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新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年も、ゆるゆるとマイペースでブログを書き綴って行きたいと思います。まずは2015年に聴いたコンサートのまとめ、マーラー編です。1番 ヘンゲルブロック&ハンブルク北ドイツ放響 6/ 3 シンフォニーホール (1893年ハンブルグ稿)2番 コバケン&読響 4/24 東京芸術劇場 ハーディング&新日フィル 7/11 すみだトリフォニー3番 山田和樹&日フィル 2/28 オーチャード テミルカーノフ&読響 6/ 5 サントリー テミルカーノフ&読響 6/ 7 文京シビックホール ノット&東響 9/11 サントリー ノット&東響 9/12 ミューザ川崎 大植&大フィル 9/17 シンフォニーホール 大植&大フィル 9/18 シンフォニーホール デュトワ&N響 12/11 NHKホール デュトワ&N響 12/12 NHKホール4番 ハイティンク&ロンドン響 9/28 サントリー5番 コバケン&日フィル 6/28 サントリー6番 チョンミョンフン&東フィル 2/26 東京オペラシティ ドゥダメル&ロサンゼルスフィル 3/28 サントリー大地 井上喜惟&マーラー祝祭オケ 8/22 ミューザ川崎 インキネン&日フィル 11/ 7 サントリー9番 尾高&東フィル 7/17 サントリー1番のヘンゲルブロックは、アンコールでやったワーグナーのローエングリーンから第三幕への前奏曲が、乗りの良い爆演でした。最後近くで突如短調に転じて、「禁問の動機」(チャイコフスキーの「白鳥の湖」の有名な情景のメロディーに似たもの)が強烈に奏でられたのが鮮やかで、どきっとさせられて、「普通に聴くのとは違うバージョンの演奏だな」とびっくりしました。拍手が終わって、オケの人たちが舞台裏にほぼ引っ込んで、客席もほとんどのお客さんがホールから出て、さて自分も帰ろうかというとき、そばにいた若い男性が、舞台に残って楽器の片付けをしていた打楽器奏者に、声をかけました。「さっきのローエングリーンの編曲は誰のですか?こういうのは初めてききましたので」などと尋ねていて、何やら面白そうなのですかさずそばに近づいて、やりとりを見聞きさせてもらいました。打楽器奏者はすぐには答えられなくて、自分のパート譜をあらためて眺めて、「トスカニーニ!」と言いました。トスカニーニ編曲のもののようです。僕はその若い男性と、「最後の短調のメロディーのところですね、あそこかっこよかったですね。」と一言二言話をして、帰りました。後日ネットでトスカニーニの演奏を聴いたところ、まさにこのときと同じ、最後に強烈に「禁問の動機」が出てくる演奏でした。2番は、コバケンと読響の演奏がすばらしくて感動しました。コバケンの2番は2014年の日フィルとの演奏を聴きましたが、そのときよりも格段に充実した演奏でした。ハーディングの2番は、記事に書いたとおりで、ストーティンさんの歌が聴きものでした。3番は、2015年はプロのオケがたくさん取り上げてくれて、5種9回の3番を聴けました。最大の聴きものだったのはノット&東響。これはブログ記事に書いたとおり、ゆっくりした歩みで圧倒的な感銘を呼ぶ名演でした。あと大植&大フィルの熱く深い思い入れに根差す3番と、それと対照的にデュトワ&N響の客観的で端正な美しさを持つ3番とが、いろいろな意味で印象に残る3番でした。山田和樹さんの演奏は、3年がかりのマーラー・チクルスの第1年目で、若い指揮者の今後の成長に期待したいと思います。それからテミルカーノフは、2014年の復活が超名演だったので大いに期待しましたが、期待を裏切られる凡演でした。4番は、ハイティンク&LSOが、記事に書いたとおり究極の絶美の演奏でした。今回の日本ツアーのプログラムにはハイティンクの来日の記録が載っていて興味深かったのでプログラムを買いました。これによるとハイティンクの日本でのマーラー演奏は、1968年の1番から始まり、以後10番(アダージョ)、4番(ここまでがコンセルトヘボウ)、9番(ウィーンフィル)、6番(シカゴ響)、そして今回の4番になります。4番は2回目なのですね。5番も、コバケン節全開のすばらしい演奏を味わえました。6番は、チョンミュンフンが良かったです。マーラーの音楽に耽溺するのではなく、少し距離を置いたところからのアプローチで、きっちりとしたフォルムの美しい、名演でした。これまで聴いたチョンのマーラーの中で、個人的にはベストです。もう一つの6番ドゥダメルは、巨大な木の箱をわざわざ作ってそれを舞台上の雛壇の高いところに置き会場のどこからでも良く見えるようにしておいて、それをハンマーで叩かせるという、サービス精神旺盛な、勢いある演奏でした。演奏後の会場の盛り上がりは相当なものでしたけれど、個人的には、第三楽章のカウベルの音が野暮など、随所に繊細さが足りず、一貫したポリシーが感じられず、残念な演奏でした。大地の歌は、井上喜惟さんとアマオケのマーラー祝祭オケが、味わい深い演奏を聴かせてくれました。このコンビの2014年の10番は、生演奏は聞きのがしましたが、CDを買って聴いたところ、こちらもすばらしい演奏でした。2016年はマーラーの演奏会が少なそうですが、また素敵なマーラー体験ができればと思っています。
2016.01.01
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12月11日と12日、デュトワとN響のマーラー3番を聴きました。僕にとっての今年最後のマーラー演奏会です。一言で言うと、マーラーの音楽に対する特別な思い入れは感じられませんでしたが、さすがにN響の実力は高かったし、終楽章の音楽は感動的でした。この演奏に文句をつける人は少ないでしょう。しかしそれでも僕としては、複雑な思いを抱いてしまいました。そんな一偏屈マーラーファンの感想を書いておこうと思います。マーラー 交響曲第3番指揮:シャルル・デュトワアルト:ビルギット・レンメルト女声合唱:東京音楽大学児童合唱:NHK東京児童合唱団管弦楽:NHK交響楽団NHKホール12月11日、12日初日と二日目の感想をまとめて書きます。ベルと合唱団の配置はごく普通でした。舞台の後方、打楽器の乗った雛壇の左端に、チューブラーベルが置かれました。さらにその後ろの雛壇に、前2列が児童合唱、後ろ3列が女声合唱でした。つまり、ベルと児童合唱を高い位置にというスコアの指示を完全に無視した、良くあるごく普通の配置でした。曲の始まる前から合唱団全員が入場し着席しました。第一楽章冒頭のホルン主題の呈示は、速めのテンポで始まりました。近年は大植、アルミンク、ノットなど名だたる指揮者が、提示の途中でテンポを落とす「ギアダウン」方式を採用していますが、今回は大きなテンポ変化のない、ごく普通の方式でした。僕が最初にギアダウン方式を体験した2012年の大植&大フィル(兵庫公演)のときはものすごい違和感を感じてしまいましたが、今回の通常方式は、テンポが速いこともあり、ある種のもの足りなさを感じてしまい、そういう自分自身に驚きました。ギアダウン、くせになると怖いかも、です。第一楽章は速めに進んでいきます。丁寧ではあるし、決して単調ではないのですが、淡白な感じです。初日はN響もまだ調子が出きらず、ピッコロ、エスクラなど小さなひっくり返りなどがポチポチありました。二日目は、より丹精な仕上がりになっていました。第一楽章途中ホルン主題の再現直前の舞台裏の小太鼓は、舞台裏ではありましたが、舞台から見えないというだけで、すぐ裏手で盛大に叩いたため、距離感のまるでない小太鼓になっていました。ついでに第一楽章ホルン主題の呈示時と再現時のシンバルの人数についてもここで触れておきます。スコアの指定は提示時が「2人」、再現時が「3人以上」です。今回の演奏では、提示時が2人、再現時が3人で、数は指定通りでした。提示時は、雛壇の上の打楽器奏者が二人で叩くという、普通の方法でした。これに対しちょっとユニークだったのは、再現時でした。ここを3人でやる場合、通常とられるのは、舞台裏の小太鼓を叩き終わってから一人あるいは二人の打楽器奏者がすぐにシンバルを持って舞台に速足で入って来て、舞台に元々いる一人あるいは二人のシンバリストとあわせて3人でパシャーンと叩く、という方法です。この方法は、もしも入場時に打楽器奏者が転んだりすると大事故になってしまうというリスクがあります。今回ユニークだったのは、曲が始まる前からあらかじめ舞台の左端にシンバルが二つ置いてあったことです。舞台裏の小太鼓が終わった後に二人の奏者が手ぶらで入って来て、置いてあるシンバルをとって、雛壇上の一人とあわせて三人で叩くという、より安全性を高めた方法でした。デュトワらしい用意周到さで、方法としては万全でした。しかし、わたくし的にはその叩かせ方が、いささか不満でした。雛壇上のメインのシンバリストは普通に大きく叩いたのですが、舞台左端での二人の叩かせ方が、いかにも小さくて貧弱だったのです。マーラーがわざわざ「3人以上で」と指定したのは、ここを音響的に(それからもしかしたら視覚的にも)かなり目立たせたかったからだと思います。曲の冒頭の呈示時には二人でかつ「ff」の指示なのに対して、ここでは3人以上でかつ「fff」の指示になっているのです。それなのに3人のうち二人が舞台の端の方で小さくぱしゃんと叩くのでは、とてもマーラーの意図に沿っているとは言えないです。人数をスコアの指定通りにするだけで肝心の音量が小さいというアプローチは、変だと思うのです。まぁここは音楽的には些細なところで、こんなところにこだわる人もほとんどいないと思いますが、私的には残念だったところです。今回のデュトワは、ベルや合唱の配置といい、このシンバルの扱いといい、後述する後半楽章のアタッカの無視といい、その他細かないろいろなところに、マーラーの音楽に対する敬意のなさというか、思い入れのなさを、強く感じてしまいました。確かに、そつはなくて、整っていて、決して悪くはありません。