結婚前 母の手術




母の手術





婚約してから結婚1年間は本当に色々ありました。

婚約して、それまで必死で我慢してきた仕事を辞め、

(本当は辞めるつもりはなかったんですけど・・・。)

バイトをしながら過ごしていました。

そんな時、母の手術が決まって入院に付き添い、

術後の世話をする事になりました。





母は腎不全で人工透析を1週間に3回のペースでやっています。

もとはと言えば、流産を繰り返したり、

私を産んだりする中で腎臓を悪くしたんですが、

透析になったのは私が高校を卒業した頃でした。

透析をしていると、何かとトラブルが多くて何度も手術をする事になるんです。

今回は今までのものより大きな手術でしたので、

透析をやっている病院の関連病院にて手術をする事になりました。

場所は仙台。

私の実家からは3時間ほどかかります。

執刀医は東北大病院から来ていただくことになってました。

基本的には付き添いは出来ない病院ですが、

私の母のようなケースのみ付き添いを許されていました。



父はまだ定年まで1年ほどありましたので、

手術の日のみ仙台まで来る事になっていました。

でも、それは叶うことなく、父は盲腸になりまして、

即入院。

手術となりました。

その1週間後、私と母はまだ入院をしている父を残し、

仙台へと向かったのです。

歳をとっての盲腸は、我慢をしていた事もあってか治りが悪く、

退院にも付き添えず、

退院後の食事を考えるととても悲しい思いがありました。



母の手術の前日。

透析が終わり、病室に帰って来た時・・・

母は目を真っ赤にしていました。

執刀していただく先生がエコーをしたら、

恐ろしい検査結果を告げられたというのです。

今回の手術は透析によって出来てしまった首の甲状腺近くのカルシウムを除去するもでしたが、

その影に腫瘍のようなものが見えるというのです。

エコーは何度も受けているのですが、

この検査は医師の技術の違いが大きいのだそうです。

結果は開けて見なければ、良性か悪性かわからないということでした。

先生の見解は五分五分でした。



次の日、手術を控え、私と母は手をつないで一晩を過ごしました。

母はとても強い人です。

でも、近くにいるのが私でなく父だったらもっと心強かったのではないかと思うのです。

私では不安な気持ちをぶつける事も出来ないのではないか?

と思ったのです。母は

「私が大変な時には一度も傍に居たためしがない。」

と、笑って言っていました。



当日は弟もやって来ました。

仕事が終わってほとんど寝ずに駆けつけたようでした。

母は笑って

「行ってくるね。」

と、手を振って手術室に入っていきました。

母が見えなくなった後、弟と私は泣きました。

これまで何度もこんなことを経験してきたけど、

こんなに辛いのは初めてでした。



手術は成功。

集中治療室に運ばれた母と面会すると、

麻酔から覚めている様子で何か言いたそうにしていました。

でも、首を切っているので全く声がでません。

そこへ執刀医の先生がいらして、

「良性でしたよ!良かったですね!」

と母の耳元で話しました。母は微かに笑って答えていました。

本当に嬉しくてあの先生の声は忘れられません。



病院は透析専門の病院でしたので、集中治療室には母一人でした。

ナースステーションの前に集中治療室があったのですが、

私は夜中に何度も母に会いに行きました。 

まだ麻酔がのこっているので、ほとんど目を開けませんでしたが、
後に聞いたところ、

「目を覚ますといつも○○がいた。」

と言っていました。







手術をして2日後、透析は待ってくれず、

まだ食事もままならない状態で4時間の透析をしました。

これが透析患者の辛いところで、

どんなに体調が悪くても辛い透析をしなくてはならないのです。



それでも徐々に元気になって、ホッとしだした頃。

母が足の付け根が痛いと訴え始めました。

それはどんどん強くなり、座薬も効かない状況になってしまいました。

先生も首を傾げていたのですが、

とりあえずレントゲンを撮ってみたり、

近くの病院まで救急車でMRIをしに行ったり。

結果は軽いヘルニア?・・・・そんな事ありなんでしょうか?

この痛がり方は軽いヘルニアではない!

と母も私も納得いかず、薬の副作用を疑ってみたところ、

薬を止めたとたんに症状はピタリと止まったのでした。



こんなオマケがついて2週間、

抜糸もしないまま無理やり退院する事になり、

弟と盲腸を切った父が車で仙台まで迎えに来ました。

さすがに父はあまり運転が出来ず、

弟が片道7時間近く運転してきたそうです。



なんとか帰宅し、母は元気なつもりでいたのですが、

やっぱりというか・・・

2週間くらい入院患者と同じ生活を送りました。

ま、2日に1度は透析に行くのだからそんなに心配はしてなかったんですけどね。





こんな感じで随分ゴタゴタしてしまいましたが、

なんとか両親そろって結婚式に出席してもらうことが出来ました。

この後も色々あるのですが、また後日。







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