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今日は久しぶりのPTA運営委員会を開きました。でも実は一ヶ月に1回は運営委員会を開いているのです。そんなに久しぶりな分けないんです。 昨日も 診察して下さった先生は、開口一番にこうおっしゃいました。 「この前はすごかった!!」 え、何がですか? 「だからコンサート」 え、どのコンサートですか?すると、先生はぎょっと驚いて「あの、オーケストラのコンサートですよ!!」そこまで来てやっと私は思い出した。 そうだった 先生9月28日のOBオーケストラのチケット買ってくださって、来てくださってたんだ。まだ20日も経ってない それでも、もう私にとってはOBオケのコンサートはとっくのとっくの大昔みたいな感じ。 それぐらい、毎日 前だけを向いているんだね、私!!
2013.10.16
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8月の終わりに痛めた左ひざ、良くなったり痛みがあったり曲がらなかったり伸びなかったりと、すっきりしないので、今日も3週間ぶりに病院の整形外科を訪ねました。 ここは七夕とクリスマスのコンサートにこの17年ほど欠かさず出ているので、知っている方々がお仕事をされています。 待合で座っていると「どうしたの?」とか 「もうちょっと待っててね」とかいろいろ声をかけてくださる方がたくさん. とうとう診察でわたしのO脚を何とか補正しようと、靴の中敷として使う装具を作ることになりました。 で院内にある装具屋さんを訪ねると「前に装具作られたことあります?」いいえ、初めてです。何かの拍子にまた「前に装具作られたことあります?」と訊かれるのです。私この病院の整形の受付をしていたことがありますよ。もう15年以上前のことですけどと申し上げたら、「あぁ なるほど そうだったのですか。どっかで見たことあるなぁ 見たことあるなぁ と思うんだけど、ちっとも思い出せなくて、それでヒツコク訊いていたんです。」とっても楽しい方。 今度出来上がる装具の値段を見せながら「ここにちょっと「0(丸)一つ付けときましょか~~?」いえいえ、この辺に「.(点)」付けといて下さい。と私も乗っちゃいました~~
2013.10.15
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昨日の夜遅くから、internetが繋がらなくなってしまいました。たったそれだけ、たった20時間足らずのことなのに・・・ なんと不便に感じることか・・・・internetに毒されているわ~~~~~
2013.07.31
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こけたときに着いた左手のひらと左の膝の傷は手の方は表面にあった小さな傷はもうどこにあったかはわからない。ただ軽い内出血の後がうっすらと親指の付け根に残っているだけ。膝の傷の方が大きかったのですが、表面はもう新しい皮膚が作られていて、思った以上に直りが速い。... 私が思うに、これはこの1年の私の食生活が関係しているのではないか、ということなのだ。Wのためにてんぷらやフライなど油の料理は一切しなくなった。使うお肉類も多くが鳥の胸肉、ささみ、豚のヒレ牛の赤身。たくさんのお野菜と煮物になっている。ほとんど砂糖もみりんも使わない。お米も胚芽米~玄米 雑穀米にすることも多い。甘いおやつもほぼ姿を消した。実は和香葉のウェイトは変わっていないのだけれど、でもこうすることで体の中身が変わったような気がする。それが私の傷に現れた、と思っているのだけれども・・・いやいやどっこい、傷の修復の過程がとっても遅くなっていて、私の目には悪化していないように見えるのかもしれない。写真は普段のWのお弁当
2013.06.28
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今朝、予定していたことは急ぎのPTAの手紙を見ているうちに実行できなくなってしまった。でもそれはそれで良かった、と私は思う。お蔭で私は久しぶりに生協のグループ配達に出ることが出来た。荷物を全部家に入れた後、トラックのところに戻ってくるとき、自分ちの玄関先の階段にサンダルを中途半端に履いた足を微妙に置き損ねて あぁ~~と私の体は傾き、完全にこけてしまった、音もなく・・・ 病気で倒れたのではないからご心配なく・・・しかし、たぶん何十年ぶりでこけた、と思う。フィギュアスケートのシングルをしていた17~20才ごろは氷の上でよく転んでいたけれども・・・、結婚した後のカナダ滞在でもスキーで何度か転んだけれども、以来ずっとこけたことはなかったと思う。20年ぶりにこけた私は思った。... いよいよ、私の老化も具体的になってきたんだな・・・・しかし意外にもほんの少しすりむいた膝もほとんど傷らしい傷にもなっていない。コーディネーションはドンくさくなっているけれども、治癒力はまだあるらしい
2013.06.27
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W(14)の基礎代謝は1439Kcal 彼女がバレエ1時間して筋トレ40分したら優に2500Kcalは超える。 私はときたら基礎代謝911Kcal 日常の動きだとせいぜい1500Kcalいくかな~~という感じ 身長はもうほとんど変わらないのに、こんなに違うなんて・・・... ちなみに10歳のAでさえ基礎代謝1071Kcal ということは私は彼女の食事よりも少なくて良いんだ~~ 参考 基礎代謝の運動
2013.02.12
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神さま 今日も充実した一日を届けてくださってありがとうございます。基本的に予定していたことをちゃんとやることができて、友人と初めてゆっくり話すこともできました。 神さまがおつくりになった一人ひとりは本当にユニークで、生まれたときから違うものを持っています。そして毎日出会うものによって、いろんな感受性を働かし、いろんな発想を身につけいくのですね。その一人ひとりが自分のいただいている力と命とを信頼して、他の人とつながり、大きな輪になっていくと良いな、と思いました。明日もきっと良い一日になるでしょう ありがとうございます。
2013.01.28
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皆様 あけましておめでとうございます。新しい年も瞬く間に時間が過ぎていくようで、今年の毎日が今まで以上に加速されるような気がしてきました。 そんな中でも心だけは落ち着いてそれぞれのこと取り組んで生きたいと思います。 何かあったときもまずは心の余裕を作ること。 互いを大切にする、ということから外れることのない行動を判断すること。... 自分の感覚に固執しないこと。 相手を信じ自分を信じ、わからないことは神様に委ねること。これらのことを心に留めて2013年を過ごして生きたいと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。
2013.01.01
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あぁ 一日があっという間に終わってしまう。もったいないなぁ~~ まだまだ今日やりたいこといっぱいあるのに・・・明日になったら、明日やることあるから、また夜中になったらきっと思う。昨日遣り残したことできなかった、そして今日の分も!!きっとこの遣り残しは日増しに増えて、山になることだろう。この遣り残し山はいつどんな形で消滅するのだろう・・・ それとも命尽きるまで消えないのかなぁ~~ 本日は朝は小学校のお持ち月のお手伝い、午後は近くの病院のクリスマスコンサート、その後は友人とのお話の時間でした。 夜はフィギュアスケートのグランプリファイナルのTVを録画しながらVnの練習&来週のクリスマスコンサートの原稿を再校正・・・ さぁ ゆっくり寝よっと
2012.12.08
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朝、目が開くとき、なんだか右目の下辺りに鈍い痛みがあることに気がつく。 起きてしまえばなんということはない、けれども下を向くとやっぱり痛みを感じずにはおれない状態 う~~~ん これは何ぞいや?? 以前近視のめがねを作った折り、眼科のドクターがおっしゃった。「視神経に凹みがあるので、こういう場合眼圧が高くなるケースが多いです。だから時々測りに来て下さいね」でもでも・・・ 私のことだから以来一度も行っていなかった。 う~~ん これはやばいかも・・・ ガンバって眼科に行くか・・・ということで洗濯物は三女のKに頼んで、行ってきま~~す、と家を後にし歩いて5分のところにある眼科の門をたたきました。勇気が要ります。 一通り視力を測ったり眼圧を測ったりドクターが目をじっくり見たりした後、先生は口を開きました。「目薬を出しておきましょう。もし今日お時間があったら眼底検査とか視野検査をしておくといいと思うのですが・・」「あ、今日はお約束がありまして・・・」「じゃぁ、またのときにおいでください。」とだけおっしゃって今日の痛みは何なのか、何もおっしゃらないのでお尋ねすると「あぁ~ 疲れ目でしょう 傷も何もないですから・・・」 お~~ それはありがたい。 あ~~ほんとにありがたい!! 心も軽く自宅に帰ってしばらくすると、妹のTちゃんが寄ってくれて、そして生協でご一緒の友人たちとの初めてのランチをしていっぱい楽しく喋り、また夕方には大切な友人Nさんも我が家に立ち寄ってくださった。 良かった、良かった すべて良し~~ 感謝!!
