保方さん、今やねつ造や不正をしたのではないかと勤務先の理研で調査され喚問されている。今朝起きがけになぜか小保方さんの顔が浮かび、お気の毒にと言う気持ちになり目が覚めた。小保方さんの論文が載ったのはネイチャーだが、それはランセット、ニューイングランドジャーナル等と並んで世界的に権威のある雑誌である。私もそれらの雑誌に投稿しようとしたことがあるが、審査が厳しくて採用されるのは並大抵のことではない。それだけに採用されたことに大喜びしていたが、実はその内容が杜撰だったというのが今回の騒動である。私も投稿しようとした人間なので応募者の気持ちは良く分かる。何とか採用してもらおうと研究を重ね、推敲を重ねるが、データーをごまかしたり、他人の論文から引用の断りなしで引用したりすることは研究者倫理として絶対許されないという認識が前提である。しかし、小保方さんの論文には随所にそのようなところが見られるというのだ。もしSTAP細胞が本物だったとしても論文の中に写真などでごまかしがあったなら、棄却されても仕方ない。小保方さんはネイチャーに採用されたい一心で電気映像画像に手を加えたり、昔の博士論文の時使った写真を載せてしまったのかもしれない。やる気は十分にある有望な研究員なので、研究者としての原点に帰って、今度こそ絶対ごまかさない姿勢で、地道に研究を重ねて誰からも文句のつけようがない素晴らしい論文を書いていただきたいと心から願っている。
2014.03.14
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今日も忙しかった。本日は職場の健康診断受診日で朝ご飯を食べないで出勤。皆さんの胃カメラ検査を行い、最後に自分で自分の鼻に胃カメラを入れて検査を行った。検査はかなり症例を積んでおり、皆さんに対する検査は容易に行えるので、胃カメラは簡単でそれほど苦しくなくて、ましてや鼻からは楽だと思っていた。ところが自分でやってみると結構苦しくて、皆さんかなり我慢してくれていたのだなと思った。自分の胃をしみじみと見たが、多くの人より委縮が強く、かなり胃炎が進んだ汚い胃袋で、仕方ないことだとはいえ、少しがっかりした。その後体重測定や腹囲測定などがあった。腹囲は85センチ以上あるとメタボリック症候群と診断されるので、思いっきり息を吸いおなかをへこませて測ってもらったら、85センチ以下だった。普通にしていたら85センチを超えていたと思うが、本当はいけないのだが、多くの人と同様、私も何とか数字を少なくしようとおなかをへこませてしまった。以上の健診受診は昼休みに行い、午後は外来診察だった。ヘモグロビンが4.5と言う人がきた。正常値は12~3だからいかにひどい貧血かわかる。黒いタールのような便が大量に出たとのことで胃や十二指腸から大量に出血したのだと思われる。入院させた。別の患者さんは27歳女性、黄疸を示すビリルビン値が、13もある。正常値は1.2くらいだからいかにひどい黄疸か分かる。足のむくみもひどくて入院させた。入院指示を出さなければならない。焦った。今夜は7時から山梨県厚生連健康管理センターの会議室で山梨消化管研究会が行われ、私は当番で症例のプレゼンテーションをしなければならない。聞くだけならいいが、自分が発表者なので、遅刻するわけにはいかない。宿命なのかもしれないが、自分はどうしていつもこのように切羽つまった状況に置かれなければならないのかと困窮した。でも大雨の中を息せき切って駆けつけて無事発表し、その後外科の先生にその症例の手術記録を動画で説明してもらった。外科の先生の準備も大変だったと思うが、私も数日前からパワ-ポイントを使ってスライド造りを行ってきたが、発表時より、準備段階の方が大変だと思っている。いずれにしても無事終了して一安心した。帰って来たのは9時過ぎだった。明日も午前中病棟回診した後外来だ。休まる暇はない。でも忙中閑ありという言葉がある。多忙の中にも憩いの時を見つけていきたいと思う。
2014.03.13
