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2007.06.09
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2007.06.02
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2007.05.13
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2007.05.05
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2007.05.05
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2007.04.28
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2007.04.24
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2007.04.22
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2007.04.18
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2007.04.07
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2007.04.07
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2007.03.29
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2007.03.21
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福井県おおい町名田庄 苅田姫神社 「神道」という宗教は、「八百万の神」と称されるように多神教です。その起源はおそらく「先祖崇拝」であり、様々な氏族の固有の「神」を集めたものが「神道」なのかも知れません。 古事記にある神話も、編纂時の有力な氏族の神や伝承を集めて、それらをひとつの物語にしたのではないかとも思うのです。 様々な氏族や地域の伝承を織り込みながら、 系統立った物語(神話)を作ることによって、狭い土地の中で、国家としてまとまろうとした知恵ではなかったでしょうか。 そこから「和」の精神が生まれたと考えています。「和」は周囲とうまくやる知恵であり、「恨み」を残さない知恵だと思います。 そんな古代からの遺伝子を持つ私たちは、現代でも「和」を重んじ、古代人同様に「和」の乱れの犠牲になった者の怨霊を怖れます。 だから日本人社会から、「根回し」「談合」を一掃することは困難なのでしょう。 話題が「氏神さま」からそれてしまいました。 「氏神」とは読んで字のごとく、もともとは祖先を同じゅうする一族がその氏族の神を祀ったものと言われます。それが次第に、その地域の鎮守としての性格が強くなって行ったのだそうです。 同じような意味で称されるのが「産土神(うぶすなのかみ)」です。 土を産む大地や万物神が、その土地の守護神となり氏神さまと混同されて行ったと言われます。 様々な土地や国から移り住んだ人々もその土地の神を崇拝し、氏神(神社)も土地の守護神として新参者を受け入れて行ったのでしょう。 福井県おおい町 熊野神社 冒頭でも書いたように「八百万の神々」の神道は、その起源が様々な氏族の神の習合であるせいか、とても懐が深い宗教と言えるかも知れません。 明治時代までは「神仏習合」の時代が長く続いていました。安芸の宮島「厳島神社」や宗像大社の御祭神・市杵嶋姫命は弁財天と、出雲大社の大国主命は大黒さま、素盞嗚命は牛頭天王と同一神として奉られてきました。その懐の深さとは、常に新しいものを受け入れて調和する知恵を持ち しかも決してその伝統を失わない安定感でもあります。 2年ほど前から多くの神社を訪れています。 驚くことにそれらの中には、中国本土の神や朝鮮半島の神を合祀した神社も珍しくありません。 京都府南丹市美山町 菅原神社 歴史的に重要な神社や古代から格の高い神社など、現在でも有名な神社もすばらしいです。しかし山間の村や田舎町の「氏神さま」にも、すばらしい神社がたくさんあります。 社格やその規模に関係なく感じる、癒しの空間。 神聖な境内。 心落ち着く鎮守の杜。 隅々まで心を込めて掃き清められた境内には 神聖さが宿ります。 大切にされている境内は、その造りや建造年代に関係なく お社は美しく輝いています。 鎮守の杜の木々たちは、優しく語りかけてきます。 南丹市美山町・道祖神社 大切にされている神社は、神聖な空間を宿しています。 社格、祀られている神、地域、有名無名に関係なく、です。昨年秋のお彼岸に、若狭・小浜でのお墓参りの帰路、 おおい町名田庄(旧名田庄村)や美山町、園部町などの小さな神社を訪ねました。 その多くは社務所に人のいない、田舎の小さな神社でした。どの神社も神聖で清々しく、いい「気」をいただくことが出来ました。 こういった田舎の氏神さまを訪ねると、時々ご祭神はおろか神社名もわからないことがあります。 そんな時は、地元の方などにお聞きします。 神社名はみなさんお答えいただくのですが、 おもしろいことに、ご祭神をご存知でない方が少なくありません。 神社で掃除の奉仕をされていた方でさえ、 「え・・・?いや、知りません」と言われたことがあります。 氏神さまはその土地の鎮守で、「豊作を祈願する神」であり、「子宝の神」であり、「交通の神」である。市杵嶋姫命であろうが、素盞嗚命であろうが、八幡神であろうが、地域の方々にとっては氏神さまは氏神さまなのでしょう。 氏子がご祭神を知らなくても、それでもその地域の氏子さんは信者なのです。 神道はおろか、特定の宗教を持たない私が語るのもナニですが、なんとおおらかな宗教でしょう。
2007.02.18
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2007.02.17
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2007.02.12
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2007.02.11
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2007.02.03
