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突然原因不明の蕁麻疹ができ、入院することになった千尋は、病室のベッドの上でシーツに包まってこれからの事を考えていた。こんなことになったことを、もう美津子や良子達は知っているのだろうか。歳三や恵津子にいつまで迷惑を掛けてしまうのだろうか。そんなことを千尋が思っていると、病室のドアが開く音がした。「千尋さん、どうも。」カーテンが勢い良く開けられ、愛美が自分の前に立った。「愛美さん・・」「土方君から聞いたわよ?あなた、蕁麻疹に罹っちゃったんですってね?」そう言った愛美は千尋が包まっているシーツへと手を伸ばすと、それを一気に剥がした。「きゃぁっ」「なぁに、酷い顔。痕が残らないといいけど。」病衣から覗く醜い蕁麻疹を見て、愛美はぷっと噴き出しながらそう言うと、千尋の顔を覗き込んだ。「帰ってください・・」「あなた、土方君に甘えてばかりよ。あなたの所為で、こっちはただでさえ忙しいのに仕事が増えるんだから、たまったもんじゃないわ。」愛美は憎々しげに千尋を見ると、彼女の髪を掴んだ。「全く、あなたったらいつもそうやって土方君の気をひいて、困らせて、甘えて・・純情な振りをしてやることはやっているのね。」「そんなつもりじゃ・・」「じゃぁどういうつもりなの?これ以上土方君の手を煩わせるようなことをしたら、わたしが承知しないから。さっさと別れなさいよ!」憎悪と悪意が籠もった言葉を一方的に投げつけると、愛美は病室から去っていった。千尋はシーツを頭から被り、嗚咽を漏らした。(わたしの所為だ・・)自分がもっと強ければ、蕁麻疹で入院することにはならなかったのではないか。睦美を罵れるだけの強さがあれば、他人に迷惑を掛けずに済んだのではないか。そう自分を責めていると、再び激しい痒みが襲ってきて、千尋は腕を掻き毟(むし)った。掻いても掻いても痒みは治まらず、やがて掻いている箇所から血が吹き出てきたが、千尋はそれでも構わずに掻いていた。「千尋、何してんだ!」頭上から声がして千尋が顔を上げると、そこには歳三がいつの間にかベッドの前に立っていた。「痒くて堪らんと!」「掻いたらますます酷くなるだけだ!落ち着け!」「なんでうちは弱いん?なんでぇ~!」髪を振り乱し、千尋はそう叫ぶと激しく泣きじゃくった。「あの人を罵れば気が済むのに、どうしてうちには何も出来んと?ねぇ、トシ兄ちゃん教えてよ!」「あの女と関わったら、お前ぇは壊れる!蕁麻疹になったのは、あいつの所為だろうが!」「うちの所為よ、トシ兄ちゃんやお義母さんに迷惑掛けとるのは、弱いうちの所為!トシ兄ちゃん、こんなうちと別れて愛美さんと・・」「馬鹿言うな!」バシッという音がして、千尋の右頬が急に熱くなった。唖然として歳三の方を見ると、彼が荒い息を吐きながら赤く腫れた右手を見ていた。「トシ兄ちゃん・・」「いいか千尋、俺は絶対お前とは別れねぇ!お前は俺にとって生きる意味そのものなんだよ!だからこんなところでウジウジ悩んでねぇで、さっさと俺達のところに戻ってこい!」「うわぁん!」千尋は今まで堪えてきた涙を流し、歳三の胸に顔を埋めた。「誰もお前のことを責めちゃいねぇから、安心しろ。もう二度と俺と別れるなんて言うな、わかったな?」「うん・・」千尋がこの時少し落ち着いたかのように見えたが、歳三は彼女がまだ自分を責めていることに気づかなかった。「じゃぁ、また放課後寄るからな。」「うん、待ってる。」そう言って歳三に笑顔で手を振る千尋を見て、彼は安心して学校へと向かった。「土方先生、奥様入院されたんですってね?」「ええ。今までの疲れが一気に出たようです。子ども達は母が見ておりますが、ミルクよりも妻の母乳を恋しがってよく泣くようで、母が困っておりました。」昼休み、富田にそう歳三が愚痴を吐いていると、携帯が鳴った。「ちょっと失礼。」店の外に出て携帯の通話ボタンを押した歳三は、病院から妻が自殺未遂をしたことを知り、立っていられなくなるほどのショックを受けた。「どうしました?」「急いで病院に行かないと・・妻が自殺未遂を・・」 歳三が病院に駆けつけると、千尋は酸素マスクをつけられて集中治療室に居た。「妻は大丈夫なんですか?」「ええ。トイレで睡眠薬を大量に飲んでいました。清掃員が発見したから良かったものの、あと数分遅れていたら・・」(千尋、なんでだよ!どうしてこんな事に!) 歳三はやりきれない怒りを、窓ガラスにぶつけた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月26日
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「あ~寒かった。凍え死ぬかと思ったわよ。」歳三がドアのロックを解除した途端、睦美は悪びれもせずにどかどかと部屋に上がってきた。「あんた一体何しにきた?どの面下げて千尋に会いに来たんだよ?」「何よ、実の娘に会っちゃいけないっていう法律があるわけ?」睦美はそう言うと、歳三に支えられている千尋を見た。「ねぇ千尋、悪いんだけどさぁ、金貸してくんない?ちょっと困ったことになってさぁ・・」「いい加減にしろ!千尋を捨てた癖に金の無心に来たんなら、さっさとここから出て行け!」歳三は余りにも身勝手な睦美に対して堪忍袋の緒が切れ、彼女の腕を掴むと玄関から外に放り出した。「ちょっと何すんのよ、開けてったら!」「てめぇなんざ親じゃねぇ、ただの疫病神だ!」外で睦美が何かを喚いていたが、歳三はそれを無視してリビングへと入っていった。「トシ兄ちゃん、ごめんね・・」蒼褪めた顔をして千尋がそう言って歳三に詫びると、彼はそっと千尋を抱き締めた。「何言ってんだ。千尋、少し落ち着くまで横になって休め。」「うん・・」千尋はゆっくりと立ち上がろうとしたが、眩暈に襲われて床に倒れこみそうになった。歳三は咄嗟に彼女を抱きかかえると、寝室へと入って彼女をベッドに寝かせた。「子ども達は俺が面倒見るから、心配するな。」「ありがとう・・」歳三が寝室から出ると、恵津子が心配そうに彼を見た。「ねぇ、大丈夫なの?」「いいや。あの女と会って過去の辛い記憶が甦ってきたらしい。もうとっくに縁は切れてるってのに、何だってあの女は連絡してきたんだか・・」「トシ、千尋ちゃんがあんな状態だからわたし暫くここに居るわ。学校に双子ちゃん達を連れていくのは大変でしょう?」「済まねぇな、お袋。」「何言ってるのよ、困った時こそ助け合うのが家族ってもんでしょ?」 睦美が千尋を突然訪ねてきて数日後の朝、歳三は隣で悲鳴を聞いてベッドから飛び起きた。「どうした、千尋?」「いやぁ・・見ないで!」「何があったんだよ!?」千尋が自分から逃げようとして必死に身を捩ろうとするのを、歳三は彼女の腕を掴み強引に自分の方へと振り向かせた。 すると彼女の美しい顔から上半身にかけて、蕁麻疹が広がっていた。「どうしたんだ?」「今朝顔が痒いと思ったら、こんな風になってて・・」「とにかく、病院に行くぞ!」半狂乱になっている千尋を何とか宥め、歳三は彼女を病院に連れていった。「心因性による蕁麻疹ですね。何か最近奥様に大きなストレスを与えた出来事はありますか?」心療内科の医師からの質問に、睦美と再会したことが原因だと歳三は思った。「実は、長い間絶縁していた妻の母親が、数日前に金の無心に来たんです。彼女は妻を虐待していたんです。」「そうですか。暫くこちらで入院していただくことになりますが、よろしいですか?」「はい・・」「今わたし達に出来るのは、奥様のストレスを極力減らすこと。その為にはご家族や周囲の理解が必要です。」「解りました。」 診察室から出て、歳三は千尋を見ると、彼女は俯いて不安そうな表情を浮かべていた。「トシ兄ちゃん・・」「千尋、お袋が暫くこっちで双子の面倒を見るから、心配するな。」「でも・・」「お前は今まで頑張ってきたんだ。これからはゆっくり身体を休めろ、いいな?」歳三の言葉に、千尋は静かに頷いた。 千尋が入院してから、歳三は彼女の代わりに婦人会の会合に出席した。「あら、千尋さんは?」「それが、実は妻は現在入院中でして。申し訳ありませんが、彼女は婦人会代表選挙に出馬できるような状態ではありませんので、辞退させていただきます。」歳三が婦人会のメンバーに千尋が抱えている事情を説明すると、メンバー達は皆一様に顔を曇らせた。「千尋さんが退院するまで、わたし達が彼女をサポートするから、心配しないで。」「ありがとうございます。皆さんにはご迷惑をお掛けいたしますが、宜しくお願いいたします。」千尋の入院のことを話して、“蕁麻疹なんてすぐに治る”と言われたらどうしようかと歳三は責められるのではないかと思ったが、それは杞憂に終わった。「土方君、千尋さんのお見舞いに行っていいかしら?」「今はそれどころじゃねぇんだ。」「あら、いいじゃない。」 歳三が学校へと向かおうとした時、愛美が千尋のお見舞いに行きたいとしつこく食い下がってきたので、彼はイライラした様子で愛美を睨んでこう言った。「お前、いつから人の不幸を面白がる人間になったんだ?」「あら、酷い。わたしなりに千尋さんのことを心配しているのよ?」愛美はそう言って笑うと、歳三の前から去っていった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月26日
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「トシ兄ちゃん、待って!」 千尋は店から飛び出していった歳三を慌てて追いかけたが、雪が積もった道路を着物で走るのは至難の業だった。あっというまに歳三との距離が開いていってしまい、懸命に彼を追いかけようとした千尋だったが、泥濘にはまって転んでしまった。「千尋、大丈夫か!?」歳三がふと我に返ると、地面に蹲り痛みを堪える千尋の姿が目に入った。「うん・・少し転んだだけ。」「見せてみろ。」千尋は着物の裾を捲って膝小僧を見せると、そこは転んだときに擦り剥いたのか、血で赤く滲んでいた。「済まねぇ、ちょっと気が動転して・・」「どうしたと、トシ兄ちゃん?」「俺、あいつらが未だに憎いんだよ・・特にお袋と俺達を捨てたあいつが。あいつの声を聞くたびに虫唾が走るんだ。」歳三はそう言うと、イライラを紛らわすかのように煙草を吸った。「なぁ千尋、あいつとの養子縁組は本当に解消したのか?」「うん。あの人とはもう何の繋がりもないけん、心配せんでよかよ。もう戻ろう。」「ああ、そうだな・・」 店に戻ると、千尋を負ぶっている歳三の姿を見て恵津子は目を丸くした。「どうしたの?」「ちょっと転んでしまって・・歩けるからいいっていってるのに、歳三さんがきかなくて。」「まあ、やっぱり仲が良いのねぇ。美輝子ちゃん達がお姉ちゃんになるのも時間の問題ね。」「だからぁ、止せって言ってるだろう、その話は!」「あらぁ、いいじゃない。」赤くなってムキになる歳三と、そんな彼を軽くあしらう恵津子の遣り取りを見ながら、千尋はふと自分を虐待し捨てた母・睦美のことを思った。(あの人は、どうしてうちを産んだんやろうか?)“あんたなんか産まなきゃよかった。”些細なことが原因で睦美から暴力を振るわれた時、彼女は決まってそう千尋にそんな言葉を吐き捨てると、何処かへと行ってしまった。産みたくなかったら中絶すればよかったじゃないか、どうして自分を産んでストレスのはけ口にするんだ―何度も母にそんな疑問をぶつけたかったが、ただただ彼女の暴力が恐ろしくて、幼かった千尋は何も言えずに静かに一人で耐えていた。幼稚園は卒園する頃まで、いつも一人でいた。他の園児達の母親が、千尋と遊んではいけないと言われていたからだ。“あの子のママは、悪い女だからね。”“千尋ちゃんと遊んだら、悪い魔法にかかってしまうわよ?”彼女達は実に巧妙かつ陰湿なやり方で、睦美たちを園内で孤立させた。小学校の頃に歳三が何かと目にかけてくれたし、友達もできたから楽しかった。高校時代も、水泳部で活躍して友人も沢山できた。中学時代も、あの悪夢の夜以外は楽しい思い出ばかりだ。 千尋は懸命に、睦美との思い出を消そうとした。虐待された辛い記憶を自分の脳からシャットアウトしようとした。だが歳三と結婚し、彼の子を身籠り母となった今、どうしても睦美の影がちらついてしまう。自分も彼女と同じように娘達を虐待してしまうのではないか―そんな恐怖に千尋はいつも駆られていた。「今日は楽しかったわね、千尋ちゃん。」「ええ。年末はそちらに参りますから。」「嬉しいわ。できれば同居したいところなんだけど、歳三の仕事の都合上、それは無理よね。」楽しい団欒の一時、恵津子と茶を飲みながら女同士の話―趣味の話やご近所さんの話などを千尋はしながらも、こんな話を睦美としたかったことを、彼女は気づいた。「どうした、千尋?」「え・・」気がつくと、涙を流していた。「あ・・ごめんなさい・・わたし・・」歳三は何かを察したようで、そっと千尋を抱き締めた。「大丈夫だ、お前はちゃんとやってるよ。」「歳三さん・・」暫く二人が抱き合ってると、不意に玄関のチャイムが鳴った。「誰かしら、こんな時間に?」「わたしが出ます。」千尋がそう言って玄関のインターホン画面を見ると、そこには自分を捨てた母親が立っていた。「お母・・さん・・」突然の母との再会に、千尋は息ができずにその場に蹲った。「千尋、どうした?」『ちょっとぉ、いつまで待たす気?早く入れてよぉ。』気だるい酒焼けした睦美のハスキーな不快な声が、インターホン画面を通して歳三の耳朶に響いた時、彼は鬼のような形相を浮かべながら画面を睨みつけた。「トシ、入って貰いなさい。」「でもお袋、千尋が・・」「あんたが決着を着けるのよ、トシ。千尋ちゃんを守りたいんでしょう?」歳三は唇を噛み締めると、ドアのロックを解除した。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月26日
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双子の娘達のお宮参りには、遥々東京から恵津子が来て、千尋たちの晴れ着を持ってきた。「似合うわねぇ、千尋ちゃん。」「そうですか?」 美容院で髪を美しくセットされ、自分で選んだ晴れ着を纏った千尋を前に、歳三は絶句していた。「どうしたの、トシ?」「いや、惚れ直しちまった。」「あんたは本当に、千尋ちゃんの事が好きなのね。」恵津子はそう言うと、歳三の肩を叩いた。「ねぇ千尋ちゃん、トシは浮気なんかしてない?」「いいえ。まぁもし浮気したとしても、携帯と財布取り上げて一週間家から締め出しますので。」千尋が笑顔でそう言うと、歳三は気まずそうに俯いた。「この調子じゃぁ、三人目が出来るのも遅くはないわね。」「ばっ・・お袋、馬鹿なことを言うな!」顔を真っ赤にして怒る歳三を前に、恵津子と千尋はクスクスと笑っていた。「あら土方さん。」「土方君、お久しぶりね。」神社からマンションへと帰ろうとした三人の前に、良子と愛美が現れた。「あら、お義母様。お久しぶりです。」愛美はそう言うと、恵津子を見た。「あら愛美ちゃん、お久しぶりね。千尋ちゃんから聞いたけど、あなた結婚したんですって?」「え、ええ・・」「破談した時はあんなに大騒ぎしたのに、それを忘れたかのように幸せそうな顔をしているのねぇ。」恵津子がそう言うと、愛美の顔が強張った。「さてと、これから食事に行きましょうか、千尋ちゃん。こんなに寒い中外に長時間居たら風邪をひいちゃうわ。」「はい、お義母様。」「先に車に行っていて。わたしは愛美さんと話があるから。」「はい・・」千尋は愛美をちらりと見ると、歳三とともに駐車場へと向かった。「あなたがどのような方なのかご存じないけれど、席を外してくださる?」有無を言わさぬ恵津子の言葉に押され、良子は神社から去っていった。「ねぇ愛美さん、あなたどういうつもりであの子達の幸せを脅かそうとしているのか知らないけれど、あなたとわたし達とは最初からご縁がなかったのよ、それだけよ。」「そんな・・お義母様・・」「“お義母様”ですって?気安くそんな風にあなたに呼ばれると、虫唾が走るわ。あなたが今までどんなに善良な人に対して酷い仕打ちをしていたのか、あなたの旦那様に逐一お話いたしましょうか?」「そ、それは・・」「やめてくれと言うのなら、千尋ちゃんたちには手を出さないで。」恵津子はそう言って愛美の肩を叩くと、駐車場へと向かっていった。「お袋、あいつと何話してた?」「少し思い出話をね。それじゃぁ、行きましょうか?」「ああ・・」歳三たちが乗った車が神社から出て行くのを、愛美は恨めしそうに見た。 一方、香苗達は旧正月への準備に向けて慌しい毎日を過ごしていた。『香苗、今年もあの子は来ないのか?』『彼女はもうわたし達とは関係ないのよ、パパ。』『いくら養子縁組が解消されたからといって、これまで育ててやった恩を忘れるような子ではないだろう。今すぐ彼女に連絡しなさい。』正雄にそう言われ、香苗は渋々千尋の携帯に掛けた。「香苗さん?」『千尋ちゃん、久しぶりね。あのね、今度の旧正月のことなんだけど・・』香苗と通話している最中、千尋から歳三が携帯を取り上げた。「あんた達とはもう会わねえ!もう放っておいてくれ!」「トシ、いくらなんでもあれはないんじゃない?」「お袋もあいつの味方すんのかよ!?」歳三はそう叫ぶと、店から飛び出してしまった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月26日
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「それで千尋、校長と何で会いたいんだ?」「それがね、婦人会のことで・・」「ああ、それならわたしがあなたを推薦したのよ、次期婦人会代表に。」歳三と千尋が話していると、愛美が突然横から口を挟んできた。「どうして、そんな事を?」「どうしてって、あなたが大嫌いだからよ。」愛美はそう言って千尋に一歩近づくと、彼女を睨んだ。「あなたはわたしと土方君との幸せを奪ったのよ。その復讐よ。」「何勝手なことをしてんだ。そんなの単なる逆恨みじゃねぇか!」歳三が千尋を守るかのように彼女と愛美との間に割って入ると、背後から男が現れた。「愛美、そちらの方は?」ブランド物に全身を固めた、歳三と同年代くらいの男はそう言うと彼と千尋を見た。「あなた。こちら、土方歳三さんと奥様の千尋さんよ。土方君、こちらはわたしの夫の、和夫さんよ。」「初めまして。あなたが土方さんですか。お噂には聞いておりますよ。」「噂、ですか?」「ええ。確か土方さん、高校は東福岡でしたよね?僕も同じ高校出身なんですよ。」「そうですか。」さほど興味は無いといったような口調で歳三が言うと、愛美の夫・和夫は残念そうな顔をした。「では、わたしはこれで。」「千尋、道が滑るから気をつけて帰れよ。」「わかった。」千尋は和夫に向かって会釈すると、学校をあとにした。 マンションまでの道を歩きながら、千尋は愛美が一体何を企んでいるのかを考えていた。恵津子の話では、愛美は破談していたと聞いたが、彼女は結婚していた。彼女は千尋を次期婦人会代表として立候補させたのは、復讐だと言った。一方的に彼女は千尋のことを恨んでいるのだろうか。それに、どうして隼人がこんな田舎町に来たのだろう。仕事以外に、彼が何か企んでいるのだろうか。「千尋、どうした?」「あ、ごめん・・ぼうっとしてた。」千尋は我に返り、慌てて夕飯の支度をした。「一体あいつ、何を考えてやがるんだ?」「さぁ・・でも彼女のことも気がかりやけど、隼人さんの方が気になる。」「そうだな。あいつは大型商業複合施設をここに建てるんだと。まぁ俺には関係ねぇからな。だから千尋、あんまり気にすんな。」「うん。」夕飯のグラタンを食卓に並べながら、千尋は久しぶりに夫と二人きりの時間を過ごした。「最近眠れてるか?」「うん。慣れないことばかりやったけど、トシ兄ちゃんのお蔭で少しは眠れるようになったよ。」「そうか。それは良かった。」「はじめは完璧にしようと思ってたんよ。あの人みたいに子どもに手を上げないようにしようと、美輝子や薫を第一に考えて、自分のことは二の次やった。でもそうする内に、何だか思い通りにいかないことがわかって・・肩の力を抜いてみようと思ったら、楽になった。」千尋はそう言うと、歳三の手を握った。「ありがとう、トシ兄ちゃん。いつもうちを助けてくれて。」「礼を言うほどでもねぇよ。」歳三が千尋の頭を撫でたとき、テーブルにおいてあった携帯が震えた。(一体誰だ、こんな時間に?)歳三が液晶画面を見ると、そこには「公衆電話」とだけ表示されていた。「もしもし?」『もしもし、歳三。わたしだよ。』「一体何の用だ、こんな時間に?」『千尋ちゃんはまだ起きてるかい?』「千尋は寝てる。」ぶっきらぼうに歳三はそう言うと、携帯の電源を切った。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月25日
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「この子が、お前の娘か。」隼人がそう言って歳三に近づき、薫に触れようと手を伸ばそうとすると、歳三は身を捩って彼から薫を遠ざけた。「俺の娘に触るな。あんたにはその資格は無い。」「随分と嫌われたものだね。今日は仕事のことで来たんだ。ここに大型商業複合施設を建てる計画をしていて、色々と関係者の方にご挨拶に来てたんだ。」「ああそうかい。用が済んだんならさっさと帰ってくれ。」「言われなくともそうするよ。」隼人はちらりと薫を見た後、リムジンに乗り込んだ。(ったく、何なんだ・・)もうとっくに縁が切れたと思っていたのに、まだ隼人との悪縁が続いているのかと思うと、吐き気がした。「おはようございます。」「あら、土方先生。その子が土方先生の赤ちゃんですか?」「ええ。今日から色々とご迷惑をおかけいたしますが、宜しくお願いしますね。」 保健室に娘を抱いて歳三が入ると、養護教諭の相沢芳恵が彼を笑顔で迎えた。「いいのよ。双子ちゃんの育児は大変だもんね。両親だけじゃどうにもならないわよ。」「ありがとうございます。」千尋と歳三は双子の育児に奮闘しつつも、地域住民との付き合いを徐々に深めていった。「本当に可愛いわねぇ。まるで天使みたい。」「そう?歳三さんったら、嫁に出すのが惜しいって言ってるのよ。」「親ばかなのねぇ!そうだ、千尋さんに報告したいことがあるのよ。わたしね、妊娠したのよ。」「本当に?おめでとう。旦那さんは?」「もちろん大喜びよ。そろそろ欲しいって思っていた頃だったからね。これから寒くなるし、余り身体冷やさないようにしないとね。」「そうね。今何ヶ月なの?」「4ヶ月よ。」婦人会の会合が始まる前に、千尋と美津子は世間話をしていた。「土方さん、野田さんと何話してたんですかぁ?」婦人会が終わり、千尋がベビーカーを押して車へと向かおうとしていると、良子が話しかけてきた。「別に何も。それよりも最近朝野さん見ないわね。」「やっだぁ~、知らないんですか?あの人、旦那さんに追い出されたみたいですよ!」そう言った良子の顔は何処か嬉しそうだった。「そうなんですか。」「それでぇ、次期婦人会リーダーを決める選挙があるんですけれど、土方さんも出馬しますよねぇ?」「え?わたしは出馬しませんよ。」「ええ~!でもわたしは浅田さんから土方さんが出馬するって聞きましたよ?」話が全く噛みあわないので千尋は一度浅田と会おうと思い、夫の職場へと向かった。「千尋、どうした?」「うん、ちょっとね。歳三さん、浅田さんは?」「校長なら村役場で会議だと。それよりも千尋、あいつがさっき学校に来てたぞ。」「あいつって・・まさか隼人さん?」「ああ。仕事で来たって言ってたな。それよりもどうしたんだ、お前がここに来るなんて。」「うん、婦人会のことで少し・・」「土方君、土方君よね?」パタパタと誰かが廊下を走る足音が聞こえたかと思うと、愛美が二人の前に現れた。「愛美、どうしてここに・・」「どうしてって、あたしもここに住むことになったのよ。夫の仕事の都合で。」愛美はそう言うと、千尋をじろりと睨みつけた。「お久しぶりね、千尋さん。」「お久しぶりです・・」「あなたにも会えて嬉しいわ。」そう言った愛美は笑ったが、目は完全に据わっていた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月25日
