番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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ディレクター受難の時代?


パソコンでノンリニア編集というのが当たり前のようになると、ディレクター氏の仕事がまた増える。そして何より、ディレクター氏は編集センスも問われることになる。編集のプロではないのに、編集の責任まで負うわけだ。

ディレクター氏は大変だが、これは見る方にとっても困った話。
番組制作現場のベテランでも編集は素人のディレクター氏が編集するより、その専門家がやった方がやはりうまいし、仕上がりもきれいに決まってる。
しかし、コスト削減等で編集専門の人間はどんどん減らされているし、カメラマンが編集をすることもカメラの稼動効率の問題等で時間が短くなってきている。
そこに登場した便利手軽なノンリニア。視聴者はディレクター氏の、決してうまくはない(はっきり言ってヘタ)な編集によって作られた番組を見せられることとなる。
編集の質は落ちこそすれ、あがることはない。これでいいのかなぁと思う。

映像をつなぐだけが編集という仕事ではない。
あまた取材してある素材のうち、どの映像を使うか、どのシーンをどうつなげば、より魅力のある、より分かりやすい、見ている人の心に届く流れとなるのか。そうした映像の流れを判断するのも編集マンの仕事だとぼくは思っている。

テレビ番組はいろんな役割を担う人たちの共同作業でできあがる。だからそれぞれの担当にそれぞれの責任がある。
ストーリーがつまらないのはディレクターと構成者の責任だし、いい音が録れてないのは音声担当の責任、そして的確な映像があるかどうかはカメラマンの責任だ。
同様に、編集過程で最適な映像を選ぶのは編集マンの責任。ぼくはそう思っている。

某局には編集専属のスタッフが数人いるが、彼ら(女性もいる)は編集作業が始まるまでにディレクターが取材してきたテープを全部プレビューし、使えそうな映像をチェックしておく。中には使えそうなインタビューを書き起こす編集マンもいる。
そういう準備をしているから、いざ編集に入り、ディレクター氏がどの映像を使うか逡巡している時など、的確に対応することができる。ラフ構成を渡しておくと、そのラフ構成よりもいい内容の粗編を作ってくれたりもする。
こういう人たちこそ、“編集担当”の名にふさわしい。
だから、編集マンであれカメラマンであれ、編集を担当する者は取材テープをきっちり見なければならない。それが“編集”を名乗る最低限の条件だと思うし、それをしないと先へは進まない

だが、最近は取材テープをきちんと見ている編集担当者の方が少ない。社外プロダクションの編集マンにやってもらう場合、その人は当然取材テープなどは見ていない。だから、ディレクター氏なり構成担当なりが映像まできちんと決めておかなくてはならない。
となると、番組制作上、“編集”という役割を務めているのはディレクター氏で、彼が選んだ映像をつなぐ人間は“編集”ではなく“編集オペレーター”ということになる。

編集オペレーターもその腕によって番組の出来上がりが変わってくる。だから欠くことのできない存在だ。
しかし、番組最後に流れるスタッフ一覧に“編集”という肩書きで編集オペレーターが登場するのは変だと思う。上記のような場合、“編集”はディレクター氏であり、映像をつないだ人間は“編集オペレーター”として明記されるのが当然だし、そうしないと責任の所在がはっきりしない。
番組制作が分業である以上、そういう点はきっちりしておく必要があると思う。

その昔、企画、取材、撮影、構成、編集、などをひとりでやるディレクターがいて、番組最後のスタッフロールにそれら役割をずらずら肩書きとして並べて流したディレクター氏がいた。
すべてをひとりでやれるわけはなく、なんだかんだと非難もあったらしい。ただ、責任の所在を明確にするという意味では、そうした意思表示もありかなと感じる。今回の番組の場合、ディレクター氏の名前の前に“取材・編集”と入っていて当然ということだ。


とは言え、番組制作のプロではあっても編集は素人のディレクター氏たちがつないだ“習作”を見せられる機会がこれからは増えてくるだろう。
見る方も困るが、やる方もこまる。

ハンディカメラを操る能力と同時に、映像を選ぶセンス、それさえも身につけなくてはならない。

今、ディレクター受難の時代の始まりなのかも。





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