でも熱い思い入れがなく、淡白なマーラー演奏として進んでいき、僕としては少なからぬ物足りなさを感じてしまいます。第一楽章が終わって、歌手が入場してきて、指揮者の左横に座りました。初日も二日目も、ここで少しですが拍手が起こってしまいました。第二楽章は、第一楽章と同様、やや速めのテンポであっさり終わってしまいました。第二楽章が終わって、1番トランペット奏者が舞台裏右手に退場していきます。来るべきポストホルンの用意です。第三楽章はすこし足取りが遅くなり、落ち着いたテンポになりました。ポストホルンは、舞台裏の右手の奥で吹いたようです。そしてこのポストホルンの距離感は絶妙だったです!私、初日は1階席前方の右寄り、二日目は2階席前方の右寄りで聴きましたが、どちらで聞いても、十分な距離感を持って、かなり遠くから、しかし遠すぎず、どこから聞こえてくるのかよくわからないような響きで聞こえて来ました。この、「何処からか良くわからないけれどどこか遠くの方から」というのがこの曲のポストホルンにもっとも必要な要件だと僕は思っています。この点については理想に近いものでした。そしてこのポストホルン、音程も音色も素晴らしくうまく、まどろむような美しさで吹いていただきました。掛け値なしにブラボーのポストホルンです!わずかに惜しかったのは、特に初日、舞台上でポストホルンとともに演奏されるホルンなどが、ややもたついた感じがしたことです。ここがきっちり決まっていたらさらに酔えたと思います。第三楽章が終わって、ポストホルンを吹いた奏者がふたたび舞台上に戻ってきて、第四楽章が始まりました。第四楽章の歌手は、声の質は、比較的高い感じの声でした。この楽章、コントラバスをはじめ、弦楽の響きがとてもきれいでした。話が逸れますが、僕が初めて生で3番を聴いたのは東京文化会館で、ローゼンシュトックの振ったN響の演奏でした。ローゼンシュトックを聴いたなんて言うと、一体歳はいくつなのだと驚かれるかもしれませんね。ローゼンシュトックは1938年に新響(今のN響)で3番を振っていて、これはプリングスハイムによる3番全曲日本初演の3年後です。しかしこれはまだ僕の生まれるずっと前です(^^;)。僕が聴いたのは、ローゼンシュトックが1972年にN響を指揮した演奏です。この時に一番印象にのこったのが第四楽章で、弦楽合奏がとても美しかったことを今でも覚えています。デュトワとN響の奏でる第四楽章の美しい弦楽を聴きながら、遙か昔のローゼンシュトックの第四楽章のことをちょっと思い出したりしました。さて、このあとが問題のアタッカ無視です。第四楽章が終わってから、デュトワは合唱団に指示を出し、合唱団を立たせ、そして第五楽章が始まりました。その間合いは短かく、デュトワも途中で指揮棒を下げたわけではありませんが、音楽の流れがそこで完全に一度止まってしまいました。客席からは、楽章間の休みだと感じた一部の聴衆の発する咳払いも少し聞こえてきました。咳払いが出るのも無理はないような、間合いだったわけです。折角、曲の開始する前から合唱団が入場してスタンバイしているのに、このアタッカ無視は残念でなりません。第五楽章と第六楽章の間も、まったく同じように、アタッカが無視されました。すなわち、第五楽章の音が消えてから、デュトワの指示で歌手と合唱団が座り、そこから改めて第六楽章が始まったのでした。この楽章間でも、客席からの咳払いが少し出ました。出ても仕方がない間合いの取り方でした。このようにして始まった第六楽章ですが、しかしこれが、先行楽章とは驚くほど異なり、ゆっくりしたテンポで、じっくりと歌われて充実しています!N響の弦の実力が余すことなく示されていきます。金管コラールから盛り上がっていって、主題が高らかに歌われ、ホルンとトランペットがちょっと残ってしずまっていき、そこから再びもりあがって最後の「大いなる歩み」(単に個人的な呼び方です)、このあたりは完璧な揺るぎない美しさがありました。この大いなる歩みでの二人のティンパニー奏者のうち、第一奏者は指揮者を見ながら叩き、第二奏者は第一奏者を見ながら叩くという方法でした。これ、僕の友達に以前教えてもらったのですが、アバド・ベルリンフィルがこの方式で叩かせていたそうです。二人の奏者がそれぞれに指揮者を見せてあわせるより、打音のタイミングが合わせやすいですね。今回も、二人のタイミングが良く揃っていました。初日はそれでも一箇所だけ、第二奏者が第一奏者から眼を離してしまい、打音がその時だけ僅かにずれましたが、二日目はそういうこともなく、すべての打音が完璧に揃っていました。第六楽章だけとれば、本当に感動的な、懐深く、美しく、どっしりと安定した、すばらしい音楽でした。弦楽合奏の響きの美しさはさすがN響でしたし、ホルンの安定した力強さもほれぼれしました。N響が2011年にチョンミョンフンの指揮で3番を演奏したときには、ここまでの美しく充実した終楽章の響きは聴こえてきませんでした。この終楽章は本当に素晴らしかったです。しかし、僕は複雑な思いでした。僕にとっての3番は、第六楽章だけ良ければいいというものではないのです。マーラーの音楽に対する敬意というか愛というか、そういうものが第一楽章から感じられること、そしてそのようにして進む70分余の先行楽章群がきちんと充実していることが、僕にとってはとても大事なのです。技術ではないのです。アマオケであっても、その気持ちを感じさせてくれる演奏にときに接することがあり、そのときに僕は深い幸福な感動に包まれます。今回の演奏、第六楽章が素晴らしかっただけに、それまでとのギャップが大きすぎて、複雑な思いで受け止めることになった3番でした。
2015.12.17
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ハイティンク&ロンドン響 マーラー4番を聴きました。マーラー4番の真の美しさが存分に開示された、奇跡の場に居合わせる幸せな体験となりました。だいぶ時間がたってしまいましたが、貴重な体験を書き留めておこうと思います。指揮:ハイティンクソプラノ:アンナ・ルチア・リヒター管弦楽:ロンドン交響楽団マーラー 交響曲第4番9月28日 サントリーホールハイティンクのマーラーは、2009年のシカゴ響との来日時に6番を聴いたのが初めてでした。このときは舞台上のカウベルが、まるで何か違う楽器のように繊細に美しく鳴らされ、至上の効果をあげていましたが、演奏全体としてはやや大味で、それほど大きな感銘は受けませんでした。(ハイティンク&シカゴのマーラー6番について独立した記事は書きませんでしたが、この時のカウベルについては2009年のレック&東響のマーラー6番の記事に詳しく書きましたので、よろしければご参照ください。)今回は2回目のハイティンクのマーラー体験です。今度はロンドン響です。すごくうまい、良い音のするオケですから、その意味での期待はありました。しかし、その期待を途方もなく上回る体験になりました。まさかこれほどの演奏が聴けるとは思いませんでした。「4番ってこんなにも美しい曲だったのか」と幸福な驚きに打たれた体験でした。これ以上のマーラー4番を今後僕が体験することは、多分ないだろうと思います。弦は両翼配置で、ハープは下手側、コントラバスの奥です。ホルンは木管のすぐ後ろに、アシストを含めて5人が横一列に、舞台中央から下手側にむかって並びます。丁度ホルンの1番奏者がクラリネット1番とファゴット1番のすぐ後ろに位置する感じです。こういう配置はマーラーではあまり見かけませんが、木管の4人の1番奏者にホルンの1番奏者が加わった5人が、ひとかたまりとしてまとまるので、5人で緻密な室内楽的アンサンブルをするのに適した配置と思います。4番にはとりわけ適していると思います。打楽器隊とトランペットはオケ本隊とはやや距離を置く感じで、舞台後方の高い雛壇上に並び、トランペットは雛壇の一番上手側に位置していました。ソプラノの座るべき椅子は、普通見られるように指揮者の左横ではなく、右横に置かれていました。第一楽章、やや遅めのテンポで始まりました。ハイティンクは、楽譜をじっくり見ながら丁寧に振っていきます。楽節の区切りにちょっと置く間合いが、少なすぎず、ためすぎず、絶妙な味わいです。また逆にテンポを速めるところも、エレガントさを失わず、格調の高さが一貫して保たれています。これは絶品です。そしてロンドン響の素晴らしいこと! ハイティンクの指示に鋭敏に反応して、なんとも美しい音の数々が連なっていきます。木管などに時々現れる、ややきつめというか、ひずんだような鋭い音色も、必要なところではちゃんと聞こえて来ます。それも含めて、すべての音が、大きな調和の中にあるのです。第一楽章が始まって間もなく、「今自分はとんでもない場にいる!」ということを強く感じました。音楽がすすむにつれ、その感じはどんどん強まり、深まっていきます。第二楽章が終わって、オケの一部が軽くチューニングなどをやっているときに、ソプラノ歌手が、舞台上手側から、やや速足で入ってきて、そのまますっとハイティンクの横の椅子に座りました。ハイティンクもとくにソプラノを迎える仕草もせず、拍手はまったく起こらず、密やかな入場になりました。このところサントリーではマーラーの交響曲で、歌手の途中入場に際して拍手が起こらないことが多く、まことに好ましいことです。この曲でソプラノの入るタイミングに関しては、3番ほどのこだわりはありませんが、やはりこのタイミングがベストでしょう。これに関しては別記事で書こうと思います。第三楽章も、それまでと同じように、ゆっくりと、丁寧に進んでいきます。すべての音が、出すぎず、引っ込み過ぎず、完璧な美しさです。奇跡のようなマーラー4番。ミューズの神が舞い降り、この場を祝福してくれています。そして第三楽章の最後の静かな和音が消えて行って、ハイティンクはアタッカで第四楽章にはいります。デリカシーを極めたクラリネットの導入にのって、ソプラノが静かに椅子から立ち上がり、そして歌い始めました。素晴らしい歌でした。僕の席は2階LAで歌手の斜め後ろの位置で、声の美しさを味わいにくい席でしたが、それでも美しさはじゅうぶんに伝わってきました。このソプラノは、今年のルツェルン音楽祭でハイティンクとマーラー4番を歌ったということで、息が本当にぴったりでした。