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悠仁様の机に包丁を置いた疑いのある人物が逮捕されて今取り調べを受けている。先日天皇制反対のデモが放映されていたが天皇制反対派の意思表示かもしれない。あるいは父親の秋篠宮殿下の言動に反感をもって包丁を置いたのかもしれない。真相はこれから明らかにされていくと思われるが、天皇制反対派の人達の意見のいくつかを読んでみた。様々な理由が挙げられていたが、一番大きな理由は天皇制によって日本は戦争を起こし、敗戦という惨めな結果になった。二度と戦争を起こさないためにも天皇制はない方がいいというものだと思う。その方々は今の天皇、皇后をよく見て下さっているのであろうか。戦争のない平和で幸せの世の中のために懸命に努力してきて下さった。その人達は言うかもしれない。たとえ天皇がいい人物で戦争などしそうもないと思えても周囲が天皇を利用して戦争に駆り立てることもあると。しかし現憲法では天皇は象徴である。天皇には行政権はない。我々国民の生き方の模範にはなれても統率権はない。天皇制反対の方々もそのことをよく考えて皇室に温かいご理解をしていただきたいと切に望むものである。
2019.04.30
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名古屋で行われていた日本内科学会に行ってきた。土曜日の夜行って1泊して日曜日に帰ってこようと思ったがあらゆるホテルが全て塞がっていたのでやむなく日帰りになってしまった。上の写真は朝電車に乗りながら車窓から撮った写真である。山梨側からは毎日見ているが静岡側からは久しぶりで山梨側より少しすそ野が広いように思えた。学会場のオートメッセ名古屋は金城埠頭にあり、大きな建物だったが参加者は全国から集まってくるのであふれんばかりであった。会期は4/26から28日までの3日間で演題は多岐にわたり500以上の研究発表や講演があったが私は1日だけしか参加できなかったので尿漏れ(過活動性膀胱)の講演と日常診療の診断プロセスに関する講演を聞き、地域医療シンポジウムを聴いてきた。地域医療では久留米市の池田真介先生は在宅患者さんに対する訪問診療をしており、24時間対応とのことで家で最後を過ごしたいという患者さんの望みを満たしてやっており凄いと思った。参加できなかった発表や講演は抄録集に載っているので目を通してみたが難しくて理解できそうもないことが多く、日進月歩している医学をもっともっと勉強しなくてはいけないなと思った。
2019.04.28
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平成も後3日になりその次の日からは令和になり天皇が交代する。今生天皇は象徴とは何かを常に模索しながら国民に寄り添い国民に尽くすことを信条に災害の慰問や慰霊などに全国を行脚されてきた。これに対して昔から皇室擁護をしてきた識者の中には天皇は外でそのようにご活動していただくなくても皇居内で国民のことを祈って下さっていればいいのだと発言する者もいた。彼らはそのように民衆と同じ目線で同じ気持ちで民衆の中に溶け込んでいる天皇を快く思わず、民衆とは異なる一段高い立場で民衆からあがめられる存在でなければならないという固定観念があったのだと思う。天皇、皇后両陛下にはまったくそのような考えはなかったと思う。行動を通じて国民に尽くしていくことを第一義に考えておられ、国民にこうあって欲しいという姿を懸命に示してきて下さったと思う。権威とか血筋とかには一切関係なくその行動を通じて尊敬を集めてきたと言える。人のために尽くし、他国のために、世界のために尽くす生き方はまさに象徴天皇のあるべき姿で日本人が見習っていくべき生き方だと思う。しかしこのように素晴らしい象徴天皇を頂いてきた日本人の中には天皇のお心に背いて人を欺いたり、傷つけたり、人の物を奪ったりする人達がいる。天皇などおれ達には関係ないと思っている人達もいる。そういう人達は昔の権威主義下の天皇と自分との対比の中で天皇と自分が同一視出来ない人達だと思う。天皇と我々は全く同じである。