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山陽道のトンネル事故。2人が犠牲になってしまったとのこと。燃え方も酷いものだった。車の残骸としか言えない状況に。今日はお彼岸の入りなのに。 玉突き事故というのは怖い!自分は気をつけていてもぶつかって来られたら、防ぎようが無い。844メートルだったら、そんなに長いトンネルではないけど、事故が発生して2時間も燃え続けていたようで、非惨としか言いようが無い。 こういう事故が起こったとき、医療関係施設は大変だと思う。「トラックが追突して」。。。という様に私は聴いたけど、関係者の方々、お二人のご冥福をお祈りしますと共に、一日も速いご平癒をお祈りします。 新聞紙、折り込み広告。。。溜まりに溜まっていて、実はまだ片付かない。明日中にできるかなぁ?運び出すのは夫に任せるとして、私は束ねるぐらいのことはしておきたい。それにしても、あの折り込みって、どうしてあんなに行儀が悪いんだ?きちんと揃えたつもりでも、紙の大きさ、紙質が違うから印刷物のようにきっちりとは揃わない。印刷の向きもバラバラ。気にはなるけど、どうせ廃棄物扱いなのだろうから、揃えたりできない。で、夫には、「一枚、一枚バラバラにしないで、まとまって入っていたのは、そのままにして」と。洋紙は重いからなかなか大変。足が、腰が。。。紙は揃えて置きたい、元印刷会社職員。(笑い
2016.03.17
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というタイトルを見つけたのは、今日付け地元紙文化面の論考欄。『メディア変える戦いを』という大見出しが付いていましたので、そのまま引用させていただきます。 『山本美香さんの死 8月20日、シリア北部のアレッポで日本人ジャーナリストの山本美香さんが殺害された。 山本さんは10年近く前、イラク戦争報道を検証する番組で、同席した記憶がある。西側報道陣の定宿だったバクダッド市内のホテルがイラク政府軍に「誤撃」された事件の目撃談を語り、犠牲となった欧米人記者の血まみれの遺体映像を番組に提供していた。そんな山本さん自身が今度は銃弾の犠牲になった。やり切れない思いがした。 疎外する場 ジャーナリストが取材しなければ、戦場で何が起きているのか、外部からうかがい知れない。だからこそ戦争報道はなくてはならないといわれる。だが、戦闘の激しい地区に入るために従軍取材のスタイルを取る場合、従軍させた側はスポークスマンとしてジャーナリストを利用しようとするし、相手側の目にそんなジャーナリストの姿は敵として映るだろう。 反体制武装組織「自由シリア軍」に案内された取材中、政府軍との戦闘に巻き込まれたと報じられているので、山本さんも敵とみなされたのか。だとすれば不本意だったはずだ。誰をも敵・味方に隔ててしまう戦争それ自体の悲しさ、非人道性を訴えたいというのが彼女の思いであり、戦争に巻き込まれた一般市民、特に子どもをよく取材していたと聞いている。 だが、自らの正義を実現する手段として武器を摂った人たちにしてみれば、そうした反戦的報道も自分たちの信念を否定する敵対的な行為に思えよう。このように「中立公正」なるジャーナリズムの理念が戦場では通用しない。ジャーナリズムの監視を最も必要とする戦場は、最もジャーナリズムを疎外する場でもある。ジャーナリストはそこで、一方で銃に守られ、他方では銃口を向けられつつ取材せざるをえない。 おいしいネタ では、そこまで危険を冒しつつ取材した成果は、どう報道されるのか。社会学者ニクラス・ルーマンはマスメディアシステムを生物にたとえて考えた。遺伝子をリレーしつつ生命を継続させてゆく生物と同じように、マスメディアもコミュニケーションを継続させて生き続けようとする。マスメディアはその生存戦略から、真実や正義の追求よりも、扇情的で刺激的な情報を選んで伝える。そこから波紋が広がることによって、コミュニケーションが継続されやすいからだ。 センセーショナルな情報こそマスメディアシステムを駆動する「栄養」となるー。こうしたルーマンの考え方は極端なようだが、現実の一定部分を的確に説明しているのではないか。 たとえば日本でシリアの内戦状況が懸念されたことはほとんどなかった。より「おいしい」ネタが国内に十分にあり、マスメディアはそちらを主に報道していた。そこに山本さんの悲報が届き、状況が一変する。とはいえ、それは自国の女性ジャーナリストが殺されたという刺激的なニュースとして選ばれ、耳目を集めたのであり、そこから遠方で繰り広げられている戦争の実情に関心が及んだわけではない。 感傷的気分 かつて山本さんと同席した報道検証番組で、戦場の死体を映すべきかという問いかけに応えて視聴者から番組に寄せられたファクスに、「夕食時は避けてほしい」という意見が交じっていたことを今も覚えている。自らの平穏な日常生活を守ろうとする姿勢は、時として他者の不幸に対する過度の冷淡さに傾く。戦争報道は、たとえば死体の映像を露出させる刺激主義に傾いたとしても、そうした内向きの意識を変えられていない。 弾幕をかいくぐる戦場ジャーナリストたちの勇気には最大限の敬意を払いたい。しかし。戦場に赴くだけでなく、戦争取材のあるべき姿を考え戦争の本質を正しくつたえられるようにマスメディアシステムを変え、他者の生を何より尊重する社会をともにつくっていく。そんな「銃後」の戦いにも挑まずには、戦場ジャーナリストの死は刺激的情報として、一瞬の感傷的気分の中で消費され続けるだけだろう。(東京女学園大教授 武田徹)』『』部分引用です。 視聴率競争を煽っているのも視聴者の側にあるとしたら、もっと賢くならなきゃ駄目ですね。数字にだけ踊らされて、より刺激的な話題を選んで報道するのもどうかと思うけど。1億人総白痴化が叫ばれて一体何十年になるのかなぁ。確かに、こうした報道番組を観たからって、各地で起きている戦争が無くなるわけじゃないけど、どれだけこの国が平和であるか。ということぐらいはわかるのじゃないかな。改めて、山本美香様のご冥福をお祈りします。
2012.09.16
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9月3日付地元紙、暮らし欄に、中村うさぎが斬る!大津いじめ問題と見出しがつけられた『イドバタ』というコラムがありましたのでそのまま引用させていただきます。 『大津中でいじめを受けていた中学生が自殺した事件で、学校側の弁明が世間の猛攻撃を浴びた。 一部の女子生徒から「いじめではないか」という告発があったにもかかわらず、教師がいじめと認識せずに放置していたという話だ。この「いじめか悪ふざけか」という見極めこそ、この種の問題における一番の難題ではないかとふと思った。 今回、加害者とされる少年の母親がPTAで配ったビラにも、同様の「認識の齟齬」があらわれていたからである。 この母親はこのビラの中で、客観的にはじゃれ合いなのか、いじめなのかの区別はつけようがない。と主張しているそうだ。そう、少年も教師も、一連の行為を、いじめではないと思っていたかもしれないのだ。 いじめか否かという認識が、加害者側と被害者側で変わってくるのは当然だろうが、第三者の視線でみた場合も、立場や感受性の違いによって、かなり違いが出てきてしまうものだ。 今回の事件では、女子生徒が、彼らの「しゃれ合い」に不快な要素を感じ取り、いじめとして告発したというところが、私には興味深かった。 なるほどね、わかるよ。女子は、暴力の匂いに敏感だもんね。 現に私も、酔った男たちが道端で罵声をあげたり、暴れたりしているのを見ると本当に虫唾が走るもの。彼らにとっては単なる「おふざけ」なのだろうが、そこから立ちのぼる攻撃的な嗜好というか、なんか、「暴力で血がめいてい(漢字変換できず)している感じ」が、なんとも不快な獣の臭いを発散していて、女はそこに本能的に危険を察知するのだと思う。 母親がそう主張し、男性教師も見過ごした「じゃれ合い」に、女性とは、いち早く不穏なサディズムの臭いを嗅ぎ取っていたのである。早晩、それが単なる悪ふざけの域を超えて殺意を含んだ攻撃に代わることを、女子は彼らのめいていぶりから直観的に察したのではなかろうか。 一方、男声教師は体育の教諭、少年たちも体育系の部活に所属していたと聞くが、偶然だろうか。 「体育系」という言葉から、私は限りなくいじめに近い暴力を「しごき」と呼んで容認する、マッチョでホモソーシャル(男同士で結ばれた連帯)な世界を連想する。 そう、ここで2007年の大相撲時津風部屋の「かわいがり」と称した集団リンチを想起した人は正しい。それが、加害者のメンタリティー。もしそうなら、彼らに罪悪感がないのは当然さ。(作家)』 ひ弱だとか、草食系男子とかいう言葉とは無縁の世界もあるわけですねぇ。でも、逝ってしまった人は一人だけではありません。どうしてこんなことが起きてしまうのか、弱い者いじめはどうして止められないのか。。。改めて、犠牲となってしまった多くの被害者のご冥福をお祈りします。
2012.09.04
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中皮腫という病気を引き起こすことで注目を集めているアスベストが、何と、手術手袋用粉末を吸うことで、労災認定を受けるというようなことが、新聞に載っていましたので、そのまま引用させていただきます。 『元准看護士 石綿労災認定』という大見出し。更に『広島 手術手袋用粉末吸い』 『産婦人科医院に勤務していた准看護士の女性が中皮腫になったのは、手術用のゴム手袋を再利用する際に使っていた粉末「タルク」にアスベスト(石綿)が含まれていたことが原因として、国から労災認定を受けていたことが27日、分かった。医療機関で使用する手袋に付着したタルクでの労災認定は初めて。 認定を受けたのは元准看護士河村三枝さん(52)=山口県。大阪市内で同日、会見し「多くの人に知ってもらうことで、同じ状況にある人の労災認定につながれば」と話していた。 河村さんは山口県内にある産婦人科医院(現在は廃院)に1981年6月~86年1月勤務。他の看護師数人と月に2~3回程度、手術用ゴム手袋を再利用するため滅菌作業を行っていた。その過程で滑りをよくするため、乾燥させた手袋と粉状のタルクを大きなポリ袋に入れ、全体にまぶしていた。袋を開けた際には中のタルクが舞い上がり、粉末を吸い込んだとみられるという。 転職のために受診した健康診断がきっかけとなり、2010年に中皮腫であることが判明。進行の度合いから手術が難しく、現在は抗がん剤や痛み止めによる治療を行っている。通常の健康診断では中皮腫を発見するのは難しいという。 その後、タルクが原因だった可能性があることが分かり、11年8月に山口労働基準監督署に労災申請し、今年7月に認定された。 河村さんと一緒に中皮腫となった原因を探ってきた「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」の古川和子会長(64)は「当時は多くの病院で同じような作業が行われていた。医療従事者は診断を受けるなどしてほしい」と呼び掛けた。』 手術用なんだから一般の人には縁が無いかもしれないけど、似たような物に使われていることは無いのかなぁ。“滑り易く”するための粉末って結構あるのじゃないかなぁ、大丈夫なのかなぁ。。。?ゴム手袋そのものは、あの独特の匂いが嫌いで、私は軍手しか履かない。なので、それは良いとしても、白い粉だけ考えたら、日常使われている物に含まれているのじゃないかなぁ。わかっただけでも良かったと言いたいけど、既に遅し。なんて人が現れたりしませんよう。。。そのことだけを祈ります。
2012.08.28
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こんなタイトルを今朝、地元紙のくらし欄で見つけてしまった。更に、『温度上げ、湿度や気流で調整を』などとも。そのまま引用させていただきます。 『夏の暑さ対策に冷房は有効だが、女性や高齢者など体調を崩しやすい「冷房弱者」への配慮を忘れてはいけない。「冷房が苦手」という人は全体の過半数に上るという調査もある。暑がりの人と寒がりの人が、職場や家庭など同じ空間で共存するための方策を探った。 ダイキン工業(本社大阪市)が6月に行ったアンケート調査では、冷房が苦手な人の割合は、54.9%。男女別では女性が64.7%と多いが、男性でも44.8%の半数近くが冷房弱者だ。 冷房が苦手な場所としては「スーパー」(50.1%)と「公共交通機関」(50.1%)が居言うが、「自宅」を挙げる人も21.0%いた。自宅での冷房が寒過ぎても、家族に合わせ我慢するとの回答は62.7%。男女別では女性の60.1%に対し、男性は65.4%に上った。従来は男性に比べて代謝機能が弱い女性に冷房弱者が多いとみられていたが、今回の調査で、冷房による体調不良は男性にとっても大きな悩みとなっている実態が浮き彫りになった。 横浜国立大の田中英登教授(医学博士)は「冷房を苦手とするかどうかには、男女の性差以外にも日常の生活習慣などがかなり影響している」と話す。先ず体温調節機能の低下。「現代人は発汗などによって体温をうまく調節する能力がだいぶ低下している」。さらに冷房の使い方の問題も考えられる。「例えば外から帰ってきたときは体温が上がっているから、急激に冷やすと気持ちいい。だが、それをずっと続けていると体の負担となり、体調を崩す原因にもなる」 調査で、冷房が利き過ぎて苦手にしている場所での対処法を尋ねたところ、「暖かい場所との出入りを頻繁にする」と回答した人が14.4%に上った。だが、この方法はかえって体調不良の原因になりかねないという。田中教授は「温度差5度以上の場所の出入りを繰り返すと、自律神経失調症を起こし、めまいや立ちくらみなどを引き起こしかねない」と警告する。 同じ空間では、冷気の出口付近に暑がりの人、離れた位置に寒がりの人の席を置くなどの配慮も必要。室温を高めにした上で湿度を下げたり、扇風機を使って暑がりの人に風が行くようにして体感温度を下げるのも有効だ。同教授は「冷房に限らず、いろんな人が職場や家庭など一つの空間で共存するには、弱者を中心に考えていくことが基本」と強調する。「高齢者のいる家庭なら高齢者を一番に考えるべきだ。そのためには他の人たちが我慢することも、時には必要です」 私自身は、冬の暖房が大の苦手。夏の冷房の方が快い。これも暑がりで汗っかきだからなのかな。冬場のデパートには近づきたくない。これも困るのよねぇ。でも、冬にデパートへ行って、店員さんが半袖だったりしたら、腹が立つ。そんなに暑いなら温度を下げてよ。って言いたくなる。夏場、店員さんが長袖でなければ過ごせないような冷房ならきつすぎると思う。入った瞬間、気持ち良いと思う温度は結構冷えていると思う。人によって、本当に暑い寒いの感じ方が違う。でも、暑くて団扇を使う人には何と言えば良いんだろう。反対の向きでお願いします。が良いのかな。
2012.08.13
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昨日付け地元紙の社会面で、こんなタイトルを見つけてしまったので、そのまま引用させていただきます。 『日本うつ病学会は29にちまでに、多様化するうつ病を適切に治療するための医師向け指針をまとめた。次々に開発されている抗うつ薬の有効性や副作用に関する情報を盛り込み、軽症者の安易な薬物療法に警鐘を鳴らしたのが特徴だ。学会が指針をつくるのは初めて。 厚生労働省の推計によると、国内のうつ病の患者数は1999年の約24万人から、2008年には、70万人を超える急増。年間3万人を超える自殺の主な原因ともされている。同学会は最新の医学的知見を盛り込み、現在の医療体制や現場の実情を考慮した指針が必要と判断した。 指針は、急増している患者の多くは軽症か、うつ病の診断基準以下の「抑うつ状態」と推測されると指摘。臨床現場では「慎重な判断が求められる」とした。軽症者に抗うつ薬の使用を始めるには、焦燥感や不安感の増大などの副作用に注意して、少量から始めることを原則とする。 一方で、乱用や転売目的で抗不安薬や睡眠薬を入手するための受診が社会問題化しているとして「大量処方や漫然とした処方は避けるべきだ」と明記。「安易に薬物療法を行うことは厳に慎まなければならない」と強調している。 若者に多くみられ、仕事ではうつ状態になるが余暇は楽しく過ごせるような、いわゆる「い新型うつ病」に関しては、「精神医学的に深く考察されたものではない」として取り上げていなかった。 治療に関する指針は、厚生労働省の研究グループが03年に策定したが、その後改訂されていない。』 心の中を読み解くわけだから、これはとても難しいと思う。専門医になれば、嘘か誠かなんて直ぐに判断できるのだろうけれど。薬物欲しさに診察に現れるというのも怖い。 ただ、A型人間のように、自分がいなければ世の中は回らない。みたいに思っている人が、その人が居ても居なくても仕事が回って行くという現状を目の当たりにしたとき、かなりショックを受けるのじゃないかなぁ。 うつになる引き金なんて、そこら辺に転がっている気がする。ただ、どうやって立ち直るのか、それは最終的には自分自身な気がする。私自身、夫には叔母の不幸が無ければ、今も水平になったままの生活が続いていたかもしれない。。。 目下の治療は血圧を安定させること。心配した尿検査~腎不全の疑いは晴れたと自分では思っている。なので、月に一度の診察は、やはりドクターを目の前に、一言二言でも良いから会話する程度にはした方が良いのかな。と。相変わらず、切腹の痕はまだまだ元気になりそうな気配だけど、新たに処方されたテープ。効き目があるのかなぁ?と。でも、24時間毎に貼り替えと指示が出ているのだから、結構きつい薬が塗布されているのは確か。ゲンタシンの方が効きそうな感じ。緑内障については目薬しか手はなくて、加えて一週間に一度、鍼灸の治療を加えたので、急に運転免許証を返納しなければならない。なんてことにはならないと信じている。 『』新聞からの引用です。