2012.10.26
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おかげさまで順調に終息しつつあるけれども、体力は相当奪われてしまった。ので、本日のパフォーマンス中止!! 大変ご迷惑をおかけし、申し訳ありません。 また、明日の「慈子きずなの会」の出席も断念します。(お手紙だけ行きます) とにかく人には移したくないので・・・
2012.03.29
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まさか、赤ん坊から病気が移るなんて・・・ 不覚であった。月曜に4カ月のM君が前日から激しい下痢で、大事をとって入院しましたが、今日になって私も同じ症状に・・・ げっ!これはあかんわ どこにも一歩も出かけられへんし・・・ お医者さんに行く?とんでもない、無理無理!!そんな風に夕方からなったけれどもどういうわけか、夜は良く寝れた~~あぁ~~良かった。あのままじゃぁ 全体に脱水間違いないから・・・ 皆さんも気をつけてくださいね
2012.03.28
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前日の状態から脱しきれず、午前は完全に沈殿状態になりました。それでも薬を飲まずに起きれるようになってよかった。今日はたまたまToさんがいてくれたので、お洗濯等黙ってしてくれていました。午後から少し家の中で体を動かしましたが、不思議なことに何をしていても、肩辺りが熱を帯びてくるんです。体自身が自分のコンディションの悪いところを治そうと発熱しているのでしょうか。驚きました。 そのおかげか、本当に頭の痛みはかなり取れたのだけれど、肩背中腰、つまり背面は痛みが続きます。どの筋肉もみんなつながって影響を受け合って、いつも私という人間を動かしてくれているんですね。この肩こりもきっと左肩が先にやられて、それのバランスを保とうと右がやられて、やられた肩を何とか保とうと背中や首、腰までの筋肉が頑張ったのでしょう。素晴らしい協力体制。 でもみんなやられちゃった!!
2012.01.09
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先週もやったんだけれど、朝は聖書深読会。今日のみことばはヨハネ1章6~8,19~28 シスターは前夜夜眠れることができなくて、とおっしゃっていました。寝不足は私の十八番なのだけれど、この日はじっと聖書の言葉を思っているといつの間にか寝てしまう、という現象を二人で変わり番子にやっていました。それでもね、何かみ言葉からピンとくるものを見つけることができるんです。そこはとっても不思議です。ちょうど洗者聖ヨハネが、取り上げられている個所で「あなたは誰なのですか?何者なのですか?」と質問を受けた時、彼は「私は荒野で叫ぶ声」と応えるのです。生まれでもなく、身分でもなく、仕事でもなく 自分がやっている行動を自分を表す言葉として使っています。私もこういう風に自分のことを伝えられる人になりたいなぁ、と思いました。午後からは妹とDuoの練習 実は今年は12月のコンサートはMの出産もあってお断りしていました。昔から毎年行かせていただいている院内クリスマスコンサート12/3をのぞいては・・・(もちろんこれも出産と重なったら行けません、ということを前提)です。 ところが11月23日にM君は無事に生まれてきて、母子ともに大きな問題なく退院することができたので、後から急に頼まれたクリスマスコンサートを21日と23日にすることになったのです。 大体の選挙うくはできたのですが、さてどんな形でやろうかなぁ~~、その辺がまだ決まっていません。 でも久々に妹と一緒なので嬉しいです。 18時からはオケの弦Top練習 10日の初めての歌合わせに向けての練習ですが、3時間みっちり、とってもいい練習ができました。あぁ~ こういう練習がもっと前にできていたらよかったなぁ と思います。そうしたらパートのメンバーにももっとゆっくり丁寧に伝えてあげることができるからです。
2011.12.07
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あっという間にひ日が替わってしまいました。 小学校の卒業式も、大地震で亡くなられた皆さまへの黙とうから始まりました。子どもたちの巣立ちはお祝い、というよりも未来に生きる子どもたちへの期待、に変わってきているのかな、そんな印象を持ちました。 祝賀会も滞りなく終えて帰宅してみると、すっかり地震の報道は原発から漏れ出た放射性物質の汚染の話題になっていました。 汚染が広がっているというよりは、起こった出来事がより具体的に明確になってきている、ということですよね。 予測できていなかった想定外の大地震や津波・・・予防できなかった、対応が遅れた、いろんなことがこの出来事から考えられることでしょう。でも地球にやさしくない、人間にも動植物にも合わないものを使って毎日を過ごしていこう、そういう生き方を推し進めたのは私たち自身ではなかったかと・・・現に、こんな時間になっても電力使って私はこんなことを書いているし・・・実際の汚染が人間に及ぼす悪影響より、やっぱりこういう生き方を選らぶ物差しを中心に備えている私たちこそ、未来への悪影響を作り出しているのじゃない?子どもたちに良いものを選ぶ力を育てているかしら・・・?そう今思います。サッサと寝て、お天道様とお友だちでいられる努力、まずしないといけない私です。頑張ります、未来のために・・・
2011.03.23
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朝、忙しいのに友人で今度の「フェスタ」や「写真展」でボランティアをしていただいているNさんがチケットを取りに来てくださった。 同じようにチラシを友人たちが持っていってくださって、私の手元からもう2000枚のチラシが無くなりました。 信じられないですね。明日、あと1000枚いただいてきます。 朗読の担当して下さるIさんからもお電話をいただきました。『今度の朗読、どこにも発表されてない、でもとってもほほえましい子どもたちのことをお伝えしたいと思います。一度、さっちゃんに読んでもらった方がいいかしら?」「いいえ、私が自分だけでしないで、お心を一緒にして下さる皆さんとするのは、皆さんがマザーの生き方を心に留めたとき、『表現したい』、と思うものを聴きに来てくださる方々に伝えていいただきたいからです。私というフィルターを通す必要は少しもありませんから、どうぞお考えのとおりになさってください」 こんなこと、お電話をいただくまで、考えもしていない。でも誰かの働きかけのおかげで、私の心の中に何かが生まれている。 ものすごく不思議~~ ・・・
2011.02.28
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この頃何人の人にこう声をかけられただろう・・・「体に気をつけてね!」私への思いやりから生まれているこの言葉。私が目立つ仕事をしているからだね、きっと!! 写真展のことや学校でのこと・・・ありがとう、でも大丈夫!!大丈夫、と言ってもそれは私の身体が病気にならない、という意味ではない。たとえ病気になったとしても、あの~~~のせいで、私は病気になったんだ、なんて思ない、そういう覚悟はしています、という意味です。誰だって私のからだの保証なんてできるはずがない。そう病気こそが、あなたやりすぎです、のシグナルなのだから・・・だからと言ってわざわざ無茶をすることもしない。今日はまだまだ仕事は残っているけれど、たまには今日のうちにお布団の中に入ろう。みんなの思いやりに応えるためにも・・・本当に、皆さま、ありがとうございます。