同じ人間でありながらあのように懸命に人のために生きる姿を見習って天皇のように生きようと思う人が一人でも多くなってくれればいいと思う。昔の天皇観で天皇に会えたら「感激した、もうこれで死んでもいい」などと感想を述べる人がいるが、それは古い感覚で象徴時代の今は「天皇に会えてよかった、天皇の振る舞いや眼差しをみて自分も見習おう」と思うのがあるべき姿だと思う。一人でも多くの人が天皇を見習って少しでも日本をよくしてもらいたいと心より願っている。5月1日以後は一切の公的行事にはお出にならずに完全にご引退なされるという。全力で尽くしてこられて後継にバトンタッチした後は完全に業務からお離れになられるのも潔い姿だと思う。
2019.04.27
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朝7時15分からの「おしん」の再放送を毎日涙を流しながら観ている。今朝の話は貧乏なおしん一家は新天地を求めて父親がブラジルに移民することに決めたと話す。おばあちゃんは足手まといになるので日本に残して父親の弟さんの所にあずけるという。おばあちゃんはこっそり家を抜け出して川に身を投げようとする。それをおしんが必死で止めて家に連れ帰りブラジル行は中止になり今度は母親が出稼ぎに行くことになったで終わっていた。今は亡き私の母親が昔「おしん」を観ていて嫁(私の妻)に「あんなのあたりまえのこんじゃん、自分だってああいう思いをしていた」といつも言っていたとのことだが、貧乏なその時代にはありふれた話だったのだと思う。そしてその時代のおとっちゃん(父親)はおしんの父親同様甲斐性ないくせに威張るだけで思いやりがないことが多かったようだ。私の母親のおとっちゃんも怒ったりどなったりするだけで少しもいい父親ではなかったが、おかん(母親)は神様みたい素晴らしかったといつも子供達に話してくれた。今は子供を遊園地などに連れて行ってくれて友達みたいに遊んでくれる父親も増えており、父親像もだいぶ違ってきていると思うが当時は男尊女卑で封建主義、能力がなく、稼ぎがなくてもただ威張っている父親が多かったようだ。勿論個々の家庭で異なり、優しいおとっちゃんもいたことと思うがおしんの父親をみていると私の母親から聞いたおとっちゃん像と似ており、その時代はそのようなおとっちゃんが多かったのかなと思った。母親は何時の時代も易しく観音様のようだが父親は時代によって変化してきたように思う。虐げられ暴力をふるわれてもじっと我慢して子供達を護ってきたのは母親だった。戦争に負けて男女同権、民主主義の時代になった。よかったと思う。この恩恵をかみしめて男も女も自覚を深めてよい父親、よい母親になってもらいたいと思う。
2019.04.25
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山梨日々新聞の4/19号に県内病院の連休中の診療体制の記事が載っていた。困る人がいるのに政府が勝手に休日を作り10連休にしてしまった。特にいつ病気になるかもわからない患者さんにとっては大変困ることなのに政府の言いなりになって追従する病院も出るのではないかと思っていたら、その記事によると昨年の暦通り4月27日、30日、5月1日、5月2日は通常通り診療する病院はただ一つで他はほとんどが連休だった。この記事で初めて自分が勤めている病院が唯一昨年通り診療する病院と知って病院内で誰が決めたのか知らないがでかしたと思い誇りに思った。病院職員も不満には思っていない。当たり前のことなので自慢もしない。だからといって新天皇の即位を祝わないわけではない。祝うからこそ社会で必要な業務に就くのである。
2019.04.23
