New Worid

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王者の光と影

 1981年9月17日リック・フレアーはNWA世界王座に挑戦しました。王者はかつて憧れていたダスティ・ローデス。ディック・マードックとの”テキサス・アウトローズ”を経てシングルに転向し、”アメリカン・ドリーム”へと進化して遂にNWA世界王者となりました。当時、次期NWA世界王者候補はフレアーの他に複数いました。前王者だったハーリー・レイス、フリッツ・フォン・エリックの息子デビッド・フォン・エリック、”ミリオン・ダラーマン”に変身する以前のテッド・デビアスなど。最終的にフレアーが次期王者に相応しいと判断されました。
 しかし何故かローデスはフレアーに対し憎悪を抱きました。もちろん王座を失いたくないという気持ちは理解できます。誰だって世界王者でいたいと思います。このとき初めてフレアーとローデスの間に緊張関係が生まれました。それはNWAクロケット・プロ、WCWへと繋がっていく両者の確執の始まりでした。それはともかく試合はフレアーが勝って王座獲得に成功しました。これが通算16回世界王座を獲得したフレアーの最初の王座獲得となりました。しかし周囲は祝福ムードに程遠いものでフレアー自身試合内容に不満だったこともあり重苦しい雰囲気でした。そして王者となって生じたプレッシャー、王者として各テリトリーを回りテリトリーを盛り上げることに苦しむことになりました。これはフレアーに限らず歴代の王者は最初誰もが苦しみ、そして乗り越えなければならない試練でした。
 幸いフレアーには乗り越えるだけの資質はありました。それは60分フルタイムで戦えるスタミナとセンスが。少なくともフレアー以前の名王者は誰もが持っていました。ルー・テーズ、ドリー・ファンク・ジュニア、ジャック・ブリスコ、テリー・ファンク、ハーリー・レイスなど。
 1982年7月4日では当時WWE世界王者であったボブ・バックランドと統一戦を行いました。結果は引き分けでしたが。最初の王者時代のフレアーの試合で印象に残っているのは1983年1月に行われたブルーザー・ブロディ戦と5月に行われたジャンボ鶴田戦の2試合です。当時NWA世界王座戦は60分3本勝負で挑戦者は2本フォール、KO、ギブアップを奪わなければ王座獲得は出来ませんでした。さてブロディ戦ですが、それぞれ1本ずつ取って結局60分フルタイムドローで終わりました。結果以上にタフなブロディが疲労しまくっていたのが印象的でした。フレアー自身も結構お気に入りの試合で最初の王者時代でのベストバウトといっていい試合でした。鶴田戦ですが、60分フルタイムで戦ったあと善戦して皆に称えられてる鶴田を見ながらひっそりと去っていくフレアーの姿が印象に残っています。実は初めて私がフレアーに興味を抱いた瞬間でもあります。
 フレアーにとって最初の王者時代は非常に苦しい時期だったようです。念願である世界王者になったものの、誰も自分を祝福せず冷たい目で見られながらそれでも最高の王者になるためにもがき苦しんだ時期でした。しかしこうした試練を受けたからこそ偉大なる世界王者として称えられることになったのだと思います。



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