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私たち老夫婦は今二人だけで暮らしている。もうこの年になるとどちらが先に死ぬかが話題になることがある。私は無責任かもしれないが、どちらが先に死んでも別に構わないと思っている。家内は私より1日でも長く生きなくてはならないと言っている。それは私が家庭生活が何もできないと思っているからで、自分が先に死んだら私は食べ物もたべないでのたれ死ぬのではないかと思っているからである。私はセブンイレブンでおかずも買うし、おにぎりだって買えるから心配しなくていいと言うが中々信用してくれない。私が認知症になっておむつをして寝たきりになった時彼女がいないと困るだろうともいうが、今時は介護施設に入れてもらえれば看護師や介護士がおむつくらい替えてくれるから大丈夫だといってもやはり自分がその時まで生きていないと心配だと言っている。有りがたいと思うべきか過保護すぎると思うべきかわからない。一方私は、家内より1日でも長く生きて家内の面倒を看てやらなくてはならないなどとは思っていない無慈悲な人間である。自分だけ残ったら再婚でもしようかなどと不埒なことを考えている。一方は少し過保護すぎるが思いやりがあって優しいが、一方はその人に報わなくてはとあまり思っていない朴念仁である。どちらが先に死ぬかわからない。私が死ぬまで彼女は生きていてくれるというが、彼女が先に死ぬ状況になったならどうなるだろうか。彼女を心から看病したり、介護しなかったなら罰があたるだろうなと思っている。
2014.03.12
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今夜はマンモグラフィ(乳房X線)の勉強会のために山梨県厚生連健康管理センターに行ってきた。がん症例を中心に勉強してきたが、レントゲン画像の読影は難しいことを改めて思った。経年受診している場合は昨年なかった像が今年は出ているなどで強力な判断の手助けになることを知った。会場に行きも帰りもラジオをかけていたが、東日本大震災の3周年と言うことで殆ど震災関係の番組だった。我々は震災復興税を払っているが、それを有効に使って頂いてまず住む家を早急に作ってもらいたいと思った。先日の新聞に人手不足で復興事業が進んでいないと書いてあったが、今まで景気が悪くてあえいでいた全国の建設会社は東北に集結して、人手不足を解消し、失業者を減らして、大繁栄地帯を造ってもらいたいと願った。震災復興は国民の願いだが、一般人は具体的に何をしたらいいかわからない。日々自分のやるべきことをするしかないのだと思う。建築屋は建築屋、食べ物屋は食べ物屋として、震災復興を心にかけながら頑張ることが我々に出来ることだと思う。被災者も被災しなかった人も共に明日を目指してたくましく生きるところに輝かしい震災復興が見えてくるのだと思う。
2014.03.11
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勤めから帰ったら妻がせっせと餃子を作ったり魚を焼いたりしていた。いつもの口癖で「そんなに色々作らなくていいのだ。二人しかいないのだからありあわせのものでいいのだ。おいしいものを食べている人ほど病気になるし早死にするといつも言っているではないか」と私は言った。そしたら「あなたは勤めに言って働いているが、わたしは仕事していない。私のできることはおいしいものを作ってあなたがいい仕事ができて健康でいられるようにすることだ」と言った。私は「それは思い違いで、いつも言ってる通り、粗食の方が健康にいいのだ、おいしいものは贅沢だ。おいしいものを食べている人はみんな病気になっている。少しはそういうことも考えてくれ」と言った。「贅沢だ、贅沢だと言うけれど油をうんとたくさん使うわけでなく、肉だってあなたが言うほど使っていない。健康を考えた上でおいしくするにはどうしたらいいか考えて作っている。この世に生を受けたからには、まずい物を食べて生きるよりおいしいものを食べて生きたほうがいいのではないですか?」大体食事の時には同じことの言い合いで言い争いになっていた。私は心の底で満足に食べることもできない人たちがいる中で自分だけおいしいものを食べることにやましい気持ちがあった。また贅沢な食事より粗食の方が健康によいという信念のようなものがあり、その反対の考え方の妻といつも言い争いをしていた。しかし今日は少し下がって考えてみた。今までおいしいものばかりをを食べさせられてきたからこのようなことを言うが、まずいものばかり食べさせられてきたら「たまにはもっとおいしいものを食べさせてくれ」と思ったかもしれないなと思った。私は恵まれすぎていたのかもしれない。だから食べ物とはおいしいとかまずいとかは関係なくとにかく健康によいものがいい。との考えになってしまったのかもしれない。妻の見るテレビ番組は殆ど料理番組である。またあんな番組をみて新しい料理を食べさせらるのかとうんざりすることが多かったが、考えてみたら料理に対しておいしくないと文句を言った覚えはない。粗食でないことに対する文句ばかりであった。いつも食事のことで意見が異なって言い争いをしていたが、「おいしくて健康によければそれでいいのでしょう」には文句のつけようがない。量については自分で加減すればいいのだから、これからはせっかく作ってくれた料理に文句を言わないようにしようと思った。