この楽章、途中の節目に3回(練習番号3,7,11)、強めに鈴がシャンシャンシャンシャンと鳴らされるところがありますね。普通の演奏だとしばしば、ここの部分でかなり速度が速められたり、鈴をはじめとするオケの音が、その前の部分の静寂を打ち破るようにかなり大きく鳴らされます。しかしハイティンクは、この部分で速度をあまり変えずに遅めのテンポを保ち、鈴そのほかのオケの音もそれほど大きく鳴らさずに、あくまで楽章全体の静かでエレガントな雰囲気を損なわないように配慮が行き届いていて、素晴らしいです。もう本当に、どの音も、何もかもが、信じがたいような美しさ。終楽章、歌の節目のところで、ぶら下げられたシンバルが小さく打たれるところが何回かあるのですが、そのシンバルの静かな音でさえ、何とも美しく響くのでした。最後の歌の一節(練習番号12以降)は一段とテンポが落とされて味わい深く歌われました。ソプラノが歌い終わって、最後の約10小節は、さらにもう一段テンポが落とされ、そしてハープとコントラバスが残り、ついについに、最後の余韻が消えかけます。そのときハイティンクは、上げていた左手を小さく微妙に震わせました。余韻が消えても、左手の震えはかすかに続き、そしてその動きもやがて止まり、あとには深い静寂がホールを満たしました。その静寂は長く続き、ハイティンクが両手を静かに降ろし、譜面台に指揮棒をおきましたが、その後にさらに2-3秒の静寂があって、それからとうとう拍手が始まりました。拍手が続き、何回か出たり入ったりしたあと、ハイティンクはホルン首席を最初にたたせ、次にトランぺットを立たせました。次に木管首席を一人ずつたたせるのかと思ったら、木管セクション全員をまとめて立たせました。確かに一人ずつ立たせたら全員一人ずつ立たせなくてはいけないほど、木管の奏者のみなさん素晴らしかったので、「もはやまとめて」ということも納得できます。わたくし的には特にクラリネット首席が、音量は抑え気味で控えめなのですが、小さなひと吹きにもおそるべき存在感があって、名人の至芸とはかくなることか、と感服させられました。拍手をあびながら、途中ソプラノ歌手が天を指さしていました。ミューズの神が舞い降りてきてくれたことへの感謝の意を示したのだろうと思います。本当に、ミューズの神に祝福された、マーラー4番でした。86歳になるハイティンクの円熟と、ロンドン響の極めて高い技術、そして両者を結ぶあつい信頼関係、これらがすべて理想的にかみあったからこそ生まれた奇跡の場。わたくし個人史的に空前にしておそらく絶後のマーラー4番体験となりました。ハイティンク、ロンドン響、ソプラノの皆々様、ありがとうございました。
2015.10.08
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大植&大フィルのマーラー3番、二日目です。今日の僕の席は前から3列目、ほぼセンターのかぶりつきです。大植さんの演奏スタイルは昨日と同じです。冒頭の「謎のギアダウン」をはじめとし、短いテンポ変化が頻繁に行われます。しかしそれに今日のオケはしっかりとついていきます。昨日とまったく違います。昨日の演奏後、今日の本番までに何があったのでしょうか。ゲネプロ前に、オケの中核メンバーが非常集合して自主練したのだろうか、などと妄想が浮かぶほど、昨日とは全く違うパフォーマンスです。第1楽章、第3楽章、昨日散見された大事故箇所はことごとくきっちりとクリア。一方第3楽章のポストホルンは今日も好調に、素敵な歌を奏でてくれます。ただ第2楽章も、第3楽章も、テンポがやはり速めで、自然の息吹というか、柔らかさというか、大植さんのマーラーの最大の魅力と僕が思っている生命を肯定するあたたかな歌が、今ひとつ不足気味と感じてしまいます。そして迎えた第4楽章は、聴きものでした。僕がシュトゥッツマンさんの3番の歌を聴くのは2回目です。最初に聴いたのは、2002年にシャイー&コンセルトヘボウが演奏したとき、予定されていたデ・ヤングさんが体調不良で来日できず、そのときの代役として歌ったときでした。このときの3番は終楽章をはじめとして大感動の演奏でしたが、第4楽章のことは特に記憶に残っていません。第4楽章はもちろん好きでしたが、当時はまだこの楽章の深みを僕はあまり理解していませんでした。そういう僕を第4楽章に開眼させてくれたのが、2005年の大植&大フィルの3番でした。このとき、大植さんと寄り添うようにして歌われたアルトの坂本朱さんの歌が、僕の胸にしみわたり、涙があふれて仕方がありませんでした。それまで幾度となく聴いてきた3番で、こういう第4楽章の体験は初めてのことでした。その後、2010年のヤンソンス&ラーソンさん、2011年の佐渡&デ・ヤングさん、2013年のアルミンク&藤村さん、つい先日のノット&藤村さんなどが、特に忘れがたい名唱として心に刻まれてきました。この日も深い歌が聴けました。シュトゥッツマンさんの歌はもちろんのこと、楽章の半ばすぎから入ってくるコンマス田野倉さんのソロが、素晴らしかったです。田野倉さんはすごい気合で、ときどき腰を浮かしながら、シュトゥッツマンさんと絶妙に絡みます。この部分で、大植さん、シュトゥッツマンさん、田野倉さんの3人の絡みをかぶりつきで味わえたのは、贅沢すぎる極上のひとときでした。夜の深みがじっくりと心に沁みました。あとここはホルンの絡みも重要ですが、今日はホルンもきっちりと決めてくれて、素晴らしい第4楽章が成就しました。そして最終楽章。オケの頑張りは見事だったです。管は充実し、かぶりつきで迫ってくる弦セクションの張り詰めた緊張感は凄かったです。コンマスの田野倉さんはもちろん、セカンドトップの田中美奈さんも眼光するどく、気合が入って素晴らしかったです。ヴィオラトップはかつての小野さんから代わった竹内さんという方で、この方もこの演奏会で大フィルを退団するということを後になって大フィルのツイッターで知りました。時はどんどん流れていくのですね。そして特筆すべきはチェロのトップの近藤浩志さん、この方の熱い演奏にはいつも感動させられます。今回の大植さんは、初日の記事に書いたように、主要主題のBメロをテンポを落としてじっくりと歌い上げるやり方でしたので、Bメロの聞かせどころの多いチェロで近藤さんが大活躍していました。近藤さん健在で良かった。終楽章の途中(多分練習番号6の半ば、第64小節)で、ホルンのソロの開始部分の1小節が抜け落ちてしまいましたが、これはご愛敬ですね。ここ以外は全曲通して目立つ傷は皆無で、十分に健闘したホルン隊でした。最後の和音の余韻が消えたあと、今日もまた完全な静寂がひとしきりホールを支配し、大植さんがタクトをおろしてから、大拍手が始まりました。そして今日はオケの皆様の表情がまったく違います!昨日の演奏を乗り越えての今日だけに、皆様の喜びはひとしおでしょう。そして田野倉さんの素敵な笑顔!シュトゥッツマンさんと満足げに握手を交わされてました。今日の第四楽章のソロは、田野倉さんご自身も会心の演奏だったと思います。やがて田野倉さんを筆頭にオケが盛大に足踏みして大植さんを称えます。昨日はなかった場面です。これがあって本当に良かった!やがて長い拍手がついに引き、大植さんが引っこみ、オケが退場し、続いて合唱団が退くときに、大植さんが舞台左奥に再びひょっこりと出てきて、退場する合唱団員と次々にハイタッチをしていました。なお本日も譜面台が置かれ、上には昨日も置かれていた黄色い表紙のスコアが置かれていましたが、この日は一度も表紙をめくることなく、ただそこに置かれているだけでした。大フィルのブログによると、なんと師バーンスタインの使っていたスコアだそうです。大植さんの要求にこたえ、そのドライブにしっかりと反応し、燃えた大フィル。大植さんと大フィルの絆の強さを再認識した二日目で、感動しましたし、非常にうれしい体験でした。ただ、今の大植さんが目指しているマーラー3番の世界は、今の僕の求める3番世界とはいささか異なるということを、確認することにもなった二日目でした。特に最終楽章の個性的で斬新なテンポ設定は、現在の僕には違和感が大きいです。かなり速いテンポ設定の上で、主要主題のBメロ部分だけを、ぐっとテンポを落としてじっくりと歌いこむ大植さん。Bメロの歌いこみ部分だけを取り出せば素晴らしいですけれど、全体としてのテンポ変化が大きすぎます。二日目は初日よりもさらにテンポ変化の振り幅が大きいように感じました。しかもこのテンポ変化の振り幅が、楽章の後の方になればなるほど巨大化していく感じがしました。終楽章の後の方のAメロ部分で今回の大植さんのとったテンポは、そもそも物理的にもかなり速いのですが、Bメロ部分が遅いだけに、余計に聴感上速く感じられてしまいます。特に最後近くの一連の音楽は、その傾向が著しかったです。極めつけは練習番号26~27の金管コラール以後です。ここの金管コラール(Aメロ)をあっさりと速く過ぎたあと、練習番号28からのBメロ部分をゆっくりじっくりと歌います。そのあと練習番号29からの主要主題Aメロの最後の高らかな歌の、速いこと速いこと。二日目にこの部分を聴いていて、かつて聴いたチョンミョンフン&N響の3番(2011年)の終楽章の同じ部分を、ふと思い出してしまいました。チョンさんはそのとき終楽章で、非常に個性的なテンポ変化を採用していました。詳しくはその記事に書いたとおりですが、終楽章の3ヵ所(第212小節、第282小節、第292~第295小節)を、突然ほぼ倍位にテンポアップしたのです。いずれもごく短い部分で、そのあとすぐテンポを戻しました。このうち3ヵ所目の第292~第295小節は、練習番号の29の後半です。まさに主要主題のAメロの最後の高らかな歌い上げの途中です。チョンさんは、練習番号29のうち、上記の4小節だけを速くしました。今回の大植さんは、練習番号29を全部速く通しました。チョンさんの方法とは、狙いも、やっていることも全く異なっているのですが、結果的に、その4小節(第292~第295小節)はテンポが速い、それもかなり速い、ということが共通したわけです。それでふと、そこを聴いていてチョンさんの演奏が頭に思い出されてしまった次第です。