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千尋が双子を連れて青森に帰ってきたのは、産後三週間経った頃だった。「ただいま。」「お帰り。長旅で疲れただろう。」「うん。この子達は飛行機の中でぐずらんで、お利口さんやったよ。」千尋はそっと次女の薫を歳三に渡すと、長女の美輝子を連れて子ども部屋へと入っていった。歳三はソファに腰を下ろすと、薫の小さな身体を揺らし始めた。彼女はすやすやと寝息を立てていた。寝顔は可愛いが、起きているときは大変だろうな―歳三がそう思っていると、薫が起きて急に泣き出した。「どうした、腹が減ったのか?」ソファから立ち上がって歳三が薫をあやしていると、鼻をつくような臭いがした。「ああ、ウンチしちゃったんだなぁ。気持ち悪いよなぁ。今すぐ替えてやるからなぁ。」薫をそっとソファの上に寝かせ、新しいおむつを取り出し、そっと薫の汚れたおむつを包んで生ごみ用のゴミ箱へと捨てた。便で汚れた陰部を濡れティッシュで歳三が優しく拭くと、薫は嬉しそうな声を上げて手足をバタつかせた。「ごめんねぇ、替えて貰って。」「何言ってんだ、父親として当然のことだろ。それよりも、向こうでお袋と何か話したか?」「うん、お宮参りのこととか。お義母さん、こっちに来るって。晴れ着も向こうで用意しとるって。うちも選んで決めたやつやから、今から楽しみ。」「そうか、それまでに色々と大変だな。」「新米パパとママやもんねぇ、うちら。」歳三と千尋が互いの顔を見合わせながら笑うと、双子達も彼らを見て笑った。 それから、歳三は千尋と双子の育児に奮闘した。同じ時におっぱいを欲しがり、おむつが汚れていることで泣く。その度にあやしたり、おもちゃで泣き止ませたりと、あっという間に一日が過ぎていった。「はぁ、疲れたな。二人だけだと限界だな。」「そうやね。ファミリーサポート制度っていうの、申し込んだ方がいいね。」「そうしよう。」翌日、二人は村役場でファミリーサポート制度を申し込んだ。だが―「ここら辺の親はみんな子どもを自力で育ててます。他人に頼るなんて甘えですよ。」「双子もそうじゃないお子さんを抱えているご家庭も、あなた方のように甘えてませんよ?」役人達の反応はいちように素っ気無く、二人の申し出を却下した。まるで、“双子を産んだのはそちらの自己責任。他人に預けるなんてとんでもない。”と陰で自分達を非難しているように思えて、千尋は気持ちが沈んだ。「気にするなよ、あんなの。こっちの苦労を知らねぇくせに、勝手なこと言ってんだよ。」「そうやね。」「なぁ千尋、明日から薫を連れて学校に行くよ。少しでもお前の負担を減らしたいんだ。」「ありがとう、そこまでしてくれて。なんか、傍目から見たらうちがトシ兄ちゃんをこき使っとるみたい。」「そんな事言うなよ。父親として当然だろ?」歳三はそう言って千尋を抱きしめた。 翌日、チャイルドシートに薫を乗せて歳三が学校に向かうと、駐車場に一台のリムジンが停まっていた。(何だ?) 大して歳三が気にも留めずに車から降り、チャイルドシートを外して薫を抱きながら後部座席に置いてあった折り畳まれたベビーカーを組み立てていると、校舎の中から隼人が出てきた。「久しぶりだな、歳三。」「お前、何しにきたんだよ?」歳三がそう隼人を睨みつけると、彼は歳三の腕に抱かれている薫に気づいた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月25日
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歳三は産後間もない妻と娘達を実家に残し、一足先に青森へと戻った。「先生、この度はおめでとうございます。」「ありがとうございます、富田先生。これからが大変です。」職員室でノートパソコンを歳三が開いていると、富田が彼に声を掛けてきた。「赤ちゃんは男の子でしたか、それとも女の子?」「双子の娘達ですよ。二人とも可愛くて、今から嫁に出すのも惜しいくらいで・・」歳三がそういいながら富田に携帯のカメラで撮った双子の写真を見せると、彼はにっこりと笑った。「可愛いお子さん達だ。わたしにも子どもが3人居ますが、小学校入学まで手がかかりましたよ。双子となれば色々と大変でしょうが、こちらでもサポートしますからね。」「ありがとうございます、助かります。」「何やら嬉しそうな顔をしていると思ったら、お子さんお生まれになったんですかぁ。」歳三が仕事に戻ろうとしたとき、すぐ近くで校長の声がしたので彼は慌てて椅子から立ち上がった。「ええ。可愛い双子の娘達が生まれました。」「へぇ、娘さんでしたか。そりゃぁ残念だ。女なんか無駄飯食らいで、跡継ぎにもなれませんからねぇ。」双子の娘達の誕生の喜びを噛み締めていた歳三だったが、校長の言葉を受けて頭から冷水を浴びせられたかのように、彼の顔がこわばった。「それは、一体どういう意味でしょうか?」「まぁ奥さん、若いんだから次がありますよ。」校長はにやりと笑うと、ぽんぽんと歳三の肩を叩いて校長室へと入っていった。「土方先生、あんなの気にしないでください。」「そうそう。未だにあんな古臭い考えを持った年寄りが居るんだから。」同僚達の慰めに、歳三は校長の言葉で傷ついた心が癒されたが、モヤモヤとしたものが残った。『トシ兄ちゃん、あと二週間はお義母さんの世話になるけん。』「そうか、向こうでゆっくりしろよ。産後の体調はどうだ?」『大丈夫。でも娘達がなかなかうちを寝かせてくれんのよ。ミルクと母乳の混合で育てとるから、楽やけど。』「そうか。何なら学校に連れて行って俺が面倒見るよ。一人でも大変なのに、双子だとそれ以上に大変だろ?」『優しいだんな様を貰って、うちは幸せやね。』千尋の声とともに、赤ん坊の元気な泣き声が聞こえた。『もうおっぱいやる時間やから、切るね。』「ああ。余り無理すんなよ。」『は~い。』妻との通話を終えた歳三が携帯を閉じると、誰かに肩を叩かれた。「先生、子ども生まれたんだって?」「ああ、そうだが。それがお前ぇと何の関係があるんだ?」そう言って歳三が女子生徒を見ると、彼女は別に、と小さな声で呟いた。「言っとくが、家に遊びに来るとかはなしだ。乳児を抱えた家に突然押しかけてこないよう、お前ぇの友達に言っておくこったな。」「そんな、あたしは・・」女子生徒が何かを言いかけようと口を開いた時、保健室から数人の男子生徒が出てきた。「おいサヤ、何先公と話してんだよ?」「別に。」「もう行こうぜ。」「うん・・」サヤと呼ばれた女子生徒は、歳三に頭を下げて男子生徒たちの方へと駆けていった。「土方先生、校長の言葉は気にしないでください。」昼休み、歳三がいつもの定食屋で富田と昼食を食べていると、彼は校長の非礼を詫びた。「俺はあんな年寄りの戯言、気にしてませんよ。」「ここら辺じゃまだ、男児が優遇されるんですよ。生命の誕生に性別など関係ないのに、ばかげたことです。」富田はそう言うと、茶を飲んだ。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月25日
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千尋は臨月に入り、大きくなったお腹の所為で歩くこともままならなかった。「大丈夫か?」「うん。最近お腹が張ってきて・・」千尋はそう言ってソファに腰を下ろすと、またお腹の張りが強くなってきたのを感じて顔を顰めた。「病院に行こう。もしかしたら産まれるかもしれない。」「でも予定日は二週間後だって、先生が・・」「そんな事関係ねぇ。台風が来る前に行くぞ!」あらかじめ準備していた入院用の荷物を詰め込んだボストンバッグを歳三は肩に掛けると、苦しそうに息を吐いている千尋をソファから立ち上がらせて、玄関から出て行った。「もうすぐ病院に着くからな。」「大丈夫。」そういいながらも千尋は、またお腹の張りが強くなってきたのを感じた。「子宮口がまだ4センチしか開いていませんね。」総合病院へと歳三が千尋を連れて駆け込むと、千尋は車椅子で産婦人科病棟へと運ばれ、ベッドに寝かされた。「あの、それじゃぁまだ産まれないんですか?」「ええ。でも赤ちゃんの心音はしっかり聞こえますからね。」「はい・・」 それからが、千尋にとっては長く辛い時間だった。寝ようとしてもお腹が張ってなかなか眠れなかった。(お願いだから、無事に生まれてきて・・)千尋がそっとお腹の赤ちゃん達にそう心の声を掛けると、お腹の張りは治まった。「千尋、大丈夫か?」「うん、今はなんとか大丈夫。それよりもトシ兄ちゃん、出産立ち会ってくれる?」「当たり前だろ。」出産予定日よりも二週間早く、千尋に陣痛が襲ってきた。「もう子宮口が全開してますから、分娩室に移動しましょうね。」看護師と夫に支えられながら、千尋は覚束ない足取りで分娩室へと向かった。「痛い~、痛い!」額から脂汗を滲ませながら、千尋は陣痛に呻いた。そのたびに歳三は彼女の手を握り、タオルで額の汗を拭き、励ましの言葉を掛け、一緒にラマーズ呼吸法をした。「あと少しで頭が見えてますからね、さぁいきんで!」千尋が精一杯いきむと、産道から一人目の胎児が出てきて、大きな産声を上げた。「おめでとうございます、元気な女の子ですよ!」長女を出産した後、千尋はスムーズに二人目を出産した。「良くがんばったな、千尋。」「可愛い・・」 2012年10月24日。千尋は元気な双子の女児を出産した。「名前、どうする?」「そうやねぇ・・普通の名前でよか。美輝子(みきこ)と薫とか、どう?」「いいな、それ。今から二人が嫁に行く日が来なければいいのになぁ。」生まれたばかりの双子を新生児室のガラス越しに見つめる歳三の顔は、すっかり父親の顔となっていた。「千尋ちゃん、おめでとう。良くがんばったわね。」「ありがとうございます、お義母さん。」病室で恵津子から祝福の言葉を受けた千尋ははにかみながらも、双子に授乳した。「可愛いわねぇ、まるでお人形さんみたい。」「まぁ俺と千尋の子だからな、きっと美人に育つぜ。」歳三がそう言って胸を張ると、千尋はくすくすと笑った。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月24日
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「千尋ちゃん、おめでとう。元気な赤ちゃんを産んでね。」「ありがとうございます、お義母さん。」 高校が夏休みに入り、千尋は歳三とともに恵津子の家を訪ねた。「悪阻はもう大丈夫なの?」「安定期に入ったら、嘘みたいになくなりました。それよりも嬉しい知らせがあるんです。」「何かしら?」「実は、双子を妊娠していることに気づきました。」千尋がそう言ってエコー写真を恵津子に見せると、そこには子宮内に二人の胎児が写っていた。「まぁ、それはますますおめでたいわね。」「そうですが・・でも初産でちゃんと産めるかどうか不安で・・それに、準備は一人分しかしてませんでしたし、おっぱいも出るかどうか・・」「大丈夫よ、わたしが力になるから。子育ての先輩に任せておきなさい。」恵津子はそう言って千尋の肩を叩いた。「ねぇ、これからベビー服買いに行きましょうよ。多いほうがいいわよ。」「そうですね。じゃぁ着替えてきます。」 千尋は久しぶりに、恵津子と渋谷のデパートに来ていた。「ねぇ、これ可愛いんじゃない?」「いいですね、それ。」大きなお腹を抱えながら、千尋は子供服売り場でベビー服を選んでいた。そのとき、背後に視線を感じて彼女が振り向くと、そこには吉田愛美が立っていた。千尋が彼女に声をかけようとした時、愛美はきっと彼女を睨みつけ、人ごみの中へと消えていった。「どうしたの、千尋ちゃん?」「いえ、何でもありません。」「そろそろお昼ね。美味しいところ知ってるから、行きましょう。」「ええ。」 恵津子とともに千尋がカフェへと入ると、ランチタイムで何処のテーブルも満席だった。暫く二人は待った後、テーブルに案内された。「ここはパスタが美味しいのよ。」「じゃぁ、それで。」料理がテーブルに来るまで、千尋は青森で地元の婦人会の方達と仲良くなったこと、同じマンションの住民と仲良くなり、色々と愚痴を言い合っていることなどを話した。「へぇ、良かったじゃない。会いたいけれど、青森じゃぁねぇ・・遠すぎるから、メールや電話でしかわからないのよね。最近じゃスカイプってやつで話せるから便利よね。」「出産はこちらでしますから、甘えていいですか?」「いいわよ。それよりも千尋ちゃん、さっきはどうしたの?」「あの、お義母さん・・吉田先輩をご存知ですか?トシ兄ちゃんと中学の時同じクラスだった・・」「ああ、あの子ね。何でも最近破談になったみたいなのよ。それで一時的に精神的に不安定になって、何度もリストカット・・っていうの?自殺未遂を繰り返してるって聞いたわ。」「そうなんですか。」千尋の脳裏に、群馬でのキャンプのことが甦ってきた。歳三と一緒に居たとき、必ず愛美が自分を恨めしそうな目で見ていた。あの目は、今も同じだった。自分を見つめる嫉妬と憎悪の籠もった目を思い出すだけでも、千尋は鳥肌が立った。「千尋ちゃん?」「すいません、ぼーっとしちゃって。」「妊娠中は良くあることよ。ねぇ千尋ちゃん、お腹に触っていい?」「どうぞ。」恵津子が下腹を撫でると、お腹を胎児が蹴る感触がした。「わたしがおばあちゃんってわかったみたい。」「そうですね。」にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月24日
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行方不明だったまなみから突然連絡があり、千尋は帰宅しても彼女のことが心配でいてもたってもいられなかった。「千尋、どうした?」リビングのドアが開き、ジャージ姿の歳三が入ってくると、千尋は堪らず彼に抱きついた。「まなみちゃんからさっき、連絡があって・・何処に居るのって聞いたら、それっきり・・」「大丈夫だ、あいつはきっとここに戻ってくるさ。」「そうだといいんだけど・・」「お前は休め。あいつらのことは俺に任せろ。ストレスは妊婦にとって一番よくないんだぞ。」「わかった・・」寝室に入り、ベッドに横になった千尋は、急に疲れがどっと押し寄せてきてそのまま眠った。歳三は彼女の様子が気になったが、小学校へと戻っていった。「土方先生。」「富田先生、こんにちは。少しあちらでお話を・・」「おお~い、富田!こっち来い!」歳三が富田にまなみのことを話そうとした時、校長が彼らの方へとやってきた。「何ですか、校長?まだバザーは終わってませんよ?」「そんな固い事言うんじゃないよ!さぁ土方先生も、あちらで一緒に飲みませんか?」そう言った校長はいつから飲んでいるのだろうか、彼の顔は茹で蛸(たこ)のように真っ赤になっており、彼の背後に敷かれているピクニックシートに座っている教頭や絹江村の村長や助役達は泥酔して民謡を歌っていた。「申し訳ありませんが校長、今は仕事中ですのでまた後で伺います。」「そんな固いこと言わずに・・」校長がそう言って歳三の腕を掴んで来たので、彼は、そっと校長の腕を払った。「後で顔を出します。ではこれで失礼を。」校長に頭を下げて歳三が自分の持ち場へと戻っていく姿を、彼は憎々しげににらみつけていた。「なんだ、あいつは。都会もんだからって俺らのことを馬鹿にして・・」「校長、彼はそんなつもりではありません。」「なんだ富田、いつからやつについたんだべ?」「そんな人聞きの悪いことをおっしゃらないでください。」「あの男、気に入らねぇな。こてんぱんに叩きのめしてやる。」校長は鋭い眼光を放ったまま、富田の前から去っていった。 バザーは無事終了し、千尋は美津子をはじめとする婦人会のメンバーと打ち上げに参加していた。そこには朝野の姿はなかった。「あら、朝野さんは?」「あの人なら帰っちゃったわよ。何か人目を気にしてたわねぇ。」良子はそう言うと、嬉しそうに笑った。「皆さんにご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。」「いいのよ、気にしないで。」「そうそう、誰だって悪阻が酷いときはあるからね。安定期に入るまでの辛抱よ。」「ありがとうございます。」婦人会のメンバーの言葉に、千尋は少し救われたような気がした。「ねぇ土方さん、出産準備のほうはしているの?」「まだです。これから夫と相談しながら始めようかと。」「そう。じゃぁ出産は里帰りで?」「そうなると思います。義母が東京に居るので、そちらを頼ろうかと。」「お姑さんと仲が良いなんて、羨ましいわ。うちなんか全然連絡取ってないのよ。」「顔を合わせれば嫌味ばかり言うんだもの。」「そりゃぁ、しかたねぇって。同じ屋根の下で暮らしてると、見なくていいようなところを見ちまうもの。」婦人会で最年長のメンバーである芳野和江の言葉に、千尋達は一斉に頷いた。「千尋さん、初めての妊娠出産に戸惑うだろうけど、あたしらがついているから、心配しなさんな。」「ありがとうございます。」 子育ての先輩であるメンバーからそう言われ、千尋はそっと下腹を擦った。そこには確かに、新しい命が徐々に成長していた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月24日
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バザーの最中、千尋はどうしてもまなみ達のことが気になって仕方がなく、始終上の空だった。「ちょっと、どこ見てるのよ!」「すいません・・」派手な音とともに、焼きそばを入れるパックが地面に落ちた。「全く、とろいんだから!」「ちょっと朝野さん、土方さんは妊娠中なんだからあんまりこき使わないでくださる?土方さん、後はわたしがやるから、向こうで休んでいて。」美津子の言葉に千尋は頷くと、焼きそばの屋台を後にした。「大丈夫か?」暖房が効いた教室に入った千尋に歳三が声を掛けてきた。「うん、何とか・・」「顔色が悪いぞ、大丈夫か?」妊娠が判ってからというものの、昼夜を問わず千尋は悪阻に襲われ、水と炭酸飲料しか受け付けられなくなっていた。バザーの間中、千尋は美津子と一緒に焼きそばの屋台を担当することになっているのだが、妊娠前は平気だった焼きそばの匂いが、今では全く駄目になっていた。「悪阻、辛いんだろ?先に帰って休めば・・」「そげな事したら、朝野さんがまたうるさく言う。それに美津子さんに迷惑かけとるのに・・」千尋がそう言って俯くと、歳三は彼女を抱きしめた。「普通の身体じゃねぇんだから、迷惑掛けるのは当たり前だろ。でもそれは当然のことだし、迷惑を掛けまいと無理をしても取り返しのつかないことになる。」歳三のいう事は尤(もっと)もだった。自分が意地を張り、その所為で周囲にいらぬ気遣いをさせてしまうよりも、皆に断りを入れてから家で一旦休もうと千尋は決めた。「すいません、朝野さん・・」「何よ?」「今日は体調が悪いので、少し家で休ませていただきます。」「はぁ、何言ってんの!?妊娠は病気じゃないでしょう、ボーっと突っ立ってないで仕事しなさいよ!」金切り声でそう一方的に捲くし立てられ、千尋が反撃しようと口を開こうとしたとき、二人のほうに良子が駆け寄ってきた。「朝野さん、いくらなんでもその言い方酷いんじゃないの?いくらご自分がなかなか妊娠できないからって、妊婦の土方さんに当り散らすだなんて。そんな人のこと、世間では“不妊様”って言うんですよ、知ってましたぁ!?」良子の言葉を受け、怒りで顔を真っ赤にしていた朝野の顔がさっと蒼褪めていった。その様子に気づいた良子は、なおもこう彼女に言い放った。「そんなんだからあなた妊娠しないのよ。いつも他人を僻んで嫉妬して、いじめてばかりいるから、あなた駄目なのよ。」彼女は勝ち誇ったかのような笑みを浮かべると、千尋の手をひいて彼女の前から去っていった。「大丈夫、土方さん?あんなの、気にしなくていいんだからねぇ?」「佐伯さん、さっきのはあんまりなんじゃ・・」「何言ってるの、土方さん?わたしあなたをあの女から助けたんじゃない?」自分が放った言葉がどれほど朝野の心を深くえぐっていることに気づかずに、良子は千尋に“感謝されて当然だ”という顔をしていた。「確かに、あなたはわたしを助けてくれたけど、朝野さんのことを酷く罵れとは言いませんでした。それに、他人の一番気にしている所を公然の場で暴露するのは、人として最低だと思います。」良子が何か言おうと口を開く前に、千尋はさっさと彼女の脇を通り抜け、屋台へと戻っていった。「すいません美津子さん、悪阻が酷いんで家で一旦休みます。」「そう。解ったわ。婦人会の皆さんにもそう伝えておくから。」和気藹々としたバザー会場は、良子の所為で今は重苦しい空気が漂っていた。 千尋がマンションに戻るためにタクシーに乗り込み、会場である小学校を後にした時、バッグの中に入れていた携帯が鳴った。「もしもし?」『千尋さん・・まなみです。』「まなみちゃん、今何処なの!?」千尋はそう尋ねたが、ダイヤルトーンだけが通話口で響いていた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月24日