2011.02.27
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010111 再び、0と1だけの日付がやってきました。 日付を毎日書いていると時々お目にかかれる11月11日とか10月10日とか・・・ただの日付なんだけど、何かそこに個性がありますね。日付は普通は一つづつ変わりますが、昨日123110そして今日010111と年の初めだけごろっと変わります。変わりない一日のはずだけど、印象は全く違います。それが人間が作った暦なのでしょうか。暦のお陰で毎日にリズムが生まれました。7日間というサイクルひと月というサイクル・・・そこに季節も乗っかって必ずやってくる一日は来る前から何か色が付いているみたい。新しい一日を真っ白から始めるべきだと思っていたけれど、それはちょっと違いました。キャンパスには多少なりともすでに色付けがされていて、その上に私が色をおいていくのですね。2011年、どんな色がすでに付いているのでしょうか!子どもたちは8歳~27歳私たちは50代半ば私が子どもたちにねがうことは、良き父、母、大人になってほしいということ。次世代を育む人間になること、次世代に少しでも良きものを残す努力をすること。一人一人、自分のステージの上で、それに向かって学び活動してくれたらなぁと思います。さて、じゃぁ親の私たちは何をするのでしょう。まだまだ彼らの学びや活動の助っ人的立場から足をぬぐうことはできそうにありませんね。それでももちろん私自身の活動、Toさんの活動もたっぷりあるはずです。具体的には様々なことがあるけれども、よ~くよ~く考えてみれば、やっぱりそれも次世代を育むに繋がっているような気がします。どの世代も、人間の活動はそこに結び付いていくはずなんですね、きっと!!この2011年1月1日という新鮮なイメージを持つことができる今日、新しい気持ちでリスタートできる恵みに感謝いたします。今年もきっと様々な方に助けてもらい、支えてもらっていくことでしょう。その温かな気持ちをいつも心に留め、感謝と喜びの輪を広げていきたいと思います。どうか今年もよろしくお願いいたします。
2011.01.01
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ついに年末ということで予定の無い一日がやってきた。友人からのお電話1時間下のAの友人二人遊びに来る。町内のお仕事2つメールのやり取り多数少しお片付け・・・夕飯の後はHのみんなへのクリスマスプレゼント『ヒックとドラゴン」のDVDを英語日本語テロップで見てしまった。Mと電話何にもない、て心が緩んで大したことはできない。そこがまたいいのでしょう・・・ 今年は良く頑張りました!!
2010.12.27
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この「ほっこり子育てひろば」の第1回目のことでした。始まりぎりぎりに会場に辿りついた私が受付で名前をお伝えしたら、待ってましたとばかりに周りの方々が、一斉にこちらをご覧なるのです。え、と思いきや、「大学の一年上のI先生、ご存知ですか?」と声をかけられました。 1年上の先輩のIさん・・・?いや、同級生やったら知っているんだけどなぁ一年上にいらっしゃったかなぁ、そんな方???「この子育てひろば担当の先生なんですが、お名前見て、『大学、ご一緒やった~~』ておっしゃっていましたよ。今日はI先生、お忙しくておいでになっていないのですが、そのうち来られると思います。思い出しておいてくださいね」 ...一年上のIさんね~~、やっぱり何度尋ねても私の心の中には、同級のIさんしか思い浮かびませんでした。それに良く私の現在の名字をお分かりになったこと?ちょっと不思議やなぁ~~、名簿でぱっと見かけたり、聞きかじったりすることはあったとしても、私なら絶対覚えてなんていないわ~~ そんなわけで、この「ほっこり子育てひろば」にやって来ることは講座の中身以外にもなんだか楽しみが増えたのでした。 前回の「認める」でもお会いすることなく、そしてとうとう今回が3回目、最終日です。 いつもより早めに出ることができた私は会場に着くとほぼ1番乗りという感じで、がらんとしたお部屋には、関係者の方々がお集まりのように思えました。すると一番奥から手を振る人が・・・ あ、やっぱり!!同級のIさん!!ですよね、そうでなきゃぁ合点がいきませんもの。若き日の青年I君の面影を十分に残しながらも、ベテラン先生の落ち着きを感じさせて下さるお姿でした。お声やお話の仕方は変わらないんですね。本当に!!そういう記憶はお会いするまで全く忘れているのに、会ってお声を聞いたとたんに、まざまざと自分の記憶の中のお声も蘇ってくるのです。まるで記憶の手品現在と大学時代が一気にワープして結びついてしまいます。最後にお目にかかってから、たぶん31年は経っているはずです。こんな形でお目にかかるなんて、夢にも思わないことだけれども、これがまた、生まれ育った街に暮らしているってことなのかもしれません。いまだに大学に行くこともそんなに珍しくない私なのだけれど、Vnのこともあって、どうしてもそのすべてが音楽科との結びつきになっていて、ちっとも自分が卒業した体育学科ではなかったんです。今回I先生にお目にかかれて、そうだったそうだった!!私は体育学科だったんだ~~!!て思わせてくださったので、これからは体育のさっちゃん、という部分もなおざりにしないように、心がけていきたいなぁと思いました。一度履いた2足のわらじはどこまでも履いていかなきゃねI先生 ありがとうございました!!
2010.07.02
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さて、昨日はブログを書く時間が持てませんでした。というのも友人のお嬢さんとお話ししていたら、いつの間に3時間も経ってしまっていたからです。その方は大学の課題のためにお話しに来られ、私の今までの人生をいろいろと語ることとなってしまいました。その中でとても意外な質問をされるのです。その一つが、「あまり人の目を気にされないような感じですが(話の内容から)、それはいつからですか、どうしてですか?」え!う~~ん、確かに私はあまり人の目を気にかけてないです~~いつからこんな風だったのか、それがどうしてだったか~~人の目を気にしない。それは「自分は自分」というものを作り上げていて、昨日書いていた評価をあまり気にしない、というですね。自分を振り返ってみると、この感覚はかなり昔からあったと思います。たぶん小学生の低学年とかでも・・・というのは私の母である「大ママ」がとても個性的な人で、その個性をとても大切にしていた人でした。口を開ければ「さっちゃん、人のまねをしたらあかん。生きてる意味がない」というのです。かと言っていつでもユニークであるというのではなく、「ちゃんとTPOを守ること」、にもかなりうるさい人でした。日曜日に教会に行く子どもは、学校中で我が家族だけでした。Vnを習っている子どもも私だけ、時々アメリカの叔母から送られてくるアメリカ製のワンピースを着ている子も、もちろん私だけ、5人きょうだいであることもしかり・・・・まるで最初から、みんなとは違うように育てられたみたいです・・・ね。時には私も、何でこんなワンピース着て学校にいかなあかんの?友だちと一緒の文房具持ちたい!とか思ってもいたのですが、だんだんいつの間にかユニークに馴らされ、それがまた心地よくなり、そしていつの間にかユニークであることもすっかり忘れてしまっています。 「結婚を決めるとき、「自分が一番自然体でいられる人」を一つの条件に入れておられましたね。」と彼女が言ってくれて、「あ、ほんとだ!そのまんまの私を受け取ってくれる人を選んだんですね、私!!その辺が、人の目をあまり気にしないに通じているのかもしれませんね。飾らない、格好つけない素(す)の私を知ってもらっていることが、私にとっては一番大事なことなんです。そんな私が肌に合わないと思う人は、私に近づかなくて済むし、さらに言えば、こちらが格好付けていなかったら、大抵は相手の方も素(す)のペースに乗ってくださるもの・・・」と二人で大いに笑いました。彼女は非常に笑顔の美しい人です。またお話ししましょうね、とこの日はお開きにいたしました。