2014.03.10
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今日は午前中の外来が2時近くになり、それから病棟回診して冷たくなった昼食を食べて帰宅した。土曜日なのでリハビリテーション病院に入院している姉を見舞い、その後療養型病院に入院しているいとこの旦那さんと、国立病院時代一緒に働いていた看護婦さんを見舞ってきた。姉は左半身麻痺で鼻から管を入れて栄養していた。今は口から食べるリハビリを受けているとのことだった。自分で食べられ、自分で車イスでも運転できるようになれば最高だが、道のりは遠いと思った。いとこの旦那さんは私の家を作ってくれた大工さんだが、自転車に乗っていて側溝に転落し、脊髄損傷し、手足が不自由になり、他の病院に入院していた時も含めると4年以上寝たきりである。でも口は喋れるので色々積もる話をしてきた。この2月から歩く練習を始めたとのことで、時間はかかるが、少しずつ進歩しており希望が持てると思った。看護婦さんはまだ私が若いころ国立病院で一緒に働いていた人である。その職場を辞めて互いに別々の職場に移ってからも良く連絡をくれた世話好きの看護婦さんだった。東日本大震災の時はやはり国立病院で一緒に働いていた医師が福島で開業していたので、診療所が地震と津波でやられたのを心配し、品物を送ったりしていた。それからしばらくして脳梗塞にかかり、全身不随になってしまった。大震災の時以来ずっと気管切開して首に開けた孔から呼吸をしており、栄養は鼻から入れて、尿はカテーテルで出していた。会話はできない。先に述べた福島の医師は彼女のことを心配して再三電話くれて、そのうちにお見舞いに行くからと言う。私は彼女のお見舞いに行く度にそのS先生のことを話すが目を開けてくれるが、目の玉は動かず、表情の変化もない。聞こえているのかいないのかわからない。活発で我々若い医師に色々教えてくれて、国立を辞めてからも親しく付き合ってくれたM看護婦さん、その面影は全くない。ただ生きているというだけである。自分で意思表示出来ないので同じような状況でずっと生かされているが、考える力があるなら、それをどのように感じているだろうか?と思った。聞いたり、見たり、話したり出来ない状態になったら栄養とか、呼吸とかを人工的に行うのは考え物だと思った。この先も何年も続くかもしれない。だからと言って今人口栄養を止めるわけにはいかない。これからも時々お見舞いして様子をみるしかないのかなと思う。福島のS先生は必ず来ると思うので、「その時は私も一緒に来ますよ」と耳元で話してきた。
2014.03.08
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今夜7時半からのケネディ駐日大使のインタビュー番組を観た。驚いた、外国人でありながらこれほど日本人的できめ細かな感受性を持っている人がいたのかと驚いた。最近自虐歴史観とかがよく言われ、戦後教育を受けたものは自虐的で、誇りがない。日本の優れたところ、日本の美しさ素晴らしさを知らないのではないかなどと言われるが、私は戦中に生まれ、戦後教育の中で育ってきたが、まったくその反対である。日本人に誇りを持ち、日本人ほど素晴らしい民族はいないと思っている。私には色々の国の友人がいる。彼らも自国のことを誇りに思っているが、内に秘めた私の日本人に対する誇りは彼らが自国に対して持っているもの以上のものだと感じてきた。それだけに今夜の彼女の話を聞き、私が誇りに思っていた日本人精神そのものがあふれていて涙が出そうになった。彼女の心は世界の人々の幸せであり、世界平和にある。しかしその実現のために、当面、日米韓の同盟強化に対する強い希求があった。そのための安倍総理や韓国大統領に対する祈りにも似た気持ちが出ていた。同じ女性でありながら、ケネディ氏と韓国大統領のあまりの資質の違いをどう考えたらよいか当惑した。