番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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なんとも自主規制



吉田拓郎の『今はまだ人生を語らず』がCDとしてリリースされていないことを知った。

「ペニーレインでバーボン」の歌詞が問題となり、発売元が“自主規制”をしているらしい。

最初、“自主規制”と聞いて、タイトルおよび歌詞にもある「ペニーレイン」という“固有名詞”のせいかと思ったけれど、「つんぼ桟敷」という“差別用語”のせいのようだ。

♪ テレビはいったい誰のためのもの
♪ 見ている者はいつもつんぼさじき

なんだかなぁ・・・・・・聴覚に障害を持つ人からの非難がコワいのだろうか。なんか、情けない。

もう、あっちもこっちも“自主規制”だらけだ。


最近はテレビの制作現場も“自主規制”が頻発している。
かなり前のできごとだけど、ぼくがテレビの世界に「??」と疑問を覚えたできごとがある。

番組は、マリファナや覚醒剤、睡眠剤など、クスリに手を出し、中毒状態に陥った人たちの話。登場人物の中に、同じ中毒状態の男性と結婚し、妊娠した女性がいた。出産を目前にしたその女性の言葉、

「五体満足なら、指がちゃんと5本あったら、もうそれだけで幸せ」

この「指が5本あったら」という部分に、テレビ局の、部署や役職は忘れたけど、オヤジが問題視した。

「指が5本ない人からクレームがつく」

「は?」

耳を疑った。こやつはバカに相違ない。

物語を印象づけようとナレーションで盛り上げるために入れた言葉ではないのだ。覚醒剤などのクスリ漬けになっていた、まだ若い女性が、新たな生命が我が身に宿ったことを知ったときに、これまでを省みて、生まれくる子どもに対してなんと無責任な生活ぶりだったのかを悟る。そんな苦悩の果てに出てきたのが上記の言葉なのだ。

我が身を痛めつけながらも快楽に浸る、または苦痛から逃避する。その生活が自己中心的で甘えに満ちたものだったかを、その女性は子どもを得たことで知った。そして、自分のこれまでの生活のツケが子どもの体にあらわれることへの恐怖を感じる。「普通に生まれて欲しい」 恐怖と祈りがないまぜとなったのが上記の言葉。それは、番組を普通に見ていれば痛いほどに分かる言葉なのだ。


それが「指が5本ない人からクレームがくる」からインタビューを削れだと? バカじゃないのか、お前!

もし、万が一、そうしたクレームが来たとしたら、それはクレームをつける方が間違っているし、「おかしいですよ」と、リンとした態度をとるのがテレビ局の使命だろう。それをオンエアする前に、「なにか言われたらコワい、その部分は消し去ろう」という態度。それでジャーナリズムでございなんてよく言えるな!

結局、その部分はオンエア当日に削られた。一番大切だと思っていたその言葉を削られ、番組は骨抜きになった。流れたのは、ただの、クスリ中毒者困難記。女性ディレクターの懸命な取材も、真摯な願いも、無になった。


これがぼくの、テレビ制作現場での初“自主規制”体験。それから何度も同じようなことがあった。書いているとまたアタマにくるけど、もうひとつ。

子どもたちに自然に触れさせようという試みがあった。山里で合宿する子どもたちは、卵をとり、大きくなったら食べることを前提にニワトリを育てる。それは、命を奪わないと自分たちの命が保てないということを学んでもらうため。

ニワトリも、ウシもブタも、普段は誰かがさばいてくれているからパック詰めの肉しか目にすることはない。しかし、食卓に並ぶおいしい唐揚げの向こうには、生きていたニワトリがいる。ただ見えないだけなのだ。

その、命を奪う部分を知るために、子どもたちはニワトリをヒヨコの頃から飼い始めた。

そして、解体するその日。

ニワトリは逆さづりにつり下げられ、農家の人が首にナイフを入れる。

「わぁ!」

目を見開き、あるいは顔をそむける子どもたち。でも、この過程がなければ、みんな生きていくことはできない。

番組ではニワトリを締めるそのものの映像を使ってはいない。カメラは二台あって、一台は子どもたちが丸く集まっている姿を遠くから撮影しているだけ。ニワトリを吊している縄が少し見えるけれど、ニワトリの姿は見えない。血がしたたるわけもなく、ただ子どもたちが丸くなっているだけ。説明しなければ、何をしているか分からない。

もう一台は命を奪われるニワトリを見つめる子どもたちの表情を追っていた。

この二台のカメラの映像を編集し、ニワトリが絞められているんだな、という状況を説明する。それだけの、でも、大切な部分。

この番組はスポンサーの試写があり、この部分は「よく入れてくれました。命の大切さがよくわかります」と評価してもらえた。

それが、である。局のエライ方は、この部分を、

「視聴者からのクレームのおそれがある。カットしろ」

またまた「はぁ?」。

ディレクターは、スポンサーもいいシーンだと評価してくれたと食い下がるのだがダメ。結局、このシーンはカット。

命を奪わねば、自らの生を支えられない。一番大事な要素が消えた。店頭にニワトリの手羽やササミやモモ肉その他が並び、その料理に舌鼓を打てるのは、誰かがニワトリを育て、締め、解体してくれているから。それを自ら体験するために、子どもたちは慈しみながらニワトリを育ててきた。

その苦労や思いを「クレーム」のひと言で消したテレビ局のエライ人。
あぁ、もう、信じられない。

要するに、局の上層部は、なにか言われるのがコワいのだ。主張や提言などもってのほか。物議をかもさず、平穏無事に日々過ぎ去ればそれが一番いいのだ。そんな、問題が起こるような面倒なことをしなくても、キー局の番組を流していれば儲かるのだから。


こんな、“自主規制”がまかり通る。トゲのないのがそんなにいいのか?

「ペニーレインでバーボン」。聞きたいね。




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