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翌朝、例の漁船のエンジン音に早々と起こされてしまいました。ずーっと聞こえていたので頭の疲れが取れません。朝食を済ませた後すぐに、姉妹店の『ホテル浦島』へ朝風呂を浴びに行くことにしました。玄関を出て向かいの桟橋から専用のシャチ船に乗りました(カメ船とイルカ船もありました)揺られることほんの数分。勝浦湾の端にある巨大ホテル・浦島に到着です。とにかく広いって聞いていたけど、本当に!売店だけでもデパートの物産展並みの賑やかさです。このホテルの奥はトンネルのようになっていて、勝浦湾の向こう側・太平洋まで突き抜けています。そこに目指す洞窟風呂・忘帰洞があります。朝だからひろ~いお風呂にはほんの数人しかいません。太平洋を眺めながら、ここでも露天を満喫できました。次はこのホテルの別館が山頂にあるのでそこまでエレベーターで行きました。今度は岬の頂上から勝浦湾を眺めながらのお風呂。気持いい~♪万清楼に戻ってとりあえずチェックアウトし、荷物だけは帰りの電車の時間まで預かっていただくことにしました。身軽になって次に向かったのは勝浦港の朝市です。取れたてマグロの解体ショー(?)の隣にはこんな魚も!まんぼうですよね。大きい!勝浦湾をめぐる観光船にも乗りました。先ほどまで入っていた忘帰洞も太平洋側から見えました。太地のくじら浜公園で下船する親子連れもいました。小さい子がいれば、楽しいでしょう。ランチは駅の周辺の魚屋さんの2階で焼き貝とマグロ丼を頂きました。店先に並んだ貝の数々・・・左端の赤い貝。ホタテに似ているけどホタテのほうが甘みが強いかな。大きなハマグリやアサリ、サザエなどなど。こうして3泊4日の熊野古道のたびは終わりました。帰りは名古屋経由で帰宅は7時半でした。いろいろな人と出会えて、楽しい旅でした。
2009年05月22日
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2泊3日のツアーは終わったのですから、ここで新宮駅からJRに乗って帰宅しても良かったのですが、那智の滝は見て置かなければなりません。勝浦のお魚も食べとかなくちゃ。まずその前に、ランチです。『霧の郷たかはら』に置いてあった、関西中心の旅行雑誌に載っていたうどん屋さんを目指しました。駅前から出発して…と、駅の左奥ににぎにぎしい中華風の門が見えます。その派手ないでたちはひっそりとした低層住宅の並ぶ新宮市にはそぐわないような・・・地図で確認したら徐福公園でした。寄っている時間はないので遠めに見た門だけでお仕舞い。(後日ある方のブログで中の様子を拝見できて満足しました。)目指すうどん屋さんの名前は『まさ家』さん。暖簾をくぐってはりると上がり框があって靴を脱ぐ構造です。トレッキングシューズの身にはちょっと面倒、でもかなりの開放感!天麩羅うどんを注文しました。これがまたたっぷりの揚げたて天麩羅とこしのしっかりした麺に関西系の出汁。美味しい!店内にはなぜか原田芳雄様ご一行と、釣り上げた鮎の写真がいっぱいでした。店主の方、ご自分の楽しい趣味の世界と商売の世界を融合していらして、楽しい人生でしょうねぇ(笑)店内には私達のほか2組の客がいたのだけど、そのどちらもお馴染みさんらしくて、店主の方は自分専用の椅子を持ってきて話し込んでいらっしゃいました。和むなぁ~。新宮の駅で勝浦へ行くにはバスが良いか、JRが良いかうろうろしていたら観光案内から男性が飛び出してきて(誇張ではなく!)「どちらにいかれるんですか?」と声をかけてくださいました。なんて仕事熱心なんだ!「勝浦には30分おきにバスが出ているので今の時間はそちらのほうが・・」と丁寧に教えてくださって、そのお言葉に従い、バスに乗りました。勝浦の駅近くで降りる際、バスの運転手さんは「JRの駅に行くにはもう30メートルほど歩いてください。」と教えてくださいました。伺ってもいないのに教えてくださるなんて、なんて丁寧なんだ!そして勝浦の駅で那智の滝行きのバスを待っていると携帯が鳴りました。「川舟センターですが、杖をお忘れですね?今日の宿まで届けましょうか?」あ~!しまった~!Mさんから頂いた熊野詣の山歩き杖。しかし、川舟センターから勝浦の宿まで届けていただくのは申し訳ない・・・。「ご連絡ありがとうございます。お手数かけて申し訳ありません。しかし、この上持ってきていただくのは気が引けますので、どうぞそちらでリサイクルしていただけませんか?」とお願いしました。さすが、和歌山の素晴らしい心遣い!ここまで和歌山でいろいろな人に出会ったけど、みんなご自分も満足し、周りにもその気持を分けてくださっているような方が多いような・・・気候も土地も良いし、世界遺産を背負っているという気概もあるのでしょうね。・・・・そう思いながら那智の滝へ向かうバスに乗り込みました。