ケネディ氏は私が今までで知る人の中で最高の人格者だが、対する韓国の彼女は失礼になってはいけないのであまりのことは言えないが、私が知る人の中ではかなり下の方だ。ケネディ氏は日韓が仲良くなることを強く望んでいた。その気持ちは安倍総理にも韓国大統領にも伝わっていると思うが、両者とも意地を張っているとケネディ氏の本当の気持ちはわからない。安倍さんも韓国大統領も一国の最高権力者で、たかが駐日大使よりはるかに上と思っているかもしれないが、人物的には桁が違う。両者とも、もしケネディ氏の本当の気持の一部でも心に感ずるところがあったなら、日韓両国が仲良くなるはどうしたら良いかを真剣に考えて行動を起こしてもらいたいと願う。
2014.03.06
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厚生労働省は3月3日、2012年度の生活保護費の不正受給が全国で4万1909件、金額では190億5372万円に上ったと報告した。勤勉を自任していた日本人も働かないでお金がもらえる道があると知ったなら、不正を承知で申請する風潮が生まれてしまったのかもしれない。国民の税金がこのような形で無駄使いされるのは忍び難いことである。今日73歳の女性が外来にきた。大阪から当地に2~3年前に移住してきた人である。温泉ホテルで掃除などの仕事をしているとのことだった。仕事が忙しくて予約していても来れないことが何回かあった。その人が昨年暮れにリュウマチが悪化して両足首が痛くなって仕事が出来なくなって、今度生活保護がもらえることになったとのことである。足が痛くて仕事ができなければ生活していけない。そのようなときに生活保護は本当にありがたいと思った。今までは休みの日がないくらいに働いていたが、給料が安くて、薬代が高くなるのをいつも心配していた。今度は医療費は無料なので薬代を心配することもない。国民の税金がこのような人を助けるために使われるのはありがたいことだしうれしいことだ。しかし冒頭の不正受給は許しがたいい。そのような人たちのために税金を払っているのではない。受給資格審査は厳重に公正に行ってもらいたいと思う。
2014.03.06
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先日高血圧で受診している68歳位の女性患者さんとお話した。テレビで南雲先生の話を聞いて野菜を多く食べることにして贅沢な食事は止めた。麦飯にして最近ではその中に黒い大豆を入れて炊いている。とても美味しい。そして朝夕1時間くらい散歩している。体重が2Kg位減った。血圧も正常になった。とニコニコしながら話してくれた。それまではご馳走が好きで、刺身ならトロ、牛肉も最高のもの、ウニを好きで高級ウニを毎日のように食べていたとのことだった。ご主人もご馳走が好きだったので毎日ご馳走を作って食べさせていたとのことだった。そのご主人が昨年81歳で亡くなってしまったが、今のような食事をもう少し前から心がけていたらご主人はまだ生きていたかもしれず、ご馳走責めにしていた私が殺したようなものだと話していた。私もご馳走責めにされているので家に帰ってその話をした。今のような状態なら私を早く殺そうとしているのと同じだということも話した。そしたら思いもかけない言葉が返って来た。「そうだよ」「まずいものを食べて長生きしたってつまらないじゃない」「美味しいものを食べて死ぬときは死ぬ。長く生きるだけが人生ではない」そういう考えもあるのかと思った。今テレビで「ごちそうさん」をしている。主人公のめ以子は人に美味しいものを食べさせることを信条に生きている。私の妻もこの主人公に似ているなと思っていたが、ドラマ同様、私や客人に美味しいものを食べさせることを信条に生きている。「こりゃダメだ」と思った。量が多すぎたら遠慮なく残すしかないなと思った。
2014.03.05