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婦人会主催のバザーまで数日後を控え、千尋は美津子とお茶を飲んでいた。「ねぇ、もしかして千尋さん、妊娠してるの?」「え、どうしてそんな事知ってるの?まだ誰にも言っていないのに。」「それがねぇ、この前あなたと旦那さんが産婦人科から出てきたところ、山下さんが見たんですって。」「山下さんって?」「ああ、何でもこの辺では有名な噂好きのおばさんだって。いやぁね、田舎ってプライバシーがないから。」「本当ね。自分達には関係のないことをあれやこれやと話して、暇なのかしら?」「暇だから噂をするんでしょう?放っておいて欲しいわよね。」「美津子さんにはいずれ言おうと思ってたけど、何だか気がひけちゃって・・」千尋がそう言って美津子に謝ると、彼女は笑ってこういった。「気にしないで、おめでたいことなんだから。それよりもまだ寒さが厳しいから、身体冷やさないようにね。」「わかってる。最近歳三さんったら、妊婦に良い物って聞くとなんでもネットで取り寄せるのよ、困っちゃうわ。」「いいじゃない、優しいだんな様で。」「過保護なのもちょっとねぇ・・まぁ、浮気しないからいいけどね。」美津子とは何かと気が合い、その日もいつものように近所の愚痴を言いながらお茶会を終わらせた。「こんにちは。」「朝野さん、こんにちは。」 婦人会の会合に千尋が出席すると、朝野がゆっくりと彼女に近づいてきた。「土方さん、こんにちは。バザーの準備はどう?」「順調です。」「そう、それは良かったわ。今は大変な時期だけれど、手抜きされたら困るわ。」まるで千尋の妊娠を知っているかのような口ぶりで朝野がそう言うと、取り巻き達が居るほうへと戻っていった。「大丈夫?あんなの気にしないでいいからね。」そう言って千尋に声を掛けてきたのは、同じマンションの三階に住む佐伯良子だった。「朝野さん、不妊治療受けてるけどなかなか出来ないんだって。たぶんやっかみ半分であんなことを言ったのよ。」「そう・・」何故良子が朝野の個人情報を知っているのかと千尋は少し不審に思ったが、彼女の言葉に相槌を打った。「明日がバザーね。色々と集まってよかったわ。」「ええ。でも当日は焼きそばとかたこ焼きの屋台を出すのよね?それも婦人会がやるんでしょう?朝野さんと彼女の取り巻き達以外は。」「そうよ、面倒で重労働なことはなんでも新参者のわたし達に押し付けて・・嫌になるわよね!」マンションの外廊下で千尋が美津子と婦人会のことで愚痴っていると、そこへ良子が通りかかった。「あら、どうしたんですか?」「いいえ、なんでもないのよ。明日のバザーが楽しみだなぁって。」「そうなんですか・・」良子はそう言って笑顔を浮かべたが、目は笑っていなかった。「ただいま。」「お帰り、少し遅かったな。」「ええ。ちょっと婦人会の会合が長引いちゃってね。あら、まなみちゃんとゆうちゃんは?」「それがな・・さっき俺が帰ったら二人とも居なかったんだよ。まなみの携帯に何度も掛けたんだが、繋がらねぇし・・」「警察に連絡したら?」三月とはいえ、まだこの地域では厳しい寒さが残る。そんな寒空の下、まなみは悠太郎を連れて何処に行ったのか―二人は、彼女達の安否が気になった。 まなみの消息がわからぬまま、千尋はバザー当日を迎えた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月23日
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まなみとその息子・悠太郎を匿ってから、数週間が過ぎた。この頃、千尋は少し身体の不調に気づき始めた。全身を襲う倦怠感に、微熱が少しある。それに、時々下腹が痛くなる。(風邪やろうか・・)小さい頃から、風邪をひくとお腹を壊していたので、千尋は風邪をひいたのかと思った。風邪薬でも飲もうと、救急箱の中を探しているとき、ふと妊娠検査薬が目に入った。そういえば、生理が遅れている。前回は引越しによるストレスからだったが、今回遅れている理由に千尋は身に覚えがあった。(もしかして・・)トイレで妊娠検査薬に尿をかけ、結果を待っていると、「陽性」を示すピンクのラインが表示された。 トイレから出た彼女は、夫の携帯にかけた。数回の呼びだし音の後、歳三の声が聞こえた。「歳三さん、もしかしてわたし、妊娠したかもしれない。」『ええ?それは本当か?』「うん・・検査薬の結果を見ただけじゃ解らないけれど・・」『そうか、やったなぁ。』通話口越しに聞こえる夫の声は、何処か嬉しそうだった。「ただいま戻りました。」「あらお帰り、まなみちゃん。今日は早かったね。」「はい。新しいパートさんが来たので、もう上がっていいって言われました。」まなみは玄関先で靴を脱ぐと、スーパーの袋をダイニングテーブルに置いた。「ねぇまなみちゃん、うち妊娠したかもしれんの。」「そうなんですか?おめでとうございます。」「ありがとう。でも勘違いかもしれんね。」「今日はご馳走作りますね!千尋さんは休んでいてください!」「じゃぁお言葉に甘えて。」 歳三が帰宅すると、キッチンから良いにおいがしてきた。「ただいま。」「お帰りなさい、先生。もうすぐご飯できますから、待ってくださいね。」「ああ。千尋、本当なのか?」ソファで雑誌を読んでいた千尋は、歳三の言葉に微笑んだ。「病院に行ってみんとわからんけど、早すぎたかなぁ?」「馬鹿、早いも遅いもあるかよ。父親になるからには、禁煙しねぇとな。」歳三はそう言って照れ臭そうに笑った。「お袋や姉貴達にはどうする?」「ぬか喜びはさせたくないけん、はっきりしてから報告せんと。それに、流産しやすい時期やし。」「そうだな。」 翌日、二人は近所の産婦人科へと向かった。「おめでとうございます、今九週目に入ってますよ。」そう言って医師は、二人に祝福の言葉を掛けた。「流産しやすい時期ですから、くれぐれも母体に負担をかけないようにしてくださいね。あと、妊娠中の喫煙や飲酒は控えてください。」「わかりました。」医師から次回の健診や両親教室について一通り説明を受けた後、千尋は嬉しそうに下腹を撫でた。「まだ動かんねぇ・・」「あんまり身体を冷やすんじゃねぇぞ。」「わかっとるよ。」車で産婦人科を後にする二人の姿を、遠くである人物が眺めていた。「千尋さん、妊娠おめでとうございます。」「ありがとう。でもこれからゆうちゃんの世話が出来んようになるけん、迷惑掛けるね。」「いいえ、わたしは構いませんから。じゃぁ、千尋さんのお腹の赤ちゃんに乾杯~!」「乾杯~!」 その夜千尋は歳三たちとジュースで祝杯を上げた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月23日
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とある土曜の朝、土方家に一人の客が訪ねてきた。「先生・・」「おお、愛丘か。どうした?」ドアを開けた歳三は、ドアの前に立っている愛丘まなみが赤ん坊を抱いていることに気づいた。「家、追い出された・・」「どういうことだ、それ?ちゃんと俺にわかるように説明しろ!」歳三がそう言うと、まなみは顔を歪ませて泣き始めた。それにつられて彼女に抱かれている赤ん坊も火がついたかのように泣き出した。「どうしたと?」眠い目を擦りながら千尋が寝室から出てくると、玄関先で赤ん坊の泣き声がした。「千尋・・こいつはだな・・」「まさか、うちに隠れて浮気しとったと?」「違ぇよ、そんなんじゃねぇし!こいつは俺の生徒の、愛丘だよ!」「そう・・寒いから中に入ってもらえば?」 数分後、リビングに入ったまなみは、なかなか泣き止まない赤ん坊をあやしていたが、彼女も泣きそうな顔になっていた。「おむつが濡れとるね。替えのおむつは持っとるの?」「はい・・」まなみはトートバッグから替えのおむつとタオルを取り出した。「すいません、朝早くに押しかけてきてしまって・・どうしても相談したいことがあって・・」まなみは汚れたおむつを外すと、赤ん坊の陰部が丸見えになった。「男の子なんやね。何ヶ月?」「生後4ヶ月です。」「で、俺に相談したいことって何だ?」歳三はそう言って煙草を口にくわえ、それに火をつけようとしたが、千尋が恐ろしい形相を浮かべて睨んでくるので、慌てて煙草を箱に戻した。「子どもの父親のことで・・この子の事、引き取りたいって・・」富田から聞いた話では、まなみは遊郭で客を取らされて乱暴された挙句妊娠したと聞いている。「子どもの父親ってやつは、どんな奴なんだ?」「ここら辺では知らない人は居ない、『中島旅館』の次男坊です。この子の存在を知った向こうのお母さんが、大金と引き換えに息子を渡せって言われて・・母は承諾してすっかり乗り気で、母と口論になってしまって家を飛び出したんです。」「そうか。それで俺のところに来たって訳か。」「何か複雑な事情を抱えとるね。愛丘さんって言ったっけ?何ならうちでゆっくりしとったら?」「そんな、良いんですか?」「千尋、勝手に決めるなよ!」歳三が眦を吊り上げて千尋に怒鳴ると、彼女は俯いた。この村に引っ越してきたばかりだというのに、トラブルを抱えてしまったら近所の住民に厄介者扱いされかねない。それは絶対に避けたかった。「この子達を寒空の下に放り出すと?そげな事うちは出来んからね。」「ったく、しょうがねぇなぁ・・」歳三は溜息を吐くと、まなみを暫く面倒見ることにした。「ねぇ、この子名前は?」「悠太郎っていいます。」「ふぅん、ゆうちゃんね。これから宜しくね、ゆうちゃん。」千尋が悠太郎の脇腹をくすぐると、彼は笑いながら手足をバタつかせた。「あの、これから仕事なんで、悠太郎のことを宜しくお願いします。」「わかった。ミルクはちゃんと持ってきたとね?」「はい・・母乳が全然出ないんで。母にもその事を責められて・・」そう言ったまなみは、涙ぐんだ。「そんなの気にせんでよかよ、ミルクでもちゃんと育っとう子居るもん。」「ありがとうございます、そんな事言ってくれるの奥様だけです。」「そんな堅苦しい呼び方せんで。“千尋さん”って呼んでくれたらいいよ。」 すっかり千尋はまなみと打ち解けたようだった。(これからどうなるんだか・・)にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月22日
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「早く子どもは作ったほうがいい。」「作るなら当然男だ!」そういいながら豪快に笑う同僚達を、歳三は冷ややかな目で見つめていた。 他人の私生活を詮索し、あれやこれやと口を出す彼らを歳三は密かに軽蔑していた。「そういや、角の吉田さん家、また女が生まれたんだって?」「ああ。女ばかり3人も・・跡継ぎは婿しかいねぇなぁ。」「いっそ女腹の嫁と別れて、新しい嫁をこさえるべ。」大きなお世話だと、歳三はそう思いながらビールを飲んだ。男を産もうが、女を産もうが、性別なんて今は関係ない時代じゃないか。それなのに彼らはまるでその事を今地球が滅亡してしまうような口ぶりで大袈裟に話している。「土方先生?」「ああ、すいません。何でしたっけ?」我に返って歳三が同僚達を見ると、彼らは別の話題を話していた。「婦人会主催で今度、バザーをやるんでね、土方先生のところも是非出品していただけないかと・・」「バザーですか?わかりました。」「たいしたもんでなくてもいいからね。手作りのものでも構わんよ。」 歓迎会が終わり、帰宅した歳三は溜息をつくと、ソファにどかりと腰を下ろした。「どうしたと、何か嫌なことでもあった?」「まぁな。それよりも、今度婦人会がバザーをするんだってさ。」「そう。じゃぁ引越しした荷物の中から要らないものを選んで出品しようかな。明日婦人会の方たちに会ってみる。」「俺も行くよ。ついでにご近所への挨拶回りが出来るしな。」 翌日、千尋と歳三は近所への挨拶回りを終わらせ、婦人会へと顔を出した。「朝野さん、おはようございます。」「あら、来たのね。バザーのことは聞いている?」朝野はそう言って、千尋の隣に立つ歳三を見た。「初めまして、土方歳三と申します。これからお世話になります。」「ふぅん、あなたが新しく高校に赴任してきた方ね。」朝野は歳三のことを気に入ったようで、舐めるような目つきで彼の全身を見た。「バザーは今週末にあるから、それまでに各家庭で商品を出品してくださいね。」「わかりました、じゃぁこれで。」婦人会の会合が行われていた区民会館から出ると、千尋は溜息を吐いた。「どうした?」「何かあの人好かん。絶対に男の前では色気振りまいとうよ!うちの前では態度が全く違っとったもん!」「おいおい、やきもち焼くなよ。」「だってあのオバサン・・」「これからここに住むんだから、余り気にしないほうがいいと思うぜ?」「う~ん、そうかもしれんけど・・」歳三の言葉を聞いて千尋は余り朝野の事を気にしないように努めていたが、なぜか彼女の言動が鼻につく。何処か彼女は気取っているように見えるし、やけにいつも上から目線で話をするので、嫌味ったらしいたらありゃしないのだ。そんな不満を美津子にぶつけると、彼女も同意した。「ああ、わかるわそれ!あの人どっか気取っとるし、仕切り屋なんよねぇ~」「そうそう。取り巻きの人も同じタイプっていうか・・同類が集まっとるカンジ。」「まぁ、余り気にせんほうがよかね。地元の人たちから総スカンされたらここで生きていかれんし。」「そうね。あ、今週末のバザーに何出すと?」「もう着なくなったワンピースとか、靴とか。土方さんは?」「う~ん、どうしようかねぇ。4年前に使っとったパソコンを売ろうと思うとるけど、買う人居るかなぁ?」「居るんやない?」千尋と美津子はそれぞれ今週末のバザーに向けて準備を進めていたが、そんな中土方家に一人の客がやってきた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月22日
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「あの、あなた方は?」 千尋がそう言って女性達を見ると、ついっとリーダー格と思しき一人の女性が彼女の前に出てきた。「初めまして。わたしは絹江村婦人会代表の、朝野と申します。こんな場所で悪いけれど、あなたにひとつ言っておきたくて声をかけたのよ。」「はぁ・・」朝野と名乗った女性は、次の言葉を継いだ。「あなた、高台にあるマンションに住んでいるでしょう?」「ええ。それがどうかしましたか?」「マンションの住民の皆さんには挨拶回りをしたっていうのに、わたし達のところには一軒も挨拶に来なかったわね?田舎者には挨拶は不要、ということかしら?」「いいえ、もう遅い時間でしたし、引越しの所為でバタバタと忙しかったものですから、落ち着き次第後挨拶に伺おうと思いまして。ご不快にさせてしまったのなら、謝ります。」朝野は千尋の言葉に納得した様子だった。「そう。あぁ、あなたのご主人にも言っておいて頂戴ね。何よりも始めが肝心だってことを。それじゃぁ失礼するわね。」彼女は取り巻きの女性達を引き連れて、スーパーから出て行った。 買い物を済ませた千尋がスーパーから出てくると、数人の主婦達が何やらひそひそと自分のほうを見て話していた。さっきあんなことがあったので、自分の悪口を言っているのではないのかと思い、彼女は俯いたままスーパーからマンションへの道を歩いていた。 一方、歳三は教壇の前で授業をしていたが、やる気のない生徒達を見てチョークを置いた。「どうやらてめぇらは、あんまり勉強したくねぇようだな?」「だって俺ら、大人達から見放されてるもん。先生、もう帰っていい?」そう言うなり、数人の生徒達が早々と帰り支度をしてさっさと教室から出て行った。(参ったなぁ・・)休み時間を告げるチャイムが鳴り、歳三は溜息を吐きながら誰も居ない教室から出て行った。「先生、どうでした?」富田がそう言って歳三に声をかけてきたので、彼は溜息を吐いた。「どうしたも何も・・全然彼らやる気がありませんよ。一体どうすればいいのか・・」「まぁ、お昼を食べながら話しましょう。」 富田に連れられたところは、学校の近くにある定食屋だった。「土方先生、あなたの担当するクラスの子達は問題児って一括りにされてますけど、本当は違うんです。」「違う、とは?」「実はね・・あいつらの家庭は親が離婚したり、無職だったり、蒸発していたりと、複雑なんですよ。愛丘って知ってます?校長が未婚で子どもを産んだって言ってたやつです。あいつは明るくて真面目な子なんですがね、母親に売春させられたんですよ。」「売春・・ですか?」「えぇ。漁港の近くに、遊郭みたいなところがあるんですよ。あそこであの子は父親の借金を返すために働いていたんですが、客に乱暴されてねぇ。妊娠に気づいたときは、もう中絶も出来ない時期でした。」「そんなことがあったんですか。それで、今その子は?」「この店で働いてますよ。」富田がそう言ったとき、割烹着姿の少女が厨房から出てきた。派手な茶髪をひっつめ、派手な化粧をしていた。「いらっしゃいませ。富田先生、こちらの方は?」「ああ、今日から高校に赴任してきた土方先生だ。先生、こいつが愛丘まなみです。」「どうも。土方先生、結婚されてるんですか?」「ああ。」「なぁんだ、ツイてないなぁ、あたし。あ、もう仕事戻らないと!それじゃ!」愛丘まなみはそう言うと歳三たちに頭を下げて仕事へと戻っていった。「外見はギャルですが、いい子ですよ。」「そうですか・・」 定食屋で富田と昼食を取った歳三が店から出ると、裏口で派手な音がしたので、彼は気になって裏に回った。するとそこには、まなみが地面に散らばった野菜を拾っているところだった。「大丈夫か?」「すいません、少しぼーっとしちゃって・・」歳三が野菜を拾っていると、太った女がまなみに近づいてくると、彼女の頬を張った。「あんたまたへまをしたね!全く、使えない子だね!さっさと仕事に戻りな!」「すいません・・」まなみは叩かれた頬をさすって俯くと、女は鼻を鳴らして店へと戻っていった。「大丈夫か?」「大丈夫です。先生、もう行ってください。」歳三は定食屋を去っていったが、どうもあの後まなみがどうなったのか気になっていた。「土方先生、飲み会あるんですけど・・」「え?今からですか?」「歓迎会を兼ねて今日やろうって、校長が。」「すいません、妻に連絡しますんで。」歳三がそう言って携帯を開くと、教師達は目を丸くしながら彼を見ていた。「何か?」「土方先生は愛妻家なんですね。」「えぇ、まぁ・・」適当に同僚の言葉に相槌を打った歳三だったが、それが後々厄介なことになるとは、まだ気づいていなかった。「そうですか・・余り遅くならないようにしてくださいね。」千尋は歳三と携帯で話しながら夕飯を作っていた。『すまねぇなぁ、急に決まったことで・・』「仕方ないですよ。あ、今日スーパーで婦人会の皆さんとお会いしました。挨拶回りに早く行かないと・・」『そうだな。』 千尋との通話を終えた歳三は、歓迎会の会場となっている居酒屋の中へと入った。「どうも、お待たせしました。」「ねぇ土方先生、まだ子どもは作らんのですか?」「ええ。まだ結婚して三ヶ月なので、これから色々と貯金しながら考えようと思っています。」 初対面の相手に私生活を詮索され、歳三は不快な表情を浮かべてしまった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月22日
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二人が振り向くと、そこには一組の夫婦が立っていた。「あの、もしかしてこちらのマンションに引っ越して来た方?」「ええ、そうですけれど・・」「まぁ、何処から!?」「福岡からです。あなた方は?」「わたし達もよ!あ、わたしは野田美津子と申します、宜しくね。」「土方です。どうぞ宜しく。」マンションの住民である野田夫妻と仲良くなり、絹江村での生活は順調にスタートした。「ねぇ土方さん、ご主人とは結婚してどれくらい経つの?」「そうですねぇ、まだ三ヶ月です。野田さんは?」「うちは二年目。そろそろ子どもが欲しいって思っているんだけどね、ここら辺のことには疎いじゃない?それに、村の方たちと上手くやっていけるかどうか不安だし・・」美津子の言葉に、千尋は頷いた。「そうよね、確かこっちには婦人会があるんでしょう?どんな方たちが入っているのかしら?」「さぁ・・」 婦人会がどんな活動をしているのか千尋は解らなかったが、新参者である自分達がこの村で生きてゆくには、参加した方がいいのだろう。「今日は話せて嬉しかったわ。」「こちらこそ。また遊びに来てね。」美津子が笑顔で部屋から出て行くのを見送ると、千尋はドアを閉めてリビングへと戻った。 今頃歳三はどうしているのだろうか―そう思いながら彼女はカップを洗い始めた。「先生、わざわざこんな僻地に来てくださってありがとうございます。」歳三は赴任先の絹江高校で、校長の浅田にそう挨拶されて苦笑いした。「そんな、堅苦しいことをおっしゃらずに。それで、わたしの担当するクラスは?」「ああ、そのことですが・・色々と問題のある生徒が多くて、手に負えないんですよ。」「そうですか。その問題というのは?」「いやぁ、いつも警察沙汰を起こしたり、未婚で子どもを産んだりしている者が居るんですよ。」校長の言葉の端々から、偏見と悪意が満ち満ちているのを歳三は感じた。「それでは、わたしはこれで。」「どうぞ宜しくお願いします。」 校長室から出て行った歳三が職員室へと向かうと、教師達が一斉に彼を見た。「あの、福岡から来た土方先生ですよね?初めまして、わたしは学年主任の富田です。」そう言って歳三に話しかけてきたのは、ゴリラのような顔と体格をした男性教諭だった。「初めまして、土方です。よくわからないことばかりなので、色々とご指導願います。」「悩みがあったら色々と相談してくださいね。」富田はそう言うと、豪快な笑い声を上げた。「ここですよ。」 彼に案内され、歳三は問題児が多いとされる「2-C」の教室の前に立っていた。(今日からか・・)大きく深呼吸した後、彼が教室のドアを開けると、そこには数人の生徒達しか居なかった。「なぁ、他のやつらは?」「ああ、あいつらなら隣町にあるゲーセンっすよ。ってか、あんた誰?」ガムを噛んでいた男子生徒がそう言って歳三を睨んだ。「俺か?俺はこれからお前ぇらの担任になる土方だ。」「あっそ。」(校長が言ったことは嘘じゃねぇようだな・・)歳三は舌打ちしながら、出席簿を開いた。「あなたが、土方さん?」「はい、そうですが。」 近所のスーパーで買い物をしていると、突然数人の女性達に千尋は取り囲まれた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月22日