2009年05月18日
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翌朝、期待の温泉卵を朝食にいただき、元気にバスに乗って熊野川沿いの道を行きました。目的地は竹田前ってところにある川舟センター。バスの乗車券も川舟の乗車券も南海国際のツアーに含まれています。センターにはたくさんのお客さんがいました。女性率が90%以上で、船頭さんとガイドさんは大体が中高年のおじさん達。決まり文句なのでしょうが「綺麗な人を乗せてうれしい」って・・・オットは身の置き所がありません(爆)センターの隣の『道の駅』でトイレを借りて水を調達し、ライフジャケットを着用して和船に乗り込みました。荷物は全てバスで終点の新宮まで運んでくれるそうで、私達のリュックと古道歩きではずいぶんお世話になった杖をお預けしました。定員9人の木の葉のような和船は、モーター音をたてて滑るように水面を切って走ります。昔の熊野巡礼で京から来たお公家さん達は、中辺路を歩いて熊野本宮に参り、この熊野川をこうして舟に乗って下って、下流にある速玉大社に詣で、那智大社を回って帰路に着くのがルートだったそうです。ですから私達も『川の熊野古道』をなぞっているわけです。本日のガイドAさんは肩の力が程よく抜けた闊達な方。たぶん私達より20くらい上かな。私達が古道歩きをしてきたと話したら「語り部は誰?あ~あのグループ?」など、いかにも熊野のベテラン、なんでも知っていらっしゃる様子。ちなみに「明日は那智を歩く人のガイドをする」っておっしゃっていらしたから、ガイドの守備範囲は広いご様子。舟は快適に進みます。出発した頃は川底の石が良く見えるほど浅い川だったのに、進むにしたがって急激に水量を増し、深く堂々とした川に変わっていくのがわかります。この川自体が龍なのかもしれません。最も深い瀬のところで20メートルもあるそうで、その川底にはなにが沈んでいるのか、潜んでいるのか、ひょっと恐ろしくなりました。小石の敷き詰められた河原には青サギや白サギが優雅に舞っています。時々案山子が立っていて…川魚を狙う鳥除けだそうですが、どれほどの効果があるのでしょう?瀬にかかる緑の岸辺にはセグロセキエイのすばしっこい姿も見えました。運がよければカワセミも見ることが出来るのだそうです。私達は運がなかったけど。川の両岸に時折コンクリートのブロックのようなものがあったり、岩に打ち付けた鉄の楔のようなものが見えました。あれは熊野の木材を筏で運んだ時の名残だそうで、あの楔のようなところにロープをかけ、筏の動きをコントロールしていたそうです。どんなにか勇壮な姿だったことでしょう。コンクリートブロックには自動水位計が仕込まれていて、川の水位を常時観察しているのだそうです。今は和舟がのんびり川風を切って走れるほど穏やかな川も、何かの拍子で暴れだすこともあるのですね。龍が身をくねらせて暴れだす前・首をもたげた時に気付いて、水量をコントロールしようというわけです。気持ちの良い川舟くだりは1時間半で終わり、新宮市の川岸に着きました。河原ではバーベキューをしている若者のグループがいました。都会の若者達も、今頃多摩川の河原で同じことをしているよ~。河原を上がってすぐのところにある土産物村に誘導されました。奥で熊野詣絵図の説明をしてくれていたのでちょっと拝見。それから本日のおやつに『ヤタガラスの卵』というお菓子を2個買いました。これって『カモメの卵』のパクリ(笑)でも、ちゃんとカラスらしく黒い卵で中も黒胡麻餡。面白い!土産物村の向かいに速玉大社があるのでちょいとお参りいたしました。ここで預けていた荷物を受け取って、ついでに新宮の駅まで送っていただいて、南海国際旅行さんのツアーは終了です。楽しかった~!でも、私達の旅はまだ続きます。まずは、この日のランチです!
