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修理を頼んでいたペンダントが出来上がったと連絡があり、雨の中出掛けてみると。。。何と、顔見知りの母娘がお茶を楽しんでいらっしゃった。いわば、娘さんには地元になるので、顔馴染みなのは当たり前かな。母親と一緒にお買いものができることを私はとても羨ましく思った。お母様もお嬢さんも性格がカラッとしていて、私は大好きだ。物事もハッキリ仰る。でも、腹には何も無いのがわかる。 お母様曰く、「娘があまりにもよく手伝ってくれたので、ご褒美に何か」とのことだった。彼女は、明日が誕生日なのだとか。お気に入りが見つかったかどうか、それはわからなかったけど、買い物を済ませ、ちょっと立ち寄った。と言う感じで、本当に羨ましかった。 母と、こうして買い物を楽しむなんてことは無かった。眼科医院へ私がお共していたとき、何度かランチをしたのと、母は眼科医院の近くのスーパーがお気に入りだったから、少しお供しただけ。 流石に娘時代を神戸で過ごしただけあって、母はハイカラさんだ。私とはエライ違い。どこでどうなったのか、私は、郵便局の紺色の事務服が好きだったし、淡路島へ戻っても、勤務先が郵便局のアルバイト、そして、印刷屋さんだったから、こちらでも紺色の事務服を着ることができたので、紺色の事務服とは本当に馴染みがあった。 今でこそ、郵便局も民営化となり、制服もハイカラになった。でも、サービスが伴っているのかどうかと言うと疑問が残る。紺の事務服でも良い。お客様により良いサービスができるならば。って、私が古いのかなぁ。 彼女たち母娘は音楽には余り縁が無いと仰るので、お気に入りのピアノの鍵盤やらト音記号やら猫が入ったハンカチを見せてあげた。そして、かかっているBGMがカーペンターズ♪ しかもさり気なくだから、聴こうと思わない限り、カーペンターズだとは気が付かないかも知れない。 一緒に私もアイスコーヒーのサービスを有難く頂戴し、話に加わる。私が2隣保。彼女たちのお宅が1隣保。家がどこにあるのかもわかる間柄。でもお逢いするのは本当に久しぶりだったから、懐かしいやらで話が盛り上がってしまった。娘さんの方は私よりも6学年下ということが判明。そういえば、私が勤めていた印刷会社の下の娘さんと一緒だと伺った気がする。 婦人会の役員を、私が副代表をした翌年、彼女は代表に選ばれ、私は隣保の役員として残っていたのだった。あれから何年になるだろう。小学生だった彼女の息子さんたちは既に大学を卒業されたのだとか。月日の経つ速さと、懐かしさ。そして、母娘の仲の良さを羨ましく感じた宝石店だった。
2011.06.16
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昨日、母に会いに行ったら、「土曜日にもう一度外科医院を受診したい」とのこと。巻き爪の炎症が骨にまで達していたのだから、そう簡単には治らないだろう。痛いのは第三者にはわからないけど、痛いであろうことは想像がつく。部位が部位なだけに、母は歩くことをまたためらっているようで。一緒に歌おうともしない。デイルームでカラオケのDVDがかかるのを楽しみにしているようだ。 別に、定位置があるわけでもないだろうに、母自身が盲目なものだから、自分が唯一目印と決めた物に触れていないと、不安で仕方が無いようだ。実際、目が見えないと、自分が今どこにいるのかさえもわからない。 入所する前、家の裏の水路に落ちたこと。原因はまるでわからないけど、溜まった水の中に一体何時間居たことになるのか、母自身の記憶があいまいなので、確かめるべくもない。足の裏は完全にふやけてしまっていたらしいので、結構長い時間を、方向も場所もわからないまま過ごしていたことになる。 母の視力のほとんどは、このときに失われてしまったようだ。水路へ落ち込んでしまったことで、益々母の頭は混乱してしまったらしい。無理も無いと思う。 明日は横浜へ行く私。なので母のことは気がかりではあったけど、午前中を美容院へ。そして、午後は買い物。。。 その買い物へ行く途中、カラスとはまるで違う黒い物体が私の前を横切った。気がつくと、それは何と、キジ。大きくはないけれど、私がほぼ北へ向かって走り、その右から左へ。だったから、左側の田んぼの草むらに、巣でもあるのかなぁ。 今ではすっかり水田になってしまった田んぼの中にも、作付されない畑があって、草が生い茂っている。キジなどには格好の営巣の場所なのかもしれない。それにしても、こんないわば平野の真ん中に。山の中ならわかる話だけど。 と、以前、配食サービスのお弁当を配達していたとき、淡路島南部の海岸線に沿って走る、その少し手前で山の中の道を走っていたときにキジと出会った。羽が綺麗な色だったのを覚えている。ということは、淡路島にも結構キジが棲んでいたりするのかなぁ。他の大型のトビとかに狙われなきゃ良いけれど。
2011.06.10
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父が逝って8年になろうとしているのに、この農作業用車だけは現役で働いてくれている。父は長年自動車修理工場に勤めていて、保険などを担当していたため、父の自家用車が営業車みたいなものだった。なので、農家であるにも関わらず実家には軽四トラックが無かった。なので、この農作業用車がとても役に立った。小型特殊になるので、田んぼへ行ったり来たりには十分使用できた。公道を走るのには、どうだったのか、実家そのものが淡路島のチベットみたいな田舎だったから、父が生きている間は、南あわじ市の誕生も無かったから、町道だったことになるのかなぁ。一応、南淡町の許可を得てナンバープレートも着けていた。 どうして父は軽四トラックに乗らなかったのかはわからない。でも、一旦田んぼへ入ると、結構な量を積むことができる。広い道を走るわけじゃないから、田んぼにも近い我が家なら、これで十分だった。これで一応4輪駆動だったりするから、畝も谷もへっちゃら。少しぬかるんだときはタイヤチェーンでカバーできるのだから。 実は、南あわじ市だけのものなのか、南あわじ市ではこの車が結構走っていたりする。そして、荷台部分は何と、リフトアップできたりするので、玉葱を玉葱小屋へ吊るして保管するときなど、上の方の段でも軽々と上がってくれるので大助かりだった。 父が他界するのと同時に、実家では稲作りも辞めてしまったので、こういう農作業用車は要らなくなってしまった。一番最後に活躍したのは、父が他界した、その年だったかなぁ。夫まで借り出して稲の収穫作業を行った。はざ掛けにしていた稲をハーベスターを動かしながら脱穀作業を。そして、はざ掛けに遣われた、足ぐいとなると呼ばれる棒は順序良く片づけてこの農作業用車に積み込んで一気に片付けが済んで行った。玉葱は、この年、作付は辞めていたと思う。 まさか、そんな農作業用車が我が家へやってくるとは思っていなかった。でも、誰かが使えるならと、義兄が考えて引き取っていた。そしたら、今年は夫の同僚宅で使いたいとのこと。何しろ、リフトアップできることが作業能率を上げてくれる。 父自身は、この玉葱を吊るという作業がかなりきつかっただろうと思う。なので、こんな優れものの話を聞いたとき、飛びついて買ったのだった。父の姿はどこにもないのに、この農作業用車が現役で頑張っていることが、何だか不思議。 積載量は。。。積めるだけ。なんてどこかのサイトで観たような。。。
2011.06.07
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直接会議には関係のない、私には二つ目のイベントの画像なのですが、ごめんなさい。淡路人形芝居サポートクラブ総会が午前10時から、私にはとても懐かしい、卒業した中学の跡地に建てられた公民館であり、久々に出席を決めて、“出席”の返事を出していたので、残念だけど、『題名のない音楽会』を最後まで観ることなく家出となった。 その前に、昨日同行していたJA3GGXが車に上着を忘れたままにしていたので、届けることにして、その帰りに母の施設へ寄り、戻ってから着替えるつもりにしていたから、バタバタとしていた。 会議は、素晴らしい議長のもとスムーズに進められ、定刻に終了。昼食をご用意してくださり、少ないながら、私は会場で事務局長夫人と共に頂いた。偶然にも、昨日のランチと同じチェーン店のお弁当だった。内容は勿論まるで違って、魚のお刺身などが入っていたけど。 やはり理事の一人、南あわじ市婦人会長(元勤務先印刷会社社長)が、「今から、私のお気に入りのスーパーで東北復興支援バザーを行っている会場へ移動します」との伝言をくださり、会場でお弁当を頂いてから買い物も兼ねて移動した。 いつものように、喫茶店で珈琲を頂いて。。。と、何と、先ほどの婦人会長がいらっしゃる。 買い物を済ませ、バザーの会場へ。そして一目で気に入ったのがこのジャケット。恐らく男性用だとは思うけど、その方が冬場、ゆったりと着られると思って、1000円で購入。他にも200円コーナーとかもあって、ちょっとだけ巡ってみた。 救援物資として現地へ送られた箱がそのまま並べられている。そのままというより、発信元を明記した上で、並べられている。 農作業にはぴったりだと、パンツ類がよく売れていたようだ。私は。。。ジャケットだけになってしまったけど、何しろ、ペットボトル入りの1.8リットルのお酢を買って提げていたから、他に買い回る気になれなかったのだ。私、あのカートって苦手で、ついつい提げて歩いてしまう。。。 こういう形の支援は、どこでもできそうな気がする。震災が起きた頃は、雪深い3月。もう、冬物は要らないだろう。そして、それをお金にして、支援に回そうというわけだ。全国からだと、こんなに届くんだ。と驚くばかり。スーパーに運ばれたのは、その、ほんの一部だろうけれど、小さなお子さん用から、大人まで。ありとあらゆる冬物が揃っている。と、時間は今日はもう閉店になっていると思う。昨日、今日の二日間に亘って行われたようだ。確か、台風2号接近とかで開催が遅れたのじゃなかったかなぁ。
2011.06.05
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夕方午後7時前のNHkで、ケーブルネットの紹介があり、今夜は、何と南あわじ市から。そして、登場したのが、何と『淡路吹奏楽団』。昭和51年に結成したらしいこの楽団に、実は私も少しだけ顔を出していたことがある。当時のままのメンバーが何人かテレビに。そして、団長の話。この団長は現在、特定郵便局の局長さん。いかにも団長らしい語りで、一人でも二人でも新メンバーが増えてくれると良いな。兎に角楽しい楽団なので、楽器の経験が無い人も、一から楽しく演奏に加われるように教えてくださるのじゃないかな。 そう、この団長が郵便局員でなかったら、もしかしたら私は『淡路吹奏楽団』へ顔を出していなかったかも。。。兎に角素敵なバンドなんですから。
2011.05.31
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兼ねてより入院中の、母には兄嫁の弟さん。たまたま耳鼻咽喉科がある、先日もお世話になった病院へ思い切って行ってみた。 病室でお逢いするにはちょっとためらいもあったけど、自分自身の診察が終わり、会計の窓口で尋ねると、「喫茶室にいらっしゃるみたいですよ」とのこと。 透析とかの時間だったらお逢いするのは無理だろうと思って、尋ねてみて正解だった。診察を待っていたとき、確かに顔見知りの男性が一人。何か抱え込んで喫茶室へ入って行かれた。 それが実は、奥様とはコーラスでも一緒になる旦那様で、この今年の枝垂れ梅を撮影され、出来上がったと病院へ届けに来られたのだった。どこかで顔を観たと思ったのは、いつもお世話になっている写真屋さんなのだから、当たり前のこと。 喫茶室では、早速、この写真のことが話題になっていた。しかも、届けてくださったばかりの作品の一つを「姉ちゃん、良いところへ来たなぁ、一つ持って帰り」などと言ってくださる。お言葉に甘えて、頂戴した次第。 この後、ランチタイムを過ごしたSolaさんへ来ていらっしゃった国清庵住職がこの写真をとても気に入ってくださり、一つ欲しいとのこと。今日は写真屋さんが定休日なので、明日にでも頼んでみるつもり。絵を描かれる人は、こういう写真を参考にしたいと思われるようだ。 それにしても見事なこの写真は、撮影されたタイミングも丁度良かったのだと思う。勿論腕もだけど。。。 鼻のレントゲンなんて初めて撮りました。頭に近い部分だけど被ばく量は。。。大丈夫よね。先日だって何枚も歯科で撮影したし。。。 母の兄嫁の弟さんはとてもお元気そうで、外科的な問題でリハビリ中と伺いましたが、早く回復され、腕も自由に使えるようになって欲しいです。本当にありがとうございました♪
2011.05.25
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使わなかった冬用の衣類たち。阪神淡路大震災の折に、全国から寄せられた救援物資の数々。。。{今回の東日本大震災でも季節が移ろい、使わなかった冬物の洋服たち、これが10トン余り。}それをチャリティバザーで処分し、東日本大震災への支援に役立てようということらしい。 使われなかった理由というのが、季節が夏に近づいたためとのことで、これはもう仕方が無いと思う。{東日本大震災が、3月11日、大雪の真っただ中だったのだから。} こういう形での支援ならば、きっと支援物資として送ってくださった人も納得できるのじゃないかな。 NHKのホームページで詳しい情報は得られると思うけど、{1.17希望の灯り こちらを参考に、今朝のNHKテレビで放送されていた、}チャリティーバザーの会場が何と、南あわじ市のスーパーなのだそう。これは足を運ばなくっちゃ。と、その前に、NHKのホームページで詳細を探してくださいまし。 私は、今からハローワーク向け移動になりますので、あしからず。。。 <>の部分も加筆です。