チョンさんの演奏を聴いたとき、その恣意的なテンポ変化に非常な違和感を覚えました。小細工というと言い過ぎかもしれませんが、そのような作為により、大河のようにとうとうと流れていき悠々と広がるはずの音楽世界が、ぶつぶつと分断され矮小化してしまうように感じたからです。今回の大植さんのテンポ変化は、チョンさんのものとは元々の発想も、実際にやっていることも全く異なるものです。しかし特に楽章最後近くのこのあたりのテンポ変化が非常に大きくて、僕としては、折角のマーラーの音楽の悠然とした流れを妨げてしまうように感じてなりませんでした。とは言っても、たとえばマーラー自身の指揮した終楽章は、案外こういう大植さんスタイルに近かったのかもしれません。大植さんは時代の最先端を行っていて、僕がそれにまったく追いつけていないのかもしれません。実際、2012年に僕が大きな違和感を感じた第一楽章冒頭ホルン主題のギアダウンは、その後アルミンクやノットなど他の指揮者も同じようなことをやっているわけだし、それを聴く僕の違和感も、かなり減ってきています。いつか、僕の聴き方も変化(進化?)し、今回の3番の意味をそのときになって理解できるのかもしれません。そうなりたいものです。実存に根差すゆえにこそ、常に変化し続けていく大植さんのマーラー世界。このところの2014年の6番、今年の3番を聴くと、現在の僕の求めるマーラー世界とは、距離がだんだんと広がって来ている感じがします。しかし、2005年の3番、2009年の5番、同9番(ハノーファー北ドイツ放送フィル)、2011年の大地の歌、2012年の9番、2013年の2番と、数々の素晴らしいマーラー体験を与えてくれた大植さんですし、その影響で僕の求めるマーラー世界も変わってきていると思います。大植さんには引き続き新たなるマーラー世界を開拓していっていただきたいし、今後もそれを体験し、いろいろな刺激を受けとめていきたいと思います。ぐすたふさんと飲んだ初日の「やけ酒」の味、さらにヒロノミンさんも交えて歓談した二日目の「美酒」の味、どちらも格別でした。ありがとうございました。また、大植さんのマーラー世界を一緒に体験しましょう!2005年の3番の感想を、当時の「招き猫」に書きました。細かいところは全然覚えていないけれど、最後に「また数年とか10年後くらいに、大植さんの3番を聴きたいと思います。」と書いたことは良く覚えています。2012年の3番のブログ記事にも、「また10年後くらいに聴かせてください」と書きました。今回もまた同じ言葉で締めくくりたいと思います。大植さん、また数~10年後くらいに、大植さんの3番を聴かせてください。
2015.09.21
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大植英次指揮大フィルによる、マーラー3番を聴きました。指揮:大植英次アルト:ナタリー・シュトゥッツマン児童合唱:大阪すみよし少年少女合唱団女声合唱:大阪フィルハーモニー合唱団管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター:田野倉雅秋マーラー作曲 交響曲第3番9月17日、18日フェスティバルホール前の週の、ノット&東響の3番の直後という、空前の3番高密度週間になってしまいました。もう少し間隔があいてくれれば良かったんですけど、もしもこれが同じ週で、木・金が大フィル、土・日が東響だったら、4日連続になってしまうところだったので、それが避けられただけでも良かったです。大植さんと大フィルのマーラー3番を聴くのは、2005年大阪、2012年兵庫についで3度目です。2005年の3番は大植さんの生命肯定する前向きな明るさに強く心打たれました。2012年兵庫の3番は、詳しく記事に書いたとおり、全体として僕には疑問のある演奏でした。ともかく演奏のたびごとに大きな変化を見せる大植さん、今を生きる実存の有り様が如実に音楽に現れてしまう大植さんのマーラーですから、今回も予断を許しません。それから、大植&大フィルの大地の歌(2011年)で急に出演ができなくなったシュトゥッツマンさんが歌うのにも期待したいところです。まず初日です。本日の僕の席は1階前方、左寄りの席です。オケの入場前に、合唱団の入場が始まりました。女性と児童の全合唱団が入場してきます。そして舞台の後ろの雛壇に、前よりの2列に児童合唱、後ろよりの2列に女声合唱が並びました。それぞれの人数は、ざっとしか数えませんでしたが女声合唱の70人ほどに対して児童合唱が40人ほど。鐘は、舞台左奥。普通の配置です。オケの配置は、対抗配置ではなく、普通に左から1stVn,2nd Vn, Vc,Va,Cbでした。ハープは左側に2台。やがて大植さんが入場し、演奏が始まりました。20012年兵庫では、冒頭ホルン主題の大きなギアダウンがありました。今回も、ギアダウンしました。第5小節の上行音型ラーシードレミーーのところをものすごく遅くしました。そして続く第6小節のダン、ダンはすぐにスピードを速めてもとのテンポに戻しました。その速いままで、レミファーー、レミファーー、レミファーミーレードー♭シーラーソーまで速くとおりすぎ、そのあと第11小節あたりのファソミーーーから再び遅くする、というやり方でした。このギアダウンは、ダン、ダンを重く強調するアルミンクやノットとは全く異なるだけでなく、2012年の大植さんご自身のギアダウンともまた違っていました。2012年のギアダウンについては、「マーラー3番と両親(大植&大フィルのマーラー3番:その3)」の記事で詳しく書きましたので、そちらをご参照していただきたいのですが、2012年も2015年も基本「急、緩、急、緩」というテンポ変化なのは一緒です。しかし、2012年では最初の「緩」の部分が第5~8小節までの4小節でした。この4小節を遅くするという方法は、上向音型部分を遅くする、という特徴があり、そこに僕は父性性の強調という意味を見出したつもりでした。これに対して、今回の最初の「緩」は、第5小節の1小節だけに短縮されていました。前回とは全く異なることになります。ところで、大植さんは今までは3番を暗譜で振っていたのに、今回は譜面台が置いてあり、これにもいささか驚きました(これまでのマーラーは、4番で譜面を見ていた以外には、僕の知る限りすべて暗譜でした。)ただ、置いてはあるがほとんど見ないで振っていて、ときどき思い出したように指揮をしながら何ページもめくっていく、という様子でした。そして第一楽章の後半にはスコアを閉じてしまい、その後はほとんど見ることはなかったです。それにしてもこの第1楽章、オケが乱調です。大太鼓が落ちるし、アンサンブルはそこかしこ乱れます。やがて楽章後半、ホルン主題が再現される前の小太鼓部分にきました。この小太鼓が今回、舞台裏でなく、舞台上でそのまま普通に叩かれました。このような舞台上小太鼓の演奏会には、たまに遭遇することがありますが、まさか大植さんの演奏会で見ることになるとは思いませんでした。いささかショックです。人手不足のためか、練習不足のためか、その両方のためなのか。。。(大フィル公式ブログによると、3日間の練習をめいっぱいやったようですが。)今日の仕上がり具合から想像すると、リスキーなことをやる余裕がないという判断で、舞台裏小太鼓を避けたのかもしれません。そのようなショックな小太鼓に導かれて始まったホルン主題の再現ですが、そこにもさらに驚きがありました。ここでは、冒頭部分の第5小節に相当する部分でのギアダウンを行わず、そのまま速いままでスルーしていきました!何故に冒頭部分だけギアダウンして、ここではやらないのでしょうか?大植さんの意図が謎です。天才的直観によるものなのか、それとも何らかの深謀遠慮によるものなのでしょうか。このような驚きが続いたのでシンバルの人数をすっかり見落としてしまいましたが、二日目に確認したところ、冒頭では一人だけ、再現部分でも一人だけという、打楽器奏者最小限節約スタイルでした。。。やはり人手不足?なお夏の行進での弦半分のところは、各プルトのオモテ奏者のみ弾くというやり方でした。結局今一つ調子が出ないままで、長大な第1楽章が終わりました。今日の大植さんは、冒頭のギアダウンを筆頭として、ところどころで急にテンポを落とし、また戻すというテンポ変化を頻繁に行うスタイルです。こういうミクロ単位というか、短いスパンでのテンポ変化は、6番(2014年)のときに強く感じた傾向で、今回はそれがますます顕著になった感じです。このテンポ変化についていくのはオケとしては確かに大変なことだろうと思いますが、それだけでなく、指揮とオケの呼吸が今ひとつ噛み合わない感じです。ここでオケのチューニングでもしたら良いと思ったのですが、それもなく、そのまま第2楽章が始まりました。大植さんらしい温かくしなやかな歌がもう一つ聴こえてきません。そして第3楽章。ポストホルンは舞台左手奥のドアをあけて、その外で吹いていました。このホールのようにあまり残響が豊かでない会場だと、どうしても開けられたドアのあたりから聞こえて来てしまうということになりますが、これは仕方ないことだと思います。ポストホルンそのものは安定した良い演奏でしたが、ともかくテンポが速くて、あっさりと過ぎてしまい、大植さんらしい明るい歌がここでも不足していたのが、残念でした。第3楽章が終わって、シュトゥッツマンさんの入場です。ここで、はっきりとした拍手が起こりました。大植さんも、指揮者の左前に置かれた椅子に着席するシュトゥッツマンさんの左手をとり、くちづけして迎えます。僕としてはここでは静寂のままの方がずっと好きなのですが、大植さんは以前からこのタイミングでの拍手は良しとしていて、大植さん流というか、独唱者を紳士的に迎えるスタイルをとられます。これはこれで、独唱者のひとつの迎え方と思います。さて着席したシュトゥッツマンさんが第4楽章を歌うためにあらためて立ち上がると、それとともに全合唱団が起立しました。このように全合唱団を第4楽章開始時にあらかじめ立たせる方法は、シャイーがとっていた方式で、第4楽章から第5楽章へのアタッカをスムーズに実現するためにもっとも良い方法と僕は思います。