今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

2012.11.18
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私論「慶応には何故歌人がいないのか」(七)     後藤瑞義

(副題:慶応では何故歌人が育たないのか)

(注)慶応については、五十年近く前の記憶をたよりに書いております。現在はあるいは様変わ

りしているかもしれません。現状を調査して書いているわけではないことを、申し添えておき

ます。

 前回で事実上終了しているのですが、前回最後に書きましたように、岡井隆氏と村木道彦氏

についてのわたしの思いを少し述べてみたいと思います。

 村木道彦氏については、あまり知識がありませんでしたので、インターネットや雑誌三田文

学などで、少し調べてみました。まず、知り得た事実をもとにして自分なりの考えを書いてみ

たいと思います。


昭和17年の生まれですので、終戦時は3歳かと思います。華族(男爵)の家柄の生まれであ

るようです。これは、彼の人生で大きな意味を持つのではないだろうかと思います。東京牛込

にあった邸宅を戦災で失い、疎開先の鎌倉の別荘を本宅としたようです。そして、彼は何故か

祖母に育てられたようです。その祖母が、鎌倉にいた歌人吉野秀雄の晩年の弟子だったようで

す。だから、彼は岡井隆氏と同様年少の頃より短歌に親しんだ形跡があると推察されます。や

はりそうだったか、村木道彦氏は慶応で短歌を始めたのではなかったのだ。


ただ、慶応時代に、中井英夫氏に見出されたようです。そして、歌壇に彗星のように衝撃的な

デビューを飾りました。しかし卒業とともにまた彗星のように消えていったのです。


  中井英夫氏は、中城ふみ子、寺山修司を見出したことで有名で、雑誌「短歌研究」の編集

をした人物です。


 何回も書いていますが、福沢思想は実学の教えです。学問は実際に仕事や生活に役立つもの

を学ぶということで、詩歌は福沢諭吉のいうところの実学には入らないわけです。その慶応に

入った村木道彦氏が歌壇でデビューしたのはあるいは、反抗期のような感じで、福沢精神に反

抗したのだろうか。ただ、彼が福沢精神に深く傾倒していることもうなずけるのです。独立自

尊、自分の生活を自分の力で切り盛りしなければならない。だからこそ、海のものとも山のも

のとも分らぬ短歌などはさっぱり捨てて、浜松に高校教師として赴いたのだとわたしは思って

います。


   ところで、村木道彦氏は華族のご出身です、そんな彼が、平等主義を主唱する福沢諭吉

の慶応に入学した。なにか、理由がお有りだったのだろうか。


 福沢諭吉は「学問のすゝめ」の冒頭に、『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云

へり。』と書いています。これを、よくよく考えるうちに、わたしはある思いが浮かんだので

した。この福沢諭吉の思想は、とかく卑しめられている人々に目をむけて、たとえば江戸時代

であれば、武士ではなく農工商に従事していて身分的に劣ったように扱われている人々を引き

上げる、そうした面にのみに目を向けていたことに気がついたのでした。しかし、武士も実は

同じように差別されていた、それについて苦しんでいたのではないのか。そういう側面があっ

たのではないのか。そんな思いが湧いてきたのです。たとえば、「武士なのにねえ、落ちぶれ

たものだねえ」というような陰口に苦しんではいなかっただろうか。武士でなければ、問題の

ない生活も、つつましく一生懸命に、自分の力でささやかに生きてゆくことが、陰口の対象と

なる。そんなことで、武士も苦しんでいたことはなかったであろうか。


華族とても同じようであったのではなかろうか、と思うのです。戦後の華族の窮乏もよく聞く

話でした。華族(子爵)出身の歌人富小路禎子氏の話も読んだことがあります。生活のため、旅

館の女中(仲居のことか?)をなさったと聞いています。その折の歌だと聞いていますが、

「こころ 危きとき見る舞扇 虹色にして要(かなめ)締れり」など忘れられない歌でした。


 本題にもどりますが、村木道彦氏も華族なるがゆえのくるしみを、年少の頃より味わってお

られたのではなかったか。「華族のおぼっちゃまなのに、落ちぶれたものねえ」などと陰口を

されたのではなかったか。ここで、ちょっと断っておきますが、これは全てわたしのいわば邪

推のようなものです。他人の心に土足で踏み入るようなことでは、さらさらないのです。小説

といってもいいかもしれません。


 村木氏の有名な一首「するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりな

がら」なども、よく言われるような大学時代の失恋の歌ではなく、高校時代いやもっと年少の

時代に作ったものではなかったか。「すてられた」というのは、華族の身分を剥奪されたこと

ではなかったか。『…「世が世であれば、華族のおぼっちゃまなのにねえ。落ちぶれなさった

こと…」などと、ああ!、マシュマロを(食べたくても、自分は貧しくて食べられない、その

マシュマロを)口いっぱいにほうばりながら噂していることだろう…。』そんなふうに、わた

しはこの歌を鑑賞したいのです。