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翌朝、千尋はコーヒー片手にノートパソコンでゴルフ教室をインターネットで調べていた。「すっかり乗り気だな。」「思い立ったが吉日やもん。それよりもトシ兄ちゃん、今日は何か予定あると?」「何もねぇよ。それよりも千尋、生理は来たのか?」「うん。ストレスで来んかったんやね。結婚式のときも一度止まっとったことがあるもん。」「そんなことがあったのか?」歳三の問いに、千尋は静かに頷いた。「一世一代の晴れ舞台やから、ドレスとか式場選びとか、色々と忙しくて・・つい神経質になって怒鳴ってしまったことがあったろ?ストレスで生理が止まるってこと、よくあるってお医者様がおっしゃってたもん。」「そうか。じゃぁこれからが試練の時だな。」「そうやね。」千尋はノートパソコンを閉じると、ソファに座った。ベッドとソファ以外の大きな家具はすっかり片付いて、部屋は少し殺風景になっていた。「ねぇトシ兄ちゃん、引越し先のマンションの部屋はどんなの?」「こんなもんだとよ。」歳三は住宅会社が公開したマンションの外観と内装の写真を千尋に見せると、彼女は嬉しそうに笑った。「今住んどるマンションとあんまり変わらんね。でも誰が住むんやろうか?」「さぁ、向こうに行ってみねぇと解らねぇよ。」「何かちょっと楽しみになってきた。」 三月中旬、歳三と千尋が青森へと引っ越す日が来た。「いよいよやねぇ、トシ兄ちゃん。」「ああ。福岡の友達にはお別れは言ったか?」「うん。まぁこれであの人達に色々と振り回されんで済むと思うと、気が楽やね。」「まぁな。」身の回りの物をスーツケースに纏め、福岡空港から青森行きの便に乗った。「何だか急に疲れてきたぁ。ちょっと眠るね。」「ああ・・」自分の肩に頭を預けて眠る千尋に、歳三はそっと毛布をかけた。空の旅は快適そのものだった。「寒かねぇ~」「ああ。」 青森空港から出た二人は、雪国の冷気に晒されて思わず身を震わせた。「厚手のダウン着とってよかったぁ。」「こんなんで寒いとか言ってたら駄目だぞ、目的地はもっと寒いんだから。」寒さに震えながら、歳三と千尋は目的地・絹江村へと向かった。 県庁所在地である青森市から離れると、緑豊かな青森の大地が広がっていた。「やっぱ緑が多かね~」夏には新緑がさぞや映えることだろうという森は、雪に覆われて一面白く染まっていた。「お客さん、どっから来たんだべ?」「福岡からです。」「へぇ、わざわざ遠いところから大変だったろう。」タクシーの運転手は愛想が良く、絹江村周辺の観光情報や病院の場所などを二人に教えてくれた。「色々と教えてくださって、ありがとうございました。」「何かの縁で会ったんだから、遠慮すんな。さぁ、着いたべ。」運転手はそう言うと、絹江村の入り口へと入っていった。 沿岸沿いとあってか、漁港が近くにあり、漁船が多く停泊していた。「トシ兄ちゃん、あれやないと?」「ああ、あれだ。」新居となる7階建てのマンションがだんだん見えてきて、歳三は満更悪くもないなと思った。「ほら、引越しのトラックが停まっとうよ。降りよ。」「ありがとうございました。」タクシーから降りた二人が礼を言い、代金を払うと、運転手はクラクションを鳴らして去っていった。「土方様、ですね?わたくしはC&K建設の太田と申します。本日は弊社のマンションをご購入くださり誠にありがとうございます。」 二人がマンションの方へと近づいていくと、あの住宅会社の社員らしき男が彼らに近づいてきた。「どうも、お世話になります。」「これから住民説明会を行いますので、あちらのホールへいらしてください。」「はい、解りました。」 男に案内され、マンション内にある多目的ホールへと二人が入ると、そこには数組の夫婦が居た。「皆様が我が社のマンションに入居なさった住民第一号となります。それでは、これから住民説明会を行います・・」男は歳三たちに向かって、家賃のことやセキュリティのことなど、大まかなことを話した。住民達からの質疑応答タイムには、冷暖房は完備されているか、騒音対策は万全かという質問が殺到したが、男は懇切丁寧にその質問に答えていた。「それでは皆さん、長旅お疲れ様でございました。各自鍵をお持ちになってお部屋の方へ・・」一人、また一人と住民達がそれぞれの部屋へと向かっていく中、歳三たちともう一組の夫婦は多目的ホールに残っていた。「俺達もそろそろ行くか?」「ああ。」「あの、すいません・・」 歳三がそう言って椅子から立ち上がろうと腰を浮かしたとき、誰かに声を掛けられた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月20日
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「こちらでお待ちください。」受付で手続きを済ませ、二人は待合室に通された。そこにはお腹の大きな妊婦や、幼児を連れた若い夫婦が居た。 マガジンラックには育児雑誌と子どもの絵本などがところ狭しと置いてあり、内装もパステルカラーでリラックスさせるような温かいものだった。「土方さん~」「じゃぁ、行ってくるね。」「俺も一緒に行く。これは二人の問題なんだから。」 診察室で千尋が内診を受けた後、医師に妊娠はしていないと告げられ、彼女は安堵の表情を浮かべた。「ご結婚されてまだ三ヶ月ですね?」「ええ。子どもは欲しいと思っているんですが、急に遠方へ引っ越すことになったものでして・・」「そうですか。生理が遅れたのはその精神的ストレスからくるものでしょう。忙しい時が過ぎれば大丈夫ですよ。」医師はそう言うと、二人に笑顔を浮かべた。「よかった。子どもは欲しいと思うとったけど、まだ早いけん・・」「そうだな。それよりも子どもはどうする?引越しが落ち着いてからにするか?」「そうしたほうがよかね。」マンションに戻った千尋と歳三は、引越しの準備を全て終え、ほっと一息ついた。「荷造りは出来たけど、向こうで新居決めると?」「そういった話は先方から出てなかったな。自分で決めろって事なんじゃねぇのか?」「青森なんて一度も行ったことないけん、上手くやっていけるやろか?」「住めば都っていうだろ?」歳三は妻の不安を和らげるためにそう言って彼女を励ましたが、彼も内心不安だらけだった。 転任先は、青森の沿岸沿いにある高校で、住民は500人居るか居ないかだという。都会育ちの自分に、田舎暮らしが性に合うのかどうか。もし千尋が妊娠・出産するとしたら、何処の病院にかかればよいのか。その子どもが大きくなったらどの小学校に通わせたらよいのか。そして何よりも、向こうの地域住民と上手く関係が築けるかどうか―何もかもが不安材料だった。「トシ兄ちゃん、どうしたと?」「いや、何でもねぇよ。」「嘘ばっかり。いつも嘘吐いとるとき、眉間に皺寄せとうよ。」「バレたか・・」歳三はそう言って溜息を吐くと、千尋を見た。「俺も不安だらけだよ、千尋。一体向こうで何が待っているのか何もわからねぇ。」「二人で乗り越えていけばよか。辛気臭いことばかり考えとったらいかんよ。」「解ったよ。全く、お前にはかなわねぇな。」歳三は笑いながら、千尋を抱き締めた。 千尋が高校を卒業してから一週間が過ぎ、歳三は青森での新居探しを始めていた。インターネットで物件を検索すると、良い条件が揃ったものがなかなかなかった。(う~ん、引越しまで時間がねぇのに・・どうしたことか。)煙草を吸殻に押し付けながら、歳三はノートパソコンのモニターを睨んでいた。「ねぇ歳三さん、引越し先だけど・・」「どうした?何かいい物件でもあったか?」「あのね、さっきこんなもの見つけたんだけど。」千尋がそう言って歳三に見せたノートパソコンのモニターには、二人の引越し先の村に新しいマンションの分譲が開始されたという、ある住宅会社の広報が表示されていた。「ふぅん、悪くねぇな。まぁ一応申し込んでおくか。」歳三はそう言ってページのヘッターにある「申し込み」ボタンを押した。「ねぇトシ、あんたもう新居決めたの?」「まぁな。引越し先に新しいマンションが出来るんだってよ。抽選に当たればいい話だが。」「そう、よかったわね。」引越しの日が徐々に近づいていく中、二人は恵津子を囲んで夕食を取っていた。「こっちはまだ寒さが和らいだけど、向こうはまだ雪が降ってるからね。風邪ひかないように気をつけなさいよ。」「わかってるって。それよりもお袋の方を心配してるんだよ。一人暮らしだからさぁ、変な訪問販売やインキチ宗教に騙されやしねぇかって・・」「馬鹿だねぇ、あたしはそんなのに騙されたりはしないわよ。千尋ちゃん、トシが浮気したりしたらこっちに帰ってきてもいいんだからね?」「バッ・・何言ってんだよ!」「あんたモテるんだからさぁ、田舎のマダムが放っておかないわよ~。あ、男もね。」「冗談言うなよ!」恵津子の脅しに顔を赤くさせたり青くなったりする歳三を見ながら、千尋は笑った。「あ~、楽しかった。これからお義母さんの顔が見られんくなると寂しか。」「そうだな。それよりも千尋、俺が仕事している間、お前どうすんだ?一日中家にこもりっきりって訳にはいかねぇだろ?」「う~ん、資格か何か取ろうかな?それか、夫婦共通の趣味を作るとか。」「そうだなぁ。」福岡に帰る前夜、二人はこれからの事を色々と寝室で話し合っていた。「ゴルフとかはどう?まぁ、色々とわからんこと多いけど。」「ゴルフねぇ・・クラブとかパターとか持ってねぇなぁ・・一から揃えねぇといけないんだろうなぁ・・」「まぁそうやろうけど、趣味の為にお金使うんはいいんやない?阿漕なことで稼いどる金やないし。」千尋はすっかりゴルフを習うことに乗り気であった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月20日
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歳三と学年主任である福田が大喧嘩したのは、新学期を迎えてすぐのことだった。 受験が終わり進路も決まった数人の三年の男子生徒が、あろうことか泥酔し、近くを通りかかった女子大生に乱暴をしようとして警察に逮捕されてしまった。当然、このことが世間に知られたら大学進学も白紙に戻ることになり、生徒達の保護者が被害者に被害届を取り下げてくれるよう直談判したようだったが、結局被害者は折れず、生徒達は塀の中へと入ってしまった。やりきれない怒りを抱えた彼らの矛先は、学校に向けられた。“どうしてうちの子を指導してくれなかったのか!”“学校の指導不足で、うちの息子の人生は破滅だ!”“息子の将来を潰した償いとして1億用意しろ!” 家庭教育を放棄し、学校に全て丸投げしてきた癖に、いざ事が起これば自分達がしてきたことを棚に上げて学校を糾弾する―なんとも理不尽で自己中心的な保護者の態度に、歳三は腸が煮えくり返ったという。事なかれ主義である福田は彼らの要求を呑もうとしていたが、歳三は“彼らは自分達のしたことに責任を負うべき。金で解決するようなことなど言語道断”と、少年達への補償を断固拒否し、それがきっかけで福田と大喧嘩したという。「そんな・・まるで歳三さんが悪いみたいじゃないですか!彼は何も悪くないのに!」「俺だって歳三から話聞いたときは、こんな酷ぇ話があるかってんだと思いましたよ。その糞ガキと親どもに説教垂れたかったですよ。」「福田先生、前にいじめが起こってもそれを隠蔽したって噂があったけれど、それも本当かも。あの先生、生徒よりも自分の保身が大切なんだもの。」事を大きくしたくがない為に、気に入らない相手を遠方へと転任させる。謂わば、歳三はスケープゴートにされたのだ。こんな理不尽なことが、許されるのだろうか―千尋は激しい怒りを必死に鎮めながら、荷造りを終えた。「歳三さん、少しお話がしたいんです。」「ああ、いいぜ。もしかして昼間、俺が青森転任になった理由を知ったんだろ?」「はい。歳三さんは正しいことを言ったのに、どうして追い出されないといけないんです!?」「俺は追い出されたなんて思っちゃいねぇよ。福田のような野郎はごまんと居る。相手のレベルに自分が落ちたらおしまいってことだ。」「歳三さん・・」「そんな顔するなよ、千尋。そんなしけた面で卒業式に出るつもりなのか?」歳三はそう言ってふっと笑うと、千尋を抱きしめた。「俺のことは何も心配するな。」「はい・・」 卒業式が終わり、香織達は近くのカラオケボックスで卒業パーティーを開いた。「千尋、青森に行ってもうちらのこと忘れんでね!」「わかっとるよ。」千尋がそう言ってアイスコーヒーを飲もうとしたき、彼女は猛烈な吐き気に襲われ、慌てて個室から出てトイレで吐いた。「どうしたと?」「引越しのストレスで胃がおかしくなったかもしれん。心配することなか。」「そう。でももしかして、おめでた?生理が最後に来たんはいつ?」そういえば、まだ生理が来ていないことに千尋は気づいた。不安になった彼女は帰り道にドラッグストアで妊娠検査薬を買った。「どうした、千尋?」「あのね・・生理が遅れとるんよ。もしかしたら、妊娠しとるかもしれん・・」「そうか。」歳三はそれ以上何も言わず、千尋がトイレに入るのを見送った。 恐る恐る説明書の手順どおりに検査薬に尿をかけ、判定結果が出るまで千尋は生きた心地がしなかった。判定結果が出るまでの一分間が、とてつもなく長いものに彼女は感じた。 漸く一分が経ち、千尋が恐る恐る検査薬を見ると、そこには陽性を示すピンクのラインが浮き出ていなかった。「どうだった?」「違ったみたい・・でも不安やから、病院に行こうかと思う。」「そうか。俺もついてくよ。」 翌日、歳三と千尋は近所の総合病院にある産婦人科へと向かった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月18日
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「青森!?そげな遠いところにどうして?」「先生が転任することになったけん、ついて行くんよ。」「そっかぁ、さびしかねぇ。」「うん。でも時々こっちには帰ってくるけん、心配なかよ。」「ねぇ、卒業式の後パーティーせん?」「いいね、しよう!」千尋たちが卒業パーティーのことで盛り上がっていると、担任が教室に入ってきた。「なに騒いどるか、授業始めるぞ!」「は~い。」その日で三学期の授業は終わり、後は卒業式を待つだけとなった。「ねぇ、卒業式までどうすると?」「車の免許取りたか。もう18になったけん。」「そう。じゃぁ合宿免許ってのはどうね?手っ取り早く取れるって。」「ふぅん、考えとく。」 その夜、千尋は自宅マンションで歳三に車の免許を取りたいことを話した。「免許は取っておいたほうがいいぞ。車が必要なところかもしれないしな。」「うん。でもお金、かかるやろうか?」「そんなの心配すんなよ。俺が出してやるからさ。」「ありがとう、歳三さん。」 こうして、千尋は福岡市内の自動車教習所で免許の取得に向けて、学科試験への勉強や実技の練習などに励んだ。日頃の努力が功を成したのか、千尋は仮免試験まで合格し、晴れて路上教習へといけることになった。「何か緊張する・・」「集中すれば大丈夫だよ。」「わかった・・」初めての路上教習は緊張して身体ががちがちになってしまったが、慣れればハンドルさばきも上手くなり、筋が良いと教官に褒められた。「明日は最終試験やから、しっかり気を引き締めて。」「はい、頑張ります!」 翌日受けた最終試験に一発で合格した千尋は、学科試験に向けて猛勉強した。「少しは休めよ。余り気張りすぎると本番で力を出せないぜ?」「そやね。もう寝る。お休み。」学科試験前夜、千尋はそう言って歳三の頬にキスして寝室へと入っていった。(俺も色々と準備しねぇとなぁ・・)歳三はコーヒーカップをシンクで洗いながら、引越しの準備をまだ済ませていないことに気づいた。余り荷物は多くないので楽だが、服やバッグ、靴などが山ほどあるので、それを分類して段ボールに詰めなければいけないし、食器も同じだ。二人ではいつ片付けられるかどうか解らないので、友人達に協力を仰ぐしかない。歳三はそう思うと、友人の一人に携帯を掛けた。「もしもし、こんな夜遅くにすまねぇな。頼みたいことがあるんだが・・」 翌日、学科試験に晴れて合格し、講習を受けた千尋がマンションに帰宅すると、そこには歳三の友人達が二人の荷物を段ボールに詰めていた。「あ、お邪魔してます。」「どうも、こんにちは。すいません、お忙しいのにこんなことをさせてしまって・・」「いえ、いいんですよ。それよりも青森転任とは急な話ですね。学年主任と反りが合わなかったっていうのが、何ともねぇ・・」「え、それ一体どういうことです!?」千尋がそう言って彼に詰め寄ると、彼はばつの悪そうな顔をして、重々しく口を開いた。「実はねぇ、歳三の奴、あの事件で学年主任と大喧嘩しちゃったんですよ。それであっちには市議会議員だか国会議員だかお偉いさんがバックにいたらしくてねぇ・・」 千尋は荷造りを手伝いながら、歳三の友人に事件の詳細を聞いた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月18日
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「ええ。どうやらあの人は、わたしとの養子縁組を解消してわたしと結婚しようともくろんでいたみたいです。」「でも失敗したわけね。それよりも千尋ちゃん、まだ用心しないと駄目よ。あの人は用意周到だから。」「解りました。それよりもお義母さん、トシ兄ちゃん・・歳三さん、まだ帰ってきませんね。」「そうね。センター試験が近いから、色々と忙しいのかもね。今日はもう休んだら?」「はい、解りました。おやすみなさい、お義母さん。」千尋がそう言って寝室へと向かう姿を見た恵津子は、深い溜息を吐いた。隼人はまだ千尋のことを諦めていない。(わたしが二人の幸せを守らないと・・)「ただいま~」玄関先で歳三の酔っ払った声が聞こえ、恵津子は彼の元へと向かった。「トシ、あんた酔ってるわね・・」「ああ、ちょっとな。水、頼むわ。」「わかったから、シャワーでも浴びて頭冷やして来なさい!」「はぁ~い。」千鳥足で浴室へと向かう息子を尻目に、恵津子は呆れながら彼の後をついていった。「はぁ、さっぱりした。千尋は?」「もう部屋で休んでるわよ。こんな醜態を晒さなくて済んだわね。」「ったく、俺はいいって言ってるのに、堂本先生が新婚生活を聞かせろってうるさくてよぉ。気がついたらこんな時間に・・」歳三は恵津子に職場の愚痴を一通り吐くと、ソファに寝そべった。「さっさと寝室に行ってきなさい。」「わかったよ。」歳三は頭を掻きながら、寝室へと消えていった。 寝室に誰かが入ってくる気配がして、千尋が寝返りを打つと、隣には愛おしい夫が寝ていた。「歳三さん?」「ただいまぁ~、遅れてごめん・・」歳三はそう言うと、千尋を抱きしめた。「もう、世話が焼ける・・」憎まれ口を叩きながらも、千尋は何処か嬉しそうだった。 暫く恵津子と同居していた千尋たちだったが、突然歳三に転任命令が出た。「いきなり転任だなんて・・何処に?」「青森だってさ。何でも、そこの高校教師の数が足りてねぇんだと。」「そうなの・・でもまだ新居も決まっていないっていうのに、ねぇ?」「心配すんなよ、お袋。俺のことより千尋のことが心配だよ。誰も知り合いが居ない場所に引っ越すんだぜ?子どもが出来たら、誰の助けもなく子育てすることになるんだぞ?」「それもそうねぇ・・でも卒業式の後でしょう?」「まぁ、そうなるな。」歳三と恵津子がリビングで話し合っていると、千尋が帰宅した。「千尋ちゃん、お帰りなさい。」「歳三さん、お義母さん、ただいま帰りました。何かあったんですか?」「千尋、突然な話なんだが、青森に転任することになった。」「青森に?」「ああ。今すぐにというわけじゃねぇが、二月の卒業式の後になると思う。」「そうですか。歳三さんとなら、何処でも生きていけます。」千尋はそう言って笑うと、歳三の手を握った。「悪ぃな、俺の都合で突然引っ越すことになって・・」「いいんです。お義母さんと離れるのは辛いですけど。」突然の転任に歳三は戸惑ったものの、二月の卒業式までまだ時間はあった。「寂しくなるわねぇ。まとまった休みが取れたら、遊びに来てね。」「ええ、そのつもりです。」三学期が始まり、千尋は残りわずかな学校生活を楽しんだ。周りは既に進路が決まり、後は卒業を待つだけとなっていた。「千尋ちゃん、卒業した後はどうすると?」「それが、青森に行くことになったと。」 千尋の言葉に、香織達は目を丸くした。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月18日
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結婚式から数日後、千尋は歳三と共にヨーロッパへの新婚旅行へと旅立った。その間、土方家には厄介な訪問者がやってきた。「あなた、何しにきたの?」恵津子はそう言うと、隼人と香苗を睨んだ。「この度はうちの人が大変なご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありませんでした。これは、お詫びのしるしに・・」香苗が差し出した分厚い封筒を、恵津子は邪険に払いのけた。「あんた達クズの顔は二度と見たくないわ、さっさと出て行って!」「恵津子さん・・」「聞こえなかったの?」恵津子はリビングのドアを開き、二人に背を向けた。「恵津子さん、わたし達のことを恨んでいるわね。」「当然だ。それよりも今回のことで君のお義父さんからはきついお灸をすえられたよ。」「あんな場所で騒ぎを起こして警察沙汰になったんだもの、当然よ。これからは慎重に動いてよね!」香苗はそう言って隼人を睨むと、さっさとリムジンへと乗り込んでいった。(全く、気性の荒いところはお義父さんにそっくりだな。)隼人は溜息を吐くと、香苗の後にリムジンに乗り込んだ。 彼らを乗せたリムジンは、新宿の繁華街へと向かった。「隼人さん、お久しぶりっす!」「ちっす!」豪華な内装を施されたホストクラブに隼人が入ると、数人の男達が彼に頭を下げた。「元気してたか、みんな?」「はい。でもオーナー、どうして急に?」「少しな。それよりも店はどうだ、儲かってるか?」「ぼちぼちっす。最近不景気なんで色々と大変です。」「そうか。じゃぁ事務所で帳簿見せてもらうわ。」「は、はぁ・・」男達は少し気まずそうな顔をしたが、隼人を事務所へと案内した。「お前らはもういいから。」「じゃぁ、失礼します。」男達は隼人に頭を下げて事務所から出て行くと、彼はパソコンのモニターの方へと向き直り、帳簿をチェックし始めた。「ただいまぁ。」「お帰り~、新婚旅行はどうだったの?」「楽しかったよ。あ、お土産後で渡しますね。」新婚旅行を満喫した息子夫婦の笑顔を見ながら、彼らに隼人と早苗が来たことを恵津子は話さなかった。「これ、気に入るといいんですけど・・」千尋がそう言って恵津子に渡したのは、ヴェネチアングラスだった。鮮やかな蒼い模様が入っていて、その美しさに恵津子はヴェネチアングラスを日の光にあてながら見惚れていた。「ありがとう、大切にするわね。」「良かった。」その夜、千尋と歳三は恵津子たちとともに楽しい団欒(だんらん)の一時を過ごした。「ねぇ千尋ちゃん、もう新居は決まったの?」「まだです。なかなか良い物件がなくて。」「焦らないでいいわ。当分うちで同居してもいいのよ?一人暮らしにはもう飽き飽きしている頃だから。」「じゃぁ、お言葉に甘えさせていただきますね。その分、家事を手伝いますね。」千尋がそう言うと、恵津子はにっこり笑った。 新居が決まるまで、千尋は恵津子と同居することになった。嫁姑間のギスギスとした関係は無く、まるで実の母娘のような関係で千尋は恵津子と接していた。恵津子も、千尋に歳三の好物を教え、節約術なども伝授した。「ねぇ千尋ちゃん、こんな話はしたくないけれど・・あの人とはどうなってるの?」「・・ああ、あの人との養子縁組は解消されました。」「それ、本当なの?」恵津子の食器が洗った手を止め、思わず千尋を見たが、彼女は天使のように微笑んでいた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月18日