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家の庭に咲いているボタンである。季節が巡ってくるとつらいことは何もなかったかのように美しい花を咲かせる。花を羨ましい。人間にはつらいことが多すぎる。年賀ハガキの当選番号の一次発表が1月20日にあり、ダブルチャンスの発表が4月20日にあるとのことで、楽しみにして昨夜500枚を調べてみた。当選番号は973157、960380、685677、172768 で1枚1枚調べてみたが当選はなかった。100万枚に4本つまり25万枚に1本の当選とのことで景品は記念切手で景品を欲しくてというより25万分の一の幸運にありつけるかと思ってトライしてみたがそれは報われなかった。世の中には努力すればある程度むくわれることがあるが、このダブルチャンスはただ1枚の切手のために何千枚何万枚努力して調べても当たる可能性はゼロに近い。郵便局もそのようなことのためにダブルチャンスと宣伝して国民に労力と心労を与えなくてもよさそうにと思った。しかし世の中にはこのようなことは一杯あるように思った。最初からそれが叶う可能性はゼロと決まっていることに精力を注ぎこんでいることが結構あるのではないかと思った。それが叶う可能性と叶った時の報酬の価値を見極めて努力すべきだなと思った。
2019.04.23
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池袋で87歳の男性が運転する車が暴走し2人死亡し多くの人が怪我をした。アクセルが戻らなかったので走り続けたと言っているがブレーキを踏まなかったことが問題だと思う。ブレーキと思ってアクセルを踏み続けた結果をそのように表現したのかも知れない。暴走事故の殆どはアクセルとブレーキの踏み間違いである。先日、ある自動車メーカーから前に対象物がある場合自動的に速度が遅くなる装置を8万円の費用で今乗っている車に取り付けることが出来るというハガキがきた。それもこのような事故対策に多少は役立つと思われるが、気が動転してしまった場合咄嗟に踏み込むのはいつも使っていて踏み込みやすいペダルである。前に人物や自転車や車がいる場合はアクセルを踏んでも自動的に止まる装置を総ての車に義務付けたらどうだろうか。それが無理なら高齢者で70才以上はその装置をつけていなければ運転免許がもらえない制度が必要と考える。
2019.04.22
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私はかれこれ50年間医師をして来た。時代の流れによって患者さんの層が変ってきた。特に最近の5年間では受け持ち患者さんの大半は85才以上である。自分が若い頃受け持っていた患者さんは大体40~50歳でたまに70歳くらいの患者さんがいると随分高齢の患者と感じていた。90才以上だと静かにおみおくりするだけで医療の対象にはならないと考えられていた。80才以上なら胃がんが疑われても胃カメラはしないのが暗黙の基準だった。もしその検査で胃がんが見つかっても手術などの治療はできないと考えられていたからである。所が今やその状況はがらりと変わった。今私は90歳の男性、94歳の男性、97歳の女性、80歳台男性、70歳台女性、70歳台男性を受け持っているがかっては70才というと随分高齢の患者さんだったが今は随分若い患者さんになっている。胃カメラだって80歳以上はしないどころか嘔吐で受診した97歳の女性患者さんに本日胃カメラを行い、胃の出口が狭窄していることが分かったので外科にお願いして手術してもらう予定である。今は80歳でも90歳でも100歳でも一般と同じ検査が行われ同じ治療がなされる時代になったのである。家族に対する病状の説明でもかっては90才以上だともうお歳ですから静かに見守ってやるのがよいと思いますと説明していたが今では「お歳ですから」の言葉は通用しなくなりつつある。心労が倍加したように感じているが、時代の変化を受け入れその流れに沿いながら患者さんにとって何がベストかを常に考えながら医療を行って行こうと思っている。
2019.04.20