大植さんは2005年、2012年の両者ともに同じ方式で起立させていました。今回もこの方式で、良かったです。そして第4楽章。さすがにシュトゥッツマンさんの歌は聴きごたえがありますが、オケがやはりやや精彩を欠いていました。この第4楽章と第5楽章は、舞台後ろ上部に字幕が出ました。この曲で字幕が使われることはめったにありませんが、意味がわかりやすく、とても良かったです。シュトゥッツマンさんの着席のタイミングは、第5楽章の終わりの一番最後のビンーという長い音が静かに伸びているうちに、静かにゆっくりと着席しました。ついでに合唱団の座るタイミングは、第6楽章が始まってすこししてから大植さんが指示を出し、それに従って合唱団が座るという方法でした。そして終楽章。大植さんの独自のテンポ設定が個性的です。まず楽章冒頭の主要主題の始まりの8小節(いわば主要主題のAメロといえる部分)は、早めにあっさりと演奏されました。しかしそれに続く練習番号1からのチェロのメロディー(いわばBメロ)のところからいきなりぐっとテンポを落とし、メロディーをじっくりと歌い上げます。そして練習番号2で主要主題のAメロが再び出るところからはまた速いテンポに戻ります。こういう具合に、基本テンポはかなり速めに設定され、ところどころに出てくる主要主題のBメロの部分で、ものすごく遅く粘って歌う箇所が挿入されるのでした。練習番号でいうと、たとえば上述の1とか、9とかです。他の、オーボエで始まるやや憂いを帯びた副主題の部分は基本テンポのまま速いし、ところどころに出てくるホルンの強奏部分は、激しいアッチェレランドがかかります。唯一、Bメロ関連部分だけが遅いのです。このテンポの対比はかなり極端です。この対比は、音楽が進むにつれても変わらず、むしろますます顕著になっていくようです。たとえば練習番号11のフルート、クラリネット、オーボエの3人のユニゾン(Aメロ)は速いです。また練習番号26~27の金管コラール(Aメロ)も速い。しかしそれに続く練習番号28から(Bメロ)は極端に遅く、じっくりと歌われます。ここまでテンポ変化が大きいと、悠々とした音楽の流れがさえぎられてしまうように、僕には感じられます。あまり音楽に入り込めないでいるうちに、音楽が終わってしまいました。それでも今日の聴衆は素晴らしく、大植さんのタクトが上がっている間は誰も拍手せず、完全な沈黙がホール内を支配しました。これはなんとも嬉しいことです。大植さんと大フィルがかつて積み重ねた黄金の日々を称え、感謝する聴衆の敬意が根底にあるからこそ実現した静寂だと思います。(ちなみに2012年の兵庫公演のときにはこのような静寂はなく、すぐに拍手やブラボーが始まってしまいました。)拍手が続き、途中で出てきたのは、小さなポストホルンを持った秋月さんでした。過去の3番のポストホルンは、2005年は秋月さん、2012年は篠崎さん、そして今回は秋月さんと交代で吹いてきたことになります。秋月さんの安定した実力が健在でうれしく思いました。(帰りがけにホールの入り口に立たれていた秋月さんに使用楽器をお尋ねしたら、ヤマハのポストホルンということでした。秋月さんありがとうございました。)それから健在と言えば、2005年のこの曲のクラリネットが素晴らしかったことを覚えています、そのとき吹いていたのが確か金井信之さんと記憶しています。今回も、金井さんが味のあるクラリネットを吹いていて、健在ぶりが嬉しかったです。しかし全体として、拍手を浴びるオケの皆様の表情は、非常に硬いです。特にコンマス田野倉さんの表情は硬く、凍り付いたようです。今夜の出来に自ら強い不満を抱えていたのではないかと思います。大植さんはそれを察してか、最後に去るときに、自分の胸ポケットの赤いハンカチを出して、田野倉さんの胸ポケットの赤いハンカチと、無理やり交換しました!エール交換という意味をこめたのでしょうか。思わず田野倉さんの表情にもかすかな笑みが浮かびました。今夜の演奏は、オケ全体としてのまとまりの悪さと、大植さんのユニークすぎるテンポ変化が、僕の中で負のスパイラルを生じてしまい、正直、残念な結果でした。明日の演奏はどうなるのだろうか、ここからリカバリーできるのだろうか、そんな不安というか、悲しみに似た想いを抱いてしまった初日でした。
2015.09.21
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9月13日、ノット&東響によるマーラー3番の2日目です。今日の会場は東響の本拠地ミューザ川崎シンフォニーホール。僕の席は2階センターブロック前方部(2CAブロック)の右寄りです。このホールの2階センターブロックは前方の2CAと後方の2CBがあり、どちらも良い位置ですが、特に2CAブロックはステージとの距離がかなり近く、視覚的にも音響的にも僕のとても好きなブロックです。席に座って後ろを振り返って鐘がどこに置いてあるか客席内を見渡しましたが、見える範囲にはありませんでした。(演奏終了後に振り返ってみたところ3階センターブロック(3C)あるいは3階右ブロック(3RB)の最後方あたりで歌ったようでした。)ご参考までにミューザ川崎の座席表はこちらです。 昨日と同じに、女声合唱82名がPブロック(座席表の2P)に入場し、引き続いてオケが入場。昨日見えなかった金管の配置が良くわかりました。ホルンは中央から左側に横一列にアシストを含めて9人が並び、1番ホルンはジョナサン・ハミルさんでした。 音楽が始まりました。ホルン主題のギアダウンはもちろん昨日と同じでした。ところでホルン主題部分で僕がちょっとばかり気にしている点は、シンバルの人数です。冒頭のホルン主題呈示部と、楽章後半のホルン主題の再現部(練習番号55) で、シンバルがそれぞれ1回ずつバシャーンと叩かれますね。このシンバルは、スコアでは、冒頭部分は二人で ff 、再現部分は「何人かで」かつ fff と指示されています。何人かでというのはニュアンス的に、「3人以上で」という意味合いだろうと思います。しかしこのシンバルの人数をきっちりスコアの指示通りにやる演奏は、かなり少数派です。ほとんどの演奏で、最初一人、次二人とか、あるいは最初も次も二人、場合によっては最初も次も一人、などと手抜きで済まされてしまいます。ちなみにこのホルン主題の再現部の直前には、舞台裏で小太鼓が叩かれます。そこで、マーラーの指示通りに再現部のシンバル奏者を3人以上で実施しようとすると、通常とられる方法は、この舞台裏の小太鼓が鳴り終わって舞台上のホルンが主題を吹き始めたときに、小太鼓を叩き終わった打楽器奏者が一人あるいは二人、すかさず舞台裏から駆け込むように急ぎ足で舞台上に戻ってきて、シンバルを急いで準備し、そして舞台上のシンバル奏者と一緒に、何人かでバシャーンと叩く、というやり方になります。ここは時間的に余裕がほとんどないので、見ているだけでもハラハラしますし、演奏する方はかなりの神経を使うと思います。しかもそれでいて、実際に3人以上と3人未満とで音響的に大きな違いがあるかというと、正直言って、ものすごく大きく違うということはありません(^^;)。ただそれでも、そのような効率が悪いというか労多くして実り少ないマーラーの細かな指示を、どれほど忠実にこだわって実践しようとするかどうか、そこにその指揮者のマーラーへのこだわりの強さが現れて、僕が興味ある点の一つです。僕の記憶しているなかで特筆すべき素晴らしさだったのは、浅野亮介さんという方が指揮したアマオケのアンサンブル・フリーによる尼崎の演奏会(2012年)で、冒頭部分はふたり、そして再現部ではなんと盛大に4人と、スコアの指示を忠実に実行していました。この徹底したこだわりには敬意を表します。あともう一つ、横浜のアマオケみなとみらい21交響楽団も2014年に、再現部で派手な複数シンバル(よく覚えていませんが多分4~6人位でした)の演奏をやっていましたが、これはそもそも直前の舞台裏の小太鼓を、舞台裏でなくP席で大音量でやってしまうという、マーラーの距離感の指定を無視した、僕にとっては疑問符の付く方法でした。説明が長くなりました。今回のノットさんは、呈示部ではメインのシンバリスト一人でしたが、再現部は、この「駆け込み打楽器奏者」二人がさらに加わって、計3人で叩かせていました。肝心の音楽です。第1楽章は昨日と同じく、柔にして剛の、すばらしいものでした。第1楽章終了後、 今日もオケがもう一度チューニングして、美しい第2楽章が歌われました。そして第2楽章が終わって、ノットさんが少し間合いを取っているときに、藤村さんが昨日と同じようにしずしずと目立たないように舞台に入場して、指揮者の左横の椅子に静かに座りました。指揮者も知らんぷりしています。藤村さんとノットさんのあうんの呼吸で、拍手は今日も起こりませんでした。実は、ここまでの演奏中の聴衆のノイズが昨日よりも多く、ややざわついた雰囲気だったので、きっと今日は藤村さんの入場時に拍手が起こってしまうだろうなぁと観念していたのですが、忍びの術を心得ているかのような、気配を殺しきった入場でした(^^)。この聴衆を相手になかなかすごい、技ありの入場です。決して自分が目立とうとせず、音楽に奉仕するという姿勢が徹底している藤村さんならではのことと思います。ここまでも十分に素晴らしいのですが、ここからが、昨日よりさらに素晴らしさを増した演奏になりました。第3楽章のポストホルンは、2階の僕の席で聴いても、昨日と同じように、やや右前方の高いところから、しかしどこから聞こえて来るのかはよくわからないようなふわーっとした響きで、聞こえてきました。見える範囲では、2階席のドアは開いていないようだったので、おそらく3階席の右側の客席のドア(座席表の3-R4とか3-R5等)を2-3 ヵ所開けて、客席の外の通路で吹いたのではないかと想像します。適度な距離感で、豊かな響きでした。ポストホルンの調子も昨日よりさらに好調で、出だしの1~2小節の音程がごくわずかに低めだった以外には、完璧な音程、暖かく豊かな音色、歌いまわしの美しさ、どれをとっても極上のポストホルンでした。しかもこれが、超絶的に遅いテンポでたっぷりと歌われたのです。