2009年05月16日
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路線バスに揺られて20分。バスは終点の湯の峰温泉に到着です。しかし、ここまでのドライブは結構スリリングだった~。車一台しか通れない道が両面通行で、しかも片側は崖!そんななかで対向車に当たってしまったら…と思っていたら本当に出くわしてしまったのです。バスは慌てず騒がず、対向車を交わせる場所まで後退します。こんなこと、毎度のことなのでしょう、運転手さんすごい!湯の峰温泉にも古道が通っています。ただし中辺路のメインルートではなく、途中から大社へ抜ける近道のようなルートです。ここも半日かけて歩けば面白いのでしょう・・・が、もちろん今回は挑戦しません。道路に沿って流れる小さな川の岸辺に物置のような建物が・・・アレが名物(?)のツボ湯だそうで、一度に大人2人しか入れない。30分貸切で750円だそうで、バイクでやってきたライダー姿のおじさんが順番待ちをしてました。私は・・・やめときます。岸辺の大きな井戸のようなところは、源泉がどんどん湧いているらしく湯気が立っています。その中にメッシュの袋に入れられた卵やサツマイモや筍が!本物の温泉卵!観光客も近くのお店で売っている卵を買って自分で茹でていました。私もやってみたかったけど、たぶん宿の朝ごはんで出てくるだろうから諦めました。宿にも露天風呂がありました(男女別ではありません)しかしそれが宿を出た向かい側の駐車場の脇。車の通る道に接しています。まだ早い時間だったのでテレビで阪神戦を見始めたオットを残して一人でトライしました。この建物も田舎の物置の態。入浴中の札を下げて中から鍵を掛ければ、露天風呂を独り占めです!しかし、源泉掛け流しなので熱い!水をどんどん入れて丁度良い温度にするまで、熊野の山奥で、私は裸でお湯をかき混ぜていました・・・笑える!ふとみると、道を散策する人の帽子が、塀の隙間から見えます。その気になれば覗かれちゃうけど、ま、いいか。温泉の後はビールです。阪神戦を見終わったオットと一緒に先ほどの温泉卵製作所を見下ろせる場所で地ビールをいただきました。ともに味わい深くて美味しかった~♪宿の食事はまぁそれなりに・・・。お湯は良かったけど、熱すぎて水で薄めなければならないのが残念です。この日も疲れ果てた私達は9時には眠りに落ちてしまいました。
2009年05月15日
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本宮大社の前は国道311号と168号の交差点に接していて、思いのほかガサガサとした場所でした。ここまで苦労して古道を歩いてきたら、きっとがっかりだったと思うのですが、実は昔の姿はこんなではなかったそうです。その話は少しあとにするとして・・・大社前の石段は百数十段。その上には古くてどっしりした門や本殿が並んでいました。拝礼する社の順番をFさんに教えていただいて~本宮の神様は意外に小さいのです~それぞれにしっかり頭を下げてきました。お願い事をするのではなく、ここまで無事に来られた事を感謝して。八百万の神々のなかでも熊野の神様は力が強そうなので(千年以上前からこうして参拝されてきたのだし!)お守りを買いました。熊野の神々のお使いは3本の足を持つカラス、八咫烏(ヤタガラス)。あちこちでその御印を目にしますが、左のほうがかわいい?ヤタガラスはJFCのマークにも使われているのだそうで、サッカー関係のグッズも売られていました。境内にはナギの大きな木も立っていますが、なんだかパワースポットという感じではありません。本宮の裏側に、私達がちょっとだけ歩いた中辺路ルートの終点があるということなので行ってみました。