 村木氏は大学時代にはすでに短歌とはある程度距離を置いていたのではないか。私自身は程

度の低い大学生だったので、とても比較は出来ないのですが、教職の資格を取るなどというこ

とは、私自身夢にも思っていなかったのです。それなのに、彼はしっかりそれを大学時代に得

ているのです。彼は、福沢精神の実学をしっかり学んでいたといえるのではなかっただろう

か。諭吉が述べるまでもなく、村木氏は詩歌で食べてゆけるなどという甘い考えは、すでに年

少の頃よりなかったのではなかろうか。彗星のように歌壇に華々しくデビューし、短歌史に残

る業績を残しただろう彼であったわけですが、元華族というような名誉が、戦後食べてゆくた

めに、生活のために何ら役にもたたなかったことを、骨身に沁みて知っていたのではなかろう

か。ですから、名声などに目を奪われるようなことはなかったのではなかったか。だからこ

そ、卒業とともに歌壇との付き合いを絶ったのではなかっただろうか。そして、実学にもとづ

き高校の教師の職を最後まで務めあげたのではなかっただろうか。やはり、慶応に入学したこ

とは、彼にとっては良かったかもしれません。ただ、早稲田に入っていたら、同年輩の伊藤一

彦氏、福島泰樹氏、あるいは一年後輩である三枝たか之氏などと切磋琢磨し、俵万智より二十

年前に彼女のようなブームを興したかもしれない、そんな勝手な想像もすることがあります。



 ちょっと長くなり過ぎました、村木氏の歌の特色、仮名文字の多用などについてもう少し突

っ込んで書きたいのですが、次の機会にしたいと思います。岡井氏のことを書く余裕もなくな

りました。ただ、村木氏が歌壇を去ったのに対し岡井氏が残ったことについて、ちょっと考え

ました。


出自の問題はかなり重要な要素とは思いますが、それ以外に、結社の問題があったのではなか

ろうかと思います。岡井氏は大結社アララギに所属しておりました。それも親子二代にわたっ

ています。正岡子規の流れをくむ正統派の結社です。一方村木氏は結社に所属していなかった

のではなかろうか。手ほどきしてもらったであろうお祖母さまが吉野秀雄のお弟子ということ

です。吉野秀雄はこれまた歌壇では一匹狼的存在の会津八一の教えを乞うた歌人と聞いていま

す。吉野秀雄自身も結社を作らず、会津八一同様に一匹狼的な活動をなさっていたようです。

村木氏が結社に、たとえば岡井氏と同じような、アララギでなくてもいいかもしれませんが、

結社に入っていたらあるいは違っていたかもしれません。…、わたしは、村木氏が当然結社に

入ってないだろうと独断して、書いています。あるいは、入っていたのだろうか。分りません

が、歌壇からすっぱり縁を切った、それがあまりにも鮮やかなので、そんな気がしたのです。

つまり、結社に属さなかったのではなかったかと、判断したわけです。


岡井氏の名前が出ましたので、最後に少し岡井氏についても書きましょう。余りもう余裕があ

りませんが、ひとつふたつ気が付いたことです。やっぱり岡井さんも慶応だなあ、といった感

慨です。(たびたび、岡井氏は慶応でない。医学部は慶応といえない。などと無茶苦茶なこと

を書いていたわたしですが…)

岡井氏といえば、その厖大な執筆活動をはじめ、歌会始の選者であり、皇室の短歌指導もなさ

っており、歌壇では押しも押されぬ、誰もが認めるであろう重鎮です。新聞短歌欄の選者とし

ても朝日新聞でも読売新聞でも毎日新聞でも、どこの新聞の選者でも少しもおかしくないと思

うわけです。ところが、どうでしょうか、日本経済新聞の短歌欄の選者なのです。それを知っ

たとき、ちっとした違和感と同時に、岡井さんは慶応だったんだと納得したのです。


 今、衆議院の解散をテレビで報じています。それを見ながら、ふと思ったのですが、もし

今、二人の政治家がいてどちらに投票するか迷ったとします。一人は早稲田出身、片方は慶応

出身です。わたしは、迷わず慶応出身の政治家に投票するでしょう。これは、身贔屓でも我田

引水でもないと思うのです。短歌などでは確かに早稲田に慶応は勝てません、ただ政治や経済

であれば、多分慶応のほうが実学の上に立った、現実の上に立った政治が、あるいは、経済活

動ができるであろうと思うのです。慶応には歌人がいないということの反面、そんな思いに駆

られるのです。


本題に戻りましょう、岡井氏は、近藤芳美氏とともにアララギより分れ、新しい結社未来を作

りました。そして、多くの若い有能な歌人を育てました、今も育てています。また、NHK学

園の短歌通信教育に力を入れています。NHK短歌通信教育で、テキストの監修などをしてい

るわけですが、それのみならず、そのトップに立って多くの若い講師を育てているようです。

これなども、有能な若い歌人に少しでも経済的援助をしたい現われではないでしょうか。これ

がまさに慶応なのです。


岡井氏は、あの世にまいりまして、福沢諭吉先生の前に立ち、「わたしは短歌で立派に食べて

いました。」と堂々と言うのではないでしょうか。




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最終更新日  2012.11.18 11:45:27
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