ヴィヴィのHam&Scouting&FineArt

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天王寺村(てんのじむら)を愛した人たち


天王寺村?を愛した人たちにまつわる・・ 03月10日(水)

生まれて育った阿倍野・・・・
昔は天王寺村・・・「てんのじむら」
と呼ばれていて生まれて育った近所には、アチャコさんや詩人の小野十三郎さん等々
いっぱいおられて・・・自宅に集まったり又近所に集まったりと・・・
記憶にあることを書き留めておこう!!と思ったりもしています。小野十三郎さんの関係では、造形作家や石浜恒夫さんや文学学校の方々等話を子供ながら聞いていても楽しかった記憶があります。
僕が芸大に行って出会った先生方とつながりがあったり・・
ボチボチ書いていきます。

日時 :2004年4月26日

阿倍野に纏わる・・第1回、阿倍野区に産まれて・・天王寺村と書いたマンホールを・・ 2004年04月26日
僕が産まれて育って・・近所には、詩人の小野十三郎さんが住んでいた。これは既に書いていますが、苗代小学校と言う可愛い名前の小学校に行っていました。その当時は、小野十三郎さんが、有名な方とも知らず時折麻雀をしに来る「小野さんのおばちゃん」「おっちゃん」だったのです。
今でも思い出します。週末にお母ちゃん(実は小野さんも奥さんのことをお母ちゃんと呼んでおられました)に祖母と父の姿がないので「何処へ行ってるん?」と聞くと「小野さんとこやー!」と・・・・時折用事で父や祖母を呼びに行った事もあるし・・・そんな時は、「入っといでー!」と奥さんがおっしゃってました。
遊び場所も今に比べてずーーっと色々あって、やっぱり舗装をしていなかったのが、遊びの種類も増えてた原因でしょう。舗装していない道路(道?)で遊ぶことが多いと当然地面を見ることも多くなります。
マンホール等興味津々でした。
そこで発見したのが、「天王寺村」と書かれたマンホール・・・確かな記憶と確信するのですが、同僚や親父に言っても「そんな頃はもう書いてなかった!」と言われてしまいますが、確かに僕の目には焼き付いています。

日時:5月8日
親父や祖母が小野十三郎さんの家と僕の家と行き来するようになったのを認識できるようになった頃・・・
小野さんの家には、詩人(ガラスのジョニー等)歌謡曲の詩沢山書いておられる石浜恒夫さん等もごく自然にお会いして少し話していたのも思い出します。
ごく最近まで田辺聖子さんも良く来られていたのも記憶にあります。
そこへ造形作家の方等来られるときには、前もって言いに来て下さって作品の話などを僕がもう大分成長してからは多くありました。



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