その辺りは舗装した普通の田舎の生活道路です。(舗装してある部分は世界遺産にはならないのだそうです!?)ほんの十数メートル先に中辺路最後の王子社の跡がありました。日差しを浴びて立つ標識は、生活と信仰と文化の継承とがせめぎ合って見つけた妥協点のようでした。実は今あるこの本宮大社は明治24年に元あった大斎原(おおゆのはら)から引っ越してきたらしいのです。だから思いのほか小さく、境内もせせこましく感じられたのでしょう。大斎原はこの高台ではなく、200メートルほど離れた熊野川と音無川と岩田川の合流地点に開けた中州のことです。おおゆのはら!なんて広々として明るい音でしょう。大斎原!厳かで清浄な原っぱ。今はもう昔の建造物は何も残っていないと聞きましたが、是非にもいってみたい場所です。 ・・・・・・明治22年8月、十津川で豪雨のために山津波が起こったそうです。その結果熊野川の上流がせき止められました。折からの雨にせき止められて出来たダムのような部分は水位を増し、ついに一気に決壊して下流の大斎原になだれ込み、壮麗な社を連ねる熊野本宮大社の大部分を押し流してしまったそうです。どんなに大きな災害だったことか!(この旅行のあと、「十津川の村はほとんど壊滅状態で、村を挙げて北海道に移住していかざるを得なかった」と北海道に縁のある人から聞きました。)そもそもの原因は、明治に入って盛んになった森林伐採にあるといわれています。熊野大社が開かれてからそれまで、これほどの大災害はなかったのですから。この地に捧げられたたくさんの祈りも、自然に手を入れる人間の浅知恵を止めることは出来なかったのでしょう。 ・・・・・・本宮の石段を降りて国道を渡ってすぐのところに、川へ下る道がありました。ここに、遠目からでもよく見えるほど大きな(日本一らしい)鳥居が立っています。傍らに大きな鯉のぼりの柱が立っているので、その巨大さはわかるでしょうか。鳥居をくぐって先に進むとサッカーのコートほどの広さの土地が整備され、穏やかな川風を渡らせていました。こここそがパワースポットなのでしょう。その厳かな佇まいに、身が引き締まる感じでした。しばらく往時を偲んだあと国道に戻り、本日の宿がある湯の峰温泉行きのバスに乗りました。語り部のFさんとはここでお別れです。長い時間、お世話になりました。語り部さん達との道行きで、私達の旅はグッと密度の濃いものになりました。湯の峰温泉に向かうバスの中から、今の熊野川の清らかな流れが見えました。上流にダムができ、水量も減ったそうです。去勢された自然・・・
2009年05月13日
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霧の郷たかはらの朝食は、秋刀魚の開きと生卵ご飯!この生卵は食堂から見える水車小屋で飼っている鶏がその日の朝に産んだものだそうで…美味しい♪熊野の力をいただいて、元気に歩けそうです。オットは筋肉痛で泣いてますが(笑)8時に宿まで迎えに来てくださったその日の語り部Fさん(女性です)と、高原の集落から出発です。民家の前に流れるせせらぎでこんなリサイクル水車が回っていました。朝日をキラキラ跳ね返すビールの缶と自転車のスポークのかわいい姿。鬱蒼とした山道を登り始めました。熊野への参詣道は時代の流れの中で、自然に返って下草に覆われてしまった時期もあるそうで、今の姿は世界遺産への登録の過程で探し出され整備されてきたそうです。だから今私達が歩いているこの道は、古代の人と同じように現代の人もその存続に力を入れてきたわけです。人の想いが千年の時を越えて続くって、凄い!ロマンチック!