ハリハリ資料室・第一分室

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2005年02月06日
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★1/24,『空中ブランコ』という本について書いた。こんな本が直木賞受賞作なんて……という,甚だ権威主義的な表現を,敢えてとった。書きっぱなしでそのことはそのまま忘れていたが,この本のことを僕に教えてくださった方からコメントをいただいていたことに,先ほど気がついた。やはりと言うべきか,少し気にしていらっしゃるようだ。ちゃんとお返事しようとすると,どうしても長くなる。妙な具合ではあるけれど,以下,日記本編の紙面を借りて,釈明を試みる。たぶんまともな釈明にはならないだろうけど。

いただいたコメントには,恐縮です,とあった。恐縮と言えば,僕の方が,百倍は恐縮しなければならないはずである。人に勧めていただいた本についてボロクソに書いて,勢いでそのままアップしてしまった。……ごめんなさい。
たぶん1つには,いわゆる「笑いのツボ」なるものも含めて,作品に求めるものが全然違ったということなのだろう。僕の感想はすでに書いたとおりで(「直木賞」云々は本当にどうでもよいのだけれど),繰り返しになるが,僕としては,「次々に登場する患者さん」たちが,みんな「同じ人」にしか見えなかったのだ。たとえばテレビの「水戸黄門」で,悪代官に苦しめられる,あの健気な娘さんたちのことを考えてみていただければわかりやすいだろうか。『空中ブランコ』の主人公(たち)も,いろいろな職業に振り分けられて,一見バリエーションは豊かだけれど(医師,作家,ヤクザ,そして空中ブランコ乗り--それぞれに華のある,ある種憧憬と羨望の対象になりやすい職業という点はみごとに共通している),苦しんでいる内容も,自分の悩みに対する姿勢も,その原因も,「救われ方」のパターンまで,型押ししたようにみんな同じなのだ。
「対人関係や自分の生き方について悩む」ということ自体は,僕にとっても対岸の火事どころではないのだけれど,たぶんこのワンパターンさのせいもあって,感情移入は,ほとんどできなかった。

たぶん,いろんな役で出てきたそのたった一人の「患者さん」の,そのたった一つの性格タイプが--それが,いかにも読者が感情移入しやすいように上手に造形されていることは認めるけれど--あまりにも僕自身のそれと違いすぎたのかもしれない。
あるいはもしかしたら,しばらく前からテレビを見ることをやめてしまったせいで,こういうライトな作品を楽しむ能力が,根本的に退化してしまったのかも(そういえばこの作風は,いかにもある種のテレビ人の手になるものらしい--ある種の,とわざわざ言うのは,三谷幸喜とは,あるいは少なくとも(これまた直木賞作家である)向田邦子とは,区別しておきたい気持ちがあるからである)。

構成の単純さ,主人公(たち)の悩みのわかりやすさは,むしろこのシリーズの美質の一つと言うべきだろう。
受賞作というところからこじつけて,久生十蘭や広瀬正や,挙句には司馬遥太郎とまでわざわざ引き比べてあげつらったのは,だから,(僕のよくやる)意地の悪い無いものねだりだ。個人的なことだが,僕は,作者当人の姿が,(紙人形の操り手としてではなく)人の中で生きていくことのさびしさや痛みややるせなさを抱えた一人の人間として見えてくるような作品が好きなのだ。またいつもの偏屈癖かと,笑って見過ごしていただければ幸いである。

無いものねだりを続ければ,「主人公の悩みと自分を重ね合わせて元気になる」ということなら,僕はたとえば,安野モヨコ の『働きマン』のような作品に励まされる。登場人物たちは類型的だが,それでも十分に感情移入を許す,ていねいなディテールの描写がある。人中に生きることに伴う悩みとその周辺構造についてのクールな分析と,その本質的な哀しさ・滑稽さ双方への,鋭くもあたたかい目配りがある。

いずれにしても,これも先に書いたとおり,ハリネズミの登場を確認したことで,僕はこの『空中ブランコ』という作品に,十分満足しているのだ。「読んで損した」なんてことは決して思っていないし,教えていただいて本当によかったと思う。少なくとも,「ハリネズミ度」を指標にするならば,『空中ブランコ』は,『働きマン』よりも,明らかに格の高い作品なのである。

