奔るジャッドンたのうえ、追っかけ帳

奔るジャッドンたのうえ、追っかけ帳

商業界掲載執筆 小嶋屋原稿


   「新潟・十日町 小嶋屋にこの人あり」        田上康朗

しんしんと降る雪は一夜三尺、一日五尺、と謳われるここ越後十日町市は、かって重要有形文化財「越後鏥」の里として知られた。現在では「雪ときものとそばの町」として有名である。
越後小嶋屋は、大正末期に創業、約70年の歴史を持つ日本そば屋である。当店のそばは、この地方に育った「玄(くろ)そば」を石臼自家製粉により精選したそば粉を、初代小林重太郎さんが案出した海藻をつなぎとして使っている点に特徴がある。
昭和30年に二代目辰雄さん(現代表取締役社長)が十日町市の現在地に出店、たちまち新潟県を代表とするそば処として知られるようになった。現在この本店の外に新潟市、長岡市、上越市に支店がある。 なおこの3月15日JR十日町市駅に新業態の立ち食いそば「雪中庵」をオープンしている。
越後で『そば』といったらヘギそばのこと。ヘギ板に盛り込んだ冷やしそばを数人で取り囲み、各人が手持ちのつゆに付けて食べる。 細麺でありながら驚くぐらい腰が強く硬い。これをほとんど噛まずに喉へ流し込む。その瞬間のなんともいえない量感あふれるのど越し。これが越後そばの醍醐味なのだ。
小嶋屋は数年前から、2代目の父親辰雄さん(社長)と3代目の息子(常務)の均さん本人の2人代表制を採っている。辰雄さんは、市会議員連続5期20年を勤め、均さんに代表権を与えてから店には一切タッチしていない。しかし均さんもこの3月までは青年会議所の中心メンバーとして多忙な上に、次々の新規出店と工場の新設と、まったく既存店を構う暇がなかった。
支店の各店は、均さんが東京で武者修行中の気心の知れた仲間が今、店長として頑張ってくれているから心配はない。問題は、事実上、主不在の本店だ。
結局、妻の房子さんに全ての負担がかかることになった。これまで彼女は経理を担当し、これまでも店が忙しいときは子育ての合間を縫って手伝うことはあったにせよ、夫の代役には一抹も二抹も不安を持ったのは当然である。
それがどうだろう。今や、一番の稼ぎ頭の本店を切り盛りして、それこそ細腕繁盛記顔負けの成果を上げているのだ。
「売上がどうのこうより、伝統ある小嶋屋の暖簾を信じて遠くからいらして下さるお客様に喜んでいただけるかで精一杯の毎日なんです」。
料理のメニューや出来具合には裏方に全幅の信頼を置いているから、まったく気をつかうことはないという。それだけに、「何か不始末やお客を不愉快があるとしたら私たち客席担当の問題なのです。だからもう必死」。
均さんに言わせると、「信頼していると言われることほど恐ろしいことはないのです。ですからお客様がおそばを少しでも残されていたら気になって、それを試食してみるんです」。
そばはその日の天気、温度,湿気などで出来上がりが微妙に違う。
「お客様はお気付きになられないかもしれないのですが、だからこそ店の者が気を付けなければならないと思っています。客席の仕事は、お客様が気付かれるて正してくださるのですが、裏のお仕事の場合、私たちが気付かない限り、裏の方には伝わらないということを、主人はいっているのです」と、房子さんが補足する。
だから房子さんは、お客の動きや表情を見るようにスタッフに言っているという。また、彼女自身はできるだけレジに立つようにしている。ここに立つと客席全体が見えることもその理由だが、それだけではない。
「女性はお化粧するでしょう。毎朝やっていることなのに出来、不出来があって。それが他人にはわからなくても自分にはわかるのです。出来がいいときは鏡の顔が笑う。悪いときは一日中気持ちが悪い。それと同じだと思うんです。お客様が満足されたかそうでないかは、レジで御精算されるときのお顔にでるんです」。