2010.06.28
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シスターいわく「お祈りはね、ただただ良いようになりますように、て神様に言うだけじゃないのよ。どうしてこうなったのですか?私はなぜこうしているのですか?何のためにこんな目に会うのですか?・・・思う存分神様にその思いをぶつけていいのよ!その時はな~~んにも応え(答え)は返ってこないかもしれないけれど、いつか、あるとき、もう何年も経っているかもしれないけれど、突然『あ、これが応え(答え)なのね』というものに出会うことができるの。神様は絶対お忘れにならないから・・・ね」今日の祈り(4)を書いて、わかったことがある。それは私は怒っていたんだ、ということ。それさえ分かれば、かなり私は私らしい自分の心に戻れる。だって、怒りという感情に踊らされているのは言うまでもなく自分自身なのだから・・・みんなの心の中に、「赦し」という愛が芽生えるために必要なことももう知っている。もうすでに「自分こそ愛されているんだ」て気づくこと、それだけ!!自分自身に満足できていないから、人のへこみが気になって仕方がないんだね自分に「ありがとう、よく頑張ったね」そういってあげられるようになると良いね
2010.05.29
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かみさまどうして人間は人の行いの至らないところにこだわるのでしょう。どうして周りの人が完全であることを望むのでしょう。どうして自分の受け入れられない誰かがそばにいることを、嫌うのでしょう。 それは自分の行いには至らないところが無いと思っているからでしょうかそれは自分は完全だと思っているからでしょうかそれは不快である人がいれば、自分が傷を負うと思っているからでしょうか。 そうやって正すべきだ、 あれはおかしい、 このままでは崩壊する そんな声を聞くたびに、私は悲しくなります。その言葉の中には希望が一つもないからです。 不完全な人間同士、それを赦し合うには何が必要でしょうか。悪意のない不備を受け入れていくためにはいったい何があればいいのでしょうか。 これはわたしたちが恵まれた環境にいるから、些細な事に目くじらを立てているのですか? 人が心平和に過ごすとはそんなにも難しいことなのですか。 と書いては見たものの、あとから読んだら、私はずいぶん怒っているなぁと思った。だから 先輩の言うように、まずはにっこりすることにした。
2010.05.29
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夜中にお腹の痛みで目が覚めた。どうやら胃腸炎みたい。痛みはどんどんひどくなって、このおなかが自分の体にくっついていること自体恨めしく思うほどだった。ねぇ、陣痛なら最初から痛いってわかっているから、怖くないけど、こういう腹痛は全く違う。やっぱり、体と付き合うのは大変だね。これから先死ぬまで付き合っていかなければならないんだなぁ、と改めて思った。それに、やっぱり「痛み」とは恐ろしい力があるなぁ私という人間はあっという間に吹っ飛んで、悶えている人間がそこにいるだけ・・・昔の人はえらいわ、ほんとに!!多くの不快なことや痛みに出会いながら忍耐して、忍耐して…生き抜いていかれたんやもんなぁ 私ももうちょっと忍耐できる人にならな、あかん!!あぁ~~ご心配なく、もうだいぶ痛みもなくなったし、食べ物も食べている。朝のまいまいサロン(小さな子どもたちを持つお母さんの集い)は友人に当番を代わってもらったけれど、午後からのレッスンも夕飯もそしてクァルテット「Iiyona」のベートーヴェンのOP130の練習もちゃんとできたから・・・明日もちゃんとスケジュールこなせると思う。皆さんも気をつけてくださいね。結構流行っているらしいです。
2010.05.27
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昨日はものすごく眠たくて、とうとう小学生が帰ってくる頃には横になってしまった。臨時でオープンして下さったBessouにWもAの出かけてしまってそのまま家の中はし~~ん 私もBessouの戸じまりの時間ぐらいには覗きに行こうと思いつつ シ~~ン みんなが帰ってきた気配に目覚めたらもう外はすっかり暗がりになっていた。しかし身体が起こせない。あぁ~ ショック状態だわ別に熱が出たなんてことはないのだけれど、こりゃ無理!と思って夜8時から予定していたクァルテットの練習、キャンセルさせてもらっちゃった。一か月ぶりだったのに、モーツアルトにボロディさん、ごめんなさい!!そのおかげか、今日はちゃんと起きれて動けています。クァルテットのみんなごめんね、そして気持ちよくキャンセルさせてくれるみんなに感謝!!
2009.10.30
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私はお話を聞かせてもらうとき、その人の人生に少しだけ触れさせていただいている、と思う。今日は教会に行ったから何人の人の人生に触れたんだろう。単純な事務連絡を取り次いでいるだけでも、やっぱりそこにはお人柄を感じる。私にどんな風に伝えたら、わかりやすいだろうか?どうしてこうなるのか、それも説明しておいた方がいいだろうか?そんな工夫が読み取れる。それはその人が意識していないで行われているけれど、そこにはちゃんとその人の人生があるなぁと思う。何人もの人とお話をすることで、私が映し出される。家族と一緒にいる時もそう!!家族との時間が私を、私に見せ、見た私は、また新しくされる今日は私の誕生日生まれ出る前から私を見守ってくれている両親はもちろんのこと、これまで生きてきた私のどんな瞬間にあっても、私のそばに来て声をかけて下さったすべての人に感謝!!関わりをもって下さった皆さんに感謝!!そしてまた一緒に新しい1年を歩んで下さい!!
2009.10.25
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昨日遅くまで頑張ったお蔭今日は眠たくて眠たくて・・・あんまり眠たいから昼食の後に横になったけれど、すぐに「そうだ、あれをしなくっちゃ!」と思いだし、1時間ほどがんばってやっていたら再び眠たくなって、諦めて寝るか~~と横になりかけたら「ぷるる~ん ぷるる~ん」と大事な電話そのまま頑張って夕食まで作ったけれど、ついに力尽き「じゃぁ 寝るわ!」と横になってしまった。1時間は寝たでしょうあぁ すっきりした!!