ちなみに,これはずいぶんと昔,学生のころに,精神科医の笠原嘉(よみし)さんの本で読んだのだが,苦しい境遇にあるときの症状の出方を,(1)精神的な変調,(2)行動化,(3)身体化の3つに大別する考え方がある。性格タイプによって,この3つのうちで取りやすいものが違ってくるのではないか,という。
この本の主人公(たち)のように,悩みが強迫症状として表現されるのは,その本来の悩みが,本人には認めたくないものであるために抑圧されてしまい,その押さえ込まれた感情が行き場を求めて噴出するが,本人には抑圧した悩みそのものの自覚がないものだから,原因の見当がつかずに困惑する--というようなことなのだろう(「抑圧」という機序を症状の根本に置く考え方はフロイトに始まるもので,確かにわかりやすいけれど,言ってしまえば非常に古くさい症状観ではある)。
これは一見すると(1)の「悩んじゃう型」のようだが,抑圧→意外な形での症状化というメカニズムから言えば,むしろ(3)の「身体化型」に近いタイプということになるような気がする。主人公(たち)は確かに悩むが,それは当初,(本来の)対人的なトラブルについてではなく,突拍子もない衝動や不安についての悩みなのである。
主人公(たち)は,(そしてもちろん,主人公に感情移入することができた読者も,)ファンタジーの域と言ってよい伊良部医師の天衣無縫すぎるあり方にふれることによって,その「認めたくない」という気持ちの元になっている意地や体面やプライド(すなわち社会的感情)の馬鹿らしさを教えられ,「癒される」。ハチャメチャな伊良部先生を仮に(2)の行動化型だとすると,これは,生真面目で抑圧的な「身体化型」としての主人公(と読者)が,気ままではた迷惑な「行動化型」の人物に出会って成長する,Type A meets type B. とも言うべき物語である(もちろん,実際の「行動化型」の人間の大部分は,伊良部医師のような傍若無人で気ままな人間とはまた違ったタイプのはずだが)。

と,すれば。
僕の場合,およそ基本的に真面目な抑圧タイプではなく,周囲に気兼ねしてあれこれ悩んだり,認めたくない自分のプライドや不安をと格闘するよりも,気の進まない仕事をぽーんとおっぽり出して,周囲に迷惑をかけかつ自分も困るという経験の方が多い,つまり「行動化型」の人間である。平たく言えば「困ったちゃん」だ。そのせいで,伊良部先生のドタバタぶりを見せつけられると,逆に居心地の悪さを感じ不愉快になる,という側面もあるのかもしれない(そう,「ただの阿呆ではない」ことを作者が毎度毎度念入りに確認するこの伊良部医師というキャラクターは,僕にとってはただひたすらに不愉快な人物なのだ--結局はそれがすべてなのかもしれない)。
心の葛藤よりも身体化した症状よりも,その行動面でトラブルを起こしてしまうタイプの人間の多くは,伊良部医師とは異なり,(1)自分の問題行動を問題行動として認識するだけの判断力と社会性を有し,(2)それゆえに多少なりとも苦しみ,(3)さらには,そうやってちゃんと苦しんでいることをもって,自分を許すためのささやかな根拠としてしまっているのではないか。彼らは,伊良部医師のような人間が現実の社会の中で人並みの居場所を与えられることは限りなく少ないということを,日々,痛切に,骨身に染みて感じている。自分の行動の問題がわかっていて,それがトラブルにつながることがわかっていて,それなのにそういう行動をとる。危ないのを知っていながらダンプの前を横断し,そして跳ねられる。そういう人間が,自分と同じような,いや,明らかにもっととんでもないことばかりをしでかして,しかもパーフェクトにハッピーなままでいる人物を描写した“おとぎ話”を読んで,癒されたり,楽になったり,元気をもらったりするなんてことが,いったいあり得るだろうか?

