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パチンコ道 アルバイト~副主任


今勤務中のお店もその中の一つだった。

数年前に引越しそれを機に
このお店でアルバイトを始め
そしてこの店を一度辞め
(地元に戻ったため)
ちょいと遊びに顔を出した際に
当時の副店長さんかお誘いを受け
考えた結果働いていたパチンコ店から転職。

社員とし採用された。

この会社はコテコテのパチンコ店ではないかな。
役職者は皆年齢が高く。完全年功序列。
出社し帰りは定時。 週休二日制。

自慢できる事ではないが
約10社ほどのパチンコ店を経験してきたが。
ココでやろうと決めたのは『楽』だったかもしれない。
その『楽』も数年だけで 大きく変化していった。。。


パチンコ店アルバイト時代とのギャップ

この店(仮名ライブ)で
アルバイトをしていた頃の自分は…

従業員同士で話して赤ランプも ムシ

某ファーストフードからに来る
販売員と話して社員に 注意され

指には指輪。耳にはピアス。
何度言われても外し忘れて再度 注意

暇なホールで常連のお客様と ベラベラ

当時主任の通称ヒロシに注意を受ける
『そんなんだったら辞めてもらっていいんだよ』
と言われたら
『まともにホールにもいないで休憩室でタバコ吸ってる
 そんな主任さんに言われたくないんですけど』
なんて部下にしたくない奴としてはNO.1。

そんな状況でクビにならなかったのは
それまでのパチンコ店経験で
社員が対応できなかった台トラブルを対応したり
ライブではまだやっていないような提案を
たまぁ~に行なっていたからかと今は思います。

数年勤務し地元に戻るため退社し
地元で(懲りずに)勤務したパチンコ店(仮名『EIEN』)
での経験が今後大きく成長(?)するキッカケとなる。



パチンコ店 仮名『EIEN』の過酷さ

ライブを退社し地元『EIEN』入社。
面接時に経歴を評価され、とりあえずバイトだが
すぐに契約社員にととりあえず採用。
グランドオープンだったため
数日前から研修開始。
採用されたアルバイト25.6名が
一列に並び『いらっしゃいませ!』
大きな声を出し礼!
それを半日…全員がそろうことはなく終了し
午後はマニュアルを広げ講師の人事課のお偉いさんが
淡々と話をする。
=2日目=
一人一人が店内コースを歩く。
それを人事課の方がビデオを回し
全員でそれを見て
「歩く方が接客業ではない」
と指摘され
「パチンコ店の接客」なんてビデオ鑑賞。
午後に…再び一列に並び 『いらっしゃいませ!』
『ありがとうございます!』
『どうぞ!!!!』
ひたうら揃うまで揃うまで。
昼過ぎからチーム分けして対抗。
気付けばそれだけで外は暗くなっていた。
=3日目=
ホール中央に全員集合
皆で円になり真ん中に一人・・・
『我々はーーーーー!!!!』
長々と続く分を見ながらも大声を出すので
目の前に星がチラチラ…
自分が終了後『はい次の方』
同じように本気で腹から声出し!
顔が真っ赤。言い終えた後に倒れ込む人も。。。
女の子の中には
どうしてもできない人も出て
泣きじゃくって何も言えない子も…
二人終えた後全員に人事のお偉い方が
『どっちの声が大きかった?』
声が大きかったと認められた私は勝ち抜け
小さいと言われた人は数人後に再チャレンジ。
最後の2人になった時、その二人は
何度も大声を上げていたせいで
声もかすれ、顔も赤から青に変わってきている。
最後に人事のお偉い方の 『OK』 が出て終了になった。
午後は2つにチーム分けされ
『お客様役』『従業員役』で
大当たりされた際の対応などを
これもまた延々行なう。
=4日目=
初日25名ほどいたアルバイトも
この日には20名をきっていた。
分厚いマニュアルを広げ
社長のありがたいお言葉、
経営理念、『EIEN』の求めるもの。
などなどの有難いお話を頂く。