熊野の山は明治以降の森林伐採のせいで本来の照葉樹林から生産性の高い(と思われた)杉やヒノキの森に換えられていったそうです。そのせいで少し離れて見ると、古道のある場所だけが線のように続く照葉樹で、周りは針葉樹林ばかりの尾根も結構ありました。でも現在は、未来を見据えた企業や有志の力で昔ながらの雑木林に戻す運動が行われているそうです。熊野には昔は100を越える王子社があったそうですが、そのほとんどは社や礎石が失われてしまい、この王子社(名前、忘れた!)は珍しく昔の姿で残っているものだそうです。苔むした石はたくさんの旅人を見送ってきたのでしょう。この日の語り部Fさんも、私達とは違って足取りが軽い軽い。ご自分もお好きであちこちの山を歩くんだそうです。いいなぁ・・・職住接近ならぬ遊住接近で!足取りの軽さからてっきり私達と同年齢かそれ以下と思っていたら30代のお子さんもいるそうで…。山歩きは若さの秘訣?この日の8キロのみちのりで消費されるカロリーは人によっては1800以上だっておっしゃっていたから、これを毎日続ければ理想の体重になれるのですね。もうへとへと、お腹も空いたって頃にやっと国道311号の近くまでやってきました。実は今回の熊野古道中辺路歩きはここでお仕舞い。また来ることがあればこの地点から出発したいと思います。道の駅でFさんから渡されたお弁当をいただきました。前日のMさんのお店の目張りずしとおにぎり、それに清見みかん。素朴でストレートで美味しい♪ここから本宮大社へは文明の利器、車で移動です。南海国際旅行のツアーはまだまだ続きます。
2009年05月11日
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急な山道は、中辺路の入り口の0.5キロくらいで終わり、あとはなだらかに下ったり上ったりを繰り返して照葉樹林の中を歩いていきました。語り部のMさんが、時々立ち止まって(私達の息の上がり具合を見つつ…)辺りの自然や歴史を語ってくださいました。これは備長炭を焼くためのウバメ樫です。紀州備長炭使用って焼き鳥屋さんの店先に書かれていたりしますものね。枝の細さ、曲がり具合など、オブジェにしても良さそうです。枝の間から彼方に連なる果無(はてなし)山脈が見えました。LAにいた頃、友人に誘われてサンベルナンド山地に歩きに行ったことが何度かありました。早朝(昼間は暑くて無理です)車で20分ほどの山のふもとまで出かけて、その辺のスーパーの駐車場に車を置いて、水とタオルだけ持って細い山道をひたすら登っていくのです。往復10キロくらい。2~3時間かかります。上級者はもっと長いコースで山の頂上を目指しますが、私は木陰の多い所で十分でした(山頂には樹木が少ないのでカンカン照りです)もっとすごい人はこのコースを走ります。ありえない!景色の良いスポーツですね。あれを思い出しました。しかし日本の山は目にも皮膚にも優しい。柔らかな景色と空気があるから。美味し国の懐の深さを感じます。Mさんのお話を聞きながらゆっくりゆっくり進んでいくと、高原熊野神社に着きました。ここは熊野三山とは違うのですが、歴史は古く小さいながらも風格を感じさせてくれる神社でした。この社を守るために村の人達がとった策や、この地を愛した南方熊楠翁の話を聞いたりと、語り部さんとの道行きは奥が深いです。社の傍らにはかなりの樹齢を数える楠が朽ちかけて、それでも新しい葉を芽吹かせながら立っていました。トトロの世界でも社の森にはクスノキ!でしたよね。ここまでくれば、もう終点も目の前。展望台から見る果無山脈の豊かな広がりは、値千金でした。木々のうえに白くこんもりと帽子を載せたようになっているのは椎の木の花だそうで、紅葉の時期でもないのに山はいろいろな色を見せてくれます。