2012.07.31
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一体何日で摘み取りが可能になるんだろう。小さな実を発見して、ブルーベリーだと分かり、それから何日経っただろう。ようやく色が付き始めた感じ。小さいのでもっと早く色づく物とばかり思っておりましたので。。。 さて、昨日付け地元紙、社会面で見つけてしまったこんなタイトル。 助けられず、くやしい・気付かない自分が難い そのまま引用させていただきます。 『大津市の中2男子自殺で、学校は全校生徒アンケートを実施した際、いじめの状況を聞く一方、自殺した男子生徒への思いも尋ねていた。15日までに明らかになった600以上の記述。「助けられなかったことがくやしい」「ごめんな、ゴメン。ゴメン。ゴメン」。友だちをしのび、揺れる思いがつづられていた。 大津・中2自殺 全校アンケート 自殺生徒思い揺れる心 回答した生徒の多くは自責の念を抱いていた。「止めたりできずにこんな風になるまでにしてしまってごめん」「苦しんでいることに気付いてあげられなかった自分が本当に難い」友を失った痛みを訴え、「とにかく悲しい。でも言葉にしてうまく伝えられない」との声もあった。 自殺した男子生徒は卓球部で活躍。「夏休みの時、部活でやっと1年の名前全部おぼえたで!といっていました。とてもおもしろくてやさしかった」と、後輩の生徒は振り返る。先輩という生徒も「ずっと私の大切な後輩です。ありがとう。くやしいな」と呼びかけた。 男子生徒が飛び降りたマンションを見ると涙が出るという友人は、男子生徒の「笑っていた顔を思い出す」。別の同級生も「そんなことするやつとは思わなかったから。やんちゃでどうしようもなかったけど、根はいいやつ」と記した。 ある生徒は「“どれだけつらかったんだろう”とか、“どんな思いで飛び降りたんだろうか”と考えると悲しくて苦しい気持ちで涙が出る」。 「体の震えがとまらない」「眠れない」と、衝撃が続く生徒もいる。虐めを見過ごしたとの不信感から「すべての先生に対する信頼を無くした」との回答もあった。 男子生徒をいじめていたとされる生徒に対しては「許せない」「厳しく処分するべきだ」との意見も。インターネット上には激しい中傷も書き込まれたが、当事者でない人による一方的な批判に疑問を感じ、「とても悲しく腹が立ちました」と嘆く言葉もあった。』『』部分引用。 人を一人送る(葬儀を出す・天国へ送る)というのはとても大変な思いがあり、遺族にとっては本当にたまらないものがある。逝ってしまった人はそれまで。そこで途絶えてしまうのだ。ところが遺された人にとってはずっと彼への思いがつきまとう。どうか犠牲となってしまった人の供養のためにも、笑顔を取り戻して欲しいと願う。とても難しいことはわかっているんだけど。。。彼が旅立って成仏できることが最良の供養になる気がするので。とても酷な話であることは分かっているんだけど。。。そして、二度とこんなことが無いことを願うばかり。
2012.07.17
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淡路島にも美味しい素麺があります♪ でも、デパートでお中元を依頼すると、こういうことになっちゃうんですねぇ。 帯は黒い色のがかかっておりますから、淡路島でいうところの御陵糸。淡路糸より高級なのでございます。 レシピの紙が添えられておりましたので。いくつかピックアップしまして。『◆コールスロー ・調理時間10分 ・一人分約280キロカロリー 材料(二人分) そうめん二束 キャベツ2枚 ハム4枚 スイートコーン(缶詰)30グラム マヨネーズ大さじ2と2/1 塩適宜 レモン汁大さじ2/1 パセリ(みじん切り)適宜 白ゴマ適宜。 1、キャベツは茎を取り、5ミリ角に切ります。ハム5ミリ角に切ります。スイートコーンは汁気を切っておきます。 2、ボウルに1を入れ、塩を振りかけて軽く混ぜ合わせます。マヨネーズとレモン汁を加えて和えます。 3、そうめんはゆでて、ザルにあげ、清水でよくもみ洗いして最後に氷水にさっとつけ、そのまま水気をきります。 4、そうめんを器に盛り付け、2を上にのせ、パセリと白ゴマをかけます。』 って、実際は野菜として使っているのはキャベツとスイートコーンだけ。私ならここへ人参とかトマトを加えるけどなぁ。ま、コールスローということでこれだけになっちゃったかなぁ。人参、トマト、ピーマンなどを加えても良いのじゃないかなぁ。野菜をたっぷり使うと、そうめんもご馳走になるのじゃないかな?と思ったら、トマトそうめんなんてレシピが別に載っていました。『◆トマトそうめん ・調理時間15分 ・1人分約534キロカロリー 材料(二人分) そうめん3束 ハム3枚 スライスチーズ3枚 きゅうりの輪切り5枚レタス1/2枚 ツナ(缶詰)60グラム スイートコーン(缶詰)40グラム プチトマト4個 サラダそうめん用トマトつゆ1袋。 1、ハムとチーズは星型とハート型で6枚ずつくり抜きます。きゅうりは2ミリ幅の輪切りにし、丸型で半分をくり抜き、月の形にします。 2、レタスは食べ易い大きさにちぎり、プチトマトは縦半分に切ります。ツナ缶とスイートコーン缶は缶汁をきります。 3、そうめんはゆでて、ざるにあげ、清水でよくもみ洗いをして最後に氷水にさっとつけ、そのまま水気をきります。 4、器にそうめんを盛り付け、1と2の具材もそれぞれ盛りつけます。冷たくしたサラダそうめん用トマトつゆを添え、つけながらいただきます。』 世の中には“サラダそうめん用トマトつゆ”なるものが存在するのですねぇ、知らなかった私。 参考にされるかたはどうぞ、参考になさってください。でもハムやチーズの型を抜くのには。型抜きが無い場合、やはりここはナイフを使って。でお願いします。 素麺はご存じの通り、4束が100グラムですが、茹でると勿論重量も増えますので、目安は一人1束もあれば十分なのでは? アッサリしているようで、練り込むときに菜種油とかの油を散々に使いますので、うどんに比べるとカロリーは高くなるのでございまして。細いでしょう?表面積が大きいわけで、これは気をつけないと。って、包丁を持って何十年のかたでしたら皆さん勿論ご存じですわよね。
2012.07.08
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とても大事な朝ごはん。食べられない子が多くなっているらしい。その背景にあるものは、遅くまで起きているために、朝起きられない。色んな事情はあるだろう。勤務時間の関係とかを含めて。でも、午前中の出勤の人なら、やはり早起きして、朝ごはんは家族揃ってが良いと思う。 朝ごはんを食べることの重要性などが記されたこのテキスト。どこかの市では条例にしているところもあるらしいけれど、何故、今こんなことが叫ばれているのか。それほど、朝ごはんを食べずに学校へやってくる子が多いからなのだとか。朝ごはんを食べないなんて、考えたことなかったけど。だって、食べるための時間を考えたら、それなりに何時に起きなきゃいけないか。ということはわかる筈なのに。食べるより寝ていたい?そんなに疲れきっていて大丈夫なのかなぁ。とそっちが心配になる私。体力も、学力も、全てはこの朝食にかかってるんだよ。と言えばお母さんがたは少しは真剣になるのかなぁ。。。? そんなに知識を詰め込んで(朝食を摂る時間を惜しんでまで)一体どうするよ。
2012.06.15
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こんなサイト見つけました♪ 要するに、腰骨を立てることの大切さを自分自身への戒めとして、覚えておきたかっただけなのですが。それと、この、腰骨を立てることの大切さを説いていらっしゃったかたが。でも、そちらへは辿りつけなくて、もう牛分けないのですが。。。正座のときなども、こういうことに気をつけたいな。と。
2012.05.30
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堺市じゃなくて、高石市にお店がある筈なのに。と、今朝のNHKを観て疑問に思いましたが、それも、何故高石市にお店を構えられたのか、その辺のことはわからないけど、お店の前はしょっちゅう歩いた経験があるもの。 ともかく、千利休に因んで、堺市ならではのお菓子を作ろうということになったらしい。お菓子は堺市内のお店が担当。お茶は勿論、このつぼ市さんのものを使用。 お茶というと、どうしても京都のイメージが強いけど、千利休さんの出身地である堺市をもっとアピールしたい。というようなことで、先日私が観たばかりの、千利休さん居住地跡などもNHKで紹介していて、ワクワクしていた私♪ お茶と白あんをコラボさせて餡にしたものをお餅でくるんだような感じ。わざわざ作らなくても、美味しいお菓子は堺市内に一杯あるのに。で、この際作られたお菓子が限定販売されるとか。堺市のアピールに繋がれば良いけれど。NHKの記者さんは、「お抹茶を頂いているようだ。」と話していらっしゃいました。お菓子の名前は『堺利休餅』なのだそうで。確か、京都にも『利休餅』という名のお菓子があったかと。。。
2012.05.23
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『3人の料理人の世界』という冊子を見付けたので、1冊手元へ。還暦を迎えたという、石鍋 裕、片岡 譲、小山 裕久氏3人による報告文の様な冊子。最初にこんなことが述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『料理は楽しい! どんな時代も新しい発見が先へ先へと歩を進めさせてくれる。しかしときに、時代の流れであったり、身近に迫った健康であったりで、ふと立ち止まって振り返ることもある。“いやあ、久しく会っていなかったねぇ”気がつけば、還暦を迎えていて……「みんな色々あったと、一息。 3人揃えば脱線に次ぐ脱線だ。遠慮いらずの3人だからこそ飛び出す本音談義に、料理の本筋が見えてくる。そして、料理を極めた3人の、体験を重ね、時を重ねたことでほとばしり出る楽しい料理談。それは東と西の料理の違いを思い起こさせ、遠い昔までさかのぼる興味まで抱かせたりもする。そしてそれは未来へと続く。根底に流れているのは、“おいしい!”の一言だ。 美味しく楽しく、今もって未来へはばたく、3人のアラウンド・ザ・還暦。“アラカン”の世界へどうぞ。』 それぞれ『日本がまだ国際化などという言葉からほど遠い1960年代、単身でフランスへイタリアへと渡り、それぞれの国の料理を学んだ2人の料理人と、日本でこの国の料理とは何かを徹底して知り尽くしていった料理人、3人のお話をまとめたものです』『結果として、それがグルメとか有名料理店のブームをつくることになりました』とあるように、それぞれフレンチ、イタリアン、和食の世界で大活躍される3人の経歴やお店のガイドも楽しめる仕掛けになっている。 そして、『食べ物や料理は、やっぱり素敵だなと、元気になったらうれしく思います』と結んでいらっしゃいます。
2012.05.09
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例えば、郵便物の区分をするときなどに、必ず指サックを使用するように言われているけど、実は使ったことが無私。ところが、先日のNHK総合テレビの『まちかど情報室』という番組で、『指につけて便利なグッズ』を紹介していて、その中に、丁度、まるでサスペンスドラマで、指紋を隠すのに使うような指先にだけくっつけて使う商品を紹介していた。。。 実は、ゴムの匂いも苦手で、なので余計に使えない指サック。査札には、お水を湿らせたスポンジを使っていたので、尚更指サックとは無縁だったし、印刷屋さんでも、別に着けなくても紙の扱いはできた。あの、査札のときに、最後の1枚になると、パシッと指ではじいたりもできた。 切手や印紙は100枚シートになっているのが多かったけど、それも慎重に一枚、一枚くっついてはいないか確かめながら販売していたから、右手親指と人差し指の先は案外敏感になっていると思う。 それと、やはりコンタクトレンズの影響が一番大きいのかな。ソフトの方を使っていたので、毎晩の洗浄には随分気を使ってしまった。。。なので、今でも、さて調理作業中に一体何度指先を洗うだろう? と、指サックの話から大幅に逸れてしまいましたが、何とか無事に仕事はできたけど、便利なグッズが発売されたんだなぁ、と感心してしまったもので。 後、例えば二人でピザを食べていたとして、残りの一切れになったときに、どちらが食べるかバトルみたいに、丁度、絵具のパレットみたいに、親指を入れて使えるようにした、指相撲の道具。お互いの手を入れたら、もう後は指相撲を始めるしかない。 二つか、三つ紹介していたと思いますが、印象に残ったのはこれだけ。。。
2012.04.14
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地域ぐるみでこんな取り組みがあっても良いな。と思うことが述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『大型の重機が山の斜面を切り開いている。川底の巨石や流木を動かす音が、谷間に響く。宍粟市一宮町の福知渓谷。「関西の風景百選」にも選ばれた景勝地は、2年前の兵庫県西・北部豪雨の爪痕がまだ色濃く残っている◆渓谷美にほれ込んだ作家の田辺聖子さんは、別荘を持つ。「清い流れが岩をかんでしぶきを散らし両側の緑が濃く、風もまっ青に感じられる、眺望絶佳の場所である」。小説「すべってころんで」の一文が、田辺さん自身の筆で碑となり、災害前の姿を伝える◆観光客が激減した渓谷を復興させようと、約150世帯の小集落が力を合わせる。美しい山を取り戻すため、自治会はモミジなどの苗を植えた。50代が中心の「村づくり実行委員会」は流失した川床を再建しバーベキューが楽しめるようにした◆実行委が誕生したのは1988年。「ふれあい市場」を開設して野菜や手作りおもちゃなどを売る。「文殊の水」の水くみ場を整備するなど、地区の活性化に取り組んできた◆災害後は、新たに地区の山林でキノコ栽培を始めた。石垣の残る山城跡まで遊歩道を整備し、散策ができるようにする計画も温める◆「次は何して遊ぼうか」と9代目委員長の富田久司さんは笑う。楽しみながらでないと長続きしないからだ。知恵と努力を出し合い、ふるさとの景観を守り続けていく。次の世代にわが町の財産を引き継ぎたいという思いがあふれる』 転勤族にはわからないかも知れない。でも、住んでみて、その町や村の良さがわかると思う。4年余りを過ごした町で私は吹奏楽団に参加していたので、淡路島へ戻るまでの10年ほどを引き続き参加していた。淡路島へ戻って、26年にもなるけれど、親元を離れて初めて暮らした町は、やはり私の第二のふるさとでもある。 かつては泉北郡高石町だったらしいけれど、大阪市内への通勤圏内にあるため、東へ東へとどんどん開発が進んでいる。なので、思わぬ所に信号が付いていて、驚かされることがしばしば。市の勢いがまるで違うと感じる。行く都度に様子が変わっていたりするのだから。 大阪市住吉区には当時、郵政の女子寮(今は社宅)があり、6年程を過ごした。南北には移動ルートがあるのに、東西は本当に不便極まりない大阪市南部。あのときは、住吉大社の裏手にある、高野線住吉東駅から、ひたすら歩いたものなぁ。今でも多分、東西の移動ルートと言えば、バスしか無いのじゃないかな。自転車なら良いけれど、徒歩にはきつい大阪市南部。 不思議と、堺市には住んだことが無いのに、合唱団にふたつ顔を出していたので、堺市内は結構ウロウロした私。でも、空気は最悪だったなぁ。 淡路島には、何も無い。だけど、空が青い日は、海だって本当に綺麗なんだから。そして、低いけれど綺麗な山並み。このお陰で空気は最高に綺麗なんだから。まぁ、それだけ田舎ってことにはなるけれど。 同じ都会でも、神戸へ行くとここまで空気が淀んでいないのは、海も山も近いからなのかなぁ。ということは、自然が浄化してくれる作用って本当に大きいものがあるということに。確かに、生活するには便利かもしれないけれど、私は都会には住めないな。なので、淡路島万歳!
