今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

2016.01.06
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編集より(白浜短歌会1月号)下書き    後藤瑞義

「悲しみを汚れちまったと詩人云う今なら判る還暦越えて」         齋藤うら子

齋藤さんのこの歌が少し気になっていました。もちろん中原中也の詩「汚れつちまつた悲し

みに」に材をとっています。

「よごれつちまつた悲しみに」という題を見て、わたしはまず、作者が汚れたことに気がつ

きそれを悲しんでいるように解釈したのでした。つまり、汚れが先で悲しみが後ということ

になると思います。それに対して、齋藤さんは、「悲しみを汚れちまったと詩人云う」と、

「悲しみ」が先にあって、その悲しみが汚れてしまったと解釈しています。汚れが具体的な

物につくのなら、例えば「よごれつちまつたハンカチ」とか、「よごれつちまつた心」とか、

「よごれつちまつたわたくし」とか、これなら分かりやすいんですが、中原中也のことをあ

まり知らないわたしには、「よごれつちまつた悲しみ」は、わかりずらかったのです。ただ、

今はそう解釈した方がよいようにわたしも思います。歌会の席で、齋藤さんが「中也は悲し

みを慈しんでいたようです」というような発言があったように記憶しています。これこそ

がこの詩の核心なのかもしれません。

われわれはどうしても常識的な判断をしがちです、いや、われわれではなく「わたし」と

いったほうが良いかもしれません。一方中也は、啄木もそうだと思うのですが、自分の世

界観、価値観があって、それに忠実に生きようと必死になっているように思うのです。そう

した人たちには、社会の常識的な価値観は通用しないように思います。彼らは純粋であったり、

真実であったり、正直であったり、そうしたものを求め、そうした生き方がいかに大変で難しい

かを知り、苦しみ生きているのではないでしょうか。晩年の啄木の歌に自分がなんと嘘つきな

人間なのかといった歌がいくつもあります。それは、逆に真実に、正直に生きようとしている

人間の言葉としてわたしには伝わってくるのです。








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最終更新日  2016.01.06 09:15:09
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