完全に『人間』としてではなく
『従業員』としてしか求めていない徹底さ。
良くも悪くも影響を受けた。

その後はEIENのチェーン店に
研修勤務。研修で行なった動きが
その魅せの従業員はしっかりと出来ていた。
研修生が来るのだからと意識はあったにせよ
全くもってお見事。
入口では挨拶専門で『いらっしゃいませー!』
それを聞いた上司が『語尾をのばすな』と
インカム(インターカム=無線みたいなもの)で注意。
奇麗な姿勢で背筋を曲げずに45度の礼・・・
研修のマニュアルで見た絵と同じ。。。

そんな研修を2週間ほど行い。
自店勤務に戻る。いよいよグランドオープンまで数日。



パチンコ店 仮名『ライブ』に出戻り

「EIEN(仮名)」に契約社員で勤務していた時に
「ライブ(仮名)」の近くまで来たので寄った。

アルバイト仲間に会い ワイワイ
休憩室で話していると、とっても素敵な(皮肉)副店長が
『おぉーMOCHA君じゃないかぁ。事務所においで』
お久しぶりです・・・(苦手意識丸出し)
『今の章句場はどうだい?』なんて聞かれて
淡々と話を返す。で突然副店長様出たお言葉が
『こっちに戻ってくればどうだい?』
はぁあぁぁ?!
確かにEIENでの働きを話しはしたが
アルバイト時代の何を見てきたんだい?
私から見て副店長は人を見る目はないかと感じてる。

地元に帰り、いつものようにEIEN出社。
数日が経ちライブへの考えが出るように・・・
EIENの店長に相談を持ちかけた。
『おいおい何を言ってんだ?
 これから正社員になって役職ついて
 店長になるんだろ!
 部長(面接時に社員雇用を約束してくれた方)も
 これだけ評価してるんだから、
 辞められても困るんだよ!』
嬉しいが…
『おまえが辞めたら部長に何言われるか…』と聞こえた。
確かにEIENグループは完全実力主義。
22.3歳で主任や副店長。
25歳で店長なんてザラにいた。
私の働いている店の店長も27歳。
エス○スさんやマ○ハンさんも
やはり実力主義で若い人たちの活躍がある。
それは大きい魅力だった。が給料は低い(笑)
EIENでの約1年半は大きく成長をさせて頂いた。
仕事の取り合い状態で懸命に背伸びし
『自分はミスのない男だぁ!』
なんて周囲には見せるために強がった。
出来ない仕事がないようにと
各種取り扱い説明書を持ち帰り読む!
「たかがパチンコ店員」と言う気持ちが
完全に消えていた。
しかし甘ちゃんが出てきていたのも確か
ライブは週休2日で定時出社定時退社。
年功序列、当時24,5歳の自分が上に立つ事もない。
『楽』
最終的にはこれが決め手だったのかもしれない。

EIEN店長とは結局話が纏まらず
最後は強引に『締め日以降来ませんから』
と言い捨てた。
最終日を迎えるまでもなく
シフトから名前を外され締め日より早い最終日を。
アルバイトさん、社員さんは温かく送ってくれた。

パチンコ店 仮名『ライヴ』に戻る

出戻り初日、以前一緒に働いていたアルバイトが
みょ~~にヨソヨソシイ…社員だから???
って当たり前かな
以前バイトしていた頃の私を知っているのだから。
http://plaza.rakuten.co.jp/invisibleband/diary/200601120000 参照

アルバイトには当時御三家と呼ばれている3人いた。
私よりも年上が2人と同じ年が1人。
個性豊かで説明が難しいが頼りになる3人だ。

そのうち2人は私が戻ったことが面白くない。
1人は優しく迎えてくれた♪
面白くないと思うのは1人は
昔の私の印象を最悪だと感じていたから。
(かなり真面目で遊び心なし!)
もう一人はアルバイトの中で色々と
かわいがられていたのに
あのMOCHAが戻ってくるとなりゃ
任されてる仕事をもっていかれるから?