2011.05.24
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いつの頃からだっただろう。携帯を変えたのは確か。でも、私には急にピンとが合わせられなくなっていたこと。今にして思えば右目だけで見ていたことになるのかなぁ。再配達の要望だって、各集配センターに送るFaxの用紙に、記入漏れを何回したことか。それに全く気が付いていない私だった。見るというのは両方の目で上手く焦点を合わせて。。。なので片目だと守備範囲が狭くなるため、それで全く見えていなかったりするのかなぁ。そんなことを考えていたら情けなくて、母にしても私に会いたい、会いたいと言い続けていたのは、私の顔が見えなくなる前に、確かめておきたかったのかなぁ、などとついつい考えてしまい、涙が止まらなくなってしまった。。。 そんな朝、NHKテレビでは、グッチ祐三さんが登場され、フォークソングの魅力と題して番組が始まっている。そして、最後に歌われたのは、『明日に架ける橋』。。。何だか、今の私の心境を打ち砕いてくれるような、そんな名曲に聴こえてしまい、しゃくりあげながらも運転できることの喜びをかみしめておりました。。。片目って、そんなに不自由だったんだと実感はしてみたけれど、もう少し右目を大事にしておくのだったなぁと。でも、ちゃんと見えると思うことが考えたら不思議なこと。 涙があふれると、メガネが汚くなるんですね。これって、涙なのかどうか、それこそ潮を吹いたように真っ白になるんです。目がよく見える人にはわかりづらいかもしれませんが。 今、目が良く見える人も、目はいたわってあげて欲しいです。と、私が言うのも変ですが。 サイモンとガーファンクルのアルバムを購入したのも、高石市へ行ってからだったかな。この最後の曲がまさしく『明日に架ける橋』でした。明日に架けるということで、希望を失わない。そんな意味が込められていると思うんです。『見上げてごらん夜の星を』『ふるさと』に続く、応援歌として採用しても良いのじゃないでしょうか。日本語訳も素晴らしかったと思います。勿論英語に堪能なかたには無駄なことでしょうけれど。 アロマというとおかしいのですが、淡路島の北部西海岸に、元一の宮町があり、ここは線香の町としても全国的に知られたところで、何割かを生産しているかと。で、というわけではありませんが、慶野松原荘で見つけたこのセット。何と、ブラームスだとかベートーヴェンとか、モーツァルトの名前が入ったケースに入っていて、香りは5つだったかな。そのうちの柑橘系=ブラームス ラベンダー=モーツァルトを購入し、早速使ってみましたが、なかなかのものでした♪ いつまでも涙を流していても仕方が無いことはわかっていても、時折こんな涙を流してしまうまあちゃんです。。。今日より見える日は無いんですよね、これから先。。。って、折角良い気分になったところなのに、ごめんなさい。
2011.05.20
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日本の渚100選にも選ばれた、淡路島西海岸にあります、慶野松原。余りにもお天気が良いのに誘われて車を走らせた。というのもいつもの喫茶店が開くのは午前9時半。(お店で聞いたら8時半から開いていたとのこと) 華道草月流の市販だった伯母の今日は4回目の命日。なのでお墓へ参らせていただいた後、一路西淡へと車を走らせたのだった。初めての道路をライフメヌエットは軽快に走ってくれる♪ 伯母のご実家宅にはどなたもいらっしゃらなかったので、3匹の猫と暫く遊び、それでもお店の開店時間にはまだ間があったのだ。 伯母の実家の枝垂れ梅の下にネコが3匹。伯母がネコ大好きな優しい人だったから、私を警戒もせずに思い思いに遊んでいた。そして、たまらなくなって一枚を♪ 枝垂れ梅が見学できるシーズンは春のお彼岸の中日前まで。お彼岸の中日には選定してしまうからだ。そして、二か月を経た今日の状態がこんな感じ。見事に緑の葉っぱに覆われていて目にはとても優しい感じ。その下をネコが気持ち良さそうに遊んでいた。 お家のかたはどなたもいらっしゃらないようだったけど、ひとしきりネコと遊んだ後、お墓へ参らせていただいた。高台にある伯母のお墓からは本当に見晴らしが良く、じっと佇んでいたい気分。平成19年の他界だから、かれこれ4年も経った事になる。何だか信じられないけど、ここがもう伯母の永遠の安住地なんだとしみじみ思う。 裏の碑文によると、万葉集巻三 柿本人麿呂が当時西国へ行かれた折、慶野の海を思って歌われたとのこと。 当時も、今日みたいに、いや、当時の方が綺麗だったかもしれないけど、日本の渚100選に選ばれたのだから、そりゃぁ、綺麗なわけです♪ この歌を書いたのは元兵庫県知事です。というようなことを紹介していた碑文。淡路島は当時から御食国と言われ、朝廷に食べ物を献上していた島。京阪神に近いということもあり、随分手厚い保護もされたのだと思う。 食べる物を調達するのに便利な島だったのだから、当然といえば当然なのかな。今の政治家さんたちにも是非読んで欲しいです。食べる物を生産する人の大変さも含めてね。 やはりお天気が良いと、海の色もこんなに青くなるんだと実感。風は西寄りで日陰にいると涼しいぐらいなのに、日差しのきついこときついこと。そりゃまぁ、淡路島の空気は格別綺麗だから、紫外線を遮るものが無いんですよね。歩くのには気持ちの良いお天気だけど、日焼け対策だけは万全にしておかないと、大変なことになりますよ!
2011.05.18
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初めてではないと思ったら、昨年の4月22日に扱っていたことを思い出した。随分長目にしていたんだなぁと、見比べて驚いた。。。芍薬も、今回入れたような感じに一度。。。?と思っていたら、それはもう、遥か昔のことだった。暑くなり始め花が持たないこともあり、教室へは足を運ばなかった期間が年に一度か二度あって、先生はそれでも気長に待っていてくださる。 足元の扱いに、私の中では少し不満があったため、今回のお誘いに乗ることに。そして来週の月曜日には今度は淡路島で会おうという話になっている。奇跡の星の植物館で開催されている、薔薇祭の見学が目的で、是非とも足を運びたいと仰る。そりゃぁ、花が好きということで、第一回の花を入れる会が開催されたのだから、見逃す手は無いと思う。会期は5月31日までとはなっているけれど、やはり出かけるなら早い方が素敵な薔薇に出会えそうだ♪ そして、お花好きにはたまらない、お隣の国営明石海峡公園にも立ち寄りたい。チューリップは見頃を終えてしまったけれど、それはそれは色んな花と出会えるのだから。こんな広い公園なら、一日遊べそう。車の進入が無いから、芝生に。。。寝そべったらあかんのかなぁ。歩くだけなのかなぁ。ベンチはあったと思うんだけど、日焼け対策を十分にした上で出かけないと、とんでもないことになりそうな。淡路島は空気が綺麗な分、紫外線がまともなので。。。
2011.05.10
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こんな素晴らしい絵が描ける人は一体。。。?パンフレットに上手に使われている。一体、どなたのレイアウトによるものなのか、そのことに感動してしまった。 天秤絞りなどにつきましては、会社のHPを参考にしていただくことにしまして、今からだと熱燗より、冷で美味しお酒が有難いかな?お酒のパンフレットも参考になる。まぁ、好みの問題もあるだろうし、“梅の恋”なんてネーミングの梅酒も美味しい。こちらは1升瓶入りが出ているので、梅酒好きには嬉しい♪ 真ん中の赤い部分に会社の名前が入っている。おのころ島神社との位置関係は、これで一目瞭然かな?ついでに我が家も。あの辺にありそうな。高速道路を下りても迷わずに辿り着けそうな?インターは、洲本で降りた方が分かり易いかも。です。 たまたま隣にも貼ってあった地図を発見して並べてみた。これで更に位置関係ははっきりするのかな?島外から来られる人のことを思うと、やはり洲本インターで降りられた方が分かり易い気がする。インターを右折して、国道をまっしぐら。他の道がどうとか考えずに、“円行寺”の橋を渡ってから右折。たったこれだけ。幾つ目の信号なんて聴かないでくださいまし。
2011.05.04
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先日、姫路へ同行してくださったかたのお宅の近くでこんなに素敵なガーベラを発見♪ 花に白い縁取りがあるような、珍しいガーベラ。しかも、いくつかが一緒になってまるで花束のようになって咲いていた。お昼に近い春の日を浴びて、更に鮮やかな色になっていたようだ。 その後、ランチタイムを。ということで立ち寄ったカフェレストラン『ながら珈琲』テーブルを飾る花は、何とアイリス。そういえば、今頃お花の教室で扱うことが多かったこの花。ずうっとひんやりしていて、今年はまだ見かけていなかったので携帯を近づけた。 カッターナイフ1本で仕上げてしまったという作品が並べられていて、暫くギャラリー風に展示するとのこと。七福神に始まり、作品は本当に細かい細工で、驚くばかり。カッターのみ使用で、こんなことができるものなんだ。と驚かされるばかり。 印刷屋さんで、版下製作などの作業にカッターナイフは欠かせなかった。でも、かなり苦手分野だったから、私には人間業とも思えない。 作品の数々。千手観音まで並べられていて、ただただ驚くばかり。好きなだけではとてもここまでは出来ない気がする。 初めて立ち寄ったお店なのに、とても癒されたのはやはりBGM。いくら音楽が好きだといっても、そこはやはりボリュームだったり、耳触りだったりする音というのもある。たまたま責任者のかたが、中学時代ブラスバンド部でトロンボーンを担当していらっしゃったお陰か、素敵なジャズが流れていて、本当に心地良く感じたので、野菜たっぷりサンドの美味しかったこと。ミネストローネスープが登場し、デザートも付いて900円。相棒さんが頼んだクラブハウスサンド。これはその後、一緒に母に逢いに行ってくださるかたへお持ち帰りとして別に頼ませていただいた♪ 我が家からはほど近いところに、こんな素敵なお店があっただなんて。おまけに、我が家からだと左折で簡単に入れるし。。。
2011.04.28
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京都府船井郡まで移動したのは、姪の娘の人形浄瑠璃を観るため。イベントそのものは昨年の8月だったけど、このときには既に今年開催される、国民文化祭のPRに余念がないようだった。 こんな機会でもなければ、冬は雪に覆われるという、京都府船井郡まで足を運ぶことはまずないだろう。 三原中学校郷土部顧問の先生がとても熱心で、このステージへの参加となり、会場で渡されたのが、この可愛いPRキャラクター。10月26日から開催される、全国的なイベントだけど、やはり、姪の娘が居たからこそ、こんな遠くまで足を運ぶことができた。げ題は、「朝顔」と他にもう一つ。 人形、舞台セットなどを持ちこむので、かなりの荷物になる。生徒たちは南あわじ市のバスで移動。舞台道具や譜面台(なんて言わないだろうけど)=けん台でした。三味線に太鼓などはトラックをチャーターして、結構大変だ。 淡路人形浄瑠璃の中でも有名なのが、「巡礼阿波の鳴門」(正確なげ題名は後ほど。。。)だと思う。母親が娘を目の前に母親とは名乗れない事情があり、結局は親子の名のりもしないまま、分かれることとなる涙無しには語れないお話。 あら筋が分かっているのに、いつも、このシーンではハンカチを取り出さずにいられない私。ここの語りも本当に素晴らしく、いかに観客の涙を誘うか。それが技量なのだそうだ。 単に、文化では片づけられない淡路人形浄瑠璃。伝統文化の伝承はずっと続いて欲しい。
2011.04.27