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一部性描写あり、ご注意ください。 結婚式で隼人に襲われた歳三は掠り傷で済み、披露宴は予定よりも一時間遅れで行われた。新郎友人代表には勇が挨拶し、親友に対して祝福のメッセージを送った。「トシ、浮気なんかしたら承知しないぞ!」「わかってるよ!」和気藹々とした雰囲気の中、新婦の母代わりを務める直子のスピーチが始まった。「千尋ちゃん、あなたが私達の家にきたのは、まだ7歳のときでしたね。中学卒業まであなたを実の娘として育ててきました。あなたの花嫁姿を見れて嬉しいです。どうか歳三さんと幸せな家庭を築いてください。」「伯母さん、ありがとう!」千尋は感極まって泣いてしまい、直子はそんな彼女の背中を優しく擦った。「本日はお忙しい中ありがとうございました。」披露宴が終わり、千尋と歳三は招待客達に一人ずつ、この日のために選んだ引き出物が入った袋を手渡し、感謝の言葉を述べた。「お幸せにねぇ。」「千尋ちゃん、格好良かったよ。」「土方先生は果報者やねぇ。」披露宴が終わり、二人はスイートルームへと入った。「今日は疲れたな。」「うん。トシ兄ちゃん、怪我の具合はどう?」「大丈夫だよ、こんなもん。ただの掠り傷だって医者が言ってただろ?」千尋が心配そうに絆創膏が貼られた歳三の額を撫でると、彼は苦笑いをしながら彼女を横抱きにした。「どうしたん、いきなり?」「これから二人きりになるんだから、やることはひとつだろ?」「トシ兄ちゃん・・」歳三の言葉の意味を理解した千尋は、羞恥で頬を赤く染めた。 歳三の白い指先が、千尋のドレスのチャックを下ろし、それはふわりと絨毯の上に落ちた。彼が千尋の首筋を吸い上げると、彼女は悲鳴を上げた。「とても綺麗だぞ、千尋・・」「いやぁ、見ないで・・」生まれたままの姿となった彼女は、恥ずかしそうに身を捩じらせたが、歳三はそれすら許さず、彼女の足を開かせ、蜜で濡れた膣を舐めた。そのたびに、千尋は切ない喘ぎ声を漏らした。「千尋・・挿れるぞ。」熱く猛った自分の先端を千尋の中に挿れると、彼女は痛みの余り歳三の背中に爪を立てた。「大丈夫だ。」奥まで挿れると、千尋の膣肉が歳三のものを締め付けて離さなかった。「何かおかしくなっちゃう・・」「俺もだよ。」まるで頭上に激しい嵐が起こり、それに翻弄されて海を漂っている小舟のようだと千尋は思った。はじめは痛かったのに、だんだん気持ちよくなってきた。気がつくと、千尋は無意識に腰を動かしていた。「もう、いくぞ!」「中に出して!」歳三はいっそう激しく千尋を突き上げると、己の欲望を彼女の中に放った。「あ・・」自分の中が歳三のもので満たされてゆくのを感じて、千尋はゆっくりと眠りの底へと落ちていった。 一方、歳三に石を投げつけた隼人は、留置場で凍えながら一晩過ごした。『この馬鹿者が!』警察署から出た彼を、正雄が持っていたステッキで殴りつけた。『お前は何ていうことをしてくれたんだ、この恥さらしめ!』『申し訳ありません、お義父様・・』『わたしを義父(ちち)と呼ぶな、汚らわしい!』 正雄は隼人を突き飛ばすと、大股でリムジンへと乗り込んでいった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月18日
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12月中旬、歳三と千尋は福岡市内にあるホテルで結婚式を挙げた。 そこには歳三の母と姉達、千尋の小学校・中学校時代の同窓生達、高校のクラスメイト達と、それぞれの友人・知人などが出席していた。千尋がヴァージンロードが歩いている隣には、彼女の父親代わりとして伯父・弘志の姿があった。伯母夫婦とは長年音信普通だったが、何とか結婚式一週間前に連絡がつき、出席してもらうことになった。 祭壇で待つ歳三の方へとエスコートする弘志の目には、光るものがあった。そして招待客の中にいる直子も、実の娘同然に育てた姪の晴れ姿を見て泣いていた。「土方歳三、あなたは岡崎千尋を妻とし、死が二人を分かつまで愛すると誓うか?」「はい、誓います。」「岡崎千尋、あなたは土方歳三を夫とし、死が二人を分かつまで愛すると誓うか?」「はい、誓います。」神の下で愛の誓いを交わし、歳三はゆっくりと千尋の顔を覆っているヴェールを上げ、誓いのキスを交わした。「これで二人は神の下で夫婦となりました。」パイプオルガンが高らかに響き渡り、聖歌隊が賛美歌を歌う中、教会から出た二人は参列者によるライスシャワーと祝福の拍手を浴びた。「おめでとう!」「トシ、幸せにな~!」そんな二人の姿を、建物の陰から隼人が怒りの形相を浮かべながら見ていた。(よくもわたしを裏切ったな、千尋!)拳を握り締めながら、隼人はゆっくりと二人の方へと近づいていった。 はじめに異常に気づいたのは、総司だった。幸せに満ち溢れている新郎新婦に近づく不審な男を見た彼は、嫌な予感がした。男が何かをコートのポケットから取り出し、それを握り締めたとき、総司は自然と身体が動いていた。「危ない!」総司の声に気づいた歳三は、千尋を隼人から守るように立ちはだかった。その刹那、ガツンという鈍い音がして、招待客達が悲鳴を上げた。「誰か、警察呼べ!」「救急車!」怒号と悲鳴が飛び交う中、千尋が蒼褪めた顔をして痛みに顔を顰めている歳三に寄り添っていた。「大丈夫?」「ああ。」そう言った歳三の額からは、血が出ていた。「トシ、取り敢えず病院に行こう。千尋ちゃん、すまないが・・」「いいえ。わたしも一緒についていきます。」暫く恐怖とパニックに襲われ、千尋は身体の震えが止まらなかったが、誰もがパニックに陥っているこの場を収拾しなければと、ゆっくりと彼女は立ち上がり、招待客達の方へ向き直った。「この度は不測の事態が起きてしまい、皆様に多大なるご迷惑をおかけしてしまいました。新郎の容態がわかり次第、披露宴を行いますので、皆様は係りの者に従ってくださいますよう、宜しくお願いいたします。」千尋がそう言って頭を下げると、プランナーが彼らを控え室へと誘導していった。「千尋ちゃん、どうなるんやろか?」「まさかこんな晴れの日に、あんな・・」「でも岡崎さん肝が据わっとるよ。」 歳三が病院に運ばれ、千尋が彼に付き添う為に救急車へと乗りホテルを後にしたあと、香織達は彼女の毅然とした態度を褒め称えていた。「先生、どうですか?」「脳には全く異常が見られません。もうお帰りになってもよろしいですよ。」「ありがとうございます。」 千尋は医師の言葉を聞いて安堵の表情を浮かべ、歳三とともにホテルへと戻っていった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月18日
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9月中旬、歳三と千尋は東京と福岡で結婚式への準備に追われていた。式場の予約やドレス選び、そして招待客リストへの作成―やることは山ほどあった。「あ~、疲れた。」 招待客リストの作成に追われていた千尋は、パソコンのモニターの見すぎで疲れた目をこすった。「少し一息入れようぜ、千尋。」「うん・・」コーヒーを飲みながら、千尋は溜息を吐いた。「ねぇ、クラスの子招待する?」「それは当然だろ。それよりも千尋、お袋さんとは連絡が取れたのか?」「全然。今あの人が何処で何してるなんて知らないし、知りたくもない。」「千尋・・」「あの人はどうせどっかで男に媚を売って生きとうよ。男に死ぬまで寄生して・・うちが殴られても何も助けてくれんかった。」千尋がどんな幼少期を過ごしたのか、歳三は知っていた。「お前が呼びたくないんならいいよ。折角の晴れの日を台無しにされたらたまんねぇもんな。」「ありがと、トシ兄ちゃん。」「もう寝ろ、千尋。明日はドレスを選ぶんだろ?肌のコンディションが悪いと全てが駄目になるぜ?」「そうやね。」千尋と歳三はその夜、同じベッドで寝た。「ねぇトシ兄ちゃん、子どもをちゃんと育てられるかな?」「どうした、急にそんな事言って?」「虐待されて育ったうちが、自分の子を愛せるやろか?あの人と同じように、虐待するかもしれん・・」「大丈夫だ。お前は強い。俺がちゃんと支えるから心配いらねぇよ。」「ありがとう。」歳三の胸に顔を埋め、千尋は眠りについた。 翌日、東京都内のブライダルショップで千尋はウェディングドレスを選んでいた。「やっぱりこっちがいいかな?でもこれも捨てがたいなぁ・・」鏡の前で二着のドレスを胸の前に翳しながら、千尋は溜息を吐いた。マーメイドタイプのシンプルなドレスと、レースをふんだんに使ったクラシカルなプリンセスドレス。どちらも素敵だが、ひとつ選べなければならないとしたら、プリンセスドレスが良い。「お待たせいたしました。」スタッフの声でうとうとしかけていた歳三ははっとわれに返ると、試着室から千尋が出てきた。プリンセスドレスを纏った彼女は、まるで天使のように美しかった。「どう?」「綺麗だ、お前ぇによく似合ってる。」「ありがとう。」照れくさそうに千尋は笑いながら、鏡の前で一回転した。 結婚式まであと3ヶ月、千尋は少し結婚式の準備のことで苛々していた。「どうした、千尋?」「何で遅くなるって連絡来れんかったと!?ずっと待っとったのに!」「すまねぇ、忘れてた・・」「もぉ、信じられん!」千尋はそれ以上歳三の顔を見たくなくて、自分の部屋へと入っていった。「なんだよ、あいつ・・」「マリッジブルーなのよ、千尋ちゃん。あんたが折れてあげればいいことよ。」「そうそう。」姉達のアドバイスを受け、歳三は千尋の部屋のドアをノックした。「千尋、さっきはすまなかった。」「ううん、謝るのはうちの方。」「まぁ、色々と神経質になるのは当たり前だよな。」 季節は瞬く間に過ぎてゆき、二学期が終わり冬休みに入った。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月18日
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「そんなに興奮しないで、聖一さん。あの子はきっと自分が置かれている立場がわかっていないのよ。」香苗はそう言って聖一を宥めたが、彼は席を立ってどこかへ行ってしまった。「ねぇ、止めた方がいいかしら?」「これはわたし達が関与する問題ではないよ。彼の好きにさせておけ。」隼人は涼しい顔をしながらコーヒーを飲んだ。 聖一が向かったのは、千尋のマンションの前だった。千尋は歳三とディズニーランドへ旅行中で当然留守であったが、その事を聖一は知らなかった。「すいません、岡崎さんという方は・・」「あぁ、今旅行中だよ。」「そうですか・・」聖一はさっさとマンションから去り、車に乗り込んだ。(全く、一体僕をどれだけ馬鹿にすれば気が済むんだ!?)車を走らせた彼は、福岡市内のマンションへと入った。「お帰りなさい、聖一さん。」「ただいま。」妻の愛里(エリ)が笑顔で聖一を迎えた。「あなた、何か嫌なことがあったの?」「いや、なんでもない。」「ねぇあなた、最近岡崎千尋って子のことを気にかけているけれど、一体何か関係があるの?」「まぁ、色々とね。あの千尋って子、隼人さんの息子と結婚するつもりらしい。」「そう。別にいいんじゃない?」「いいわけないだろう、あの子との養子縁組を隼人さんは解消した。千尋ちゃんと結婚する為にね。」「え・・」愛理は聖一の言葉を聞き、淹れていたコーヒーを落としそうになった。「どうしてそんな事・・」「隼人さんが千尋を引き取ったのは、彼女といずれ結婚して子どもを産ませるためだ。清子さんも同意しているそうだ。」愛理は、淡々とした口調で隼人の恐ろしい計画を話す聖一の姿を見て、鳥肌が立った。隼人は本気で千尋と結婚する気なのだろうか。「あなたは、どう思っているの、二人の結婚のこと?」「まあ、どうも思わないよ。けど鄭(チャン)家の莫大な財産は喉から手が出るほど欲しいな。」「そうなの。はいコーヒー。」「ありがとう。」聖一は妻の頬にキスすると、仕事部屋へと入っていった。パソコンの前に座った彼はコーヒーを飲みながら、キーボードを叩いていた。(隼人さんと千尋が結婚するとなると・・鄭家の莫大な財産を千尋は隼人さんの死後譲り受けることになる。問題は、そのことを千尋が知らないということ。)当の千尋は、歳三と結婚する気でいる。それを隼人は知らない。自分が出来るのは、これだけだ。「隼人さん、おはようございます。」「おはようございます。」 夏の盛りも過ぎた頃、聖一は隼人を日本料理店に呼び出した。「話とはなんだ?」「千尋のことですが・・あなたの息子と彼女が結婚に向けて準備をしていることはご存知ですか?」「何だと!?」隼人の眦があがった。どうやら彼は全く二人の結婚について全く知らなかったらしい。「そのことを教えてくれてありがとう。で、わたしはどうすればいいんだ?」「それはご自分でお考えください。ではわたくしはこれで。」聖一は隼人をやり込めた快感に身を震わせながら、日本料理店から出て行った。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月18日
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(あ~、疲れた。) 千尋がバイト先のファミレスから出て最寄り駅へと向かっていると、またあの車が見えたので、彼女は早足で地下鉄のホームへと急いだ。帰宅ラッシュを過ぎた電車内は空いていて、千尋は空いている座席に腰を下ろし、歳三へメールを打った。『今電車に乗って帰るところです。 千尋』鞄から文庫本を取り出してそれを読み始めたとき、歳三からメールが来た。『マンションの前で待ってる 歳三』 数分後、目的地に着いた千尋は、バッグから定期を取り出して改札を抜け、マンションへと向かった。そんな彼女の姿を、聖一は車の中から見ていた。「もしもし、今マンションに着くところ。」『そっか。』千尋がマンションのエントランスへと向かうと、そこにはスーパーのレジ袋を提げた歳三が立っていた。「待たせてごめんね。」「いや、いいんだよ。それよりも飯は食ったか?」「ううん、まだよ。」「じゃぁ俺がお好み焼き作ってやるよ。」「わぁ、嬉しか。」 歳三が部屋に入ると、レジ袋の中からキャベツが半分にカットされたものを取り出し、それをボウルに入れて水で洗うと、包丁で細かく刻んだ。「千尋、ホットプレートあるか?」「うん、あるよ。」ダイニングテーブルにホットプレートを置くと、歳三はその上でお好み焼きの生地と具を混ぜ合わせた。「うわぁ、美味しそう。」「まだ食べられねぇけどな。」数分後、出来立てのお好み焼きを千尋と歳三は美味そうに頬張った。「なぁ千尋、ディズニーランド行けるかもしれねぇぞ、今度の週末に。」「本当?」「バイト、大丈夫か?慣れてきたか?」「まぁね。まだ来月分のシフト出てないから、いつ休み取れるかどうか、店長に聞いてみるけん。」「わかった。」 翌日、千尋は店長に今週末休みを取りたいと相談したら、すんなりとOKが出た。「トシ兄ちゃん、休みとれたよ。」『そうか、良かったな。』「楽しみやね、ディズニー。」バイトの後、歳三と千尋は週末のディズニー旅行への計画を立てた。「やっぱシンデレラ城は欠かせんね。」「そうだな。夜のパレードも絶対観ないと。」「うん。」 あっという間に週末が来て、千尋は歳三とともに東京行きの飛行機に乗り、そこからリムジンバスに乗ってディズニーランドを目指した。夏休み期間中だからか、家族連れの客が多かった。「やっぱり多かねぇ。」「ああ。まずは何処行く?」「そやねぇ、トゥモローランドに行きたか。」「そうか。」歳三と並んで歩いていた千尋だったが、人波に押されて歳三と離れ離れになりそうだった。「ほら、しっかりと手を繋げ。」「ごめんなさい・・」千尋は頬を赤く染めながら、歳三と手を繋いでトゥモローランドへと向かった。 二人がディズニーランドのアトラクションを満喫している頃、隼人と香苗は聖一と福岡市内のカフェで会っていた。「聖一君、どうだった?」「千尋さんは、僕のことを完全に無視してました。まぁ婚約者がいるんだから、無理もない。」「その話、詳しく聞かせろ。」コーヒーカップを持った聖一の手が、怒りでわなわなと震えた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月18日
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「岡崎さん、まだ帰らんと?」「ええ。彼氏が迎えに来てくれるんで。」「そう。じゃぁお先に~」バイト仲間の吉田がそう言って更衣室から出て行くと、千尋は鞄の中から携帯を開いた。そこには一通のメールが受信されていた。『もうすぐ着く 歳三』(もうすぐかあ・・)千尋は歳三の到着を更衣室で待っていた。だが、5分経っても歳三がやってくる気配がない。道でも混んでいるのだろうか―千尋がそう思いながら歳三の携帯に掛けようとしたとき、更衣室に歳三が入ってきた。「すまねぇな、千尋。遅くなっちまって。」「ううん、今終わったとこ。」「さてと、帰るか。」ファミレスの駐車場に停めてある歳三の車へと二人が向かっていると、あの車が停まっていることに気づいた。「千尋、どうした?」「ううん、何でもない。」なるべく車を意識しないよう歳三の腕に自分の腕を絡ませ、千尋が車の前を通り過ぎると、そこからあの男が出てきた。「千尋さん、遅かったですね。」聖一はそう言うと、千尋に微笑んだ。「あなたとは何も話したくありません。」「強情な人ですね。僕は何も話していないのに。」聖一が千尋の腕を掴もうとすると、歳三が彼を突き飛ばした。「千尋に触るな。」「あなたが、千尋さんの婚約者ですか?」聖一の柔和な顔が、歳三を前に険しくなった。「あんたが一体何を企んでいるのかは知らないが、千尋は誰にも渡さない。それだけは覚えておけ。」歳三の言葉に、聖一はふんと笑った。「そうですか。では僕も千尋さんのことを諦めませんから、そのつもりで。」聖一は車に乗り込むと、エンジンをかけて駐車場から走り去っていった。「変な野郎だ。千尋、あんな奴気にするなよ。」「うん。」歳三に自宅マンションまで送ってもらい、千尋は少し落ち着いた。「大丈夫か?」「うん、少し落ち着いた。それよりもトシ兄ちゃん、うち卒業できるかな?」「できるに決まってんだろ、お前なら。それよりも夏休み中だからって、羽目はずすなよ。」「わかっとるよ。ねぇトシ兄ちゃん、夏休みディズニーランドに行きたか。」「ディズニーランド?ガキがあるまいし、どうしてそんなところに・・」「だって一度も行ったことないもん。連れてって。」「ったく、しょうがねぇなぁ。盆休み前に連れてってやるよ。」「ありがと~、じゃぁね!」千尋は歳三の頬にキスすると、マンションの中へと入っていった。 やがて夏休みを迎え、千尋はバイトと勉強で忙しい毎日を送っていた。「はぁ~、やっぱ夏休みやから疲れるねぇ。」「ホント、休む暇もなか。」平日のランチタイム、夏休みに入ってからというもの、ファミレスはほぼ満席で、千尋達ホールスタッフは忙しく動き回っていた。「夏休み、何処か行く予定あると?」「う~ん、うちは盆に田舎のじいちゃん家に行くだけ。また田植え手伝わないかん。日焼けするけん嫌。」香織がそう愚痴ると、バイト仲間の美香も溜息を吐いてこういった。「うちはお父さんの実家に行かないかんのよ。別に行きたくなかって言っとるのに、お母さんが行けってうるさいんよ。」「遊ぶところなかもん、つまらんと。」「そうそう。千尋ちゃんは?」急に話を振られ、千尋は頭を振った。「彼氏にディズニー連れて行ってってお願いしたけど、行けるかどうかわからん。」「さてと、仕事に戻らんとね!」 その日バイトが終わったのは、夜の10時ごろだった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月18日
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『何ですか、もうあなたと話すことはありません。』『そうか。じゃぁ今週末待ってるよ。』なぞめいた言葉を残し、聖一は千尋の元から去った。(何やろか、あの人・・)千尋は溜息を吐きながら、自宅マンションへと着いた。『千尋、どうした?』「ううん、何でもなか。」携帯で歳三と話しながら、千尋は車のクラクションが鳴っていることに気づいた。 千尋がカーテンを開いて外を見ると、一台の車がマンションの前に停まっていた。「トシ兄ちゃん、明日話したいことがあるけん、お休み。」「ああ、お休み。」暫く外を見つめていると、車はマンションの前から走り去っていった。(一体何やったんやろか?)謎の車は、翌日も翌々日もマンションの前に現れた。何の目的があるのか、車に乗っているのは誰なのか、謎ばかりが脳内に駆け巡り、千尋はそんな事を考えているうちに朝を迎えていた。「千尋、どうしたんだ?」「昨夜、変な車が来たんよ。」「変な車?車種は?」「それは暗いけん、わからん。」「そうか・・」屋上で弁当を食べながら、歳三は千尋から謎の車の存在を知り、脳裏にあのバラの花束を持った男の顔が浮かんだ。「それと、店に変な男が来たんよ。バラの花束持っとった・・」「バラの花束?」「うん。変な奴やったよ。」「そうか・・」あの男は、千尋の元にもやって来たのか。「バイトはもう今日で最後だろ?」「うん。これから学業に専念せんとね。」 クラブでのバイトを終えた千尋は、昼夜逆転の生活から、規則正しい生活へと徐々に戻っていった。高校を卒業できるまでの単位と出席日数を取得し、一学期の期末テストも校内トップだった。「よくがんばったな、千尋。このままいけば大丈夫だ。」「トシ兄ちゃんのお蔭たい。あ、そういえば昼のバイト見つかったよ。ファミレスのホール。」「そうか。いつからだ?」「今日から。何か緊張する。」「大丈夫、お前なら上手くやれるって。」 放課後、千尋が新しいバイト先のファミレスに行くと、そこには香織の姿があった。「香織、あんたここでバイトしとうと?」「うん。まぁここの仕事キツイけど、慣れれば楽。」「そう。」ファミレスのホールでの接客は中洲での経験が生かされ、千尋は仕事に徐々に慣れていった。「はぁ~、終わった。」「お疲れ~」更衣室で少しむくんだふくらはぎをマッサージしていると、香織が学校の制服に着替えていた。「じゃぁね。」「お疲れぇ~」千尋はバイトの制服から学校の制服に着替えて店の裏口から出ると、あの車が猛スピードで去っていくのが見えた。彼女は恐怖に震え、歳三の携帯にかけた。「もしもし、トシ兄ちゃん?バイト先のファミレスに居るんやけど、迎えに来てくれん?」にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月16日