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2016年6/23の国民投票でEU(欧州連合)離脱が決定し、本来なら本年3/29に離脱している筈だったが、離脱協定案が英国議会で何度採決しても認められず離脱が延び延びになり、合意なき離脱の危機にさらされていたがこの度EU側のお情けで、半年猶予されて10月末までに英国議会で離脱協定案が可決されれば晴れて合意離脱が確定する。そもそもなぜ英国はEUを離脱しようとしたのであろうか?昨日の朝日新聞朝刊に慶応大教授の細谷雄一氏が「英国の混乱 失政の帰結」という一文を寄稿していた。それによると1980年代以降の英国政治は3つの要因で大きく変貌した。第一は政治のイデオロギー化で、サッチャー首相は、非民主的な官僚組織が支配するEC(EUの前身で欧州共同対)は硬直的で時代に逆行する組織だとして党内の親欧州派を排除して、保守党は次第に欧州懐疑派が支配するイデオロギー政党へと変わっていき、一部の議員は経済的な合理性を無視して原理主義的にEU離脱を求めるようになった。第二の要因は、新自由主義の浸透による経済格差の拡大と中道政治の空洞化である。低所得者層は生活が困窮した原因がサッチャー首相以下の歴代の政権による政策やグローバル化によってではなく、EUによって引き起こされたと考えて不満の矛先をEUに向けていった。第三の要因は政治エリートに対する国民の信頼性の失墜である。金融危機後の財政緊縮政策の際、増税により貧困層がより一層苦しむ中で税金の一部が大規模な金融機関に流れていたのを知ってエリートは嘘をつき、自己利益しか考えていないとして失望や怒りが広がった。英国議会やEUの指導者は信用できない。国民の声が直接政治に反映されるべきだとの不満が国民投票実施とその結果に帰結したものと思われる。悲劇的なことにEU離脱によって深刻な損害を被るのは怒りの声を上げて離脱を求めた低所得者層である。と細谷氏は述べている。その通りで離脱によっていいことは何もない。サッチャー以後の30年間で自らの経済生活よりもイデオロギーを重視し、政治家不信の中から離脱問題が浮上してきたが、もう一度現実をよくみつめよく考えてもらいたいと思う。あと6か月の間に冷静に自国、他国のことを考えて議論し、離脱破棄なり、離脱合意案に賛成するなりして襟を正して新たなスタートを切ってもらいたいと思う。
2019.04.19
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昨日は金栗四三さんのオリンピック挑戦について書いたが今日はタイガーウッズのゴルフへの挑戦を書かせていただく。21歳でマスターズ初優勝しその後華々しい活躍を続けていたが10年位前から私生活で浮気や離婚、薬物、腰痛などで生きた屍のような生活を続けていた。その間若手がどんどん成長しドライバーも昔のようには飛ばなくなり、タイガーは過去の人と考えられていた。そのタイガーが14年ぶりにマスターズで優勝しメジャーでも11年ぶりで15勝目を飾った。駄目と思われていた人がよくここまでカムバックしたものだと思う。そこには人には分からない地道な努力の積み重ねがあったものと思う。才能は元々あった人だがそれを1から磨きなおした根性は素晴らしいと思う。今後も精進を重ねてメジャーで優勝できるように頑張ってもらいたいと思う。
2019.04.16
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今度宝くじ助成事業の助成金を頂いて自治会公民館を建てることになったので助成金で会館(富尾ふれあい館)を建てた熊本県玉名市の富尾地区のホームページを見ていたら玉名市の英雄マラソンの金栗四三と出ていたので今テレビで「いだてん」をしているので思わずそちらに目が行った。昨日のテレビでは第5回ストックホルムオリンピック大会に出場し、暑さのため途中棄権して東京に帰ってきた時敗因は何かと厳しく追及されていたが、その時彼は20歳だった。その後捲土重来を期して暑さに強くなるために炎天下でトレーニングして第6回ベルリン大会を目指したが第一次世界大戦のため中止になってしまった。その時24歳。それから4年後の第7回アントワープ大会には出場できたが16位だった。その時29歳、それから4年後の32歳の時 第8回パリ大会に出場するも32km地点で途中落伍してしまった。郷土の英雄というが、29歳の時のアントワープ大会での16位が最高で国際的にはそれほど目立った活躍はしていない。しかし国内大会では何度も優勝しておりマラソンの父として賞揚され銅像も建っている。92歳で永眠されたがマラソンやその他の競技の普及に努め偉大な人生だったと思う。しかし氏の心の内面に入ればオリンピックでメダルが取れなかったことに対する悔恨と悔しさは並大抵のものではなかったと思う。私たちにもそれぞれ目出すものがある。それがかなえられればうれしいが実際にはかなえられないことが多い。そこで失望落胆して落伍者になってしまう人が多いが、その悔しさをばねにして女子スポーツの振興や、若者の教育に尽力してきた氏は偉いと思う。私達も氏を見習って棄権や落伍をマイナスとばかり考えないで前に進むための燃料ととらえてプラス人生を歩んでいこうではないか。