2009.10.05
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私はVnを弾く時よく目をつぶって弾きます。覚えてしまった曲はその方がとても弾きやすい。小さなときからそうでした。楽譜のない状態を作り出すのにてっとり早いこと、そして音楽の中に入りやすく、そしてそれを保つのにも視覚がない方が良い。だからアンサンブルやオケーケストラの時に楽譜を見ながら音楽に入っていくのはかなり難しいでした。常に集中を途切らす何かに、さらされ続けるからです。でも楽譜を見ることもそのうち慣れて、むしろ楽譜に集中することで他の物の侵入を防げたりもするのですね。今日、夕飯の準備の時、ためしに目をつぶってお野菜を切ってみました。自分が目を開けていても、違う方向を見ながら切っていることが多いから、できないかも?なんて疑いは持っていません。でも目をつぶって切ることと、めを使いながら、なおかつ違うところを見て切っているのとでは感覚は全然違いました。視覚を使わずお野菜を切る時、すごく指の感覚が拡大されました。たぶんいつもの2倍ぐらいのことが指先から伝わってきます。例えば、皮むき器で人参の皮をむいた時、それぞれ剥かれた場所に作られていく面の角度の大きさ。こんなものは目で見ている時は全く気が付いていない。でもよくわかるんです。人参の肌のぶつぶつもよくわかります。真半分に切るためにはどんなふうに指を使ったらいいのだろうか、細いところと太いところ、同じような大きさにするための輪切りの厚みの変え方、全部指で感じます。普段全く意識せずにいたことがすごく良く感じられるんですよ。視覚を持たない時間を持つというのも、とても良いことだなぁとつくづく思いました。
2009.06.12
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昨日、清水みわさんの作品を見せていただきながら、いろんなお話をしました。絵を描く人も彫刻をする人も、芸術の世界に生きる人にとっては自分の作品は、心底自分が向き合って作り出したもの。私が見て、この色合い素敵だなぁと思っても、みわさんにとってはこれね~ もっとこんな風にしたかったのよね。なかなかうまくいかない~~と相当辛口なんです。みわさんにとって上手くいっていなくても、私たちやそのほかの人にとってそれが良いものであれば、たとえば予定通りに色が出なかったとしても、その予定外の偶然が作り出したものを良いものと考えることはできないの?う~~ん。それはまた違うの。ね、ただの偶然が良いということになればめちゃくちゃでも偶然が作り出したものに変わりはない。ね、自分の手で良い偶然が起こせなければならないわけよ。私だって全てを計算づくめでやっているわけではなくて、そういう遊び偶然が作り出すだろう面白さや美しさを含めたうえで考えている。全部入れたうえでやっぱり駄目だなぁて思うの。音楽っていいね。ダメだ~と思っても消えていくもの。心が楽。作品はここにある。残ってしまう。これを見せられるのってかなりきついよ!!彼女はやっぱりアーティストというしかない。自分の作品に関しては、まぁいいや!!は存在しない。そんな彼女の悩みは自分の思い通りの作品が作れないことではない。それは永遠の課題であるということを良く知っていて、それがあるからこそ芸術家として生きれる。試行錯誤を重ねて仕上げてきたものに値段が付けられること。絵画と違ってこういう作品についての金額的評価というものもまだまだ定かでない。加えてものすごく手間暇のかかるものであることから、少々いいお値段で売れたように思っても、制作販売の経費を引いたら自分の手に残るものは微々たるもの。それを時給にして考えれば、あほらしくてやってられない、という。みわさんが手がける芸術という分野並外れた感性を持つ人々が作り出す作品は、言葉を介さず人々に生きる勇気を与えたり、安らぎを与えたり、真実を伝えたりする、非常に重要な希少なもの。その稀に見るものに値段がついた途端、ものすごく世俗的なただの物になってしまうような気がして、私も悲しい。芸術作品と、それを作り出す作家、その両方が生かされる方向とはないものかしら・・・。
2009.06.04
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しっしまった~~~!!とdolamiさんのコメントを一目見て思いました。実際自分が思っている自分のイメージとToさんの使った言葉の違いが面白くて書いた日記だったのだけれど、どんなコメントが舞い込んでくるのか全く想像していなかったところに問題があります。これぞまさしく私が今抱えている問題だ~。ほら、準備周到にどんなことが起こりうるか想像していたら、こんなことにはならなかった。 でもでも、私は「才色兼備」でもなければ「マリア様のよう」でもないけれど、時として人は私のある部分ある瞬間を見てそのように思われることがある、ということを自分として知っておかなければならないことだと思いました。dolamiさん YMさん いい気付きをありがとう!!ちなみに今年の私の目標は「自分を低くも高くも見ないこと(正直な自分の姿を見る)」そして今年の禁句は「忙しい」です。
2009.04.16
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さて、今日は何を書こう、とここに座った。書きたいことはいくつもあって、その全部を書いたりしている暇はない。心の中でう~~ん どうしようかなぁ・・・・??・・・・ハッと気付くと時計の数字は30分ほども加わった数字を示していた。ハッハッハ 充分一話し書けてしまう時間だ。という風に私はまだまだ眠たい時間を午後や夕方に抱えている。眠たいというのは何ということのないことだと大抵の人は思うかもしれないけれど、私のようにあれこれやりたがりな人間にとって眠たいという現実はかなりの苦痛。なんてことないにもかかわらずやりたいことを確実に妨げるから、ほとんど痛みを抱えているに等しい。 昨日とても嬉しそうにToさんがどこやらに自己紹介代りにするアンケートの答えを私に見せてくれた。家族紹介の最後に私のことについて書いてあるのだけれど、その言葉は「7人の子どもを育てる肝っ玉母さん」う~~ん あなたも使うのですか?「肝っ玉母さん」という言葉。7人の子育てをする人間を一般の人が形容する言葉はやっぱり肝っ玉母さんに違いない。その言葉に対する私のイメージはみんなが退いてしまうような場面でも臆することなく、ちゃんちゃんとやりこなし、何事もなかったように普通に戻ることができる。子どもに弁解の余地を持たすこともなくいうべきことを伝えて終わり!!一見支配的だけれどよ~くよ~く考えるとその奥に愛情がある。(「天空の城ラピュタ」に出てくる海賊の女親方「ドーラ」のようなイメージ)私自身が、このイメージにぴったり合う人間とはとても思えない。でも、自分が課せられた現実の毎日に対して、現状の分析と可能性とを想定して作戦を練ったり、周到に準備するようなことから一切手を引き、「どうにでもして下さい。できることだけをいたします。」「今日という日を生き抜くことができただけで感謝です。それで充分です。」と大胆に開き直り、不安というものに不感症になっている自分を自覚するにつけ、この「肝っ玉母さん」というToさんの表現はぴったり当たっているかもしれない。 さすがToさん、というほかない
2009.04.15
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昨日小学校で高学年の子どもたちの参観懇談宿泊説明会がありました。新学期が始まってその週のうちに参観懇談会があるなんて、小学校歴の長い私でも初めてのことなんですが、それは再来週早々にWたちの学年が宿泊研修「みさきの家」に行くからなんです。 いつもなら5月に入ってからなんですが、今年は予約が詰まっていて一か月早まり、先生たちも大慌てで準備をなさっている様子が手に取るように伝わってきます。 さて、先日の日記でももうすでにお伝えしていますが、Wの担任の先生は新しく着任された男の先生です。Wが感じのいい先生、と思った方、どんな先生なんだろうという思いも手伝って参観し、懇談にも出ました。まだ若い先生です。長男より少し上の方にお見受けしました。今日はスーツ姿で授業をなさっていますが、確かに高学年の女の子たちに人気の出そうなさわやかな感じの方です。国語の時間、漢字の成り立ちについての勉強で、へんや作りの組み合わせによって結構意味を想像することができる、というところを伝えるために、実際に独自の組み合わせ漢字を作ってみんなにその意味を考えてもらったりしておられました。なかなかユニークな授業です。さて懇談会に入ってすぐのことでした。実は、とご自分の紹介をなさる時に突然私の方に向かって、「Wさんのお母さんですね。私は同じ体育学科を卒業していまして、大先輩のお子さんの担任をさせていただくとは・・・」「え、そうなんですか?どうしてそんなことご存じなんですか?秘密なのに・・・。しかも大先輩だなんて、私は体育学科のはみ出しっぺですから・・・」というまぁとんでもない始まり方をした懇談会だったのですが、親の自己紹介の時に、「できることなら、子どもたちの名づけの由来を聴かせていただきたい」と言われ、お一人お一人のお子さんの由来を本当に興味深く聞かせていただくことができました。お隣のクラスの担任の先生はAの1年生の時の担任、補助で入って下さる先生は前のWの担任の先生と、とても親しくさせていただいている先生に囲まれての平成21年度のWの学校生活。私にとっても思いがけない出会いでの幕開けとなりました。
2009.04.11