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「信じとるから、こうして聞いとるんよ!」髪をツインテールにした一年の女子がそう言って千尋に詰め寄った。「付き合っとるもなにも、卒業したら先生と結婚するんよ。」千尋の爆弾発言に、一年の女子達は悲鳴を上げた。「なんであんたみたいな女と、先生が結婚するとね!?」「許さん、絶対に許さんよ!」数人が千尋に詰め寄り、彼女につばを飛ばしながら胸倉を掴んだ。「こらぁ、お前ら何しようとか!」偶然通りかかった生活指導の増田が彼女達に怒鳴りつけると、彼女達は慌てて逃げようとしたが、その前に増田によって捕まえられた。「一人の者を寄ってたかって殴るとは、お前ら何しようとか!」「だって先生、こいつが・・」「先輩に向かって“こいつ”とは何ね!」増田が木刀を床に打ち付けると、一年の女子達はびくりと恐怖に身を震わせた。「増田先生、そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。何か原因があったんでしょうし。そうよね?」弥生はそう言うと、一年の女子達を見た。「先生、急にこの子達に呼び出されたと。“土方先生と付き合っとると”って聞かれたけん、高校卒業したら結婚するって言うたらいきなり・・」「それは本当か、岡崎?」「ええ。うちは嘘は吐いとりません。土方先生にも確かめとってください。」千尋がそう言葉を切った時、職員室に歳三が入ってきた。「土方先生、岡崎と結婚するというのは本当ですか?」「ええ。」歳三の言葉に、職員室が水を打ったかのように静まり返った。「そげな事、どうして・・」「すぐに結婚するわけでもないので、報告は後にしようと思っていたんですが・・変な噂を流す者がいると聞いたので、やむを得ずこの場で報告しようかと。」歳三がじろりと一年の女子達を睨むと、彼女達は一斉に俯いた。「そうですか・・だそうですよ、野崎先生。」増田が弥生のほうに向き直ると、彼女は明らかに動揺していた。「こいつらが何を思うとるが知らんけど、ちゃんと礼儀ってもんを生徒に教えてくださいね。」「す、すいません・・」「お前らも、先輩に暴力振るったんやから、謝らんか!」「すいませんでした。」千尋の胸倉を掴んだ一年の女子達は、一斉に彼女に向かって頭を下げた。「トシ兄ちゃん、みんなの前でバラして良かったと?」放課後、歳三と並んで歩きながら校門を出た千尋がそう言って彼を見ると、彼はこう答えた。「いずれわかることだから、隠しても仕方ねぇだろう。それよりも千尋、今のバイトはどうするんだ?」「今夜、ママに言って都合がつき次第辞めるって伝える。夜のバイトよりも昼のバイトのほうが規則的な生活が送れるけん。」「そうか。じゃぁな。」「うん、じゃぁね。」 歳三と校門の前で別れ、千尋はその夜出勤した。「千尋ちゃん、これからどうすると?」「ここを辞めて昼のバイトを探そうかと。3年間、お世話になりました。」「そう。あんたがおらんくなると寂しかねぇ。」ママはそう言うと、千尋の肩を叩いた。「ええ、もうママの顔が見られなくなると寂しか。」「じゃぁ、今度の週末まで来て頂戴ね。」ママと話を終えた千尋が更衣室から出てくると、アヤメが彼女に駆け寄ってきた。「千尋ちゃん、あんたを指名しとるお客様が待っとるよ!バラの花束抱えて!」「バラの花束?」千尋が怪訝そうな顔をすると、アヤメは彼女の背中を押した。「お客様を待たせたらいかんよ!」「は、はい・・」千尋は戸惑いながらも、“バラの花束を抱えた”客が座るテーブルへと向かった。「こんばんは、ローズです。」『君が、千尋ちゃんか?』突然男の口から韓国語が聞こえてきて、千尋は思わず男を見てしまった。『あの、あなたは・・』『初めまして、僕は李聖一。君の婚約者だ。』『あなたがわたしの、婚約者?』男の言葉に、千尋は目を丸くした。『まだ知らなかったのか?君との結婚は岡崎の両親が既に承諾してくれている。』『わたしは、あなたとは結婚したくありません。これで失礼いたします。』千尋がそう言って立ち上がると、アヤメのヘルプについた。「お疲れ様です。」「お疲れ~」 アヤメと千尋が店の前で別れると、そこにはバラの花束を持った男―聖一が立っていた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月16日
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「それじゃぁ、また来るからな。」「ええ、次来る時は式場のパンフレットもって待ってるからね~」母達に別れを告げると、歳三は千尋の腰を抱き寄せながらタクシーへと乗り込んだ。「これから色々と忙しくなるな。」「うん。トシ兄ちゃん、学校には言うん?」「暫くの間伏せておくよ。まぁお前が卒業するまで手は出さないからな。」「それなら安心した。でもちょっと寂しいかもしれん。」「何がだよ?俺が浮気すると思ってんのか?」歳三がそう言って千尋を見ると、彼女は笑った。「冗談よ。まぁうちもママには色々と伝えんといかんから、秘密を守らんとね。」「ああ。これからが大変だな。」 連休明け、千尋が店へと出勤すると、そこにはママの姿はなかった。「ママ、どうしたと?」「さぁ・・何でも入院したとか。それよりも千尋ちゃん、誰と旅行したと?」「それはアヤメさんでも言えません。アヤメさんは連休中何しとりました?」「う~ん、家でごろごろしとったねぇ。それよりもママのことが心配やねぇ。」開店前、千尋とアヤメがママの身を案じていると、奈美が彼女達の方へとやってきた。「千尋、ちょっと話があるんよ。」「なんですか?」「あんた、男と東京で旅行しとったろ?」奈美はそう言うと、バッグから一枚の写真を取り出した。そこには、銀座の宝石店から出て行く歳三と千尋が映っていた。(いつの間に・・)「あんたがしとるペリドットの指輪、男からプレゼントされたものね?」「そうですけど。それが何か?」「水商売の女が幸せ掴むなんて、甘い考えせん方が良かよ。」「どういう意味です、それ?」千尋がそう言って奈美を睨み付けると、彼女はつかつかと千尋に近づき、彼女の頬を張った。「あんた、目障りなんよ。」「奈美さん・・」叩かれた頬が熱く感じ、千尋はふつふつと怒りが湧いてきた。何故彼女にこんなことをされなければならないのか。自分の幸せを、彼女が邪魔する権利があるというのか。「言いがかりもよしてください!」「せからしか!薄汚い商売女が!」千尋は思わず奈美の頬を叩き返していた。「何すると!」奈美は怒りで顔を赤くさせながら、千尋の髪を掴んだ。「あんた、うちに逆らうやなんていい気しとるね!」「あんたなんかにうちの幸せを邪魔する権利があると?」更衣室での騒ぎに気づいたアヤメとママが、二人の間に割って入った。「一体何があったね?」「ママ、こいつ男とデキとったとよ!」「そんなに喚かんでもよか。うちはもう知っとるよ。奈美、あんたには今日限りで店を辞めて貰う。」「そんな・・ママ!」「ホステスのプライベートを暴いてライバルを蹴落とすような汚い真似、あんた何処で覚えたとね!」ママは鬼のような形相を浮かべながら、奈美の頬を張った。「今すぐ荷物を纏めて出ていかんね!」奈美は怒りと悔しさで顔をゆがめながら、コートとバッグを掴んで店から飛び出していった。「すいませんママ、ご迷惑をおかけして・・」「謝らんでもよか。あんたには幸せになる権利はある。あんたは今まで苦労してきたんやから、当然の権利よ。」「ママ・・」「幸せになりんしゃい。」そう言ったママの顔に、自分を捨てた母親の顔を、千尋は重ね合わせた。「お疲れ様でした。」「奈美、店から追い出されたんやて?ルール違反をするけん、もう何処も雇ってくれんね。千尋ちゃん、何があったか知らんけど、あたしは千尋ちゃんの味方やけん。」「ありがとうございます、アヤメさん。」店から帰宅した千尋は、溜息を吐きながらリビングのソファに座った。(これから、色々と忙しくなるなぁ。)式場選びにドレス選び、そして招待客への招待状送り・・しなければならないことは山ほどあった。だがその前に、高校を卒業しなければならない。高校卒業前提で、恵津子も信子達も歳三との結婚を許してくれた。これからが頑張り時だ―千尋はそう思いながら、ベッドに入って眠った。「あんたが、岡崎千尋?」 翌朝、千尋が登校すると、数人の女子生徒から声を掛けられた。制服についている校章から、彼女達が一年だとわかった。「先輩に向かって“あんた”とは何ね?」「土方先生と付き合うとるって、本当ね?」「そげな噂、信じとると?」千尋はそう言うと、彼女達を馬鹿にしたような笑みを口元に浮かべた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月16日
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「俺が出るよ。」「そう、じゃぁあたしたちは女同士の話をしてるわねぇ~」のんきな母と姉達に背を向け、歳三は玄関先へと向かった。「はいはい、今出ますよ・・」彼がドアを開けると、そこには薔薇の花束を抱えた男性が立っていた。「すいません、こちらに岡崎千尋さんがいらっしゃると聞きまして・・」「失礼ですが、どちら様ですか?」歳三が少しむっとした顔をして男にそう尋ねると、彼はにこりと笑った。「ああ、自己紹介が遅れました。僕はこういう者です。」男はそう言うと、歳三に名刺を差し出した。“高岡ホールディングス取締役 高岡聖一”「高岡ホールディングス?聞いたことがない会社ですね。」「そうですか。あぁ、巷では有名とかいっているけれど、それは僕らの間だけのようだね。」「“僕ら”?」「高岡は通名なんですよ。本名は李聖一(イ・ソンイル)と申します。それで、あなたは?」「土方歳三です。」「土方・・というと、隼人さんの息子さん・・」「父をご存知なのですか?」「ええ。あなたのお父様とは懇意にしていただいております。」「そうですか。千尋は今留守にしております。」「では・・」高岡聖一は溜息を吐くと、背を向けてリムジンに乗って土方家の前から去っていった。「トシ兄ちゃん、どうしたと?」「誰だったのよ、トシ?」「さぁ、セールスの奴だよ。」「そう。ねぇ歳三、千尋ちゃんとは本気で結婚するつもりあるの?」「まぁな。今すぐにっていう訳じゃねぇが。千尋はまだ学生だし、彼女が高校を卒業してから考えようと思ってる。」「そうなの。千尋ちゃんはどう思ってるの?」「トシ兄ちゃんとは、本気で結婚したいと思ってます。高校を卒業するときに・・」「じゃぁ、うちは二人の結婚に大賛成ってことで。それよりも千尋ちゃん、向こうの家とはどうなってるの?」「向こうって?」「あらヤダ、知らないの?千尋ちゃん、岡崎家の養女になったのよ。」「それ、本当か?」歳三は若草色の双眸に険しい光を宿らせながら千尋を睨んだ。「ごめん・・すぐに話そうと思うとったの・・」「そうか。なぁ千尋、あいつらのことは気にするな。あいつとはとうに切れた縁だ。俺達は俺達で幸せになればいい。そうだろ?」「うん・・」「じゃぁトシ、色々と忙しくなるわね。結婚式の準備とかで・・」「まぁ結婚式といっても、身内と親しい知人だけのささやかなものにしてぇんだ。一応、婚約指輪くらいは用意してやるからよ。」「ありがとう。」微笑みあう二人を見ながら、恵津子と信子達はにっこりと笑っていた。「千尋ちゃんなら、トシのことをちゃんと任せられるわね。」「そうそう。千尋ちゃんならトシと上手くいきそうね。」 その後、二人は連休中に渋谷や銀座でショッピングを楽しんだ。「千尋、せっかく銀座に来たんだから婚約指輪でも見ていかねぇか?」「え・・」「驚くこたぁねぇだろう、俺達は結婚することになったんだから。」「そうやね・・」美しい輝きを放つダイヤモンドの指輪を眺めながら、千尋はどれも素敵に見えてなかなか決められなかった。「千尋、これはどうだ?」そう言って歳三が指したのは、千尋の誕生石であるペリドットの婚約指輪だった。「こちらはペアリングとなっておりまして、右が女性用、左が男性用となっております。」「わぁ、可愛い・・」「当店限定の、人気モデルなんですよ。今なら、お安くなっております。」「これにします。」「ありがとうございました。またのお越しをお待ち申し上げております。」 宝石店から出た千尋は、嬉しそうに婚約指輪が入った紙袋を提げながら、歳三とともに歩いていた。「なぁ千尋、今夜はちょっといい所で飯食わねぇか?」「え、いいと?」「いいに決まってんだろ。」 その夜、千尋は歳三に連れられて六本木のイタリアンでディナーを取った。「千尋、俺と結婚してくれ。お前以外の女とは結婚したくねぇんだ。」「はい・・」歳三はそっと、千尋の左手薬指にペリドットの婚約指輪を嵌めた。「トシ兄ちゃん・・」「千尋、その“トシ兄ちゃん”っていうのはやめてくれ。もう夫婦になろうとしてんのに。」「そうやったね。じゃぁ歳三さんで。」「何だか照れ臭ぇな。」 歳三は頭を掻きながら苦笑いした。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月16日
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気のせいだろうかと思った千尋はあたりを見渡したが、そこには誰も居なかった。 千尋が鍵を解除してエントランスの中に入り、エレベーターに乗り込もうとしたとき、外に人影があった。びくりと恐怖で彼女が身を震わせると、人影はもう居なくなっていた。一体あれはなんだったんだろう。部屋に入って浴室でシャワーを浴びた千尋は、ベッドで眠りに就いた。 歳三から連絡があったのは、朝食のベーグルを冷蔵庫から取り出して電子レンジにかけている頃だった。『千尋、今家か?』「うん、どうしたと?」『実はなぁ、飛行機の便、予約の手違いで早くなっちまったんだ。』「ええ、嘘!?何時の便?」『10時半だけど、大丈夫か?』千尋が壁掛け時計を見ると、まだ7時半だった。「大丈夫。」『そうか、わかった。じゃぁ空港でな。』「うん。」携帯を閉じた千尋は、朝食のベーグルを食べると、身支度を始めた。2時間後、彼女は福岡空港前で歳三と待ち合わせした。「千尋、待ったか?」「ううん。」「それじゃぁ、行くか。」「うん。」歳三と千尋は一路飛行機で東京へと向かった。「どうした?」隣で欠伸をしている千尋を見ながら歳三がそう彼女に話しかけると、彼女は溜息を吐いた。「昨夜変な男に声掛けられたんよ。まぁ振り切って逃げたけど。」「そうか。それにしてもおふくろ達、千尋が好きな料理作って待ってるってさ。」「そう。早く会いたか。」 長い東京へのフライトを終え、千尋は歳三の実家へと電車で向かった。「トシ、久しぶりね!千尋ちゃんも綺麗になったわねぇ。」「お久しぶりです、信子さん。」「荷物持つわ、重いでしょ。さてと、母さんが待ってるから早く行きましょう!」 信子が運転する車で二人が歳三の実家に着くと、玄関先で恵津子が彼らを出迎えた。「二人とも、久しぶりね!さ、疲れたでしょう?中に入って。」「わかったよ。」 土方家のリビングは、昔も余り変わらなかった。「沢山作りすぎちゃったわ。」ダイニングテーブルの上には、千尋と歳三の好物ばかりが並んでいた。「確かに作りすぎだな。でも美味いな、お袋の料理。一人暮らしだと味気ないインスタントばっかりで、久しぶりだな。」「全く、あんたって子はそんなもんばっかり食べて・・早く良いお嫁さん貰わないと。」「まぁた始まったよ、お袋の小言が。俺は千尋以外の女と結婚する気はねぇの!」「じゃぁ結婚しちゃいなさいよ、千尋ちゃんと。そう言うんなら。」「お、お袋、何言ってんだよ!」恵津子の爆弾発言に、歳三は茶を噴き出しそうになった。「ねぇ、歳三、あんたもそろそろいい年だし、千尋ちゃんは気立てが良くて可愛いし、料理も美味いんだから・・」「おい、勝手に話を進めんな!俺はいいとして、千尋の気持ちはどうなんだよ!?」「うちは・・いいよ。トシ兄ちゃんとなら・・」 千尋は頬を赤く染めながらそう歳三に言うと、彼は照れくさそうに笑った。「じゃぁ、決まりね。」「良かったわねぇ、トシ。」勝手に二人で盛り上がっている母と姉を横目に見ながら、歳三は溜息を吐いた。(ったく、何盛り上がってんだよ・・)歳三がビールを飲もうとしたとき、玄関のチャイムが鳴った。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月16日
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放課後、終業を告げるチャイムが鳴ると同時に、教室から生徒達が一人、また一人と出て行った。そんな中、千尋は歳三の仕事が終わるのを待っていた。「千尋、悪ぃが今日は終わりそうにねぇ。先に帰っててくれるか?」「わかった。じゃぁ・・」いよいよ明日、歳三とともに東京へ行くことになっている。「飛行機って、何時発のやつやっけ?」「確か、3時半のやつだ。今夜もバイトあるのか?」「うん。まぁあママも連休中店を閉めるけん、助かったけど。じゃ、明日ね。」千尋が職員室から出て靴を履き替えていると、生徒会長の赤城が話しかけてきた。「岡崎、何で俺が呼んどるのに来んと?」「あんたの相手しとるほど、うちは暇じゃなか。」千尋はさっと立ち上がると、学校を出て自宅マンションへと向かった。 今夜は忙しくなるだろう―そう思いながら千尋が出勤すると、案の定店は混んでおり、ママも先輩ホステス達も忙しく駆け回っていた。「千尋ちゃん、これ3番テーブルにお願いね。」「はい。」「灰皿も替えといてね。」「わかりました。」ヒールを履いたままホールと厨房を行ったりきたりしながら、千尋は少しへとへとになった。「大丈夫、千尋ちゃん?顔色悪かよ?」「大丈夫です。」「余り無理せんで少し休んだら?身体が資本やから、壊したら元も子もなか。」「はい・・」 更衣室で千尋が休憩を取っていると、瑞希が出勤してきた。「先輩、今日は遅かったですね。」「色々とあってね。それよりも千尋ちゃん、奈美姐さんがあんたの事潰そうとしとるよ。」「え、奈美さんが?」「うん、実は・・」「何こそこそと話しとうと?」背後で鋭い声が聞こえて振り向いた二人の先には、奈美が立っていた。「べ、べつに、うちは何も・・」「瑞希、あんたは余計なことせんでよか。わかったね?」「はい・・」「わかればよか。」奈美はふんと鼻を鳴らすと、ホールへと戻っていった。「じゃぁ、あたしはこれで・・」瑞希の態度に不審を抱いた千尋は慌てて彼女を追ったが、彼女はもう千尋と話したくないとばかりに、奈美のほうへと駆け寄っていった。「お疲れ様~」 バイトが終わり、千尋がコートを羽織って店から出て中洲の街を歩いていると、突然誰かに肩を叩かれた。「君、今時間ある?」彼女が男を無視して歩き続けていると、彼は苛立ったのか千尋の腕を掴んで来た。「無視するなよ、おい。」「離してください。」とっさに男の腕を振り払い、千尋はタクシーを路肩に止めると、それに乗り込んだ。「姉ちゃん、災難やったね。」タクシーの運転手がそう言って同情の視線を彼女に送った。「すいません、この住所までお願いします。」「了解しました。」旅行前夜だというのに、男の所為で気分が最悪だった。「お客さん、着きましたよ。」「ありがとうございます。」 千尋がマンションのエントランスへと入ろうとしたとき、背後の茂みで音が聞こえた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月16日
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「済まないねぇ、こんな時間に突然来て、迷惑だったかな?」「いいえ。いらしてくださってありがとうございます、山田社長。コーヒーお淹れしますね。」「ああ、頼むよ。うんと濃いやつを淹れてくれ。」そう言って千尋に微笑む男は、山田恭介。彼は全国で焼肉チェーン店を展開しており、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いである。「昨日東京支社で会議があってね。衛生管理を徹底しないといけないから、色々と気疲れしそうだよ。」「そうですか。食中毒はこれからの季節が要注意ですものね。この前社長が経営されていた一号店に行きましたが、サービスも料理も満点でした。従業員の教育が行き届いていますね。」「まぁね。あの店はもともとわたしの母が始めたものなんだ。満州で終戦を迎えて命からがら引き揚げて来て、父と一緒に慣れない土地で食堂を始めた。決して豊かではなかったけど、食堂には毎日客が大勢来て、母の料理を食べた彼らの笑顔が嬉しかったんだ。それが僕の原点かな。」「お母様のご遺志を継がれた社長はご立派ですわ。はい、濃いコーヒーです。」「ありがとう。そういえば千尋ちゃん、今度の連休旅行するんだって?」「ええ、まぁ・・ママも予定があるとかで。」「そうか。暫くママと君に会えないのは残念だけれど、僕も今度の連休に勧告に戻ることになったんだよ。」「韓国に?」「ああ、束草(ソクチョ)に両親の墓があってね。親戚と久しぶりに酒を飲み交わそうかと思っているんだ。」「そうですか。土産話を楽しみにしておりますね。」「ああ。おっと、もうこんな時間だから、行くよ。じゃぁね。」山田社長はそう言うと、千尋の部屋から出て行った。「お気をつけて。」彼をエントランスで見送った千尋は、溜息を吐いて部屋へと戻っていった。これから旅の準備をしなければ―寝室に入った千尋はクローゼットを開けてスーツケースを引っ張り出し、東京へと着てゆく服を整理した。「土方先生、おはようございます。」「おはようございます。」歳三がデスクワークをしていると、弥生がしなを作りながら彼に近づいてきた。こんな勘違い女は苦手だ。派手なファッションに身を包み、男だとわかればところかまわず声をかけようとする。周りからちやほやされると思い込んでいる弥生に、歳三は苦虫を噛み潰したかのような顔をした。「あの、今日はお昼ご一緒できませんか?」「すいません、今日は・・」「土方先生、失礼します。」 職員室のドアが開き、千尋が歳三達の元へと駆け寄ってきた。「今日はお弁当作ってきたんで、食べてくださいね。」「おう、ありがとな・・」「じゃ、わたしはこれで。」千尋が勝ち誇ったような笑みを浮かべながら弥生を見ると、彼女は怒りで顔を赤く染めた。「岡崎さん、待ちなさい!」「何か?」千尋が振り向くと、鬼のような形相を浮かべた弥生が立っていた。「あなた、昨夜中洲に居たでしょう?あんな時間にあそこで何をしていたの?」「そげな事、先生には関係ないでしょう?もう授業なんで行きますね。」「こら、ちょっと・・」千尋を慌てて追おうと弥生は走り出したが、つんのめって派手に転んでしまった。「何あれ、ダッサ。」「イタ過ぎ・・」くすくすと笑いながら自分のそばを通り過ぎてゆく生徒達の声を、弥生は聞きながら屈辱に震えていた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月16日
