今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

2014.12.01
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「新刊紹介」 下書き


「一日一日はたからもの」 (渡辺つぎ著 角川学芸出版)


 帯には「読むたび若返る」、「一〇三歳現役歌人、つぎさんの歌日記」…と。歌も表に一首「からっぽの記憶の箱よ泣くなかれこれからためるたのしみがある」。裏には「悲しいことは詠まないの」、歌は「物忘れはげしくなりぬ百一歳は虹が消えたと思えば楽し」外ニ首が載っています。

本書の刊行にあたっては、すべて角川学芸出版の編集によるものだと聞きました。多くの歌に年齢が入っているのもそのためのようです。そこを著者自身も気にしていましたし、多少批判もあるかもしれません。しかし、私自身は全面的にこの編集方針に賛成するものです。


今日高倉健氏の訃報に接しました。享年八十三歳、「若いなあ」ととっさに口にでました。あと二十年、そうです著者の年齢にあと二十年もあります。

 来年の三月で満百四歳の著者。それも、ただ生きているというのではなく、人間としての喜怒哀楽を短歌にこめ、一日一日をたからものとして生活している。この事実の重みは、強調しても、強調し過ぎることはないでしょう。


 読む人に勇気を与える本、そう私は呼びたい。九十歳の人にもあと十数年の未来があるのです。四十歳、五十歳の人であったら、未来は君達の前に洋々と開けていると言っているようです。


貯えし泪の池へ百一歳の小舟うかべて今日舟出せり


 「貯えし泪の池」がすごいと思いました。その泪の池を素直に受け入れ、その中に百一歳のわが身を浮かべ、新たな百歳台の旅に出発する。作者のこれから生き抜いてゆこうとする覚悟のようなものを感じます。


「お迎えがなかなか来なくて」と言えば「こちらでおむかえします」と主治医



 作者は、この時満百二歳。そう思って、この作品を読めばはっきりすることがあると思います。「お迎え」の意味の取り違いの可笑しさです。こういうことをさらっと詠えることが凄いと思うのです。


春よ来い百三歳だ杖持たず一歩一歩と地面をふんで



 作者は今も杖を持たずに歩かれています。杖をつく練習をせずにきたので杖をつくのは怖いと言います。一歳で父親を亡くされ、二十七歳で母親を亡くされ、五十台でご主人を亡くされた作者。作者は何かに縋って生きるという生き方をあるいはあまりなさってこなかったのかもしれません。


苦も楽も国の与えし百余年あとの百年平和を祈る


 「苦も楽も国の与えし百余年」。これが、明治生まれの人の感慨なのでしょうか。一口に愛国心などとは言えぬ深い思いがあるようです。ただ、私の驚くのは下の句です。百歳を越えられて、その生死のほどもあやふやに思われる作者が、これから百年の国の平和を祈っているのです。これが作者の愛国心の本質なのでしょう。


最後に、繰返しになりますが、満百三歳という年齢の事実の重み、単に生きているのではなく、杖もつかずに普通に生活している。驚きと共に生きる勇気をいただいて読み終えたのでした。







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最終更新日  2014.12.01 11:28:33
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