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この文字だけでも値打ちがありそうな、サロンコンサート。柳学園中学・高校。そして花園大学書道教室を終了され、現在読売書法展幹事及び日本書芸院二科審査員、日展作家として活躍される、坂東恵風氏による表題が載せられたパンフ。大きさはA5版。手作りのパンフだけど、何かとても大切なものを頂いた感じがする。 『本日は「本濱寿明と仲間たちによる室内楽演奏会」にお越しくださいまして。。。』で始まる、本日のメイン演奏者クラリネットの本濱寿明氏の挨拶文。今回のサロンコンサートは、いつもと趣が違う。 実は、先日迷いに迷った姫路市立美術館へ同行した彼から、「24日に津田さんとこやで~」と知らされただけで、内容については全く。しかも、私は午前11時から始まる、父の弟、その奥様の七回忌法要に出なければならなかったので、滅茶苦茶遅れてサロン会場に到着。 なので、結局内容もつかめないままサロンの隣の部屋へ。そして薄暗くした部屋に、クラリネット、チェロ、ピアノの音が広がる。。。私にはフルートが入っていたように思うのは、もしかしたらビオラだったりしたのかなぁ? 室内楽用のプログラムを普段耳にすることが無いので、とても素晴らしい時間を与えてくださった、サロン主さんには感謝。しかも、遅れて行ったにも拘わらず、満面の笑みで迎えてくださったこと。本当に有難かった。 ベートーヴェン ピアノ三重奏第4番変ロ長調 作品11「街の歌」 ブルッフ 8つの小品 作品83 ブラームス クラリネット三重奏曲イ短調 作品114 が奏でられた。私が会場へ着いたのは、どうやらブルッフの途中だったようだ。しかも、ブルッフの4曲目と5曲目の間の15分の休憩後。小品といいながらも長いのでは7分もかかるのだから、相当に体力が要ると思う。それぞれの楽章に演奏時間も添えられて、一体この本濱氏の体力たるや、一体。。。?と、凄いとしか思えない。 ピアノとチェロにしても、ずうっと演奏が続くのだから、それなりにかなりきついプログラムだっただろうに。 サロン主の性格だなぁと微笑ましかったのは、何と。クラリネットのリードまで紹介されていたこと。まぁ、クラをやられる人なら誰もが憧れるクランポン R-13に、リードはRico Reserve classicですと。 参った! こんなことなら、「リードミスなどしませんよねぇ」と意地悪な質問をするんだった。私は、「クラリネットの魅力をひとことで」と「自炊ですか」この二つだけ。自炊かどうかを聴いたのは、体力勝負のこの世界。食べることが大事なんだ。ということも頭の片隅において欲しいですと訴えたかったから。(流石、調理師!) 因みに、サロン主が自慢とするピアノですが、さりげなく『本体 B-11 509976 調整 花井 光雄』とあるだけ。これで、わかる人にはわかるんだろうなぁ、どんなに凄いピアノかってことが。
2011.04.25
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不思議なことに、淡路島に住んではいるのに、わが町には海が無い。というわけで、久しぶりに海辺へ♪ やはり、潮の香りばかりは平野では感じることができない。旧緑・旧三原だけが淡路島の中で海には接していないことになる。それだけ広いということになるだろうか。圃場整備が進んだ田畑は綺麗な四角に区切られており、私の実家がある山がちな地区とはまるで違う。 岸壁に沿って歩いていたら、こんな物を見つけてしまった。今は季節外れなのかどうか、かなり沢山並べられている。明石までは少し距離があるけど、この辺でも蛸漁は行われているようだ。 何か、私が観たこともないような仕掛けを船尾に付けているのがいくつか並んでいたけど、声をかけることも出来ず、疑問は解決できず。まぁ、時間が時間だったから無理もないのかな。漁師さんて朝が早い仕事ですから。と、“くぎ煮”で有名なイカナゴ漁のための仕掛けだったりするかなぁ。。。? 海と山のコントラストが面白いかな?と、携帯ながら、しかも太陽光に苦労しながら写してみた。少し曇ってたから、そんなには海が綺麗に写ったとも思えなかったけど、案外。。。? 漁港ならではの船溜まり。地元ではお目にかかれない風景に、しばし見とれておりました。(一体、どこの子やねん!)なんて言わないでくださいまし。
2011.04.21
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ひょんなことから偶然に、開催されていることを知った『漢字とかな書展』。南あわじ市滝川記念美術館玉青館の開館20周年に合わせ、『かな書のこころ』として、森本栖鳳書作展、『自由に強く深くおもむくままに』として加登亙書展が。 ごあいさつとして裏表紙にあった文をそのまま引用させていただきます。 『このたび、南あわじ市滝川記念美術館玉青館の開館20周年記念に合わせて、漢字と仮名書展を開催させていただきます。書の鬼才であられた加登亙氏とは半世紀に及ぶ書友で、生前より二人展を予定しておりましたが、一昨年春に急逝され、今回は残念にも名作を偲ぶ展示となってしまいました。私は当館にて平成14年に古稀の書展を開かせていただき、本展ではそれ以後の近作と他に小品を少し書き加えて展示いたしました。 書は中国の古典と日本の伝統書法をふまえ、文字性を備えたうえに、各々の魂と好みがあり、それを作品より感じ取っていただければと願っております。』 かな書とはまた対照的な、漢字。1階と2階に分かれて。。。やはり、重みのことを考えてなのか、1階を漢字。2階をかなに充てていたようだ。選ばれる紙の色、紙質などにも作者の思いが込められている。ときには濃淡だったり、全く別の色の組み合わせだったり。 漢字にしても、白い紙に墨を載せていく、そのバランスがまた素晴らしい。『おもむくままに』という言葉がピッタリな気がする作風だ。 地元で秋に開催される文化展とはまるで違う。それなのに、『いずれも不十分な作品ですが』の文字。大家とはこうしたものなのかなぁ。短歌を学んでいらっしゃるかたなら簡単に文字をなぞることができるのかな。考え込んでしまうようなのもあったけど、基本には忠実に。ということだと思う。 応援レタックスが1通と、上品な電報が3通。。。レタックスの場合、ファクシミリ送信によるものなので限界はあるだろうけど、やはり紙そのものは真っ直ぐになっていて欲しい。印刷屋さんがご覧になったら、顔をしかめそうな歪み方。電報とは格段の差をつけられていた気がして、ちょっと残念。電報に比べると余りにも品格に欠ける気が。不要な線などはホワイトで消してコピーするぐらいの心配りをして欲しいものだ。
2011.04.21
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本当に久しぶりで、旧西淡へと車を走らせる。その前に、母が大変お世話になっている、地元の方の支援センターの介護支援専門員さんにしたためた文章をことづけておいた。介護認定の前に、母のことを少しでも理解していただくために。 お店に着いたのは、正午はおろか、午後1時をも回ってしまっていた。家を出たのが正午近くだったのだから無理も無いかな。 先ず、マスターがお店の入り口に向かって歩いていらっしゃる。私とは直角にお逢いする形になり、私の方から「お久しぶりです♪」と声をかけさせていただいた。 ブログの更新が滞り始めた頃からご無沙汰にしていたのだから、何カ月振りだっただろう?それでも、お店に入ると奥様が快く迎えてくださった。 私が調理師の免許を取るための試験を受けるときに、保健センターにいらっしゃったかたで、いわば、受験手続のときにお世話になったことになる。 ランチタイムには随分遅れていたにもかかわらず、ランチメニューの中から、「ヒレカツキノア衣」をオーダー。添えられた野菜の調理法にもとても懐かしいものを感じる。そして、やはり熱々のカツの美味しいこと。以前、オーダーしておいて、他のショッピングを楽しんだりしていて、マスターの心遣いを全く無にしてしまったことがあり、申し訳なさで一杯だったことを思い出した。 何と、ご家族用にと造られた、肉の野菜巻きを追加してくださり、有難く頂いた。で、いつもながらに気になっていた、カツにかかった美味しいソース。実はただのケチャップとはわけが違う。○ルモンテ社製のに、ちょっと香味を加えたと仰る。ケチャップでもメーカーによっては、こんなにも味が違うものか。と驚く私。 食べるのもゆっくりな私なのに、そこへ会話が加わって尚更遅くなってしまう。母のこともご存じで、心配してくださったので、特別養護老人ホームへ入所したことを告げ、「また、来るね」と店を後に。 実は、このスーパーではこれだけに留まらず、百均で買いたいものがあったこと、新鮮野菜を生産者の顔が見える形で販売しているコーナーがあり、寄ってみたかったのだ。毎週火曜日は特売日で、安いところへ更に1割引きとあっては、避けるわけにはいかない。 私には珍しい、“ヤーコン”を、実はSolaさんで試食させていただいたばかり。シャキッとして美味しかったので早速手を。淡路島で栽培されている農家があることにも驚いたけど、『糖尿病の予防に効果がある』のだそうで、早速夕食のサラダに登場させた♪ そう、Solaさんで頂いたレタスと共に。 火曜日以外の日にもまた、出かけようと思う。 そうそう、Solaさんで久々にお逢いしたかたが、私が以前会話が盛り上がった人だと思ったら、やはり当たっていて、何だかとても嬉しくなった。大阪のこともよく存じていらっしゃって、飛び出す地名に次々に私が反応すると、やはり懐かしさと一緒になって盛り上がってしまう。 そんなこんなで、予定にしていた母の元へ着いたのは、午後4時を回ってしまっていた。。。全く、母には申し訳ないことをしてしまった。次からは気をつけよう!
2011.04.20
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ありゃ?確か楽天のフォトで“4枚合成”ってのがあった筈なんだけどなぁ、アルバムのところになるのかなぁ。わからないので、いつものごとく1枚ずつの紹介に。カツオのたたきの登場です。淡路島産玉ねぎ、徳島産すだちが添えられ、季節を先取りの一品♪ 器で、盛り付け方で楽しめました。勿論、味も最高♪ 筍と何と目にも鮮やかなのはオクラ。普通は添え物といえばキヌサヤが多いのに、オクラが登場したのには驚きを隠せなかった私。筍が載っているから若布も?と思ったら、若布は無く、このオクラが味を〆ていた気がする。こんな風に添えたら、何と上品なんでしょう♪ 勿論味も良かったです♪ 淡路島の会席料理に外してはならないのが、このお造り。新鮮な魚が手に入るから、こんなに豪華に♪ 私の一番のお気に入りはイカ。もうこれさえあれば何も要らないけど、ちゃんと他にもトリガイ、鯛、ハマチ、車エビが。何と贅沢なのでしょう。ワサビをタップリ添えて、お醤油にも拘りが感じられた一品でした♪ 何と貝殻を(ムール貝を思わせる?)形を3枚連ねてこんな素敵な器が♪ 左からホタルイカの味噌和え、筍木の芽和え、白子の煮物と並んでいて、何とも上品な。器そのものも薄くて扱いにはとても注意を払わないといけないだろうに、敢えてこの器を選ばれた板前さんの拘り。こういうのって洗うのにとても苦労するだろうに、目で楽しませるためのご苦労が感じられて微笑ましい3品でした♪ 最後に登場しましたは、天ぷら。温かい天つゆと、卸し生姜がのっかった大根おろしで頂く天ぷらは、最高♪ 海老が何と2匹。それと、細工された茄子、ししとう、魚、サツマイモなどなど。南瓜もあった気がする。揚げたてサクサクがご馳走な気がするけど、人数と品数のため、座席に着いたときは既に並べられていました。少し冷めてもだらけたりしない揚げ方。流石ですね。後は温かい茶碗蒸しが登場したのとデザート。赤いイチゴと丁度食べ頃に熟したパインアップル。絶妙の取り合わせ♪。実は、もう一品、キスの唐揚げっぽいのに、サザエの壺焼きがあったのですが、撮影できずでした。 女性の集まりには欠かせないお喋り。食べながら、喋りながらでビールは7人で2本。これが多いか少ないか。私は断然少ないと思う。。。でも、乾杯分を除いた分は殆ど私が。皆さん、お上品だし、ドライバーに気を使って遠慮していたのかな? ご馳走様でした♪
2011.04.19
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昨年、私の誕生日に他界した義兄の今日は一周忌の法要。集まった人たちが口ぐちに、「一年経つの早いね」「昨年はもっと暖かかった気がする」などと。流石に涙とは縁の無い一日だったけど、本当に一年経ってしまったんだ。と複雑な心境になる。 法要の後はお決まりの会食。私には本当に懐かしい随分久しぶりの場所だった。また、日本の夕陽、日本の渚それぞれに百選。海水浴場としては百選の中の特選に選ばれた、瀬戸内海国立公園淡路島・慶野松原に近い国民宿舎とあって、格安で利用できる。海水浴のシーズンでは、水着のままでも浜辺へ出られる? 海の近くだからこそ、ご自慢の海の幸♪ 鯛は勿論、鮪なども手の込んだ仕掛けがされていて本当に美味しかった。お造りが盛られた四角いお皿の向こうに見えるまぁるいお皿には鰤の照り焼きが。一体何種類の魚と出合っただろう。温麺には焼き穴子が。酢の物にも太刀魚が加わっていたし、お味噌汁にまで魚の荒が加わっていた。勿論、若布もタップリ添えられていた。寄せ鍋に入っていたつみれにはどんな魚が使われていたのかわからないけど、食べ応えがあって美味しかった。 奥左から白和え、その右に太刀魚の酢の物。手前左は(本当は三種盛りなのに、久々の携帯画像では2皿しか写らなかった)筍と菜花の煮物、右側は出し巻き卵風の蒸し物。確かもう一品は酢〆にされた鰆だったかと。 本当は、有頭海老天麩羅の立派なお皿があったのに、携帯では写すことができずに残念。 法要の後の会席なのだから、当然歓談しながら。ということになる。コンテナに一杯のカブトムシは、大阪へ持って帰るとかなりお友達に喜ばれたらしい。世話好きの義兄だからこそ、森や林を駆け回って捕ってくれたのだそう。また、それがたまらなく懐かしいと仰った義兄には甥に当たる人。私には知らなかった義兄の一面を垣間見た気がする。きっと、義兄も目をキラキラ輝かせながら虫たちを追いかけていたに違いない。。。どうぞ、安らかに。
2011.02.20
