今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

2012.10.21
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私論「慶応には何故歌人がいないのか」(六)      後藤人徳

(副題:慶応では何故歌人が育たないのか)

(注)慶応については、五十年近く前の記憶をたよりに書いております。現在はあるいは様変わ

りしているかもしれません。現状を調査して書いているわけではないことを、申し添えておき

ます。

 福沢諭吉の思想の大切なものがもう一つあります。「独立自尊」がそれです。これは「平等

主義」に通じ、「学問のすゝめ」に通じる大事な思想だと思います。

 「独立とは自分にて自分の身を支配し他に依りすがる心なきを云ふ。自から物事の理非を弁

別して処理を誤まることなき者は、他人の智恵に依らざる独立なり。自から心身を労して私立

の活計を為す者は、他人の財に依らざる独立なり。」(「学問のすゝめ」第三編より)諭吉の

この思想は一国の独立に及ぶのですが、ここでは省きます。


 この諭吉の独立という言葉は、彼の実学の精神からすれば、まず生活の独立を思います。自

らの生計を自らの収入により賄う。なんといっても金銭的な独立を思うのです。そして、その

ためには、学問も必要となるのです。詩が面白いから、楽しいから、夢中になって大学に行く

のを止めてしまった谷川俊太郎氏。収入などあてにならない詩作に、面白いから楽しいからと

言って浸ってしまった。諭吉から「詩作に浸る前にやることがあるだろう。まずは実学に励

み、独立して生活をする道を求めよ。」という言葉が聞えてくるようです。

 前回の末尾で私は、福沢精神の対極にあるものとして山頭火をいつも思い浮かべると書きま

した。

 山頭火について深く研究しているわけではないですが、何冊か本を読んでいます。彼には少

年時代に悲惨な体験(実母の自殺)をしていますが、家業の造酒屋を破産させ、(もっともこ

れは、彼の父の放蕩によるところが大なんですが、もし福沢精神に接していたら、それを立直

さなければならないでしょう。少なくとも、そのように努力しなければならないでしょう。)

それにより、従業員の生活も破綻させることになったのです…。また、それだけでは留まら

ず、妻子と離別し、酒に溺れ、乞食となって全国を放浪し、その末に果てたのでした。ですか

ら、彼こそは独立自尊の精神の対極と断じざるを得ないと思うのです。

 人生は、金銭だけ、社会的生活だけでは勿論計れません。それは人生の一面でしかないでし

ょう。個人、個人の内面の問題があるからです。いわゆるスピリチュアル(精神的、霊的、宗

教的)な問題に福沢諭吉は立入らなかったと思うのです。一人前の人間として、社会で恥ずか

しくなく生きてゆく、自分の生活を自分の力でやり繰りしてゆく、そのために、学問が必要だ

と、実生活に役立つ学問が必要だと、くどく説いているわけです。生きてゆくためには、大き

く言えば、国際的な種々の問題、国家の政治、国家の財政、会社の経営、個人の経済生活、多

くの問題を解決する必要があります。これらのことこそ諭吉が問題にしたことでした。そのた

めに詩歌などを捨てざるを得なかったとも言えるかもしれません。


 山頭火を非難するようなことを書きました。それは、福沢諭吉の思想から当然なこととして

非難しました。しかし、前にも述べましたようにこれは一面的な見方なのです。


 脈絡のない思いつきですが、聖書のことばを思い出しました。マタイ伝13章にあります

「天の国」のたとえです。(「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見

つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を

買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を

一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。…」)私は、思う

のです。山頭火が、すべてを捨ててもとめたものが、実は、聖書でいうところの「天の国」で

はなかっただろうか。

ただ、慶応はまさに福沢諭吉の私塾であり、福沢諭吉の精神や思想を実に見事に身に付けさせ

る場だと私は思うのです。そこに学んだ学生が、真剣に、真面目に学べば学ぶほど、短歌など

作っている暇はない、そんなことをする前にやることがあるだろうと常に自問する人間になる

のは至極当然のことだと私は自らを振り返りましてつくづく思うのです。

「慶応には何故歌人がいないのか」という自分に対しての問いに対する答えとして色々と思い

むくままに書き綴ってきましたが、今はこの辺で終りにしたいと思います。

ただ、最後に、岡井隆氏、(彼は、医学部だし、慶応の人間とは思えない。あるいは、ご両親

が土屋文明の教えを受けた歌人であり、少年の頃より歌に親しんでいた、慶応の歌人とはいえ

ない、というようなことを前のほうで、書いていると思いますが。)村木道彦氏(慶応時代歌

壇に彗星のように現れ、卒業とともに忽然と歌壇より去った歌人。彼こそは数少ない慶応の歌

人と呼べるのではないかと、これも前のほうで書いた記憶がありますが。)、このご両人につ

いて、いま少し私なりの思い、考えを述べさせてもらいたいと思っています。


                                  (つづく)

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最終更新日  2012.10.21 19:35:09
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