2019.04.15
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ペナントレースはまだ始まったばかりなので、これからどんどん順位は変動していくと思われるが、序盤戦での広島の不調が眼をひく。3年連続セリーグを制し今年も優勝は絶対広島と殆どの解説者が述べていた。その広島が4カード連続の負け越しである。誰がこのような状況を予想しただろうか?あの強い広島が簡単に負ける。信じられないことである。丸が抜けた穴が大きかったという人がいるがそれはあまり関係ないと思う。絶対王者としての目に見えないおごりや油断があったのではないかと思う。名手菊池が2度もエラーした試合があった。どんなに優秀な選手でも、どんなに優れたチームでも一度歯車が狂うと連鎖反応を起してしまう。逆に万年最下位Bクラスのチームでも調子の波に乗れば、優勝もあり得るということだと思う。広島のフアンは熱狂的で愛情深く礼儀正しい。フアンの熱情に押されて広島はきっと復活してくると思われるが、一時的とはいえ絶対王者でも最下位になることがあることを知った。奮起してまた一位の座に復帰するよう頑張ってもらいたいと思うし、弱小球団は王者だってこけるときがあるのだから自分達にだってチャンスがあるかも知れないと思って頑張ってもらいたいと思う。
2019.04.12
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昨日高知県から友人がはるばる訪ねて来てくれて昼休みのひと時歓談した。彼とは静岡大学の仰秀寮で一緒に暮らしたことがある間柄である。彼は文科系のドイツ語専攻だったが卒業後中学の教師になり、いろいろ経験したかったとのことで、51歳で退職し庭師見習い、タクシー運転手、赤帽などを経験してきたとのことである。常に理想的な生き方を求めており、私とほぼ同じ年齢だが考え方が若く生き生きしていた。歴史もよく学んでおり、高知(土佐)の英雄 坂本龍馬暗殺犯人についても話してくれた。龍馬は多くの人から恨まれており、京都見回り組、紀州藩、西郷隆盛、武器商人のグラバーその他沢山の人が暗殺犯人疑いに上げられているが、彼は土佐藩に殺されたのだと思うと自信ありげに語った。意見が割れていた土佐藩を倒幕にまとめ、薩長同盟や大政奉還など大きなことを次々とやり遂げた男、味方だか敵だかわからない男、下級武士のくせにのぼせ上っている男として嫉まれてもいた。諸説があり本当の黒幕は誰なのか私には分からないが、惜しい男をなくしたと思う。33歳で亡くなったがあと10年位生きてくれたら世の変革にすごく貢献したと思う。山田方谷は彼が尊敬する人物だという。私は不勉強で全く知らなかった。1805‐77(文化2‐明治10 73歳没) 幕末・維新期の儒学者。名は球,字は琳卿,安五郎と称する。備中松山藩の農民出身。新見藩儒丸川松陰に学び,25歳で藩学会頭に抜擢(ばつてき)される。その後佐藤一斎に従学,帰郷し学頭となる。教学振興につとめ藩治にも功績をあげ,老中となった藩主板倉勝静(かつきよ)を補佐してよく幕末期の難局を処理した。維新後は子弟教育に任じ,備前の閑谷(しずたに)学校の再興に尽力した。人名辞典を引いたら以上のように出ていた。松山藩の大蔵大臣として財政破綻しそうな藩の財政を立て直した手腕は卓越していた。自分が農民出身であることから農民や貧しい人から年貢を取り立てるのではなく、商人や富裕武士などから税金をとり、さらに新しく収入になることを考え、無駄は節約し、民が幸せになることを第一に考えて、義による政治を行い民衆に慕われていた。明治政府が鉄道を作るとき村民の陳情で方谷駅ができたとのことでその人柄がしのばれた。私は不勉強で山田方谷のことは知らなかったが、知っている人がいても少ないと思う。このような隠れた英雄はもっと広く世に知らしめて行くべきだと思った。