もしかしたら昨日よりさらに遅いテンポだったかもしれないです。このテンポで、楽器もポストホルンを使って、ここまで美しい歌を吹かれるとは、佐藤友紀さんに心からブラボーを捧げます。第4楽章も昨日同様、かなりの遅いテンポで、藤村さんの名唱が聴けました。藤村さんは、ノットさんがバンベルク響を振ったマーラー3番のCD(2010年ライブ)でも歌っているし、2人の信頼関係は相当厚いだろうと思われます。なお初日にはこの楽章でかすかにもたついたホルンも、今日は完璧でした。第5楽章は、僕の席では昨日と全く同じように、ほぼ真後ろの高い方向から児童合唱と鐘が聞こえてきました。僕の今日の席は昨日と比べて、女声合唱とは少し遠くなり、児童合唱とは少し近くなったので、音量バランス的に昨日より児童合唱がしっかり聴けて、とても良いバランスで聴けました。この児童合唱は本当にきれいな、澄んだ鐘のイメージにぴったりの、素晴らしい発声・響きでした。そして第6楽章。きのうと同じ、最初から最後までゆるぎなく一貫した遅さです。いや昨日よりも、さらにゆったりとした歩みのような気がします。ホルンが強奏する部分も、昨日よりもさらに超越的な存在感をもって響いてくるように感じます。そして最後近くの金管コラールも、昨日と同様に本当にゆったりと深々と美しいです。このコラール、昨日の僕の席ではトランペットが音量バランス的にやや埋もれ気味になりましたが、今日の席はこのコラールのトランペットを良いバランスでたっぷりと味わえて、最高です。このあと、だんだんと盛り上がって主題が歌われ、テインパニーの大いなる歩みになり、そして曲が終わります。すべて一貫した遅さ。このあたりの音楽は、初日よりもさらにまとまりが良く充実していたと思います。偉大な演奏です。そして最後の和音が鳴り響き、その余韻がホールから消えていきました。そのあとです。昨日のサントリーでは実現しなかった、演奏終了後の静寂が、今日は実現したのです。ノットさんの両手が高く上げられている間、誰一人拍手しませんでした。(ひとり、がさがさと音を立てる不届き者がいましたが、幸いにも拍手は起こりませんでした。)長い完全な静寂のあとノットさんの両手がゆっくりと下げられていき、下がり終えると、そこから初めて拍手が沸き起こりました。 二日とも名演でした。二日間を強いて比べるとしたら、第一楽章は初日の緊張度がまさっていたように思います。第三楽章以降は、二日目の演奏がより深みを増したように思います。特に二日目の終楽章は、奇跡的な音楽になっていました。だからこそ、聴衆の拍手もまったく起こらない、完璧な静寂が実現したのだと思います。東響は本当にいい演奏をしていました。特にホルン隊は、そのパワーの充実と、音色パレットの多彩さが、光っていました。あとポストホルン(おそらく首席トランペット奏者の佐藤さん)と、1番トランペット(おそらくもう一人の首席奏者の澤田真人さん)も、素晴らしかったです。ともかくもオケの皆々様に感謝です。あと一つ、触れておきたいことがあります。公演プログラムに、ノットさんと岩下眞好さんの「マーラー:交響曲第3番を語る」という対談が掲載されています。ノットさんの意外な3番感が語られていて興味深いので、これについてはまた近いうちに別記事で書こうと思います。なおノットさんは2014年度から東響の音楽監督をしています。このたびその契約を延長したことが発表されましたが、それがなんと10年間、2025/2026シーズンまでということです!お互いがよほど良い関係にあるのでしょう。今後の10年間のノット時代、東響にとって大充実の時代になるのではないでしょうか。
2015.09.20
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(この記事は、一つ前の記事「ノット&東響によるマーラー3番 初日(その1)」の続きです。)第3楽章が終わって、ここでも児童合唱がP席に入場することはなく、やがて藤村さんがおもむろに立ち上がり、第四楽章が始まりました。この曲は第4楽章、第5楽章、第6楽章はアタッカで演奏されるよう指示されています。それが守られない演奏が時々ありますが、今回のノットさんの、スコアの指示をきちんと守っているこのようなすばらしい演奏で、アタッカの指示を守らないはずはありません。そうすると、すでに児童合唱は、ホール内の客席のどこかに入場しているに違いなく、そしてそこに鐘も一緒に置いてあるに違いない、と確信しました。そしてこの第4楽章もゆっくりとしたテンポで、藤村さんの歌が心に沁みました。藤村さんの3番の歌を聴くのは、メータ(ベジャールのバレーの生伴奏による第4,5,6楽章、2010年)、チョン・ミョンフン&N響(2011年)、アルミンク&新日フィル(2013年)についで4回目です。最初のメータのときには表現が劇的すぎるかと思いましたが、前回のアルミンクのときと、今回の演奏は、深みがあり、素晴らしい歌唱でした。アルミンクのときもテンポが遅かったと思いますが、今夜のノットさんとの演奏も徹底して遅いテンポであり、最初の静謐さと、途中のやや劇的になるところの歌いわけが明確で、とても聴きごたえがありました。そして音楽はアタッカで第5楽章へ。ちょうど僕の席では真後ろあたりから、鐘と児童合唱の歌が始まりました。やはりいつの間にか、ホールに入場していたのでした。(演奏終了後に振り向いて確認したところ、RCブロックとRDブロックの間の通路で歌ったようでした。)そして女声合唱が、多分そのすぐあとに起立。(初日は児童合唱に気を取られ起立のタイミングを確認しそこないましたが、二日目に確認したところ、まず児童合唱と鐘が始まり、ついで第4小節、オケがはいってきたところで女声合唱団が立ち上がり、第7小節から歌い始めましたので、おそらく初日も同じタイミングであろうと想像します。)楽章間では女声合唱団を立たせず、楽章が始まってから立たせるというこの方法は、アタッカの静寂を重視した、実に賢明な方法です。(シャィー&コンセルトヘボウはさらに徹底していて、第4楽章の始まる前、独唱者が立つときに、一緒に全合唱団をあらかじめ立たせておくという、すごく気合のはいった方法でした。)ところで僕の席はかなり舞台近くでしたので、舞台上の女声合唱との距離はわりと近く、対して児童合唱との距離は比較的遠かったので、どうしても音量バランス的に児童合唱が弱く聞こえるのは仕方ありませんでしたが、児童合唱の質自体は、かなり洗練されたハイレベルのものでした。第5楽章のなかばで藤村さんの出番が終わり、そのあと藤村さんは微動だにせず直立したままでいます。まれに、自分の出番が終わった途端にどっこらしょと座り、気持ちの弛緩があからさまに現れてしまう独唱者がいて幻滅しますが、それと対照的な藤村さんのこうした凛とした態度は、音楽に奉仕する姿勢が強く感じられ、すばらしいと思います。第5楽章が終わり、ノットさんは指揮棒を上にあげたまま、ゆっくりと第一ヴァイオリンの方に向きを変えていき、そして第6楽章が静かに開始されました。間合いの静寂は数秒間あったでしょうか。緊張感の張り詰めた、すばらしいアタッカでした。終楽章がはじまって、しばらく藤村さんと女声合唱は起立したままでした。多分練習番号2の途中あたりだったと思います、まず藤村さんが非常にゆっくりと静かに座り始めると、それを合図に女声合唱も静かに静かに座り始めました。藤村さんは、アルミンクとの演奏のときも、音楽を邪魔しないように非常に神経をつかった座り方だったことを思い出しました。なお児童合唱の入場、起立、着席のタイミングはまったく不明ですが、おそらく入場は曲の開始前あるいは第2楽章と第3楽章の間と思われます。起立は不明。着席も良くわかりませんが、第5楽章と第6楽章のアタッカの静寂のときか、第6楽章が始まった後、藤村さんの着席に合わせて、非常に静かに座ったのであろう、と推測します。終楽章も、終始一貫ゆったりとしたテンポで進みます。やや陰りを帯びた第2主題部分も遅いままなのはもちろん、ときおり登場するホルンの厳かな強奏部分(練習番号7、19、22~23)も、まったくアッチェレランドせず、徹底して遅いままです。このホルンの強奏部分は、ほとんどの演奏で多かれ少なかれアッチェレランドしますが、ノットさんは徹底して遅いままです。何か超越的な存在が圧倒的に現れるような深い印象が喚起されます。最後近くの金管コラール(練習番号26~27)も遅いままでした。トランペットはこのテンポで吹くのはかなり大変だと思いますが、きっちり美しく吹ききっていました。そのまま曲はもりあがって、最後のティンパニーの大いなる歩みの部分も、そのまま遅いままでした。アルミンク&新日フィル(2013年)の第6楽章も非常な名演でしたが、最後のこの部分でアルミンクがややテンポを速めていたのが、僕の理想とは異なるところでした。今回のノットさんは最後まで遅いままで、ここまで徹底して一貫して遅いテンポの演奏は超貴重です。最後の長い主和音は音量的にはかなり控えめな方でした。そして最後の余韻がホールから消えた直後、まだノットさんの両手は高くあげられたままだったのに、惜しくも拍手が始まってしまいました。その拍手はほどなく一旦おさまり、静かになりましたが、ノットさんはそのあとは比較的すぐに両手をおろし、そこから改めて盛大な拍手が始まりました。充実した演奏だっただけに、指揮者が手をおろすまで完全な静寂が保たれなかったのは、残念でした。終演後に、RAブロックで聴いていた友人から聞いたところによると、最初の拍手が始まってしまった瞬間、ノットさんはがっかりしたように頭を落とし、コンミスの大谷さんと顔を見合わせたということでした。物理的な残響は消えても、指揮者のタクトが降りきるまでは、拍手は是非控えてもらいたいものです。それから大きな拍手が続きました。拍手しながらホールの後方を振り返ると、児童合唱団が、2階RCブロックとRDブロックの間の通路に並んで立っているのがわかりました。子供たちも大きな拍手を浴びました。やがて子供たちはホール外へ一度退場し、少ししてから舞台の右手奥にあらためて登場しました。全部で20人ちょっとでした。女声合唱の82名と比べて、少人数で大変だったと思いますが、とても良い歌唱でした。拍手は続き、やがてポストホルンを持った奏者が登場しました。バルブ付きの小さめのポストホルンです。このポストホルンを吹いたのでしょうか。あの遅いテンポで、すばらしい演奏です!あとでオケのホームページの写真で確認したところ、おそらく首席奏者の佐藤友紀さんと思われます。見事な吹きっぷりでした。昔にくらべ、日本の金管奏者のレベルアップはものすごいと思います。今回の演奏、オケは、管楽器の多少のほつれはありましたが、全体に大健闘でした。コンミスの大谷さんのソロも良く、チェロをはじめ弦の音色も美しかったです。藤村さんの歌は真に感動的でしたし、そして何よりノットさんの指揮。これほどのスケールと深みを持った3番を体験できるとは思いませんでした。明日の二日目は、ミューザ川崎です。とても楽しみにしながら、帰路につきました。