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11日最大の目的地の最寄り駅が兵庫。なので、お隣の駅と聞いては是非行ってみたくなって、授業が終わってから一人で出かけた。阪神淡路大震災では一番の被災地となったであろう神戸市長田区。勿論、どの地もそれぞれが最大と思われるような被害だったと思う。 JR神戸線・新長田駅はかなりモダンなイメージが私にはあった。そして子ども連れが多いこと。もう、鉄人28号に逢いに来たんだという雰囲気が漂っている。街灯までもが、鉄人28号の顔になっていて、驚いた。 この案内図によれば、長田商店街周辺は、三国志ゆかりの土地でもあるのか、何カ所かをめぐるスタンプラリーが行われているらしい。なかなかおもしろそうだったけど、次の予定もあり、踏破することなんてとても無理。と諦めて、目指す本体へ。。。 傘をさす必要があるかどうか悩む程度に雨が落ちていて、携帯でチャレンジしてみたのがこの画像。幸い、人が写っていたので人との大きさの差は歴然。資料など全く無いので、一体どれくらいの大きさなのか、落ち着いて探せばあったのかも知れないけど、この鉄人28号の姿を観たらもうそれで満足。 駅でもそうだったけど、雨なのに小さいお子様連れのご家族が多かったこと。 最早、かの震災を思わせるものは何も無いような。震災を契機に色んな工夫が凝らされ、とても便利な住み易い工夫がされている。はて、長田区内にはいくつ駅があるのか、私が歩く道すがらは、“梅ケ香”。目的地は“東尻池”。梅が香る大きな池がかつてはあったのかなぁ。もっとも、昔はほとんどが田んぼだっただろうから、そんな名残があっても良いのかな。 鉄人28号と対面していたのは、ほんの数分だったけど、新しい名所になりそうな。商店街を歩く時間は無かったけれど、次回はゆっくりと歩いてみたい。 (実は7月12日にUPしようとしたのに、途中で水平モードに。なのでかなり遅れてのUPになってしまいましたが。。。)
2010.07.12
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木曜日が定休なので、楽しみなランチを。今週のランチメニューは“ヒレかつキノア風”。野菜が少ないかのように見えるのは、マスターが千切りにした野菜を食べ易いように塩もみして、完全に塩を抜いているので量としてはかなり沢山の筈。ドレッシングなどかけないであっさりと食べられる工夫が嬉しい。別のお皿には、大根をかなり細い千切りにしたものに大葉が加えられ、それがいわばお漬物代わり。メインのヒレかつに、キノア風のソース。スープも具だくさんで雑穀もバランスよく加えられている。黄色いポテトサラダは、きっと茹で卵を細かく刻んで加えていらっしゃると思ったら、これがヒエなのだそう。卵なんてマヨネーズ以外は使ってないとのことで驚き。デザートには黒米と雑穀を使ったおはぎ。これがまた柔らかくて、もちっとしていて本当に美味しい。勿論、ご飯も雑穀を加えて炊いていらっしゃる。これはマスター特性ブレンドの雑穀。日によっても微妙に変えているのだろうけど、そこまでは私にはわからない。 この日、実は入口で制服を着た6人のグループと一緒になった。もしかしてランチ?と思った私は早歩きに。そしたら、何とやはり入って来られた。続いて、別の4人のグループ、そして一人のお客様。 全員がランチをオーダーし、てきぱきとご夫妻でさばいていかれる。私は午後2時半からのシフトだったけど、お店には一番乗りだったから、運ばれてくるのも当然一番。ゆっくりゆっくりと味わっていただく。 冷房の利いた部屋では温かいスープの美味しいこと。オーダーがあってから揚げ始めるヒレかつ。熱々で、衣もカリッとしていて本当に美味しい♪ 量はタップリなのに、やはり仕上げはコーヒー。入ってしまうところが実は怖いけど、午後8時半までは何も食べられないと思うと、ついつい。。。
2010.06.10
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先生からお聞きしていたのは3月頃だっただろうか、兵庫県のイベントとして、“ふれあいの祭典”の一つに組み込まれた、『兵庫いけばな展 淡路会場』は今日から前期は22日まで、後期が23日から25日まで開催される。たまたま今日が休みだったので、会場まで足を向けた。実は、今日は、3人のいとこが集まって、同窓会をしようということに。そして、午前中をこのいけばな展で過ごし、近くのパスタ屋さんでランチを予定していた。会場には先生の姿は無かったけれど、どれもこれも素晴らしい作品。先生は決まり切ったのではなく、自由な発想で入れられていたようだ。それが。。。 こちらの作品。バラを巧みに使ったこと、蔓を自由奔放に遊ばせている感じがいかにも先生の作品を思わせる。結局は先生にお目にかかれなかったけど、十分に堪能させていただいた。ただ、残念なことに、やはり花の脇には入れられた人の名前だけが表示されており、どんな花を使われたのかはまるでわからないのもあり、いつもながらにちょっと残念。 大きな作品で印象に残ったのは、青竹を色々に工夫して、長いのは長いまま、金色の水引を入れていたり、菖蒲は菖蒲、青竹を色々な長さに使って花器としていたり、長く育った筍をそのまま入れたのがあったり。運び込むのも大変だっただろうけれど、こんなに太い立派な竹を一体どこで見つけられたのか、見事なまでに太さが揃っていたことに感心してしまった。 パスタは、淡路島っぽくちりめんじゃこやらオオバ、梅肉を使った和風。パスタランチでオーダーすると、ドリンクバーが利用できる。そしてランチは、ガーリックトースト。サンドイッチ用の食パンを使っていて食べやすかったこと♪ ドリンクバーではグレープフルーツジュースを。 さて、同窓会の会場は実は実家を予定していた。ところが午後から加わる予定だったいとこから、洲本市内の喫茶店で。と変更要請があり、そのまま洲本市へ移動。聴けば、一人は5月18日、もう一人が5月19日が誕生日とのことで、コーヒーブレイクの後に、ケーキセットをオーダーし、レモンティーで乾杯。今日のケーキはパンプキン。私には父方の女性のいとこは他にも居るけれど、淡路島在住は3人だけ。なのでまた会おうね。と解散。初めての同窓会にしては盛り上がったかな?またこんな機会を持ちたいと思う。次はいつにしようかなぁ。
2010.05.20
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毎週火曜日がいわばサービスデーと知ったこと、同級生が生産したネギが購入できるとわかって、どうしてもそのネギが食べたくなって、今日もそのスーパーに出かけた。実は、母の夕食用に作ったおかずを運んで、その足でスーパーに行って、雑穀エキスパートさん経営・Solaでのランチと、目的の品物を買う予定で家を出た。買い物した品々を冷蔵庫へ納める必要もあったので、その時間を見計らって、午前11時半には食べ終わってスーパーを出ておきたかった。 Solaさんでランチを頼んでおいて、その間にスーパー内をウロウロ。母に頼まれていた天眼鏡を探すために、まず100均へ。昆虫採集用の虫眼鏡が果たして母の役には立つのかどうかわからないけど、まぁ、100円だからと購入。その後スーパーの食料品売り場と、お値打ちの地元で生産された農産物が並ぶコーナーへ。Solaさんへ戻ると、丁度ランチが出来上がったところだった。 ランチメニューは1週間連続しているというのに、金曜日に食べた私のために、メインをハンバーグにしてくださる。これは有難かった。シメジや野菜がたっぷりと入ったハンバーグ。こんなの身体に悪い筈がない。 お腹から元気にをモットーにしていらっしゃるから、雑穀がたっぷり入っている。ご飯にもおかずにもスープにも。そして、特別に切り干大根の胡麻和えを加えてくださった。見事な戻りよう。真っ白な大根が不思議に思えるほどシャキッとしていて、戻り具合でこんなにも違うんだ。と実感。 お店は4月で1周年を迎えたばかりというのに、各地からのお客様。これもご夫妻のお人柄なんだと思う。雑穀は小売もしてくださる。雑穀には、ミネラルも豊富だし、何といっても食物繊維が摂れることが有難い。白いご飯だけを食べるよりはるかにお腹には優しい気がする。お肉を減らし、その分を野菜で補うハンバーグはシメジがそのまま姿をあらわしたりするので、はじめは驚いたけど、お肉。という感じよりも、身体に優しい物をいただいていると実感できる。 目標の午前11時半にはスーパーを出ることができたのも、こちらのママのお陰。無事に午前1時からのシフトにも余裕で間に合うように家出することができた♪ お忙しいのに、メインを快く変更してくださって、本当にありがとうございました!
2010.05.11
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何しろ新しいパソコンは画像の処理の仕方がわからないので、画像はありませんが、今朝は二つある巣の両方に親ツバメがいて、どうやら雛の世話をしているかのようでした。母は雛がかえったようで。と、どうやら雛の声を聞いたらしいです。 車を門に入るか入らないかに止めると、親ツバメがかいがいしく世話をしているのに遭遇して、驚かせてはいけないと思いつつ、車の中から携帯で一枚。流石にドアを開けて私が外へ出たら、二羽とも慌てて飛び立ってしまったけど。もう、白いライフの音を覚えてくれたかなぁ。私は決して悪いことはしないので、驚かないでくださいな。 雨だと土が柔らかくなって、新しい巣造りのための土だってふんだんに手に入りそうだ。手に入るといっても、ツバメたちは口ばしで運ぶのだから、素晴らしい技術だと思う。手でつかむみたいに、両手で。なんてことはありませんよねぇ。 政治の世界では色々な動きがあったよう。でも、このツバメたちには関係無い。まだ黒い毛も生えていないだろう雛たちの、無事の巣立ちを祈るばかり。 画像そのものの処理の仕方は全く同じだった♪ヤレヤレ。TOSHIBAにはなったけど、こちらのサイトそのものは生きていたようで、何とかクリア。でも、パソコンに入れておいた画像はアウトなのかなぁ。全部こちらへアップロードしておけば良かったかなぁ。携帯に残っているなら、もう一度トライしてみようかなぁ。って、大した画像じゃないのですけどね。 まるで山が動かんばかりの大事件となった、起訴処分相当判決。そんなことに比べたら、一主婦のつぶやきなんて、取るに足りないことだらけ。何を書いても空しいだけではありますが、その前に、植物図鑑で花の名前を調べようっと。
2010.04.27
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今朝は母に水菜とエノキの胡麻和えと、切干大根を煮たのを運び、門を見上げると、何と、昨日は向かって左側の巣に居たのが、今日は右側の巣に。左側の巣を目を凝らして観ると、新たに土のかたまりを付け加えたのがはっきりと分かった。こちらも使うようだ。で、右側も使い勝手の良いように工夫しているところだったのかも。 本当はツバメの巣は3つあったので、一つは完全に無くなってしまって型だけが残っている状態だから、また居心地が良かったら3つ目の巣もできるかも知れない。 独居高齢者になった母は殆ど家の中で過ごすようになってしまったから、門を出入りするというと、近所の人か、私と兄ぐらいなもの。そんなに悪さするとは思えないから、ツバメはちゃんとそのことを存じていらっしゃるのかなぁ。3つ目の巣ができたら、さながら集合住宅のような賑わいをみせるだろう。 実家は6軒並んだ、上から2番目の家。通り門があるのは上のお宅と我が家だけ。なので巣を造り易いのかなぁ。 昨日は、久々に行ったスーパーでもツバメが飛び交う姿を発見し、見上げたら、一番高いところに巣があって、驚いてしまったけど、羽がある分高さなどへっちゃらなんですねぇ、羨ましくもあったし、ほほ笑ましい光景が観られて嬉しくなった♪ どの巣で育っても、無事に巣立ちのときを迎えて欲しいと祈るばかり。
2010.04.21
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ウッカリと画像は忘れてしまったけど、確かに親ツバメだった。餌を運んできたようだ。実家に行くと必ず通り門に車を留める。そして玄関までを歩く。これはお天気が良くても悪くても。通り門にはツバメの巣が何と3つ。その一つをどうやら親子のツバメが利用しているようだ。見た目は昨年と変わらないかに見えたのに、ちゃんと利用していたんだ♪ 今年は、春になっても暖かくはならず、ツバメはどうして姿を見せないのかと心配していたけど、ちゃんと季節は巡っていたと思うと嬉しくなる。山も桜はすっかり葉になってしまい、そろそろ新芽の色で山が笑い始めた。 ツバメが一羽しかいなかったのが気になるけど、卵はこれからなのか、既に雛がいるのか、ハッキリとはわからなかったけど、雛たちには無事に巣立ちを迎えて欲しい。 ただ、そうなると、車を留める位地には注意しないと、とんでもないことに。門へ入らないのが一番かな。でも、巣の他は絶対に汚さないから、それもお利口さんだと思う。スズメに狙われないように、そしてヘビにも睨まれないように気をつけて欲しい。
2010.04.20
