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May 4, 2011
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早寝早起きは三文の得、ハイっ、6時には朝食を盛々っといただきまして、早速出発。どんどんどーん。

本日は 鈴鹿峠越え が控えておりますれば。


昨日のゴール最寄り駅「関駅」には7時15分頃。天気は晴れ、すぐさまスタートです。

うーん、朝の関宿もすんばらしい、あっぱれでござるな


道沿いの 「観音堂」 で本日の旅の安全をお祈りしておりましたら、これまたご近所のオッチャンに声をかけられまして。目の前に住んでるんだってー。

なぜか、オッチャンには人気があるワタクシ。ぷ。

それにしても、よく赤い髪の人に怖がらずに(?)声をかけまするな。


オッチャンこれから散歩に出かけるというので、途中までご一緒させていただきましたのん。

最後に写真を一緒に撮りましたら、その写真を送ってくれとこう申されまして、ご住所しっかり控えさせていただきましたよ(笑)。


そんなオッチャンとは 「西の追分け」 で別れまして、道はいよいよ山っぽくなってきたでござんすよ。


車も通らなければ人っ子一人いない広い道を、ちょっち心細くなりながらものんびりと歩き進みましてね、9時前

坂下宿だよ、お坂ちゃんっ


阪之下(筆捨山頂)


「筆捨山」:その昔、画家の狩野元信が旅の途中でこの山を描こうと筆をとったところ、山の風景が刻々と変わってしまうことに絵を描くことを諦め筆を投げ捨てたことからこの名がついたと伝えられています。

江戸時代から名勝として世に知られ、浮世絵での坂下宿はほとんどのものが筆捨山を描いています。



本陣跡と本陣周辺

西から来た旅人は鈴鹿峠を越えてホッと一息、東から来た旅人はこれから越える鈴鹿峠を前にこれまた一息入れた宿場で、当時はたいそう賑わっていたそうですが、ワタクシも利用した関西線の開通と共に急速に寂れていったとか。

時代とは言え、なんだか寂しいですなぁ・・・。


前回、四日市宿付近 でニアミスした 「にゃおすけ」さんのブログに載っているモニュメント の前を通り、 「おぉ~、ここのことかぁ~(嬉)」 と一枚パチリ。


しばらく進みますと 「金蔵院跡」

鈴鹿山護国寺ともよばれ、江戸時代初期には将軍家の御殿が設けられており、上洛途中の徳川家康や家光が休息したとか。

参勤交代の大名は山門前では駕籠から降りることを通例としていたと伝えられています。


明治に入り廃寺となり、現在は石垣だけが当時を偲ばせておりまするが、こういう話には食いつきっぷりが半端ねぇ(笑)。

「下々」のワタクシは、休憩することもなく金蔵院を通り過ぎたのでございました。


宿のはずれにある、道中の安全祈願のために阿弥陀如来と十一面観音、延命地蔵の三体が安置されている 「岩屋観音」 とその隣に流れ落ちる 「清滝」

ここも楽しみにしておったのですが、いかんせん毎月3日と18日のみの開扉となっており、見ることは出来ませんでした。って、昨日ぢゃんっ!!!


さ、そこを過ぎるといよいよ、いよいよなのでござるっ

 ・・・つづく。


* にゃおすけさんのブログ:
   「ボラボラわーるど」 http://borabora.seesaa.net/

にゃおすけさん、いつもありがとー。





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Last updated  May 12, 2011 06:25:57 PM
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