今が生死

今が生死

2020.05.03
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テーマ: 結婚(623)
カテゴリ: 読書
パンジーの寄せ植え
小説「花と龍」は明治末期から大正、昭和にかけて北九州の若松市を舞台に展開される沖仲仕の縄張り争いに絡む暴力沙汰や恋愛がからむ任侠物語である。作者の火野葦平はこの物語の主人公として実名で登場している沖仲仕の親分玉井金五郎の息子で小説中にやはり実名で玉井勝則として登場している実録小説でその元になっているのは克明に記録されていた玉井金五郎の日記である。
勝則は早稲田大学を卒業後若松に帰り親の後を継ぐべく沖仲仕として働いていたが芸妓の光丸を好きになり光丸のお腹の中には赤ちゃんがいる関係になっていた。時に勝則25歳、光丸20歳であった。所が勝則には金五郎がずっと前からお世話になってきた大場親分の口利きで藤本組の親分藤本喜八郎の娘絹子との縁談が調って結婚式の日にちを決めるだけになっていた。光丸の方も慶応大学生の辻本要之助の許嫁になっていて仲人も決まり式を挙げるばかりになっていた。勝則は藤本組との結婚を断れば大場親分の顔をつぶすことになり、光丸には結婚が決まっている相手がいるとのことで凄い苦渋の末に諦めることにして東京に逃れて早稲田時代の仲間と交流を深めていたが若松の祭りの時に帰ってきて光丸と出会い学生時代の仲間の協力で座敷牢に入れられていたみたいの光丸を博多に脱出させそこに勝則も合流して隠れて博多で暮らすことになった。大場親分の顔をつぶし藤本親分に不義理をし、光丸の親代わりの辻本夫婦をカンカンに怒らせた。金五郎も絶対許されることではないと息子にびんたを食らわし刀を抜いたりしたが結局許すことになった。そこで金五郎が藤本喜八郎の所に息子の不始末についてお詫びに行った。散々罵られ蹴飛ばされることを覚悟していたが以外にも藤本は「若い者にはかないませんね。実はうちの絹子にも好きな男がいたみたいですからお相子ですよ」と許してくれた。金五郎にはそれが嘘であることは分かっていた。娘さんも勝則との結婚を心待ちにしていたのでさぞかし無念で娘をどれほど不憫に思っていたか知れないが勝則が光丸の方に行ってしまったことは仕方のないこととして金五郎、および勝則を許してくれたのである。そしてその許し方が「残念ですが仕方ないです」ではなく「うちの娘にも男がいたのです」と金五郎に配慮してくれた藤本喜八郎の度量の大きさに驚嘆した。こんな人間がいたのかと感動しわが身がいかに小さいかを思った。素質は生まれつきでどうすることも出来ないことが多いが、そんな人物もいたのかと思い少しでも近づきたいと思った。





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Last updated  2020.05.03 22:09:42
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Re:あまりに度量の大きな人間がいたことに感動ー「花と龍」読後感(05/03)  
kkkdc796 さん
以外にも藤本は「若い者にはかないませんね。実はうちの絹子にも好きな男がいたみたいですからお相子ですよ」と許してくれた。金五郎にはそれが嘘であることは分かっていた。娘さんも勝則との結婚を心待ちにしていたのでさぞかし無念で娘をどれほど不憫に思っていたか知れないが勝則が光丸の方に行ってしまったことは仕方のないこととして金五郎、および勝則を許してくれたのである。そしてその許し方が「残念ですが仕方ないです」ではなく「うちの娘にも男がいたのです」と金五郎に配慮してくれた藤本喜八郎の度量の大きさに驚嘆した。
◎自宅の鉢植えのパンジーは4色ですね。4つの株を植えて色を楽しむ趣向が凝らされていますね。
やはり大親分の度量に惚れ惚れしますね。凄い小説を書く人がいるもんですね。本物の中身は人の心を強く打ちますね。良い本を読まれて余韻が残っていると推察します。やはり光り輝いている本物は良いですね。
此の度量は見習って身につくもので無いですね。私たは志の高さが度量に匹敵すると思っています。 (2020.05.04 05:31:15)

殆ど実話の小説。当時の市会議員選挙もほぼ実話  
楽天星no1  さん
kkkdc796さんへ

この小説は殆ど実話で登場人物も殆ど実名で登場します。藤本喜八郎とか大場親分は良い親分ですが代議士になった吉田親分とか友田喜造親分は悪役です。中でも友田喜造親分はことあるごとに金五郎に意地悪をして、金五郎は何度か殺されそうになります。その頃は仲仕仲間と暴力団はほぼ一緒になっていたみたいです。八幡製鉄所や三井、三菱など大企業の仕事を請け負って若松町は発展し市になりました。金五郎も友田も市会議員になり何度か選挙を経験します。金五郎の妻マンは選挙を心から嫌がっていました。人々の裏の顔がみえてしまうからです。吉田や友田一派の政友会は暴力、供応、買収、戸別訪問何でもありで警察まで買収したり暴力で押さえつけて吉田にとっては警察は子分みたいなものでした。選挙で中立派の金五郎に入れてくれると言っていながら裏で友田にお金をもらって友田に入れるなどということはざらで隣近所の親しくしている人が信じられなくなる選挙が本当に嫌いでした。代議士の吉田大親分は別格としても悪逆の限りを尽くしている友田親分のような人が当選して真面目で市のことを本当に思っている原田さんは3回とも落選。買収や供応で当選が決まる選挙で立派な人が選ばれてくる筈がない。といつも言っていました。時代はだんだん進んで今では若松市の市会議員選挙や国政の代議士選挙などもかなり良くなっているとは思いますが陰での買収(当時は大っぴらの買収)は残っているかも知れませんね。 (2020.05.04 09:58:22)

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