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パンフレットによると、瀬戸内海の潮風かおる緑の中で…。『“ウェルネスパーク五色”は、五色町が生んだ偉大な先駆者高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)を顕彰して、永く後世の人々に語り継ぐために造られた記念公園です。この公園を市民はじめ、淡路島内外の人々が訪れることで、温かい出会いとふれあいを育み、潮風と緑に包まれるひとときは、必ずや洲本市を深く印象付けてくださることと思います。 高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)は、江戸時代後期に活躍した海運業者で、明和6年(1769年)五色町の貧しい農家の長男として生まれました。特に北方に着目し、函館に本店を開設して上方への商品流通に力を注ぎました。また幕府に協力し、択捉ー国後島間の航路を開拓し、北方の漁場開拓も行いました。彼が北方で活躍していた頃、ゴローニン事件が起こり、航海中の彼はロシアに捉えられました。この機に彼は日露両国の交渉に尽力し、ついにゴローニン釈放が実現しました。江戸時代にして、日露民間外交の先駆者としても偉大な功績を残しました。50歳で郷土都志に帰り、文政10年(1827年)59歳で波瀾の生涯を閉じました。』 公園内にはこの高田屋嘉兵衛の業績と足跡を後世に語り継ぐ資料館・菜の花ホール[高田屋顕彰館・歴史文化資料館](開館 午前10時~午後5時)があり、高田屋嘉兵衛の持ち船辰悦丸などの展示も。そして、この記念碑があるのは、芝生広場に設置された葉外ステージから通じる坂道を上がったところにある夢工房の建物を更に奥へ進んだ部分。それを左へ階段を下りたところにお墓が。 案内板を建てたのと同時に植樹されたであろう木が大きくなったため、覆いかぶさるように影を作り、画像では文字を読み取ることができませんが、お墓と、葬儀を行ったお寺などを含めて、ウォーキングコースを設置しているようで、その葬儀を行ったという、淡路島七福神霊場のひとつ、長林寺へも足を運んでみることに。実際、葬儀が行われた寺のことを知ったのはこのときが初めてだったし、長林寺は無線の移動運用なども含め何度か訪れているので、その辺のことも探ってみたいと思ったから。 緑の部分に書かれた文字。コースとして組み込まれているためか、やはり長林寺でも同じのを見つけることができた。庭掃除をしていた女性に案内されるように、寺の中へと足を進め、実際に高田屋嘉兵衛のご位牌も観せていただいた。 墓地へと続く葬列は、寺へと途切れることがないくらいに大勢の人に見守られたとのことで、どれだけこの高田屋嘉兵衛が人々に愛されたかがわかる気がする。 函館市には高田屋嘉兵衛の像があるので、函館を訪れた際には是非こちらへも出かけたい。 淡路島出身ということで、何年か前「菜の花の沖」というタイトルでドラマ化されたことと関係があるのかどうか、この公園では毎年菜の花祭りが行われ、今年はたまたま例の阿久 悠顕彰モニュメントの除幕式を同じ日に行うことに決めたようだ。 車で移動するとほんの数分でお寺には着いてしまう。でもこれが葬列となるとかなりの人だったと思う。私には想像さえもできない。 淡路島出身の偉人はまだまだ居るけれど、とりあえず今日は公園の紹介ということで。
2010.03.30
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風は冷たいし、どうしようかと悩みつつ、実家へ寄った後、急遽出かけることに。先日は大合唱団の一人として参加しただけで、結局あたふたと帰路につき、モニュメントには近づけなかったので、間近で観たいというのもあったし、阿久 悠さんの“あ”に合わせて“A”の音に決めたという鐘の音。それを確かめてみたかった。一路ウェルネスパーク五色を目指す。モニュメント横のレストラン、浜千鳥に着いたのは正午前だったせいか、食事前とあって次々と鐘を鳴らす人がいらっしゃる。お天気はそれほど悪くはないのに、風が冷たい。レストラン内だと風は感じられないので、のどかな青空と広大な敷地に芝生が敷き詰められ、本当に気持ち良さそうだ。 鐘の脇に設置された歌碑。和田アキコさんのコは漢字の“子”だったのかなぁ。ってことは私がずうっと間違えていたことに。だって、勝手にカタカナ変換していたから、それで合っているものとばかり。ごめんなさい。第一回目にカタカナで入力してしまったためのミスかなぁ? 高い場所に立ってこの歌詞を見ていると、やはりおのずと歌が口をついて出てきてしまう。思いっきり声を出して歌っても、誰にも聴こえないと思い、一番だけ歌ってしまった。バックには勿論鐘の音。 この音も実は拘っていて、阿久 悠さんのイニシャル“A”と、そのままの音を合わせて、“A”つまりは“ラ”の音と決められたらしい。そう思って聴くと、何やら“ラ”に聴こえるから不思議だ。どこまでも遠く響き渡る音は本当に素晴らしい。ただ、紐を引く力の入れ具合で当然音が大きくなったり小さくなったりする。二人でそれぞれ紐が引けるようになっている。そして、鐘の上には阿久 悠氏のお名前“You”を筆記体で阿久 悠氏直筆の文字から取られたものらしい。反対側に風見鶏の羽がついていて、当然風で回る仕掛けになっている。だから、鐘とこの“You”の文字が読めるような位地でシャッターを押すのはタイミングが必要。特に今日みたいな風の強い日には。 ゆくゆくは薔薇をいくつかのドームに這わせて行く計画があるようだ。そのドームの丁度中間にモニュメントが設置されている。この時期芝生は枯れていて青々してくるのはこれから。それでも、子供たちを遊ばせるには十分な広さがあるし、絶対に車が入ってこないから安全は確保できる気がする。
2010.03.29
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入り口から少し歩くとラウンジ。大きなガラスからは大鳴門橋が一望できる。なかなかの眺め。だからこの場所が私は好き。義兄の法要を終えてこちらに着いた頃には少し曇り始めていて、真っ青な空を臨むことができなくてちょっと残念。高台にあるので邪魔するものは何も無い。右が鳴門、左側は淡路島側の鳴門岬。 ラウンジのテーブルを飾る花に目をやると、根元に何やら炭のような物が敷き詰められていた。スタッフの方に確かめることはできなかったけど、多分炭じゃないかな。 食事内容は、流石に春とあって、鍋っぽいのは無く、蒸し焼き。ホタテの貝柱が大きかったこと。鯛とシメジなど。これをポン酢で。“ほうらく焼き”っぽい感じに見立てたのかな。そして、若竹煮。私には今年初めての筍だった。若布も魚も淡路島では豊富に採れる。味付けが優しくて、それでいて筍にしっかり凍みていて美味しかった。勿論、最初に箸をつけたのはお造り。こちらご自慢のお料理だ。ヒラメに鯛。イカが無かったのはちょっと寂しい。そして、こちら名物の天ぷら。大きなエビ、椎茸、サツマイモなど。やはり揚げたてだから美味しい。天つゆを出してくださるタイミングも素晴らしい。そして茶碗蒸し。ゴマ豆腐など。にゅうめんは流石に、中の椎茸と一口か二口入れただけだった。食べ残すのが嫌いなのでなるべくなら平らげたいところだけど、お腹がパンクしそうで。デザートにはオレンジとイチゴ。順序がまるで逆になったけど、八寸の中にはいかなごのくぎ煮、もずく、何かのヒレのようなのをおせんべいのようにしたもの。次々と運ばれてくるお料理に飽きることはない。ポン酢味、甘辛の煮付け、出しがきいた天つゆ。酢の物に入っていたのはタコと、魚はサヨリだったのかなぁ。お肉はというと、茶碗蒸しに入っていた鶏肉のみ。これは私には嬉しかった。最後のご飯でいただく、お味噌汁がどういうのだったか、蓋も取ることができなかったけど、兎に角、お魚が新鮮だったことが都会からの人には大喜びだったのじゃないかなぁ。 お肉をメインにするのか、海の幸をメインにするのか。。。まさかこちらでホタテの貝柱がいただけるとは思っていなかったけど、器にも凝っていて目で楽しみ、舌でも楽しませてくれ、大満足の会席料理だった。8月7日にもお世話になることが決まっているので、それはそれで楽しみでもある。
2010.03.27
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今日は久々の休み。勿論昨日からは3連休になるけど、昨日は宝塚、そして明日は義兄七・七日(49日)の法要があるので、実質丸一日がフリー(とは言っても、実は夜は“楽しい方の”コーラスの練習が。まぁ、これは明朝早いため、団長に断っておかなきゃ。)なので、買ってきた“宝最中”を配り、ランチタイムは久々にSolaさんで。と決めていた。実は、昨日もかなりな出費だったのに、まぁ、自分へのご褒美のつもりで。。。と、ゆうちょ銀行の通帳からも引き出しの連続だけど。 お店の正面を飾る花。フリージアの絶妙の枝ぶりが本当に見事だったし、たまたま活けられた先生(池坊)ご本人がいらっしゃったので、お許しを得て携帯を近づけてみた。肝心の一番上のぐ~んと伸びた感じがうまいこと入っていないのが残念だけど。で、実はそのバックの絵も先生の手によるものなのだとか。額に入れられ、ガラスがあったので撮影は叶いませんでしたが。 フリージアにもいろんな色があること、本当に目を楽しませてくれる。ラッパ水仙とのバランス。そして、後ろからそっと見守るように入れられたのはストックかな?もしかしたらヒアシンスかも?ですが、そこまでは確かめられなかったので、ごめんなさい。 綺麗な花はテーブルにもそれぞれ工夫して飾られている。花を愛で、美味しいお料理を戴いて、本当に満足できるお店♪ 身体に優しいお店は全国にいくつもあると思う。でも、こちらは別格。お買い物に疲れたら、甘い物なども用意されていて、店長も、店長夫人も本当に気さくな方。勿論、お持ち帰りもできる。
2010.03.26
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これはポスターからの引用ですが、大体の感じはこんな感じで、鐘の上部には“You”の文字を筆記体で、そして♪が飾られています。 晴天の下、本当に沢山の人が集まり、そのときを待ちました。。。 一番の目的、和田アキコさんたちは、鐘を鳴らした後、私たち合唱団の目の前を通り特設ステージへ。思わず、「こんにちは~♪」と声をかけたら、目が合ってしまいました。私は合唱団の前列の一番はじっこにいましたから、真っ先にアキコさんに気がつくのは当り前なのですが。 会場近くの丘にはこんなモニュメントもありました。“瀬戸内少年野球”のことが映画にもなりましたが、作者がこの阿久 悠氏。楽しそうに野球をする少年たちの像と一緒に発見した、その阿久 悠氏の戦争に対する思いを綴ったかのような詩もありました。“戦争”を“洪水”に例えて、こんな風に述べられています。 “ぼうふら”。。。人間には決してためになる生き物ではありません。でも、水溜りには必ずと言って良いほど。阿久 悠氏が何故平仮名表記にされたのか、もう聴く術もありませんが、私は、この“水溜り”を何か人生における苦難だと思えて仕方がありません。かつて、堺市役所山彦コーラスで取り組んだオムニバス『大きな樹』に、小さな迷い犬のことが出てきます。それはそのまま迷える生徒。。。私たちのことなんですねぇ。『水溜りが飛び越せない』という歌詞だったかと思います。もう。。。83年のことですから上演してから27年にもなるのですねぇ。この頃に、既にシンナーを吸ったり、世の中で言われるところの“悪い子”像が出来上がっていたのですね。まぁ、“水溜り”を阿久 悠氏はどういう例えにしたかったのか、この歌詩からは氏の思いに少しだけ近づくことができるのかな?とそんな気がしました。その息苦しさよりも、空が青かったことが頭に残っている。。。綺麗な空だった。というより、戦争がやっと終わったんだ!という喜びを表した青空だったのでしょうか。 淡路島は快晴でした。歌手の和田アキコさんは、ステージの後、本当は私たちが拍手する中を退場。。。の予定でしたが、ステージ裏に設けられた階段から即座に車へ。 阿久 悠氏が祈られた平和への思い。この思いがどうぞ全世界へ届きますよう、今日も鐘が鳴り響いております。
2010.03.23
