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2006年04月17日
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カテゴリ: 文芸情報
「車と私」(四) じゅんぺい   87年3月から、国鉄分割民営化でJR東日本に採用された腹いせに、国鉄当局は私をM市のO自動車営業所から、仙台自動車営業所に強制配転した。仙台自動車営業所は、全員が国労を脱退して鉄産労(国労から分裂した分割民営化賛成組合)に移っていた所だった。  この仙台時代の常識では考えられないJR会社の所業については、我居住環境変遷史にも書いたが、ここでその部分を再掲する。  『仕事はしばらくぶりでバスの運転に復帰できた。ところが、人材活用センターに入れられて、数ヶ月バスの運転をはずされて、右も左もわからない仙台の地で、国鉄当局は、考えられないようなことをしてきた。まず路線見習として、築館町までの北路線と丸森町での南路線とを1日ずつ、路線バスを運転する人の後ろで行い、3日目と四4目には指導運転手がついてはいたが、数ヶ月ハンドルをもったことのない私を、乗客を乗せた路線バスに乗車させたのである。私は数ヶ月、ハンドルをもっていないし、初めての路線だから、1回空バスで、実車訓練させてくれと頼んだが、それも無視された。そして5日目からは、なんと路線も停留所もよくわからない私を一本にして、一人で乗車させたのである。  当然、これだけの訓練では、路線や停留所がわかるはずもなく、仕事を終えてから、自家用車で北と南の路線を自分で走った。一本になる日が来た。なぜかその日、点呼の助役はニヤニヤ笑っているように感じられた。仙台市内はまだいいとして、仙台を離れるとどちらの道に行っていいかわからなくなった。お客さんに、「次は、どっち曲がるんですかね」と聞いた。聞かれた客はビックリして「運転手さん道わからないの?」と聞いてきた。教えてもらってことなきをえたが、「路線バスの運転手さんに道聞かれたのは初めてだ」と言われ、仙台までの強制配転と、この乗車までの経緯を話すと、「そんな道もわからない、停留所もわからない運転手を乗車させるなんてひどい」と憤っていた。停留所がどこにあるのかもわからないので、お客さんに聞きながら運転をする始末。また、数ヶ月ぶりにハンドルを握ったことと、片道一車線しかなかったO自動車営業所の田舎道と片道5車線もあるような、大都市仙台の、しかもわからない道路である。運転している当人もさることながら、そういう運転手のバスに乗車させれたお客もたまったものではなかったであろう。   当時、採用したくなかった私を、色んな口実で処分したいと「虎視眈々」と狙っていた国鉄当局は、あろうことか乗客の安全や命より、私が事故やトラブルを起こすことを期待して、このような仕打ちにでたのであった。当時の国鉄当局の非人間性を象徴する出来事であった。しかし、国鉄当局の「期待」した事故もトラブルもなく、4月1日のJR発足を迎えたのであった』  いかに当時の国鉄当局が、目的のためには、手段を選ばない、乗客の命をも顧みない体質だったかがわかる。  プライベートでの車との関わりだが、車をキッカケとして、一人の女性と付き合いはじめたことがある。ある学習サークルの学習会のとき、サークルに入っている女性の方から、当時学習会の会場として労組の会館に「今、家にいるんだけど車のバッテリーがあがって、エンジンが係らないの。助けて」という電話が入ってきた。  その女性は、同じ組合員で、私より4才年上の人でJR病院に勤めていた。私より背が高くスラッとした美人であり、配転されてきて同じ学集会で、知り合い好意をもっていた。  すると、同じ学習サークルの仲間が、「じゅんぺい君、今がチャンスだよ。俺の車にブースターケーブルついているから、救援に言ってきなよ」と言ってくれた。サークルの仲間は、私が彼女に好意をもっていることを知っていたので、みんなが、「早く行け」と私を追い立てた、住宅地図で彼女のマンションを探し、救援に行って来た。充電する間、彼女の部屋にあがり、紅茶とかご馳走になって、しばらく色々な話をした。そしてその間に私は速攻で、次のデートの日取りを決めて、その後色々付き合いがはじまった。そしてしばらく付き合った後、結婚を約束するまでになった。が、しかし、その後その恋は、ある事件をきっかけに、破局に向かった。    88年の1月の正月も過ぎた日だったと思う。その日、会館では、国労婦人部の会議があって、私も午前中組合業務で、組合事務所に居た。時計を見て、ハッと気がついた。11時40分出勤なのに、もう11時30分だった。その日は、なぜか車で来ておらず、歩いていけば遅刻する時間だった。そこで私は、彼女の車の鍵を借りて、自宅に向かい出勤した。その鍵を同じ分会の婦人部の人の家に預けていけばよかったものの、乗務に持っていってしまった。  そしてなんとその車の鍵には、家のキーもついていた。彼女は当時、小型犬を飼っていた。その小型犬も、一緒に会議に来ていたから、大変だった。会議が終わって、家に帰ろうと思ったら、車の鍵がない、そして家にも入れない。ということで、私が乗務から戻ってくる間の夜7時半まで、大変なことになっていた。大変な中身は書かないが、そのことをキッカケに結局、彼女とは別れることになった。いまごろ結婚していれば、青森に戻ってくることもないし、まだJRにいたのかなと思うと、これが私の人生のターニングポイントになったのかなと思う。車がきっかけで付き合いしだし、車がきっかけで別れた交際であった。

 仙台時代は、居候が大量にいたこともあり、夜中とか用もなくドライブをして歩いた。夜中によし牡鹿半島に行こうと、居候とドライブしたりとかよくした。90年4月に、JRを退職して青森に行くことが決まって、私の車ライフは青森と 舞台を変える。(続く) 






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最終更新日  2006年04月18日 04時31分51秒
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Re:オラが書いた駄文15 エッセイ「車と私」4(04/17)  
パンダ7  さん
(´ヘ`;)ハァ こんな事もありだったのですね。大変ですね…仙台市内は私も運転する気にはならず、大学生の娘の所へ行くのには八戸まで車で行って「はやて」に乗って行きます。
はやては速い!!

彼女との事は残念でしたね…つまり いつでも時間に余裕を持って行動しなければならないと言う教訓ですね。 (2006年04月18日 08時32分40秒)

乗客の安全と会社の信用を考えないんですね。
信じられないです。。 (2006年04月18日 10時12分08秒)

Re[1]:オラが書いた駄文15 エッセイ「車と私」4(04/17)  
パンダ7さん
>(´ヘ`;)ハァ こんな事もありだったのですね。大変ですね…仙台市内は私も運転する気にはならず、大学生の娘の所へ行くのには八戸まで車で行って「はやて」に乗って行きます。
>はやては速い!!

>彼女との事は残念でしたね…つまり いつでも時間に余裕を持って行動しなければならないと言う教訓ですね。
-----
「いつでも時間に余裕を持って」と思っているのですが、いつも時間ギリギリ・・・こんなことでオラの人生が変わってしまっているんですね。......
( 〃..)ノ ハンセイ (2006年04月19日 08時25分51秒)

Re:国鉄(04/17)  
不良主婦コリドラスパンダさん
>乗客の安全と会社の信用を考えないんですね。
>信じられないです。。
-----
去年のJR西日本の尼崎事故を見てもそうですが、儲けのためなら、平気で安全を切り捨てるし、そのことを言う労働組合は平然と差別をする。そういうところなんですよ、国鉄・JRというところは。 (2006年04月19日 08時28分41秒)

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