ここからすぐのところにこの日の宿『霧の郷たかはら』が建っています。その少し上のほうにある建物が女優(?)イーデスハンソンさんのお宅だそうで、彼女もこの景色に惹かれてここに住み着いているそうです。霧の郷たかはらは、熊野に行こうと決めた時から泊まってみたい宿でした。ですからこのツアーで泊まることが出来るのはとてもラッキーでした。行って見ると思ったとおり、気持ちの良い質素さでアットホームな雰囲気。オーナーは思いのほか若く気軽に応対してくださって、感じ良いの宿です。まずは戸外のテラスでMさんを囲んで、ビールでお疲れ様の乾杯!テラスからの景色も抜群です。実はMさんの本業はJRの運転士さんだそうで、私達の乗ってきたあのオーシャンアロー号を普段運転しているそうです。鉄道好きな人にとっては憧れの職業じゃないですか!その上年間数千匹も鮎を釣る、鮎つり名人!そして絵を描き詩を書く感性豊かな愛妻家でした。なんて豊かな人生でしょう!熊野でMさんに出会えたことは、旅を一層楽しいものにしてくれました。Mさんは奥様の迎えの車で家路につかれました。夕食前にまずはお風呂♪ここは温泉地ではないのですが、渡瀬温泉から毎日わざわざお湯を運んできていると言うことで、本当に気持ちのいい柔らかいお湯でした。夕食は地の野菜・山菜・鮎!・熊野牛などなど、見栄えは豪華ではないけれど、心のこもったここでなければ味わうことの出来ないお料理の数々。お茶もこの宿特製のお茶の葉から作った焙じ茶。これが薬草のようで美味しい。お部屋は畳みの上に簡素なベッド。真っ白なリネン。最高の見晴らし。これで十分でございます(笑)次の間つきの内風呂つきの無駄に広い部屋で立派な座卓と座椅子があって…など、ぜんぜんいらないのです。巡礼の宿、現代日本風・・・ってところでしょうか。そういえばオーナーはスペインに留学していたことがあったそうで…サンチャゴ・デ・コンポステラを意識したのかな?くたびれて、9時前には寝ついてしまいました。
2009年05月10日
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ゴールデンウィーク、オットと二人で熊野古道を歩いてきました。実は出発の2日前までの1週間、オットは風邪のため微熱があって、でかけるかどうか悩みました。南海国際旅行の方にもご心配をおかけしてしまって、申し訳ありませんでした。でも、一週間の養生と普段からの強靭な体力(主に脂肪で蓄積してあります・笑)で、出発してみると全然平気!むしろ養生していた間の運動不足から来る筋肉痛のほうが大変な様子でした。1日、朝5時に起きて身支度と朝食用の簡単なサンドイッチを用意してリュックサックを背負い新しい(何度か慣らし履きしておきました)トレッキングシューズを履いて電車に乗りました。まずは新大阪経由で紀伊田辺の駅まで。私にとっては、大阪の街を走る電車の中から既に観光は始まっています。あれが京セラドーム!あの茂みは天王寺動物園!前方後円墳は見えないの~!ここが智弁和歌山…野球部員はどこ?箕島高校ってここか~!紀三井寺ってあれかなぁ~!地図と首っ引きで一人楽しみました。(オットは寝ています)この電車がオーシャンアロー号。展望電車です。JRといえば東北新幹線と山手線しか乗らないから、ものめずらしくてしょうがない、私。海がめの産卵地とアナウンスのあった海岸ではゆっくり走ってくれました。さて、紀伊田辺の駅。駅前には武蔵坊弁慶の大きな銅像が駅舎に横向きで立っていました。なぜ横向きなんでしょう??バス発着所でもタクシー乗り場も反対の方向。弁慶は田辺出身だそうで、その縁で終焉の地・平泉町と姉妹提携しているそうです。