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動きすぎてるのは許して(笑)はい、指先だけでね。受けの子が話してる途中で繋げたから彼にしてみれば何が起こったかわかんなかったろうなぁ。。まだまだブレてるんだよねぇ(苦笑)前置きが長い?まぁ一瞬で出来るけど、それじゃあ練習にならんでしょ?受けの子にだって感じさせなきゃ学べないし。押し込む事と引き込む事の差。違いはあるんだよ?はい、上4つの抜粋元。二十分の練習風景。完璧じゃなくて結構。発展途上だからね、だからこそ動き大げさにしてるし、そっから学べる事もあるんじゃないかな。
Jan 26, 2021
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自殺で、私が16の時だった。母は40歳だったかな。今年私が50歳になる訳で、我が身が40の時を振り返って考えても”よくもまぁそんな若さで。。。”と思う。若さ云々を言ってしまえば私自身も20代30代で自殺未遂してるから、”そうせざる得ない葛藤があったのかな”と想像するが。。。。その程度だ。母が何を思って自ら死を選んだのか、それは理解出来ない。私は母ではないのだから。彼女が彼女の人生において、何を考え、何を思い、どうして死を選び、どんな思いで逝き、何をなそうとしたのか? 母が母の人生をどう思ったか、なんてのは彼女しか知らないし、最大的に観ても、彼女にしか意味はないのだ。遺書は読んだ、他人の主観も聞いた、でも母の人生を歩んでいない私が彼女を理解出来るはずが無い。そこを理解しようとする事が、そもそも私の想像でしかなく、意味付けした所で、幻影以上になり得ない。だから人の死をどう受け止めるかは、その死と向き合った人次第。何を云われ、何が伝えられたとしても、そこに意味を作る/作らないのは死んだ側じゃなくて、生きている側なんだよ。死んだほうが捉えようとしても、捉えられるかどうかは生きている側に選択肢があるんだ。今、振り返ってみれば母の自殺は個人的に一つのターニングポイントであったし、その後の私を形成した重要な出来事ではあったが。。。結局のところ私にとっては人生の一つのイベントでしかない。。。。まぁ全てのイベントが最終的には感謝の対象になるので。。。。その主観から言わせてもらえば、全ての縁に感謝しかない。父親を思い浮かべても、母親を思い浮かべても、それがどんな場面であれ、「ありがとう」という言葉しか出てこないのだ。
Jan 23, 2021
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Jan 1, 2021
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