2011.08.08
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『「春はやはり残酷なのかもしれない」。翌日で東日本大震災から1ヵ月になる4月10日、福島市に住む詩人の和合亮一さんはこんな言葉をつづった。震災後に出版した詩集「詩の黙礼」(新潮社)に収められている◆「気仙沼の避難所、母を亡くした子が、“ママ、会えるといいですね”と帳面に落書きしたまま、眠っている」。詩人は心の中で黙礼し、涙を流す。悲惨な運命に押しつぶされそうな子どもの身を思うと、春の光が恨めしい◆それから季節は巡り、夏本番である。きのう、気象庁は東北の梅雨明けを発表した。ちょうど震災4ヵ月の日だった、入りは平年よりも遅く、明けは南部で14日、北部で17日早い。そのため東北の梅雨はいつもの半分の長さにとどまった◆福島の原発では作業員が熱中症で倒れている。防護服とマスクの完全防備では、暑さがこたえる。事故は収束させねばならない。しかし放射線から人間を守る装備が健康を損なう。何と不条理な話だろう◆に難所には今も2万人以上が身を寄せる。がれきの街を歩いて家族を捜し続ける人がいる。放射線を避けて外出できない人もいる。明日が見えない人たちにとって、猛暑の夏は春以上に過酷な季節かもしれない◆「風を返してください/土を返してください」。被災者の一人として、和合さんは叫ぶ。古里を思う心情に、神戸の地で黙礼する。あなたたちは一人じゃない。そんな思いを重ねつつ』 がんばろうという言葉を繰り返しても、それが現地の人にどう響くのか。何だか空しくなることがある。そして、ついに孤独死が明らかになってしまった。。。 暑い、暑い夏。心臓に病気をかかえていても、いなくても、やはり注意が必要で、熱中症対策は言うに及ばず、ちょっとおかしいな。と思ったら医師に相談することがとても大切だと思う。でも、外出ができないのでは、どうすれば良いのだろう。 命は地球より重いとわかってはいても、こんなにも沢山の人が犠牲になってしまう。。。 改めて、犠牲となられた人のご冥福を心よりお祈り申しあげます。
2011.07.12
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地元紙1面コラムでずうっと続いている、『新兵庫人』は現在『再生を信じて』ということで続いている。『寄り添う』という言葉が目に入ったので、そのまま引用させていただきます。 『「母ちゃんと子どもが津波でいねんだ。どこを捜しても、やっぱりいねんだ」 年配の男性が堰を切ったように話しだした。東日本大震災から1週間後の宮城県石巻市。神戸市兵庫区の「被災地NGOきょう同センター」スタッフ、よしはるまさみちは、避難所で足湯を提供していた。足湯といっても、丸いおけに入れただけだ。手のひらをマッサージしながら、男性の言葉を受け止める。ただ、そばにいて、ただ耳を傾ける 福岡県生まれ。15歳から中国武術などの武道に親しんだ。地元の大学に通いながら、整体や気功を本格的に学んだ。卒業後は福岡市内で健康教室を主宰したが、阪神・淡路大震災で一変した。神戸の親友からの連絡で、仲間10人とボランティアに駆け付けた。 「目の前で困っている人を助けたい」。余った物資を集め、不足している避難所に仲間と届けた。そのうち、冬の避難所で震える被災者を見て、学生時代の知識を生かし、足湯を始めた。 お湯で心もほぐれたのだろう、被災者から自然と言葉が出てきた。「持病の薬を持ち出せなくて」「金銭的にもう限界」。そうして集めた声を、次の支援策へとつないだ。 阪神・淡路後は、タイやカンボジアなどで貧困者の支援に携わった。2004年の新潟県中越地震から、きょう働センターのスタッフになった。08年の中国・四川大地震では、直後のがれき処理から就労支援に至るまで、今も関わる。 東日本大震災では、発生当夜に神戸を出て、宮城県に向かった。現地入りしたよしはるに思わぬ葛藤が生まれた。 ボランティアの不足だった、阪神・淡路とは異なり、ガソリンや食料が長期不足した上に、福島の原発事故で、簡単に受け入れられなかった。一方、津波で助かった人が寒い避難所で命を落とす現実に直面した。「付き添って背中をさすってあげる人が一人でもいれば助けられた」。悔しかった。 ボランティア受け入れ態勢づくりを急いだ。阪神・淡路の記憶がよみがえった。「混乱する被災地の、しかも最前線でやれることは限られる」と、あえて少し離れた山形県米沢市と岩手県遠野市に拠点を置いた。ボランティア自身が自活できないと目的を果たせないー。経験が生きた。遠野市からは、バスで若者たちを被災地へ送り込んだ。 「ボランティアはどこまでいっても、よそ者。被災地を去った後に何も残らなかったら、意味がない」 被災者同士が寄り添えるようにとの思いから、よしはるは今後も、現地の人に足湯を伝えていく。「人に自然治癒力があるように、被災地の中にこそ、災害から立ち直る力があるはずだ」』 更に、4面には、『交流を深め孤独感和らげ』とか『「元気ですか」のひと言が力に』などというタイトルが並ぶ。 先日、ボランティア講座で学んだ、高齢者への接し方ととても似ている気がする。また、経験したからこそわかる。ということが沢山あると思う。目の前で焼けてしまう人をどうすることもできなかったのだから。 どうか、自分の持てる力を信じて欲しい。
2011.07.10
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『きのうに続いてイソップの寓話を紹介する。池が干上がったので、2匹のカエルが安住の地を探して歩いた。井戸をのぞくと、底にはまだ水がある。1匹が思わず飛び込もうと身構えた◆だが結局、このカエルは思いとどまる。もう1匹が冷静にこう諭したからだ。「もし井戸が干上がったら、どうやって上がるのか」。後先をよく考えずに公道すれば、とんでもないことになる。そんな教訓を伝える話である◆では、この話はどうだろう。原子力を十分に活用するには、大消費地の東京に原発を置けばいい。エネルギー効率を考えればその方がロスが少なく、排熱も地域冷暖房などに活用できる◆悪い冗談に聞こえるが、東京都の石原慎太郎知事が口にしてきたアイデアだ。原発に批判的な作家の広瀬隆さんも「東京に原発を!」という本を書いている。便利な都市部にあるに越したことはない。しかし、災害や事故に耐えられるか、逆に不安が募る◆関西電力が株主総会で「原子力の比率をさらに高める」と明言した。原発への依存率は今でも5割もある。その関電が中長期計画でうたうように、いずれ新設や古い原発の再立地が課題になるだろう。そうなれば福井だけで引き受けられるか◆兵庫にも原発を。そうした話が現実味を帯びてくるかもしれない。受け入れる覚悟はあるか。電力に頼る私たちも、イソップのカエル以上に話の後先をよくよく考える必要がある。』 一時、淡路島の灘に火力発電所建設案が浮上し、結果的には反対に遭って中止。電力供給がここまで逼迫しているなら、自家発電の方法を考えなければならないのじゃないかなぁ。太陽光を利用するにはまだまだ高くつくのでためらいがあってなかなか前には進めない。でも、自分の家だけを考えたら、これも一つの方法なのかな。また、自転車をこぐ形で蓄電できる装置が既に開発されているのなら、それを利用しない手はない。 健康のためにも、夜明けとともに起きて、日暮れとともに休む。目の健康にはうってつけだと思うんだけどなぁ。。。仕事内容で深夜の勤務を強いられる立場の人には適用外だけど。
2011.07.01
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地元紙『正平調』ではこんな風に記述されていましたので、そのまま引用させていただきます。 『「アリとキリギリス」というイソップの寓話はよく知られている。アリは夏の間、せっせと食べ物を蓄えた。キリギリスは毎日歌ってばかりいたので、冬になって食べ物がなくなり、分けてほしいとアリに懇願する◆何事も備えが大切という戒めだ。この話は、日本にも宣教師によって伝えられた。ただ、そのときは「アリとセミ」だった。ギリシャからアルプスの北に話が伝わったそうだが、日本の夏が舞台だとセミの方が似合う気がする◆セミの鳴き声が響くにはまだ早い。この猛暑では、働き者のアリたちも日陰に身を潜めていることだろう。俳句でも炎天下の暑さを「炎暑」という。人間も炎暑を避け、屋内で涼みたい気持ちになる◆今年は節電が叫ばれ、関西電力は家庭にも15%の節約を求めている。省資源や省エネが大切なのは言うまでもない。しかし連日、熱中症でお年寄りが倒れる。節電で冷房を我慢しているのなら、それだけはやめてと言いたい◆資源エネルギー庁によると、家庭の電力需要が高まるのは家族が帰宅する夕方以降の時間帯だ。真昼のピークを押し上げているのは経済産業活動で、家庭の影響はさほどない。電力危機の回避には、家庭以外を抑制した方が有効といえる◆セミばかりか、まじめなアリまでが倒れては元も子もない。節電は一律でなく、社会の電力消費のツボをきめ細かく抑えた方がよい。』 官公庁などでも、節電が叫ばれ、真っ先に実践を強いられると思う。ハローワークと健康福祉事務所へしか行っていないけど、先ず冷房を期待するのが大間違い。団扇は必須アイテムになっている。でも、片手で団扇では仕事にならないのじゃないかな。職員の能率アップには、やはり、労働安全衛生法にのっとった温度というのがある筈で、それを超えるなら、やはりどうかと思う。扇風機を回すと、書類が飛び交うので、やはりエアコンに頼るしかない。 仕事をしていない私は。。。ひとまず美容院へ行ってみようと思う。それから。。。のことは知らない。文化ホールとか、宝塚歌劇場なども冷房は期待できないのかなぁ。ガッカリ。
2011.06.30
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今朝の地元紙の『正平調』。まぁ、読んでみてくださいな。。。 『何年も何十年もかけて、ゆっくりと人の体をむしばんでいく。髪の毛の5千分の1ほどの石綿(アスベスト)の繊維が、やがて中皮腫などの命にかかわる疾患を引き起こす。それは「緩慢なる惨劇」と呼ばれる◆この人も惨劇の犠牲者である。先日亡くなった早川義一さん。尼崎市のクボタ旧神崎工場近くで生まれ育ち、中皮腫を発症した。工場から飛散した石綿の粉じんによる健康被害を訴え、救済運動の先頭に立ち続けた◆かつては工場で働く人だけが救済の対象とされた。周辺住民として初めて企業の見舞金を受け取ったのが早川さんたちだった。加害責任を直接追及した結果だ。多くの公害、薬害問題のように、被害者が自ら声を上げることで流れを変えたといえる◆記者会見で石綿被害の実情を説明したときには、こう語った。「号砲が鳴った」。口ぶりは静かだが、力強く響く救済への「号砲」である。それを機に運動に弾みがつき、石綿健康被害救済法が制定され、クボタも救済金の支払いを始めた◆ただし国は今も公害とは認めず、救済策も工場関係者と住民とで公平さを欠く。そうした問題の解決を病魔は待たない。共に救済を訴えた女性2人が先に逝った。そして今度は早川さんが燃え尽きた。まだ59歳の若さだった◆健康被害の認定者は増え続ける。全ての人を救い「緩慢なる惨劇」に終止符を打つ。国も企業もそのことを最優先すべきではないか。』 最初に種を撒いてしまったのは、企業なのだから、企業にこそ責任を。というのが国の考えなのかなぁ。でも、危険(かもしれない)と分かったなら、いち早く対策を建てる方策を企業には促す責任というものが国にはあると思う。 環境問題に関連する健康被害もこれからは増えると思う。また、福島原発の問題にしても、まだまだ続きそうだし。 私たち自身が防げるものと、そうでないものがある。自分では防げないなら、これは国に何とかしてもらわないと。人々が健康に生きる権利は、国家によって保障されているのだから。 企業においても、新開発は最優先だけど、その前に人に対して危険なのか安全なのか。薬の副作用の問題にしても、より安全な方へと進んで欲しい。でなければ、健康被害ということの線引きが益々難しくなってしまう。 早川さん、そして、先に逝ってしまわれた方々のご冥福を心よりお祈りします。
2011.06.24
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楽天イーグルスの『初めての観戦』というところに、選手名鑑というコーナーがあり、早速拝見しましたら、南あわじ市出身の投手が、何と、田中さんの次の次(投手 片山さん)に載っていて、とても勇気が出ました。 高校は報徳学園だったのかな。淡路島では実力が殺がれるということだったのでしょう。 ご実家の位置は存じ上げているし、お祖父さまは夫のハム友達。勿論私もQSOしたことは何度もありまして。なので、ひそやかに応援はしているつもりなのですが、どうなったかなぁと、同じ南あわじ市民として気になっていたところでした。 南あわじ市とはまるで違う環境の中で、本当に大変だったと思いますが、大好きな野球だからこそ頑張れる。。。一人暮らしの経験は高校時代に経験していらっしゃるのだから、これからも健康には気をつけて頑張って欲しいな。 また、楽天イーグルスが勝利すると、1回につき100万円を被災地に寄付するそうなんですが、この義援金の分配についても問題になっていますよね。ならばいっそのこと、欲しいというリクエストがあったものを義援金で用意してお持ちするのは駄目なのかなぁ。それでこそ生きた支援になり得ると思うのですが。。。 欲しいものは種々雑多だと思います。小さくても良い、何かスーパーみたいな、行ったら欲しいものが直ぐ手に入る環境を整えていくことは出来ないものなのかなぁ。 避難を余儀なくされてしまうこと自体、自由を奪われたみたいな事例なのに、何とか前向きになれる方法は無いものでしょうか。 せめて、楽天イーグルスが頑張って!と祈るしか私にはできません。 調理師なので、まな板と包丁があれば、何とか。とは思いますが、腹帯が必要な身体になってしまい、自由自在には動けません。お腹に無理をかけられないので。 田中さんも、片山さんも、そして星野監督を忘れてはいけませんね。頑張ってください!
2011.06.09
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はるさんと感激の後立ち寄った喫茶店でいただいた、5月19日付読売新聞。わけもわからぬまま、ただ“石田三成”の名前に惹かれて宝塚大劇場へ足を運んだ形の私。でも、こんな風に紹介されていたんだと、改めて引用させていただきます。 『清廉な武将 三成に挑む 宙組大空祐飛 宝塚歌劇団宙組トップスターの大空祐飛が、20日から始まる宝塚大劇場公演「美しき生涯」で戦国時代の武将石田三成を演じる。人気脚本家、大石静の初の書き下ろしで、同歌劇団が外部の脚本家を起用するのは、1979年の平岩弓枝以来32年ぶり。男役として円熟味を増す大空が、「義」と「愛」に揺れる男の生き様に挑む。(持丸直子) 宝塚では、演出と脚本を両方手がける座付き作家の作品を上演するのが常で、外部脚本家に依頼したのは79年の平岩作「花影記」以来となる。今回は、NHK連続テレビ小説「ふたりっ子」や大河ドラマ「功名が辻」、戦前戦後の宝塚を描いた「愛と青春の宝塚」などを手がけた大石のオリジナル作で、主題歌は映画やドラマで活躍する作曲家の大島ミチル、演出は座付きの石田昌也。 見所は、豊臣秀吉の天下統一を陰で支えた三成が、秀吉への忠義と、その側室茶々への愛との愛で抱える葛藤だ。「大石先生の三成像は、心や体の中に汚いものが一滴もないような清廉な人。主君との関係もあり、茶々との距離の縮め方をどう見せるのかが難しい」関ヶ原の戦いに敗れた後の場面が、大きな挑戦になるという。 「茶々を愛してしまったから負けたのでは、という悔いがあり、一方で愛さずにはいられなかった思いもある。その場面のせりふが一番心に染みました」 東京都出身、92年に初舞台。クールなまなざしが魅力の演技派で、2009年のトップ就任後は「トラファルガー」「誰がために鐘は鳴る」などで、大人の男を演じてきた。一方、違うタイプにふんしたのが「銀ちゃんの恋」。映画俳優の倉岡銀四郎を、大胆、かつ繊細に表現した。「銀ちゃんは自分の殻を破り、新境地を開拓した役だった」 2月には、松尾芸能賞優秀賞を受賞した。茶々を演じる野乃すみ花とのコンビを中心に、芝居心豊かな宙組の充実ぶりが楽しみだ。後半はショー「ルナロッサ」。6月26日まで。 電話0570005100。 大石静、初の書き下ろし 「中世ヨーロッパものと戦国ものの企画を一つずつ、新人のような気持ちで出したら、戦国ものをと言われ、一生懸命書きました。三成は、「功名が辻」の執筆時に、すさまじい下剋上と裏切りの連続の中で唯一、清廉だと感じた人物。あまり資料が残っていない分、自由に描けますし、いつかドラマか舞台にしたかった。今回は、幼稚園の頃から母に連れられて見に来ていた宝塚の上演が実現し、夢のようです」』 “観る”という表現を“見る”とされた、記事の文字をそのまま引用させていただいております。バカなパソコンは、どう覚えるか。ですが、読売新聞にしてもスポーツ報知にしても、こんなにも力を注いでいたのは、一体。。。? 観客数は確かに少なかったです。こんなときだから、仕方が無いにしても、政治が迷走状態の今だからこそ、こういう清廉な人物像を描いた宝塚歌劇に触れるのも良いのではないでしょうか。 “宝もなか”本当は賞味期限が5日までだったのを、昨夜やっと片づけました。5個バラで買ったのがいけなかったかなぁ。。。はるさんは召し上がってくださったかなぁ。。。?