社員も人それぞれだった。
女子社員も私より年上が3人。
こちらは喜んでくれた。(ほっ)
後は一般職が1人。
この人は私がバイトしていた時に
移動してきた(その時ライブは1件潰しましてね)
年は全然上だが腰が低くアルバイトの私に
色々と聞いては頭を下げていた・・・
役職は副主任と主任さん
二人とも40代。
このお二人様もかわっちゃいなかった。
主任さんは一言
『MOCHA君は私を上司に選んだって事だね』
(こいつアホか?そんな器じゃないってまだ気付かないのか)
とりあえず『その件は追々』とかわした。
副店長は相変わらずマイペース。
自慢話は大の得意。
面白い人=うざい人 は、紙一重だと痛感。
店長はもう50代前半。
アルバイト時代にはほとんど話しはしていないが
気前の良い明るい下町育ち風の方だ。

そんなこんなで
週休2日、17:00出社 23:45退社
残業はほぼ無し 休憩1時間
『楽』 な「ライブ」生活スタート。





パチンコ店 『ライブ』での1年目

実際『ライブ』抜けたのは約2年間。
その間この店は時間が止まっていた様に
何も変わっていないような空間だった。

『楽』が出来ると戻ったはずの私だが
実際は何故か・・・行動をとめる事が・・・

従業員の動き、態度
お客様への接し方、話し方
札さし、声掛け、お辞儀
何もかもが目に付いた。

それでもいいのが『ライブ』だったのに。

まだまだクソガキの分際で
何も言ったって無意味。
それも過去のイメージも強いだろうし。

戻ってからの1週間はひたすら行動で示した。
お客様との対応は必ず笑顔。
入口出口のお辞儀、
店内・台周り清掃の徹底。
黙々と黙々と。
以前バイトでいた時は口もきいてくれなかった
御三家の一人。(最年長アルバイター)
色々と聞いてくれるようになり
以前との違いを認めてくれるようになった。
私と同じ年のアルバイター(御三家の1人)は
なかなか協力しようとはしない。
彼自身、社員から自分への信頼を守りに入る。
でもその社員達からの支持は必要なもの?
休憩でもないのにホールには下りずに
タバコをふかして言いたい事は言ってくる。
そんな奴らと上手くやっていく必要はあるのかぁ???

昔は仕事後に麻雀いったりしたのになぁ・・・
なんて思っていたが私からも声はかけなかった。

数ヶ月した時に仕事(作業的)をお願いすると
『いやだよ』の一言。ありがたく頂戴・・・しないわっ!
『頼むよ。俺は別にこの店を変えたいだなんて思ってない。
ただ役職の奴らみたいに好き勝手やってんなら
俺は好き勝手にキチンと仕事をしたいんだよね。
一緒に創っていかないか?』
(本当はもっと声を荒げてた様な気がしまくる)
それから御三家には理解してもらい
色々と協力をしてもらいながら仕事をこなす様に。

その時初めて気付いたんですよね・・・
私がバイトでふざけまくってた時も
彼らは真面目に仕事をしていたんだ。 って。

このころの『ライブ』
 役 職 = 仕事せず
 社 員 = 頼れず
協力意識 = なし
プロ意識 = なし
プライド = 高い
 接 客 = ルールなし
完全年功序列
何もかもマニュアルなし
アルバイトは社長・専務・常務・部長の顔すら知らず。
店長の顔は知っているが一ヶ月に一度話すかどうか。
時給は一切上がることはなし。減給はあり(不良勤怠)
早番・遅番 仲悪い。(社員・バイト共に)