2019.04.10
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私の外来にきている患者さんから今度の県会議員選挙に今迄12回当選のMさんがまた立候補していると教えてくれた。すごく元気でバリバリ働いているとのことで強い地盤があるだろうから今回も当選だろうと思っていたが、新聞をみたら惜しくも次点で落選していた。有権者はもう年だからと敬遠したのだろうか?本人も今迄ずっと当選してきたので油断してあまり選挙運動をしなかったのだろうか?私はその方にお会いしたことはないので実際のところは知らないが、外来患者さんの話だとバリバリに元気で自分達の話も良く聴いてくれるとのことで、当選間違いなしと思いこんでしまったが世の中はそれほど甘いものではなかった。一般に定年のある職業と定年のない職業がある。正規雇用者に課せられていた定年はどんどん延長し、今は定年のない非正規労働者が増えており昔のようにくっきりしたある年齢で線が引かれることはなくなった。私の義兄はJRに勤めていたが10年以上前に定年になり今はT社の守衛業務をしており、それが板につきJR時代のイメージは薄れつつある。その守衛さんに定年があるかどうか知らないが自分から辞めるというまで働かせてもらえるのではないかと思う。88歳の候補者の職業欄には農業と書いてあった。農業にも定年はないと思う。これからは定年は外から決められるものでなく、自分で決めるものになっていくのではないかと思う。
2019.04.08
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今年も庭の花桃(源平しだれもも、咲き分け桃)が咲いた。我が家のすぐ近くの武田通りは桜が満開だ。今テレビでは知事や県会議員の開票速報が行われている。入学式や入社式も行われている。愈々草花が咲き揃い、新しい県政もスタートする。私は地域の自治会館建設準備委員として2年前から会合を重ねて色々準備してきた。建築費の3/5を助成してくれる宝くじ助成金制度があり、それに申請書を提出していたが中々採用の連絡がなく、やきもきしていたがやっと先日採用通知があり、うれしかった。日頃仕事のことや自分の体の老化のことで、苦しい日々を送っているが、その報告を受けた時には何とも言えない幸せを感じた。しかしこれは建設への第一歩であり、これからまだまだ困難が立ちはだかっていると思うのでそれらを一つ一つ解決しながら会館建設にこぎつけようと思う。桜花のこの季節に自らの使命を再確認して新しいスタートを切っていこうと思う。
2019.04.07
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衛星放送で朝7時15分から「おしん」の再放送が始まった。明治中頃庶民は皆貧乏だった。子供が多かったので口減らしのために女の子は奉公にいくのが普通だったが最初おしんは行きたくないと言う。6歳くらいなので学校に行って勉強したいと思った。しかしおばあちゃんは自分は役立たずなので飯を食べないで死んでもいいという。妊娠中の母親は子供が生まれるとまた食い扶持が大変になるので冬の冷たい川に何時間も浸かって子供を流産させようとする。自分を奉公に行かせないためにばあちゃんもかあちゃんも死ぬ思いをしている。それを見ておしんは奉公に行く決心をする。奉公は子守りとのことだった。私の母親も子供の時は子守りの奉公に行き、少し大きくなったら群馬の製糸工場に働きに行っていたといつも話していた。子供時代や娘時代は家を助けるために働くだけが人生だった。今はどうか。美味しいものを食べきれないほど食べさせてもらい、学校にも行かせてもらい好きなおもちゃや洋服も買ってもらって自由気ままに暮らせる時代になった。その頃と今では豊かさが全然違っている。今夜池上彰のテレビ番組で昭和、平成時代の社会の流れを解説してくれていた。バブル時代はすごかった。世界の名画を次々と買いまくり、アメリカの有名な建物なども次から次に日本人が手に入れた。