2011.06.08
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喫茶店には、宝塚スターの写真やパネルが沢山貼られている。そして、食事を終えて帰ろうとするはるさんと私に、何と5月19日付読売新聞と、5月31日付スポーツ報知をくださった。読売新聞には三成を演じる、宙組大空祐飛さん、報知新聞では忍者を演じる凰稀かなめさんにスポットを当てて紹介している。 私の場合、誰がどの組に居て。ということは全くおかまいなしに、ただただ三成さんの生涯を。と聞いただけで行く気になってしまったから、誰が演じようが。。。という気でいたし、演奏にばかり魅了されてしまったのも確か。でも、皆さんそれぞれにドラマがあるんだなぁと。 先ずは、凰稀かなめさんから、スポーツ報知の記事をそのまま引用させていただきます。 『空気のような忍者演じて 新天地で存在感見せる 大石静さんが初脚本 ドラマのヒットメーカー・大石静さんがタカラヅカの脚本を初めて手掛けた話題作「美しき生涯」は、豊臣秀吉(未沙のえる)の懐刀・石田三成(大空祐飛)が主君への忠義と側室・茶々(野乃すみ花)への愛との間で葛藤する姿を描いた歴史ロマン。 新天地でのお披露目となる凰稀にとって、時代劇は2007年2月の中日劇場雪組公演「星影の人」以来だ。そのステージでは幕末の京都で活躍する桂小五郎を爽やかに演じたが、今回は茶々をひそかに守り続ける架空の忍者・疾風(はやて)。クールな“受けの芝居”に挑戦している。 あくまで“影”の存在だが、作品のキーマン的な設定になっている。「見ているシーンが多いのですごく難しい。無表情で空気のような忍者を、舞台でどう見せていくか。テレビのように顔のアップなどありませんからね」 疾風は任務上、茶々と三成の関係を全て見てしまうが、実は茶々に思いを寄せるつらい立場、疾風の苦悩が大きいほど、逆に茶々と三成の愛の深さが浮き彫りになっていく。 「疾風は茶々と三成の関係をよりよく見せるだけでなく、2人の人物像を膨らませて行く焼くでもあるんです。2人に出会ったことで人間として成長し、何かを見つけていきます。そこをしっかりと演じていきたいですね」 三成は“恋敵”にあたるが、茶々を守ろうとする思いは疾風と一緒。反目の末に立ち回りを繰り広げたりするが、やがて男の友情が芽生えていく、ここも見せ場のひとつ。 「表と裏で茶々を守ろうとする2人はまさに光と影。忠義を優先させようとする三成を(茶々へと)けしかける場面もあるんですが、疾風の心情をうまく伝えたいですね」 そして、最大の見せ場はラストシーン。徳川家康が天下をとった後の疾風の末路は見てのお楽しみだが「泣かせどころです」と気合が入る。 一方、ショー「ルナロッサ」では妖艶な“月下美人”も披露しているが、ニヒルでクールな二枚目は十八番。「それだけに、これまでの成長過程をしっかりと見せたい」と頼もしいコメント。存在感を増した“宙組・凰稀”を強くアピールしている。 ◆凰稀かなめ(おうき・かなめ)神奈川県川崎市出身。9月4日生まれ。2000年4月「源氏物語あさきゆめみし」で初舞台。雪組配属。05年「霧のミラノ」で新人公演初主演、06年「Young Bioods!」でバウ初主演。09年4月に星組へ、11年2月に宙組へ組替え。173センチ。愛称「かなめ」「てる」。』 きっと、はるさんならここの部分をきちんと押さえていらっしゃっただろうな。宙組に組替え。みたいなことを仰っていらしたもの。 でも、楽しめたのだから良いとしても、この新聞を二部用意してくださっていた、お店のマスター、ママには感謝です。本当にありがとうございます。 デビューが何と「源氏物語あさきゆめみし」だったとは。。。見たかったなぁ、知っていれば。何年か前には「宇治十条」を基にしたのが演じられたのになぁ、再演は無いのかなぁ。 このステージでは天下分け目の関ヶ原の戦いまでが。流石宝塚!と感動させられる舞台装置の何と多いことか。 まだのかたは是非一度宝塚大劇場へ足を運ばれてはいかがでしょうか。
2011.06.08
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プロ野球の松阪投手。投手生命も危ういと言われる、ひじの手術を受けることになったようだ。これで、1年はマウンドに立てないことになるようで、手術の決心を、よくされたなぁと正直思う。(ひじを変換できず、仮名表記のままです=何故か日と時にしか変換しようとしなくて、だから一太郎の方が良いのに。。。) 母はもう何回人工股関節の手術を受けただろう。何とか支えるようなもの、例えばシルバーカーのようなものがあれば二本の足で立って歩くことはできる。でも今は施設に居るし、全盲が故に車椅子の生活を強いられている。 勿論、股関節とひじとでは違うと思う。ことに松阪投手の場合、人の何万倍という力が加わるだろうから、物理的にみても無理がかかっているのは素人の私にもわかる。 少年野球をしている、例えば小学3年生。これが中学3年生とでは体力的にも随分違うのに、ほぼ同じような練習を強いられているのじゃないかな。これはもう自殺行為に等しい気がするのは、私だけでしょうか。 機械に例えると、やはり寿命というのがあって、何年かすれば部品を交換しなければならなくて、そうなれば人体だって、ある意味の寿命というのがあるならば、今後どういう道を進むのか、手術を決断されたことはとても勇気が要ったと思う。 私自身は、腹部を2回切っただけだけど、それでも重い荷物が持てなくなった。別段不自由は感じていないけど、身体にメスを入れることは、それだけ何らかの影響を受けていると思う。腸への癒着など。。。そして、まだ腹部縫合糸膿瘍はどうやら完治していないようで、赤くなって広がろうとしている。もう、同じ病院へは行きたくない。 実は、昨日、結局は眼の近くに癌ができて、他界された女性の旦那様が会に参加されていて、“眼の近く”にということをお伺いし、そのことが彼女の全てを失う、近道になってしまったようで、こちらも涙があふれてきた。 とある郵便局の局長だったのに、奥様の介護ということで辞任。すっかりやせ細り、奥様の介護がどれほどきつかったかがわかる気がした。 私が淡路島へ戻って、とある郵便局でアルバイトをしていたら、そちらで産休の人が出たからと、私が行くことになったときの局長さん。お父様がずっと町の仕事をされていて、当時公民館長をされており、たまたま私が勤めていた局ではもうCDが使えることを自慢気に話したことを今でも覚えている。今では淡路島の郵便局にもようやくATMが設置されるようにはなったけど。 局長夫人の命を奪ったのは、癌だった。元々は乳癌から。というわけではないけれど、生まれて初めてのマンモグラフィーというのを予約したのが本日。吉と出るか凶と出るかわからない。でも、松阪投手には勇気を頂いた気がする。まぁ、検査の前からごちゃごちゃ言っていても仕方がないけれど。 どうか、松坂投手には(もしかして、さかの文字が違うかったりするんかなぁ)見事な復活を遂げて欲しい。痛みに耐え抜いて欲しい。頑張って!!!
2011.06.06
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毎月1日に入る、市の広報。4月の末に市長が被災地にお見舞いと職員の激励に行っていたとのことで、そのまま広報の記事を引用させていただきます。 『最大の被災地「南三陸町」への救援物資 天災は忘れた頃にやってkると言う諺がありますが、最近の自然災害は立て続けに発生しております。3月11日に発生した東日本大震災は、歴史上最大級のマグニチュード9.0の大震災でありました。 今般、特に被害のおおきかった宮城県南三陸町に対し、兵庫県から職員派遣の養成があり、現在も継続して市職員2人の派遣を行っております。 私も4月26日から28日まで南三陸町へのお見舞いと派遣職員の激励、更にJAあわじ島・淡路島酪農にご協力をいただき救援物資(レタス2千個・ヨーグルト・プリン5千個)を届けてまいりました。ありがとうございました。 南三陸町の中心へ入ると、海まで「がれき」一面の光景であり、津波の恐ろしさに只々、ア然とするばかりでした。早速佐藤町長、遠藤副町長にお会いし、お悔やみとお見舞いを申し上げ、私たちも阪神・淡路大震災を経験した事や、今後、30年以内に60~70%の確率で発生が予想されている東南海・南海地震の事も申し上げ、佐藤町長より今回の大地震での種々の教訓を御指導いただきました。 南三陸町は、何回となく大地震や津波を経験した歴史があります。そのため最近、「防災対策庁舎」を建設し災害に備えていたところですが、なんとその3階建の庁舎が大津波で鉄骨の骨組みだけの無残な姿で残っておりました。2階で市民への避難の防災放送を最後まで続けていた庁職員の遠藤さんを始め、三十数人の職員の方も尊い命を奪われました。町長自身も3階の鉄骨の手すりにしがみつき助かったとのことです。 町長は、「津波への対応は、津波警報・注意報が発表されたら、まず高台に逃げること。そのためには、日頃から絶えず地震発生時を想定した実践訓練を行い、避難路や避難場所など、自分自身の頭と身体に十分覚え込ませておくこと。」とご教授いただきました。 今回の南三陸町への訪問により、現地の悲惨な状況や町長の教訓等を踏まえ、まず早急に避難路整備の計画等の検証や見直しについて、地域の皆様と協議を深めてまいります。国・県の地震や津波に対する新しい指針は1~2年は先になると思われますので、南あわじ市においては、対応可能な事柄から進めてまいる所存です。市民の皆様方の積極的なご支援・ご協力を改めてお願い申し上げます。』 海に囲まれた島でありながら、元々は海とは接していない町の町長だった現市長。海への取り組みの難しさを思い知らされたのではないかな。くると分かっている南海地震。これがいつなのかはわからない。なので、やはり、避難路の確保は優先的に進めて欲しい。 淡路島の道路自体、人が歩ける設計ではないこと。車なら安全だけど、歩行者には本当に命がけな道路であること。肝に銘じて欲しい。洲本橋の舗道と同じに。とは言わないから。せめて子供たちが安心して歩ける通学路を確保して欲しい。
2011.06.01
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昨日付地元紙の地域ニュース欄で、こんなタイトルを見つけましたので、そのまま引用させていただきます。 『金子みすゞの詩心つたえ 武庫川女子大同郷の学生企画 朗読交え魅力解説 東日本大震災のテレビCMで再び脚光を集める詩人、金子みすゞの魅力を伝えるイベントが28日、西宮市池開町の武庫川女子大学であった。みすゞと同郷で、自らも詩を書く学生が企画し、作品を紹介。「命の尊さを教えてくれる言葉を、今こそ知ってほしい」と語り、約60人が耳を傾けた。 同大文学部4年の佐々木佳子さんは、山口県長門市出身。母親が持っていた詩集や学校の授業などで、みすゞを身近に感じながら育ったという。文章で自分を表現することも好きで、小学5年のときには、「みすゞ児童作品コンクール」で大賞を受賞。2006年には初の詩集を出した。 イベントは、佐々木さんの企画に興味を持った河内鏡太郎の後押しで実現。2人の対談形式で、みすゞと佐々木さんの詩を朗読しながら、行われた。 佐々木さんは、「王子山」「弁天島」など、みすゞが故郷を歌った詩を取り上げ、海に面した土地柄を、映像を交えて解説。「家族の愛情や自分をはぐくんでくれた自然などを大切なテーマにしている」という自作の詩も披露し、みすゞへの共感を示した。 また、一番好きだという「浜の石」や、「このみち」に触れ、「つらいことも、皆で乗り越えようという思いを感じる。みすゞの詩を通じて“大丈夫”というメッセージを東北の被災地に届けたい」と話した。(田中真治)』 何年か前、楽しい方のコーラスグループで演奏会を企画したとき、金子みすゞの曲をいくつか扱うことになった。そして、「みんな違ってみんないい」という言葉に惚れ込んでしまった私。 洞察力は凄いし、物事を深く見つめていらっしゃる。昨年、鳴門市にある、大塚美術館で歌った、『雪』という曲は、青い小鳥が亡くなった悲しみを歌いあげていて、とても綺麗な景色を想像させてくれる。 「小さい 綺麗な 魂の 神様の お国へ行く道を 広く 広く あけよとて」で終わる。まるで絵本の世界のような。物事を見つめる目というのを少しでも見習いたい。
2011.05.30
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というチャリティーコンサートの様子がNHKで報じられており、40人もの参加者が、最後に「見上げてごらん夜の星を」を全員で歌われたとのこと。しんみりとした歌詞を、そして何度も歌ったこの歌を、近所から当時の町議会議員に立候補されたとき、私が替え歌を作って差し上げたこと。。。=当選されました♪ ウグイスも務めさせていただきました。。。 そんなことを色々考えていたら、涙が止まらなくなりました。 「ふるさと」や「見上げてごらん夜の星を」を作られた人はどんなかただったのだろう?と、そんなことを考えてしまいます。後の世に残る、本当に素晴らしい歌をありがとうございます。と言わずにはいられません。 また、こんな形での支援が全国に広がって欲しいし、決してチャリティーをお金儲けの手段にしよう。などということは、どうか淡路島の一部の人間だけであって欲しいと願います。 あらウィーンフィルさんも、国立オペラ座で支援コンサートですって。マーラーの9番ですって。演奏終了後の拍手は無し。。。これが本物の支援だと思うのですが。。。
2011.05.19
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『演奏通じて被災地支援』 『佐渡裕さんと兵庫芸術文化センター管弦楽団』 5月3日付地元紙の特集欄は、たまたま淡路版の隣に。なので、そのまま引用させていただきます。 『「音楽には、社会のためにできることがある。兵庫が教えてくれた」 阪神・淡路大震災からの復興のシンボルとして開館した兵庫県立芸術文化センターの芸術監督。35歳以下で構成する兵庫芸術文化センター管弦楽団を率い、昨年5周年を迎えた。地域住民との交流だけでなく、県西・北部豪雨の被災地支援などにも力を入れてきた。 しかし、東日本大震災の被害はすさまじく、無力感にとらわれた。そんな時、ドイツでの慈善演奏会の指揮を依頼された。「世界が励ましてくれている。自分は橋渡しをしよう」。曲目は、同センターのこけら落とし公演と同じベートーヴェンの交響曲第9番。「世界の人々が手を取り合って平和を築く。それが“歓喜の歌”だと実感した」 帰国後、同センターで開いた同楽団の復興祈念演奏会では、自ら募金箱を持って呼び掛けた。 1961年、京都市生まれ。85年、広島平和コンサートでタクトを振る米国の名指揮者、故レナード・バーンスタインの姿に感銘を受け、2年後に師事。プザンソン国際指揮者コンクールなどで優勝し、国内外の一流オーケストラで活躍する。 5月20~22日には、子ども時代から憧れたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期公演で指揮する。 「兵庫の人にも誇りに思ってもらえたら」と笑顔を見せる。 芸文センター管弦楽団は「最初の一歩を踏み出したばかり」というが、楽団員一人一人にファンができたり、恒例のオペラ公演が地域の祭りのように盛り上がったりと定着しつつある。 「地元に愛されるオーケストラとしては、きっと世界一になる」(神谷千晶)』 何かやる!とは思っていたけれど、『平和賞』ということで、十分に納得できる。また、『第九』の解釈。。。全く同感で、常々考えていたことと同じなのには驚いた次第。昨年8月にN響のコンサートに行けなかったことが、本当に残念。チケット、8600円もしたのにな。
2011.05.04
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海に囲まれた淡路島。漁業は主要産業の一つになっている。しかし今、魚が怪しいとされている。こんなこと、二度と起こして欲しくないけれど、電力を原子力に頼らざるを得ないのであれば、私たちにも行動を起こすことが必要に思えて、リンクを貼らせていただきます。何が本当に正しいのか、私たちが一体これからどうすれば良いのか、指針となれば幸いに存じます。。。 武田邦彦氏のブログより 『原発と生活08「クリーン福島」大作戦』 私自身は、大変参考になりました。
2011.04.17