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金曜日に一人、土曜日に二人重症の人が入院した。日曜を挟んで月曜に出勤したらその3人ともかなり症状が重く、当直の先生に世話になっていた。月曜日の日常業務をこなしながら、その重症の3人の手当などして精神が疲れ切ってしまった。そして夜7時半からは介護保険審査会に出席しなければならず、人生も大変だなと思った。ところが今日は昨日まで発熱が続いていた人が抗生物質を変えた効果がで解熱傾向がみられ、もう一人の吐き気をずっと訴えていた人も今日は吐き気を訴えず食事を食べていた。もう一人の黄疸の人は黄疸は相変わらずだが何とか小康状態を保ってくれていて、昨日とはガラッと変わった気持ちになった。重石を取り除かれたようで楽しい気分になった。医者になって4年目頃、受け持ち患者さんが亡くなったのにショックを受け、茫然自失の状態の私をみて、年配の看護婦さんが「一々の患者さんの死とか容態の変化にそんなに動揺するものではありません。医者たるものもっとしっかりしなくてはだめですよ」と意見してくれたのを思い出した。あれからもう40年、様々な経験を積んできたつもりだがあまり変わっていないなと思った。人は医師であれ何であれ、気分のいい時と悪い時がある。それはおかれた状況によってそうなることが多いが、心のどこかにいつもいい気分でいたいという気持ちがあると苦しくなると思う。気持ちに任せるのがいいと思う。昨日のように最悪の気分になるときもあれば今日のように比較的楽な気分の時もある。40年前に注意してくれた看護婦さんも、気持ちが動くのは仕方ないとしても、動揺を周囲にわかるほどに表すべきではないですよと教えてくれたのだと思う。当然人は悲しんだり喜んだりするが、その表出はほどほどにしたほうがいいのだろうなと思った。悲しい時があればうれしい時も必ずあるので、悲しみや苦しみはあまり大げさに感じないようにしようと思った。
2014.03.04
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今介護保険認定審査会から帰ってきたところである。あらかじめ1次判定審査員が自宅に調査に行って綿密に調査して手のかかる度合いを点数化して、要支援1、要支援2、要介護1、要介護2、要介護3、要介護4、要介護5等と判定してくれてあるのを我々2次判定審査委員が最終判定をするのである。審査委員は5人でそれぞれ自分は要介護2に相当する、3に相当する等と意見を言って最終的には多数決で決定する。介護度が上になればなるほど濃密なサービスが受けられるので、申請者は出来るだけ介護度が高い等級になるように望むが、審査する側とすれば、限られた予算とか、条件が同じような人の平等性を考慮してあくまで実情に合わせて正当な介護度になるように考えて決定している。主に認知症の程度や麻痺などによる行動制限の程度を判断して決めているが、境界線上の人もいて最終決定は中々難しい。自分もあと数年したら介護保険を申請して介護を受ける身になるかも知れないので、自分が審査されるとしたらどのような審査が適切かということを考えながら審査してきた。本日は23人について審査してきたが介護を受ける人がずいぶんたくさんいらっしゃることをしみじみと感じた。介護保険制度があるので、必要になったらそれを利用していただくのは当然のことだが、最後までそれを使わないで生活する方もおられるので、日ごろの生活習慣を健康的なものにして、なるべくそれを使わないで済むような人生を歩んで頂けたら審査会の回数も少なくて済むのだがなと思った。
2014.03.03
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Medical social work is a sub-discipline of social work, also known as hospital social work. Medical social workers typically work in a hospital, skilled nursing facility or hospice, have a graduate degree in the field, and work with patients and their families in need of psychosocial help. Medical social workers assess the psychosocial functioning of patients and families and intervene as necessary. Interventions may include connecting patients and families to necessary resources and supports in the community; providing psychotherapy, supportive