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2007.01.21
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2007.01.20
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月讀宮(つきよみのみや) 内宮別宮・月讀宮伊勢市中村町 (地図) 伊耶那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から逃げ戻り竺紫の日向の橘の小戸の檍(あわぎ)が原で禊祓えし時、最後に生まれた「三貴神」 天照大御神 月讀尊 素盞嗚尊 「夜の国を支配せよ」と伊耶那岐命から命ぜられた月讀尊。「月を讀む」とは暦を読むことに関係しているのではないでしょうか。種蒔や収穫の時を知り、吉凶を占う神とも言われます。姉神や弟神に比べると、少々影が薄い存在ですが、古代の人々にとっては重要な神であったかも知れません。外宮にも同じ神を祀った別宮がありますが、そちらは「月夜見宮」と表記されています。 月讀宮には四宮が鎮座しています。西(向かって右)から順に1.月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)2.月讀宮3.伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)4.伊佐奈弥宮(いざなみのみや)上記2→1→3→4の順に参拝するのが一般的なのだそうです。月讀宮が一回り大きく造られています。 ワレヲ見テ 時ヲ知レ終ハ始ナリ満ツル時 花咲キ 実ヲ結ブ終ハ始ナリ闇ハ大地ニ息吹ク種トナル終ハ始ナリ再生と収穫ヲ祝フ舞時ヲ知レ終ハ始ナリ お百社blog No.3
2007.01.20
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倭姫宮(やまとひめのみや) 内宮別宮 ・倭姫宮伊勢市倭町 (地図) 伊勢へと向かう早朝の近鉄電車。何かに引きつけられるように窓の外に目をやると、田園地帯の中に四角い建物跡のような遺構が点在していた。突然車窓を流れた駅名の看板を、目の端でとらえる。そこに見た文字は確かに「斎宮」。まさかと思い腕時計を見ると、伊勢到着まではまだ時間があった。 三重県多気郡明和町。内宮から約20km離れたこの地に「斎宮」はあった・・・。 斎宮(さいくう、いつきのみや)とは、古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王またはその御所のことです。宮域内か、もう少し内宮に近い場所にあると思っていました。 はじめは宮中(天皇の宮)に祀られていた天照大御神。崇神天皇の御代、皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に命じて宮外に祀らせたのが斎宮の始まりとも言われます。その後、天照大御神の御杖代(みつえしろ)の役目を引き継いだのが倭姫命。安息の地を求め、長い年月をかけてたどり着いた鎮座地が伊勢でした。 その倭姫命(やまとひめのみこと)を祀る別宮・倭姫宮が造られたのは大正時代。歴史の長い神宮においては最も新しいものです。皇大神宮(内宮)には宮内に2ケ所、宮外に8ケ所の別宮があります。 天照ラス 大日霎神(オホヒルメ)の 御杖代となりて 幾年 二見浦の日之出に 日向に思いを馳せる神 五十鈴川に 禊祓いし皇女(ミコ)たちが 終焉の地と定めて 祝う舞 ココニワレヲマツレ と神が日ふ 斎宮(斎王)は天皇の皇女から選ばれていました。ただし「制度」として記録に残るのは、天武天皇の時代から。その最初の斎宮は大伯皇女(おおくのひめみこ・大来皇女とも)。中大兄皇子(天智天皇)の一行が筑紫に向かう途中、大伯の海の上を通過している時に誕生したのでその名がついたと言われています。大伯とは、現在の岡山県瀬戸内市邑久町(おくちょう)。私の故郷の近くです。私は吉井川の対岸から「大伯の海」を眺めながら育ちました。 邑久町方面を望む初日の出(2006) お百社blog No.2
2007.01.19
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2007.01.06
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2006.12.30
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2006.12.17
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2006.12.05
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2006.11.06
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2006.11.05
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室生龍穴神社 インターネットを初めてから、ずっと pleiades や ple というHNを使っていました。そしてこの2年ほど、神社や癒しの場所を訪ね歩くblogを書いてきました。しかし pleiades 星団の星の数ほどある「人格」が災いし、神社・仏閣等の訪問記事以外にも、ある時は詩を、ある時は(しばしば)おちゃらけ、そして古代史を語ったり、そうかと思えば料理のレシピまで書く始末。 三輪山 「最悪の男が歩く 最良の関西」というサブタイトルで神社・仏閣、森や清流など、癒しの場所の記事を書いてきました。HNを替えても、私が「最悪の男」であることに変わりありません。しかし過去に書いたものや、撮影した画像を編集して、ここは純粋な「場」の紹介記事に徹したいと思っています。 そしてこのblogは Akiさんの「Kyotisch 京都れぽーと」とリンクして、「神社の静と動のコラボ」を模索します。私は通りすがりの参拝者ですが、Akiさんは祭事を取材されるのでお祭りに参加される方々や、地域の方々と関わりながら記事を書かれています。静かに祈る場の境内や神聖な鎮守の杜、それらとは違った、喜びや躍動のエネルギーあふれる神社の一面にも「Kyotisch 京都れぽーと」で触れていただきたいと思います。
2006.11.04
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