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本当のクリスマスには、サンタクロースもツリーもケーキもチキンも七面鳥も出てきません。イエス様のお母さんのマリヤは当時としてはごくごく普通の女性で、他の女性よりも勝っている部分はコレと言ってありませんでした。ただ、予言の成就に必要な「ダビデの家系」の女性であったようです。マリヤの夫のヨセフ(イエス様は処女懐胎なのでヨセフとは本当の親子関係はありません)が「ダビデの家系」であることは聖書にきちんと書かれているのですが、マリヤもまた「ダビデの家系」であることは、実は、はっきりとは書かれていません。しかし、伝統的にマリヤも「ダビデの家系」であっただろうと言われています。もちろん、マリヤが信仰深く心の美しい女性であったことを否定するものではありませんが、それ自体は当時のイスラエルではさして珍しくもなく、マリヤが選ばれた最重要ポイントは「ダビデの家系」に連なるものであり、「ダビデの家系」に連なるヨセフの婚約者であったという部分でしょう。そして、マリヤもヨセフも特別裕福というわけではありませんでした。彼らが住んでいたのはガリラヤ地方というイスラエルの田舎でした。もうすぐイエス様が産まれる……という時になって、彼らはイスラエルの近くのベツレヘムまで旅をしなければならなくなりました。これは強制的な旅行でした。しかも、ベツレヘムについても泊まるところがありませんでした。もしかして、彼らがとてもお金持ちだったら宿屋に泊まることが出来たのかもしれません。しかし、泊まれたのは家畜小屋でした。一般的には馬小屋と言われていますが、当時のイスラエルにはたぶん、馬はいませんでした。馬に近い動物としてはロバならいました。ですので、馬小屋ではなく家畜小屋で、そこには羊や山羊や牛が飼われていたものと思います。イエス様は、そんな普通では考えられないような環境でお生まれなりました。そこにはクリスマスのごちそうもケーキもなければ、クリスマスツリーもありませんでした。もちろん、サンタクロースがプレゼントを持ってきてくれることもありません。しかし、不思議なことに、やはりイスラエルでは最下層と考えられていた羊飼いたちのところに天使のお告げがあり、産まれたばかりの救い主を見に来ました。イエス様は誰のために産まれたのでしょう……。答えはあなたの中にあるのでは……?さて、風邪がまだちょっとつらい私ですが、今日は、サッカーでいつも使わせて頂いている小学校のお掃除に行ってきました。ああ、なかなか休めません(;_;)。まぁ、掃除自体は午前中の1時間ほどだったので、午後は寝てましたが……(-_-;)。
2003.12.25
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私の所属する教会では今日がクリスマス祝会でした。どこの教会でもそうかは分かりませんが、ウチの教会はクリスマスの直前の日曜日にクリスマス礼拝をします。午前中は、普通にクリスマス礼拝です。クリスマスだからと言って、特別なことはしません。説教の内容がクリスマスになるだけかな?ただ、今年は感謝なことに、洗礼式がありました。何百人もいるような教会では、クリスマスの洗礼式は恒例行事でしょうが、ウチは50人そこそこの教会なので、洗礼を受ける人は年間でも1人か2人いれば良い方。それが今年はクリスマスに当たりました。洗礼を受けるには、事前に小教理という勉強をしなければいけないので、受けたい!と言ってすぐに受けられるわけではありません(これも、教会によって違いますが、ウチの教会は必ず小教理をします)。洗礼自体も別にいつでも受けられるので、ウチのように受洗者の少ない教会ではクリスマスに必ず洗礼式があるとは限らないのですよね。ちなみに、私が受洗したのはイースター(復活祭)でした。午後からは、今年は結構気合いの入ったクリスマス祝会をしました。今年は、秋の恒例の特別伝道集会をしないで、クリスマスに外の人に向けた集会をしようということになったのです。毎年は、クリスマス祝会というと、昼か夜に持ち寄りで食事をして、簡単なゲームなどして、牧師先生の短いメッセージを聞いて、いつも教会に来ている人たちでなごむ……という感じだったのですが、今年はそれはやめました。ウチの教会の主任牧師の先生は、水墨画を描く人なのですが、牧師先生に絵を描いて貰って、キリスト誕生のスライドを作りました。そのスライドに沿ってナレーターが聖書の言葉を朗読し、スライドとスライドの合間に聖歌隊が賛美をしました。そのスライド、私はちょっとびっくりした場面もあったのですが、描いた人の理解していることなどがかいま見えて面白いですね。たとえば、旧約聖書の預言に、「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」というのがあるのですが、これはキリストを指したたとえ話なワケです。それが、切り株から赤ちゃんが出てきているかぐや姫のようなイメージで描かれていてちょっとびっくり。最初にその絵を見たとき、何を表しているか分かりませんでした(^_^;)。そして、天使。天使って、一般的には中性的なイメージ、もしくは女性的なイメージではないかと思いますが(私の中では中性的かな)、牧師先生の描かれた天使は非常に男らしい天使でちょっとびっくり。別に、聖書に天使は男性的とか女性的とか書かれていないので、どっちでもいいし、見る人によってどちらにも見える存在なのでしょうが、牧師先生にとっては天使って男性的なイメージなんだなぁ、と思いました。でも、全体としてはなかなか、良かったですよ(^^)。その後、教会員の家族の特別賛美がいくつかあって、最後に手作りのケーキ&お茶のサービスがありました。とまぁ、このように教会で行われるクリスマスが本当のクリスマスなんですよ、ということではなくて、以上は今日あった出来事と本当のクリスマスに対する前振りです(^_^;)。日本には、クリスマスの外見だけ輸入されて、中身がない感じがしますね。まぁ、日本人はもともと良いトコ取りで自分たちに都合の良い部分だけを取り入れたい性質を持っているので、それ自体は仕方のないことでしょう。クリスマス自体にしても、最初からキリストの誕生日という設定ではありませんでしたし。なので、本当の本当はキリストの誕生日は不明で、夏だったのではないかという説もあります(^_^;)。しかし、クリスマスというのは本来はキリストの誕生日を祝うということが重要なのではなく、何のためにキリストが降誕されたのかという、その意味を考えることが重要だと考えます。ですから、クリスマスはクリスマスだけで完結するものではなく、この後の、イースターやペンテコステに繋がるものであるはずなのですね。そして、本当のクリスマスにサンタクロースは登場しません(そもそも、聖書の時代にサンタクロースはまだ生まれてないし(^_^;))。なんだか長くなってしまったので、この続きは、書ければ24日か25日にでも書きたいと思います。なんか、前振りの方が長くなっちゃいましたね(^_^;)。
2003.12.21
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