平泉は岩手…なんだか縁がありそう。ランチに、駅前のモミの木というレストランに入りました。田辺丼という、いかにも地物を使った丼を注文しました・・・が!丼の半分はシラス、もう半分はヒジキがのっています。私はシラスが苦手、オットはヒジキが苦手・・・普段から好き嫌いはほとんどないのに、お互いに苦手なものが半分ずつで閉口しました。でも、人懐こい老齢の店主が親切にしてくださるので、きちんと完食。大人の礼儀です。店は天然木の見本市のような建物でした。2階まで吹き抜けになっている店を支える柱は樹齢450年のモミの木だそうです。写真には写っていませんが、直径50センチもありそうな梁はナギの木。熊野の山の自然の端っこに、既に触れ始めました。ランチの後、田辺の駅前の椅子に座ってしばし和歌山の空気を吸いながら路線バスを待ちました。ここからが南海国際旅行さんのツアーの始まりです。添乗員も同行の人もいません。あちらで立ててくれている旅行スケジュール通りにバスに乗って、山を案内してくださる語り部さんと合流し、予約してくれている宿に泊まり…というツアーです。同じ宿には泊まりませんから全荷物はリュックにいれて担いで歩きます。最小限の毎日の着替えと洗面・化粧品類(日焼けは嫌だ~!)上下で分かれるレインウェア、水とカメラとタオル。万一に備えての薬類。それだけで5キロくらいはあると思います。バスに揺られて山間部に入ること、30分強、車窓から見える川の水が綺麗に澄んでいます。滝尻のバス停に着くと、語り部さんのユニフォーム(?)藍染の半纏に菅笠をかぶった男の方が待っていて下さいました。この方が本日の語り部のMさん。年齢は、私達より少し上な様子。Mさんのお店(唯一のお土産物やさんというか、山道に入る前の前線基地?!)がすぐそばにあって、そこで杖をいただきました。杖なんて、邪魔かもしれない…とその時は思いましたが、実際険しい山道ではずいぶんお世話になりました。Mさんの家の裏に、滝尻王子社があり、まずは参拝。ここから一般的な熊野古道、中辺路ルートが始まります。王子社から山道に入る入り口に大きな岩が突き出ていて、その側面にびっしりと1センチにも満たない丸い葉をつけた蔦(豆蔦)が張り付いています。かわいらしい姿に興味を引かれてよく見ると、楓の木が岩の上に立っていて、その根と言うか幹の部分が、岩を包むように支えるように、ずっと地面まで伸びていました。その長さ、2メートル近く!すごい楓の執念。これだけでももう圧倒されました。古道はこういう植物の力を一杯見せてくれるところのようです。登り始めた山道はえ~っ!というほど急な山道です。これがずっと続くとなると、歩ききれるかどうか不安になります。まずは胎内くぐりの岩に到着。山道を塞ぐように巨石がいくつか折り重なっています。その岩のあいだにわずかな隙間があって、この隙間を身をくねらせながら這い出ていく、という場所です。無理です。私もオットも標準以上の胴回りです(汗)しかしMさん、簡単そうに出て行かれました。Mさんの手取り足取りの指導の下、くぐってみれば・・・できたじゃない!私達のほかに2組の観光客もMさんの手助けを受けてくぐることが出来ました。(一緒のツアーの方ではありません。ここで引き返していかれました。旅は道ずれ世は情けってやつ?)この岩には平泉の藤原秀衝の伝説が残っているそうで、ここでも岩手は繋がっていました。急峻な山道をヒーヒーいいながら登っているうちに足もとの道には周囲の樹木の張り出した根が作る階段が出来ていました。走り根の道です。辺りは静かな杉木立。熊野だぁ~。
2009年05月08日
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