パチンコ店 仮名『ライブ』の2年目以降

徐々にアルバイトさんの意識が高まっていく。
御三家の協力を得てみな変わってきているんだ。
接客、店内美化 従業員同士の挨拶も
少しずつではあるがよくなっていく。

自分がアルバイト時代にはしっかりママさん的な
女子社員が数名在籍しており
女子従業員をしっかりと纏めていたが
この時はバイトとなんら変わらない意識というか
仕事に来てるだけ。見てるだけ。言われた事をやるのみ。
そんな態度の女子社員だらけだった。
それでもプライドは高く新しく入ってくる
女子バイトには厳しく時には泣かしていた事も。

社員とアルバイトの業務の壁は
金銭以外には不必要と思うのを行動に移し
アルバイト業務の幅が広がっていく。
協力意識が見え始めた時だった。

さて役職は?
早番の主任様は
ホールにはほとんどいない。
電話で馬券を購入し
テレビで馬券がアタル様に祈るだけ。
その他はソファーでゆっくり寝るだけである。
数年後に問題になりオーナー解雇処分を受ける。
(てか数年間放置なのがおかしいやろ)
遅番の主任様副主任様は
『バイトは所詮バイト。駒なんだからね。
せっかく教えてもすぐ辞めるんだから』
と、教育を放棄。ならあなた達の仕事は何だい?

当時のライブはイベント一切なし。
販促もほとんど行なわずにいたため、
主任や副主任が色々と頭を悩ます必要はなかった。
その日の売上・稼動などはコンピューターの見方すら
理解していなかっただろう。
言う言葉は『今日は暇だったねぇ』
『今日はケッコー出ちゃったんじゃないのかなぁ』ばかり。
正直常連のお客様よりも言う言葉は素人だった。
教育放棄して、そんな彼らの仕事は?
釘と設定だろうか
釘といっても自分たちで打つのは「命」(へそ)だけだ。
出ちゃったからコノ機種をしめまーす。
出すから開けまーす。・・・馬鹿か。
命のみの調整のおかげで
T1Y(大当たり1回の平均出玉)や
スタート率(1分間の回転数)などはバラバラ。
賢い常連様の中にはそのバラバラの中で
良く回る・出玉が多いって台を見つけては
数日・数週間打ち続けた。
そのヘソも左右にズレがあったり
解りもしないのに色々といじって
玉がかかりまくったりと・・・素晴らしい出来栄え。
設定も打ち間違えていたり、飛ばしたり(ここ数年飛ばしはありません)
知識のないものが考えていては何もうまくいくはずがない。
ちなみに二人とも目押しすらできません。
しかしプライドだけは高く持つ。
ある意味意識が高いのか(苦笑)
でももうアルバイトからの信頼は   だとお気付きください。
このころの『ライブ』
 役 職 = 相変わらず仕事せず
 社 員 = バイト感覚(バイト以下)
協力意識 = アルバイトさんで少しずつ
プロ意識 = アルバイトさんは意識を持ち始める
プライド = 役職・女子社員 無駄に高い
 接 客 = 各自意見を持ち、話し合いをするように。(バイト)
店内美化 = 気付くように。率先して動くように。(バイト)
完全年功序列 最年少役職は本店勤務 副主任で42.3歳
時給は一切上がることはなし。
アルバイト間では「どうすれば他のバイトに負担が少なくなるか」
「効率を上げ、お客様へのサービスをスムーズに」
などを考えられる様になっていった。
役職は多少焦りはあるのかもしれないが
行動には出ていない。焦りが苛立ちに変わり八つ当たり。




パチンコ店 仮名『ライブ』3年目4年目(前半)

上司に嫌われながら、煙たがられながらも
アルバイトのみんなと協力し合い過ごしていた。

他から言わせると私は
『熱血』 言い方を変えれば 暑苦しい(笑)
何かミスをしたら『叱る!』
普段や休憩中は皆とバカっ話をする。
よく遊びにも行きました。
従業員同士でちょっと話をするとか
ドル箱を倒してしまった。。。
なんて事では怒鳴りません。
ピーク時に皆が懸命にホールを駈けずり回ってるのに
降りてこない副店長や主任にインカムで怒鳴ったり、
従業員がお客様の玉を粗末にあつかったり
レシート・カードを失くしたりした際は
『玉やコインはお金なんだぞ』って事を
教えるために 終礼時に皆の前で
わざと大きな声で怒鳴りました。
協力意識の少ない子に対してもそうでした。
仕事は皆でやってるんだ!と、
1人がダラけたら他の人が
その分頑張らなければならないんだ。と。