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わたしにとって先生はわたしのなぜに答えてくれる人ばかりでなく、一緒にいる時、お話をしている時、私の心の中になぜ?を落としていく人。彼らはとってもユニークわたしの普通の考えから離れたところで行動する、お話をする。ほんの10年前、いやいや5年前の私なら??それおかしいのと違う?と思って考えようともしなかった。そんなことを運んでくる人が今のわたしの大切な先生。彼らは私の持つ常識をひっくり返すし、打ち破る。時に私の心は相当やられて、へとへとになったり、ドキドキしたり・・・そうなると私の心の中でさらに大きな何で!が生まれているでも時間が経ってよくよく考えてい見ると彼らはその何で!の答えをちゃんと伝えてくれているその言葉を聞き逃しているのは私でその言葉の意味に気がついていないのも私だったそうと思ったとたん、何で!はわたしにとって当たり前のことに・・・自分の努力で学ばなければならない、とか学ぶための努力が必要とよく言われるけれども、学ぶ態勢のない日常の現場では、突然に何で!が振りかけられ、まずたじたじとなるものなんだ。誰もそれが学ぶ場なんて思いもしない。とんでもないことやんか~~どうすることもできなくて、ゲッとなった思考停止状態の真っ白こそ、新しいことを考えるにふさわしい環境なのかもしれないということで、最近無理やりっぽいけど私の常識は薄く延ばされつつあることに気がついた。そういうなぜを落としてくれる誰かさんとたまに出会えるのを楽しみにしている(たま~~でないとちょっと大変・・・)
2009.01.31
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朝は10時からクァルテットの練習15時からはバレエのレッスンお買いもの、調理をはさんで19時から10月のコンサートの練習フル回転でした。続きは明日に!!元気で予定のことがこなせて、良かった!!笑顔で寝よっと(*^_^*)
2008.09.13
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突然、703さんとおしゃべりする時間をいただいた。 その会話の中で、私は高校まで結構出来の悪い人間と思っていて(それはそういう評価だったから)、大学に入ったことによってみんなの私への目が変わったように感じたと自分のことを振り返りました。そうではあるけれど、私はそんなに大きなコンプレックスを持たずにこれたのはどうしてかな?とお別れした後も家事をしながら考えたりしていました。するとずっと忘れていた私が小さかった時の記憶が戻ってきたのです。 小さなときからこれ!というものを見せない私だけれど、母は私のことをすごくかわいがってくれていました。 どういうわけか学齢に達していない頃でも、私はコンサートや美術館など、ちょっときちっとしていないといけないようなところでも、静かにできる力だけはあったみたいで、しょっちゅう、母の好きなコンサートや展覧会などに連れて行ってもらっていました。それは5人兄弟姉妹の私にとっては母との特別の時間で、「さぁ大阪のベートーヴェン展に行こう!」と決めたら、母は幼稚園や学校など平気で休ませて、連れて行ってくれました。私ももちろん、学校に行っているよりよっぽどその時間が楽しくて嬉しくて・・・マーゴ・ホンティーンとヌレエフの白鳥の湖、イ・ムジチ、小澤征爾・・・大きなホールに行ってはパフォーマンスを見て聴いて、必ず楽屋を訪ねその素晴らしいアーティストたちと間近に居させてもらっていました。今までちっとも気がつかなかったけれど、自らその才能を見せることが出来ない私にも、少しでもいいものを伝えよう与えようとしてくれていたし、ちゃんと二人だけのすてきな時間も作ってくれていたんだなぁと思います。小さい時の私を特に心に掛けてくれた母には本当に感謝です。
2008.07.14
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朝は幼稚園で園長先生の「人智学を学ぶ」がありました。どんなに急いで朝の家事をしても、どうしても遅れていく私。帰ってからに家事を回したら、というご意見もあるだろうけれど、帰ってからも予定があるから、それもできない現状です。もちろん園長先生もそしてお母さんたちも私が遅刻することは心広く許してくださっているんだけれど、私自身が、最初の30分が聴けないのがとても残念。今日到着した時はお母さんの自己紹介ももう3分の2は終わっているところだった。それでも少しは聞けて幸せ。このところみんながどんな気持ちで過ごすことができたのか、どんなことに引っ掛かったのか、子どもたちが何に興味を持つようになったのか、さまざまなことが自己紹介を通して、私の心の中に入り、笑ったり、悲しんだり、うんうんとうなづいたり・・・こういうときには必ず感心するような言葉の表現に出会ってとても驚くのです。今日は先生からその言葉が生まれました。20で亡くなられたお姉さんのことを回想されながら、「亡くなるということは、死という新しい生なのですね」この言葉は確か哲学の中で死というものをどうとらえるかっというときに、「肉体を持たない新しい生が死である」と考える人たちがいるというのをどこかで読んだような気がするけれど、私が感じる「死」と全く一緒だったのでびっくりしました。先生は今も一番困ったことは心の中でお姉さんに相談するのだそうです。私もその先生の言葉に引きずられて思いました。ぽっぽがいつも子どもたちを守ってくれていると思っていたけれど、最も引っ張ってくれていたのは私自身だったのだ、てことなんです。私の選ぶ道はこっち、こっちだよって 言葉ではない言葉で導いてくれる。だから私はたいした不安も怯えもなく、ここまでやってこれたんだ。一番守ってくれていたのは私だったのですね
2008.06.09
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最近友人との会話の中で、阿南慈子さんのことが話題になり私の中でその度彼女のことが思い起こされる。彼女は私のこの30年の歩みの中で、最重要人物の一人だと思う。彼女が病床の中にあって、エッセーを書いたり詩を作ったりし、そのお手伝いをさせてもらったことが、今実際にこうして私が毎日何か書いていることに、いくらか影響があったことは間違いないでしょう。彼女の本づくりには主にワープロ打ちという仕事で手伝っていたので、たくさんの作品を特別に味わうチャンスをたくさんいただいた。その中ですぐパッと思い出すのは「ボーダーラインを越えた時」という詩ボーダーラインを越えた時生まれた子どもは 健康で五体満足でなければ絶望だ他の人に お下の世話をかけるようにだけはなりたくない寝たきりで周りの人に迷惑かけるばかりでは 生きていたくない見たり食べたりする楽しみがない状態では 生きていてもむなしい家族の顔さえ識別できないほどボケては 生きている値打があるのか古代から 恐れられ続けたハンセン病にだけはなりたくない薬物依存症・アルコール中毒になるようでは悲惨だ社会から 悪人だ罪人だと後ろ指差されるようでは最悪だごみ箱から食べ物を探し出して生きる 乞食になっては最低だ雨露をしのぐ場もない路上生活者まで落ちたくない人はあっちこっちに ボーダーラインをひきたがるボーダーラインを超えた時 何かが少し見えてくる思い上がりうる美点を みんな失った今虚飾のすべてをことごとく はぎ取られてしまった今ボーダーラインを越えた時 人は何かが少しわかるのかもしれない人間が何であるのかということと そして 神と 神の愛が何であるのかということをなぜならキリストご自身が ボーダーラインを越えられたところに低く低く底辺に 生まれ生き亡くなられたから 彼女の言うボーダーラインよりももっともっと手の届くところに私たちはボーダーラインを作っていると思う。あんなこと言うなんて、許せない(人の気持ちのわからない人)せっかくメール送ったのに「素無視(すむし)」やし!!(愛情のない人)15分も遅れるなんて!!(常識のない人)・・・・そんな狭い狭い段ボール箱にかがみ込んで入り、自分のボーダーラインにがんじがらめにされている。息もつまりそうで、ミスのない自分でなければと、心を張りつめているどおりで、神様の愛が届かないわけだ。そんなとき、ボーダーラインが作り出した段ボール箱を少し開けて新しい空気を入れてくれるもの、それはほかならぬ、自分にとっては何を考えているのかわけのわからない子どもや家族や友人であったりするのでは・・・ そんな気がする慈子さんは、ボーダーラインを遠くの遠くに遠ざけて、透明になったボーダーラインを越えて、神様とお話をなさっていたんだね
2008.05.14
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私という人間の一部を理解してくれる人はたくさんいる。私も友人たちのどこかについて理解したり共感したりすることはできる。でも私が最も大切にしている考えを、心底同じ視点から理解してくれる人はどれだけいるだろうか?それはなかなか難しいことだと思う。何しろ、私が最も大切にしている考えとはいったい何なのか、私自身が分かっているかどうかという問題があるぐらいなんだから・・・。そういう自覚できないことこそ、実はとても自分の中で大切にされているもんなんだ、と今日友人とお話ししていて気がついた。だからこそ、自覚できないところで、心は傷ついたりしてしまう。ましてや、私が友人たちの最も大切にしているものを知り、理解するなんてことは、まずできそうにないと思う。だからそれと知らず、傷を付けてしまうことも多々ある。そうやってお互いに傷つけ合うことをも分かっていて、なおかつ許し合って生きていくことが、最大私たちができることでしかない。許し合うことはできても、それでもまだ、真に理解できたのとは違う。人間全体の存在を認めあえているだけのことだ。それで充分、それで充分生きる勇気を見つけることができる、と思った。大好きな友人たち、いつもありがとう!!