2015.09.16
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ノット&東響、藤村実穂子さんほかによる、マーラー3番を聴きました。非常に感動したので、まだ頭の中がまとまらないけれど、ともかく記事を書いておきます。指揮:ジョナサン・ノットメゾ・ソプラノ:藤村実穂子児童合唱:東京少年少女合唱隊女声合唱:東響コーラス管弦楽:東京交響楽団コンサートマスター:大谷康子マーラー 交響曲第3番9月12日サントリーホール9月13日ミューザ川崎シンフォニーホールまずは初日、サントリーホールの感想です。今日の僕の席は、1階平土間席のかなり前方、やや右寄りです。席に座って舞台上の楽器配置を眺めると、コントラバスが舞台下手に9台、ハープが上手に2台、両翼配置です。定かな記憶ではありませんが、何回か聴いたノットさんの演奏会はみな両翼配置だったように思います。ノットさんの基本スタイルが両翼配置だとすれば、僕としてはとてもうれしいです。マーラーは、両翼配置で聴くのが断然面白いです。ところで、鐘が舞台上に見当たりません。P席あたりを見回しても、どこにもありません。どこだろうと思っているうちに、開演時刻になり、オケの入場に先立ち、女声合唱がP席に入場して来ました。良くある方法とは異なり、女声合唱はP席の前方3列(2~4列)に座りました。それより後方は空いています。それで児童合唱が女声合唱の後方に座るのだろうと思いました。これは、素晴らしい配置です。児童合唱が高い位置に陣取るからです。以前の記事にも繰り返し書いているように、マーラーはスコアに、児童合唱と鐘を高い位置に置くように指定しています。しかしこの指定が守られることは比較的少ないです。たとえばサントリーであれば、鐘は普通に舞台上に置かれてしまい、P席の前方に児童合唱、P席の後方、一番高いところに女声合唱という配置などが多いです。この、鐘と児童合唱と女声合唱の配置を見るだけで、指揮者がどれだけこの曲にきちんと向かい合っているかが伝わってきます。女声合唱の入場のあと、オケが入場しチューニングです。児童合唱は、まだ入ってこないので、曲の途中で入場するようです。鐘がどこにも見えないので、もしかしたら、尾高&札響の3番(2010年)のように、第5楽章が始まったときに、P席後方のドアをあけて、通路で鐘を鳴らすのかもしれない、と思いました。第一楽章が始まりました。冒頭のホルンのユニゾンの主題から驚きが待っていました。まず第5小節からテンポを落としました。メロディーでいうと、ミラーソラファードッ、ファラーシドシーラーソーミー、このあとです。ラーシードレミーー、のところからテンポを少し落とし、さらに次のダン、ダン(第6小節)のところから、強烈に遅くしたのです。そもそもスコアではこの第5小節に「Nicht eilen」(急がず)と指定されています。マーラーが「速くするな」と言っている部分で、それならばと、逆に遅くし、第6小節で一段とだめを押すように遅くしたのです。このダン、ダンは、すごい重みがありました。ホルンの主題の途中でこのように大きく遅くする方法(以下ギアダウンと呼びましょう)は、かなり珍しいスタイルです。CDではセーゲルスタムがやっています。実演では、大植&大フィルの兵庫での演奏会(2012年)で、このギアダウンに初めて接して、非常にショッキングだったことが忘れられません。次いで、アルミンク&新日フィル(2013年)がそうでした。今回のノットさんは、僕の接した中で3回目のギアダウンになります。最初の大植さんの場合は、第5小節のホルンの上行音型(ラーシードレミーー)のところから大きくギアダウンしていました。アルミンクは、第5小節はややテンポを落とす程度で、続く第6小節のダン、ダンからギアダウンしていました。今回のノットさんは、アルミンクと同じ方法になります。大植さんのときにはこのギアダウンはかなりショッキングな体験でしたが、今回は3回目だったためか、それほどのショッックはなく受け止められました。それにしても、この頃こういう演奏が多いということは、国際マーラー協会の新校訂版は、ここに何かテンポ指示が加わっているのだろうか、とも疑問が生じます。僕の持っているポケットスコアは古い版なので、いずれ新しい版を見てみたいと思います。それで、この第一楽章、すごく良いのです。峻厳としたところはびしっと厳しい音作りだし、打楽器のときどき思いがけない強打が新鮮で、音楽を引き締めます。一方でうきうきと楽しいところは喜ばしく温かさが感じられ、多面的な魅力を存分に伝えてくれます。これはすごいです。たとえば峻厳性でいえばベルティーニ&都響(2001年)、生き生きとした喜びの表現で言えば大植&大フィル(2005年大阪)が、僕にとっての忘れがたい名演奏ですが、その両者の面をともに、これほどたっぷりと伝えてくれる演奏は、そう滅多にないです。テンポ設定はやや遅めで、そしてインテンポというわけではなく、微妙な加速や減速はあるのですが、それが目立たず自然な変化なので、聴いていてそれほどテンポが変わっているような感じがしないのに、気が付くと多少変わっている、そういう感じで、音楽がとてもしなやかです。まさに柔にして剛の3番。なお、トロンボーンのモノローグが終わって、夏の行進が小さく始まってしばらく続くあたりに、しばらく弦の奏者が半分で演奏するところがありますね(練習番号21~25と、その再現部にあたる63~65)。ここは、それぞれの弦パートの前方のプルトが弾くことが多く、あるいは各プルトのオモテないしはウラの一人が弾く場合をたまに見かけます。しかし今回は、それぞれの弦のパートの後方のプルトが演奏していました。この方法は珍しく、僕が接したのは今のところ大野和士&京響(2011年)の演奏くらいです。大野&京響のときは、初めて聴くためか、かつ指揮者にかなり近い席だったためか、音楽が空洞化したような違和感がありました。今回は2回目のせいなのか、音楽がすばらしいせいなのか、あまり違和感はありませんでした。でも、敢えてそうするメリットというのも特には感じませんでしたが。すこぶる充実した第一楽章が終わって、このあとの展開がとても楽しみになりました。オケがもう一度チューニングして、第二楽章。この楽章もチャーミングな美しい演奏でした。第二楽章が終わって、ノットさんはしばし間合いを取りました。その間に、遅れてきた観客が座席に座ります。そのかすかなざわめきの中で、メゾソプラノの藤村さんがいつのまにかしずしずと目立たないように舞台に入場して、指揮者の左横におかれた椅子に静かに座りました。拍手が起こりにくように配慮された、巧みな入場でした。このタイミングで一緒に児童合唱が入ってくるかと思いましたが、P席には誰も入場しませんでした。それならば第三楽章が終わってから入ってくるのだろうと思いましたが、その予想は良い意味で裏切られることがのちにわかります。第三楽章。ここから一段と音楽が深みを増しました。特にポストホルンの部分が素晴らしかったです。ポストホルンは、僕の席(1階平土間前方左寄り)からは、やや右前方の高いところから、しかしどこから聞こえて来るのかはよくわからないようなふわーっとした感じで、聞こえてきました。吹き始め少しの間こそ、わずかにしんどそうでしたが、しり上がりに調子をあげ、明るくあたたかな音色でゆったりと響いてきました。あとで2階RA席で聴いていた友人に訪ねたところ、RAブロックの2箇所のドアをあけ、客席の外の通路で吹いていたようだ、ということでした。ポストホルンは、しばしば舞台上の横のドアをあけてその外で吹かれます。その場合、音はそのドアのところ1ヵ所を通って出てきますから、席にもよりますが、結局そのドアあたりから聞こえてくることになりがちです。これに比べると、今回のように高いところのドアを、しかも2ヵ所あけるのは、より遠くから聞こえる効果を得やすくて良い方法と思います。もちろん今回の方法でも、開けたドアの近くの席の人は、より直接的に近くから聞こえてしまったと思いますが、ホールの多くの聴衆には、遠くからの十分な距離感を持って響いたことと思います。「どこから聞こえて来るのかはわからないけれど、どこか遠くから聞こえて来る。」これまさにマーラーの目指したポストホルンの響きだと思います。この距離感、絶妙でしたし、響きも豊かで美しかったです。さらに特筆すべきは、このポストホルン部分のテンポです。ものすごく遅く、ゆったりとしていたのです。舞台上で奏でられる音楽もデリカシーがあり、全体として夢のような世界に浸れました。これは本当にすばらしかったです。そしてポストホルンが終わって、にわかに雰囲気が変わり、ハープのグリッサンドに導かれてトロンボーンとホルンの斉奏の楽節(練習番号31)、アドルノが神の顕現と呼んだ重要な部分も、十分な荘厳さがありながら、温かみがある響きで、久々にこの箇所で満足できる演奏を聴くことができました。(長くなりすぎましたので、この続きはすぐ次の記事にわけて書きます。)
2015.09.16
