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『3月3日といえば、桃の節句。ともに、「耳の日」だった。むろん語呂合わせでできた日だが、「3・3」が耳の形とぴったりなので、とても似つかわしい。
若いころは気にも止めなかった(留めなかった?)が、今では「耳」の重宝さが身にしみる。「高音難聴」と診断されて数年になるが、日常生活でも聞き取りにくいことがある。個人的な対話の場合は、できるだけ問い返すことにしているが、つい遠慮してしまうこともしばしばだ。家人との会話となると、お互いが勘違いしてしまったり、そのままやり過ごしたりである。
今後年を重ねるにつれて、ひどくなる一方だろう。こんな体験を繰り返しながら、高齢者の方たちが家に閉じこもりがちになっていく話などを聞くと、身につまされる。ともあれ、わが耳とは上手に付き合っていくしかない。
といったこともあって、「聞く」ということがほんとに大事な昨日だと痛感する毎日だ。
ところで、指導要領によると、国語科ではないようの取り扱いとして、「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」が挙げられている。これらの言語活動を相互に関連させて、国語力、言語力の向上を図ることになるのはいうまでもないが、とりわけ「話すこと・聞くこと」が重要だと思う。その力を磨くには、まず、説明したり、発表する場を計画的に授業に組み込んだりする必要がある。さらに、発達段階に応じて、対話したり、討論やディベートをする機会も重視すべきだ。
学校を訪れた際、授業を参観することがあるが、児童生徒が活発に発表や討論する授業は楽しい。が、時には、話し合いが進まず、教師ばかりが喋っている場合がある。逆に、一見活発そうに見えるが、思いつきの発言ばかりで、議論が深まらないことも…。それだけに、テーマを踏まえて、真剣に討論する授業に出会った時には、感動すら覚える。
思うに、「聞く」という態度が身に付いているかどうかが、授業の成否を大きく左右する。話をしっかり聞かないと、話し合いに加われない。だから、必然的にメモを取りながら聞く。全体が自然に静かになっていく。そして、いざ発表という時には、次々に鋭い意見が出てくる。
聞くという素養は、「静かにしなさい」と言われて備わるものではない。マナーやルールの指導によりある程度まで身に付くと思うが、それだけではない。要は、学習集団としての成熟度がカギだ。言い換えれば、指導者の学習集団づくりにかかっているわけだ。話し手への思いやりがあるから熱心に聞くのであり、聞き手の思いやりを感じるから真剣に話すのだ。
「聞くこと」と「話すこと」は一体のもので、まさに車の両輪である。(本社NIE顧問)』
かかる言葉を取り違えても、全く意味が違ってしまう。先日、携帯メールが届いて、トンチンカンな返事をしてしまった私。相手はきっとがっかりしているんだろうなぁ。。。「プロの先生」は「始めてまだ一週間」だという「ユニット折り紙」にかかってる言葉だったのに。。。塾の講師をしていらっしゃるものだから、私的にはそちらへ話が飛んでしまって、とんだ勘違いを。失礼しました!でも、考えたら私、こんな勘違いが多い。勝手に勘違いなんて、恥ずかしくて言えやしない。
銭湯地域で米軍に弾薬提供 2016.10.18
本日付地元紙『正平調』から。。。 2012.09.25 コメント(4)
5日付地元紙『正平調』より。。。 2012.09.06