2008.05.13
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朝、昼からのレッスンがキャンセルになりました。それで急にかなり自由に動ける一日となりました。 これをしようと決めていたことよりもまず、あまりにむちゃくちゃになっているリビングやこたつの部屋を何とかしようと思いたって片付け、ひと段落ついたら1時。買い物に行って昼食をとったら五女のお迎えの時間。ちょうど幼稚園バスから彼女が降りてきたところに、小学校から帰りみちの四女も一緒になりました。「今日な、パン焼きたいなぁって思うんやけど、どう?」「うん、やりたい、焼こう!」何を隠そうたぶん3年ぐらいは焼いていないと思うのです。それというのもこの数年の内に、ご近所に手作りパン屋さんが4件もできました。それぞれに個性のあるパン屋さんで、簡単にいえば、いつでも焼き立てパンをいただくことができる環境になってしまったので、この忙しい身をさらに忙しくして焼く理由が見つからなくなってしまったわけです。でも、先日バレンタインチョコをせがまれて手作りすると、あぁやっぱり手作り楽しいということになり、火曜の夜は手作り餃子、そして今日はパンということに・・・前(四女が生まれて間もなくのころ)は毎日のように焼いていたから、レシピもびしっと頭に入っていたけれど、今日はええと、何がいるんだっけ?と用具も材料も全部本を見ないといけないぐらい・・・ だめですね~~3時半ぐらいからキッチンに立って、焼きあがったのは5時半、そのまま夕飯の支度に入って調理し、さて食べようかといすに座ったら、8時だった。お弁当づくり、お昼も合わせれば、今日は5時間半ほどキッチンにいたことになります。でもやっぱり面白~い四女も五女もパン生地を丸くまとめるのを手伝ってくれて、「わぁ~~、ふわふわ、気持いい~~」ととろける表情、焼きあがり時には出かけていた大きい子どもたちもばっちり帰ってきて、ほかほかのバターロールにかぶりついていました。こういうときはなぜかみんなピシっと帰ってくるんだよね
2008.02.21
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今日のスケジュール午後 三月初めのコンサートの練習 バレエのレッスン夜 来週のコンサートの練習 でも朝から昨日のインフルエンザのことが頭に引っかかっていて、私も万全の体調ではなく風邪っぽい症状もあったりするから、これでもしインフルエンザになっていたら・・・三つのグループにわざわざ移しに行くようなものだと思えました。なので、思い切って今日は全部を取りやめにしました。おかげで突然何もなくなった今日の用事! 午後になると喉の痛みも弱まってきているので、まずは明日と来週のコンサートの個人練習。個人練習でできることは限られているけれど、それでもゆったりと時間がとれるので、十分練習をしていれば、ゆとりになります。アンサンブルするのも合わせやすくなるしね・・・このところいろんなことを並行してやっていました、そしてこれからもそれはずっと続く。それがちょっと入り乱れすぎになってきちゃったんだと思う。もともと自分の子育てに音楽活動乗っかったことが発端です。その音楽活動も今ではオーケストラ、クァルテット、デュオ・さくらんぼ、森の音楽屋さん、レッスン、そのほかのグループの手伝い・・・子育ても幼稚園関係の真名の会、ミニ真名の会を中心に、個人的にお話を聞く時間もできるだけ取っています。もちろん、教会のこと、地域のこと、学校のことが入ってくるのはごく当たり前・・・。そんな中で今日のように突然の空白が入り込んで来てみると・・・。 私はちょっと楽になったような気がする。今日は心が楽!!空白て本当に大事なんだね。 じつはToさんも今日は「空白の日」 朝からせっせ、せっせ、と五女の絵本を作っています。 これから「空白の日」をスケジュール帳に書こうっと。
2008.02.16
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電車やバスに乗ってどこかへ行く時、帰ってくる時、前は車内で読むための本やテキストをカバンの中に入れていました。今はシャーペンと消しゴムとレポート用紙です。何をするのかって?もちろん書くのです。家族のこと、特にカナダ生活のことを書いています。しゃ~しゃ~と汚い字で書くから、後から何が書いてあるのかわからないことも多いのだけど・・・不思議とめちゃめちゃ楽しいすぐに心の中はカナダの一場面に飛んで行って、あの時の感覚を取り戻します。そして映画のように、そこで再体験するのです。 冷え切った大地 長い長い夕陽の影 真っ暗な天空に突然広がるオーロラ・・・ ・ ・ ・ ・時々こっちの世界に帰ってきて、駅をチェックします。大丈夫!まだ楽しめるわ
2008.01.10
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クリスマスがやってきて、教会ではまた新しい一年が始まりましたね!下の二人はサンタさんにいただいたおもちゃで心ゆくまで遊んでいます。学校もない幼稚園もない。何にもなかったらこんなに自由なんです。どんどんお話は展開して、いろんなおもちゃを動員して・・・私もこんな自由な時間がほしいです。その時に自分が感じることを、そのまま実行して、どんなふうに展開するかも、どれぐらいで止めるかも、全く自分の趣くままにすることができるなら・・・大人もそんな時間があったらいいのに・・・来年のサンタさんにお願いしておこう・・・私に3日間の自由な時間を下さいって!食べることも寝ることもすべてのことから一度解放されてみたいんだ!!んで何するかって?もちろんそれはその時の私の気まぐれ! 自分が何をするかも見てみたい私です。
2007.12.26
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夜はたいてい私のVn(ヴァイオリン)の練習時間。個人的な練習をしていることもあるし、クァルテットやオーケストラの曲を練習している時もあります。そして翌朝、朝の気配を感じているけれど、まだ眠りの中でまどろんでいます。夢もどんどん展開しているその時、ハッと気が付くのです。夢にBGMがついている。前日に練習した曲です、その夢の内容がどんな場面であっても、前日の曲が流れているんです。そんなに音楽尽くしの毎日でもないのに・・・・だからこそ寝ている時に音楽がくっついてくるのでしょうか?