こんな『熱血バカ』に不思議と皆集まってくれました。
正直辛い時期もありましたが・・・
この頃ちょうどそれを痛感する出来事がありました。
数週間前から調子が悪い状態が続きました。
頭痛が取れず、なんとなく真っ直ぐ歩けていないような…
そんな状況が続いた結果
ホールから休憩へと階段を上がりきった時
目の前が真っ白に『バターーーーーン!!!!』
倒れました。休憩中のアルバイト数名が近付き
声を掛けてくれて『はっ!?』倒れたことに気付く。
その日は帰らされてしまい。翌日病院へ
診察室のど真ん中で電気を消され
何分間か「じぃ~~~~~~~~」っとして
「はい次は地下へどうぞぉ」
地下へ行って今度はMRI。こぇ
検査結果を先生から伝えられる
『結果は・・・不明です
 脳に異常はありませんでしたよ。
 ただかなりのふらつきが検査でわかりました。
 また一週間後に』
納得いかない私はさらに翌日違う病院へ
 結果は 同じ
病状は安定しないまま仕事に復帰しました。



パチンコ店 仮名『ライブ』3年目4年目(中編)

結局仕事は2.3日休んで復帰。
しかしその後も立ち眩み・眩暈は治まらず
気持ち悪くなったりの繰り返し。
『自分がこんなんじゃいけない』と焦り。
『病名すらわからないって…』と不安ばかり。

それでも無理に仕事には出ていました。
ドル箱の上げ下ろしで頭が割れるほど痛み
病院から出された『安定剤』を飲み和らげて。
それを繰り返し限界がみえ
ホールで倒れこむように動けなくなりました。
また病院へ
知人の紹介の病院でしっかり検査を受け
先生とお話を。結局『わからない』
診断書を持って来いと会社から言われていたので
『なるべく詳しく書いてください』と頼み
渡された診断書には 『脳腫瘍の疑い』 と。
『詳しい検査結果は1週間後それまで安静』
目の前真っ白。何を考えているのかすら自分でもわからない。
翌日会社に行き診断書を渡すと
『1ヶ月休め』
その休んでいる間はただただ焦りが。
職場の仲間からは心配のメールを頂くも
焦りと不安が…
何をするわけでもなく
地元に少し遊びに行ったり
知人と出かけたり
普段なら楽しく思える感じられるはずの時間が
『今俺は何をやってるんだ』と楽しめませんでした。
1週間後 病院で先生は 『脳腫瘍の疑いはありません』
ほっとしたと同時に『何の病気かわからない』不安が。

休んだ1ヶ月の間で多少なり
病状は落ち着いたようにも思え
復帰しました。



パチンコ店 仮名『ライブ』3年目4年目(後編)

復帰後も頭痛・眩暈・たちくらみは納まらず。
しばらく辛い時期が続きましたが
顔には出さないようにとしていても
他から言わせると思いっきり出ていたそうです。
その後も出勤はしても早退する日が多く
自信を失いかける日が余計に焦りを生みました。

しかし支えてくれる存在の大きさに気付けた年になりました。
仕事と家の往復の繰り返し。
しかし体調不良で家にいても落ち着かない。
かなり気分も落ちているものの
職場では『元気に!』『明るく!』と
無理やりにでも大きな声を上げていました。
そんなとき1人の女性スタッフ(アルバイト)が
声を掛けてくれて楽しく過ごせる状態に。
他のアルバイト仲間も辛そうな自分を見ては
気に掛け心配し『ここは心配しないで
帰ってゆっくり休めって!』と
嫌な顔ひとつ見せずに笑顔で言ってくれました。