要するに--『空中ブランコ』シリーズは,「困ったちゃん」(=行動化タイプ)のための作品集ではない。主人公(たち)にせよ,彼/彼女(たち)に感情移入できる人たちにせよ,彼らとは別の,もっとまともで真面目で,適応的な人たちなのだ。

実を言えば,僕は1月24日の自分の日記を読み返してはいない。たぶん僕自身が読んでも不愉快な文章であることは,想像がつくからだ。ただ,いただいたコメントだけを一読して,この文章を書いている。そのせいで,これがおよそ見当違いな文章になってしまっている可能性も多分にあるが,それでも読みたくないものは読みたくない。
……僕にとっての「問題行動」乃至「心のトラブル」とは,たとえばこういうことなのだ。


★最後に,日記らしいことをいくつか。

その1。
最近のKg君(小5)の関心事は,円周率(文部科学省によれば「およそ3」だそうだが)とともに,フィボナッチ数列をおぼえることである。もちろん僕が教えたわけではない。彼が1日に1冊を読む習慣を堅持している読書人であらせられることを知っているので,思いついて「『ダヴィンチ・コード』,読んだの?」と訊いてみたら,「なにそれ?」と返されてしまった。そりゃそうですね,小学生が読むのはちょっと,と思われるようなアダルトな描写もあることだし,基本的に人文系は,星座の恣意性を鋭く批判したりするKg君の守備範囲ではない。いずれにしても,中学も3年になってフィボナッチ数列という言葉をはじめて知った僕なんぞは,まだまだかわいい方だったわけであります。
Kg君には,この前の授業では「解の公式」の証明をせがまれたし,そうそう,あの日は「4のn乗引く1が必ず3の倍数になるのはどうして?」という質問も持ってきたのだった。前者は平方完成,後者の証明には因数分解の和と差の積の公式を使う。やれやれ,彼には早いとこ因数分解を手ほどきしてしまった方がよさそうだ。

その2。
小さなシアワセ。選びに選んで,「こいつらはいらない」と決めた5冊の蔵書の「ブックOフ」での売り値の総額が,ぴったり290円だったこと。290円というのは,「松*」のメニューでサイドディッシュを除けば一番安い,「ヘルシーチキンカレー」のお値段である。前にも書いたが,「ヘルシーチキンカレー」は吉*屋の「牛カレー丼」と同じ値段なのだが,牛カレー丼より味付けが豊かだし,無料で味噌汁もついてくる。そして松*の味噌汁は,具の油揚げが,なかなかにぜいたくだったりもするのだ。

その3。
究極の貧乏メニュー,「うまい棒」スープを開発。ここにレシピを公開する--って,名前でわかるか。コンビニで売っている駄菓子の「うまい棒」を2つに折って紙コップに入れ,お湯を注ぐだけである。「めんたい味」と「サラミ味」の2つを試してみたが,青のり付きの「サラミ味」の方が具合がよかった。やや薄味ながら,なかなか汁物らしい味になるし,菓子本体もほどよく形が残り,(これは意外だったが)明石焼きにかなり近い食感だった。貧乏仲間はお試しあれ。
ちなみに「うまい棒」は定価10円の駄菓子だが,○ーソンで買えば9円である。百円も出せば(僕はそんな大金は--「ブック○フ」から「松*」に向かう間の短い時間は別にして--持ち合わせていないが),なんと11杯も!飲める計算である。

その4。
Os君(高2)の個別中,J室長より携帯に電話。授業終了後,留守録を聞いたら,Am先生の代講の件で話があるので連絡をもらいたいとのこと。若い社員のAm先生はインフルエンザで,2日前から休みを取っている。社員なればこそ,安心して流感にもかかれるわけだ--なんて皮肉を言う資格は,望んでその立場を下りた僕にはない。折り返しかけてみると,J室長の携帯,留守電になっている。「11時過ぎてるし,もう家で寝てるんだろね」とOs君と話していたら,廊下から当のJ室長が登場。「上がります(=帰ります)!」と一言言い捨てて,歩み去って行った。……いろいろと疑問はあるけれど,まあいいや。





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最終更新日  2005年02月07日 06時57分18秒
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