2007.11.20
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毎週金曜日の朝は、友人宅に美味しい牛乳が届きます。今朝それを取りに行った時の会話です。「さっちゃん、ご主人のお墓に入るの良い?実家の方が良い?」「私?お墓・・・?どっちでも、別にどこに入っても一緒やし・・・。 だ~れも知らない人ばっかりやったらちょっと寂しいかなぁ」「私はやっぱり、自分の実家のおばあちゃんの横が良いわ~」「お墓って骨が入っているだけやろ! 私きっとそんなところにじっとしてへんと思う。 もう肉体から離れたら行きたい放題、みんなの所に行くから・・・ Yさん(友人)の所にもしょっちゅう来るからよろしくね~」「さっちゃんの方が早く居なくなるなんてことないって!」「そんなことわからへんやん」「でも、 さっちゃんやったら五女ちゃんの子どもぐらいに生まれ変わったらいいかもしれんなぁ」「あぁ!それいい考え、五女に頼んどこ、子ども産んでな-って。 そやけど意外と化け物みたいに長生きしてそんなチャンスなくすかもしれへん。 その時はひ孫に挑戦するわ!!」
2007.11.09
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おかげさんで午後から復活してきました。ご心配いただき、ありがとうございました。昨夜はクァルテットが終わったら早速指示が飛びます。五女に「二女さん呼んできて!」二女に「あした、五女さんは遠足でどうしてもお弁当がいるの!せっかくの休みで悪いのやけど、(私に取ったら都合のいい休みでうれしいのだけれど)早起きしてお弁当作ってやってくれる?私熱出てるから作られへんわ、ごめんな!」四女に「明日五女さんの遠足やから、この遠足のお手紙見て一緒に用意してあげてくれる?ありがとう」長男に「悪いけど、もし今から外に出かけるんやったら、スポーツドリンクとのど飴買ってきといて!無理に買いに行かんでもいいし」ほんじゃお休み!! 翌朝気がつくと7時前から台所の方から音が聞こえてきて、いい匂いもしてくる。いつもぎりぎりにしか起きてこない五女も早くから起きてリュックの中身をもう一度点検しているし・・・。長男は昨夜のうちに飲み物と飴を枕元まで持ってきてくれていたんだけれど、ちゃっかりそのとき、自分のクッキーとそしてチンでできるお弁当用のコロッケを買ってきたそうな!もちろん自分とついでに五女のために・・・二女はお弁当づくりが終われば、そのまま五女を送りに行って、洗たく物を干し、片づけて・・・「下宿の人が3日に一回の洗たくでも邪魔くさいって言ってるけど、うちは一日2、3回分?主婦の仕事って大変やなぁ~~」てこぼしていました。ほんまにたいへんやろ! Mちゃん、ご苦労様でした。
2007.10.30
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朝から喉痛いぞ~と思っていたらそのうち腰が痛くなって、これは怪しい~~夜の「私の好きな木」のクァルテットの練習の頃にはたぶん発熱状態!!2年ぶりぐらいの発熱です。でもそんなに高くはないし、たぶん風邪でしょう。練習自体はとってもいい感じだったんだけど、誰にも移ってませんうように!!
2007.10.29
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昨日のブログに、たくさんお祝いの言葉をいただきありがとうございました。 そして友人Sさんへの励ましの言葉やコメントもいただいて、本当に感謝です。本日の彼女へのブログメールには号外も出して、皆さんから頂いたコメントを彼女に伝えておきました。するとすぐに返事が来て(元気になっているのがよくわかります。)こんなくだりがありましたので、お伝えしておきます。皆さんへの感謝の言葉、「ありがとう!嬉しいです」に続いて・・・ 私の大切な宝の名前は亡くなった母が 月の光のように潔く明らかでありますように とつけてくれました。 前は名前負けすると思っていたけれど、寝床から祈り、 カーテンを開けていると優しい気持ちになって・・・ 母さん生きていたら喜んでくれるかな?と思えました。 彼女自身の力もそしてご主人の力もたくさんあるけれど、ここに集って下さってSさんのことを心に留め喜んでくださったみなさんの心が、本当に彼女を動かしているように思いました。こんな素敵な時を持つことができて本当に嬉しいです。 みなさま!! スペシャル誕生日プレゼント(2)をありがとうございました。
2007.10.26
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午後から素敵なニュースが舞い込んだ。以前紹介した友人のSさん今月21日に結婚7周年のお祝いの日を迎えたって!よかった。でもそれどころじゃない。 それを何と鳥羽で迎えたというの!!2泊3日の旅をして来たって!いつもこのブログを彼女の携帯にメールしているのだけれど、「わぁ~さっちゃんのメール、ちゃんと鳥羽まで届くんやね!」てご主人に言ったら「当たり前やん、日本国中届くで~~」との返事。いつも家にいて、起きれない時もたくさんたくさんある。今までも旅行はしたことあるけれど、いつもご主人運転の車で、なおかつ車椅子での行動。 それが今回は杖をつきながらも、自分の荷物は自分で背負って電車で鳥羽まで行って、スペイン村で遊んで来たんだって!! すご~~い!ご主人にも「いいよ!好きなとこ行ってきて!私ここでお茶しているし・・・」「じゃ、ちょっくら行ってくるわ!」そうして一人優雅にほっこりココアをいただいている自分の姿を、カッコイイ!と思ったらしい。 もちろん!めちゃめちゃカッコイイよ!車椅子ならそんなことできないもの。一人で何かができる。なんて素敵なんだろう、なんて自由なんだろう!! これは自信ついたね~ めちゃめちゃ嬉しいわ 涙が出てくる~~ 最高のプレゼント頂きました。今日は私の誕生日!! Sさん ありがとう!!
2007.10.25
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昨日は友人が遊びに来てくれて久しぶりに楽しくお話ししました。 そんな中で、なかなか自分をそのまま外に出すことは難しいねぇ、と先日私が二女のことをブログに書いた内容を話題にしていた時です。学生時代の自分のことがバリっと蘇りました。 私はその頃も、今と違わずさらに忙しい毎日を送っていました。 クラブでオーケストラにいる時は、コンサートミストレス(コンマス)の顔 バイトで家庭教師をする時は優しい先生の顔 フィギュアスケートの練習に行く時は、競技選手の顔 非常勤講師で出向く時は体育教師の顔 ステージにいる時はヴァイオリニストの顔 教室にいる時は学生の顔 いろんな顔を毎日、また一日の中でもいくつも付け替えることを意識していました。とても大変そうな印象がありますが、実は全く違った自分になることができるので、顔を付け替える度に、その時もらった疲れやストレスは一緒にはずして新しい顔になれたのです。 そう言えば主婦はそういう切り替えや役回りが変わるっていうことが少ないですね!特に小さな子どもの子育ての時期は・・・。そういうのも本当に大切な気がします。友人は他の学生オケのメンバーでフルーティストでした。お互い学生時代に声をかけたことはなかったのですが、エキストラとして現れた私から威圧的な空気を感じていたと言っていました。 きっと私は「エキストラはこうじゃないとだめなんだ~~」という上着をまとっていたに違いありません。 おお怖!! 若いってすごいですね~~
2007.09.21
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友人のブログの中のコメントで、私は 「なぜか小さかった時こんなできの悪い人間でも生きていて良いんだ、と神様が許してくださっているという強い思いがあった・・・」というようなことを書いた。すると友人は「とても自信のある人だと思っていたから、その表現に驚いた」というようなコメントをくれた。あぁそのコメントを見て、驚いたのはもちろん、私!私を自信のある人と見ていた。私は自信のある人に見られていた 簡単に言えば私の兄姉妹はかなり優秀な子どもであり、才能の持ち主だった。それに比べれば全く平々凡々の私、少し平均よりいいのは運動能力と病気にならない身体!でも何かにつけてひそかに、天におられるだろう神様との会話を楽しんでいた。母に怒られて大泣きしている時は天を仰いで神様に自分の弁解を訴えるし、病院ボランティアでおばあちゃんに喜んでもらったことも報告する。陸上の試合で幅跳びを飛ぶ時はお空まで飛んで行ってしまうことを目標にし、たまたま表彰台に上がれたら、神さまのお蔭っと感謝する。もちろんどんな時でも神様はだめだめ、なんて言わないで黙って私の言うことを聞いて下さって、受け入れて下さっていた。だから上のような言葉が生まれたのだけれど、よ~くよ~く考えてみれば、成績や行いに対して良い評価をもらう、という自信は全くなかったけれど、それでも生きていて良いよっと神様が言ってくれているという自信はすごくあったのだ。 たしかに私は自信を持っていたんだ。 自分でも全然知らなかった事実!友人が気づかせてくれました!!
2007.09.11
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