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案内葉書が届いたのは、淡路人形芝居サポートクラブから。いつのことだったかは忘れてしまったけど、偶然、姪の娘が参加するという。このことは、実は徳島大学病院に入院していた義兄がとても楽しみにしていたらしい。そこで、今日は遺影を携えての見学。実は、私以外の家族で前々から決めていたとかで、たまたま休みだった私も同行させていただくことになった。場所は徳島県美馬市脇町オデオン座。姪の娘の出番が午後3時頃ということで、早目に家を出て、四国へ渡ってからランチを。 川沿いに建つオデオン座。川沿いには柳が植えられており、どこか城之崎を思わせる風情。プログラムと同じ色でこんな立て看板が用意されていた。これこそ現地へ行った人でなければ撮影できない物。というわけで携帯を近づけた。 実は、家を出たのが午前11時前だったというのに、道を間違えてしまった。何故か私が唯一知っている、高松道をひた走りに走ってしまっていた。。。乗っている5人が免許を持っているというのに、何故かナビに頼り過ぎたようだ。昨夜あんなに地図で調べて道順を確かめていた筈なのに。私は高松道を走っても、脇町ならそのまま真っ直ぐ南下すれば行けないことはないなぁ。なんて思っていたら、津田の松原の一つ手前のインターまで走ってしまっていた。あらら。おまけに、工事渋滞のために二車線の部分も対面通行になっていたから、予定を大幅にずれ込んでしまっていた。ようやく会場近くのスーパーの駐車場に車を留めることはできたけど、お昼がまだ。なので、会場近くの、山田洋二監督直筆サインが飾られていたお蕎麦屋さんへ。待たされること数時間?と思うほど待たされ、大急ぎで食べて会場へ戻った。 入り口に掲げられたポスター。福の神が西宮の浜に現れたこと。そして淡路島を経て徳島は脇町に辿り着いたことで、この“浄瑠璃街道”という名を全国的に広めようと発足された、今回が第一回の公演だったようだ。なので、西宮市からも戎にまつわるグループが『戎かき』で参加されていたし、南あわじ市からは地元中学の郷土部が『戎舞』を披露するために参加。 西宮市のグループは3人でそれぞれ人形を使ったり太鼓を叩きながら踊りながらという演技だったけど、それなりにとても楽しそうに演じていらっしゃった。笑う門には福きたるというけれど、まさにそんな感じで、始終ニコニコ。将に恵比須顔とはこのことだろう。 南あわじ市の中学生たちは人形遣いと、義太夫。総勢何人だっただろう。人形だけでも主に3体。(もう1体は数に入れるかどうか)。それぞれを3人が担当している。そして義太夫席には太鼓を受け持つ女子が一人、そして男子が一人。前の席には姪の娘を含む女子生徒が4人。ときには一人で語り、後は4人が声を揃えて。。。これはとても難しいと思う。先生へのインタビューでは今日が初演とのことだったから、一体どれだけ練習したんだろうと感心させられた。一人で語るならそれなりのペースで行けるけど、4人が声を揃えて。というのは伴奏が入らないから尚更難しいだろう。普段は三味線使いの姪の娘。声が通って響いていた。難しい台詞まわしなどがあるし、いくら本を見ながらと言っても現代音楽のような五線譜じゃないから、大変だっただろうと思う。本当にお疲れ様!義兄もきっと大喜びだったと思う。道を間違えたときは「コラ!何しとんねん!」とお叱りを受けそうな雰囲気だったけど。何しろ義兄は生きたナビゲーター。淡路島瓦を九州へ運ぶのに、あらゆる道を走っていたらしいから。まぁ、何とか無事に行事を終えた姪の娘。そして見守った家族たち。こうして無事に帰宅することができ、それは勿論義兄にも報告を。 人形芝居というと、昔は子供たちが楽しむものとされていたのに、曽根崎心中などが扱われるようになると、段々大人が楽しむ物とされ、大阪の本格的な文楽、そして西宮を経て淡路島。更には四国へと結ぶ一つのルートを“浄瑠璃街道”と名付け、これからも大いに交流を図りたいとのこと。何か、淡路島だけに留まらず、こんな広い観点で人形浄瑠璃を見据えていることが私にはとても凄いことだなぁと。
2010.03.21
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この見事な雪柳に導かれるように、伯母の実家へ。かつては枝垂れ梅で人を呼んだお宅。今はすっかり剪定されて、ピンクの梅は全く影も形も無い。でも、遥か遠くからでもこの白いのが目に入る。一体何があったのだろうとお宅へ到着。それでその白い物の正体が雪柳だと判明。こんなに沢山植えられているのを私は初めて観た。梅の頃には何かわからなかったし、考えたらこの時期にお訪ねするのが初めてだったから、今まで全く気がつかなかったことになる。それは見事です。梅よりも遥かに私には見応えがあると感じました。 剪定後の枝垂れ梅というのも勿論私は初めてだ。ここまで見事に刈ってしまうのだ。そして日数をかけて枝が伸びて花をつける。枝垂れ梅だからこそ伸び方があんなにも早いのかな。来年も是非見事な花をつけて欲しい。 昨日は北よりの風で陽射しがきついのに、ヒンヤリとしていた。そして今日は一転して南よりの風に大荒れ状態。外へ出ると、生暖かい空気に驚く。家の中は案外ヒンヤリとしているのに。だ。だから体調管理には気をつけなければいけないと思う。 枝垂れ梅を今年初めて観に行った日に戴いた、剪定の説明書。上に伸びようとしている枝だけを残して全てはバッサリと。ここはもう思い切りが大事なんだと思う。やはり来年の花のことを思うと、この剪定がどんなに大事な作業なのかがよくわかる。木そのものが大きいので、作業は本当に大変だろうな。本当に頭が下がります。 造園業を営んでいらっしゃることもあり、枝垂れ梅以外にも立派な植木が一杯。それを観て歩くのも楽しみの一つだ。枝垂れ梅が余りにも有名になり過ぎて、今はひっそりとしているけれど、見事な雪柳、庭を自由に走り回る猫たち(そう言えば伯母も猫が好きだった。。。)と玄関に飾られた大きな額。白い猫が描かれており、伯母が京都にお住まいだった頃の作品なのだとか。華道は草月。この日本画は。。。?私にはわからないけど、こんな大作を仕上げられていたとは。。。
2010.03.20
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夫が三ノ宮で夜勤という夜なので、夫用の夕食を作る必要が無い♪のでどうしようかと迷いつつ、午後7時までのシフトを終え、忘れ物を取りに駐車場まで行き、車で局へ戻って、それから西淡へ車を走らせたから、時間的にどうだろうなぁ、と心配になりつつ、恐々お店(14日にお邪魔したSolaさんのドアを開けると、奥さんとご主人が笑顔で迎えてくださる。で、チキンソテーをオーダー。日曜日の火曜日だし、お昼も外食だったのに。と思いつつ、お逢いしてお喋りできるだけでも値打ちものだと思ったから、ここはエイ、ヤッと清水の舞台から飛び降りるような気持ちで。 オーダーしておいてスーパーのコーナーへ。翌日のお弁当のおかずの品定め。丁度良い具合の南瓜とジャガイモ、人参、トマトなどを見つけたので早速購入。一人分のお弁当なんだから、後は冷蔵庫にあるものを適当に見繕って。。。と、翌朝が午前8時からのシフトだからお弁当が必要!ってことは実は夜遊びできない日なんだ。 お店に入る前に、ハム仲間にメール。そしたら何と、そのハム仲間から伝言。「待っていて」そりゃもう、待ちますけどね。食べる間に来てね。 やはり、アッサリしていて、本当に美味しかった♪先日同様、キャベツの千切りを塩もみして半分にしたのが添えられている。身体のことを本当によく考えていらっしゃると思う。それと小鉢には茄子の味噌和え風?小さなデザートは“おはぎ”に代えてきびで作った安倍川風のを。そしてティタイム宜しく、お豆腐で作ったケーキなんてのも出してくださる。これは奥様のお心遣い♪本当に遅い時間にも関わらず笑顔で対応してくださるのには頭が下がりっ放し。 お友達という、今回洲本市市会議員に当選された方を連れていらっしゃる。。。実は、ハム仲間が誰か市議会議員選挙に立つ人の応援をされると聴いたとき、「市議会議員に立たれるなら一度は洲本市内の歩道を歩いてみてくださいな」とメールを差し上げた。目を通されたかどうかはわからないけど。。。市議会議員は立候補者全員が当選を果たし、今は同日選挙の予定だった市長も決定された。 色々、話が弾んでお店を出たのが午後10時を20分前だった。本当は火曜日の夜は義兄の四・七日法事なんだけど、夫も居ないし私が翌朝早いシフトなので。とお断りしておいたのにな。でも、ま、こういうことならお義兄さんも許してくださるよね、きっと。。。
2010.03.18
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ステージ関連の行事(14日)と絵画展示(10日~17日)が西淡公民館、手工芸作品は南淡公民館、書道関連作品は緑公民館と、会場をそれぞれ別にして展示の部門は行われていたため、会場を全部回ることは働く主婦の身の上ではちょっと無理があったけど、友達の作品を観たくて南淡会場へ足を運んでみた。 1階ロビーには戸塚刺繍の大きな作品が並べられていた。奥へ進むとやはり刺繍の作品が並んでいる。こんなことができるんだぁ。と思うばかり。 2階にはパッチワークなどが。そして見つけた猫に思わず微笑んでしまった。パッチワークで、こんなことができるんだ。もっと大きな作品は確かに一杯あったけど、私にはコレしかない♪と携帯を近づけてしまった。こんなことがねぇ。パッチワークでねぇ。と思いも寄らなかった。布そのものを改めて染め直して。みたいなのもあったし、見事!としか言いようが無かったけど、一番のお気に入りが猫というのはちょっと偏見あり過ぎかな? 実は、県立淡路病院へ二回目の入院をしたのが、平成14年。なので知り合って8年にもなることにも驚くけれど、彼女が続けていらっしゃるというロマンドール。地区にもかなり熱心な方がいらっしゃって、作品が並んでいたけれど、ここはお友達の作品を。携帯を慌てて近づけてしまったので頭の部分が切れてしまった。ごめんなさい。 3階ホールは、他にもアートフラワー、金箔、押し花、七宝焼き、編み物、刺繍で飾られたスリッパなどが。100均で買ったスリッパをこんな風に刺繍をすれば、世界に一つのスリッパに変身するんだ!と感心させられた。 じっくり観て回るとやはり時間が。。。ランチは外食と決めていたので近くの喫茶店へ。サンドイッチを頼んだらトーストされていて、とても食べ易かったこと。サラダが盛られていて、胃にも優しい工夫がされていたこと、コーヒーが何と“ナカムラ”社製だったことで、また行ってみたいお店の一つになった。 展覧会見学、ランチの間、実はガソリンスタンドへ車を預けて給油と洗車を依頼。アンテナは勿論外して防水処理をした上で洗車機へ。なので、気持ちの良い午前を過ごすことができた。
2010.03.18
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家から西淡公民館までを最短距離で向かうと途中にお洒落っぽい喫茶店が見つかった。駐車場にも近いし、これは歩いてでも行けそうだ。と目星をつけておいて、会場を一旦抜け出してランチタイム♪と思ったら、どうやら日曜日は開いていない雰囲気(後で聞いたところによると閉店中だったようだ)なので、仕方なく、大型ショッピングセンターへ。そちらに行けば食べることぐらいは何とかなるだろうと思って入ったのが、雑穀エキスパート木下店長経営するところの“Sola”というお店だった。何も知らずに入ったし、午前11時を少し回ったところだったので、お店には一人も居なかった。正直、大丈夫かぁ?なんて不安もよぎった。で、早速“今日のランチ”をオーダー。日曜日なのに、ランチなんて頼んで良いのかなぁ、と奥さんに聞いてみたら、大丈夫だとのことで一安心。 『ソラの料理はすべて店長が心をこめて手作りしています』と紹介されている通り、ヘルシーな雑穀を使ったお料理が並ぶ。メインはヒレカツ キノア衣。それに量を半分にまで絞り込んだキャベツの千切り、トマトが添えられている。キノアというのはやはり雑穀の一種なのだとか。何も知らない私はどこかの国をイメージしていて、正直食べられなかったらどうしよう。。。なんて思っていた。衣にこのキノアを加えることで、全く胃もたれしない。これが不思議。今から歌うのにどうかと思ったこのヒレカツ キノア衣。ペロッと平らげたけど、違和感は全く無し。後、お漬物のキュウリの薄切り。蓮根の金平にはゴマ。スープにも雑穀が浮かべられていた。お料理の全てに雑穀を。ということで、デザートのおはぎにも赤米が使われていると仰ったかなぁ。 店長は、以前『お腹から元気に!』という本を出版されたそうで、お店のコンセプトにもなっている。お腹って、以前にも私が知っている薬剤師さんが、「小腸は第一の脳なんだよ」と仰った意味が何となくわかった気がした。 定休日は木曜日。大型ショッピングセンター“シーパ”にあります。都会からもブログをご覧になって明石海峡大橋を渡って来られる人が沢山いらっしゃるそうで、これも納得。本当に身体のことを考えたら、やはり食べる物って安易に考えてはいけないと思う。 友達を呼んで、話は大いに盛り上がってしまったけれど、私は集合時間の都合で途中で退散。残してきた友達とは更に会話が弾んだと思う。淡路島にもこんな素敵なお店があっただなんて。これは淡路島の自慢にもなりそうな♪
2010.03.14
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私が高校時代に開店したこの喫茶店。店主“早苗ちゃん”がジャズが大好きということで、とても良い感じのBGMを流してくださる。自家焙煎に拘って、焙煎室まで作ってしまった人。そんな素敵なお店で。。。実はここのところ、義兄の葬儀やら何やらで久々にお訪ねすると、2月26日(義兄の葬儀の日)に行われた綾戸ちえ=(漢字表記忘れました)さんのコンサートには行かなかったとのこと。私は。。。替わって行ってくださった人からまだ何も感想は聴いておりません。お礼の言葉。。。まぁ、こちらから行ってと頼んだのですから、「6500円ください。」とは言えないにしても、感想ぐらいは言って欲しい。。。 早速携帯を近づける。実は、ネット友達の“志津ママ”さん(間もなく出勤タイムなので、リンクを貼り付ける時間がありません・ごめんなさい)のところで“蕪の花”が話題になっていたところだったので、コレは!と思い、早速UPさせていただきました。この時間、お気に入り登録にしている皆さんのところへも伺わずに先に自分の日記をUPしてしまいますこと、どうぞお許しください。。。では、本日も安全運転で!