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今日付け地元紙“くらし”欄で見つけたこのタイトル。そして、『岩手で神戸常盤大短大教員ら 誤嚥性肺炎防止へ口腔ケア指導』とありましたので、そのまま引用させていただきます。 『東日本大震災の避難所で心配されている高齢者の体調管理。通常の介護でも重視される口腔ケアは、水や歯磨き粉が不足する生活の中で後回しにされがちだが、怠ると口の中に細菌が発生し、誤嚥性肺炎を招くこともある。家庭で介護している人も、口腔ケアの基礎知識を知っておきたい。岩手県内の避難所で歯ブラシの配布などをした神戸常盤大学短大口腔保険学科の高藤真理助教(口腔衛生学)に聞いた。 (吉本晃司) 高橋助教や学生ら11人は先月27~29日、岩手県釜石市や大槌町の避難所で活動した。学生らが炊き出しや子どもの遊び相手になるなどの活動の傍らで、歯科衛生士の教職員が歯磨き指導で「口腔ケア」の大切さを訴えた。 避難所には支援物資として飲料水は届いていたが、ショックや混乱から口の衛生を気に掛ける人はいなかった。「普段通り磨かないと、口の中にばい菌がたまり、肺炎を起こしますよ」。高藤さんは声を掛け、誤嚥性肺炎の怖さを説明した。 誤嚥性肺炎は、細菌やウイルスが外部から体内に侵入して生じる一般の肺炎と違い、口の中の細菌が原因だ。阪神・淡路大震災では、心不全や腎不全など持病の悪化や急変で900人以上が関連死しており、死因の最多は肺炎(24%)。この中には誤嚥性肺炎が相当含まれているとみられる。 東日本大震災でも、避難所では栄養面に重点を置いた支援が講じられているが、口腔ケアがどこまで徹底されているか不明だ。洗面所についても十分な広さがないとみられる。高藤さんは「出向いた避難所では口の洗浄液や入れ歯のスポンジブラシが全くなかった」と話し、被災者の口腔衛生状態悪化を心配する。 ■ 本来ならば、毎食後の歯磨きが望ましいが、難しい場合はどうするのか。 高藤さんによると、1日1回、寝る前に磨けば、就寝中の最近の増殖を防ぐことができる。 また、歯ブラシがない場合は、食後にうがいをすれば、食べかすや舌への付着物を除去できる。水が限られる場合は、少量でできるだけうがいの回数を多くすることが大切だ。歯が少なく粘膜の露出が多い人は、歯ブラシの代わりに綿棒を使い、食べかすをなで取るようにしてもよい。 義歯については、避難所では人目を気にして、汚れても外さない高齢者がいた。毎日の洗浄が難しい場合は、週2、3回でも構わないので水洗いを。水がなければティッシュなどで拭くだけでもいい。 「口の中を清潔に保つことが感染症などを防ぎ、体全体の健康維持につながることを知ってほしい。家庭に備える非常持ち出し袋の中には口腔ケア用品も加えるべき」と話している。 誤嚥性肺炎 食べ物や唾液が食堂ではなく誤って気管に入り、細菌などが肺で増殖することによって起こる。加齢に伴い、のみ込む力が弱くなった人に多い。肺炎で亡くなる高齢者の多くは誤嚥性肺炎とみられる。』 ガスや水道の復旧が遅れてしまうのは、地上における工事だけでは済まない。ということもあるだろう。限りある水を何とか工夫して、せめて1日1回は口の中を綺麗にして欲しい。 果たして空気の乾燥と誤嚥などの因果関係はどうなのか、私にはわからないけれど、水分補給などにも気をつけて欲しい。 私ごとながら、カウンターの数字。“2”が並びそうだったので、楽しみにしていたら、ひとつだけ“3”が。おまけにピンボケ。 皆さんのお陰でヨチヨチ歩きながら、ここまでくることができました。本当にありがとうございます。画像は一瞬だけにしておいてくださいまし。 (4月6日に画像UPに再チャレンジしてみましたが上手くいかず、削除ということに)
2011.04.05
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『「一方有難、八方支援」という中国語がある。どこかに困難があれば、みんなで支援をするという意味だ。この言葉通り、わが国の有難に対し、世界の四方八方から手が差し伸べられている◆東日本大震災で、これまでに29の国と地域、国際機関から支援物資が届けられた。救助隊や医療チームなどを派遣した国や地域は23に上る。検査機器を備えた診療所を被災地内に開設した国もある◆外務省によると、支援を表明した国や地域は134、国際機関は39を数える。阪神・淡路大震災で支援を申し出た国などは70ほどだった。それに比べて、支援の輪がかつてない規模で地球上に広がっていると感じる。一方で、原発事故の対応チームも来日した。日本が地震の際に支援したニュージーランドは、52人の救助隊が駆けつけた。阪神・淡路ではスイスの救助犬が登場したが、今回はいろんな国の犬が活躍した◆モンゴルは16年前、阪神・淡路の被災地に飛行機で自国産の毛布を贈った。荷を届けた副首相は「被災地に行けば気を使わせる」とその足で帰国した。アジアらしい気配りだが、そのモンゴルも今回は毛布に加え、救助隊員12人を派遣してきた◆こうした友情の数々を決して忘れない。「友は第二の自己である」(アリストテレス)。どんな「有難」でも、次は友としてこちらがお返しをする番だ。』 社会を形成する一番最小の単位は家族だと思う。未だに家族が行方不明のまま。という人が何人もいらっしゃる。また、両親を亡くしてしまった子どもたち。 被災した学校は使い物にならないと、廃校になった学校で新学期が始まるという話も耳にする。知恵を出し合って、最良の方法を見つけて欲しい。 原発の問題にしても、ただただ数値の羅列だけでなく、だったらこれからのためにどうすれば良いのかがまるで見えてこない。どうやら『福島第一原発の1~6号機の全てを廃炉に』なりそうな気配。 私たちは原発は安全だと信じさせられてきただけだったの? これまでよほど興味のある人以外は、原発のそれぞれの建屋がどういう仕組みになっているのか。など知らなかっただろう。いや、知らなかったのは私だけかな? 地震による緊急停止。そして未曾有の津波が押し寄せた。。。 『「原発増設」を白紙に』などと、地元紙の一面トップを飾る見出し。無くせば良いという問題ではない。代替策はどうなのか。やがて、自分たちが口にする食べ物はどうぞご自分で。なんてことになるのだろうか。そして食べ物と同じように電気も自分たちで太陽光発電でも何でもしてくださいって? 糞でメタンガスを発生させるために養豚を始めるとしてそれが一家のガス、電気エネルギーをまかなうには、一体どれほどの規模の養豚場が必要なんだろう。エッ?足りない分は太陽光発電でって? 昔みたいに、日の出とともに起きて、日没とともに休む?そんなん絶対無理やわ。
2011.04.01
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などという白抜き文字を見つけたのは、7日付地元紙『地域ニュース欄』。興味がありましたので、そのまま引用させていただきます。。。と、今日は、二度目の挑戦です。朝、記事全文と自分自身のコメントを記入し終えて、タグの3つめを押そうとしたらアウト。こんなバカなことありませんね。気分直しに実家へ行ってました。さて、出勤時間まで1時間を切りましたけど、どうなんでしょうねぇ。タッチパネルのどの部分を押すと(勝手に手が当たってしまう場合が多い)リセット状態になってしまうのか、まるでわからない。だから、正直タグを押すの嫌やねん。 『伊能忠敬が全国測量 「大日本沿海輿地全図」兵庫大で来月 図上歩き偉業実感を 江戸時代の測量家、伊能忠敬(1745~1818年)が、日本全国を歩き、作製した「大日本沿海輿地全図」(伊能図)の原寸大復元図を8月26~29日、兵庫大学(加古川市平岡町新在家)が展示する。全体で200畳を超える巨大な地図で、関西初公開。摂津や播磨、丹波など兵庫県内の旧五国の地名も詳しく記載されており、この地での忠敬の足跡も感じ取れる。(武藤邦生) 加古川 伊能図には大図、中図、小図の3種類があり、このうち最も大きく、情報量の多い大図は縮尺3万6千分の1。北海道から屋久島までが、1畳ほどの地図214まいで表され、村名や山、川の名称なども細かく書き込まれている。 大図の原本と控えは明治~大正期に火災で焼失。全体像は長らく不明だったが、最近の10年で、明治期に作られたとみられる複写が米国で大量に見つかるなど国内外で発見が相次ぎ、全容が明らかとなった。 展示されるのは、「完全復元伊能図全国巡回のフロア展中央実行委員会」(東京)が、これらの複写を基に作製した原寸大パネル。高い解像度でデジタル画像化し、推定される原本の色合いを再現した。昨年から全国の体育館などで展示し、今回が7カ所目となる。 縮尺21万6千分の1の中図、同43万2千分の1の小図もパネル展示。各パネル上を歩くことができ、間近で観賞できる。 実行委メンバーで、伊能忠敬研究会の星埜由尚代表理事は「忠敬は55歳から17年かけて全国を歩き、愚直なまでに丹念に測量をして、地図を作った。原寸大のスケールとともに、努力の跡を感じとってほしい」と話す。 無料。観覧希望者は、名前(ふりがな)、郵便番号、住所、年齢、電話番号、来場予定日、メールアドレスを書いて、8月9日までにファクス(079・427・9552)などで申し込む。当日は靴下を着用。同大学学長室電話079・427・9551』 歩くことが唯一の交通手段だった当時。歩いて調べるなんてことをやり遂げたことが凄い。たった一人ではこんなことできないだろう。何人もの人が記録したり紐を使ったり。でも、一体総勢何人の人が取り組んだ成果なのか。。。 地名も地形も随分変わったと思う。山まで削り取られた。なんてこともあるかも知れない。航空写真が登場するまで、伊能忠敬が計測したのが基になっている?と思うと、つくづく凄いとしか言いようがない。住んでいる地区さえ歩いて回るにはかなり苦労するのに。。。
2010.07.09
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こんな風に述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『米国を「文明」によって成り立つ国と論じたのは、作家の司馬遼太郎だ。そして、地球上にある「文明」の分布を分かりやすく示したのは、4日前に亡くなった人類学者の梅棹忠夫氏である◆文化は民族や地域によって異なる。日本に演歌があり、米国にはカントリーミュージックがある。それに対し、文明は「普遍性があって便利で快適なものを生み出す」と司馬氏はいう。世界中に普及したハンバーガーは文明の産物といえるだろう◆とはいっても人類はなかなか一つになれない。その背景を、司馬氏と同世代の梅棹氏は文化より大きな文明の質の違いと説明した。ユーラシア大陸を中央部と東、西端に区分けし、それぞれを異なる文明圏と位置づけた◆一方で、遠く離れた日本と西欧は市場経済を発達させるなど文明の質が似ており、相互理解を深めやすい。モンゴルやアフリカなど世界で現地調査を重ね、その考えにたどり着いた。内容は著書「文明の生態史観」にまとめられている◆9年前、米国を狙った中枢同時テロの後に直接、話を聞く機会があった。「テロは文明への挑戦や。けれどテロとイスラムとはまったく別」。その言葉が印象に残る◆他者を認めない原理主義が平和を脅かす。「それはかつて日本も経験した状況。文明の危機にはみんなが冷静に対処するしかない」。テロが各地に飛び火する今、知の巨人が残した言葉がひときわ、ずしりと響く。』 同じ人間が人間を殺し合う戦争が無くならないこと。違いは違いで認めて、その上で手を携えるということがどうしてできないのかなぁ。 それにしても、母は今日は寒いと言う。私など扇風機をかけずにいられないのに。この違いは、文明などではないけれど、年齢を重ねると暑い寒いが感じられなくなるらしいけど、それにしても、今日みたいな日に寒いは、やはり心配。またいつもの茄子の味噌和えに小松菜の煮びたし。柔らかいものを食べたらちょっとは元気になれるのかなぁ。 亡くなられた梅棹忠夫氏は。。。エッ?同い年で老衰?そんなぁ。。。ご冥福をお祈りします。
2010.07.07
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こんな風に述べられていました。そのまま引用させていただきます。 『「人情というものは、いまでいう連帯感のことなのである」。東京・浅草生まれの作家池波正太郎の短文に、そんなくだりが出てくる◆タイトルは「東京の下町」。市井を愛した作家の下町考があふれる一文だ。「人びとは、よほどの用事がないかぎり、自分の住み暮らす町からめったに出て行かなかった」。買い物は地元商店街ですます。お金が町の中をぐるぐる回り、互いの暮らしを支える。一種の循環社会だ◆神戸の下町に育ったせいか、人のにぎわいの中にいると安堵感を覚える。下町の中心にあるのは、何と言っても商店街だろう。通りに面して色んな商品が並んでいるのを眺めていると、ワクワクしてくる。つい財布のひもも緩くなる◆「新鮮な屋親があった。魚屋があった、花屋があった」。そうつづりながら、下町を散策するのは作家の梶井基次郎だ。「眼は眼で楽しんだ。耳は耳でたのしんだ」。こんな表現に出合ったら最後、たまらなく町に出かけたくなる◆ぐるっと見渡して、元気がいい下町といえば神戸の長田だろうか。そびえ立つ「鉄人28号」を核に、地元の商店主らが知恵を絞って地域おこしを仕掛ける。昨日発表された路線価でも健闘ぶりがうかがえた◆阪神・淡路大震災の被害が大きかったがようやく人口も戻ってきた。商店街にお金がぐるぐる回って、人々の気持ちもぐるぐる回って。その先に、連帯感に包まれた町の光景が見える。』 近くまでは行っているのに、「鉄人28号」にはお目にかかったことがない。一度行ってみたくなった。来週は神戸だから。。。ランチは「鉄人28号」の近くで。 東京・浅草というと、ついつい「私の浅草」を書かれた女優さん(顔は出てくるのに名前が。。。)のことを思い出してしまう。彼女が生まれ育った時代はちょっと前になるけれど、人間としての基本が書かれていた気がする。勿論、今でいうところの男尊女卑みたいな内容も出てくるけれど、一家の主を立てるというのは当たり前のことだし、少なくとも、息子に向かってお母さんが「お父さんみたいになっちゃ駄目よ!」なんてことはあり得ないと思う。 と、ちょっと『連帯』からは離れてしまったかも知れないけれど。。。 住之江区の加賀屋商店街には随分助けられたものだった。。。そんなことをふと思い出してしまった。
2010.07.02
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『高速料金どうする?』今日付け地元紙の社会面で見つけたこんな記事。そのまま引用させていただきます。 『民主党がマニフェスト(選挙公約)に掲げた高速道路の料金無料化。社会実験が全国各地で始まる一方、新しい料金制度の実施は先送りされた。明石海峡大橋を含む神戸淡路鳴門自動車道は他の高速道路より千円高く設定され、淡路島では反発が広がっている。29日には参院選の候補者が相次いで訪れたが、料金問題には触れなかった。国の交通政策に翻弄される有権者からは「説明責任を果たしてほしい」との声が聞かれた。(今福寛子、金 慶順) 前原誠国土交通相が4月に示した新料金制度で、神戸淡路鳴門自動車道は競合するフェリーにも配慮し、普通車は3千円と、現行の「休日上限千円」と比べると2千円の“値上げ”に。ほかの高速道路と連続利用すると、上限は5千円で割高感が指摘された。5月、島内で抗議集会が開かれ、約14万人分の署名を民主党に提出した。 民主は参院選マニフェストで、高速道路料金について「段階的に原則無料」とする。この日、民主現職は洲本市内のスーパー前などで、消費税率の引き上げや生活格差の是正んどを訴えたが、高速道路料金には触れなかった。神戸新聞社の取材に対し、「社会実験の効果やフェリーの実情、住民の意見などを聞いて考える。短い時間ではすべてを話すことはできなかった」と答えた』 “夢の架け橋”は実現したけれど、料金がこんなに高くては通勤もままならない。三ノ宮へ高速バスを使って往復するだけで4千円は痛い。確かに、フェリーならこんなにかからなかった。本気で淡路島民のことを考えてくれている人なんて、参院にはいるのかなぁ。って、もう既に投票は済ませた私ですが。 う~。折角の辻井さんのピアノが聴けないまま出勤。長嶋茂雄さんのお誕生日で弾かれたそうな。メッセージが届いていました。
2010.06.30