徐々に徐々に体調は良くはなって来ていました。
何故か雨の降る日等調子の悪い日もありましたが
早退せずに仕事が出来る状態に戻りつつありました。
この期間は『人』の大切さに気付き
『人』に支えられた期間でした。

この時に支えてくれた1人の女性スタッフは
厳しい事もハッキリと言い
思ったことを素直に伝えてくれる
すごく力になってくれた存在です。
今は僕の人生のパートナーとして
仲良く一緒にいます。

この年の過酷に感じた経験。
大切な人との出会い。そして支え。
職場の仲間の力の大きさを知りました。
『自分がいなければこの店は・・・』
なんて考えていたのは
同僚(社員・アルバイト)に対して
『信じていない!』って言っている様なもの。
実際は私がいない間だって
みんなしっかりとした
接客・ホールまわしをしていた。
『信じて任せられる』

そしてこれから更に
『仲間意識』が高まり
上司との衝突が増えていきました。




パチンコ店 仮名『ライブ』5年目(前編)

なんとか復帰はしたのものの不安定。
酷くなったり和らいだり。
そんなんでも皆と頑張っていました。

ちょうどその頃スロットコーナーを改装。
約1ヶ月の間パチンコフロアのみとなりました。

改装期間中 人員削減を言ってきた店長と副店長。
それを素直に聞く主任。それに反発する一般職の自分。
主任に言っても仕方が無いのは知っていたので
店長に直談判。結局店長もオーナーから
言われて厳しい立場。(中間管理職・・・)
この頃の店長と自分はそれまでに
信頼を得て仲良くさせて頂いておりました。
タイプ的には『江戸っ子』?(笑)
数字的知識には滅法弱いが
常連のお客様を相手に
『なぁ~んだ出してくれよー』
なんてホールで長々話し込む。
釘の技術もそう高くはないが
『お客様に出してやるぞー!』って
思い、気持ちは伝わってきました。
唯一仲良くさせて頂きたいと思う人でした。

その店長を困らせてしまうのを承知で
アルバイトにだって皆生活がある!
店の勝手な改装で陣人を削るって・・・
しかも直前まで公表もなしでは
何の打つ手もない。
改装期間内にやりたい業務もありますし!とお話を。
店長からオーナーへ話が渡り 『OK』 が。
『この期間内でしたい事が沢山ありまして』
と言って了解を得て頂きました。

この問題に対し
副店長・主任2名副主任2名は全く口を出さず。
さらに・・・副店長・主任2名は
改装に入ったら入ったでアルバイトにホールを任せ
己達は全くホールに出てきやしない。

そして副主任1名は歳も歳だし
改装明けてからの業務に自信が無いと退社。
この副主任は正直嫌いにはなれなかった。
喧嘩も数回したがホールにはキチンと居た。
アルバイトから尊敬されるタイプではないが
ノホホンとしたタイプで癒し系ではなかっただろうか。
数年前に腰を痛めパチンコフロアでの勤務を断念し
スロットフロア専門に。
この事を副店長やオーナーは面白くはなかったと
聞いた事がある。主任は裏で悪口を言っていた…。
自分は尊敬しているとは言えなかったが
スロットフロアの事に関しては
話を聞くのに抵抗はなく素直に受け止められた。
体調が悪くフラついていたときも声を掛けてくれて
心配もしてくれていた。
とても残念だがこれ以上無理させるのも・・・。
と、引き止める事はせずに見送る事にした。

残りわずかになってきたある日
副主任が『mocha_fire君、
この会社はこれからとても大変になると思う。
俺にはもう追いついてもいけないだろうな。
店長も本当は弱い人だから力になってあげてね』
この時はこの店がどの様に大変になるのか
想像もしていなかった。
だから『はぁ・・・』って感じで
『それより送別会やるから絶対来るんだよ!』
って方で大変だったかも(笑)



パチンコ店 仮名『ライブ』5年目(中編)

