PR
コメント新着
気が付けば4月。
今週末は復活祭である・・・だからどうしたと言う事もないのだけど・・・
第一、我が家はキリスト教徒じゃないし、子供もいないので特に行事ごとはしない。
キリスト教と言えば、
今アメリカで問題になっている事の一つに、カトリック教会の神父による児童への虐待。
児童(男の子)に性的虐待・・・日本的な言い方をすると”いかがわしい行為”を神父が行い、それをローマ法王は知りながら隠してた・・・と言うもの。
それが一人二人じゃなく、ほぼ慣習的に行われていて、とある一人の神父は十数年に渡り200人の男の子を”食っちゃった”らしい。
ホント、”オーマイガー(Oh My God!)!"な出来事であり、
旦那はこのことがTVで取り上げられる度に怒っている。
私は以前にも書いたと思うが、ローマカトリック系の学校を卒業している。
総本山はバチカンで、校内には修道院もあった。
そんな私が日ごろから思っている、
”カトリック教会内じゃ多分、神父が男の子と行為をするって言うのは慣習的に昔っから行われてきた事なんじゃない?”
とニュースを見て頭に血が昇っている旦那に言ったら・・・火に油を注いでしまった
”それがどうして許されるのかっ!そんなもの正当化できるはずが無いっ!”
と怒る。
確かに、いたいけな子供を大人の犠牲にするのは言語道断である。
神父の犠牲になった子供は
”これを他言すると天国へ行けないよ”
と言われ、ひたすら暗い闇に入っていった子供も多いと思う。
(なぜなら、キリスト教徒は天国へ行く事がゴールだから)
もしかしたら、”神父”になった人たちはこういう闇を抱えている人が多いのかもしれない。だから自分もやって良いと言う事にはならないのだけれど・・・
太宰治の”人間失格”にも、主人公があまりにも美形なので、
幼い頃から家の女中とか使いに性的虐待を受けていたが、
それを言わずに大人になり、やはり闇を抱えていた。
子供の頃に受けた傷み、特に性的なことは言えずに自分自身の奥深くに沈める。
でも、忘れる事はできないだろうし・・・本当に、可愛そうというか・・・言葉が無い。
結論:
幾ら宗教を語っても、それが古来からの慣習であっても、
やっちゃいけない事はやはりやちゃいけないのである。
支離滅裂・・・