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いつもながら、本当に比喩がお上手で感心させられてばかり。早速引用させていただきます。 『街の食堂で食べた「まぜご飯」から、具材にないかんきつ類の香りがした。聞くとグレープフルーツの汁を入れたという。ほどよい酸味で、思いのほか食が進んだ◆料理の基本は塩味とされるが、梅雨から夏にかけては、酸味に助けられる場面が増える。味加減を調えることを「塩梅」という。塩と梅酢、いい塩梅の食で暑さを乗り切る。これからの季節においったりの言葉ではないか◆塩梅には味加減から転じて、物事のほどあいの意味がある。先日、健康づくりの講習会で医師がこんなことを話していた。「人間のDNAは地球で生き抜くための知恵が詰まっています。体が欲するときに適宜口にする。それが一番ほどよく、健康にいいのです」◆例えば、水をたくさん飲むことが体にいいと言われるが、健康な人の場合、渇きを覚えたら少し口にする程度で十分だそうだ。甘いものを食べたい、塩気がほしい。そう感じたらちょっと口に。それがいい塩梅。ストレスなどで不摂生になりがちな身には、耳の痛い話だった◆肉類の摂取が少ない高齢者は寝たきりにつながる転倒骨折の危険が高い。そんな東北大学の研究結果を伝える記事を読む。日本のお年寄りは肉より野菜という人が多く、肉類が足りないようだ。いい塩梅は味だけでなく、食生活全体に及ぶ◆バランスがいい。ほどよい。塩と梅の組み合わせの妙を思う。選択の夏、結果はどんな塩梅になるだろう。』 出勤前に期日前投票に行こうと思う。一人に一票は誰もが同じ権利。どこまで思いを生かせるかはわからないけれど、やはり、大切に使いたい。 それにしてもこの雨は。。。行動を阻まれてしまいそうな。梅雨だから仕方がないといえばそうだけど、もうちょっとほどよく。とは行かないものかなぁ。。。
2010.06.26
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いつもながら、上手に比ゆされるなぁと、ただただ感心するばかり。それでは、始まり始まり。。。 『「雨の日と月曜日は、いつだって気分が落ち込む」。カーペンターズはそう歌っていた。月曜日が雨だと、週の出はなをくじかれた気分になる◆とはいえ、そぼ降る雨を眺めていると、心静まり、あれこれ思いを巡らせたい心境にも浸れる。「雨に対ひて月を恋い」は徒然草の一節だ。雨雲に隠れた月の姿を想像すれば、見えない月が一層恋しく思える。長雨は、そんな風流心もはぐくむ◆おととい、近畿地方が梅雨入りした。晴天に気をもむ日が続いたが、平年より7日遅れの入梅となった。これからのひと月ほどの間、穏やかな恵みの雨を降らせてほしい◆その日本とは反対に、南半球は冬である。からからに乾燥したオーストラリアの砂漠に日本の宇宙探査機「はやぶさ」が戻ってきた。小惑星「イトカワ」の砂を保存した可能性のある貴重なカプセルを残しながら、本体は夜空に燃え尽きた。7年にわたった満身創痍の長旅をねぎらい、日本から梅雨の夜空を見上げる◆もう一つの南半球の国、南アフリカはサッカーワールドカップで熱く燃える。日本は初戦を終えたが、1次リーグは、24日まであと2試合ある。南十字星の下で光輝く「サムライブルー」の雄姿をぜひとも見たいものだ◆日本ではそのころ参院選が公示される。雨季の選挙戦にどんな審判が下されるにせよ、戦いの後はさわやかな夏空が広がればいい。梅雨もそんなふうにすっきり明ければいい。』 熱い頃の選挙だった記憶が残るのは、大阪市立の小学校。住吉区民だった頃のことだ。そういえば、ずうっと暑いときと重なっていたのは、衆院選と違い、三年に一度と決まっているからなんだ。 審判が下ると、少しは暮らしぶりが良い方向に向いて欲しい。中途半端な審議ばかりで、通って欲しい法案まで流れてしまった。何なんだ、この国は。
2010.06.17
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地元紙日曜版で紹介している、新兵庫人には“旋律の担い手”として佐渡裕さんを紹介していましたので、そのまま引用させていただきます。 『聴衆の熱気が残る兵庫県立芸術文化センター(西宮市)のロビーに、100人以上の列ができた。その先には「兵庫芸術文化センター管弦楽団」の定期演奏会を終えた指揮者佐渡裕がいた。 「また来てね」「フルート習い始めたの?頑張ってね」-。世界的指揮者バーンスタインに師事し、世界最高峰「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」定期演奏会の指揮も決まった著名人。ラフな服装に着替え、握手やサイン、記念撮影に応じながら会話する。1時間近く続いた交流は、定演後の恒例行事だ。 フルートを習い、ベルリン・フィル入団を夢見ていた少年時代、あこがれの指揮者小沢征爾にサインをしてもらった。「サインをもらうことを含めて演奏会だった」 関西二期会でオペラの副指揮者などを経て、2002年から同センター芸術監督に就任。県内の幼稚園での出前コンサート、中学1年生を招いた音楽観賞会とアイデアは尽きない。 「クラシックは偉大な作曲家たちによる、素晴らしい音とイメージの重なり。その人類最大の創造物を子どもたちに教えたい。 ◆ 「半径2キロの住民を意識した劇場づくりを」-。スタッフによく言うフレーズだ。 阪神・淡路大震災からの復興の象徴として、同センターは05年10月にオープンした。クリスマスにはシンボルツリーが点灯され、四季折々の自然の表情を楽しませてくれる北東側の公園では、楽器や演劇の練習をする若者の姿は絶えない。 「欧州では、街の人にとって劇場は『みんなの広場』。劇場を訪れる人を、街全体で歓迎する雰囲気をつくることが、魅力につながる」 劇場づくりに一からかかわれる魅力を感じ、同センターの事業に参加して間もない01年、知事井戸敬三の言葉に感激した。「犠牲者も多く出た街に、元気を与えてほしい。豊かな心が育つ街に」。神戸市長田区にあった佐渡の妻の実家も全壊していた。 住民票を東京から神戸市灘区に移した。「県などに税金を払うことで、責任を持って取り組みたかった」。今では同センター近くの商店街の居酒屋に出向き、商店主たちと一緒に飲む。 「僕たちは震災で、水やガス、電気の大切さを知った。でも、それだけでは生きていけないことも知った。笑い、歌、踊りが生きる力になる」 そんな思いを伝えたい。関西から東京、そして世界へ。音楽活動の場を広げる原動力として、地域に熱い視線を注ぎ続ける。(敬称略)』 佐渡さんの素晴らしいところは、音楽のジャンルにとらわれないこと。毎週日曜日の「題名のない音楽会」の司会を担当され、本当に多忙でいらっしゃるだろうに、何だか世界中の人々を音楽の渦の中に巻き込んでしまいそうな感じ。だから素晴らしいと思う。奏でる人、そして聴く人。みんな音楽を楽しむ一員なんだ。みたいな。そこが素晴らしいと思う。これからもお元気でご活躍を。とお祈りします。
2010.06.01
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毎週日曜日、地元紙のトップに、新兵庫人というシリーズがあり、日曜日は第14回、旋律の担い手と題され、中嶋仁さんのことが紹介されていましたので、そのまま引用させていただきます。オーケストラが、こういう人によって支えられているんだ。と実感させられます。これからも、お元気でご活躍をとお祈りします。 『取り外したトランペットのピストンに異常は見られない。「1時間に1回くらい、押さえた時にすぐに戻ってこないことがある」という奏者。楽器店「グランド楽器」(神戸市)のリペアマン(修理技術者)中嶋仁(48)は「落としたことは?」「どのように吹くの?」と質問を重ねた。「楽器を傾けながら演奏する」という言葉にピンときた。ピストンがほんのわずか変形していた。 金管楽器修理に携わって30年。約4万本の楽器を扱ってきた。話し好きで演奏者と雑談するうちに、故障個所が分かることが多い。「リペアマンの仕事は医者と似ている。話をして原因を突き止める」 修理が簡単なケース以外は、楽器店からメーカーへ送るのが一般的だが「部品交換しなくていい場合は直す」。 関西を代表する管弦楽団に属する近刊楽器奏者の8割前後が愛器を中嶋のところに持ち込んでくるという。「彼がいないと関西のオーケストラは成立しない」との声も聞かれるほどだ。 ● 作業机に広げられていた50個もの金属部品が、鮮やかな手さばきでサクソホンに戻った。中学1年の時、神戸の楽器店で見たリペアマン福永一雄(63)の点検・修理の仕事は今も忘れられない。中嶋にとっての原点だ。プラモデル作りが趣味の少年には神業だった。福永の仕事を見たくて、高校卒業まで毎月1回通っていると「アルバイトしてみないか」と誘われた。 神戸市にあった真珠加工販売店の実家は歌謡曲はポップスが流れていた。小学3年でマリンバを学び、中高校の吹奏楽部でサクソホンやドラムを演奏。音楽は身近だった。 修理店で、使われなくなった楽器で練習を重ねるうち、細かな傷も残さないために内側からたたいて直すことを思いつき、先端にパチンコ玉をつけた棒状の修理道具を考案した。トランペットのピストン同士をつなぐ約1センチの枝管用など、修理に応じて作った棒は100本近くある。 最も多い仕事は、おとして変形した部分の復元。パチンコ玉で少しずつたたいて直す。汚れ除去にライターオイルを使い、潤滑油として化粧クリームを試したりしてきた。「この仕事は好奇心が必要」が持論だ。 微妙な作業に神経を張り巡らせる中嶋には演奏会招待状が毎週のように届く。差出人は修理した楽器の演奏者。演奏会打ち上げの席で感謝されたとき、初めてほっとする。 「演奏者のへこんだ(落ち込んだ)気持ちを元通りにできることがうれしい」 リペアマンとしての確かな誇りを胸に、今日も楽器と向かい合う。(敬称略) 中嶋仁さん 「元の90%まで仕上がれば演奏者は直ったと考えるが、私はそこからもう少しいい音にならないか努力している」=神戸市東灘区魚崎中町1、グランド楽器』
2010.05.24
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やはり地元紙からの引用。『新兵庫人』の第14部は旋律の担い手として、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに採用された、樫本大進さんを紹介されていましたので、そのまま引用させていただきます。 『バイオリンが何本もあるようだった。バイオリニスト樫本大進は、複数の弦を同時に鳴らしたり、高音で旋律を奏でながら下支えする低音も同時に響かせたりし、バッハの舞曲「無伴奏バイオリン・パルティータ第2番」など3曲を弾き切った。 3月5日、自ら音楽監督を務める国際音楽祭が10月に開かれる姫路市で、全国ツアー最終日を迎えた。世界最高峰といわれるベルリン・フィルはーも二ー管弦楽団の楽団員をまとめるコンサートマスター(コンマス)。昨年9月に採用され、約130人で構成する楽団に認められれば2年後には正式就任となる。 教会音楽を数多く手がけたバッハの曲は「多彩な音が重なり合って広がる、パイプオルガンを想像している」という。「空気に音を残しながら次の音を奏でるイメージ。ハーモニーを強く意識したのは、ベルリン・フィルに入ったことが大きい」 3歳の時、おもちゃの中にあったバイオリンを手にした。父の仕事の関係から、英国で生まれて海外生活が長かったが、夏休みになると母の故郷・赤穂で過ごし小学校も体験入学した。11歳で世界屈指のバイオリン指導者ザハール・ブロンに招かれ、米国に父を残し母とともにドイツへ。「自分のため、そこまで親が犠牲になってくれるのか」とプロの道に進むことを決意し、練習に打ち込んだ。 10代でロン・ティボーなど権威ある国際コンクールで優勝を重ねた。ドイツを拠点にソリストとして活動し、小沢征爾やマリス・ヤンソンスら名指揮者と一緒に国内外のオーケストラと音色を響かせる。 ベルリン・フィルのメンバーとは室内楽で何度もステージをともにした。幾度も入団を誘われるうちに「素晴らしい仲間と音楽をつくりあげる経験が、音楽人生を豊かにする」と応じることにした。昨年6月のオーデションを経てコンマスに。昨年3月に退団した安永徹に次ぐ日本人2人目の快挙だった。 指揮者が意図する細かな演奏のタイミングも微妙なニュアンスを、演奏を通じて楽団員に伝える。「周りの音に感動しながら弾いている」といまだに初々しいが、「責任は重い」と表情を引き締める。 昨年5月、小沢に招かれてベルリン・フィル演奏会に出演。音楽の中に入り込んだような感覚に包まれ、演奏する喜びを実感した。「全員の気持ちが一致したのだと思う」 そんな最高の調和を求め、挑戦は続く。(継承略)かしもと だいしん ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団での活躍が期待されるバイオリニスト。「常に勉強という気持ちで、スポンジのように吸収したい」』 音楽の世界だけではなく、“調和する”ということが、どれだけ大切か。ということが述べられている気がして、引用させていただきました。 樫本大進さんの今後のご活躍を大いにお祈り申しあげます。
2010.05.03
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佐渡島では、トキの親が孵化はしないだろうと判断した卵を巣から落としてしまうシーンが何度も報道され、残念でならない。厳しい判断を迫られた親たちも本当に辛いことだったと思う。卵があっても無精卵では雛はかえらない。どうしてそんな判断がトキたちにはできたのか、不思議でならないけど、巣を守る為の選択だったと信じたい。そして、これからの可能性を信じたい。 さて、4月29日づけの地元紙に載っていた『正平調』。28・29日と朝のシフトが続いたため、夜にはクタクタ状態だったもので、お訪ねくださったかたのところへもお伺いできずに、本当に申し訳ありません。。。 『多くの人が、隣に並んで背丈を比べ、顔をのぞき込む。どれも笑顔だ。人々の表情も自然と和やかになる。姫路市安富町北端の関地区でそんな光景を目にする◆対面する相手は田畑や集会所などに置かれた等身大の「かかし」だ。観光施設の「鹿ヶ壺山荘」周辺は、週末になるとかかし見物の人でにぎわう◆かかしといっても、鳥よけではない。農村の暮らしを伝える「ふるさとかかし」だ。腕と足の関節や腰が自在に曲がり、遠くから見れば人間そっくりに作られている◆集落を流れる川べりのベンチに、野良仕事を終えた2人が腰掛けている。対岸には釣り糸を垂れる人たち。ほかにも消防団員や老夫婦ら28人、いや28体が並ぶ。畑で鍬を振るうかかしには思わず声を掛けたくなる◆いずれも、関出身で鳥取市に住む会社員岡上正人さんの作品だ。6年前に単身赴任した徳島県の三好市で人間をっくりのかかしと出会い、地元の人に作り方を教わった。そこでまちおこしへの活用を提案すると、観光バスが止まるスポットに。次の転勤先の鳥取では、ローカル線若桜(わかさ)鉄道に呼びかけ、自分で作ったかかしを駅舎に置くと、評判を呼んだ◆かかしのいる山村が関心を呼び、故郷が活性化すればー。岡上さんはそんな思いで手作りする。願いが通じたのか、かかし人気は高まるばかりだ。誰が見ても心癒される「日本の原風景」が、あちこちで息を吹き返しつつある。』 日本の原風景を知っている世代は段々少なくなっているのじゃないかな。田舎生まれの人だと、幼い子でもわかるかも知れないけど、都会で生まれて育った人には、田んぼさえ知らない。なんて大人が居るかも知れない。野菜はスーパーで買うもの。確かに、そんな人が存在するわけだから、田んぼなんて見たことがなくても当たり前なのかな。でも、それって寂しい気がする。 コンビニへ行けば、何でも瞬時に手に入れることができる時代になって、時間の観念が恐ろしく変わってしまった。コンビニでは「暫くお待ちください」は通じなくなっているらしいと聞いて驚くばかり。 お米は4月になれば籾を撒き、苗を育てて、私の実家では玉葱の取り入れが終わると同時に水が張られ、田植えが行われた。大抵6月の20日前後だったと思う。植える品種は決まって「日本晴れ」という晩生だったから、稲刈りが大体11月。お米は刈り取っただけでは食べられない。乾燥させて脱穀。そして籾摺りが行われ、さらに精米。刈り取るまでに半年を要し、さらに乾燥。天日干しだったから、雨が続けば目も当てられなかった。確かに日照りばかりではなく、台風ではざがけにした稲がひっくり返ってしまうこともあり、水の中を必死で干し直すなんてことも。今は、田植え機で植え、コンバインで刈り取りなので、乾燥に1日。刈り取った翌々日には精米されて新米が食べられることになる。でも、味はまるで違う。太陽の恵みというのか、天日干しされたお米の美味しいこと。でも、買う側には天日干しなのか、乾燥機による乾燥なのか。などの判断はできない。農家にしかわからないと思う。これはとても不幸なことだと思う。お米屋さんだって、悪い人はいないだろうけど、ブレンドしているのだから。正味100%のコシヒカリなんて、この世に無いのじゃないかなぁ。農家に行かない限り。 苦労して作られたお米。確かにコンビニへ行けば、既にお握りになったのが並んでいる。わざわざ米を研ぐところから始めて炊飯なんて手間なことはしなくて良いわけで。。。でも、そこまで時間を短縮し、その間って一体何をしているか。といえば、案外しょうもない時間の使い方をしていること多いのじゃないかなぁ。 ゴールデンウイークなんて言ったって、私の休みはたった1日。5月の3日だけ。そういう業種もあるんだってこと、まぁ、首相さんには関係ないんだけど。。。のんびりまったりできる人はどうぞ姫路へも足を延ばしてくださいな。
