オトキチ日記

人間が幸福に暮せるもの

人間が幸福に暮せるもの


今回の私の北朝鮮旅行が楽しく忘れられないものになつたのは、キムさんがガイドであつたことが大きい。
他のガイドさんであつたら、どうであつたか、考へることもできない。

可愛い。
あの軍人だらけの空港で見たときの驚きは、私の北朝鮮のイメージを一遍に変へた。

北朝鮮風の美女であつたら、ああ、やつぱり綺麗だなあと思つたことだらう。
そして、やはり「党」はかういふ人物をあてがつてくるのかと思つたことだらう。
しかし、キムさんはあまりに可愛くて、かつ自然だつた。

美女に接待されたところで「営業用」としか思へない。
篭絡はされぬぞと身構えてしまふ。

しかしキムさんは違つた。
あまりに自然だつた。
笑ふやうすも自然なら不機嫌になるのも自然だつた。

あるいは、「素人つぽく」見せる「営業手腕」にまんまと嵌つてゐただけなのかもしれない。
飲み屋では「素人つぽい」女の子は人気を得る。
ただ、それだけのことだつたのかもしれない。
ホストに熱を上げるオネーチャンを笑へない。
「マサヤが世界で一番好き」
馬鹿か?
ホストのわなに嵌つてゐるだけぢやねえか。
そんなオネーチャンと同じになつただけだつたか。

でもそれでもいい。
私はキムさんがガイドに付いた幸福を人生で一番の幸福だつたと思ふ。

私は北朝鮮滞在中からずつとひとつのことを夢想してゐた。

それはキムさんを日本に招いて私が日本を案内することだ。
キムさんに日本を見せたい。
そして、日本について北朝鮮について、語りたい。

北朝鮮でもエリート中のエリートの人生を送り、主席と将軍に一点の曇りもない信頼を寄せてゐるキムさん
が、日本を見てどう思ふか、何を語るのか、それを知りたい。

しかし、実は私の中で答へはすでに出てゐる。

きつとキムさんはかう言ふだらう。

「たしかに日本はわが国よりも豊かでありますけれども、人民がわが国よりも幸福であるとは思へません」

そして私はかう答へるしかない。

「その通りです。『経済が私たちの国の教育だつたから』私たちの国はこんなふうになつてしまひました」

キムさんが日本に住めたとして、北朝鮮に住む以上に幸福に暮せるかといへば、それは絶対に無い。

しかし、私が北朝鮮に住んだとして、日本に住む以上に幸福に暮せるかといへば、絶対に無い、とは言へない。

北朝鮮には、人間が幸福に暮せるものが、たしかにある。
それは、例へば、信仰、集団、従属、使命、共同、義務、不自由、役割、等々を指す。

信仰に染まることで人はどれだけ幸福になれるか?
使命を受けることで人はどれだけ幸福になれるか?
義務を負ふことで人はどれだけ幸福になれるか?
不自由を感じることで人はどれだけ幸福になれるか?

これらが「雷に撃たれたやうに」わからぬ人は人生を真面目に考へたことのない人である。あるいは三歳の
幼な子か。

信仰もなく、使命も義務もなく、「自由」に生きることがどれだけ辛く困難な道であるか。
信仰に染まり、使命を受けて義務を果たすために「不自由」に生きることのはうがどれだけ楽な生き方で
あるか。

自分とまはりをふと見まはせば、脳味噌が動いてゐれば分ることだ。

キムさんは北朝鮮で幸福に生きてゐる。
私は日本で幸福には生きてゐない。

そのことを私はキムさんに伝へたい。
叶ふことなら、この旅行記をキムさんに読んで貰ひたい。

しかし、メールもインターネットも会社の端末で見られるとは言つてゐたが、日本のHPが無制限に見られる
とは思へない。
ましてや、主席のことも将軍のことも言ひたい放題だしね。
「どうしてこんなに悪く言ふのですか?」と柳眉を逆立てることだらう。

それでも私はまたキムさんと話をしたい。
そのために百年を待てといふのなら、丘の上に坐りつづけて、私は百年を待つだらう。

(17.8.15記す)


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