2010.03.03
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余りにもお天気が良い休日。午前中は美容院を予約していたので、そちらで潰れてしまった。お昼はどうせ一人分だし、ちょっと奮発して、気になる郵便局の位置を確かめるのと、何か美味しい物。ということで車を走らせた。お天気の割りには風が冷たく、車を走らせる分には快調なドライブ♪ 美容院に着くと走行距離が5並びになっていたのが嬉しくて、携帯を。と思ったら家に忘れたらしい。これはもう仕方が無いので、次に写すときはどこまで数字が伸びているか、それも楽しみ。 車は一路洲本市五色町向け移動開始。ランチタイムはコチラの浜千鳥で戴く予定にして、車は快調にスタート。昨夜給油したばかりなので、尚更車もご機嫌のようだ。けれど、残念ながら携帯を忘れたままだったことに、着いてから気がつくというバカな私。しっかりと目に焼き付けておこうと思って戴いたお昼が、五色ふるさとご膳だったか、弁当だったか。窓際の席は全て埋め尽くされている。それでも、カップルの隣を陣取って座る。 熱した瓦にバターを置いてサイコロステーキ宜しくカットされたお肉を焼く。大きなかき揚げが何と二つ。そして、時雨煮のような感じの鉢物、お味噌汁、サラダ。お漬物が別皿に盛られていたのはとても嬉しかった♪そして、お造りには千鳥を模った人参が添えられている。オオバと大根。これに赤い人参だから目にも鮮やか♪食べようかどうしようかと悩んだけれど、携帯が無いのでお腹に収めることに。お味噌汁の蓋はすんなり開いたのに、ご飯の蓋を開けられずに困っていると、すかさずスタッフが駆け寄り開けてくださった。この心遣いにも感謝! 同窓生と思しきグループが賑やかに歓談されている。私が隣に座らせていただいたカップルとは親しいお友達のようだった。先に京都へ向かって移動するとのことで写真撮影。いっそのことなら全員でと思い、「押すだけなら」と申し出る。すると、私を一緒に。とカップルの男性が(外国からいらしたようだ)。ならば、とすかさず手にしていたニューポート大学から届いた封筒を。「この文字が写るようにお願いします」でも。。。その後、写真はどうやったら私の手元に届くことになるのだろう。彼自身が大事に保管されることになるのかな?ま、それはそれで良いとしよう。名前すらもわからなかったのだから。 帰りがけ、大阪は枚方市からお見えのご夫妻。鳴門市にある、大塚美術館見学のために訪れたようで、今からだと数時間しか見学できないので、淡路島で一泊したいと仰る。ならばと、私には通り道にあった、慶野松原荘をお勧めした。さて、今夜のお泊りはどうされたのか、私にはわからないけど、暫く私の後ろを走っていた気が。。。途中で左折されたようですが。慶野松原荘なら私の丁度帰り道だったのだけど。 朝見たら“5”が並んでいたメーター。家に着いて携帯を取り出して写したのがこの数字。結構走ってんだ、私。。。 日曜日に続いてのお昼の外食。しかも、今日はコーヒーを含めると1000円札2枚弱。ま、たまにだから良いかな?
2010.02.18
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一昨年に撮影したものですが、朝(そりゃ、午前7時前じゃ無理かな?)気がつかなかった“幟”が設置されていました。そろそろ南あわじ市はおろか、全島で最大規模を誇る梅林の開園です♪この“幟”が目印。 通勤途中にあるのに、今年はまだ足を踏み入れておりませんが、紅梅はすっかり見頃を迎えていそうな。管理は地元の人たちに任せられているようだけど、下草を刈ったり、肥料を施したり。結構仕事は沢山ありそう。 見頃を迎えると、お土産物屋さんが出たりするから不思議。駐車場と梅林が近いのが梅にとって優しいのかどうか(?)だけど、結構急峻な山道を登る感じになるので仕方が無いのかな。あま~い香りに誘われて。。。と、今日は時間的なゆとりがないかなぁ。帰りは午後7時を回ってしまうし。エッ?ライトアップなんて。。。どうだったかなぁ?
2009.02.06
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画像は2年前の物ですが、『新酒の香り漂う酒蔵へ』という案内メールが届いたので、早速出かけることに。この時期にしかない新酒。仕込んだのは勿論昨年だけど、『槽掛け天秤搾り』がこちらの酒蔵で、1月3日から始まったらしい。昨日に引き続き、今日も見られるというので、仕事休みの一日、美容院の後お邪魔することに。 天秤搾りが行われている部屋の扉の前に立つと、もうほのかな甘い香りが漂っている。甘酒を仕込むときとはまた違った、格調高い香り。甘酒なんて、母が仕込んでいたのはもう40年余りも前のことになる。それでも覚えているのだから、この感覚は一体、何なんだろう? 歴史を感じさせる、樫の木。機械とは違い、こういう搾り方に拘った社長の意気込みも凄いと思う。ゆっくりゆっくり時間をかけて搾るからこそ味わい深い味になる気がする。『垂れ口から滴り落ちる』という新酒を、流石にハンドルを握らなければならない私は味わうことができなかったけど、甘い香りというのを十分に堪能することはできた。 室温は8℃程度に保たれているようだ。醗酵は温度の影響を受け易いとのこと。気温や湿度によっても微妙に違ってくる。だから同じ材料を同じ様に使っても、その年の味というものが誕生するのだそうで、この味の違いがわかるようになるまで、私には相当時間がかかりそうだけど、今のところ外気温は丁度良いのだそう。お天気も良くて、8℃というと、ちょっとヒンヤリ。という感じかな? どう見てもあの石は、江戸時代拷問に使っていた石のように思えて仕方が無い。総重量1トンなのだとか。それをも持ち上げる力で圧縮して行くのだから迫力あります。
2009.01.04
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で始まる有名な句を世に送り出した、服部嵐雪。その有名な句碑は我が家からは程近い、おのころ島神社本殿へ通じる階段脇に建立されている。折りしも、服部嵐雪300回忌記念展が行われている、淡路人形浄瑠璃資料館へ行ってみた。 そこで見つけたのが九十九里の地酒 梅一輪実はこれには驚いてしまった。探せばあるものなんだ。嵐雪300回忌記念事業実行委員会の長を務められる服部先生はハム仲間。先生がふと検索したら見つかったのだと仰る。実は、この「嵐雪300回忌記念句集」のタイトルが「梅一輪」だった。展示された句碑の原本や拓本。また直筆の『近江八景』などに並んで千葉から取り寄せたというお酒が並んでいたのには正直驚いてしまった。折角だから本当は地元の酒蔵が。と願いたいところだが、この句に惚れ込んだ創設者がそのまま社名にされたのだとか。まぁ、驚いた! ただ、先生はハム仲間ということと、校長として赴任していらっしゃった高校のブラスバンド部の定期演奏会でタクトを振られた経験がおありだから、音楽とは無縁でないとは思っていたけど、私が在校していた高校ではずうっと物理畑だった先生がこんなにも文学方面にお詳しいとは思いもよらなかった。 生まれがそのまま俳句の世界へといざなったのかな。色々解説してくださる先生の目の輝きが印象的だった。
2007.02.09
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今日付け地元紙の地域ニュース欄に、江戸期の俳人 服部嵐雪 300年忌記念展のことが紹介されていた。そのまま引用させていただきます。 『江戸時代に松尾芭蕉の門下の一人として活躍した南あわじ市ゆかりの俳人、服部嵐雪の功績を振り返る「嵐雪翁三百年忌記念展示会が7日、同市淡路人形浄瑠璃資料館(同市市三條)で始まった。嵐雪直筆の短冊など貴重な品々約30点が公開されている、5月13日まで。(大森 武) 嵐雪は1654年、三原郡小榎列村の生まれとされ、「芭蕉十哲」の一人として活躍した。 展示会は、住民らでつくる「嵐雪翁三百年忌記念事業委員会」が昨年10月の句碑建立と句集発刊に続く記念事業として開催した。 句が記された短冊6点や近江八景を描いた水彩画など嵐雪自筆の品のほか、市内5ヵ所に建立された句碑の原本や拓本が並ぶ。 50~250年忌までの50年ごとに発刊した記念句集のほか、嵐雪が片ひざを立てて座る高さ15センチの陶器像や、東京の古書店で見つかった嵐雪の句集なども展示されている。 同委員会の服部達明事務局長は「三百年忌を機に、あらためて嵐雪の功績に触れてもらいたい」と話している。 開館時間は午前10時~午後5時。月曜休館(月曜が祝日の場合、火曜休館)。 同資料館電話0799・43.5037』 画像は10月に建立された句碑。我が家からは歩いて行ける距離のところにあるので、お天気に誘われて歩いて郵便局へ行った帰りに寄ってみた。実はおのころ島神社専用の駐車場へ近づくと、何か紅いものが目に。何と、開花後何日も経ったと思われる紅梅。そして目指す句碑を見つけて携帯を近づけてみたという次第。いつも「地元の方の」コーラスの練習をしている会場のすぐ脇だからお昼を済ませたら行ってみようっと!