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2015年8月22日 井上喜惟指揮・マーラー祝祭オーケストラの演奏会を聴きました。ハチャトリアン ピアノ協奏曲 変ニ長調マーラー 交響曲「大地の歌」指揮:井上喜惟(ひさよし)管弦楽:マーラー祝祭オーケストラ(旧 ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ)テノール:今尾滋アルト:蔵野蘭子ピアノ:カレン・ハコビアンミューザ川崎シンフォニーホール井上喜惟氏の提唱により、アマオケのジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラが発足したのが2001年です。最初の6番(2001年11月)を皮切りに、マーラーの交響曲を少しずつとりあげてきました。川崎市の協力を得て、今回マーラー祝祭オーケストラと改称し、大地の歌を演奏し、そして来年2月に8番を演奏して、16年がかりでマーラー全交響曲を演奏し終わる予定だそうです。僕は順に5番(2004年)、3番(2006年)、1番(2007)年、2番(2008年),6番(2回目の2009年の方)を聴きました。出来不出来はあるものの、超絶的な遅いテンポで暖かな感動を呼ぶ3番、やはり超絶的な遅さとカウベルの「舞台裏の両翼配置」などのこだわりが素晴らしかった6番、いずれも個性的でかつ普遍性のある名演でした。6番の感想はこのブログにも書きました。その後の7番(2010)年、9番(2012年)、4番(2013年)、は、いずれも都合がつかず聴くことができませんでした。また昨年夏の10番は入院のために聴けず、非常に残念に思っていました。今度の大地の歌は、ぎりぎりまで聴けるかどうか微妙でしたが、なんとか都合がついて、当日券で聴くことができました。井上氏はかねてからアルメニアと縁が深く、その関係で本日のプログラム前半はハチャトリアンのピアノ協奏曲を、アルメニア生まれのアメリカ人ピアニストとともに演奏しました。アンコールには、このピアニストが作曲した、アルメニアのジェノサイドに関する作品が弾かれました。そして大地の歌。弦は左からCb,1stVn,Vc,Va,2ndVnの対抗配置で、舞台上手(向かって右)端にハープ2台、その奥にチェレスタ。今回は特別遅いテンポではなく、しかし井上氏ならではの味わいある音楽を聴かせてくれました。特に終楽章は、彫りの深い演奏で、アルトの歌も素晴らしく、感動しました。オケも5番当時より技術的にずいぶん進歩して、アマオケとして十分に健闘しました。来年の8番も、極力聴きたいと思います。そしてその後も井上氏は、独自のマーラーを演奏し続けていくことと思いますし、それを楽しみにしています。会場でCDを販売していました。去年聞き逃した10番のCDを買って、感動の余韻に浸りながら帰りました。
2015.08.25
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久々にコンサートの感想を書いておきます。新日フィル第545回定期演奏会2015年7月11日 すみだトリフォニーホールマーラー 交響曲第2番「復活」指揮:ダニエル・ハーディングメゾソプラノ:クリスティアーネ・ストーティンソプラノ:ドロテア・レシュマン合唱:栗友会合唱団ハーディングの復活は、数年前東フィルとの演奏を聴きました。今回再びハーディングの復活が聴けるということだけが頭にあって、独唱者は誰か知らないで行きました。そしてプログラムを見てびっくり。メゾソプラノがクリスティアーネ・ストーティンさんです!ストーティンさんは、最近ある歌曲集のCDで知って、その現代的で思索的な歌唱が非常に気に入っていたオランダの歌手です。公式ホームページでディスコグラフィーを見ると、ハイティンク・シカゴ響やユロフスキ・ロンドンフィルとマーラー復活を録音しているし、マーラー歌曲集も録音しています。この人の歌で復活が聴けるとは、期待が高まります。舞台配置は、弦は舞台下手からCb, 1stVn, Vc, Va, 2ndVnの両翼配置で、舞台上手側(向かって右側)の端にハープ2台です。ハープの少し後方に、チューブラーベルがおいてありますが、通常のものよりもすごく太いベルでした。合唱団はステージ後方の雛壇に普通に横並びで、独唱者は合唱団と同じステージ後方のセンターです。合唱団はオケの入場に先立って最初から入場し、ステージ後方の雛壇に、3列ほどで横にずらっと並びました。結構な大人数です。普通に下手側半分が女声、上手側半分が男声です。合唱に引き続いてオケが入場し、ステージ上を埋め尽くしました。そしてハーディング登場。第一楽章は、気合が入っていましたが、やや硬さが感じられました。第一楽章が終わって、一呼吸おいている間に、オルガニストが入場し、もう一呼吸おいて、独唱者が入場してきました。このときに少し拍手が起こってしまったのは惜しかったです。2人の独唱者は、合唱団のすぐ前のセンターに位置して、座りました。第二楽章から、音楽が俄然しなやかな感じを帯び始め、僕としても音楽に没入できました。ハーディングの体の揺れが実に音楽的で、ワルツが豊かに歌われ、とても魅力的です。そして第二楽章が終わってから、そのままアタッカで第三楽章に入りました。マーラーの指示は第三楽章以降がアタッカですが、ハーディングは第二楽章以降をすべてアタッカでやりました。演奏するオケは大変でしょうけれど、緊張が保たれてとても良いです。第三楽章の終わりごろに、ストーティンさんが静かに立ち、そのまま第四楽章に。この歌い出しが、非常に小さな声で、はっとする驚きとともに、思わず涙が出てしまいました。そしてここからストーティンさんの、きわめて個性的で感動的な歌を聴くことができました。この人、声そのものが特別美しいということではありません。発声も、ときどきこの曲で聴けることがある深々とした聴きほれるような声質ではなく、何かちょっと独特な「浅さ」を感じます。おそらくマーラーを歌う上で意識的にそういう声を出しているのだろうと思います。音程も、ときどき微妙に低かったりします。ですので普通に聴いて美しい、というものではありません。むしろ普通に聴いたら、この人それほどうまくないじゃん、と思われてしまうかもしれないです。それなのになぜだろう、この歌には、真実を訴えて来る中身がしっかりあります。私この楽章の数分間、ほぼ涙が出っ放しで止まりませんでした。復活の第四楽章で、ここまでの体験はそう滅多にしたことがありません。この第四楽章はちょっと忘れられません。ストーティンさん、只者ではない。第五楽章、合唱部分のテンポがぐっと落とされ、合唱の緊張感が非常に高く、かなり聴きごたえがありました。ストーティンさんのやや抑えめの歌唱は、第五楽章でも聴きものでした。しかしソプラノはその方向とちょっと違い、ストレートに押してくる歌唱で、全体の中でソプラノだけ少々浮いてしまうような違和感があり、残念でした。なお合唱は、歌いだしはずーっと座ったままで、最後近くにアルトとソプラノの二重唱が始まる直前(練習番号44)で一斉に立つ、というタイミングでした。それからもう一つ良かったのは、終楽章のバンダの響きです。練習番号3で出てくるホルンのエコーは、本当に遠くから響いてくる感じで、ゆったりとしてテンポとともに、素晴らしかったです。ただし、練習番号22~24の、舞台裏のトランペットと打楽器がファンファーレを繰り返しながら次第に盛り上がっていくところは、舞台下手のドアのすぐ裏でやっている感じで、距離感がなくていただけませんでした。しかしそのあと、練習番号29~30の、ホルンのエコーがふたたび出るところと、引き続いてマーラーが「大いなる呼び声」と呼んだ、4本のトランペットが遠くから響き、舞台上のフルートとピッコロとともに合唱を導入する部分、ここの響きも、とても遠くから響いてきて、文句なく素晴らしかったです。僕は1階の前寄り・左寄りの席で聴いていたのですが、そこの席できいた感じでは、バンダのホルンはやや前の遠くの方から、そしてバンダのトランペットは後ろの方から聞こえて来るような感じがしました。もしかしたらトランペットは実際にホール後ろの方の舞台裏で吹いていたのかもしれません。(このホールは、後上方の左右に、ホールの空間より少し左右に引っ込んで半分通路になっているようなスペースがあり、そこで演奏することが可能なようです。だいぶ以前に井上道義さんがマーラー3番をやったとき、ここに少年合唱団を配置して、独特な効果を上げていました。)今回そこでバンダのトランペットが演奏したのかどうか、定かではありませんが、ともかく今回の練習番号3と29~30の空間効果は見事でした。ところでハーディングが数年前に東フィルと復活を演奏したときの記憶は、もう一部しか覚えていませんが、今回と同じように、1)第二楽章以下を全部アタッカで演奏、2)普通より太いチューブラーベルを使用、3)合唱団が入るところですごくテンポを落とした、などの点が印象に残っています。総じてなかなか感動的な演奏だったと記憶しています。今回も基本同じ路線だったと思います。もしもハーディングに欲を言うとすれば、ハープの一音などのちょっとしたところに、さらなるこだわりを見せてほしいです。鐘の音も、折角通常より太いチューブのベルを使っているわりには平凡な、目立たない音で、鐘の音にこだわる僕としてはいささか物足りなかったです。ハーディングのマーラーは、よくも悪くも純粋な感じ、まっすぐな感じがします。うまく言えないのですが、もう少し余分なもの、きれいに整理できないものが出てくれると、僕の好きなマーラー演奏像に近づいてくれるのですが。しかしもちろん、ハーディングの指揮は、非常に気合がはいっていて、素晴らしい復活だったです。オケも、すごく気合が入っていて、ハーディングの棒と真剣勝負、という気迫が感じられました。二日公演の二日目ということもあってか、オケのパフォーマンスもかなり充実していて、大きな傷なく健闘していました。ハーディングとの強い信頼関係を感じました。良い復活を聴くことができて、感謝です。ハーディングは来年8月、マーラー8番をやります。これが新日フィルのミュージック・パートナーとしての時代の、一つの区切りになるのだろうと思います。かつてアルミンクが8月のマーラー3番で音楽監督を終えたように。
2015.07.12
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