最近、昼と夕方の繁忙時間帯のお客が妙に急いでいるような、そして以前と比べたら食事時間が短くなったような気がして、心に引っかかっていたという。
「それも市内の常連のお客さまに限ってなんです」
並の店長なら、否、男性の店長ならそのことにすら気付かないだろう。かりに気付いたとしてもそれを店にとって決してマイナスとは思うまい。なぜならそれは客回転が良くなることであるから。
「原因は駐車場なのですよ。500人ぐらいのお客様の殆どがお車。なのに30台で満車なんです。日祭日は駐車場に入るのに車が長時間並ぶ。そのことを私たち、どっかで喜ぶ気持ちがあったんです。今日も繁盛で、よかったって。これ、思い上がりなんです」」。
常連客は、地元の自分達がゆっくりしていては県外客と小嶋屋さんに申し訳ないとおもって、そこそこで帰られるのだそうである。
「そうなんです。・・・・この町の人、皆たまらないぐらい優しい・・・」。
こんな房子さんの感性を、スタッフはみな身体で感じ取って、ベテラン社員はベテランなりに、社歴の浅い者は未熟なりに、自分の判断で精一杯のおもてなしをしているのである。
「みなさん大人の方ですし。私がとやかくいうことないのです。越後そばは十日町の人たちにとっては大切な特産品。なんにも言わなくたって自分の家のお客様と同じに一生懸命、大切におもてなししてくださる」。
信頼されて、そして自分の仕事ぶりを暖かい目で見ていてくれる者がいる、これほど人を発憤させるものはなかろう。
房子さんは、スタッフには、社長や常務(主人),店長には気を遣わせないよう、配慮しているという。その分お客様に喜んで頂くことを、各人が考え、動いてもらいたいからだ。
せいぜい朝礼等を通じて、『お客様に”ありがとう”といって頂けることを自分なりにやろう』と言っているだけだという。
ここには、あの大声を張り上げての一斉挨拶もない。作られたニコニコ愛想や媚びもない。コスチュームに固められたパフォーマンスもない。あのメニューのオウム返しがない。店の者同士の「おはようございます」がない。あくまでお客の空間造りに徹しているのだ。
レジの奥は厨房。そこには黙々と働く男達の汗だくの顔が見える。これぞ職人の『動』の世界なのだ。ここを裏の空間とすると、表は、和服を着た女性達が、テーブル半分、和座席半分の客席を重いヘギ板を掲げ、流れるように運んでいる。そこには、動きがありながらまるで静止画に似た空間がある。この動と静の2つの空間を上手く調和させることにこそ店長の役割があるのではなかろうか。
筆者は鹿児島に住んでいるが、この4年間で13回おじゃましている。私の喉が小嶋屋のヘギそばを恋しがっていることもあるが、他の多くの店の押し付けがましいこれでもか方式のサービス(?)やマニュアル接遇にへきへし、疲れた心が小嶋屋では癒されるからである。これだけの賑わいを見せながら、この店にはあの喧燥さがない。客席を埋め尽くしたお客のざわめきが、逆に静けさをかもし出していて、実に落ち着くのである。
やる気と熱気いっぱいを外へ放出させる店長が、本当の燃える職場、売場の達人なのだろうか。 いやそうではない、と私は房子さんの動きを追いながら思う。お客の空間づくりへの情念を従業員ひとりひとりの心の内に灯すことができる人こそ名店長といえるのではなかろうか。主役はお客様、店の者は出来るだけ目立たない黒子の働きするのが本来なのだと。「そうだ。この店は女性、妻、母親のやさしさなんだ。だから和めるんだ」。
ヘギそばを頂いていると,厚い積雪を押し上げて芽を葺いた山菜の天ぷらが運ばれてきた。小嶋屋の従業員の皆さんが、お客様に喜んでもらおうと、自分達が苦労して採った山菜を店に持ち込んできたものである。
小林房子さんの店長としてのあり方から、とても大切なことを教わった気がした。



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