2007.02.08
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暮れに届いた『淡路人形まつり』の案内。パンフレットには、『お正月は“懐かしの野掛け芝居”の雰囲気で楽しむ淡路人形』の文字と、『文豪谷崎の愛した淡路島』に誘われて一度は行ってみたいと思っていた。時間的に人形芝居そのものを楽しむことはできなかったが、20分ほどの待ち時間の間に簡単に昼食を済ませようと、二階の展望レストランへ行って驚いた。食券を買ってから案内された席は鳴門海峡が一望できる窓際。いくつかの団体客の予約があるらしく、既に用意されていた中、飛び込みで入る客のために眺望の良い席は空けておいてくれたらしい。お天気が良かったら最高だっただろうが、こればかりは仕方がない。青空は見え隠れしているのにカラッと晴れ渡るところまではいかない。 淡路人形浄瑠璃館内はまるで野掛芝居の雰囲気が漂っている。固定された椅子はそのままだったが、藁で編まれた“こも”がそこかしこに吊り下げられている。昔はこんな風だっただろうなというように。カーテンというとちょっと違うけど、時代劇に出てくる芝居小屋などに使われるような。勿論桟敷といってもムシロが敷かれただけの物だっただろう。それでもムシロの上に並べられたお弁当を広げながら人形芝居に興じていただろう風景が目に浮かぶ。確かに私の小学生時代ではレジャーシートなんてものは無かったし、土の上に並べるといえば、ムシロと限られていた気がする。 『谷崎潤一郎ゆかりの宿』は代表作「蓼喰う虫」をここで執筆し、作品中にも登場する宿としても有名で、どうして淡路島なのか、また淡路人形浄瑠璃をこよなく愛されたのか、関東にはない、淡路島独得の雰囲気がたまらなかったのだろうか。今回は特別に谷崎潤一郎記念館・淡路文化資料館などからの貴重な資料とともに、愛用の品々や昭和初期の淡路島の写真などが展示されている。天保元年創業の宿は移転されたものの、ゆかりの部屋「蓼(たで)」はそのままに移築されたそうだ。
2007.02.02
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今朝の冷え込みようと言ったら車の上が真っ白になってるし、夫が出勤するときに水をかけておいてくれたフロントガラスにはうっすらと氷が。ウソ?ここは南あわじ市なの?午前中をハローワークへ。お邪魔したときにアンケートを書いたら、わざわざ郵送してくださったお食事券の使用期限が明日までとあって、帰りに立ち寄った松葉寿司さんでお昼を頂くことに。お食事券は3枚。なので夫に連絡を取ってみたけど仕事で手が離せないというし、友だちは勿論突然の誘いには乗れないということで一人。満腹感と、余りにもお天気が良いので気になっていた梅林へ車を走らせてみた。綺麗に整地されているし、ちゃんと駐車スペースもある。梅の蕾はすっかり膨らんでこのままだといつ開いてもおかしくないような。でも開花まではもうちょっとかかりそうかな。諦めかけて車に戻ると、何と、赤いのが目に入り近づくと、ヤエカンコウ(八重寒紅)の札が。なるほど真っ赤な八重咲きの梅が。思わず、“梅一輪 いちりんほどのあたたかさ”と木に近づいてみる。ほんのりと梅の香を漂わせている。思い切って来て良かった♪
2007.01.30
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地元淡路島三原地区が誇る都美人酒造株式会社さんのメルマガ担当者=ハム仲間からご案内をいただき、天秤絞りの見学に行ってきました。画像は、チラシからの引用で私が携帯を近づけて撮ったものなのでイマイチ良くありませんが。実際にあの石の塊を見たら誰でも驚きそうな。全重量は8トンと聞いたけど、さて想像が出来るでしょうか。 今夜は午後8時から「楽しい方の」コーラスの練習があり、車に乗る時間までには酔いを醒まさないといけないので。と、午前9時には酒造会社へ到着する様に家を出てひたすら歩く。中学生たちが通学路に使っている部分を実際に歩いてみて驚いたことは、社屋の広いこと、広いこと。いつもは車で通り過ぎるので気はつかなかったけど、一体社屋の端から端までは一体何キロあるんだろう。という様な。。。だから移動には自転車が欠かせないのだとか。これにも納得。 また、精米の度合いは普段私たちが普通に食卓に上るご飯とまるで違う。まるでまんまるの様な。だから精米には3日もかかるのだとか。真っ白い宝石といった感じに精米された米を実際に見せていただいたけど、美味しいお酒になるにはやはり原料に磨きをかけて。というのも納得出来る。 時間の関係で実際に画像の様な形を目にすることは出来なかったけど、100年前の技術を復活させた、この天秤に使われている木そのものは何と九州から運ばれて来た樫の木だと聴いてまた驚いた。美味しいお酒を造るために、この天秤絞りの設備を復活させた皆さんの情熱も凄いし、3年の歳月を費やしても是非!と復活させてしまった心意気が凄いと思う。また、こんな会社が自宅から歩いて行ける距離のところにあることも、とても誇りに思う。
2007.01.19
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昨日は素敵な喫茶店でくつろいでから、淡路島では有数の美術館へ移動。パンフによると、 『1991年、玉青館(当時は西淡町立滝川記念美術館、現在は南あわじ市滝川記念美術館玉青館)は、日本南画界の第一人者 直原玉青画伯の絵画作品および書跡、南画に関する美術品などをコレクションの中心とする“現代南画の美術館”として、また、島内では唯一の美術館として開館いたしました。 開館以来、玉青画伯の作品展はもちろんのこと、玉青画伯ゆかりの作家による作品展・南画や文人画に関する作品展・郷土ゆかりの作家による作品展・玉青館ゆかりの作家による作品展など多彩な展覧会を年間4~5回のペースで開催し、多くの方々に優れた作品をご覧いただける機会を提供してまいりました。 この展覧会では、これまで玉青画伯から寄贈された美術品の中から、今回が初公開となる菅楯彦(すがたてひこ)[日本画家・1878~1963]、矢野橋村(やのきょうそん)[日本画家・直原玉青の師・1890年~1965]、幸松春浦(ゆきまつしゅんほ)[日本画家・1897~1962]の絵画作品をはじめ、当館で個展を開催した森本栖鳳(もりもとせいほう)[書家・1933~]、仙崎誠(せんざきまこと)[日本画家・1960~]、奥山藤一(おくやまとういち)[洋画家・1911~1991]、奥山普(おくやまひろし)[洋画家・1949~]等の作品を展示します。』 二階で展示されていたこれらの作品。どれもこれも味わい深い作品ばかり。中でも、奥山普の「ピアノの上の生物」(1995年)に目が行ってしまったのは、ピアノがKAWAI製だったりしたこと?また、奥山藤一の「日野の阿弥陀如来」(1970年頃)の大作には見入ってしまう。先日お寺で観たばかりの漢詩と思しきもの。ここには森本栖鳳の「季題六句」(2001年)というのが展示されており、味わい深い文字の配列に白と黒の美しい表現に見とれてしまう。 一階では昭和51年(1976)第16回日本南画院展に発表された『禅の牧牛 うしかい草』が常設展示されている。 『本作品は、寛文9年(1669)曹洞宗の月披禅師が著作した、禅思想を絵解きした物語をもとに創作されたものである。人間の本来あるべき心の姿ー純粋な心ーを「牛」にたとえている。人間の心が持つ二面性ー純粋な心と欲の心ーの中で、欲の心によって忘れさられた純粋な心を牛が逃げるというたとえで表現している。忘れてしまった純粋な心(逃げた牛)を取り戻し、純粋性を基盤に社会に奉仕できる理想的人間像を形成しようとするところに禅の神意を求めている。発表当初は全長30メートルにも及ぶ絵巻物形式の作品であったため、1~12の全てが連続した画面構成になっている。』 かぐや姫の歌詞カードの言葉を借りれば、やはり何かを忘れそうになったとき、訪れてみたい場所となっている。改めて『禅の心』が今注目を集めているのが納得出来た気がする。
2006.11.02
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10月26日のことになるけど、お天気に誘われて「イングランドの丘」へ出かけてみた。ただ単に、「もしかしたら美味しいお肉が食べれるかも。。。」という思いで。その肉の塊と思しきものは確かにあった。真っ赤にいこった炭の上でアルミホイルにくるまれて丸焼き状態にされている片脚分と思える物体が。良い香りを漂わせて、後数分後には間違いなく誰かの口に入りそうな。。。折角来たのだからと、“和牛”に思いをめぐらせて一回りすることに。何と、遠く兵庫県は北部に位置する豊岡市からの出場には驚くばかり。また、可愛い女子高生たちが世話をするという牛も。○○農業高校とあり、八鹿市の文字に驚かされる。「お世話されるのですか?」「可愛いですか?」と矢継ぎ早の私の質問にも素直に答えてくれる。牛の名前は覚えていないけど、さて、共進会のどの辺まで勝ち進む(共進会の場合は何と言うんだろう?)ことが出来たのだろう。“兵庫県”が冠になっているぐらいだから、兵庫県下各地からの参加だとは思うけど、中に牛が暑くて大変そうな様子なのを発見して、お世話していらっしゃる人に聴いたら、「淡路島は暑過ぎ!」なんて声が。お住まいのある地区ではもうストーブが焚かれているのだとか。確かに兵庫県は南北に長いし、同じ淡路島でも淡路市と南あわじ市では状況がまるで違う。ましてや、ストーブが必要な地区から来られた人や牛たちが驚くのも無理はないかも知れない。 さて、このイベントを盛り上げようと、「いずみ会・三原支部」のメンバーも朝早くから頑張っていらっしゃった。ゲートをくぐって真っ先に目に飛び込んできたのが、この「いずみ会」の文字。何と朝6時から集まってチラシ寿司と栗ご飯・サツマイモのマフィンなどを作って盛り付けしたらしい。実は「地元の方の」コーラスで一緒のメンバーがお一人いらっしゃって、そのことにも私は驚かされたけど、上手に仕上がったお寿司のパックを目の前にすると、買わないわけにはいかない。干ししいたけの味加減、黄色が目に鮮やかな錦糸卵。。。お寿司好きの母用にも一つ買って実家へ向かう。本当に美味しかった♪他に、おでんとか、フランクフルトなどの屋台も賑わっていたけど、私はやはり「いずみ会・三原支部」の人に拍手を送りたいなぁ。そうそう、それと例の女子高校生たちにも。。。遠路はるばる、本当にお疲れ様でした!
2006.10.27
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華道師範でもある叔母も投句されたとは聞いていたが、13日の命日に合わせて、300年忌記念句碑除幕式が行われた様子が地元紙の“地域ニュース欄”で紹介されていましたので、そのまま引用させていただきます。 『南あわじ市にゆかりの深い江戸時代の俳人・服部嵐雪の300年忌記念句碑除幕式が命日にあたる13日、同市榎列下幡多の榎列公民館で開かれた。関係者ら約30人が集まって郷土を代表する俳人の功績をたたえた。(大森 武) 服部嵐雪は1654年、三原郡小榎並村(現同市榎列小榎列)の生まれとされる。19歳で松尾芭蕉に入門。「蕉門十哲」の一人として活躍した。 島内ではこれまでも、50年ごとに記念句集の発行や嵐雪をたたえる句碑の建立が実施されてきた。300年忌では、県俳句協会役員や地元の郷土史家らでつくる「嵐雪翁300年記念事業委員会」が住民の寄付や市の助成を受けて句碑を建立した。 句碑は高さ約2・5メートル、幅約3.3メートル。嵐雪の代表作の一つ「ふとん着て寝たる姿や東山」の句を刻んだ。 式典では、神事に続いて関係者が句碑を除幕。また、式典に合わせ、島内の各句会による献句や嵐雪の略伝などが記された記念句集「梅いちりん」が関係者に配布された。 同委員会の服部達明事務局長は「今回の記念事業を機に嵐雪に興味を持ってもらいたい」と離している。 来年2月には記念事業の一環として「嵐雪翁300年忌記念展示」が同市淡路人形浄瑠璃資料館(同市市三條)で開催される。』 我が家からは本当に近いところにあるから一度は探索してみたい。事務局長がゆかりの人だと聞いたのは随分前の話になる。最初に聞いたときは本当に驚いた。上品な方で高校では物理を担当していらっしゃったから、何か結びつかなくて。
2006.10.14
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国の始めは淡路島で知られる、おのころ島伝説については諸説あるようですが、地元にある大きな鳥居を紹介します。どれも、携帯画像につきわかり難いかと思いますが、詳細については、コチラを参照してください。
2006.08.09
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臨床福祉心理士の勉強で知り合った、友人が県の依頼を受けて、姫路市からわざわざビデオ撮影のために来島されるとあって、会場への道案内を頼まれた。電話番号さえわかればナビに登録は可能だけど、肝心のその電話番号さえわからないのだとか。ハテ?南あわじ市のHPで何とか見つけて早速メールで報告。 会議は午後7時半から。でも、私自身は「地元の方」のコーラスグループの練習が午後8時から始まるし、何しろ本番までの練習回数が限られているとあっては抜けるわけにいかない。でも、折角だから、淡路島でその友人とお会いできるなら。と会議が始まるまで。のつもりで会場へ行ってみた。 県関係の方が何人か神戸市から来られる。私もあれよあれよという間に、座に着いてしまった。 『□本日のねらいとして、これから、まちづくりを勧めるにあたり、皆で話し合いながら、地域活動(担い手、活動場所など)の課題を整理します。・皆で整理した地域活動の課題を解決するために、県民交流広場事業を活用して、私達ができること(活動)を考えましょう。』とある。 あらかじめ、友人からいただいた冊子には、兵庫県知事の挨拶文が。 『 元気で安心な地域づくりをめざして あいさつも少なかった隣人同士が、励まし合い、助け合った阪神・淡路大震災。私たちは、あの震災から、心の通いあう地域社会の大切さを学びました。 社会の成熟化や少子高齢化が進む今、身近な生活の場での人と人とのつながり、それがもたらす知恵や温もりといったソフト面が、地域の貴重な資源として一層注目を集めるようになっています。最近、住宅情報誌などで、まちの魅力としてコミュニティ活動を詳しく紹介する例も見受けられます。生活の豊かさや安心感は、コミュニティ活動の活発さと密接なつながりがある。そんな認識が広がるとともに、身近な地域でのリフレッシュや地域課題の解決に向けた活動へのニーズが高まっています。 県は、こうしたコミュニティへの期待をふまえ、従来、各地域においてCSR(カルチャー・スポーツ、レクリエーション)の拠点となる施設の整備を進めてきた法人県民税法人税割の超過課税を活用し、より身近な小学校区程度の単位で、みんなが集う“場づくり”と“活動”を応援する“県民交流広場事業”を平成18年度から本格実施します。 この事業が何よりもめざすのは、“参画と協働”によるコミュニティづくりです。さまざまな立場にある主体がきずなを育みながら、地域の課題やニーズに根ざしたコミュニティづくりに取り組まれることを期待しています。その呼び水となることが県民交流広場の役割です。 2ヵ年にわたって実施したモデル事業では、各地域の特性や実情に応じた創意工夫あふれる取り組みが展開されています。活動の回数や参加者が増えた、世代間の交流が深まったといった成果があらわれるなど、コミュニティづくりへの共感の輪が着実に広がっています。 県民交流広場がきっかけとなって、コミュニティづくりに参画する人々のネットワークが広がっていけば、何物にも代えがたい地域の財産ーきずな、自信、誇り、愛着などが生まれることでしょう。そうした目に見えない財産こそが、地域の活力を育む原動力となり、兵庫の元気をつくります。 誰もがいきいきと暮らせる、元気で安心な地域づくりをめざし、県民交流広場を軸に、個人、団体を問わず、多様な主体がパートナーシップを築きながら、ともに歩んでいきましょう。平成18年5月』とある。 それにしても、気になったのは、法人県民税法人税割の超過課税なる言葉。。。お金が無いと言いながら、会議には神戸から10人近くの人が渡って来ていたし、何だかなぁ。という感じ。県からのおしきせではいけないのでは?また、県の職員自体も仕事が無くて無理矢理?みたいに新たな部門を設けて。だったとしたら。。。?補助を受けての事業となると厄介なことが山積みだと思う。 それにしても、文化会館の委託事業だった『淡路音楽祭』の予算さえ削られて来年は催されるかどうかもわからない。。。という話を耳にしていただけに、こういうところへばら撒かれるのって、どうなんだろう。税金の無駄な使い方は絶対にして欲しくない!
2006.07.06
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