影男の屋根裏部屋

影男の屋根裏部屋

沈静期



それまで地元の中学→地元の公立高校へ通学していた私は、生まれて初めて都会へ毎日行く
ことになり、少なからず興奮していた。
当然、勉強に身が入るはずもなく、毎日あてもなくふらふらと遊びまわっていた。
実に親不孝な話である。
また、そうしたところには都合よく同じような人間が集まるもので、私を含めた3人組
で常に行動を共にしていた。

そんな3バカがハマっていたのはパチンコw
立場上、学生ではない我々は何憚ることなくパチンコ屋に出入りし、早朝、教室では
なくパチンコ屋で合流する毎日。
ふり返って考えてみれば馬鹿そのものである。

また悪いことにそこそこ稼いでいた我々は、予備校が終わると勝った金で飲みに行く、
ということを繰り返していた。
当時、今でいうキャバクラみたいな店はあまり一般的ではなかったが、それに類するような
店である。
飲む、打つ、買う・・・はさすがになかったが、毎日がまさにカーニバル状態。
楽しくなかったといえば嘘になるが、まるで不毛な行為であったことは否定できない。

しかし、祭りの終わりは意外とあっさり訪れた。

我々3バカは共同出資でパチンコ基金なるものを作っており、3バカのパチンコ資金および
飲み代はここから捻出していた。
今までは誰かが負けても誰かが勝つことで収支のバランスを保てていたのが、
ある時急に3バカが共に大負けする事態が勃発し、基金はあっさり崩壊した。

夏季特別講習に入る直前のことである。

季節とは裏腹に全身に冷水を浴びせられたが如く凍りついた私は、一気に眼が醒めた。
そして貴重な時間を無駄に過ごしたことを大いに反省し、夏季特別講習以降、狂ったように
勉強した。一生の内で恐らく最も集中した時期でなかろうかと思う。

結果、受験日が一番早く、滑り止めのつもりで受けた某大学に合格した。

初戦で初勝利。合格ラッシュを予想していたものの、緊張感が一気に弛緩した私は
以降全敗w楽天の田尾監督もおそらく今年、こんな心境だったに違いないw

予備校の3バカ時代は他の2バカがゲームに全く関心がなかった為、私の中でも完全に
空白となっている。
この時、ファミコンを中心とした家庭用ゲーム機を取り巻く情勢は大きな
変革の時を迎えていたのだが、私には全く与り知らぬことであった。


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