2010.04.30
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地元紙、日曜版には“教育欄”が設けられており、神戸大学付属住吉中学校の副校長が新1年生へのアドバイス中学校編が掲載されておりましたので、そのまま引用させていただきます。 『生活のリズム守って 「我慢」覚えることも 小学校と中学校の新入生や親に、専門家から助言してもらう「新1年生へのアドバイス」。今週は「中学校編」として、神戸大学付属住吉中学校の櫻井圭一副校長から、現場の先生の視点で話してもらった。 (吹田 仲) -小学校と中学校の違う点は。 大きな違いは、強化の数が増え、そのすべての教科で先生が違うということ。もちろん学級担任はいるが、生活から勉強まで、すべて1人の先生が把握してくれていた小学校のころとは少し違う。多くの先生とつきあう中で、意欲がわかなかったり、嫌いな教科ができたりする生徒が、どうしても出てしまう。 -どうすればいいか、 自分の経験では、中学校に早くなじめる生徒は、積極的に誰とでもコミュニケーションがとれる子。逆にそうでない子がつまずきやすい。そうした場合、学校でも取り組むが、家庭でもとにかく子どもの話をよく聞いてあげてほしい。そのきっかけは家庭内での「あいさつ」だと思う、何かあれば必ずサインが出る。あいさつをきっかけに、親がそれを見逃さず、話を聞いてほしい。そして学校や担任にも伝えてほしい。 -学習も高度になる。 算数が数学になり、本格的な英語も始まる。例えば数学なら、xやαといった見慣れない記号が並んでいたり、正負の数、つまりマイナスの概念が出てきたりする。そこで戸惑って、つまずいてしまう生徒もいる。 -学校ではどう対応しているのか。 中学校としては、小中の連携を重視している。中学校の教諭が6年生の授業を見に行き、情報の伝達もしている。新入生一人ひとりをサポートし、スムーズな中学校生活を始められるのが理想。連携には、今後もより力を注いでいきたい。 -生徒自身が取り組むべきことは。 まず生活のリズムを整えること。小学校時代よりも学校にいる時間が延びる。早めに学校に来るし、部活が始まると、下校が午後6時ごろになることもある。だから生活を整え、早寝早起きも心掛けて。また、理科室など別の教室での授業も増え、チャイムの重要性が高まる。小学校では休憩時間は「遊び」だったが、中学校は「次の授業の準備」と考え方を変えてほしい。 -保護者にひと事。 入学直後の保護者からよく「規則が厳しいのでは」という声を聞く。しかし、中学校は義務教育の最後となる教育機関。体や心も著しく成長する時期でもある。そうした時期には我慢を覚えることも必要だ。「小学校とは違う」という気持ちを、親子とも持ってほしい。学校も協力しながら、大人への成長を促していきたいと考えている。 さくらい・けいいち 公立中学校や神戸大学付属中学校で、30年以上の教諭経験がある。専門科目は国語。公立中学校の主幹教諭などを経て、2009年から現職。 「不安を感じても“自分を応援してくれる人が必ず身近にいる”と信じてほしい」』 入学からほぼ20日を過ぎただろうか。さて、新入生たちは中学校に馴染めただろうか。クラブは何を。希望のクラブに入ることはできたかな?担任の先生や、教科の先生はどうかな? 小学校から規模が同じだった私の時代は、そのまま中学生になっただけで、新しい仲間が増えたわけではないけれど、相変わらず男女間の仲が悪かったのは、一体何故だったんだろう。そのせいか、未だに同窓会が開かれない。ひとつ上の学年と私たちを受け持ってくださった先生が教師生活の始まりを淡路島で過ごすことになられた。九州の出身でいらっしゃるのに、どうして淡路島を選ばれたのか、まるでわからない。田舎の中学校は、まるで二十四の瞳を思わせる印象だっただろうか。 温暖な土地だから玉ねぎをはじめ、野菜の栽培も盛んに行われており、人懐っこい風土だったと思う。 私自身は、小学校1年~3年まで何故か同じ担任だった。兄とは双子だったため、兄の1年生のときの担任がピアノをとても上手に弾きこなす先生で、一度、この先生が担任だったら。と思うのに、小学校5年のときも、兄の担任となり、結局私は一度もこの先生が担任になったことがない。音楽だけが好きだった私なのに、小学校4年のときの担任も音楽大好き先生(男性)は兄の担任だった。。。 中学生になって初めて私は本格的に音楽を勉強された先生が担任をされるクラスに。。。と実はこれも逸話があって、最初は先生の手違いで同じクラスになっていた。生徒数も少ないので2クラスしかなかったけど、入学してからのクラス替えは兄には衝撃だったと思う。兄の担任は、理科の先生。先生たちも男子と女子の仲が悪いことに頭を痛めていらっしゃった。原因はまるでわからない。そして今も。 高校で一緒だった人の中には同級生同士のご夫妻が何組かいらっしゃるのに、私たち、中学生時代のカップルはたった1組のみ。どうしてなのかなぁ。男子、女子の双子は私たち1組だけだったけど、事情で一緒に暮らしているという人が居たかなぁ。でも、そんなことが関係しているのかなぁ。 先生とは今でも時々手紙のやりとりをしている。実は先生の人生において、ひとつ上の学年というのは、教師生活全く初めての担任だっただろうから、印象も深いと思う。私たちの学年を最後に九州へ帰られることになって、そのまま顔を見ての交流は途絶えてしまったけど、先生とは手紙のやり取りを続けている。正味、10歳も違わない先生は、私にとってはとても新鮮だったし、何といってもピアノがとても上手だったから、いつまでも先生と過ごしたいと願っていたのに、たった2年で淡路島を去られる。というのが本当に残念だった。 ときどき、卓球もしたなぁ。本来はテニスだったらしいけど、中学校には男子の軟式テニスしかなかったので。 たった一つ不思議なことは、入学のときの学力テストの成績。情報がどこから漏れるのか、女子では一番だったらしい。何故そのことを他の人も知ってるの?だからって副委員長をさせられるわけ? 中学は本当に人生にとって大切な時期だと思う。学校を休まないこともとても大切だと思う。怪我や病気には気をつけて、なるべくなら学校を休まない習慣もつけて欲しい。
2010.04.26
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地元紙の読書欄。著者に聞くというコーナーがあって、興味を惹きましたので、そのまま引用させていただきます。 『ネトゲ廃女複数の人が参加して、戦ったり、冒険したりするインターネットのオンラインゲーム、通称「ネトゲ」。その世界に没頭し、社会生活が破綻状態になる人々を紹介した話題書「ネトゲ俳人」(芦崎治著)の版元から、主婦ではまる人たちの実態に迫る一冊が出た、著者はm主婦取材暦20年の作家、石川結貴さん。 「私自身、息子たちの好きなゲームに何の興味もわかず、主婦とゲームって遠いイメージだった。まさか、との思いで取材を始めました」 本書に登場するのは9人。千葉県に住む30代の女性は、ゲーム好きの夫の影響で結婚以来10年間、3台のパソコンを駆使して熱中、画面から目が離せなくなり、まともに食事もせず「殺し合い」などに興じる。 「思う存分ゲームができなくなる」との理由で子どもは要らないという派遣社員、ゲーム内の「カレ」に捨てられたくない一心で肉体関係を持つ専業主婦…。まるで「ドアを開けて隣の部屋へ行くように」、現実と架空の境界を気軽に飛び越えるような女性たちに違和感を覚えつつ、一方で、これは「入り口」にすぎないのでは、とも言う。 ゲーム内で自分の分身的なキャラクターに着飾らせるのは、ままごとや人形遊びの感覚に近く、「主婦がはまる要素」が多い。家事の省力化や無料ゲームの種類が増えたこともあり、平日昼間の「主婦人口」は増加しているという。 さらに石川さんは、現実世界のありさまが、主婦をネトゲに向かわせているのでは、ともみる。 ある女性はその魅力について「夫にも子にも友人にも見せない本当の自分の本性が出せる」と話したという。「今は身近な存在でもプライバシーに踏み込まないし、他人から浮かないように自分を偽ったりしている。だからなおさら本当の自分でいられる場所が貴重なのかもしれない」 自ら母親として投稿誌を作るサークル活動にかかわって以来、現場で声を拾ってきた石川さんは今回、「すごく反省した」と話す。「主婦問題をずっと取材していながらどこを見ていたんだろうと。児童虐待など社会問題を語る上で、リアルとバーチャルをどうつなげていくかという視点が欠かせないと思います」 (「ネトゲ廃女」はリーダーズノート・1365円) いしかわ・ゆうき 1961年静岡県生まれ 「皆さん、夫から何度か文句を言われるものの、なし崩し的に認めてもらっているようです。それはそれで衝撃でした」。。。』 ゲームにのめり込んでしまうと、なかなか現実の世界に戻れなくなってしまうものなのかなぁ。気になって気になって仕方がないのかなぁ。オンラインゲームという世界があることは知っていたけれど、実際に見たこともないし、触ったこともないので、わからないけど、のめり込んでしまうことで、母親ならお料理も洗濯も掃除もしなくなってしまうのでは困る。母親を辞めることで、ゲームに没頭する。。。何故こんなことになってしまったのだろう。バーチャルの世界なのだから、どんどん自分流に好きなように扱うことができるからなのか。また、のめり込むに至った原因というのも、私はとても気になる。 ただ単に、画面とにらめっこしてるだけ。なんて人が隣に居たとしたら、尋常じゃない気配を感じると思う。仕事じゃないのだから。あくまでも趣味の世界なのだから。 でも、のめり込んでしまっているうちは、嫌なことも忘れることができて、気分転換になるのかなぁ。それだけ現代社会は生き難い問題が多過ぎるってことの裏返しだったりもするのかなぁ。
2010.04.25
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地元紙では、社会面に、『失ってからの記録・遺族・乗客アンケートより』としてシリーズで取り挙げており、その今日は4回目。そのまま引用させていただきます。 『痛みの度合いを示す折れ線グラフは、下がるばかりではない。事故3年のときには最高の「10」まで上がった。 尼崎JR脱線事故に2両目で巻き込まれた宮崎千通子さんが感じた痛みを示すグラフだ。「VAS(ビジュアルアナログスケール)」と呼ばれる数値で、全く痛まない状態を「0」、最大の痛みを「10」とする。 宮崎さんから父雅巳さんが聞き取り、グラフ化した。宮崎さんが耐えてきた苦痛を、JRに市に伝えるためだ。宮崎さんは事故で骨盤や左脚など10ヵ所以上を骨折。手術は9回を数え、そのたび痛みは頂点にたっした。 それでも、事故の1年後、には自分の足で立ち、職場復帰も果たした。その後、治療に専念するため退職したものの、深層筋を鍛える運動「ピラティス」に出会った。その教室を、大学時代に留学した中国で開くのが夢になった。 私達は乗客へのアンケートで毎年、けがの状況を尋ねてきた。5回とも回答した乗客56人で見ると、「治療中」が年々減り、事故5年で8.9%に。一方で、精神面の治療やカウンセリングを16.1%が受けている。精神的影響を「残っている」とする人は、減少傾向ながら50%近くいる。 宮崎さんは、この数字に含まれない。外出もできない状況だった事故4年は、アンケートを返送しなかったからだ。 宮崎さんは事故翌年の06年11月に心的外傷ストレス障害(PTSD)と診断された。08年1月、電車に乗ってパニックとなり、変調が進んだ。うつ病と診断された。 事故直後から続く痛みを表すグラフも08年7月で止まった。精神的な苦痛がひどくなり、聞き取りができなくなった。「精神的影響は計り知れない。肉体的影響と比較にならない厳しさがある」と雅巳さん。 宮崎さんの生活を、母親が記録している。1日の大半を寝て過ごす日、「何もできない」と落ち込む日、友人と外食を楽しめた日…。体調は不安定だが、昨年3月にはピラティスのインストラクターの資格試験に合格した。一進一退をしながらも事故で失った日常を取り戻そうとする懸命な姿が、記録から垣間見える。 5年、アンケートにつづられた宮崎さんの言葉には、もどかしさが滲む。 (高田康夫)』 最後にあった、『精神的な苦痛は、いつ治るのか先が見えず不安です』の言葉。本当に、いつ治るのかは実際のところ誰にもわからないのかも知れない。骨折などだとひっつけば完治だろう。それからリハビリが始まって。。。この、骨がひっつくという明らかな状況は精神的なことには全く当てはまらない。一進一退というのも、本人にとってはもどかしい限りだと思うけど、今日は、コレができた。というようなことの一つ一つを自分で褒めてあげて、それが自信に繋がれば、段々できることが増えるのじゃないかなぁ。確かに先は遠いかも知れないけど、折角インストラクターの資格を取られたのなら、是非今後に活かして欲しい。 明日で丸5年。そして、ようやく歴代3社長起訴にこぎつけた。ちょっと時間が掛かり過ぎな気はするけれど、今後、二度とこんな事故は起こらないように、最大の注意を払って欲しいし、機械を設置することで予防に繋がるならば、是非。とお願いしたい。また、当り前のことがどうしてできなかったのか。その辺も含めて厳しく追求して欲しい。でなければ、犠牲となられた人が余りにも惨め過ぎる。改めて、犠牲となられた人のご冥福をお祈りします。どうぞ安らかに。そして、真理追求の手はどうか休めないで欲しい。
2010.04.24
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『正平調』をそのまま引用させていただきます。 『「球樹」はチベット語の「王朝の遺跡」に由来すると聞いた。中国西部の青海省球樹県。このチベット族の自治州を大地震が襲った◆泥に埋もれた現地の写真を見て、11年前の台湾大地震の被災地を思い出す。陸軍が調達したトラックの荷台に揺られ山間部の震源地へと向かった。「ここに村があった」と聞き、息をのむ。一面の土砂で何もない。住民が懸命に惨事を伝える。「山が飛んできたんだ」◆マグニチュードは7.1とされ、阪神・淡路大震災とほぼ同じだ。東京大学の研究者が、本紙の取材にこう答えている。「プレートの横ずれ地震で、震源が浅い点も、大震災によく似ている」。現地の住民は、私たちが体験したあの揺れに襲われたのか◆大震災の朝も寒さに震えたが、青海省の被災者は氷点下4度の屋外で、救援をを待つ。標高4千メートルといえば富士山より高いが、寒さに耐えるテントも毛布もない。子どもたちを真ん中に体を寄せ合う人々の写真が、被災地の窮状を物語る◆地震の発生は午前7時50分だ。救出活動の軍当局者が「児童や生徒の命が最優先だ」と語っている。多くの校舎が倒壊し児童や生徒が生き埋めになった。時間とともに、犠牲者に占める子どもの割合が高くなっている。2年前の四川の悲劇が頭をよぎる◆救助を待つ人も支援物資を待つ人も、生きるためにぎりぎりの戦いを続けている。凍てつくチベットの聖地で。』 たまたまテレビのNEWSでは、親とは離れ離れになってしまった子どもたちが一生懸命何かを掘り出そうとしているところを写し出していた。お店があったのだという。だから食べ物が手っ取り早く手に入れられると思ってのことらしい。大人の姿は無く、親たちが犠牲になってしまったために、これから先のこともわからないのだと言う。生きるためには食べなければならない。けれど、お金を持っていた親はもういない。住むところさえ押し潰されてしまったのでは、今の空腹を満たすこと以外に考えは及ばないのも無理はない。 一転して、テントが並べられた広場。一体何人の人が非難することができるのかはわからない。情報がうまく伝わってはこないけど、救える命なら何とか助かって欲しい。そして、どうかこれ以上の犠牲者が出ませんようにと祈るだけ。
2010.04.17
