New Worid

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第一次黄金時代と世界削除

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 ”ラテンの魔豹”

 ブルーノ・サンマルチノは1963年5月17日バディ・ロジャースを破り以来7年以上王座を守り続けてきましたが、1971年1月18日遂に王座を明け渡すことになりました。7年8ヶ月に亘る長期政権にピリオドを打った相手はイワン・コロフです。コロフはロシア系ギミックキャラを売り物にしたレスラーで、サンマルチノ同様パワー主体のタイプでした。実際にロシア人ではないのですが、当時の米ソ冷戦利用してのし上がったレスラーの1人です。サンマルチノの王座転落はファンにとってはショッキングでしたが、本人は王座にそれほど未練はなかったようです。7年以上WWWFでの主役を演じるのに心身消耗していたのでしょう。王座転落を機会に王座とは距離を置いて活動することを希望したのではないのでしょうか。こうしてサンマルチノ時代は終わったと思われました、この時点では。
 さて新王者となったイワン・コロフですが僅か21日で王座から転落します。ビンセントはサンマルチノに替わる新しいWWWFの主人公を決めていました。新しい主役の名はペドロ・モラレス。プエルトリコ出身で少年時代にニューヨークに移住しました。16歳でデビュー。ドロップキックの名手で一説にはあのジャイアント馬場さんにドロップキックを伝授したというエピソードがあるそうです。それくらいの名手だったといわれています。モラレスブレイクしたきっかけはロサンゼルスからで、見出したのはフレッド・ブラッシーです。モラレスのドロップキックをみて素質を感じたブラッシーは自身の本拠地でもあるロスに連れ帰りました。ブラッシーの目論見どおりモラレスはロスで大人気になりました。いわゆるチカノ(メキシコ系アメリカ人)が多く住むロスで同じラテン系のモラレスを支持するようになりました。そして1971年1月ビンセントはモラレスをWWWFに招聘します。サンマルチノに代わる新しい主人公として。直接サンマルチノからモラレスにではなくワンクッション置いてからという手法で。この手の王座移動劇は80年代から90年半ばまで受け継がれた伝統的な手法となりました。
 サンマルチノが東海岸に住むイタリア移民に支持されたのに対し、モラレスはプエルトリコ移民に支持されました。元々プエルトリコ出身だから当然の結果でした。そして1971年2月8日イワン・コロフを破りWWWF世界王座を獲得しました。ビンセントの目論見どおりモラレスはプエルトリコ移民のファンに熱狂的に支持されました。しかし同時に問題も発生しました。それはプエルトリコ人があまりにも熱狂しすぎて暴動騒ぎを起こしたりしたからです。プエルトリコ人というかラテン系の人たちは比較的気性が激しい人が多いのでつい行き過ぎた行動を起こしてしまうのでしょう。それでもモラレスはWWWFで長期政権を築くことになります。ちなみに70年代のWWWFではモラレスに限らず何人かのプエルトリコ系レスラーが活動していました。プエルトリコマットのボスであるカルロス・コロン(カリートの父)そしてブルーザー・ブロディ殺害犯として悪名高いホセ・ゴンザレスなど。

 ”世界削除と世紀の一戦”

 一方サンマルチノはどうしていたかというとモラレスを支持しつつ自身はのびのびと活動していたようです。主役の重圧から解放されたからでしょうが。1972年ビンセントはWWWF世界王座から”世界”を削除します。これはWWWFがNWAと和解してNWAに加盟したからです。なぜ世界を削除したかというとNWAが世界王座はNWAのみとしていたから。NWA以外は世界王座にあらず、というのがNWAの見解でした。ビンセントがこの要求を理不尽と感じていたと想像できますが、和解のため妥協したのでしょう。もっともこれで王座の価値が下落したわけでもなく、ファンは以前と変わらず支持しています。
 そして1972年9月30日ニューヨーク・シェアスタジアムでペドロ・モラレスVSブルーノ・サンマルチノの”世紀の一戦”が実現しました。当時としては画期的な対戦でベビーフェイス同士の対戦はタブーと言われていたからです。結果は引き分け。当時のニューヨークの条例によって午後11時で興行は停止しなければならないとされていたからです。今はそうではないと思いますが。ちなみに試合はなんと75分というマラソンマッチだったそうです。内容はよくわからないので想像ですが、サンマルチノがパワーで押して、モラレスが技でしのいだというとこでしょうか。リック・フレアーが自伝で語ってますがレスラーとしてはモラレスのほうが上だったといっています。カリスマ性ではサンマルチノが上ですが。
 モラレスにとってこの試合がピークでした。なぜなら皮肉にもこの試合以降モラレスの支持が下降していったからです。それはやはりファンにとってサンマルチノが自分達のヒーローだと再認識してしまったからではないのでしょうか。ビンセントは決断しました。サンマルチノに再びWWWFの主役に据えることを。そのために1973年12月1日モラレスは王座から転落することになりました。モラレスにとってこの決定は不本意だったか、あるいは重圧から解放されてほっとしたか。本人のみが知っているでしょう。ちなみにモラレスから王座を獲得したのはスタン・スタージャックというレスラーです。そのスタージャックから12月10日サンマルチノが2年11ヶ月振りに王座を奪回します。第二次サンマルチノ政権の誕生です。



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