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昨日、買った徳永英明のCDからの感動の1曲。ちあきなおみが歌い1972年にレコード大賞を受賞した。私にとってはかなり懐かしいのでこの曲のみの歌詞の解析などをしてみた。この曲がレコード大賞をとったのは私がちょうど娘の歳。いとこも同じ歳で○○がわからない。などというフレーズもあった。例えば<黒いふちどりがありました>これは誰かが死んだなどということは子供の私たちには全くわからない。叔父が教えてくれたので理解ができたものの今じっくり聴いていてもこの「喝采」ははっきりとしたストーリーができないほど昭和の奥ゆかしさと吉田旺の作詞の才能が生きている。例えばこの短い中に現在、過去、未来の3つが入り混じって歌詞が構成されているということ。そして作曲した中村泰士が同じメロディーにより歌詞を生かして起承転結を上手くつけているのも素晴しい。内容としては、歌手の波乱万丈の人生を表現しているのは勿論なのであるがその裏に潜む恋人との恋、別離、死、そして歌手としての人生を踏み出し、今は亡き恋人のことが好きなのか、それとも歌を選んでいるのか?最後の微妙な結論が全く不明なままのような気もする。この微妙な心の揺れと現実がまた聴衆の心を掴んだのではないだろうか。吉田 旺 作詞中村泰士 作曲いつものように 幕があき恋の歌うたう私に 届いた報せは黒いふちどりが ありましたあれは三年前 止めるあなた駅に残し動きはじめた汽車に ひとり飛び乗ったひなびた町の 昼さがり教会の前に たたずみ喪服の わたしは祈る言葉さえ 失くしてた つたがからまる 白い壁 細いかげ長く落として ひとりの私は こぼす涙さえ 忘れてた 暗い待合室 話すひともない私の 耳に私の歌が 通りすぎてゆく いつものように 幕があく 降りそそぐライトの その中 それでも わたしは 今日も恋の歌 うたってる
2007.08.22
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昨日からまた再び読み直しているリムスキー=コルサコフで印象に残るものをご紹介いたします。リムスキー=コルサコフという作曲家は1844年から1908年を生き抜いたロシア作曲家です。音楽家になることをすすめたのは彼のお父さんでした。専門教育を受けた訳でもなく作曲をしはじめました。有名な曲には「シェヘラザード」をはじめ「サルタン王」などがあります。このような曲を作曲していましたがやはり憧れはオペラでした。そしてやはりワーグナーのような作品をつくりたいという希望がこの時代のロシアの流行のようでした。そしてもちろんのことながらモーツァルトも憧れの作曲家で作曲した作品をわざわざスコアにレチタチーボを入れたりなどしてモーツァルトの作品を真似て作ったようです。しかしながらやはり最終目的はワーグナーです。何曲か作曲をして上演はされたようなのですスコアは残ってはいません。家族にも大変恵まれ、奥様も音楽家であり彼の良きアドバイザーであったようです。ドイツ音楽にかなりの憧れを持っていたということは私も知りませんでした。ロシア音楽はとても好きな分野なのですが彼らなりの音楽をしていたのだとずっと思っていました。チャイコフスキーを読めばロシアの音楽史がそれ以上に理解できそうです。時間があれば次はチャイコフスキーを読んでみたいと思います。
2006.08.24
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本日29日の練習でした。そして演奏する死の島についてです。死の島は1909年に作られた作品。そしてこの前には交響曲第2番が作られそして同年に交響曲第3番がつくられています。1909年の4月17日にこの曲のスコアが仕上がりました。そして同年の5月1日にラフマニノフの指揮により初演されました。その時のオーケストラはモスクワフィル。その秋にはアメリカを初めて訪れ現在のシカゴ響にてアメリカ初演を彼自身の指揮にて行いました。彼の2番、3番交響曲に似合わない作風の「死の島」。このタイトル通りあまり派手でもなく少し陰鬱な曲ともいえます。前にも書きましたがラフマニノフはベックリンの絵を見てこの曲をつくったということに触れています。その絵とはやはり死というイメージを懐くほど薄暗いうっそうとした感じのもので明るい絵とはいえません。確かに「死」という暗示をしたような絵です。そしてこのラフマニノフの死の島はとてもこの絵と類似した感情を聴き手には持たせてしまいます。ラフマニノフはこの曲でこう語っています。「切ないテーマそれは人生のテーマなのだ」後半部分の木管楽器郡の同じリズムで流れるところなどはまさしく「切なさ」なのでしょうか。私にはこの交響曲2番と3番の間に作曲されたとは信じられません。 「死の島」
2006.04.24
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