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『北国に自生する雪椿という花がある。真っ白な雪と赤い花。鮮やかな対比が目に浮かぶようだ。では、雪に桜ならー。そんな風景が思いもかけず、立ち現れた◆強い寒気の影響で、きのうは兵庫県内も軒並み真冬のような冷え込みとなった。神戸ではこの前夜から雪やみぞれが時折舞い、但馬では積雪を記録した。一方で、桜の開花が進む。ピンクの花びらに雪が舞い散る様子が、あちこちで見られた◆雪月花は、日本の四季の象徴だ。雪は冬、花は貼る、月は秋を代表する。万葉集では花は梅を意味したが、平安以降は次第に桜を指すようになったという。ただ、雪と桜の二つを同時に芽にする機会は多くない。天気に振り回される日々が続くが、自然の計らいに感謝する気持ちの余裕も持ちたい◆俳人の宮坂静生さんによると、日本人は雪と花に四季の情緒だけではなく、さい先のよい兆しも見て取った。「み吉野の山べにさけるさくら花雪かとのみぞあやまたれける」(紀友則「古今和歌集」)。吉野の桜を雪に見立てたこの和歌は、そんな心の表れという◆このところ、朝夕は0度前後の寒さだったが、日差しには風光る季節を感じた。きょうからは戻り寒波も遠のき、徐々に暖かくなるそうだ。桜の満開は間近に迫っている◆そういえば、きのうは十五夜の満月でもあった。偶然にも、この時期に雪月花がそろった。世の中がよくなる兆しであれば、いいのだが。』 桜だけが妙に咲き誇っている気がして、そろそろ散り始めなんてところもある。冬用の服装が良いのか、春らしいのが良いのか。今日はまた一辺して南よりの風が吹き荒れ、ここぞとばかりに花を散らしてくれる。もうちょっと待って欲しいのに。。。 4月1日となりましたが、昨夜は午後7時まで、今朝は午前8時からのシフトに加え、今から「地元の方の」コーラスの練習が。訪れてくださった人のところへもお邪魔できませんが、申し訳ございません。。。
2010.04.01
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6日付地元紙のPR特集・こころ豊かに生きる■座談会の様子が伝えられている中で、 『物質的な豊かさを享受している日本。しかし、その一方で多くのものを失ったようにも思える。日々生じている理解しがたい事件や出来事が、そのことを雄弁に物語っているだろう。龍門寺(姫路市網干区)住職の河野太通(たいつう)老師は、80歳になった今なお、寺の修復に意欲を燃やしている。4月から臨済宗妙心寺派の管長と全日本仏教会会長の要職も務める河野老師を囲み、「絆(きずな)」「震災から学んだこと」「生涯現役」という3つをキーワードとし、「心豊かに生きる」とはどういうことなのか、姫路市長の石見利勝さん、作家の玉岡かおるさんとともに語り合ってもらった。』 『人は誰も生涯現役 河野 こんなことになるとは、想像もつきませんでしたが、生来、私はのんき者で負担とは感じていません。生涯現役の「現役」という言葉は、一般的には、学校を出た後に働いている間のことを指して言われるわけですが、私のように就職したことはなく、得度をして僧籍に入った立場からすると、誰もみな生まれてから死ぬまで、生涯現役なのではないかと思います。 人それぞれいろいろな職業に就くわけですが、根本的に目的が踏まえられていなければならないと思います。私にとっての人生の目的は、仏になること、円満なる人格者になることであり、まさに生涯現役でその目的に向かっているわけです。 誰しも幸福を求めるわけですが、自分の幸福を求めるために他者を傷つけるということは、結局自分の幸福にはなりません。ですから自分の幸福が、人類の幸福と調和する道を歩くことを心がけないといけないわけです。日本も世界と調和する道を歩んでいかないといけない。子どもの時から死ぬまで、そういうことを考えなければいけないわけで、その点においても、まさに生涯現役であると思います。 石見 自分が幸せだと思っても、他人が幸せでないと、本当の幸せではないということですね。人の悲しみが悲しい、喜びがうれしいという教育が、必要なのかもしれません。 河野 私はよく皆さんに、生まれてきて最初に覚えているきおとは何かを思い出してもらいます。そう考えていくと、母親が毎日、自分のことから気持ちが離れたことはないのに、それについて、まったく記憶がないことに気付かされます。それに気付くことで、いかにしてもらってばかりで、自分は何のお返しもしていないことに、気付きます。ざんげと感謝が足りなくなっているのではと思います。 玉岡 老師が生涯の意味をおっしゃってくださいましたが、幼いころから培われたものが今の自分の作品に花開いているのだと、実感しています。人生を生きることが、まさに生涯現役であるということですね。』(『』の部分引用です) “いかにしてもらってばかりで、自分は何のお返しもしていない。。。”子育てってまさにこういうことなのでしょうね。次代へと引き継いでいくことが自然に行われていた。。。お母さんて、何と偉大なんだろう。と思わされた一文でした。当り前といえば当り前のことかも知れませんが、“虐待”などという言葉はこの世から消えて無くなって欲しいと思います。
2010.03.11
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指の練習には丁度良い長さ。地元紙の第一面の下の方に、『正平調』が載っている。今朝も、いつもながらに興味深いことが述べられておりましたので、そのまま引用させていただきます。 『東京の都心に位置する皇居は、市民にとっても心和む場所だ。一般に公開されている皇居外苑や東御苑などは季節ごとに多彩な表情を見せる◆JR有楽町駅から外苑を目指す。馬場先口を入って左に行くと、馬に乗った楠木正成像が見えてくる。1900年完成で、高村光雲ら東京美術学校(現・東京芸大)の教授や学生が制作に携わった。本体の高さ約4メートル。台座を合わせると約8メートルもある◆後醍醐天皇が隠岐を脱出して京都に向かう途中、兵庫津まで手勢を率いて出迎えた正成の姿を再現したとされる。建武の新政から離反した足利尊氏と兵庫・湊川で戦い、壮絶な最期を遂げた名将は静かに皇居を見守る◆庭園として整備された東御苑は旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸跡にあり、三の丸尚蔵館では皇室に受け継がれてきた美術工芸品類を展示している。その中に、天皇、皇后両陛下が阪神・淡路大震災の被災地を視察された際、兵庫県から献上された淡路鬼瓦の宝船置物もあった◆お濠端にでると、震災イチョウがそびえていた。関東大震災で焼け野原となっても残り、復興のシンボルとなった樹齢150年の老木だ◆熱で変色した幹に、阪神・淡路の猛火に耐えた御蔵南公園(神戸市長田区)のクスノキを重ねる。「類焼とめて尚生き残る楠の大木」(御菅カルタ)。ともに災害の記憶を伝え続ける証人だ。皇居の中で見つけた兵庫との縁に感慨を新たにした。』 天皇皇后両陛下がかの震災の折、お見舞いに訪れた避難所は一体何箇所に及ぶだろう。そして、温かいお言葉にどれだけ励まされたことか。。。 どんな名将もやがては最期のときを迎える。とても残念なことだけど、これが史実。かの豊臣秀吉だってもっと長生きしてくださっていたら、日本は変わっていたかもしれない。と、今更言っても始まらないのだけれど。 農家出身で首相となられた田中角栄氏。今はお坊ちゃま議員ばかり。本当に庶民の苦労がわかろう筈もない。住む世界が違い過ぎる。一つの嘘を正当化しようとして嘘で固める。いい加減に本当のことを喋らないと、とんでもないことになりますよ!
2010.02.15
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阪神淡路大震災から15年。先ほどお友達の 吉雄777さんの今日の日記で読ませていただいたことをそのままに。。。 『◆◆このメールをぜひ転送し、多くの方に協力を呼びかけてください◆◆ 中南米最貧国のハイチで、12日午後4時53分(日本時間13日午前6時53分)、 マグニチュード7.0の大地震が発生しました。首都ポルトープランスは壊滅状態、 人口の3分の1にあたる300万~500万人が被災、死者は10万人にも達する などの未曾有の被害が報道されています。 プランの活動地、ジャクメル、ポルトープランス、クロア・デ・ブーケでも、 数多くの建物が倒壊し、人々がその下敷きになるなど甚大な被害が出ています。 プランは、国際本部、アメリカ地域統括事務所、ドミニカ共和国、ハイチの スタッフからなる緊急人道支援チームを結成。隣国ドミニカ共和国から陸路で ハイチ入りし、支援活動に取り組んでいます。 医療サービス・安全な水と食糧の欠如、全半壊した建物、混乱に乗じた 暴力など、大人でさえ危険な災害直後は、子どもたちにはさらに虐待などの リスクも高まります。「子どもの保護」を柱とするプランの緊急・復興支援活動に 皆さまのご支援をよろしくお願いいたします。 ◆ハイチ大地震 緊急・復興支援の最新情報 http://www.plan-japan.org/topics/100113hait-eq/ ◆クレジットカードでのご寄付 http://www.plan-japan.org/kifu/urgent/ ---------------------------------------------------------------- ■発行元:財団法人 日本フォスター・プラン協会(プラン・ジャパン) ホームページ www.plan-japan.org 154-8545 東京都世田谷区三軒茶屋2-11-22 11F TEL 03-5481-0030 FAX 03-5481-6200 ◆◆ 転載ここまで ◆◆』 ラジオでは、『赤ちゃんにあげるミルクを作るためのお湯が無いと困っていた人に「昨日ので良かったら」と声をかけてくださったことが、とても嬉しかった』というようなことを伝えていた。また、『それぞれに出来ることを』といったようなことも。例えば、道路の瓦礫などを片付けることで、多くの車両が通行可能になったというような。 私は。といえば、結局テレビの前から離れられずに過ごしてしまった。観音開きの食器棚からあふれ出した食器が粉々になって散乱しているのを見て、声も出なかった。“形あるものはいつかは壊れる”とわかってはいたつもりだったけど、こうも無残に砕け散るとは。こんな所にまで。と思うようなかけ離れた所にまで飛び散った残骸を見つけて本当に驚いてしまった。あの、阪神高速がひっくり返ってしまうほどの力が働いたのだから、当り前なのかも知れないし、家が押し潰されたとか、瞬く間に燃え広がったというようなことは幸いにも我が家には関係なかったから、被害の内に入らないかも知れない。 あれから15年が過ぎ、やはり地球のどこかでは常に地震に悩まされている。私にできることといって、大したことはないけれど、何かの一助になればと思わずにいられない。
2010.01.17
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同じく、8日付け地元紙の教育欄・『教育のひろば』コーナーでは『「まぎらわしい」送り仮名』と題して、解説されていましたので、そのまま引用させていただきます。 『「表記」という言葉をご存知でしょうか。文字や記号を用いて語句や文章を書き表すことで、そのためのきまりを「表記法」と言い、日本語検定の出題分野の一つです。 現代語の表記法のよりどころは、内閣が告示した(政府が示した)「現代仮名遣い」「送り仮名の付け方」「常用漢字表」です。教科書や国語辞典の付録で、ご覧になったことがあるでしょう。 どういうことが「表記」の問題になるのか、日本語検定の問題の形で一端を勉強していただきましょう。 問1 次の【】の言葉をパソコンで打つ際、1,2どちらが正しい言葉を変換してくれるでしょうか。1、【若人】 1、わこおど 2、わこうど2、【縮める】 1、ちぢめる 2、ちじめる問2 次の漢字を訓読する場合の送り仮名として正しいのは。1、忙1、忙い 2、忙しい 3、忙がしい2、紛1、紛しい 2、紛わしい 3、紛らわしい まず、正答に印を付けてから次を読んでください。 問1は、「現代仮名遣い」に関する問題です。 「若人」「縮める」を漢字交じりで手書きで書くならば問題ありません。ところが、1の「若人」をパソコンに打ち込む場合は「わこおど」か「わこうど」じゃで迷います。これは内閣告示の“現代仮名遣い”のルールに「オ列の長音は、オ列の仮名に“う”を添える」にあてはまります。 例 おとうさん とうだい(灯台) 2の「縮める」は「同音の連呼によって生じた“ぢ”“づ”は、“ぢ”“づ”を用いて書く」とあるのにあてはまります。したがって、「ちじめる」でなく「ちぢめる」が正しいのです。 例 つづく(続く) ちぢこまる 仮名遣いは一定のきまりでは処理しにくいので、一語一語覚えていくのが大事です。 問2は、内閣告示の“送り仮名の付け方”に関する問題です。送り仮名の付け方のきまりも複雑なので、一語一語の送り仮名を、読むたび使うたびに覚えていくのが実際的です。 「忙」のように「しい」を送るのは、次の形容詞です。 美しい 貧しい 珍しい 寂しい 麗しい 著しい 「紛」のように送り仮名が4文字あるのは、形容詞では「恥ずかしい」(「恥かしい・恥しい」を認める辞典もありますが、これが標準です)くらいでしょうか。 「表記」の分野には、「漢字の表記」も含まれますが、これは改めて取り上げます。 (日本語検定委員会研究主幹 川本信幹)』 地名の場合は、例えば大阪だと、お「う」さかではなく、お「お」さかと習った気がするなぁ。だからこんがらかってしまうのじゃないかな。例外なんてあると、ややっこしくて仕方が無い。そこが日本語の難しいところ。 道路交通法じゃないけれど、こうした表記にも決まりがあるのなら、やはり守らないと言葉の意味が通じなくなってしまう。句読点なども然り。区切る場所を間違えたら大違い。人にもわかって貰えなければ意味をなさないのだから。と、ひらがなばかりじゃよけいにこんがらかってしまいそうな。
2009.02.09
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仕事柄、漢字とは切っても切れない関係にあり、やはり、文字という言葉などに反応してしまう私。9日が休刊日のため、8日付け地元紙。日曜日の教育欄は『週間こども新聞』になっていて、『ニュース?なぜなに』コーナーでは常用漢字について述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『常用漢字が今の1945字から2131字に増えます。日本語について話し合う国の機関、文化審議会の国語分科会で決まりました。 常用漢字はふつうの社会生活で使う漢字です。それ以外の漢字を使ってはいけないという決まりはありませんが、新聞・テレビや役所の文章は、常用漢字以外はなるべく使わないようにして書かれています。 みなさんが学校で教わっているのも常用漢字の一部です。常用漢字は、高校卒業までに全部読めてかけるようにすることになっています。高校までちゃんと勉強すれば、ほとんどの文章が読めて、書くのにも不自由しないことになりますね。 漢字は何万字もあるのに、なるべく常用漢字だけを使うようにしているのはなぜでしょうか。 人はおもに言葉を遣って情報や意見を伝えます。日本語の「書き言葉」はふつう、漢字と仮名でできています。国の根本を決めている憲法から、友達とのメールまで、みんなそうです。 漢字をよくしっている人たちが刈ってにどんどん使いだしたら、読めない人には情報が伝わりません。みなさんも習っていない漢字に出会って困った経験があるでしょう。 漢字を知らない人は、意見も発表しづらくなります。民主主義社会では、だれもが情報を受け取り、だれもが考えを発表できるようでなければなりません。そこで使える漢字をある程度の数におさえているのです。 今回増やしたのは、パソコンや携帯電話が広がって、読み方が分かれば漢字が打ち出せるようになったことが大きな理由です。「俺」や「岡」などがふくまれています。 使える漢字が増えて良かったという人もいますが、勉強もそれだけ大変になります。麻生太郎首相が「未曾有(みぞう)」や「頻繁(ひんぱん)」を読みまちがえたように、大人でも使い方や読み方をまちがえる人が増えて混乱するかもしれません。』 まさか、ここで総理の名前が登場するとは思わなかったけど、『だれもが』という部分に二重線を引くぐらいの内容なので引用させていただきました。
2009.02.09
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