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「あの千尋と話しとる女、誰ね?」奈美がそう自分の後輩ホステス・瑞希に聞くと、彼女は首をかしげた。「さぁ、知りません。」「みたところ、水商売の女やなか。どこかの金持ちのお嬢さんって感じがする。」奈美が暫く千尋と謎の女性客の様子を見ていると、彼らは同時にテーブルから立った。「ママ、すいませんが少し外に出ても構いませんか?」「ええよ。すぐ戻ってきんしゃい。」「じゃぁ、行ってきます。」千尋はそう言ってママに頭を下げると、香苗とともに店から出て行った。「すいませんママ、奈美さんが急に胃が痛くなったって・・」「そう。」ママは酒豪な奈美が胃を痛めるなど珍しいと思いながらも、瑞希が店から出て行くのを見送り、常連客がいるテーブルへと向かった。 店を出た千尋と香苗は、喫茶店『ポワロ』に入った。「それで、話って?」「今朝父があなたのマンションに来たのは、歳三さんに会う為なの。」香苗は店員にコーヒーを注文した後、千尋にそう言うとグラスの水を一口飲んだ。「香苗さん、歳三さんとあなたの縁はそもそも繋がっていませんし、あなたの家がどうなろうが知ったこっちゃないです。もうこれ以上、歳三さんのことを放っておいてくれませんか?」「そうしたいのは山々だけれど、父が・・」香苗はまるで自分の立場を察してくれと言わんばかりに、千尋をチラチラと見た。「お父様と良く話し合って決めてくださいね。じゃぁ仕事に戻ります。」「あ、待って・・」こんな女に奢ってもらいたくなかったので、自分のコーヒー代だけ払ってさっさと千尋は店から出て行った。「お帰り、千尋ちゃん。早かったね。」「ええ、まぁ。ママは?」「お得意さんの相手しとるよ。それよりも千尋ちゃん、さっきの人誰ね?」「一応親戚です。血は全く繋がってませんけど。」「ふぅん、そうね。ホステスにしては上品過ぎると思った。」アヤメがそう言ったとき、店内が一瞬暗くなったかと思うと、カラオケの機械があるステージにスポットライトが照らされた。 そこには、ママと彼女のパトロン・西川が歌謡曲を熱唱していた。「いつ聴いてもママの歌声は最高やね。」「ええ。」ママの歌声に客達が聞きほれている中、瑞希が静かに奈美たちのテーブルへと戻ってきた。「どうやった?」「あの女、この前来たイケメンと関係があるそうです。」「イケメンって、アヤメの馴染みと一緒に来た男ね?」奈美の目が、きらりと光った。「瑞希、あんたは千尋のことを見張り。」「は、はい・・」「千尋は可愛いし実力もあるけど、ちょっと生意気やね。少しは懲らしめんといかん。そう思わん?」奈美がそう言って瑞希たち後輩ホステスを見ると、彼女は一斉に俯いたものの、静かに頷いた。「それでよか。あんたらもあたしのおこぼれに預かるのも嫌やろう?ライバルを潰さん限り、この世界では頂点に立てんよ。」彼女は満足気に笑うと、煙草を美味そうに吸った。「お疲れ~」「お疲れ様でした。」「はぁ、やっと終わったねぇ。何か食べに行かん?」「いいえ、遠慮しときます。」 仕事が終わり、千尋がアヤメと取りとめのない会話をしながらロッカーを開けると、そこには今日履いてきたハイヒールがなかった。「どげんしたと?」「アヤメさん、うちのハイヒール見ませんでした?エナメルの赤いやつ。今日来たときにちゃんとここにしまったんですけど・・」「ちょっと待っとってね、ボーイの拓ちゃんに聞いてみるけん。」「すいません・・」 数分後、ボーイの拓が店の裏にあるゴミ捨て場から千尋の靴を見つけた。中敷も、本体もぼろぼろにされ、9センチもあったヒールは誰かによって乱暴に潰されていた。「陰湿な嫌がらせやね。奈美のやつ、いくらあんたが目障りでもこんなこと・・」「大丈夫です。気にしとりません。それじゃぁ、お疲れ様でした。」千尋は替えの靴を履くと、店から出て行った。あのハイヒールは一番のお気に入りだったが、靴なんてまた買えばいい。夜の喧騒が過ぎ、早朝の静寂に包まれた中州を歩きながら、千尋は自宅マンションに戻るとシャワーを浴びて寝た。 チャイムの音が鳴って千尋が目を覚ましたのは、昼の1時を回った頃だった。(こんな時間に誰?)眠い目を擦りながら寝室から出てインターホンを覗くと、そこには意外な人物が立っていた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月16日
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歳三と久しぶりに共に過ごせて嬉しかったが、今度の連休に彼と東京に行けるかどうかわからなかった。GWは何処もかきいれどきだが、それは水商売も同じだった。 千尋のバイト先であるクラブ『アゲハ』は年中無休な為、クリスマスや年末年始、GW関係なく営業しており、ホステス達は休みなど滅多に取れなかった。東京で何日間歳三が滞在するかはわからないが、出来れば数日間は休みを取りたい。(ママは、許してくれるやろか?)通っている美容院で髪をセットしてもらいながら、千尋は深い溜息を吐いた。「どうしたと?何か嫌なことでもあったと?」「まぁね。客商売やっとるとね・・」「それ解る~、何処にでも嫌な客はおるけん、気にせんでよかよ。」美容師はそう言って励ますかのように千尋の肩を優しく叩いた。「そろそろ出勤時間やけん、行くね。」「気をつけてな。」 千尋が美容院から出て、『アゲハ』へと向かっている途中、誰かにコートの裾を掴まれた。「岡崎さん、岡崎さんよね?」舌打ちしながら千尋が振り向くと、そこには弥生が立っていた。「あなた、こんなところで何してるの?」「・・先生こそ、こんな場所で何を?」「そ、それは・・」「すいません、急いでいるんで。」千尋はそう言って弥生の腕を振りほどくと、背後で喚いている彼女を無視してエレベーターへと乗り込んだ。「あら、誰かと思うたら千尋やないの。」 彼女が更衣室でドレスに着替えていると、先輩格のホステス・奈美が声をかけてきた。「こんばんは、奈美さん。」「さっきエレベーターの前で女と言い争っとったろ?誰ね?」「さぁ、知りません。ライバル店のホステスでしょう。」「あんたは敵が多いけんねぇ。そん綺麗な顔傷つけられんようにせんとね。」奈美はそっと千尋の頬を紅いマニキュアで彩った手で擦ると、更衣室から出て行った。「ママ、ちょっとよろしいですか?」「何ね千尋、どうしたと?」「すいません、数日間休みを取りたいんですが・・」「わかった。ちょうどうちも連休中に予定があるけん、店を閉めるんよ。いつもこき使って済まんね。」「いいえ。ありがとうございます。」 ママと話した後、千尋はホールへと向かい、アヤメのヘルプについた。「さっきママと何話しとったと?」「連休中に休み取るって伝えてきたんです。」「旅行ね、羨ましか~、うちなんて旅行は全然しとらん。」「うちもですよ~」千尋がアヤメと一緒になって客を盛り上げてると、店に一人の客がやってきた。「千尋ちゃん、あの人が指名して来ました。」「あ、はい・・」「あんたにお客さん?珍しかね。」「ええ、それじゃ失礼しますね。」千尋がさっと客がいるテーブルへと向かうと、そこには香苗が座っていた。「こちらには何のようですか?」「あなたと話があるからよ。」「そうですか。ワインで宜しいでしょうか?」「水割りでいいわ。」千尋が水割りを作って彼女に差し出すと、香苗はそれを美味そうに飲んだ。「結構この仕事が板についているようね。」「お話とは何でしょう?まさかトシ兄ちゃ・・歳三さんのことですか?」「当たり。今朝父が、どうしても彼に会いたいって聞かなくて困ったわ。そこで、あなたにお願いしたいんだけど・・」 香苗はそう言うと、千尋の耳元で何かを囁いた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月16日
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『パパ、本当に行くの?』『わしが今まで冗談を言ったと思うか?』 香苗は正雄とともに千尋が住むマンションへと向かう途中そう正雄に尋ねると、彼は不機嫌な顔をしてそう答えた。『でも突然来られたら千尋ちゃんも迷惑でしょう?日を改めたら・・』『うるさい!』正雄の怒鳴り声に、すれ違う通行人が何事かとちらちらと彼らを見ては通りすぎていった。『パパ、大声出さないでよ。』『ここだな。』正雄が大股でマンションのエントランスへと入っていこうとしたので、香苗は慌てて彼の後を追った。 正雄は自動ドアの前に立ったが、それはいつまで経っても開かなかった。『どうして開かないんだ?』『ここのマンションは、住人以外の人は入れないのよ。』『じゃぁどうすればいいんだ!』『このインターホンで住人を呼び出すのよ。』『全く、手間のかかる・・』正雄は舌打ちしながら、千尋の部屋番号を押した。 歳三はインターホンの音で目を覚まし、二日酔いでズキズキする頭を抱えながらソファから起き上がった。床で大の字で寝ている勇を踏まぬようそっと彼がインターホンのほうへと向かうと、そこには香苗と彼女の父親が映っていた。『おい、聞いているのか!』画面越しに香苗の父親は韓国語で喚きながら画面を叩いていた。「パパ、やっぱりいきなり来たら失礼よ。出直しましょう。」香苗はそっと正雄の腕を取ると、マンションの前から去っていった。「トシ兄ちゃん、どうしたと?」浴室からバスタオルを巻いた千尋がそう言って歳三に尋ねると、彼は溜息を吐いた。「あの女が父親を連れてきたんだよ。全く、朝っぱらから迷惑なこった。」「気にせんでよか。それよりも朝ごはん作るけど、何食べたい?」「お前が作った料理だったら何でもいい。」「そう。じゃぁちょっと待っとってね。髪乾かしてくるけん。」千尋はそう言うと、浴室へと戻っていった。 20分後、ダイニングテーブルの上にはハムエッグとツナサラダ、トーストが置かれてあった。「これは美味そうだな。」「ありがとうございます。さぁ、いただいてください。」勇がトーストに齧り付くのをあきれたように横目で見ながら、歳三はハムエッグを一口食べた。「美味いな。」「ありがとう。そう言われると嬉しか。」「今日が休みでよかった。こんな時間まで寝ていたのは久しぶりだ。」 朝食を食べ終えた勇がマンションから出て行くと、部屋には千尋と歳三の二人だけとなった。「なぁ千尋、今度の連休、実家に帰ろうと思ってな。」「ふぅん。じゃぁ暫く会えんくなるね。」「いやぁ、お前の都合がよければ一緒に来ねぇか?」「え・・」歳三の言葉を聞き、千尋は頬を赤らめた。「それ、どういう意味?」「お前のこと、お袋や姉貴達も心配してるし、いろいろと今後のことを話したいし・・」「わかった、行くよ。」「そうか、ならよかった。」歳三はそう言うと、照れくさそうに頭を掻いた。「じゃぁ、気をつけて。」「ああ、また来るから。」 玄関先で歳三と別れた千尋はドアを閉めるなり、深い溜息を吐いた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月16日
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岡崎家では、隼人が母・清子の部屋で法事のことを話していた。『香苗さんは嫁としての務めを果たしてないね。昨年も、一昨年も、法事の準備もしないし墓参りもしない・・』『母さん(オンマ)、彼女だって二人の子どもを抱えて忙しいんだ。』隼人がそう香苗の肩を持つかのような発言をすると、清子は「アイゴー」と大袈裟に叫んだ。『お前はそれでも長男かい?嫁の言いなりになるだなんて、家長となる者が情けない。天国の父さんがこれを見たらどう思うかねぇ。』『母さん・・』『隼人、お前だけが頼りなんだよ。お前の為にわたしは身を粉にして働いて、貧しい生まれでも馬鹿にされないようにお前を大学にまで行かせた。お前の代で鄭家(チョンけ)の血が途絶えてしまうようなことがあったら、母さんは死に切れないよ。』『心配しなくても大丈夫だよ、母さん。』清子と話した後、隼人は溜息を吐きながら香苗の寝室へと入った。『お義母様とまた法事のことを話していたのね?』香苗はそう言うと、美白パックをつけた顔を夫に向けた。『なぁ香苗、母さんの気持ちも少しは汲んでくれよ。』『あなたはいつもお義母様ばかりね。その所為で嫁の私がどんな扱いを受けているか知っているの?子ども達にはわたしのような目には遭って欲しくないわ。』『とにかく、祭壇と料理の準備くらいしてくれよ、頼むから。』『家政婦のおばさん(アジュンマ)にやらせるわ。わたしは忙しいのよ。』(全く、母さんと香苗の間で板ばさみになって、どうすればいいんだ・・)隼人はどこにぶつければいいのかわからない気持ちを抱えながら、キッチンへと向かった。 冷蔵庫から冷えたワインを取り出してそのコルクを開け、グラスにそれを注いで一気に飲み干した。「パパ、何してるの?」ふと暗闇の中から声がして隼人が振り向くと、そこには長女の英美理(エミリ)が立っていた。「何でもない、さっさと部屋に戻りなさい。」「お酒飲んでるの?」「うるさい、俺に指図するな!」ついイライラして英美理に怒鳴ると、香苗の父・正雄が出てきた。『こんな夜中に飲んだくれて、一体何様のつもりだ!』『飲まずにいられませんよ、お義父(とう)さん!』『娘の前で、みっともない!』『僕のことは放っておいてくださいよ!』正雄は溜息を吐くと、英美理とともにキッチンから出て行った。 翌朝、香苗が見たものは、キッチンで泥酔し、何本か開けたワインの瓶を床に転がして寝ている夫の姿だった。『あなた、起きてよ!』『放っておけ、そいつのことは。法事の準備は家政婦に任せておけ。』『わかったわ、パパ。』香苗は舌打ちすると、娘達を学校に送る為に正雄とともに家を出た。『法事の準備をお願いね。』『わかりました、若奥様。』香苗達が玄関から出て行った後、通いの家政婦がキッチンへと入ると、泥酔した隼人が唸っていた。『全く、この人が次の家長になれるのかしら?』彼女は転がった酒瓶を片付け、隼人を適当な場所に寝かせると、法事の準備を始めた。「ママ、行ってきます~!」「気をつけてね。」娘達を学校へと送った後、香苗は正雄と遅めの朝食を取った。『香苗、隼人の息子に会わせろ。』『そんな・・パパ、いきなりじゃ・・』『いいから会わせろ!』正雄がテーブルを拳で叩くと、周囲の客が一斉に彼らの方を見た。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月13日
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歳三と千尋がマンションから出て、近くの大型レンタルビデオショップへと向かったのは、夜の9時過ぎだった。「これまだ観とらんよ。」「じゃぁこれにするか?」千尋が手に取ったのは、去年封切されて大ヒットを記録した恋愛映画のDVDだった。「今日は安い日でよかったな。」「うん。ついでにこの前借りとった韓国ドラマのDVDも返せたし。」「韓国ドラマ?沢山あって全部同じに見えるぜ、俺ぁ。」「全然観とらんけん、そげな事言えるんよ。」千尋はそう言うと歳三の腕を引っ張り、韓流コーナーへと向かった。そこには、雑誌やテレビで見たことがあるドラマのDVDが並んでいた。「うちが観とうのはこれ。ここまで観るの長かった。」千尋はさっと、先ほど返却したドラマのDVDが置いてある棚から数枚DVDを抜き取った。そのドラマは夫と親友に裏切られ、妊娠していたもののお腹の子を彼らに殺され、復讐の鬼となる主人公と彼らが織り成す愛憎劇だった。「お前、こんなもん観てるのか?」「まぁ、一度観たらやめられんのよ。うちはもう選んだけん、トシ兄ちゃんも何か選んだら?」「お、おう・・」歳三は千尋にそう言われ、店内をウロウロした。(選べって言われてもなぁ・・観るもんないし。)歳三が溜息をつきながら千尋を探そうとしたとき、誰かに肩を叩かれた。「トシ、トシじゃないか!」「勇か!?どうして福岡に?」「仕事の都合でこっちに転勤になってなぁ。とはいっても単身赴任だが。これから一緒に飲みに・・」「近藤さん、お久しぶりやね。」金髪をなびかせ、千尋が歳三と勇の前に現れた。「千尋ちゃん、綺麗になったな。」「勇さんこそ、結婚されたと聞きましたよ?」「ああ、娘が生まれてなぁ。かみさんと赤ん坊の娘を東京に残してこっちに来るのは気が引けたが、社長命令とあってはなぁ・・」「そうだ、これからDVD鑑賞大会開きません?うちに缶ビール余ってるし。」「そうか、じゃぁお言葉に甘えてお邪魔するとしよう。」 レンタルビデオショップで勇と意気投合し、三人は千尋のマンションでDVDを鑑賞しながらビールを飲んだ。「畜生、そこで抱きしめんか!」「勇さん、声大きい。それにしてもこの男、好かんわぁ。昔の女が泣きついてきたからって、騙されとるのがわからんって・・」「同感だなぁ。妊娠したってのも嘘だな、ありゃ。」歳三と千尋がヒロイン寄りの意見であるのに対し、勇はヒロインの恋人の肩を最後まで持っていた。「彼にはいろいろと事情があるんだ!」「勇さん、そう熱くならんでもよか。」DVDデッキから映画のDVDを取り出すと、千尋は韓国ドラマのDVDを代わりに中に入れた。「こいつは酷いなぁ。主人公が復讐したい気がわかる。大体、親友だった女も女だ!」「何だよこの婆、あれ本当に金持ちの奥様か?」「さぁどうだか。」結局、DVD鑑賞大会が終わったのは夜中の2時頃だった。「千尋君、済まないな。」「今日は泊まっていってください、二人とも。うちがシャワー浴びとる内に、男同士腹を割って話してください。」千尋は笑顔で歳三たちに言うと、浴室へと消えた。「千尋ちゃんはいい子に育ったなぁ。美人で気立てもいいし。うちのかみさんには負けるがな。」「ったく、さっきからそればっかりだな。かみさんにベタ惚れしてるのはもう充分に解ったから、別の話をしろよ。」「そう言うなよ、トシ。お前もそろそろ結婚しないと・・」「ああもう、うるせぇ!」歳三はビールのプルタブを開けると、それを一気に飲み干した。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月13日
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「・・千尋ちゃん、出ないわねぇ、一体どうしたのかしら?」中洲スナック『アクア』で、ママの直美がそう言って携帯を閉じた。「誰かと会うとるんやろ。あいつのことは気にするな。」「そうやねぇ・・」直美は携帯をバッグの中にしまうと、工藤にしなだれかかった。「ねぇ、これからどうすると?隼人さんに千尋ちゃんを見張れ言われても、四六時中見張っとらんわけにはいかんし・・」「隼人さんはあの子に執着しとるからなぁ。まぁ、実の息子の女を横からかすめ盗りたいんやろう。直美、ウィスキーくれ。」「はぁい。」直美は近くのボーイを呼び止め、ウィスキーを頼んだ。「千尋ちゃんも大変やねぇ、あんな人の養女になって。」「大変なのは俺も一緒たい。一日中働き詰めで、ようお前の所にも来れんし。」「ま、たまには遊びに来て。待っとるけん。」「じゃぁ俺行くけん、飲み代はつけとんてくれんね。」「わかった。」 直美の店から出て行き、工藤は近くの屋台に入った。「兄ちゃん、儲けとると?」「あんまり儲けとらん。このごろ不景気やから、そのあおりをもろに受けとる。兄ちゃんはどうね?」「俺も同じようなもんたい。カタギに戻ったがあんまり羽振りは良くなか。」屋台の店主と話をしながら、工藤はちびちびと酒を飲んだ。「ねぇ、うちの料理どうやった?」「美味かったぜ。」「そう。」 一方千尋は、歳三が自分の料理を一口残さずに平らげたことに満足していた。「男の心と胃袋を掴まんとね。まぁ、あの雌犬には出来んことよ。」「お前なぁ・・さっきから辛らつだよなぁ。」「だってあの女、トシ兄ちゃんをうちから奪おうとしとるもん。気に入らんと。」千尋はそう言うと、ビールを一口飲んだ。「ねぇそれよりトシ兄ちゃん、実家には戻っとうと?」「戻りたいのは山々なんだが、仕事の忙しさを口実に帰ってねぇんだよ。理由は解るだろ?」歳三がそう言うと、千尋はくすくすと笑った。「小母さんも早く孫抱きたいんよ。」「孫なんか姉貴たちがいくらでも抱かせてくれるからいいだろうが。それよりも千尋、あいつと会ったか?」「あいつって?」「生物学的には俺の父親だった奴だよ。」千尋は歳三に、隼人の養女となったことをまだ伝えていなかった。「ううん。会っとらんよ。」「そうか。」「何かあったと?」「いや・・あいつからこの前電話があってさ。とっくに縁が切れたってのに、“まだ家を継ぐ気はあるか”って聞いてきやがるんだ。そんなに息子が欲しいのかねぇ?」「まぁ、あの人娘ばかり居て、その所為で母親からせっつかれとうのよ。」「やけに詳しいな、お前?」「噂で聞いたんよ。バイト先のママさん、情報通やから。」慌てて千尋はそう言って誤魔化したが、歳三は彼女の様子が少しおかしいことに気づいた。「ねぇ、これからどうすると?何か映画のDVDでも借りて観る?」「いいな。皿洗ってから行こうぜ。」「うん!」(何かこうしてると新婚夫婦みたい・・) シンクで並んで皿を洗いながら、千尋はそう思いふふっと笑った。「どうした?」「別に、何でもなか。」「今日はいろいろと変だな、お前。」「そう?」(そうしとるのはトシ兄ちゃんよ。)千尋はそう、心の中で呟いた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月13日