副主任が辞表を出してから数日経ったある日事務所に呼ばれた。
店長に奥の応接室に通され腰掛ける
『もう副主任が退社する事は聞いてると思う。』と店長が話を始める。
完全年功序列のこの会社では次にその「副主任」になるのは
私よりも5歳とし上の社員がなると私は思っていた。
が、店長から出た言葉は
『私、副店長、主任、副主任。全員で君にと決めた』
『はぁ・・・。え?はぁあ?』
何をおっしゃる?この会社は実力完全無視の役職ではござませんかぁ~
『これまでのmocha君の働きを見て決めた事だ頑張ってくれ。』
と言われた自分は『考えさせて頂きたいのですが・・・』
店長(きょとん)『あ・・・あぁ・・・考えてくれ』
そりゃそうだ。考えさせてくれだなんて言われると思っていなかっただろう。

すぐに返事ができなかったのは
・5つ年上の社員の立場
・アルバイトとの関係
・役職となった時の自分のスタイル
・自分の病(相変わらず原因不明)
これらを考えてしまったから。
今までアルバイトさん達と同じ視線で役職者達に問題をぶつけ
だらしのない役職者達に渇を入れやってきたが
自分が役職になったら…アルバイさん達との関係が
微妙になるのではないかとゆう不安。
それと腰の低い本当に気の弱い頼りない5つ年上の社員。
彼は彼なりに全力でやってきていた。
偉そうになってしまうが確かに不器用で
人にも好かれるタイプはなく役職ははアルバイトの前でも
彼を叱咤するほど・・・しかし彼は自分の解釈の中で懸命に頑張っていた。

数日後・・・事務所へ行き店長にお時間を頂き
『申し訳ございませんが、お断りさせて頂きます。』
もちろん 『何故だぁ!?』
『自分は今のポジションだからこそ皆に慕われていると思います。
 それにAさん(5つ年上の社員)が適任かと・・・
 これまでに早退欠勤もし皆に迷惑もかけていますから。』
結局『もう少し考えてみろ』と。
また数日後に事務所に呼ばれ言われた言葉は
『A君と共に「副主任」を頼む』
なぜ?なぜ?2人?一般職いなくなっぞ?はぁ・・・
『とにかくやってみろ!色々とフォローしてやる!』
お力強い・・・しかし何故そこまで自分を推してくれるのか
確かにかわいがっていは頂いていると感じていたが・・・
その原因は数ヵ月後知った。
とにかく驚きと戸惑いの中 この会社での始めての20代役職に就いた。



パチンコ店 仮名『ライブ』5年目(後編)

副主任になり自分に変化はないつもりだったが
色々と力が入っていた。
今まで口が出せなかったところに介入できる事の
苦しみと喜びとプレッシャー。

全アルバイトの時給を知った時愕然とした。
ほとんどのアルバイトが上がっていない。
そして上限が設けられてあるのだが
上限より100円低いところで皆STOP。
なぜ?『上限はあるけどこのラインを超えることはない』
ばかか・・・。
これを知ってから『やってる子にはやってるだけの評価を!』と
上限まで100円足りないところが事実上の上限になっていた壁を
少しでも早く壊し頑張っているバイトの時給を上げる事を目標に。

いままで触らせてくれなかった「釘」だが
これを店長が「やってみろ」と
それからは主任様と言い合いの日々。
「本当にこの人はパチンコ知ってるのか?」と
目の前で喧嘩することもたびたび。
主任をはってるが言うことは「オカルト」ばかり。
やはりこの人にはついていけない・・・。
口先だけでは何も認めてくれやしないと(認めてもらいたくもないが)
1台1台のゲージ表を用意し
すべてのゲージを記録。
どこをどう動かすべきか
どう動かしたらどう変化するのかを学ぶ事に取り組んだ。

