影男の屋根裏部屋

影男の屋根裏部屋

復活期(前編)


大学近くのゲーセンだった。

そこは今風の、女子供が気軽に立ち入れる場所ではなく、当然プリクラだのキャッチャーだの
など影も形もない、薄暗く、煙草の煙が漂ういかがわしい空間。
私が知る、正真正銘の「ゲーセン」であった。

丁度テトリスが流行り出した頃で、休講の時間潰しに立寄り、シンプルながら奥深い
ゲーム性に感心しつつプレイをしていたが、のめり込むという程でもなかった。

一方、TVCM等でファミコンについてはいくつか興味があるソフトがあったものの、
わざわざ自分で買ってまで・・・という程度の意識しかなく、その進歩についてもあまり
知ることはなかったのである。

大学生となった最初の一年、私のゲーム人生を形成するもととなった友人との二つの大きな
出会いがあった。

最初は大学の同級生で、必須科目で何度か顔をあわす内に親しくなり、彼の下宿に出入り
するようになった頃である。

A県出身の彼は、実家から ツインファミコン を持ってきていた。
ディスクのゲームは持っていないのに何故かツインファミコン。
ソフトはたったの1本で、しかも少し前の 「究極ハリキリスタジアム」 である。
当時私はファミコンソフトで 「ファミリースタジアム」 なる野球ゲームが発売されている
ことも、それが爆発的にヒットしていたことも全く知らず、高校時代のはじめに友人宅で
プレイした任天堂の 「ベースボール」 止まりであったので、この「ハリスタ」
には大きな衝撃を受けた。

・試合をすればするほど成長するチーム
・ランダムで発生する乱闘
・試合中突然乱入する酔っ払い

ゲームの本質的な部分以外での演出というものがこの時の私には珍しかったのである。
後々になって考えてみれば、これらの演出はすべて先行して人気を独占していた「ファミスタ」
と差別化をはかるための余分なものに過ぎなかったのだが、それはまた別のはなし。

このたった1本の、しかも王道でない野球ゲームが、私達の仲間内で大ブームを
巻き起こしたのであった。

主に彼の下宿に出入りしていたのは私を含めて6人。
それぞれが別のチームを持ち、成長させつつリーグ戦を行う。
連日連夜繰り広げられる「ハリスタ」大会は、数々の名勝負、名場面を我々の記憶に
刻むこととなる。

余談だが、この時の私の持ちチームであるWチーム(大洋ホエールズ、現横浜ベイスターズ)
は、現実でもファンとなったきっかけでもあります。

さすがにこれ1本だけでは飽きてきたので、全員でお金を出し合って、
多人数で遊べるゲームをいくつか買った。
ハズレもあったが、初代 「桃太郎電鉄」 は99年プレイで朝までやったのも
一度や二度ではなかった。

世間よりおよそ5年遅れで訪れたファミコンブーム。
私が実際に自分で購入するきっかけとなったもう一つの出会いについては、
次の章で語りたいと思います。



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