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「じゃぁ千尋、またね~」「うん、明日ね~」 放課後、千尋は学校を出ると、夕食の食材を買いにスーパーへと向かった。「トシ兄ちゃん、お肉好きかなぁ?」精肉コーナーで良いお肉がないか千尋が選んでいた時、隼人の母・清子が向こうからやってくるところだった。「あら、千尋ちゃんじゃないの?」「お久しぶりです、清子さん。」まさかこんな場所で彼女と会うとは、思いもしなかった。「あら、お肉でも買って・・誰かと食事でもするの?」「ええ。友人と。」「そう。じゃぁね。」清子はそう言ってカートを押しながら自分の前から去っていくのを見た千尋は、安堵の溜息を吐いた。 もし歳三と一緒に買い物に来ているところを彼女に見られたら、真っ先に清子は隼人に報告することだろう。それほど、清子と隼人の親子関係は異常なほど仲が良い。だから香苗は、隼人と結婚して姑である清子と対立していて、実家に帰ってばかりいて彼女と顔を合わせない。その原因は、夫婦の性生活への清子の執拗な干渉にあった。「女ばかり産んで恥ずかしくないのかい?さっさと男を産んでこの家を支えておくれ!」清子は香苗と顔を合わせる度に挨拶代わりにそんな嫌味を言うものだから、香苗はヒステリーを起こして清子に反論し、互いに口汚く罵りあうというのが岡崎家の日常だった。「あなたのお義母様には我慢できないわ!自分は息子を一人しか生まなかった癖に一体何様のつもりなの!?」「母さんを余り責めないでくれ。母さんだって婚家で散々苦労してきたんだ。君に辛く当たるのはその所為だよ。」「そうだといっても、普通は若い頃に姑にいじめられたから反面教師としてそうしないんじゃないの?なのにあなたのお義母様ときたら・・」『母さんの悪口をそれ以上言うな!誰のお蔭で飯が食えると思ってるんだ!』 夜中に突然、隼人が大声で怒鳴ったので、千尋は恐怖の余り失禁しそうになった。『何よ、事実じゃない!』『一体君は何が不満なんだ!子ども達には贅沢な生活を送らせているだろう!』『そんなに怒鳴らなくてもいいじゃない!』二人の怒鳴りあいはヒートアップし、時に深夜まで及ぶことがあった。話の内容は韓国語で、何をしゃべっているのかわからずじまいだったが、いつの間にか香苗は清子の家を訪れたり、電話を毎日かけたりすることはなくなった。(隼人さん、今日は来ないといいけど・・)ふとわれに返り、千尋はさっさと買い物を済ませてスーパーから出て行った。マンションまでは歩いて数分位の距離があり、歩きながら千尋は歳三に電話をかけた。「もしもし、今帰るとこ。トシ兄ちゃんは?」『俺もそっちに向かうところだよ。』「そう。今夜はステーキにするけん、待っとってね。」鼻声を歌いながら千尋がマンションのエントランスで部屋番号を押して中に入ると、携帯が鳴った。(誰からやろか?)液晶には、「非通知」と表示されていた。暫く携帯は鳴り続けていたが、エレベーターに乗り込んで部屋がある階数に着くまでには鳴り止んだ。 気味が悪くて、千尋は携帯の電源を切った。「これでよし、と・・」ステーキを焼き終えた千尋は味見をした後、歳三に連絡しようと携帯の電源を入れた。「もしもし、トシ兄ちゃん?今何処?」『今エントランスの前。』「わかった。」 インターホンの画面が映り、歳三が所在なさげに突っ立っているのを見た千尋は、苦笑しながら鍵を解除した。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月13日
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「先生、どうしたと?」「あ、あら岡崎さん、あなたも居たのね。」千尋が歳三の肩先から顔を覗かせると、弥生はあからさまに不快な表情を浮かばせた。「土方先生とお昼食べよったと。先生もどうですか、サンドイッチ?」バスケットの中からこれみよがしにサンドイッチを取り出した千尋は、勝ち誇ったかのような笑みを口元に浮かべながら弥生を見た。「今はダイエット中なの。」「そうですか、それは残念ですね。じゃぁ後ろのお弁当は要りませんよね?」千尋はそう言って、さっと弥生が背中に隠していた弁当箱を奪った。「な、何するの岡崎さん、返しなさい!」「こんな豪華なお重箱、全部食べたら太っちゃいますよ?ダイエット中なんでしょう?」弥生の言葉尻を捉え、それをあげつらうかのような口調で彼女をからかうと、彼女はカッと怒りで顔を赤く染めた。「あなたには関係ないでしょう!」「先生、少しお話が・・」屋上のドアが開き、野球部のキャプテン・山本が入ってきた。「どうしたの山本君?」「いや、本日の練習について・・」「そんな事、あとで聞くわ!」弥生は野球部の顧問であるが、部活については全く関心がなく、練習メニューや部員達との間に起こる諍いの収拾等煩雑なことは、全て山本に丸投げしていた。「先生、山本君困ってるじゃないですか?こんなところで油売らずにさっさとグラウンドに行けばよろしいのでは?」「で、でも・・」「ああ、そうだ!山本君、これ先生からの差し入れ。いつも迷惑掛けとるからそのお礼にって。」間髪入れずに千尋はさっと山本に弁当箱を手渡すと、弥生はじろりと千尋をにらみつけたが、無視した。「ありがとうございます!」「わ、わたしはそんなつもりじゃ・・」弥生を厄介払いできたので、千尋はくるりと彼らに背を向けると、歳三の元へと戻った。「先生、ケチャップついてますよ?」「え、何処だ?」「ここですよ。」唇の左端についたケチャップを、千尋はそう言うと舌で舐め取った。「岡崎さん、あなた・・」「先生、また居たんですか?山本君と一緒に行かないんですか?」「もういい!」ヒステリックに叫んだ弥生は、もうこの場に一秒たりとも居たくないというように、屋上から出て行った。その後を慌てて山本が弁当箱を抱えながら追いかけていった。「あの女、ここをキャバクラと思うとると?行かず後家になろうとしてるくせに、発情期の雌犬のように盛って、みっともなか。」「千尋、言いすぎだろ。」「うち、嘘は吐いとらんよ?」毒を含んだ言葉を平気で吐く千尋に、歳三は絶句した。自分と離れている間に、彼女は逞しく成長したようだ。「まぁあの女、今頃地団駄踏んどろうね。職場に出逢いを求めて派手な格好しとるけん、誰も寄り付かんたい。」千尋はバスケットの隣に置いてある鞄から、一冊の手帳を取り出した。それは彼女には余り似合っていない、どちらかというとビジネスマン向けのシックな黒革のものだった。「どうした、それ?」「ああ、仕事道具よ。職業柄情報収集は重要やから、ここに顧客情報を書き込んどると。」 千尋はそう言うと、手帳を広げた。「見てもいいか?」「いくらトシ兄ちゃんでも、客の個人情報は見せられんよ。ねぇトシ兄ちゃん、今夜うちの部屋に来てくれん?」「いいよ。」千尋は嬉しそうに笑うと、歳三に抱きついた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月13日
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転校生・沖田総司が福岡にやってきたのは、父親の仕事の都合でこちらにある九州支社に転勤になったからだった。 東京の学校には多数友人が居たし、もう高校生なのだから家族で引っ越すなどせずに父親だけが単身赴任すればいい話だと、父親が転勤の話を持ち出した時に総司は抗議したが、彼は“もう決めたことだ”と言うだけだった。『単身赴任した方がいいじゃない。もう子ども達は大きくなったし、わたしだってこれから転勤先でまたご近所付き合いするなんて、憂鬱だわ。』『そうよお父さん、わたしやきんちゃんは結婚しているけど、総ちゃんを連れて行くことないでしょう?この子だっていろいろあるのに。』母親と既に結婚し独立している二人の姉達が父に抗議したが、彼の決定を覆せなかった。『お前達は何もわかってない。家族の絆が大事なんだ。』父親は一度決めたことは、たとえどんなことがあっても変えない頑固なところがあった。 こうして総司は両親とともに、住み慣れた東京から福岡へと引っ越すことになったのである。ただ空気が良いだけの、周りを田んぼに囲まれたド田舎に住むのかと思っていたが、引越し先は東京と何ら変わらない大都会・福岡市だった。ここでの生活があまり悪くないことに総司が気づき始めたのは、引っ越してきて二週間余りのことだった。 ここは東京とは違い、わざわざ電車を乗り継いで欲しい物を買い歩いたりする手間が無い。欲しいものは全て天神で揃っているし、映画だってシネコンが何軒かある。道行く人々のファッションも皆垢抜けていて、耳に入る言葉が標準語から博多弁になっただけで、何ら変わりは無い。 あれほど引越しに反対していた母親も、すぐさまご近所さんと仲良くなり、カルチャースクールでパソコンやフラメンコ、社交ダンスの講習に通いだして第二の青春を満喫している。その青春真っ只中の総司が、この矢崎高校に転校してきたのは、GW前のことだった。 その頃には既に新学期から出来たグループがあり、既に空きがない状態だったため、総司はクラスで孤立することになってしまった。余り集団でわいわいと騒ぐのが好きではないため、一人になることは苦にならない。読書に没頭できるし、昼食もだらだらと無駄に他愛のない話をすることもない。実に合理的でシンプルではないか。総司がそんな事を思いながら一人の時間を満喫していると、同じクラスの山田が話しかけてきた。「ねぇ沖田君、生徒会に入らない?前の学校では、成績トップだったんでしょう?」「それがどうしたの?別に生徒会なんて興味ないし、もうじき卒業なのに何かする必要でもあるわけ?」総司はつれなくそう山田に返事をすると、彼は残念そうな顔をして自分の席へと戻っていった。 昼休みのチャイムが鳴り、仲良しグループがそれぞれ弁当を囲んで食べている中、千尋は教室の何処にも居なかった。何故彼女が気になってしまうのか解らないが、総司はさっさと昼食を済ませようと思い、鞄から弁当を取り出し弁当箱の蓋を開けた。 一方屋上では、千尋と歳三がサンドイッチを食べていた。「どう、美味しい?」「ああ、美味ぇ。朝抜かしたから助かったよ。」「そう。」歳三に褒められ、千尋は嬉しそうに笑った。「あら土方先生、こちらにいらしたんですか?」急に背後で声がして二人が振り向くと、そこには音楽担当の野崎弥生が立っていた。モデルのような均整のとれた容姿に、胸元が大きく開いた赤のワンピースを纏い、ヒールがある室内履きを鳴らしながら、彼女は歳三に媚を売るような視線を送ってきた。「ええ。野崎先生、何か?」「いえ、珍しいなぁって思って。」 そう言ってしなを作った彼女が背中に弁当を隠しているのを、千尋は見逃さなかった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月13日
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「ねぇトシ兄ちゃん、お昼一緒に食べん?サンドイッチ作ってきたと。」「サンキュ。昼休み、屋上でもいいか?」「いいよ。じゃぁまた後でね。」下足箱で千尋は歳三と別れ、教室に入った。「千尋、久しぶり~!」教室に入るなり、香織が抱きついてきた。「香織、おはよう。」「ねぇ千尋、さっき土方先生と歩いとったやろ?いつから付き合っとうと?」「もう、そげな事ないけん・・」「そんなに否定するなんて、怪しか~!」香織と千尋が話していると、不意に千尋は視線を感じて振り向くと、そこにはブルネットの髪をした男子生徒がじっと自分を見つめていた。「香織、あの子誰ね?」「ああ、あの子?沖田君って言うて、東京から来たと。勉強もスポーツも出来るし、結構人気者なんよ。」「へぇ、そう・・」「何ね千尋、土方先生と沖田君が気になると?」「そんな事なか。それよりも香織、今日何か提出物ある?」「何もなかよ。最近担任があんた結構休むって文句言うとったよ。」夜の仕事で昼夜逆転生活を送っている千尋は、しばしば遅刻・欠席をしたりして担任からたびたび注意されていた。試験はちゃんと受けているし、勉強もしているのだが、出席日数が足りなくなると卒業も危ういかもしれない。「岡崎さん、こんなところにおったと?」教室に顔を出したのは、養護教諭の奥澤だった。丸顔に眼鏡をかけ、長い髪を結い上げている彼女を、香織達は密かにある児童文学に出てくる悪役“ミンチン先生”と呼んでいた。「何でしょうか?」「担任の先生が呼んどるよ。早う職員室に行きんしゃい。」奥澤はそう言った後、さっさと教室から出て行った。「またあいつから小言食らうね、千尋。」「いつものことやけん、気にしとらんもん。」千尋がそう言って職員室へと向かった後、男子生徒は読んでいた文庫本から顔を上げた。「岡崎、何で毎日学校に行かんとか?卒業が迫っとるというのに、まだ進路も決めとらんし、自覚が足らんぞ。」 案の定、千尋が職員室に行くなり、担任の西条から小言を食らった。「すいません、気をつけます。」「どこまで気をつけとるのか解らんたい。さっさと教室に戻れ。」「はぁい。」千尋は職員室から出ようとしたとき、歳三と目が合った。彼は心配そうに自分を見てきたので、千尋は大丈夫だと彼にウィンクした。「岡崎さん!」「何ね?」教室へと戻ろうとした千尋は突然呼び止められて振り向くと、そこには同じクラスの山田が立っていた。 山田は成績優秀で顔もいいので、クラス内では人気者グループに属してはいるものの、引っ込み思案な性格が災いしているのか、彼女ができたためしがない。「何か用ね?」「あの、実は・・会長が岡崎さんの事呼んどる。」「生徒会長って、あの赤城が?」千尋がそう言うと、山田は静かに頷いた。「うちは忙しくてあんたには構ってられんと。」背後で山田が何かを必死に叫んでいるのを無視して千尋が教室に戻ると、香織と絵里菜がやって来た。「また小言食らったと?」「うん。あいつ、説教臭くて好かん。」「どうせ来年の3月には退職するけん、そん時までの辛抱たい。」絵里菜はそう言いながらピアスを揺らした。「それ可愛いか、どこで買ったと?」「天神に新しい店が出来たと?今度一緒に行かん?」「行く行く!」楽しそうに話す千尋達を、件の転校生はじっとその様子を眺めていた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月13日
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「は、隼人さん・・」「千尋ちゃん、昨夜あいつとラブホに行ったんだってね?」「はい、行きました。けど、トシ兄ちゃんはわたしを・・」「そう、それなら安心した。」隼人はそう言って、千尋から離れた。「歳三とセックスして妊娠したら困るからね。忘れちゃいけないよ千尋ちゃん、君はわたしの子を産む為に、君を養女にしたんだからね。」まるで歌うかのようにそんな言葉を口から紡ぐ隼人の紫紺の瞳は何処か嬉しそうだった。「コーヒー冷めないうちに飲まないとね。これを食べたら学校に行くんだよ?」「解りました。」ドーナツを千尋が一口食べると、隼人はにっこりと彼女に微笑んだ。「じゃぁ千尋ちゃん、また来るからね。」「はい、さようなら。」隼人が部屋から出て行った後、千尋は溜息を吐いた。 13のときに彼の養女となってから2年が経ったが、彼が自分を養女にした理由が、“自分との間に子を生ませること”だったことを知ったのは、中3のクリスマスの夜だった。その日家には彼の妻である香苗と子ども達は実家に帰っていて、隼人と二人きりだった。『ねぇ千尋ちゃん、セックスしようか?』『え・・?』思わず隼人の顔を見ると、彼は笑った。『もう処女じゃないんだからいいでしょ?』あっという間に隼人は千尋のパジャマを脱がして全裸にさせると、彼女の膣に顔を埋めた。『いや、やめて・・』『千尋ちゃん、わたしが本当のセックスを教えてあげるよ。』隼人に愛撫され、千尋は潮を吹いて達した。『最高だったよ、千尋ちゃん。これからも宜しくね。』ベッドの中で隼人はそう言って千尋に微笑むと、彼女の髪を撫でた。それから、彼との歪んだ関係が始まった。香苗は夫と義理の娘の関係を知っていたが、黙認していた。彼女は二人のことよりも、隼人との間に生まれた二人の子ども達に手をかけていた。ピアノや英会話、水泳、乗馬などを彼らに習わせ、レッスンの度に彼らに付き添った。 隼人は千尋を溺愛し、高校進学資金を出してくれ、こんな豪華なマンションに住ませてくれたのも彼のお蔭だ。だからといって、彼の言いなりになるつもりはなかった。 シャワーを浴びて制服に着替えて化粧を済ませると、千尋は歳三にメールを打った。『今家から出るとこ。何処におると?』高校へと向かうバスの中で、メールの着信があった。『今バスの中。』千尋が周囲を見渡すと、バスの後部座席に歳三が座っていた。「トシ兄ちゃん、おはよう。」「千尋、おはよう。昨夜酔っ払ってたようだけど、大丈夫だったか?」「うん。トシ兄ちゃん、疲れとるね。」そう言って千尋が心配そうに歳三を見ると、彼は溜息を吐いた。「いろいろと忙しくてな。それよりもお前、何処で降りるんだ?」「矢崎高校前やけど、もしかしてトシ兄ちゃんも?」「ああ。」 歳三の勤務先が自分の通っている高校と同じだということに千尋は気づき、嬉しくなった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月13日
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「工藤さん、今日は遅いけん来んと思いましたよ。」男とともにエレベーターの中へと入ると、千尋は彼を見た。「お前が逃げ出さんよう、あの人から見張っとけ言われたからな。千尋、さっき男とホテルの前で別れとったが、あいつは誰ね?」「さぁ、知らん人です。」千尋は部屋に入って冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、それをダイニングテーブルの前に置いた。「あの人の息子によう似とったな。確か、歳三とか言うたか。」男―工藤はそう言うと煙草を吸った。「つまみでも作りましょうか?」「ビールだけでよか。千尋、あの人はお前のこと見張っとること、忘れんようにな。」工藤は千尋の肩を叩くと、リビングから出て行った。彼が出て行った後、千尋は缶ビールのプルタブを引っ張り、それを一口飲んだ。アルコールの苦味が、口全体に広がった。 飲み終わったビールを片付けた千尋は、浴室へと向かった。頭から冷たいシャワーを浴びていると、急に歳三のことが恋しくなった。(トシ兄ちゃん・・) 中学の頃互いの想いを確かめ合った彼は、素敵な大人の男に成長していた。彼が店に来たとき、千尋は彼だと一目でわかった。雪のように白い肌、黒檀のような艶やかな黒髪、紅を引いたかのような唇、そして若草色の澄んだ瞳。 背は中学時代から少し伸びていて、黒のスーツが良く似合っていたし、女性にも相変わらずモテているようで、アヤメはあのオッサンのご機嫌取りをしながらもちらちらと歳三のほうを見ていたし、同僚達も彼に目配せしていた。そんな彼が未だに独身を貫いていることを知り、千尋は驚いた。(トシ兄ちゃんなら、素敵な人なんてすぐに見つかるやろうに・・)“俺はお前以外の女とは結婚したくない。”そう彼から告げられたとき、天にも昇るような気持ちだった。まさか彼に、そんな事を言われるとは思ってもみなかった。こんなに穢れ切ってしまった自分に、歳三は優しい言葉を掛けてくれた。もしタイムマシンがあるとしたら、穢れる前の自分に戻りたい。身も心も引き裂かれた、あの悪夢より以前の自分に。(トシ兄ちゃん、ごめんね・・黙って姿を消してごめんね・・)千尋は浴室から出てタオルで身体を拭いてドライヤーで髪を乾かすと、寝室に入った。鏡台の近くには、ジュエリーボックスがあった。その引き出しを開け、千尋はあのペンダントを取り出した。歳三には失くしたなんて嘘を吐いたが、本当はちゃんと取っておいた。このペンダントは、歳三が自分に贈ってくれた最高のプレゼントだから。「おやすみ、トシ兄ちゃん。」テディベアに口付けてそう言った千尋は眠りに就いた。 チャイムの音で目が覚めたのは、朝の6時半頃だった。「どちら様?」インターホンの画面を寝ぼけ眼で覗き込んでいると、そこには隼人の姿があった。『千尋ちゃん、久しぶりだね。』「隼人さん・・」『千尋ちゃんが好きそうなドーナツ買ってきたんだ。一緒に食べよう?』「解りました、今開けますね・・」千尋はインターホンの画面の右下にある「解除」ボタンを押した。「まだお昼食べてないでしょ?」「はい・・コーヒー、煎れますね。」「すまないね。ねぇ千尋ちゃん、昨夜歳三と会ってたって本当?」隼人の言葉に、コーヒーをマグカップに淹れる千尋の手が震えた。「隼人さん・・」「言った筈だよ、千尋ちゃん。僕の世話になる代わりに、歳三とはもう会わないって。誰のお蔭でこんないいマンションに住めると思ってるの?」 そう言って千尋の顔を覗き込んだ隼人は、冷酷な表情を浮かべていた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月13日
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「ねぇ、抱いて・・」千尋はそう言うと、歳三をベッドの上に押し倒した。「お願い、抱いて。トシ兄ちゃんの赤ちゃん、早く産みたか。」「千尋・・どうしたんだ?」「もうあの人に縛られたくないんよ!」悲痛な叫びを上げる千尋の姿に、歳三は怪訝そうな顔をした。「“あの人”って誰のことだ、千尋?」「それは、言いたくない。ねぇ、うちを抱くの?抱かんの?」「千尋、今は抱けない。」歳三がそう言うと、千尋はチャイナドレスの裾を捲り上げて彼に陰部を見せた。「ねぇ、抱かんのならうちの事気持ちよくして。」歳三は千尋の陰部を舐めると、彼女は喘いだ。そっと彼が指を彼女の膣に挿れて掻き混ぜると、千尋の美しく整えられた眉が歪んだ。「どうした?もうイキそうか?」「まだ足りん。」千尋は歳三に馬乗りになると、自分の陰部を彼のものに押し付け大きく腰を前後に揺らした。「トシ兄ちゃん・・兄ちゃん・・」陰部からはズチュッという水音が立ち、歳三と千尋は自然と互いに舌を絡ませ合っていた。「千尋・・」「兄ちゃん~!」千尋はびくりと大きく弓なりに身体を震わせると、歳三の背中に爪を立てて果てた。「千尋、今まで何処で何してたんだ?どうしてキャバクラで働いてんだ?」「トシ兄ちゃん、今まで心配掛けとってごめんね。キャバクラで働いてるのは学費を稼いどうと。」「伯母さん達の家から出たのはどうしてだ?」「それは、言いたくなか。それはいつか話すけん、勘弁して。」千尋はそう言うとバッグからマイルドセブンの箱とライターを取り出し、箱から一本煙草を口に咥えてライターに火をつけた。「いつから吸ってんだ?」「中学卒業した頃から。酒もそのときから飲み始めたんよ。」ラブホテルのどぎついライトに、千尋の裸の胸が照らされた。「なぁ千尋、あのペンダントどうした?俺が中坊の頃お前ぇにプレゼントしたテディベアのやつ。」「あれ、どこかに行ってしまったと。ねぇトシ兄ちゃん、結婚しとるの?」「まだ独身だよ。母親や姉貴からはそのことについて色々と小言言われてんだよ。」「トシ兄ちゃんモテるから、すぐ結婚できるって。」「俺はお前以外の女とは結婚したくない。」歳三はそう言うと、千尋を抱き寄せた。「まだそげな昔の事、覚えとうと?」「当たり前だろ。なぁ千尋、また会わないか?」「うん・・携帯の番号とメルアド教えて。会いたかったからすぐにメール送るけん。」「ああ、待ってる。」歳三と千尋は赤外線通信で互いの番号とメールアドレスを交換し、ラブホテルを出て別れたのは夜明け前のことだった。 千尋はタクシーで自宅マンションへと向かっている間、バッグの中に入った携帯が鳴った。「もしもし?」『千尋、今家に帰っている最中だろ?』通話口から聞こえた声に、千尋は恐怖で蒼褪めた。『マンションの前で待ってるから。』「はい、わかりました・・」 千尋が自宅マンションの前でタクシーを降りると、黒服の男が彼女の前に現れた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年06月13日
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