朝礼はあるが中身はなく終礼がない。
アルバイトの意見はあまり出易い環境に無い。
終礼を設け、意見をだせる環境創り
そしえその日の反省をみんなで活かす場に。

マニュアルなんて全く無いようなものだったが
みんなの意見を取り入れて
『初日の子でもわかりやす簡単なマニュアル」創り。

入替等作業の効率化
アルバイトが充分の戦力である意味のあるものにと
入替作業内容を全てアルバイトに教え
社員のいらない仕組みに(どうせ主任様は何もしてないし)

日々のシフト管理も主任が考えりゃメチャクチャ
しばらく自分がやり仕組みを完成させてバイトに任せたい。

などやって日々を過ごす。
時にはやり過ぎると大切なスタッフから渇が入る。
もちろん全てがうまくいくわけもなく
気分が落ちるとスタッフが励ましてくれた。
色々と支えてもらった。
みなそれぞれ性格が異なるから
力になってくれる「形」も違う。
しかしすべてがありがたく感じた。

時には仕事の事で叱ると
「役職になって変わった」とも言われたりもしたし
もしかしたら本当に変わっていたのかもしれない。
しかし全力でやっている事が伝わって協力をしてもらえた。

体調も悪くなったりの繰り返しだが
副主任になって緊張があったせが倒れる事はなかった。
表情に出て心配させ心配させすぎて起こられる事もあったが
しっかりと支えてくれた事は本当にありがたかった。

副主任になって約半年
色々な事を学ぶ事ができた。
協力なくしては乗り越えられなかった約半年だった。



パチンコ店 仮名『ライブ』一般職~副主任

アルバイトと共に懸命に歩んだ一般職時代。
『アルバイトは駒だ』と吐いた主任に
『お前は社員・バイト関係なくクズだ』と言ってやりたい。

ホールの休憩回しから配置、
役職が何も考えずに組み混乱していたものを
自分が奪い、最終的にはアルバイトさんへ

入替においても
何をやりゃいいのか解らずに
効率の悪い作業から
指示を一本化し
全員がスムーズに行なえるように

偉そうにしていた役職の背中がどんどんと小さくなっていった。

そんな状況を見てきた人は
従業員だけでなく
業者さんからも大きな支持を受けた。

アルバイトさんやお世話になっている業者さん
すべての人に支えられ自信を持てた事で
皆が満足できるよう、自分が動きやすい環境になっていった

時には喧嘩もし怒鳴りあい。
『接客』なんて全く無かった店が
徐々に「プロ意識」を持つようになっていった。

副主任になる事を自分は不安に感じていたが
これもアルバイトの皆と業者さんらが
支持してくれたお陰で自信が持てた。

『やれる事』『やらせてもらえる仕事』が
本当に規制され『やらせてもらえない』窮屈な環境。
頑張っても報われない体制。
一人では到底崩す事のできなかった“壁”だろう。

アルバイトとしてだけでなく
一番近い存在で支えてくれて
キチンと言いたい事は言う、
力になれることはなってくれる彼女。
自分がアルバイトで入った時にすでに居て
社員で戻ってきてから喧嘩しながら切磋琢磨して
共に成長してきた大先輩『芝憲さん』(仮名)。
同じ歳だったからライバル意識むき出し
でも最後にはサポートしてくれた『裕』。
私をいかに無理させないかと
気張っては挫折を繰り返す女子社員。
『ココには惜しい』と言ってくれる
代理店業者「菊間さん」
ハードな注文でも『嫌だ』なんて顔すらしないで
きっちりと取り組んでくれたアルバイトさん達。
あまりに腹が立ちどうにも治まらない時に
話を聞き宥めてくれる「美行さん」おやじ社員。
すべての人の支えがあって自分は
色々な人に認めてもらえる仕事が出来たんだ。

そう気付いたのはこの時から結構時間が過ぎていた。

一般職と副主任の期間
真剣に そして楽しく 取り組む事が出来た。
『みんなのために』と取り組む事が出来た。
コノ頃の自分がいるから今の自分がいるんだ。


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