counseling, or grief counseling; or helping a patient to expand and strengthen their network of social supports.Medical social workers typically work on an interdisciplinary team with professionals of other disciplines (such as medicine, nursing, physical, occupational, speech and recreational therapy, etc.)76歳の女性患者さんを受け持っている。一人暮らしだが、息子は大阪に住んで立派に生計を立てており子供さんもいる。年も取ったし病弱だから大阪に来ないかと息子に言われているが、お嫁さんに気使いしたり、子供の勉強の邪魔になっても悪いからとその誘いを断って、生活保護をもらって当地で暮らしていた。でも今回の入院に際し、体力の衰えを感じ、退院後はグループホームなどに入れてもらいたいと感じ始めた。私は息子さんがそう言ってくれるなら大阪に行くのが一番いいのではと言ったが、本人の心はすでに施設に入ることに決めているようだった 。どこの施設に入るのか、生活保護で入れるのか? 医療は無料だが老人ホームなどは金がかかるのではないか?手続きはどうしたらいいのかなど様々な問題がある。しかし病院にはメディカル・ソーシャル・ワーカー(医療福祉士)がいる。彼らがケアマネージャーや役所などに連絡をとってくれてその患者さんに取ってベストの道を探してくれる。Medical social worker 医療福祉士は患者さんにとっても我々医師にとっても大変、大変ありがたい存在である。欧米では19~20世紀初頭に生まれ患者さんの便宜を図ってきたが、わが国では戦前に聖路加病院では活動していたみたいだが、本格的な活動は戦後に始まっている。患者さんが入院している間は食事は出してもらえるし、医療保険と補助金等で看護や介護をしてもらいながら生活できる。しかし退院となると一人暮らしのご老人が多い現在、退院後再度一人で暮らしていけるかは難しいことが多い。その時患者さんの精神的バックアップや、退院後の生活など一切の相談を引き受けて道を切り開いてくれるのが彼女、彼らである。20歳代の若い人達が多いが、わがままな患者さんや認知症の患者さんの面倒を実に良く見てくれて本当に頭が下がる。ある程度年齢を重ねた人達なら、人生の苦労も知っているので、お年寄りを親身に見てくれるという先入観があったが、若い人達が本当に親身に世話をしてくれていていつも感心している。医療分野において我々医師の仕事は微々たるものである。彼らMedical social worker 医療福祉士等に支えられながらそれなりの医療を実現させて頂いているといつも思っている。
2014.03.02
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外では雨がしとしと降っている。夜中に雪に変わらなければいいがと願っている。今地域の組会議から帰ってきたところである。新しい組長を決めたり申し合わせ事項を話し合う大事な会議で、家内は腰痛で出席できなかったので私だけ出席してきた。来年度の組長がきまり、その次の組長に我が家がなることになった。その後飲んで食べて懇談して歌って帰ってきた。今度の大雪で近所の人が協力して雪かきをして、友好関係が持てたが、普段はあまり近所付き合いはない。勤め人にとっては朝早く家を出て夜遅く帰ってくるので、近所の人とお会いする機会がなく、今度の組会で初めて親しくお話した人もいる。人のつながりは、個人ー地域ー市ー県ー国家と広がって行くものだと思うが、個人ー会社との繋がりのほうが個人ー地域の結びつきより強い状態だと思う。個人ー地域の絆を強めるには、普段から、お会いする機会を作ったり、一緒に旅行に行くなどしてふれあいの場を作っていくことが大切だと思う。今度私は参道自治会(自治会は組が集まった組織)の文化部長になった。皆嫌がってなり手がいなかったので私がやりますと手を挙げた。地域交流のために文化を通じて少しでもお役にたちたいと思う。
2014.03.01
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