その後バブル崩壊が来るがこれは全て国の政策で金融緩和と引き締めの手綱さばきでこれらが起こってきたとのことだった。国がバブルを崩壊させたが引き締めが急すぎて人々は急に貧乏になってしまったが緩やかな引き締めをしたらそれほど急激な生活変化は起きなかったかもしれない。その一連の流れの中で子供が多いと生活が苦しくなるので少ない方がよい。二人位がよいとの引き締め政策も行われ、その結果今は大変な少子化になってしまった。おしんの時代から現在までを眺めてみると人々の生活は随分変わってきたがその変化の源は全て国が行ってきたのだというのが池上さんの解説であった。明日は県会議員や市会議員の選挙である。国会議員だけでなく地方議員の方々も時代を創っていく方々である。立派な方を選んで頂きたいと願う。
2019.04.06
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昨日テレビで細川忠興の妻でクリスチャンで有名な細川ガラシャの紹介番組を観た。16歳で忠興と結婚したが間もなく実父 明智光秀が謀反を起こして織田信長を討った。当代一の知恵者で人望もあった光秀は準備不足もあってあっという間に豊臣秀吉に滅ぼされ、ガラシャ(玉子)は謀反人の娘として人里離れたところに幽閉されていた。数年後豊臣秀吉の計らいで幽閉が解かれて再び忠興の正室として暮らすことになるが夫が秀吉に従って九州成敗に行って留守の時教会に行って心を動かされキリスト教信者になる。その後秀吉がバテレン禁止令を出して迫害されることになるが、それにも屈せず信仰を貫いたことで後々まで日本だけでなく西欧でも賞賛されている女性である。関ヶ原の戦いのとき忠興は徳川方につき上杉との戦いに出陣して留守の時石田三成は武将の奥方を人質として大阪城に集めることにして細川邸にもやってきた。その時ガラシャは屋敷に火をつけて自害した。御年37歳だった。時代が違うがそれだけの短い人生だったが日本の歴史の中で大変な足跡を残した。ガラシャが多くの人の心をひくのは大変な美人で利発で気丈だったことも要因だったようだ。人質になるか逃げるかして生き延びる道もあったと思われるが、あえて死を選んだのは父明智光秀が主君を裏切り謀反人になったが自分は主人忠興を裏切らないで死を選び父の汚名を返上しようとしたのではないかと解説者が述べていた。明智光秀の娘だったことで大変な苦痛、苦難を受けながら生きてきた人生に感銘を受け、紹介させて頂いた。
2019.04.04
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多くの有識者が知恵を絞って討議して決めたのだと思うので、いいとか悪いとかあまり言いたくないが、自分の率直な感想を述べさせていただく。令は寒冷、冷凍、冷静 など冷やすのによく使われる冷の造りでやはり冷やすとか冷ますとかの意味もある。令の字は万葉集からとったとのことだがそこでは梅の香り漂う1月、2月の寒い月の意味で令月と使われている。令には令嬢、令夫人など敬いを込めた敬語としての使用例があり、法令、律令など決まりとか法則の意味で用いられることもあるが、元号として相応しいとは思えない。レイという響きは冷たい感じを受ける。何千、何万、何十万とある漢字の中からなにも令を選ばなくてもよさそうにと思った。下に和をつけるなら栄和でも康和でも興和でもいくらでもある。安倍総理が勿体ぶって令を選んだ理由を述べていたがあまりよくない字を選んだなと思った。しかし長く使っている間に親しみが湧き、令もよい意味を表すニュアンスに変っていくかもしれないが現時点ではあまり芳しくない字だと思う。しかし子供が生まれた時の名前でいい名前だと思っても大成しない子もいれば、悪い名前と思っても大成する子供もいる。要はそれを育てていく親であり本人次第である。令和も決まってしまったのだからとやかく言っても仕方ない。我々国民が温かい気持ちで育ててその名前を輝かせていくしかないと思う。名前負けすることもある。いい名前とはいえないが大いに発展するように皆で温かく育てて行こうではないか。
2019.04.01
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